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先日、「激レアさんを連れてきた」で、バグパイプを思わせるような、ディジュリドゥという楽器奏者の、記憶喪失によるサヴァン症候群とみられる絵描き能力を発揮した激レア体験を放送していた。ディジュリドゥとは、オーストラリア先住民の最古の楽器といわれるもので、吐きながら吸う、循環呼吸法という特殊な呼吸を用いて、バグパイプのように吹く楽器なんである。バックナンバー|激レアさんを連れてきた。|テレビ朝日ディジュリドゥ - Wikipediaこの番組で紹介されていたディジュリドゥ奏者は、交通事故で記憶喪失になってしまうのだが、代わりにサヴァン症候群を思わせるような、以下のような緻密な絵画を描く才能を開花させる。TYO magazine » 『記憶』展──ディジュリドゥ奏者”GOMA”による初の絵画展交通事故後に絵画の才能が開花した、オーストラリア先住民アボリジナルの伝統楽器「ディジュリドゥ」奏者として名を馳せていたGOMAサヴァン症候群 - Wikipediaこの絵画が面白いのは、オーストラリアの先住民が伝統的に描く、以下の模様と似ている点にある。アボリジナルアートの種類 | MCLアートコレクション【アボリジニアートとは】都市・辺境におけるアートの歴史や政策を解説|リベラルアーツガイドこの絵画の共通性に視点をあてると、この奏者は記憶喪失で、かえって、前世の記憶を蘇らせたような印象を受ける。サヴァン症候群も、現世に適応できない霊魂の問題と考えられる。つまり、霊魂が、前世のトラウマのあまり、現世にうまくソフトランディングできないわけで、いわば現世に見合った肉体を脳がつくれないので、前世の特殊能力が、現世に見合わない形で現れる、と考えられるわけなんである。人智学では、前世の体験の潜在意識のなかの感情記憶と、今生の体験の覚醒意識のなかの日常の記憶を結びつけているのが、エーテル体なのを解き明かしている。最近、巷でも話題になっているが、前世の記憶をもつ子どもが、現世の生活に適応し、成長していくにしたがって、この前世に由来する感情記憶を失っていくのは、日常の記憶として、肉体に転換され記録されていくからである。脳科学でも言語判別領域を使って、人間の顔形を判断しているのがわかっているようで、側頭葉の損傷から、感情記憶の、現世での体験記憶への転換領域が明らかになってきている。部位別にみた脳の機能障害 - 09. 脳、脊髄、末梢神経の病気 - MSDマニュアル家庭版ウェルニッケ-コルサコフ症候群 - 09. 脳、脊髄、末梢神経の病気 - MSDマニュアル家庭版これは理論的にいえば、神経回路内での、恐らく、量子力学の確率波動関数の波束が、観測されるとともに、収束するので説明できるだろう。神秘学でいうなら、前回紹介したような、化学エーテルから、生命エーテルに転換されるためだろう。神秘学的にいえば、エーテル体が、肉体に刻印されるわけなんである。つまり、エーテル体は、現世での物質生活に適した、肉体への低周波の波動への変換装置で、高次の記憶を低次の記憶に加工できるように素材を提供している、いわばタイムマシンなのである。死を迎えると、エーテル体が肉体から離れるが、そのときに全生涯を走馬灯のようにみるのは、低次な記憶に転換されていた、高次の感情記憶が元へと回収されるからだろう。だから、シュタイナーは、幼児教育について、生まれてから7歳の間には、両親から受け継いだ肉体を見本にして、霊魂が、低次の身体をつくりあげるので、なるべく運動をさせ、肉体を動かし、暗記を避けるべきと説いている。というのも、この幼児期に、エーテル体に暗記を強いると、記憶に生命力が消耗され、肉体つくりが疎かになってしまうからである。暗記をはじめるのなら、歯の抜け変わる大体7歳以降の、人生の基盤となる肉体つくりが終わった頃を過ぎた時期に始めるべきと説いている。つまり、前世の感情記憶を肉体に刻印する時期なので、その作業を優先させるべき、というわけなのである。前世のカルマから生じた課題を解決すべく、それに応じた肉体の脳を構築するので、スムーズなソフトランディングがよく、ハードランディングすると、後に肉体の形成欠陥を起こし、肉体が硬化しやすくなり、関節炎などを起こすようになると説いている。だから、7歳をすぎないうちから、暗記教育などに走ると、エーテル体に柔軟性を失って、晩年に肉体が硬化して、腫瘍や関節炎を起こすようになる、と戒めている。話が少し逸れたが、この番組のディジュリドゥ奏者は、交通事故で、一時の幽体離脱をしたときに、わずかにエーテル体と肉体がズレたために、その間の記憶のやり取りができなくなって、いわば、数年前にタイムリープしたような、勿論、肉体はそのままだが、精神だけが若返ったわけなのだろう。そして、エーテル体が、肉体からズレて外に出た分が、サヴァン症候群のような、特殊な能力の、絵画を描く才能を獲得し、上に紹介した物質界を超えた波動の、幾何学的模様が描像として浮かびあがるようになったのかもしれない。端的にいえば、交通事故によって、少し死んだ状態になったといえるかもしれない。人智学的にいえば、死ぬとは、エーテル体が、肉体から完全に離れることで、元の肉体に戻れなくなることなんである。例えば、貝が貝殻を捨てて、飛び出してしまうようなものである。人間の場合は、肉体と自我や心をつなげているのが、エーテル体で、エーテル体は、現世に合わせて生きるための、いわばタイムマシンなのである。だから、肉体は、現世に合わせるために、本来持つ無限の能力を制限し、いわば節約しているわけである。能ある鷹は爪を隠す、状態にあるといえるかもしれない。以前紹介した古代エジプトのトースの本には、音楽と幾何学模様との、いわば波動が、宇宙の、神の言葉からなり、その法則を知る方法が書かれているらしい。現代人が知っているのは、その中のほんの僅かの、可視域と、可聴域の、みえる、聴こえる領域だけであるのを、前回紹介した。そのようなほんの一部の狭い世界からみる現代人の景色は、まさに、プラトンが説いた、洞窟の世界から、イデアをみるような無知さを表しているわけなんである。だから、ソクラテスは、無知の知を説いたわけで、古代ギリシア人からみれば、現代人は群盲象を評しているわけで、互いに論争、闘争、戦争する愚の骨頂に陥って、皆、自らで地獄に堕ちていくわけなんである。群盲象を評す - Wikipedia例えば、前世の感情記憶をレコードのような記録媒体だとすると、現世での体験は、その記録媒体から、音楽にするレコードの針や、演奏であるといえる。前世の感情記憶が楽譜だとすると、現世での体験は、楽譜を基に演奏する演奏家といえるかもしれない。現代の楽器が、肉体で、演奏家は、エーテル体といえるかもしれない。そして、その演奏が良かったか悪かったかと判断するのがアストラル体の、心で、いわば聴衆で、自我は、そのなかの良かった演奏だけ名演として天国にもっていき、永遠と残るわけなんである。記録媒体は変われど、良き演奏は変わらない。だから神の言葉は変わらないわけなんである。さて、いまから約30年前の、ネット最初期ブラウザのモザイクが世に出て、ネットフーテンをする前は、本屋巡りのフーテンの寅さんをやっていた。本屋を巡るだけで、世の中の流れが感じられたような気がしたものである。当時はまだワープロぐらいしかできずに、パソコンは高額で、とてもアップルには手が出ずに、中古のNECの98でDOSを覚えるのが億劫で、主にゲーム機と化していた。NCSA Mosaic - Wikipediaブラウザー史: 現代のブラウザーを生み出したせめぎ合い科学計算はフォートランでメインフレームを動かすのを大学で習ったが、DOSよりも更に億劫で、予約制なので、かなり使い勝手の悪さで、コンピュータは大嫌いだった。そのうちメインフレームに代わり、UNIXワークステーションが登場し、矢鱈とリナックスが重宝されたが、コンピュータ言語を覚えるよりも、日本語で読める本のほうが遥かに敷居が低いのはいうまでもない。メインフレーム - Wikipediaワークステーション - WikipediaLinux - Wikipediaこの時代に、後のIT企業の前身となるコンピュータオタクが大量に輩出され、日本では秋葉原の電気街がオタクの聖地となるが、自分はまだ本屋巡りのフーテンを続けていたために、完全にネットサーフインの時代の大波に乗り遅れてしまったといえるかもしれない。数学の計算ではウルフラムの画期的なマセマティカが登場し、手計算が億劫なので、なんでもかんでも、マセマティカにやらせる風潮が到来したのはいうまでもない。Mathematica - Wikipediaマセマティカをググると名付け親は当時、アップルを追い出され、ネクストを立ち上げたスティーブジョブスなのがわかるが、恐らく数学のマセマティクスにちなんでいるのだろう。マセマティクスの数学の語源は、古代ギリシアのマテーマタで、「学ぶべきもの」という意味をもつらしい。神智学的に読み解けば、人類が学ぶべき古代叡智で、精神性というべきものかもしれない。つまり、神や宇宙の意識である。はじめて読む 数学の歴史 - いつも、学ぶ人の近くに【ベレ出版】だから、本来、数学という言葉には、数という意味はなく、少なくとも、古代ギリシア人には代数という意味はなく、だから、インドで発見された、ゼロの概念もなかったわけなんである。マテーマタが、数学となったのは、アルジェブラ(数える)という名に残っている、古代アラビア人の影響を受けた、主に中世のルネッサンスの、当時イタリアで流行った算法学者たちの計算法に由来しているようである。「代数学」とは何か? 〜語源から歴史を紐解き、その気持ちを探る。〜 | 数学の時間つまり、古代ギリシア人は、後にモザイクができて、マセマティカが到来する前の、電子社会の時代に乗り遅れた母国語を主体とする書物などの、先人の口伝などから学んだ人たちで、人智学的にいうならば、秘儀参入法により、神の言葉を、数ではなく、少なくとも幾何学的に捉えていたようである。古代ギリシア人は、マテーマタからもわかるように、代数ではなく、幾何学的に、神の言葉を捉えていたのがわかるわけなんである。というのも、神は分けられずに、数えられない一つの存在で、一つのものが、形を変えて多様に現れる幾何学的存在と捉えていたからである。聖書には、神は言葉と共にあり、言葉は神だったと書かれてもいる。古代ギリシア人は、数を数えるのではなく、変化として捉えた。万物流転の法則である。有名なデモクリトスの原子論も、以下のウイキ解説のように、ケノンという空虚を前提としている。現代物理学でいうところの、ディラックの海である。ディラックの海は、電子の背後に、空孔があり、電子の分割不可能性は、パウリの排他原理で、示されるが、光子などのボーズ粒子には適応できない。つまり、固体化した物質界は数えられるが、物質界を超える、人間には見えない不可視の世界は数えられないのである。デモクリトス - Wikipedia「原子(アトム)」は不生・不滅・無性質・分割不可能な自然の最小単位であって、たえず運動し、その存在と運動の場所として「空虚(ケノン)」の存在が前提される。無限の空虚の中では上も下もない。形・大きさ・配列・姿勢の違うこれら無数の原子の結合や分離の仕方によって、すべての感覚でとらえられる対象や生滅の現象が生じる。また魂と火(熱)とを同一視し、原子は無数あるが、あらゆるものに浸透して他を動かす「球形のものが火であり、魂である」とした。デモクリトスは世界の起源については語らなかったが、「いかなることも偶然によって起こりえない」と述べた。ディラックの海 - Wikipediaこのような数学の歴史話からも、古代ギリシア人が考えた世界が、物質界だけではない、のがわかる。つまり、生命体は数えられないのである。確かに物質となっている固体の肉体は数えられるかもしれないが、組成の違いや、元素まで考えると、似たようなものはあるが、状態がそれぞれ異なるので、同じものはない。同じ細胞でも状態が微妙に異なり、細かくみれば、それぞれ異なる。それらは大まかに統計学的手法で、静的に観測し、線形化した解釈で、確率論に乗せて評価しているだけである。前回も紹介したように、このように現代人は、1つの生命体として機能させている、神の言葉の、へーのHの生命エーテルについてはほとんど理解できていないのに、生命エーテルが、自然界よりも3段階下の、下位のアスラ界において、核力として、量子力学から、確率統計学で、解釈しているのが現状なのである。まさに神はサイコロを振り給わずなのに、量子力学でサイコロを振って原子力や核兵器で人類同士が競争し恫喝威嚇しあっている。この物質界を地獄の世界といわずしてなんというのだろうか?聖書を深く読み解けば、キリストが唯一の道といった、生命エーテルのへーの神の言葉とは、多様な粒子を一つにまとめている叡智の愛の波動の能力なのである。我々は、宇宙のオーケストラを演奏するために不可欠なあるパートを与えられた一人の演奏家なのである。電子のなかには、宇宙全体の記録が書かれているという。地球人が地球からみれば電子は一つの点にみえるかもしれないが、それは量子もつれで宇宙全体とつながっていて、天空の音楽を奏でて、流れる宇宙全体の波なのである。そして、エーテルの波動的視点からみれば、宇宙全体の波のなかで、火から空気、空気から水、水から土の生命エーテルとして揺れる小舟が、我々地球人の自我なのである。いま自我を霊我に、生命霊に、霊人間にしていく時代が到来した。今度こそ、アクエリアスの大波に乗る正真正銘の最後の機会が到来した!ここで乗らずして、いつ乗れるのだろうか?
2025年02月27日
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もはや数年前に退職した職についてはトラウマが思い出されて、医療ドラマなどをみると、似たような経験が思い出されて、あまり話したくないのだが、毎日転職を考えていたブラックな職場だったが、結局、転職する勇気もなく、30年勤めていたので、嫌な職場に行くための、慰めの音楽となったのが、ヴァンヘイレンのジャンプだった。改めてこの曲を歌詞から見直してみると、何度勇気づけられたか、改めて感じられてくる。以下はネットから歌詞をググって、自分風にかなり意訳している。ヴァン・ヘイレン「ジャンプ」の英語歌詞で熟語の偉大さを知った! - Gunsn Styleヴァンヘイレンの「Jump」を和訳 誰もが知っている超カッコイイ曲! | 洋楽を和訳、時々映画批評get up, and nothing gets me downYou got it tough. I’ve seen the toughest aroundAnd I know, baby, just how you feelYou’ve got to roll with the punches to get to what’s realさぁ、起き上がれ、落ち込む必要なんてない確かに、大変だったな、世の中、そういう目に出くわすものなんだだから、自分も経験したし、君の気持ちは良くわかるよ新しい、本当の自分を手に入れるには、我慢が必要なんだよAh, can’t you see me standing here?I’ve got my back against the record machineI ain’t the worst that you’ve seenOh can’t you see what I mean?目の前に立つリアルな俺が見える?ヒット曲をつくれと、ハッパをかけられる俺が君には最悪にうつるかもしれないが、俺はそうは思わない俺は、本当の自分をみつける、わかるかい?Might as well jump (Jump!)Might as well jumpGo ahead, jump (Jump!)Go ahead, jumpさぁ、自分の殻を飛び出そう!最悪と思う自分の殻を破るんだ! 過去を振りかえるな、前に進め!過去の自分とは、おさらばさ!Hey you! Who said that?Baby, how you been?You say you don’t knowYou won’t know until we beginお前が最悪だと、 誰が決めつけたんだよ?お前自身が決めたわけじゃないだろ?頭で理解してもわからないよやってみなけりゃ、わからないさWell can’t you see me standing here?I’ve got my back against the record machineI ain’t the worst that you’ve seenOh can’t you see what I mean?目の前に立つリアルな自分が見えるかい?新しい自分をつくれと、ハッパかけられる自分がいまは最悪かもしれないが、明日は抜け出しているよ本当の自分をみつけるためだ、わかるかい?Might as well jump (Jump!)Go ahead, jumpMight as well jump (Jump!)Go ahead, Jump!Jump!いまの自分から全力で抜け出せ!過去の自分とは、おさらばだ!いまの自分をつくっているのは自分なんだ!だから、過去の嫌な思いなど捨て去れ!Might as well jump (Jump!)Go ahead, jumpGet it and jump (Jump!)Go ahead, jump他の誰かがお前のことを苦しめようが耳を貸すことはない自分さえ受け入れなければいいだけだ!そんな苦から飛躍するんだ!苦しみとはおさらばだよ、ホンモノの自分を掴め!Jump!Jump!Jump!Jump!古い自分を手放していけばいい!過去の自分とは、おさらばさ!意訳を更に意訳したのだが、この曲のメッセージは、自分の苦しみをつくっているのは、自分の立場に拘る自分なのである。誰しも自分を認めてもらいたいという承認欲がある。それが叶わないとき、なぜ自分だけが嫌な思いに遭遇するのかと思いがちだが、自分の殻のなかで、クヨクヨ考えていても無駄な努力である。他人は変えられないし、自分が変わるしかない。八方美人になる必要なんかない。結局、悪魔たちと向き合うには、悪魔たちが強要する自分への立場から飛躍するしかない。嫌な人たちとどう付き合うかで、世の中学ぶことが沢山ある。この世に生まれてきた人たちはほとんどが前世で地球を卒業できずに、やりなおすために生まれてきた落第者たちである。他人を支配したい連中、他人を欺き、笑う連中、自分が正しいと思い込んでいる独裁者たち。そういう自惚れ屋さんたちとどう付き合うかで、自分にされて嫌なことを学び、他人にしないように学ぶしかない。そのような人たちと戦っても無駄で、他者から、自分にされて嫌なことを、学ぶのである。そして、自分はそのような嫌なことをしないように努力することである。嫌な事は、実際にされてみないとわからない。そういう意味では、詐欺師というのは最悪の人間で、十戒を知らないニセモノである。人間は神の子であり、唯一神から、大切な唯一の自我を預かっている。聖書では、主と呼ばれる、この自我を、人智学では、生命エーテルと呼んでいる。簡単にいうと、一つの生命体として、組織化する能力のことで、現代科学でも、自己組織化と呼ばれている。ただし、現代科学は、物質面だけをみて、物質が中心に集約する現象を指している場合が多いが、厳密に言えば間違いである。自己組織化 - Wikipediaモーセの十戒 - Wikipedia十戒を現代風に解釈すれば、自分にされたくないことは、するな、であるが、それを十にわけると、十戒になる。1. お前はお前だけの唯一の存在である2. 他人を支配しようとするな3. お前のなかに既に神はいるので、外に求めるな4. 神が住む潜在意識に戻るために充分な睡眠をとりなさい5. 天と地を崇めなさい。宇宙と自然の全体を考えなさい6. 分け隔てなく接して、自我を分裂させてはならない7. 無暗に矢鱈と増長するな、常に謙虚であれ8. 他者を羨むな、隠蔽するな9. 隣人との垣根を取り払い、愛せよ10. 自分にされたくないことはするなという感じになるかもしれない。十戒を守れば、生命エーテルが活発化して、自我を成長させる。人智学によれば、生命エーテルは、上位神界に由来し、現代科学が考えている核分裂の核力とは、真逆で、その意味で、物質の自己組織化、化学の沈殿とは正反対の力である。つまり、聖書の記述でいえば、現代科学は偶像崇拝に陥っているのである。そういう物質的な意味で、核融合とも異なる。核分裂反応 - Wikipedia核融合反応 - Wikipediaエーテルは端的にいえば、動に静を与える時間のようなもので、量子力学で習う井戸型ポテンシャルのように、波動に節を与えるような存在なのである。動的平衡と呼んでいる研究者もいるが、エーテルは、成長過程を生命力として与える、まさに神の言葉なのである。現代科学は、それらを非物質の存在として、ダークマターと名づけているが、物質界を抜け出せない限りは、なんと名づけようが、無意味なだけである。暗黒物質 - Wikipedia人智学では、宇宙や地球の進化とともに、火、風、水、土の、4つのエーテルにわかれてきたのを解き明かしている。それぞれ、熱エーテル、光エーテル、化学エーテル、生命エーテルである。テトラグラマトンの、4つの文字の、YHVHである。熱エーテルの現代科学的解釈の、物質的概念が、エネルギーである。宇宙進化の土星紀の要素である。熱力学第2法則のエントロピー増大の法則は、熱エーテルが、時空に時間を与えるのを数式化したものである。それは光の直進性として現れている。ヨッドYと呼ばれる、火のみの熱エーテルの土星紀の、次の太陽紀にわかれたのが、ヘイHの、光エーテルで、人智学では、この光エーテルの領域をアストラル界と呼んでいる。アストラル界を自由な空気、風として運動する光エーテルが、自然界よりも、下位の地獄の世界に束縛され、凝縮されたのが、電子の電気で、人智学では、ルシファー界と呼んでいる。だから、光を私物化したルシファーは、その名の通り、光を担う者で、電子の世界は、ルシファーら悪霊の世界で、電子を操作するのは黒魔術師なのである。ルシファーらは光の堕天使の電子の世界の支配者といえるかもしれない。太陽紀の次の月紀に、ヴァウVと呼ばれる化学エーテルがわかれた。化学エーテルは、音エーテルとも呼ばれている。化学的な組成構造の、変化の割合を与える存在で、例えば、水が、2つの水素と1つの酸素の割合からなる分子と解される比例則を与える存在といえる。この化学(音)エーテルの世界が、アストラル界の上位の下位神界で、逆に、自然界よりも下位の地獄の世界に束縛されたのが、磁石の磁気で、人智学では、アーリマンらの世界と呼んでいる。化学エーテルを私物化し、地球の磁力を用いて地震を起こすのは、アーリマンらの仕業なのである。そして、月紀の、次に我々の地球紀の、生命エーテルの、へーHの、自我の進化紀が到来したわけで、この時代に自由な個人主義が到来した。地球紀の目的は、個人の自我を発達させることなのである。キリストが、へーHは唯一の道であるというのは、各個人が、自助努力により、十戒を守って、自分を神にまで高め、生命エーテルに帰依する、回帰する時代なのである。人間は、自我を携え、成長させて、自由、平等、博愛の精神に導き、物質性を克服し、宇宙全体に漲る生命エーテルを感得する課題や使命を、この地球に対して、担っているわけなんである。我々地球人は、肉体を通じて、覚醒意識から、固体の物質性を克服し、生命エーテルに帰依できるように、十戒を守って、自我を成長させる課題を背負っている。固体から個体の物質性を克服し、死を乗り越え、生命の尊厳を、自我に体得させる修行の時代なのである。この生命エーテルの生命力を、中世では、軽力と呼んできたらしい。重力の束縛性に対する、軽力である。この生命力の世界は、上位神界と呼ばれ、この天国の世界に達するには、三種の神器の、マナスの霊我、ブッディの生命霊、アートマンの生命人間を体得する必要がある、といわれている。逆に、この地球紀を落第する者は、物質性に埋没し、物質性の奴隷となり、自我が鉱物のように固く死んで、つまり、肉体の束縛に負けて、腫瘍化し、精神が、癌化してしまう。いわば、独房に入って、精神分裂病に罹るような獣に成り下がるわけでなんである。生命よりも、物質を優位にみなし、生命を軽んじ、私物化する生き方をした者は、生命エーテルを、自然界よりも、下位の領域に貶めた罪で、地球の次の進化紀の、木星には進めずに、アスラの世界の無間地獄の闇に葬られると、ヨハネの黙示録などで預言されている。それらの徴候は666の紋章として現れている。666の称号とは、生命エーテルを、束縛し、私物化すると、死の鉱物の、核力として現れる。物質性の誘惑に負けて、核兵器などで、殺人を行った者が堕ちる地獄の世界である。だから、高次の宇宙人は、地球人の核力の使用に警笛を鳴らしているのである。核兵器を利用して人類を脅かす人たちは、獣として自ら地獄に堕ちていくだろう。日本風にいうなら、鬼になって霊魂を貪り、自ら朽ち果てるだろう。核兵器で同じ人類を脅かすなどは物質性に埋没する精神でしかないからである。子どもたちがピストルで撃ち合っているのを、親が嘆かずにいられようか? 原子力の平和利用など人類の詭弁で、高次の宇宙人には通用しない。それはただ自我がアスラの下僕、奴隷と化しているだけなのだ。さて、前回は、ヨガの達人のヨギの言葉から、一言で要約するなら、人類が、自分にされたくないことを、他人にしないことを学ぶために、地球で経験しているのを紹介したが、本来は、地球人のなかだけでなく、地球人以外の生命体へも、地球人がされたくないことを、他の生命体にしないことを学ばなくてはいけないわけで、高次の宇宙人からみれば、ぶっちゃけ、我々地球人は、宇宙の天空の音楽を聴けるようになるために、地球で学んでいるわけだが、宇宙が奏でる音楽を、理論的に解き明かそうとしているのが、超弦理論といえるかもしれない。超弦理論 - Wikipedia超弦理論は、当初、グリーンとシュワルツにより、素粒子理論の標準模型を重力にまで拡張する際に、量子力学との整合性を図るために、超対称性を導入し、量子ではなく、超対称性をもつ弦の振動に、行列理論を用いて、時空間のトポロジーに帰し、構想された還元論である。数学者のウィッテンが、時空間を、トポロジーの位相幾何学として、超弦理論を用いて定式化し、数学的ツールを沢山つくったようである。色々なモデルが編み出されている。エドワード・ウィッテン - Wikipedia古代叡智を学んでいる自分の直感からすると、テトラグラマトンのYHVHと陰陽の神の言葉が、この超弦理論の弦の振動をつくっているようにみえてくる。しかし、人間は、地球という物質界の時空のなかで、孤立しているわけなので、宇宙の音楽を聴くには、この地球の時空間から抜け出せない限りは、無駄な徒労に終わるだけだろう。というのも、我々地球人が、現在のような地球を壊しながら、つくりあげて、現代人が住みやすいように、地球をいわば、位相幾何学において、コンパクト化してきたからである。端的にいえば、可聴音や可視光のみの自分たちの境域だけをみれるように、自然から地球を抜き出して、国境線を引いて、論争、闘争、戦争を続けながら、地球コンパクト化構想を繰り広げてきたといえるだろう。我々地球人がみて、聴いている世界は、宇宙のほんの一部でしかないのに、その立場に囚われ、固執しているのが、現代人のなによりその特徴といえるだろう。現代人は可聴音と可視光の狭い領域で互いを牽制し、ひしめきあって、いわば、地球の満員列車に乗って、その本数を減らし、その運行をどんどん遅らせている現状にあるといえるかもしれない。随分前に、狭い日本そんなに急いでどこへ行く、という標語みたいなのが流行ったが、狭い地球そんなに破壊しあってどこに住む、というのが、現代人の地球の現状といえるかもしれない。これは物体的な移動で、物理的にいえば、肉体という剛体の運動についての話だが、以心伝心のコミュニケーションの移動までを考えると、人間は音波や光の電磁波を使って、言葉や情報を移動させ、運動させているので、人間が利用している生活時空は、巷のインフラの、下水道事故をみても、非常に満員といえるかもしれない。そこで、人間が日常生活で利用している波動域を改めて考えてみたい。人間が利用している波動域は、主に光と音が挙げられる。光については電波を含めると、電波望遠鏡まで考慮しないといけないので、電波にのせてコミュニ―ケーションするのは地球外では確立していないので、いまは省く。電波に情報をのせたとしても、情報を可視域の言語や可聴音の言葉に変換しないとコミュニケーションはできないので、翻訳機が必要になる。電波の窓 - Wikipedia電波 | 天文学辞典テラヘルツ波とは|有限会社 ヤマカワ加工ちなみに、最近はテラヘルツ帯が注目を浴びているようである。また、以前シュタイナーの人智学的医術からも紹介したが、リッターの治療法から、光線力学療法を経て、最近では免疫療法と組み合わさり、近赤外線による光免疫療法が、テラヘルツ域の光線へと変わりつつあるようである。テラヘルツ - Wikipedia光免疫療法 - Wikipedia島津製作所,国がんと光免疫療法を共同研究 | OPTRONICS ONLINE オプトロニクスオンラインrn201408.pdfテラヘルツ光照射による細胞内タンパク質重合体の断片化 -THzパルス光が衝撃波として生体内部へ到達する可能性を発見- - 量子科学技術研究開発機構光免疫療法 〜直接的、間接的な役割〜 | オプティペディア - Produced by 光響電磁波のなかで、紫外線を超える高周波数域で有名なのは、蛍光物質を研究し、天然放射性物質のウランから、レントゲンが発見したX線だが、人体を透視してみれる有用性から、医療でお馴染みだが、この発見によって、原爆が開発された悲劇の面を背負っている点について、また別の機会に紹介したい。己の野望のために、核兵器を利用して、人類を大量殺戮した独裁者の罪は、地球よりも遥かに重いことを、地獄の苦しみを未来永劫背負っていく認識をもつべきである。原爆開発に加担した連中はその大罪に気づいた者も少なからずいたようだが、地球の落第生となった。高校生が中学からやりなおすように、地球から火星に似た星に落第したようである。科学技術の開発者は、虚栄心や名誉欲、承認欲の餌食にならぬように細心の注意を払うべきである。創造ではなく、破壊に手を貸したにすぎない。また原子力も非常に効率の悪いエネルギー開発なので、高次の宇宙人が度々警告しているように、地球環境の破壊に手を貸しているのを自覚すべきである。福島原発事故で逃げ回った連中を人類は忘れてはいけない。原発を動かすために、弱者にしわ寄せがいっている現状を直視すべきである。何事も安全に運用するには、それだけの叡智を必要とするのであり、全体像がみえるまでに、パズルをひとつづつ組み合わせ、埋めていくまで、待つ姿勢が重要なのである。現代人は、まず自分たちの立ち位置を明確にしないといけない。現代人は物質界を、可聴音域と可視光域から、感受して、言語の概念を当てはめる。可聴音については以下のようなものである。さて、人間の可聴音を、以下のように他の動物と比較してもわかるが、人間の言葉は、可聴音を基本につくられているのはいうまでもない。聞こえない音からの影響 | 音と人のかかわり | TOA株式会社可聴音域を比較すると、人間は、カエルよりは広いが、他の動物よりは、低周波音に傾き、高周波域、超音波が聴こえない傾向をもつのがわかる。イルカやガは、超音波域広くカバーしているのは、人間よりもかなり広い音域を聴き分けている可能性が高く、超音波を利用して、仲間とコミュニケーションをとっていると考えられる。ぶっちゃけていえば、人間が聴こえない音で動物たちは会話もできる。人智学では、これらの動物の会話を、集合自我として解き明かしている。勿論、人間も古代アトランティス時代や、先の月紀の時代では、現代の海のなかのイルカのように、いまの可聴音を超えて霊力で、以心伝心の会話ができたらしい。超音波とは?│株式会社カイジョー超音波の基礎:超音波映像装置・検査装置:株式会社 日立パワーソリューションズ聖書のカインとアベルの話を読み解けば、カインとアベルが、何を神に捧げたのか、この音域の違いから推測できる。カインは当時の言葉しか話せずに、アベルは、先祖から受け継がれた、秘密の言葉で、神と会話できた。カインは農夫として働き、土地の収穫物を捧げたが、それは生命のこもったものではなく、植物という生命の副産物で、単なる鉱物でしかないのがわかる。カインはヘブライ語で、鍛冶屋という意味だが、物質に囚われた者という意味に解せられる。カインとアベル - Wikipedia対して、アベルの名は、霊とか、息という意味をもち、遊牧民といわれているが、迷える子羊を導く仕事と考えれば、宗教者や、ヨガの達人のヨギであるのがわかる。アベルが神に捧げた、よく肥えた初子とは、この世に生まれたばかりで、穢れを克服した、つまり、生命エーテルに満ちた生命体を意味する。だから、アベルは、最後の審判に合格し、カインに殺された形で、天国に召されたのだが、カインは、落第して、この世でまた修行を続けるために、永遠の流離のユダヤ人という、カインの刻印をされた。カインを殺せば、カインという永遠のユダヤ人と共に、カインが七度生まれ変わる毎に、カルマの法則により、カインから七度復讐される宿命を背負うわけである。人類の上には、7つの進化段階がある。人間は、上から八番目の進化段階で、更にその下にも、恐らく、地獄の世界の、堕落段階があるといわれている。音は、情報を運ぶ媒体でしかなく、心を込めるか、生命を込めるか、それは、その人の自我の能力の、自助努力に負うところなのである。最後の審判に合格できるように、いまを生きるのが大切なのである。とくに、物質性よりも、生命の尊厳が問われている時代なのである。だから、生命のこもった言霊を取り戻す必要が、現代人には必要なのである。
2025年02月25日
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高度な宇宙人からみれば、自分たちが住む地球を破壊する、地球人は何度も同じ過ちを繰り返す、救いようのない愚かな生命体で、とても知的生命体と呼ぶには相応しくない、と思っていることだろう。地球が、宇宙の愛を学ぶ学校なのは、何度も紹介してきたが、その学校を破壊すれば、卒業できないばかりか、落第し、天使の試験に不合格の烙印を押され、自暴自棄になって、憎しみの闇に溺れていくだけなのである。前回紹介したピープルゲットレディには、こんな歌詞があった。There ain't no room for the hopeless SINNER救い難き罪人には 当てがう客室など無いWho would hurt all mankind just to save his OWN, believe me now私欲のために 全人類を傷つけるような者のことだHave pity on those whose chances grow THINNER機会が失われていく人々にこそ 憐れみを向けようFor there's no hiding place against the kingdom's THRONE神の王座を前に 身を隠す場所などないのだから救い難き罪人たちの地球という愛の学校で学ぶ時間は限られているのに、学校を壊すほど、地球は人類の住める場所でなくなりつつあり、核兵器で恫喝しあって、自らの首を絞めているようなものなのである。だから、この現状を救うためには、古代ヨガに乗る準備をして、自分のなかの神を「信じる心さえあれば」、天空が奏でる音楽のマントラムの、「ディーゼル音が聞こえるはず。」あなたのなかの神は、あなたの行いを常に見守っている。「神の王座を前に 身を隠す場所などないのだから」。だから、「乗車券もいらない」自分のなかの神への信仰心と「感謝の念さえあれば」と、ピープルゲットレディはヨガの歌を歌うわけなんである。この曲に歌われている、神への感謝への念が、古代ヨガのマントラムと言い伝えられている。日本では、神道として、二礼二拍手一礼の現代の形として広まっているが、古代のマントラムが、言い伝えられるうちに、簡略化されて、いまでは、住所をいう、などという俗世での、不思議な言い伝えもあるようで、催眠術や洗脳の恐ろしさを物語るものでもある。そもそも自分だけが得をしたいという、ふしだらな気持ちは、感謝の気持ちを根本から否定する見返りを求める、御利益主義の、自己都合の、ネガティヴな気持ちそのものだろう。神様がそのような利己心に気づかないはずがない。二礼二拍一礼は参拝の基本。その歴史と考え方とは。|葬儀・家族葬なら【よりそうお葬式】二礼二拍手一礼がどこからきたのか、神智学や人智学のマントラムから少し解き明かしてみる。上のサイトによれば、「一拝・祈念・二拝・四拍手・一拝」が源流の作法らしいが、少し詳しくみていくと、まず神殿に向かい、賽銭を入れる、ことからはじまる。お賽銭を入れる賽銭は、前回紹介した、ヨガの教えを説いているピープルゲットレディでもわかるが、約束の地である天国に行くのには、「荷物などいらない」のを表明するためである。つまり、俗世の象徴である荷物の金銭を捨てよ、という意味で、あの世には身一つで、自分のなかの人生で浄化を達成した、カルマを清算した神と対面するに相応しい同等の存在だけが、天国に行けるので、肉体を脱いで、裸になる必要がある。墓場まで、金銭は持ち込めないわけなんである。天国に行くには、全身全霊を清浄にし、保つ必要がある。不浄な執着を断ち切るための儀式が、清算なのである。死に際して、全ての財産を失うことを、暗黙糧に戒めているわけで、この世のものはこの世に返せと、キリストが当時の、カエサル像の金銭コインをみて、カエサルに返せ、と言ったのと同じである。不浄のものは、天国には持ち込み禁止なのである。天国に物質界の金銭は不必要で、心の浄化が天国の通貨なのである。だから、お賽銭を捨てることで、肉体を捨てて、霊体で、神殿に入るわけである。日本文化には、地を履き回った靴を脱いで、家屋の中に入る習慣があるのは、恐らく、これが形骸化した風習で、昔の家屋には必ず、神棚があって、毎朝、神棚に向かって感謝の礼を風習にしていたわけで、わざわざ神社にお参りする必要もなかった。太陽に向かって拝んでいたわけで、いまの神社などでは、宗教が組織化されて、神様は権威化され、偶像崇拝して、次第に金儲けの道具にしてきた政治家の堕落腐敗の末法の世といえるかもしれない。なによりも、神様はそのような人類の邪な心もお見通しなのである。それは、キリストが、金銭の奴隷となっている金持ちの若者に、恵まれない人たちに、財産を与えて処分してから、私に従いなさい、といった言葉が思い出される。つまり、現世の奴隷となっているうちは、神の使徒にはなれない、ということである。自らのなかの神を見つけられない限り、俗世の宗教にすがっても無意味なのである。それらは教祖のみを救う(地獄に堕ちる)だけのニセモノでしかない。鐘を鳴らし二礼する朝が明けると、鶏が鳴くと、日本ではよくいわれる。時を告げる鳥の、この鳥の鳴き声は、時間霊の権天使の象徴で、人間に、最後の審判の鐘を鳴らす存在なのである。この鐘は、神社参拝では、自分で鳴らすわけだが、人生の試験が終わりました、御審判ください、というような祈願の意味をもつようである。自分のなかの神が、潜在意識のなかで、お前には死期が来た、と知らせるわけである。つまり、死後の儀式の予行練習のようなものである。参拝の際に鳴らす鈴について | おまいりする | 神社本庁公式サイト鐘を鳴らし、二礼するのは、恐らく、肉体を捨て、幽体離脱した後で、エーテル体とアストラル体を脱ぎ捨て、幽界に入る禊を意味しているのかもしれない。古代のヨガでいうところの、7つのチャクラの開眼である。クンダリーニを目覚めさせて、第3の目を開眼させる呼吸法を意味しているのかもしれない。お辞儀をするのは、感謝の意を示し、謙虚さの大切さを示すためである。神秘学の基本法則の、上にあるものは下にもある、の、最も下のものは、最も上のものなのである。90度深く頭を下げることで、自分の足元がみえるが、それは脱ぎ捨てた自分の肉体の、生前の自分を、外から眺めることでもある。自分を俯瞰してみることである。また、二回みるのは、陰と陽の、負と正の、悪と善の両面をみることを意味しているようである。エーテルと、アストラルは、人体のなかで、正と負の役割を担っているからである。だから、肉体を離れると、内側から自分をみるのではなく、外側から自分をみるように、反転して鏡像関係で、自分をみるので、深いお辞儀の礼は、霊能力者がみると、実際に、エーテル体がお辞儀をしているらしく、礼(れい)は、霊(れい)からきているのかもしれない。拍手をするそして、重要なのは、次の「拍手をする」である。これまでは神殿に入るための準備にすぎないが、本題は、この二回、もしくは四回の拍手にある。これが古代ヨガのマントラムの秘宝で、ここに達するのには、本来はチャクラを開眼したものでないと、出禁なわけで、肉体の穢れの、その妨害や誘惑から逃れ、執着がなく、無欲でないと、参拝の意味がない。なぜ二回、もしくは四回と伝承されたのか? それは、唯一神の神様がこの宇宙をつくったときの、言葉がY、H、V、Hの四つの文字で、これを日本語の四音のシオンともいうが、テトラグラマトンと呼ばれている。音にすると、י/ユッド、 ה/ヘー、ו/ヴァヴ、ה/ヘーと発音される。これは、モーセが、唯一神に、何と呼べばよいのでしょうか、と伺ったら、エヘイエ、アシェル、エヘイエと発音されて聞こえ、その意味は、「実在のなかの実在」、神智学では、「バランス(均衡)のなかのバランス(均衡)」と読み解かれている。テトラグラマトン - Wikipedia端的にいえば、あらゆるものを融合し、一とする、宇宙の一者という意味らしく、この四つの音から、全創造の言葉が生まれたという。音というよりも、現代的にいえば、4つの波動である。神智学では、唯一神は、この四つの音を、二回唱えて、この宇宙を、東西南北と上下の時空間を、六次元として限定した、と解されている。だから、拍手は、左右の手をぶつけることで鳴るが、これは恐らく、ヨガの呼吸の、左の呼吸と、右の呼吸を合わせたクンダリーニを目覚めさせる二重呼吸を意味しているのかもしれない。陰と陽のぶつかりあう、バランスの衝撃音を、拍手で表現しているともいえる。衝突というよりも、融合の交じり合う渦の音というべきかもしれない。唯一神が、この宇宙をつくったときの、四音の二回唱歌を、二回、もしくは四回の拍手で、簡略化し、端的に表現しているのだろう。つまり、י/ユッド、 ה/ヘー、ו/ヴァヴ、ה/ヘーの、四音の、陰と陽の二回唱歌なのである。ちなみに、陰は心のなかの無音で、陽は音を出して有音で、唱えるのを意味しているらしい。一礼をする唯一神が宇宙をつくり、人間に生命という呼吸を与えていることで、我々人間が地球上で、生命活動を行えるわけで、この宇宙の始まりに感謝し、共に生きるのを共感するのが、一礼であろう。もし、マントラムの拍手が巧く共鳴できれば、アカシャ(虚空)記録から、宇宙創造の現象を真直に感じることができるらしい。しかし、いずれにしても、幽体離脱ができなければ、参拝どころの話ではなく、天国には出禁となり果てて、人生のやり直し、落第し、地獄巡りをこの世で続けることとなるが、神社参拝に隠された最後の審判を、続けて解説すると、一般では、願い事をして、最後に一礼する、と教えられているようだが、これは恐らく、死者が再び、転生をするときに、過去のカルマの清算や、成就を願って転生してくる状況を模したものかと思われる。前世は卒業できずに、落第だったが、今度こそ、うまくやりなさいよ、と天使たちから励まされて、この世に生まれて、戻ってくるわけなんである。だから、今度こそ卒業しますと、神殿に向かって誓いを立てて、最後に一礼し、心機一転で、自分の新しい肉体を拝するわけである。神社参拝に隠された、最後の審判の意味や、地上での人間の宿命が、古代ヨガから読み解けるわけで、つまり、神社参拝は、古代ヨガを模式化儀礼化したものだと、神智学や人智学の神秘学を学ぶことで、わかるわけなんである。現代人のほとんどが、悪魔の誘惑に染まって、そのうちに、あまりに偶像崇拝に堕落腐敗し、肉体を穢して、御利益信仰などに走ると、ヨハネの黙示録のように、人類の大半は霊魂のゲヘナへと自ら堕ちていくだろう。神が滅ぼすのではなく、自らが創造神から離れて、自らで滅ぶのである。人間の法は破れるが、神の法を破ると、自らが滅ぶのである。人間の法は神の法を下に準えて、つくられているからである。呼吸法を間違えると、病気に罹るのと同じである。巷の最近のTV局などをみてもわかるだろう。隠蔽しても無駄なのである。どんな人の自我のなかにも、神の目が隠れて、当人に気づかれずに、見守っているからである。例え、今生では、他人には、知れなくても、墓場にまで秘密を持ち込んだように錯覚していても、死後に閻魔様の閻魔帳に記録されているのである。救い難き罪人には 当てがう客室など無い神の王座を前に 身を隠す場所などないのだから面白いのは、俗世の巷のなかにも、古代ヨガのマントラムについて隠された秘宝が、ときにみつけられるところである。神智学によれば、古代エジプトには、マントラムを解説した本があったという。その本は、トースと呼ばれていたらしい。トースといえば、巷での意味不明な一発ギャグをかます、時の雄鶏ならぬ、オードリーの春日氏が思い出される。あのギャグのどこが面白いのか、理解できなかったが、古代エジプトのトースの書を、現世に表現したリメイクギャグと思えば、なんとなくわかるような気がしたからである。あのポーズは唯一神の実在を表わす表現なのかもしれない。春日俊彰 - Wikipediaトゥース! - 春日の代名詞的ギャグ。叫びながら宙を差した左手の人差し指を胸の前に出す。元ネタは高校時代のアメフト部の掛け声。終わった後は手を揺らしながら握り、指を折りたたむ。唯一神が、トゥース!と音を発して、宇宙をつくり、その後で、手を揺らすのは、波動を表現し、唯一神の波動が伝播して、全ての創造が言葉からつくられ、折りたたまれる。と勝手に解釈できる。そう考えると、春日氏のギャグはどれも人間の根源を表現しているのかもしれない。鬼瓦は、地獄に堕ちた人間の表現で、アパー!は、天国から失楽したときの表現で、カスカスダンスは、地獄に堕ちるか堕ちないか、まさにその際どさを踏みとどまろうと悪あがきをする表現で、まさにフジテレビでやるべきトピックギャグネタかもしれないが、人間がもつ肉体の基本言語のパントマイムで示しているのかもしれない。言葉では表現できない事象を、肉体の言葉で、いわばヨガのアサーナ法の現代ギャク版なのかもしれない。春日流現代ギャグヨガというべきかもしれない。パントマイム - Wikipediaさて、神智学によれば、そのトゥースならぬ、古代エジプトのトースの本の一ページを読めば、地球上の全ての動物が話す言葉がわかるようになるという。二ページを読めば、天と地と地下を操縦する音の波動の法則がわかるようになるという。そして三ページを読めば、幽霊となって幽体離脱しても、元の肉体に戻れるようになるという。つまり、古代ヨガのマントラムの神髄が書かれた本だというのである。このトースの本が、神殿での二拍手や四拍手の、唯一神の宇宙創造の聖語の、テトラグラマトンの陰陽唱歌を解説している。この話についてはまだまだ不勉強なので、機会があればまた紹介したい。テトラグラマトンのי/ユッド、 ה/ヘー、ו/ヴァヴ、ה/ヘーでは、ה/ヘーが二回使われ、聖書では、ה/ヘーをHeと誤訳し、彼と捉えているので、キリストが述べた、ה/ヘーは唯一の道である、のを、誤訳し、彼(神)は唯一の道と訳しているが、本当は、ה/ヘーで、四音のなかで、二音となって、י/ユッドとו/ヴァヴの間で均衡をとっている存在で、だから、バランスのなかで、バランスを実現する、物質界の、物質固有波の力を意味しているようである。物質界を克服することで、霊魂は清められ、天国へと昇天できる唯一の道と言いたいのではないだろうか?そのバランスの神は、人間のなかの誰のなかにも、ה/ヘーとしてあるのだから、その均衡のバランスを生かす自我の種子を育てるのが人間の生きる意味で、地球を卒業する課題なのである。前回は、古代ヨガのマントラムが、天空の音楽と共鳴する秘宝で、現代でも、時代背景から人間の心と共に時代を動かしてきた、のを紹介してきたが、かなり前に、このブログでも、音でつくられるクラドニ図形を紹介したことがある。クラドニ図形とは、物体の固有振動の節を可視化する方法で、昭和世代なら、下敷きなどに砂鉄をのせて、磁石で磁力線を可視化して、遊んだ記憶があるだろう。クラドニ図形 - Wikipedia振動が描く不思議な模様~クラドニ図形を見てみよう~|おもしろ科学実験室(工学のふしぎな世界)|国立大学56工学系学部HPChladniクラドニ図形は、細かい粒子を音波に応じて共振させることで、音波の共鳴現象を可視化させるもので、量子力学の波動関数で最初に学ぶ井戸型ポテンシャルのなかの波動関数の数式化を可視化したようなものとも、ぶっちゃけてイメージできるかもしれない。ただし、音波と電子の確率波の概念は異なり、波動関数はかなり単純化単調化されてはいるが。超弦理論にまでなると、複雑化されるが。しかし、音波によるクラドニ図形は、空気の分子振動を可視化したもので、磁石による磁力線は、電子のスピンの整列を可視化したもので、いずれにしても、不可視な時空の量子の振動を整列し、秩序化した現象を、可視化したものと、単純に考えられるわけなんである。それら時空の階層構造の違い、例えば、量子スケールか、分子スケールか、固体の結晶スケールかの周波数の相違はあるが、全ては宇宙の波動から起こる現象に変わりはないのは、我々人間が、神の言葉から生まれたという創世記に記されているところである。面白いのは、このクラドニ図形をみていると、万華鏡がつくる幾何学的模様や、空海さんの密教の曼陀羅模様やヨガのチャクラの模様が幾何学を通して、連想されてくるところである。図解 密教の宇宙観を表す「両界曼荼羅図」【コラム】| アルトネ空海さんの真言宗では、真言をマントラと呼んでいるが、神智学では、秘術中の秘宝なので、妄りに唱えたらいけない声音なので、マントラム(聖語)と呼んでいる。というのも、マントラムを唱えるには、その準備や修行が必要で、自然の法則を知り、物質界の法則や霊界のカルマの法則、そして、天空の音楽と共鳴共感できるまで肉体を、いわばその声音を奏でる楽器にしないといけないからである。空海さんの曼陀羅図は、宇宙全体が一種のオーケストラになっている構造図といえるかもしれない。天空の音楽を、地球では、地球人が愛を共鳴させて歌い、肉体を楽器として、奏でているわけなんである。マントラ - Wikipedia神智学によれば、古代人は、天空の音楽にまで通じる、マントラムの言葉を知っていたので、言葉により多様な自然現象を、神のごとく操って起こしていたという。しかし、そのために、言葉を悪用して、天変地異を起こす神の偶像をつくり、種族同士で、戦うようになって、聖書にも記述されているバベルの塔の話の顛末になったわけである。簡単にいえば、当時の古代人は、言葉を破壊的に用いたために、地球を破壊してしまったわけである。バベルの塔 - Wikipedia現代人も、自然の法則の一部を利用して、似たように、自然環境を破壊し、地球が崩壊するのを早めているわけだが、それは、物質界を必要とする現代人が、地球を破壊して、自然災害を招いて、自分たちが住めないような形にしているのと、同じ過ちを犯してきたといえるだろう。だから、そのような古代人たちの救いがたき罪人たちは、この地球上に何度も性懲りもなく輪廻転生を続けては少しづつ、破壊活動や暴力行為の無意味さを学んでいるわけなんである。現代人が、神秘学でいわれる土の固体の世界の、物質界で、全体のバランスを考えない、自分たちの欲望のままに破壊活動を行っている、のと同じように、かつての古代人たちも、神秘学でいわれる、火や、風、そして水の、それぞれ、エネルギーの熱、気体の光、液体の水の世界において、破壊活動を行うことで、破壊活動の悪しき面を学んできたわけなんである。人間が、自らの肉体を、天空の音楽を奏でられるように、ヨガの楽器へと昇華させて、執着心や穢れを浄化させるような、マントラム、日本の文化でいえば、自然霊と共鳴できる言霊を探して、地球全体を、浄化していかないと、古代アトランティス時代と同じような大破局へと向かうだろう。それはヨハネの黙示録で預言されているハルマゲドンの戦いなのである。ハルマゲドンの戦いが既にはじまっているのは、論争、闘争、戦争を現代人が好み、その上に利潤を吸い上げ、利潤を追求し、各国の独裁者が君臨している事でも明らかである。自然は、地球という学校の教師なのである。自然から学ばずに、自然に反抗し、抵抗していては卒業できない、落第生の繰り返しでしかない。自然霊を奴隷のように扱き使えば自然霊から見放されてしまうだけなんである。クラドニ図形の共鳴の幾何学模様や、曼荼羅の美しいバランス構造をみれば、心が洗われるのがわかるはずである。音楽が奏でる共調の共鳴の精神を、融合の、来るべき洗練されたアクエリアスの自然との共生を目指すべきである。そのためにヨガの導師(ヨギ)の言葉を紹介しておきたい。1.心は熱愛に超然としていなければならない。あらゆるものに熱愛(執着)してはいけないらしい。2.熱愛の絆から解放された者、肉体を放下した者、知恵に達し、幻を超越した者は、太陽のような光線を放つ物質界を志向している限りは、自らを照らすことなく、照らされているにすぎないらしい。だから、外から、心を揺さぶるものではなく、揺さぶられる心のなかにこそ、その揺さぶる要素をみつけだし、バランスを確保すべきなのである。3.物の本性を知る者に師は必要なく、病気が治った患者に医者は必要なく、川を渡った者に、船は必要ない ヨガの導師は、現世が幻だとわかり、病気から回復し、川を渡るため、にいるだけである。現世を橋渡しする存在であるという。4.自分にしてもらいたくないことは、他人にするな注意したいのは、自分にしてもらいたいことを、他人にする、ではないことである。というのは、人それぞれの輪廻転生が異なり、人生の具体的な課題が異なるからである。そして、人間は、自分にしてもらいたくないことを、他人にしがちなのは、それがそのまま、自分にしてもらいたいことを、他人にしていることだからである。つまり、自分が楽をしたいために、他人を苦しめるわけである。5.愚者の行為は小波のように消え失せるが、賢者の行為は法則のように永遠に残る。砂上の楼閣か、万物流転の法則による神殿なのか、それは神と一体となることでわかる。6.利他主義は最高の悟道である。利己主義は無知の極みである。利己主義者は自分の立場を通して物質界を捉えるために、その立場の奴隷となり、かえって目隠しされてしまう。利他主義者は、自分を度外視して、多様な立場を乗り越えて物質界を捉えられるので、物質界に惑わされない。7.浄化したいのなら、謙虚でありなさい。友を得たいのなら、全ての人の善い点を賞賛し学びなさい。どんな人からも学び、良い点に共感、共鳴すれば、自分も共に、浄化できる。どんな人にも、自我のなかに神が宿っているはずなのだから。8.自惚れ屋とは争うな学びとは、教えを自発的に受けたいと望む人に、その人が望む範囲で、その人が受け入れる能力の範囲内でしか与えることができない。キリストでさえ、イエスの幼馴染の村人たちには、教えを説くことができなかった。息子や娘が、親に教えを説くことができないのと同じである。同様に他人を小馬鹿にし、見下げる、自惚れ屋に、教えを説くことはできない。そのような自惚れ屋には、事実を簡潔に述べて、議論を避けるべきである。9.民族伝来の、家族伝来の習慣であろうと、悪い習慣は捨てなさい。それが良い習慣なら、どこに行っても、採用しなさい。10.心の願いを言い表すのに急いては事を仕損じる。言葉に出してしまうと、人生で実現しなくなるからである。物事には成就するタイミングがあるので、準備をして、幸運の女神を待つしかない。11.大いなる神への道の途上で、短気であってはならない。急がば回れ、という諺がある。12.霊的真理を知りながら、実行しないのは、ランプに火を灯してから、目を瞑るようなものである。まだまだあるのだが、今回はここまでにしたい。
2025年02月20日
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古代叡智から、古代ヨガについて紹介してきたのだが、ヨガにマントラムが必須なように、個人的に瞑想を感じさせる曲は、題名そのままだが、マスネのタイスの瞑想曲に思われる。この曲を聴くと、心身共に洗浄されるような気がする。先日、NHKで小澤征爾氏の特集番組をみたが、小澤征爾記念コンサートで演奏されていたが、素晴らしかった。自分がよく聴いているのは、アンネ=ゾフィー・ムター – ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 – ドイツ・グラモフォンの演奏である。クラシック音楽は演奏家によって、全く違う音楽になり、特にリズムが違うのは、ヨガの呼吸と同じで、自分の鼓動にあったテンポやリズムを探すべきかもしれない。小澤征爾が遺したもの〜教え子たちの追悼コンサート〜 - NHKタイスの瞑想曲 - Wikipedia•1993 – アンネ=ゾフィー・ムター – ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 – ドイツ・グラモフォンヨガが呼吸と鼓動の共鳴を重視し、瞑想と音の共鳴をマントラムの秘術に秘匿しているように、身近では、赤ちゃんの泣き声が、犬の吠え声と同じ高周波で共鳴する現象は割と有名な話でもある。つまり、音楽には心を揺さぶる能力があるわけで、音楽は人間の心を操縦する能力を秘めている。人間は、神の言葉によりつくられたと創世記に書かれているように、天空の音楽を聴けるまで霊力を高めると、神のように、人間の心が読み解けるようになる、とも言われている。【獣医師監修】犬が遠吠えする理由 鳴き声や疑問、やめさせ方を紹介|いぬのきもちWEB MAGAZINE神の声を通じて、人の声や人が演奏する音楽を聴きながら、その発声者や、演奏家の心が読み解けるようになる。だから、心を動かせない音楽は、ニセモノで、特に、自意識過剰な音楽は、聴き苦しいので、ニセモノというべきかもしれない。クラシック音楽は、現実逃避のために、たまに聴くが、子どものときの、音楽の授業が、どこか権威主義で、美術よりも堅苦しく強制的で嫌悪感が残っている。教科書などに載っていた音楽家の顔は落書きの標的だった。音楽の授業がつまらないから、顔に落書きされてしまうわけだろう。だから、音楽家の顔の落書きをしながら、音楽と美術の授業を同時にやったらいいような気もする。あるいは、いっそのこと、音楽から、作曲家の顔を当てさせるのも面白いだろう。音楽から顔を連想したり、風景を描いたりすれば、音楽美術という学科ができるかもしれない。これは個人的な偏見かもしれないが、クラシック音楽の特権階級、上流階級感の、上から目線というか、上から姿勢に嫌悪感がある。子どものとき、妹がピアノを習っていて、我が家には似つかない高いピアノが置いてあったのだが、妹が弾かないときに、勿体ないから、面白半分に、ピアノを弾いたら、妹に調律が狂うとか、近所に、私が下手だと思われたら困るとか、散々文句を言われたので、バイオリンならまだしも、どこまで自意識過剰なのか、自分だけの特別感というか、クラシック音楽の閉鎖性に辟易する思いがある。クラシックの場合は特に、演奏家によって、音楽が台無しになることもあるので、例えば、モノマネ芸人が、本人よりも悪目立ちしてしまうようなもので、モーツァルトやベートベンが楽譜を残していたから、音楽で飯を食えるわけで、作曲家よりも演奏家が悪目立ちするのは、悪パクリしている、と思うわけなんである。お笑いの場合は、笑わせてナンボなんで、モノマネ芸人が本人を誇張して、悪パクリするのは許されるが、音楽の悪パクリというか、演奏家の、音楽の私物化が目立つのは、なんか違うような気もする。しかも、音楽性といっても、当時の感覚とは、全く違うわけで、日本史の歴史家にもいるが、まるで自分が当時みていたかのように、歴史の私物化のような、権威主義の、自意識過剰さが、悪目立ちするのは、承認欲や虚栄心や自己顕示欲が丸見えで、特に音楽は人類の遺産で、民族を区別したり、差別する国境はなく、ジャンルの区別は必要ないわけで、さも金持ちの特権階級の道楽感でしかないクラシックを特別視し、セレブ感をまき散らすのは嫌悪感しかない。冒頭から、クラシック音楽家の悪口を書いてしまったが、クラシックをポピュラーに大衆化したのは、恐らく指揮者カラヤンだろう。カラヤン指揮の演奏を聴くまで、クラシックは音楽の授業でも聴いてはいたが、押し付け感しかなく、自発的ではなかったので、大人たちが口ずさむ演歌も嫌いだったが、価値観の押し付けでしかない自己賛美感というか、「自惚れ屋とは争うな」という感じだった。ヘルベルト・フォン・カラヤン - Wikipedia価値観の押し付けは、嫌いな食べ物を押し付けられるのと同じで、自発的でない限り全く無意味なトラウマでしかない。「騙されたと思って○○を食べてみろ、人生が変わるよ」と言われ、例え人生が変わったとしても、お前に変えられたくはないよ、と思う。その前に、自分が嫌だと思うことを他人にするな、と言いたい。だから、「それじゃ、お前が嫌いなものを、食べてくれたら、考えてもいい」というべきだろう。自分が好きな事を他人に押し付けるのは楽で、自分が嫌いな事を他人から押しつけられるのは苦である。そこに上下関係が絡んでくると、話が複雑になる。クラシック音楽が嫌いな人に、クラシックを押し付けるなと、音楽教師には言いたい。時代の価値観の違いがわかってない、老害なんである。昭和の教育っていまからみると、押し付けが多かったような気がする。兄弟姉妹ならまだしも、育ってきた環境が違うのだから、人の好みは多種多様なので、そういう配慮もできないで、自分だけが正しいと権威を振りかざす神経がどうかしている。これはクラシック音楽家だけの話ではないが、どの畑にも権威主義の権力志向のお局のようなのがいるので、自分の職場経験からも、このような自惚れ大家はすぐに説教を始めるので用心し、距離を隔てるか、絶交すべきである。人間には誰しも自由な意志があり、自発性や、自主性が、いずれ嫌いなモノを克服してくれるように、時を待てるようになるべきである。自分の場合は、カラヤンの音楽に出逢うまではクラシック音楽は、上流階級の道楽でしかないと距離を隔てて置いていた。演歌は更に大嫌いで、シャンソン歌手の淡谷のり子氏が、演歌はしみったれてて、貧乏じみて、大嫌いと公言していたのを、子どもながらに聞いていて、シャンソンは聴いたことがないが、妙に興味をひいたものだった。大人の世界では暗黙に、演歌を歌えば、場がまとまる、どこか呪文か、合言葉のような気がしたし、大人の押し付け感が嫌だった想いがあった。逆に、世代を飛ばして、子どもだから、覚えやすい軍歌がなぜか、流行った気もする。朝ドラ「ブキウギ」を見て、淡谷のり子が演歌を嫌った意味がわかった。 | con-satoのブログ狂歌 - Wikipedia後に八切史観で、演歌は怨歌の焼きまわしだったのがわかり、妙に納得したものである。演歌は、被差別民たちの、狂歌が転じて、戦後から八屑のヤクザ稼業化したのかもしれない。だから、個人的には、演歌は、男はつらいよの、寅さんの歌う♪ワタクシ生まれも育ちも葛飾柴又です、しか好きでない。昭和の演歌の代表みたいな曲である。大人にならないと、しみったれた不条理の世界を歌った演歌はわからない。大人の世界の上下関係は、子どもにはわからないからである。巷では、昭和と令和の比較が、時代の価値観の相違をわかりやすく映し出してくれるのか、音楽での世代間のヒットソング番組が、懐メロのように増加しているように見えるのは気のせいかもしれないが、音楽は時代の価値観をなんとなく映し出してくれる。団塊の世代前の親から、60年代に生まれた自分は、この世で出会った最初のヒットソングといえば、小学生のときにみていたポンキッキの「およげたいやきくん」だった。爆発的な大ヒットソングで、♪毎日毎日僕らは鉄板番組で、子門真人ばかり見ていた記憶がある。歌詞をよくよく聞いてみると、サラリーマンの悲哀を歌った曲なのが、後のサラリーマン時代の朝の通勤時に思い出され、判明し、妙に心に染み入った。たいやき君ブームの当時は鯛焼きが矢鱈と売れて、今川焼では物足りなさを感じた想いがある。親がたまに買ってきてくれる今川焼が、当時の一般庶民の子どもの贅沢だった。大人の世界も、子どもの世界も、一時のアメが必要なのである。たいやき君は、そういう世間を泳いでいた人生哀歌なんである。そういえば、家庭で作るパンケーキがブームになったような気もする。会社で必死に泳ぎ回り、家庭に帰って鯛焼きを食うのが、昭和の一服の清涼剤だった。当時は、マックも、ケンタも、アポロの月面着陸のように、日本に一号店が上陸した程度で、今川焼や鯛焼きが子どもの唯一の贅沢という感じだった気がする。その後、生活圏近くにできて、ビッグマックとケンタッキーフライドチキンをはじめて食べた当時は衝撃だった。だから、ドラえもんの好物が、どら焼きなのは、昭和当時では非常に現実的な設定といえるかもしれない。しかし、未来ロボットなのに、どら焼きなのは、あまりに不自然な気も無きにしも非ずだが、それが昭和当時の感覚で、現実的な価値観だった。誰もが知っている「マクドナルド」!「マクドナルド」の歴史がファーストフードの歴史?/ホームメイト11月21日は、日本にKFC1号店がオープンした記念日「フライドチキンの日」 | 日本ケンタッキー・フライド・チキン株式会社のプレスリリースその後、セブンイレブンが近くにできて、子どもたちには、ファンタや、チェリオの代わりに、スラピーが大ブームになった記憶が残っている。最近知ったのだが、ファンタはドイツ製で、コーラの代わりに開発されたらしい。勿論、コーラは当時身近にあったのだが、なぜだか、コーラは体に悪いという噂が流され、煙草やアルコールのように親に禁止にされていた家庭が多かった。オレンジジュースか、三ツ矢サイダーが推奨されたのは、酒屋や米屋の戦略だったのかもしれない。ファンタはいつ頃誕生したのですか? | 日本コカ・コーラ お客様相談室当時のドイツのように、コーラの原液が入手困難で、謎の得体の知れない化学調味料が入っている即席めんやカップラーメンは、体に悪いからダメという家庭もあったが、これは恐らく、海外からの製品への関税ならぬ、日本の農家や食料自給率を守るというか、国内供給のための権益確保の政治家たちの策略だったのかもしれない。現にいまでも、食肉に抗生物質を投与したり、農作物に化学肥料を用いているのを、子どもに体に悪いから禁止している、のと同じ感覚と言ってよいのかもしれない。昭和当時では、子どもが食べるものに、いちいち親が口を出している家庭教育が存在していたので、家庭で認可された経済的で貧相な和食の食卓よりも、子どもたちは3時のおやつのお菓子や、親の検閲を逃れて、禁止されるほど食べたくなるジレンマを抱えていたのは確かで、そのような背景もあり、およげたいやきくんが、大人たちの食物検閲の突破口をぶち壊して、公然と大ヒットブームとなったのは、当時の一種のガス抜きだったのかもしれない。昭和当時は、とにかく子門真人が歌う曲ばかりが流行った気がする。子どもたちのなかでのヒットソングは、仮面ライダーの♪迫るうショッカー悪魔の軍団の、初代ライダー自身が歌う藤岡弘氏の曲よりも、子門真人氏の曲が流行った気がする。親たちの押し付けの価値観による改造人間から、子どもなりに自分の正義を貫くために新しい価値観を自分なりに作り上げていく反骨心を、仮面ライダーから教育されたような気がする。子門真人 - Wikipedia当時は、子門真人と、恐らくジャクソンファイブのパクリの、フィンガーファイブがヒットソング歌手のツートップで、科学忍者隊ガッチャマンの歌はとにかく矢鱈と替え歌で爆流行した。TV番組でやっていたわけではないのに、口伝えで替え歌が、当時の子どもたちに大ヒットしていた雰囲気があった。いま聞いても、とにかくイントロが秀逸で、子門真人の歌い方がとにかくカッコいい。いま聞いてもどことなく、ラップ感を感じさせるものがある。ラップ感といえば、冒頭から「お前はトラだ」と叫ぶ、子門真人ではないが、タイガーマスクが、当時の昭和のアニメヒーローの代表ソングといえるかもしれない。ガッチャマンの歌 - YouTube【アニメ】タイガーマスク OP - YouTubeタイガーマスクには、昭和当時の激動の時代の、大人の世界に感じられるジャングルを歌いあげていた感がある。大人の世界には主従関係があり、上下関係が絶対で、スパルタ教育が持て囃された。子どもは厳しく躾をして、育てるのが当たり前の雰囲気があった。とにかく毎日勉強しろといわれていた。いまの親子関係をみていると、当時の感覚からは生ぬるく感じられるかもしれない。自分の場合は、親によくお遣いという名のパシリに使われた記憶が残っている。スパルタ教育 - Wikipedia戦前の富国強兵政策が、密かに愛国教育へと子どもの世界に権威主義や権力志向へと、押し寄せていた感もあり、当時流行った玩具のプラモが、戦艦、空母やゼロ戦戦闘機の大日本帝国ばかりで、戦車はドイツで、戦後20年過ぎても、子どもの教育世界はまだ武装解除されていなかった。戦前の軍国教育の雰囲気がまだ残っていた。いま考えてみると、日教組の教師たちのなかにも、戦場帰りの人たちがいたのも、日本独特の教育を生んだのかもしれない。戦場から帰ってみると、教師や新聞記者くらいしか仕事がなかったのかもしれない。武士は食わねど高楊枝みたいな言論教育があったような気もする。そんななかで、米国黒人奴隷解放運動を由来とするジャクソンファイブならぬ、フィンガーファイブの登場は、マックやケンタの衝撃の前触れというか、恐らく、今日のアイドル路線の金字塔をつくったといえるかもしれない。「個人授業」や♪りんりんりりんの「恋のダイヤル6700」は、いまでも、なんらかのアイドルソングの原曲といえるつくりで、リズム&ブルースの音楽による市民権獲得運動の到来だったわけなんである。個人的にはアイドルソングは、フィンガーファイブを超えるヒットソングはないと思う。フィンガー5 - Wikipediaジャクソン5 - Wikipediaリズム・アンド・ブルース - Wikipediaその後のアイドルブームは、清純路線の天地真理と、ロックの影響を受け、過激な路線の山本リンダの、「どうにもとまらない」が、爆ヒットして、ツートップとなり、どことなくブリティッシュロックの、ビートルズと、ローリングストーンズのようなツートップ路線で進行してきたような気がする。戦場帰りの愛国教育の押し付けに対し、山本リンダから、その後の反体制的ソングのツッパリソングが出てくるが、その前身といえるのが、いま思えば、当時のラップ感満載にみえる、宇崎竜童の「港のヨーコヨコハマヨコスカ」だと思う。港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ - Wikipedia清純路線は体制側で、ツッパリ路線は反体制的で、その一世代前には、日米安保についての、ソ連の共産主義陣営か、米国の自由主義陣営か、のベトナム反戦世代の反動の極みというべき、全共闘のフォークソングがあったが、それは、後のキャンデーズとピンクレディや、松田聖子と中森明菜のような関係になり、男性歌手では、俊ちゃんとマッチのようなカラオケで歌いやすい曲調になり、個人的には、過度なルックス重視で、音楽性の不毛地帯へと、混沌となり、多様化していった気がする。ちなみに個人的にはジャニーズは大嫌いである。カラオケで歌いやすい曲としてしか印象がない。カラオケでよく歌われ、露出度が高いだけで、斬新性が皆無で、パクリ塗れで、何処が良いのか理解できない。音楽性というより単なる金儲けのモノ的な商業性という感じでしかない。ただただ薄っぺらい上辺だけの軽薄な感じしかない。音楽のメッセージ性は薄れ、商業主義のカネ儲けに邁進したようにみえる。結局、GHQの3S政策に掠め取られて、いまになってコンプラ問題で、昭和の老朽化が令和になって、100年のツケとして残された感もある。沖縄返還の象徴でもあった、フィンガーファイブのアイドル独自路線を引き継いだのが、明治維新の王政復古の源流となった南朝革命を起こした後醍醐天皇にちなんだゴダイゴだった。R&Bによる公民権獲得運動の、どことなく音楽革命を感じた。銀河鉄道999の曲は、当初松本零士氏によれば、クラシック音楽を想定していたのだが、次のようなコメントを残している。銀河鉄道999 (ゴダイゴの曲) - Wikipedia作者の松本零士は、クラシック指向であることから、当初こそゴダイゴの主題歌に違和感を覚えていたものの、メーテルと鉄郎が別れるラストシーンにおいて、希望に満ちたこの主題歌が流れることによって、鉄郎は大丈夫だということを感じ、彼の未来を案ずることがなくなったという。そのようなことができる音楽家を「自分たちとは別世界にいるマジシャン」と評した。小学校を卒業した当時の、ゴダイゴのヒットソング辺りから、アメリカ映画やアメリカドラマが大量に押し寄せてきた。それは、後の韓流ドラマブームを思い起こさせる。雑誌アニメージュ購読から、スクリーン購読に代わった。その前は「奥さまは魔女」がアメリカドラマの代表だったが、白黒で、古さを感じさせ、超人ハルク、チャーリーズエンジェル、ラストアメリカンヒーロー、白バイ野郎ジョン&パンチなどは、アメリカ生活の斬新さを知らしめ、その前のスターウォーズのダースベイダーは、日本史で習った、いやござんなりの、閉鎖的な邦画界に扉を開く、黒船到来で、ペリー提督を思わせたものである。しかしまだ洋楽は、日常的に、それほど市場開放されたわけではなく、ビートルズに夢中になった世代は、我々の世代よりも上の連中で、ビートルズマニアは身近にいなかった。洋楽漬けの80年代の市場開放には、ベストヒットUSAという当時の若者を魅了した化物番組を待たなければならない。だから、70年代の身近な音楽といえば、フォークソングをアレンジした当時ニューミュージックといわれていたジャンルで、その代表格のアリスだった。70年代はツッパリが矢鱈流行って、なめネコブームが到来した。愛国教育の武装解除は、落ちこぼれを生んで、暴走族化してしまったといえるかもしれない。しかし、ツッパリをやる連中は音楽という表現を、当時のクラシックから学ぶことなど不可能で、音楽教師はクラシックの自己満に染まってしまっているので、血の気の多い連中は、喧嘩するか、バイクで公道を走って、反体制表現を、破壊活動に走るしかなかったわけである。ベストヒットUSA - Wikipediaかつての全共闘運動が、学校校舎から、公道に締め出されて、暴走したといえるかもしれない。だから、フォークソングが、少し変わったニューミュージックの、クラシックの独り善がり面だけを音楽で武装化して、孤独な戦いが集団化し、暴走化した、その後の平成の、イカ天を生むバンドブームの前身となったのかもしれない。尾崎豊などはまさにその象徴で、なぜか孤独で戦い、自分に酔って、得意気に、孤独で死んでいく世界を描いている、ので、自分は全く理解不能な劇場型音楽だった。葉隠れの、武士道は死ぬことにみたり、を音楽で演じたような感じがする。そういう世界は、女性が憧れる白馬の王子様のシンデレラ現象の感じがしたからだ。三宅裕司のいかすバンド天国 - Wikipediaだから、世間的に、毒抜きをしたアリスのチャンピオンがヒットチャートを驀進したのかもしれない。アリスの音楽は、音楽という公道での暴走族ともいえるかもしれない。独り善がりの連中が集って爆走し、そして体制側に追っかけまわされ、たとえ逃げ切っても死んでいくわけなんである。いつまで孤独の戦いを続けるのか、♪ライラライラライで、ゴングが人生に鳴り続けるまで。そして、男は戦いをやめて、生命の大切さを知る普通の男に帰っていく。チャンピオンは武装解除の音楽なんである。チャンピオン (曲) - Wikipediaアリス チャンピオン 歌詞 - 歌ネット80年代は、わが世代にとっては黄金伝説の時代だった。邦楽のシティポップがいまも海外でウケているのは、武装解除を洗練化した形で、上手く商業化の波に乗せた音楽といえるかもしれない。ニューミュージックの暴走気味な、あまりに突っ走ると、完全な反体制のパンクロックに陥ることなく、アレンジして上手く、波乗りのサーフィンのように、環境音楽、雰囲気やムードを醸し出して、サウンドを心地よくリメイクしている感じがする。だからシティポップは環境音楽を取り入れて、上手く武装解除を孤独感から救いだしている癒しの音楽のようでもある。当時は洗練されていて、気づかなかったが、令和のいまから聴くと、当時出たてのシンセの電子音と生の楽器音が巧くコラボしているのに気づかされる。この音楽性の背景には、スタジオミュージシャンの高度な技術性に依存している。シティ・ポップ - Wikipedia1/fゆらぎ - Wikipedia野暮な公道での暴走フォークを、電子音の環境音楽で包み、ヴォーカル音や、楽器の暴走をコントロールするスタジオミュージシャンが、演奏家の突っ走る公道をスタジオとして提供したわけである。暴走したければ、スタジオで存分にやればいい、我々がアレンジするからというわけなんである。音楽のサーキットをつくるのは確かにカネがかかるが、公道で事故を起こし、生命を無くすよりは遥かにマシである。つまり、シティポップは、音楽を上手くスポーツ化したといえるかもしれない。スポーツ音楽というべきかもしれない。さて、長々と自分の前半期を音楽で語らせてもらったが、本題は、80年代のどこか暗さを醸し出すブリティシュロックと、アメリカ西海岸の、陽気でポジティヴでアメリカンロック音楽の全盛を語るつもりでいたのだが、とても紙面ならぬ、電子面では語りつくせないので、また別の機会に譲りたいが、自分が好きな音楽だけは紹介したい。とにかくベストヒットUSAは青春時代の音楽の走馬灯のような番組で、いまもBS朝日で放送されている。つい最近も、ジェフベックとロットスチュワートのリメイク曲の、ピープルゲットレディが紹介されていたのだが、当時は、列車に乗って昔馴染みの友人に再会する歌と思ったのだが、MVもそんな感じなのだが、実は、ヨガの歌だった、のに気づかされて驚いた。ベストヒットUSA - Wikipediaベストヒット USA | BS朝日People Get Ready 歌詞と対訳|うたに無くてSongにあるもの…洋楽和訳で知るsongwritingの魅力歌詞と対訳People get ready, there's a train A-COMIN'準備はいいかい 列車が来るよYou don't need no baggage, you just get on BOARD荷物はいらない ただ乗ればいいAll you need is faith to hear the diesels HUMMIN'信じる心さえあれば ディーゼル音が聞こえるはずDon't need no ticket, you just thank the LORD乗車券もいらない 感謝の念さえあればSo, people get ready for the train to JORDANさあ、準備はいいかい 終着駅は約束の地Picking up passengers coast to COAST行く先々で 新たな乗客を拾ってはFaith is the key, open the doors and BOARD 'EM絆という名の鍵で 扉をあけて受け入れるThere's hope for all among those loved the MOST愛こそ至上と信じるすべての人に 希望があるThere ain't no room for the hopeless SINNER救い難き罪人には 当てがう客室など無いWho would hurt all mankind just to save his OWN, believe me now私欲のために 全人類を傷つけるような者のことだHave pity on those whose chances grow THINNER機会が失われていく人々にこそ 憐れみを向けようFor there's no hiding place against the kingdom's THRONE神の王座を前に 身を隠す場所などないのだからPeople get ready, there's a train A-COMIN'準備はいいかい 列車が来るよYou don't need no baggage, you just get on BOARD荷物はいらない ただ乗ればいいAll you need is faith to hear the diesels HUMMIN'信じる心さえあれば ディーゼル音が聞こえるはずDon't need no ticket, you just thank the LORD乗車券もいらない 感謝の念さえあれば和訳をわざわざ解説するまでもないが、列車とは、ヨガで、瞑想のことで、それは天国に連れて行ってくれる、自分のなかの、神で、自我なのである。荷物とは、現世での名声や富など金銭で、そんなものはいらない。そして、個人的経験では、ヨガに相応しい音楽は、クラシックでは、マスネのタイスの瞑想曲だが、現代音楽でいうなら、現代といっても数十年前だが、スティーヴヴァイのシスターズである。スティーヴ・ヴァイ - WikipediaSisters - YouTubeSteve Vai - Sisters (2015 - Stillness in Motion) - YouTubeSteveVaiHimself - YouTubeSteve Vai - "Tender Surrender" - YouTubeSteve Vai - "For The Love Of God" - YouTubeこのような音楽を聴いてしまうと、薄っぺらいアイドルソングでは物足りなさを感じてしまうので、アイドルの推しを続けたいならば、聴かないほうがいいかもしれない。お勧めはしないが、時代背景だけは理解しておいて損はないと思う。今生でなくても、いずれ次の転生で役立つかもしれないから。
2025年02月18日
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人工知能AIには半導体が必須で、電気の電子が流れる電気エネルギーが必要で、つまり、発電しないと、現代社会が成り立たないように、人体には、生命エネルギーが必要で、現代医学でも、生命エネルギーが、細胞内での、ミトコンドリアの共生にあるのがわかってきた。ミトは、糸の意味で、コンドリアは、粒子の意味をもつらしいから、糸を、波の振動の弦の波動とするなら、ミトコンドリアは、量子力学の調和振動子に、似たものと解釈できる。現代医学では、生命エネルギーを担うミトコンドリアをいかに操作するかが次のテーマとなってきているが、神智学による古代ヨガでは既に、ミトコンドリアが、宇宙を流れるエーテルの波動のプラーナの受信装置なのを、解き明かしている。調和振動子 - Wikipedia世界有数の神経学講座が進める隠れ脳梗塞への画期的アプローチとは - Juntendo Researchプラーナ - Wikipedia古代ヨガは、このプラーナをいかに操作するか、飼い馴らすかが、奥義で、プラーナヤーマと呼んでいる。日本語でいう調気法、呼吸法で、この呼吸法を知らずに、ヨガを語るのは無意味で、電気のないAIや、ミトコンドリアの無い細胞と同じなのである。というのも、生命体は、宇宙を流れるエーテルのプラーナにより生きているからである。プラーナーヤーマ - Wikipedia現代社会でも光通信で、情報や知識を送信しているが、宇宙を流れるエーテルは、光であり、生命体に叡智を送信する生命エネルギーなのである。シュタイナーは、エーテルを四つに大別している。熱、光、化学、生命である。これらは、アリストテレスの四大霊にも譬えられる。火、風、水、土である。これら4つのエネルギーをいかに受信できるか、音楽的にいえば、その調律法、呼吸でいえば、調気法、呼吸法、演劇でいえば、会話のリズムや間が肝要なのである。だから、密教では、ヨガをマントラムとも呼ぶ。四つのエーテル[本]四元素 - Wikipediaマントラ瞑想とは何か?言葉の意味や唱える効果 – SOELU(ソエル) Magazine例えば、クラシック音楽と、ジャズ音楽の違いは、リズムを指揮者が誘導するか、ドラムやシンバルなどのリズム隊が誘導するか、の違いがあるが、呼吸法は、リズムにより、エネルギーを効率的に取り入れるかどうかで、音楽なら、メロディーとハーモニーに関わってくるわけなんである。ジャズとクラシックの違いとは? 3つのポイント [ジャズ] All Aboutとどのつまり、ヨガは呼吸法を抜きにして語れないもので、呼吸法を自律的に編み出せないと、絵に描いた餅なんである。呼吸法は、各自の肉体が異なっているように、それにあわせて、リズムも異なるわけで、他人のマネをしても意味がないわけで、特に西洋人は筋骨隆々の肉体をもち、東洋人は華奢だが繊細な肉体をもつので、肉体によって呼吸法も異なるので、同じアサーナ行法をしても、無意味なんである。東洋人が西洋人のマネをしてもダメで、その逆もダメなんである。しかるに、現代のヨガでは、違う肉体なのに、同じポーズをするわけだから、単なる肉体だけの柔軟体操でしかないわけなんである。とても、古代ヨガの奥義どころではなく、現代の筋肉馬鹿にならざるを得ないわけなんである。だから、心身共に清浄が求められる古代ヨガとは似ても似つかないニセモノになるわけなんである。さて、ヨガの話に限らず、巷ではコスパが良いとか悪いとか、何かと金銭の経済絡みの話が多いが、自給自足ができない人間は、社会的信用の代替ツールの、金銭の経済依存生活、つまり物質界から逃れられない宿命にある、といえるかもしれない。いかにコスパの良い生活をみつけるかが、現代社会の幸福かもしれない。しかし、それでは、いつまで経っても、物質界への輪廻転生の束縛の鎖の輪につながれて、ノックアウトヒューマンを続けるしかなく、前回紹介したレインボーマンなどの日本の禅に隠されたヨガの奥義に達することは不可能だろう。説明できる?”ヨガ”と”禅”と”仏教”の関係 | ヨガジェネレーション yogageneration第30話 禅とヨガの違い – 耕雲寺ヨガも、禅も仏教もそうだが、基本は、正しい行動を学び、することにある。正しい行動とは、常に心身共に清浄でなければならない。誠実であって、足る事を知り、よく学び、奉仕の生活をしなければならない。と同時に暴力行為を戒め、盗みをしてはならない。嘘を言ってはならない。昨今特に巷を賑わせている、邪淫に陥るのも戒めない、といけない。食欲と性欲を戒めるのが最も難儀なわけだから、特に若いときは、経験も未熟で、血気盛んなので、病気に罹ったり、事故に遭遇したりして初めて気づくわけで、物質界はそのための修行といえるかもしれない。とにかく節度を心掛けたバランスの良い生活が、健康にもよく、幸福に生きる秘訣なのである。自分にあった適度なバランスの良い生活をみつけ、整えることが、ヨガの基本姿勢なのである。これらの物質界での修行は、端的にいえば、「自分にしてもらいたくない事は他人にするな」ということで、自他の分け隔てなく、思いやりをもって行動することである。以前、地獄に堕ちる人の特徴を、スウェーデンボルグから紹介したが、それは次のようなものだった。他人を支配するのが好き他人の嘆きを見て喜ぶ自分が喜べればよい他人を欺き自分の欲望を遂げるこれらをまとめるなら、詐欺師のような性格といえるだろう。このような詐欺的な性格が少しでもあると、自分のなかの闇となって、神の光を失うので、この物質界で、それを洗い流すために、生まれてくるわけなんである。人間の自我は神から与えられたもので、本来は無限大の自由をもつのだから、物質界はそれを確認する手段なのである。とにかく、神様は、自分のなかの自我を通して、主として見守っていることが、ヨガの神髄なのである。さて、巷に溢れるヨガのほとんどは、古代ヨガでいうところの、アサナ行法を現代風にアレンジしたもので、ほとんどがニセモノであるのは、何らかの利潤追求行為をしている点からも明らかである。何度も紹介してきたが、神秘学では、利己心、承認欲、虚栄心や名誉欲というのを戒めている。物質界の中で右往左往しているうちは、行法の堂々巡りをするだけで、コスパが良い生活を探すのと同じである。ヨガ(Yoga)のアーサナって何?│inStyle<インスタイル>全米ヨガアライアンス認定校我々地上人は、自給自足できなければ、コスパの良い生活を求めて、社会的信用の代替となる貨幣を、食料などの、肉体の欲求に見合うように、社会に奉仕して、稼がないと物質界では生きていけないわけだが、この貨幣と食料の交換を単純化すれば、経済的な呼吸といえるかもしれない。つまり、肉体維持の生存欲に見合う社会奉仕をしなければならず、それは、必要な酸素を吸い、人体の炭素を熱で加工し、不必要な二酸化炭素を吐き出す、呼吸の、物質経済での、呼吸といえ、吸気が、貨幣、もしくは投資で、正しい行動をして、社会のコスパを良くする呼気が、社会奉仕といえるかもしれない。だから、現代社会を、古代ヨガで読み解くならば、貨幣や投資と社会奉仕の、コスパの良い生活を考える、物質経済の呼吸法から、アダムスミスの神のみえざる手の市場原理を、アサーナ行法として、持つ者と持たざる者とを分離しつつある格差社会の垣根を取り払い、所有から共有へと、一つに収束させるために、物質社会を、バランス良く解釈しないといけない。見えざる手 - Wikipedia現代の物質経済の呼吸といえば、金融理論の、いわば日銀などの、金利の上げ下げに集約されるかもしれない。人体の血液の流れが、酸素吸入の呼吸にあるように、物質経済の流れは、各国の中央銀行の国債の金利の上げ下げにあるといえるかもしれない。貧富の格差をなくすように、バランス良く、コスパの良い生活を、個人個人の自由な社会奉仕活動へとつなげていかなくては、古代アトランティス時代と同じような大破局を迎えてしまうだろう。つまり、呼吸とは、エネルギーを取り込んで、一体となる行法なのである。古代ヨガが目指したのは、神我一体の境地である。だから、宇宙を流れる神の息吹であるエーテルのプラーナを、いかに呼吸によって取り入れるかにある。面白いのは、日本の漫画やアニメなどに、その影響がみられる。以前も紹介したが、ドラゴンボールの、7つの球は、人体の7つのチャクラを意味している。7つのドラゴンボールを集めると、願いが叶う、というのは、古代ヨガの神我一体のクンダリーニの奥義を意味している。ドラゴンボール (架空の道具) - Wikipediaクンダリニー - Wikipediaこのクンダリーニの絵から、以前紹介した、以下の二匹の蛇使いの絵の意味が読み解けるだろう。蛇使いは、脊柱尾骶骨下に眠っている三行半の、クンダリーニの蛇を目覚めさせるために、マントラムを笛で吹いているのである。左右二匹の蛇は、月光の陰の蛇と、太陽光の陽の蛇である。2匹の蛇を巧みに誘導し、中央の1匹の蛇にする、この笛吹き法が、呼吸法を模したものなのがわかるだろう。7つのチャクラは、7つの音でもある。神智学が解き明かしたヨガの奥義によれば、1から8までの数字を何度も発音することで、各自で異なる人体の鼓動のリズムを知る方法なのである。各自で異なる鼓動のリズム、つまり心音に合わせて、リラックスしながら、呼吸を調律するのが、クンダリーニを目覚めさせる奥義なのである。クンダリーニのクンダという言葉が、螺旋の意味をもち、渦からきているのがわかるだろう。日本の地名には、ヨガにちなんだ名称がある。ヨガは用賀だし、カンダは神田となっている。イダは、飯田で、ピンガラは、ぴんから兄弟なんて歌手もいたな。ピンからキリまで、このようなヨガの渦の話から、天体の軌道や、DNAの右巻き螺旋などが連想できるだろう。「ピンからキリまで」の「ピン」と「キリ」って何?【知って得する日本語ウンチク塾】 | HugKum(はぐくむ)さて、興味深いことに、少し前に巷に流行ったアニメの鬼滅の刃では、水の呼吸という技があった。水の呼吸を、古代ヨガの奥義で読み解くと、陰の月光の、水の呼吸なのがわかる。水なので、右かと思いきや、人体では、頭部と下半身の腹部では逆になるので、左の呼吸となり、ヨガではイダの呼吸と呼ばれる。鬼滅の刃 - Wikipedia片鼻呼吸法 | ChIsatoスシュムナにエネルギーが流れた時に本当の人生が始まる!(インドヨガ呼吸留学3回目を終えて) | インドサンタナ鬼滅の刃では、5つの基本流派の、水の呼吸、炎の呼吸、雷の呼吸、岩の呼吸、風の呼吸となっていて、水の呼吸から、蛇の呼吸が生み出されているが、古代ヨガでは、空気、地、水、火、風の五行で、1時間のなかの各12分づつ、プラーナエネルギーが流れるのが、この五行で支配されている、と神智学により解き明かされている。この五行のエーテル流に合わせて、呼吸するのが、クンダリーニを目覚めさせて、7つのチャクラを開眼させる奥義なのである。その際にマントラムを音楽のように唱えるのが秘宝の秘術とされている。このヨガの呼吸法からの、五行は、陰陽五行説として、現代でも陰陽師によって、暦となっているのは、日本ではお馴染みである。つまり、クンダリーニとは、上に紹介した陰陽太極図のように、月光の水の呼吸と、ピンガラと呼ばれる太陽光の火の呼吸とを、合わせて、スシュムナと呼ばれる、プラーナエネルギーの渦のクンダリーニを、人体内にバランスよくつくることなのである。神智学が解き明かした、古代ヨガによれば、人体は、酸素を必要とするだけでなく、生命エネルギーのプラーナを必要とするので、酸素だけ取り入れても、肉体だけを活性化させるだけにすぎないので、片手落ちなのである。とどのつまり、酸素だけを取り入れているのではなく、酸素は、プラーナの副産物でしかないわけなんである。だから、通常の呼吸法だけでは、肉体を若返らせることはできずに、プラーナをいかに効率よく人体の隅々までに行き渡らせるか、のヨガの呼吸法というのが編み出されたわけで、このヨガの呼吸法により、神我一体の境地にまで達すれば、生きながらにして仏になれるわけで、不死鳥と呼んで、二度とこの世に転生しなくてもよいマスターになれるわけなんである。それにはまず、以前にも紹介した、二重呼吸法をマスターしないといけないわけで、この呼吸法を簡単にいえば、左右の鼻の孔を開いて同時に呼吸することなのである。この二重呼吸法の習得がなかなか困難で、というのも、人間には肉体の操作性から、利き腕というのがあり、左右のバランスが偏っているからである。現に心臓は左寄りになっているわけで、物質的に安定させるには、左に重心を置いた方が、バランスがとれるからである。逆に動作を起こすなら、右に重心を移した方がバランスをとりやすいので、右利きが多い。安定をとるなら左で、運動をとるなら右というわけなんである。一般的に知られている呼吸は、上位呼吸、中位呼吸、下位呼吸の3つにわけられ、上位呼吸は、横隔膜を拡げない肺上部だけの呼吸、中位呼吸は、横隔膜を拡げ、肺下部にも至る呼吸、そして、下位呼吸は、日本では腹式呼吸とか、丹田呼吸法とか、呼ばれているが、最も空気を取り込む呼吸といえる。これらの呼吸の盲点は、自我の個性を考慮に入れていないところにあり、なによりも、大気中のプラーナの流れを全く無視しているところにある。丹田呼吸法異なる場所で同じ呼吸をしても、また同じ場所で時間が異なれば、同じ呼吸をしても、人体への作用が違うのは、論理的にもわかるはずである。丹田呼吸がいいからといって、単純な例をだせば、近くで煙草を吸っている人がいれば、ニコチンや一酸化炭素を血中に撒き散らして、受動喫煙してしまうわけなんである。また水中では鰓でもない限りは、丹田呼吸法など不可能だろう。だから、ヨガの呼吸法といっても、それは多種多様の状況や環境に合わせて行わないと、丹田呼吸法で、受動喫煙をしてしまうように、かえって有害になるだけなんである。逆にいえば、ウイルスに感染しにくいようにマスクをするのは、上位呼吸を上手く活用する例ともいえる。だから、ヨガの呼吸法をするには、心身共に清浄な環境が求められるわけなんである。低俗な考えをもっていると、それに毒されてしまい、朱に交われば赤くなる、わけなんである。だから、ヨガの呼吸で、自分だけ得をしようとする浅ましい考えでは、クンダリーニの目覚めどころか、クンダリーニ症候群に陥ってしまうわけなんである。クンダリーニ症候群とは?症状・原因・治し方を解説します。 | ここからリンク多種多様なアサーナ行法があるように、人間の自我は、個人的な自由意志をもち、各輪廻転生が異なるので、人生の課題も多種多様で、心臓や、その鼓動も個人に特有なので、まず、自分の肉体を知ることが肝要なのである。自分が、鼓動に合わせて、1分間にどれぐらい呼吸するのか、現代人は、呼吸が浅いので、大体18回といわれているが、鼓動が安定してくると、呼吸も少なくなっていくらしい。ヨガの達人になると、一時間に、一回すればいいくらい、ゆっくりと深い呼吸が可能になるともいわれている。とにかく、呼吸には、左右のバランスが重要で、火の呼吸と、水の呼吸のバランスが重要で、そのバランスが心身共に清浄で、安定的であると、蛇のクンダリーニの呼吸が、スシュムナの中央の脊柱管から、松果体を通じて、7つのチャクラを開眼させて、頭頂部において、神我一体の、不死鳥の昇天へと至るといわれている。東洋では、この状態を仏像で表し、第三の目をもつ、髪の毛のない頭頂部が眩い天使の輪の冠を被ったような光り輝く存在とみなされている。下の仏像は物質的だが、エーテル的に、光輝く存在で、とらえるべきである。まぶしすぎて、常人には、UFOのような、火の玉か、プラズマの光の存在としてしかみえないだろうが。いずれにしても呼吸法を語らずしてヨガを語るなかれ
2025年02月13日
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巷の、現代人は、唯物論に染まり切っているのさえ気づかずに、唯物論を悪魔からパクって電子化した半導体基板からなるAIをパクった中国製AIにAIのソフト論争などで大騒ぎだが、人工知能が人工知能でいられるのは、半導体の故であるのに気づいていないから不思議でもある。錬金術では、半導体のような、金属と非金属の絶縁体の中間の存在を、水銀と呼んでいる。半導体 - Wikipedia半導体とは|半導体製造装置入門|サムコ株式会社半導体がなければ、人工知能もないわけで、半導体の状況に応じて、どれだけ電流を流せるのかが、要するに、状況に反応して、電子を正確に伝送できるかに依ってくるわけで、錬金術でいうところの水銀性の中和能力に依存するわけなんである。導体と絶縁体の中間性、つまりバランス感覚が重要となるのがわかる。うまく電流を流す物質性に依っているのが、人工知能の要諦なのである。人間の知能はその上で踊るゲーム理論でしかない。だから、一つの電子と一つの陽子からなる水素から、核融合により、原子や元素が生まれて、半導体にまで固体として、物質が凝縮し、組織化されたことで、悪魔からパクった利益追従の唯物論を人工知能に、人類はパクれたわけだが、それは未完成の上に未完成な知識を上塗りするだけにすぎないので、恐らく天国に行ける階段にはならずに、地獄に堕ちていく階段になるだろう。いかに知識をパクり、物質的な論理で、事実をつきつけられるか、で詐欺合戦を演じるようなものである。そのうち、AIに、人間の判断力が奪われていくだろう。例えば、埼玉の下水道事故のように、半導体が陥落して、電気が回路を流れなくなれば、AIなど絵にかいた餅にすぎない。そのようなAIに、唯物論に染まった人間が、生まれ変わるのを期待するのはギャグにもならない滑稽で、悲惨な物語となるだろう。さて、生まれ変わり、宇宙人とくれば、次はUMAか、ヨガの達人かが、世間のオカルトの三本柱といえるかもしれないが、ヨガの思い出といえば、子どものときに、なぜだか矢鱈と替え歌として流行った♪インドの山奥で、修行をして、提婆達多の魂宿し~♪がテーマ曲だった「レインボーマンは、必要とする能力に合わせて、七曜にちなむ7種類の姿に変化(へんげ)し、それぞれの姿にちなんだ超能力を発揮する。」という、どこかヨガの人体の7つのチャクラの開眼を思わせる変身能力を、修行で体得した1人で7人力の、後に戦隊モノとなる前のテレビヒーローだった。愛の戦士レインボーマン - Wikipediaレインボーマンはレ陰謀マンか?「インドの山奥で」問題を考える/大槻ケンヂ・医者にオカルトを止められた男(7)|webムー 世界の謎と不思議のニュース&考察コラムレインボーマンのように、提婆達多という名前からもわかるが、原作者が、悪人正機の仏教から着想を得て、ヒーロー像をつくるなかに、7つのチャクラの開眼などの、ヨガの教えが紛れ込んでいるのは、日本のアニメにもよくみられる話で、他には昨今の鬼滅の刃や、かなり前にはドラゴンボールなども、7つのチャクラ絡みで、ヨガの奥義が隠されていた話ともいえる。この2つのアニメとヨガについては、また次回に述べるが、例えば、次のような、インドの蛇使いのイメージは、実はヨガの奥義の教えが深く隠されている。提婆達多 - Wikipedia悪人正機 - Wikipediaドラゴンボール (アニメ) - Wikipedia鬼滅の刃 (アニメ) - Wikipediaこの左右の蛇を、笛を使って飼い馴らす蛇使いの絵は、実はヨガの達人を模した図なのだが、以下の7つのチャクラの図と比較すると、このブログで何度も紹介してきた、ある紋章が浮かび上がる、のがわかるはずである。その紋章とは、以下の医学で有名なアスクレピオスの杖の図で、更に、その下の、東洋医学の陰陽図と組み合わせると、その両翼の翼が、太陽光と月光で、天使の翼であり、頭のような丸(球)が太陽で、万物を見通す第3の目の自我で、全体が、人体の不可視のエーテル体(四次元体)を表している、のがわかるだろう。東洋医学でよく見るマークについて|tenjinはり灸院|西武池袋線狭山ヶ丘駅徒歩1分の鍼灸院これらの象徴やマークは、簡単にいえば、人体のバランス回復力を示し、そのバランスが崩れると、同時に、悪という未完成の存在、つまり、楽園から追放されて、失楽し、肉体に囚われ、唯物論に染まり切った現代人をも意味している。つまり、仏教でいうなら、末法の世の人間の生き様を、差し示している。現代人の唯物論では、例えば、以下の記事のように、人間が悪という未完成な存在のため、自分のなかの悪=支配欲を隠しながら悪に染まり、物質界に支配されているのがよくわかる。WHOや日本医師会のロゴは「悪魔の手先として人間を支配する」という意味?【ファクトチェック】この記事の知識は確かに正しいが、説明不足が否めないのは、『ギリシャ神話に登場する治療の神様「アスクレピオス」に由来しており、医術や医療の象徴です。』とする根拠の、なぜ「アスクレピオス」が医学の神様なのか?を説明していないところにある。そういう説明不足の意味で、WHOも現代の医療医学も悪魔に洗脳され、支配されている、のと同じである。現に権力や権威、虚栄心の、金儲けの道具と化しているという批判もある。というのも、悪とは、未完成な存在を示すからで、この図も本来なら、二匹の蛇なのに、一匹の蛇の図に省略してしまっているからである。もし、ヨガの奥義の生命の樹の図からすれば、この一匹の蛇を白蛇とするなら、両脇の2本の月桂樹、もしくは地球の大陸を、陰陽の太極図に模さないと、片手落ちの未完成の図といえるだろう。つまり、この図は、未完成な人類を表しているわけで、悪とは、自分が未完成なのを認識できない無知な存在を示しているわけなんである。自分が正しく、完成された存在と思い込んでいる存在は、悪なのである。それは提婆達多のように、自分が正しいと思い込んで、唯一神から分離した未完成な存在でもある。未完成で、不調和のバランスのとれない存在、1に帰さない割り切れない無秩序で、異質な存在を、古代から、悪と呼んできたわけなんである。このような未完成で、未熟な存在を、悪と呼ぶのだが、以下のサイトは悪を明解に解説しているので、紹介しておきたい。マニ教・悪aku●マニの語る神話「昔、闇の聖霊たちは光の国に進撃しようと思った。光の国の境まで来て、光の国を征服しようとした。しかし、彼らは光の国に対してなにもできなかった。そして--ここが大事なところだが--彼らは光の国によって処罰された。しかし、光の国には悪しきものはなにも存在せず、ただ善だけが存在していた。だから、闇の悪魔たちは、もっぱら善なるものによって処罰されたのである。どのようなことがおこったのだろうか。光の国の霊たちは、自分たちの国の一部を取って、それを物質的な闇の国の中に混ぜたのである。光の国の一部が闇の国と混ぜられたことによって、闇の国のなかに混沌とした渦が生じた。この渦から、いままでになかったもの、すなわち死が生じた。闇の国は絶えずみずからを消耗し、みずからを消滅させる萌芽を内に担ったのである。そして、このような死が生じたことで人間が発生した、と語られている。原人は闇の国と混ざり、死を通じて、闇を克服するために、光の国から派遣されたのである。重要なのは、光の国は戦いによってではなく、柔和、寛大、慈悲によって闇の国を克服する、ということである。悪に対して戦うことではなく、悪と混ざることによって、悪を救済するのである。光の一部が悪の中に入り込むことのよって、悪は自らを克服するのである。」(シュタイナーの「マニ教」から) ☆ ☆ ☆このシュタイナーのマニ教には、ヨガの奥義の光と闇の陰陽太極が隠されている。人間は、未完成な闇と交わることで、物質界を形成し、物質界の死を通じて、未完成な闇を克服し、より完全な自己性へと目覚めていく。つまり、人間は、自分が未完成なのを悟るために、この世の物質界に生まれてくるわけなんである。ヨガの奥義とは、未完成な人間、つまり自我を、神の真我に導く方法なのである。それにはまず自己否定からはじまるという。自己の弱点、未熟さを知ることにある。前回バックミンスターフラーで紹介したように、人間はノックアウトヒューマンとして、この世に生まれてくる。この世で、肉体を纏うことで、人間の能力は一時的に闇に葬られ、死を免れない制限として、寿命が与えられる、ウルトラマンのカラータイマーは3分だが、人間が地上の覚醒意識で活動できるのは、およそ平均70年辺りとなっている。それは、大体人間の呼吸数で決められる。人間の呼吸数は、太陽系での地球の運動による、太陽光との関係から定まる。1分間に大体18回呼吸するとすれば、1日は、18×60分×24時間=25920で、1日の呼吸数は、1プラトン年25920になる。また、昼と夜を覚醒意識と潜在意識の交代で、1日の意識の呼吸とすれば、1日1回の365日を71年生きるとしたら、365×71=25915となる。5日のズレは地球の歳差運動の、うるう年で調整される誤差と考えられ、これも大体1プラトン年に近いので、太陽と地球の日照の関係から、覚醒意識の平均寿命は71年と概算されるわけである。基礎から学ぶホロスコープ(特別講座2)プラトン年の理解物質界で肉体に拘束されながら、未完成なノックアウトヒューマンとなって、闇を光に変えていくために、我々人間の霊魂は、自由に目覚めるために、この物質界に生まれてくるわけなんである。自由という日本語は、自由の性質を良く表現している。自らで自らの存在をつくる、という意味の言葉なのだから、人間は、神の言葉から、神に似せられてつくられ、自らの自助努力からつくられるのがわかる。自分のなかで、闇を光に変えた分が、次の自分の光となり、自分の能力となる。だから、地上の物質界に生まれて、朱に交われば赤くなる、のを避けるべく、仏教では、泥の中でも、泥に染まらずに、蓮の花を咲かせるのが、南無妙法蓮華経の日蓮宗の目的でもあるのだが、本来の日蓮宗は、宗派をもって分派してはならない、他力本願ではダメなはずで、自力の自由を説く、ヨガの奥義の教えだったはずなのである。この世の物質界の虜になってはダメで、組織を作ってしまえば、自ら由る光の存在ではなく、光の自由ではなく、ダメな闇の存在に成り下がるはずなんである。だから、真の法華経とは、教団をつくるなどもってのほかで、地獄に堕ちるだろう。だから巷の創価などは地獄に堕ちる由縁となるだろう。この世の物質欲に囚われて、名誉欲や権力欲、虚栄心などの執着心をもつ者は、地獄に堕ちて裁かれるだろう。教団などをつくるのが末法の未完成な悪の組織なんである。現代人のほとんどは、AIや、先の悪魔の紋章のように、悪の支配の虜になって、朱に交われば赤くなってしまう最たる例の顛末といえるかもしれない。「蓮は泥より出でて泥に染まらず」 | MUNI CARPETS南無妙法蓮華経 - Wikipedia法華経 - Wikipedia本来の他力本願とは、ヨガの奥義を知らないと片手落ちなのである。自力で7つのチャクラを開眼してから、そのチャクラの開眼力によって、自我を物質界から解放し、霊我にまで高め、7つの心眼により、自他の制限のない、無限大の能力を発揮させる、という意味なのである。自力を土台とした他力ともいえる。だから、何ら物質界の介入の余地がないわけで、過去の自分を捨て去った新生の自我の開発なのである。自我が肉体の死を乗り超えると、自我は、肉体を他力と呼ぶ。肉体は過去のモノでしかないからである。霊魂の脱皮の皮でしかない。自我は脱皮して新しい自我に生まれ変わるので、蛇の脱皮にも譬えられる。その自我の脱皮は、前回フラーで紹介した「生き残りではなく包摂を」、「攻撃ではなく陳腐化による更新を」、「剣を鍬の刃に」の、自己否定にある。失敗を恐れない未完成な絶え間ない自己開発といえるかもしれない。現にフラーは、『「失敗をしなくなった時にはじめて、成功するのだ」と説き、「自然は人間に成功させようとしている。自然は人間に重要な役割を担うための準備をさせているのだ」。諦めを知らない不屈の精神は、まるで聖書のなかの神に試された存在ヨブのようだ。』というように、飽くなき挑戦を続けた。逆に、自己を権威付けたり、正当化して、崇めるように強いたりするのは、未完成な自己の上塗りでしかない。砂上の楼閣である。フラーは、「権力闘争や戦争は、人類が宇宙や地球との調和を見出せない段階で、生き残りや独占を求める未熟な発想から生まれたもので、人類が宇宙との調和の手段を発見できれば、政治は不用だ」と説いている。人類は物質界を克服するどころか、物質界に染まり切って、物質界を支配するどころか、支配を委ねて、物質界に拘束され、バランスを失っている現状にある。この世の権力者をみれば、地獄に堕ちるのがわかるはずである。ストレスから、自我が分裂し、いわば精神分裂病のようになって、バランスを失うと、一部の細胞の肉体に支配を明け渡して、腫瘍化して、固形化し、自我の制御を逸脱し、癌化するのは、現代医学でも、遺伝子変異からの未熟な異常増殖細胞による腫瘍化、そして、免疫防御から逃れることで、癌化するのが観測されている。とどのつまり、自我の分裂が元凶にあり、自我の未熟性や未完成を正当化し、良しとするために、免疫細胞による異質性の除去を逃れてしまうわけなんである。人間の自我が何を志向するかで、それに合わせて、肉体も変わっていくわけなんである。自我が悪に染まれば、肉体も悪に染まるわけなんである。その端的な例が、ヨガの奥義を知らない金儲けや利益追従のニセモノのヨガや、末法の似たような利益追従のニセモノ地獄堕ちの仏教教団などである。創価や統一妖怪などは、地獄堕ちの天罰を食らうだろう。神や仏を本当に信仰していないから、金儲けや物質界で自分たちだけ良ければいいという価値観で生きられるわけで、群盲象を評す、のと同じである。群盲象を評す - Wikipediaさて、巷の世間では、このようなニセモノのヨガや怪しい教団などの地獄行きの利益追従の物質界で、朱に交わって朱に染まり切って、自分が真っ赤っかなのを、未完成なのを自覚できない、迷える子羊ばかりなのが盛り沢山なのは、木を見て森を見ずのように、先のレインボーマンをみても、ヨガの奥義を読み取れないのと同じである。キリストが近くを通っても、その気配すらも気づかないのである。見えるモノしか見れないからである。キリストは次のように説いている。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(新共同訳)この世は闇の国なのである。この世に転生したのは、何らかの闇を抱えているために、自我が、未完成な証拠なのである。だから、キリストは、未完成な霊魂を、バランスに導くために、この世に教師としてやってきたわけで、バランスを回復させるのは、各自の意識、つまり、自分がまだ未完成の途上にいる、という自覚にはじまるわけなんである。前世で罪を犯したその報いを学び、克服するために、ノックアウトヒューマンに相応しい肉体を選んで生まれてくるわけなんである。足りない能力を克服するために、その肉体に生まれてくるわけなんである。例えば、手足が不自由な肉体に生まれるのは、前世でその失敗を犯したせいで、現世で、その失敗を成功に導き、克服するためといえるだろう。だから、生きることが、この世を乗り越え、克服する全てなのである。失敗するのは前世での過ちを引きづっているわけで、自分の自由を自分で束縛してきたわけで、失敗は当たり前なのである。同じ過ちを辿らないように、前世を思い出せないようになっている。ただし、前世とは主客の、加害被害の立場が逆転しているが。前世で偏りすぎた失敗のバランスをとるために、現世に生まれてきた、ともいえるだろう。だから、人間の潜在意識のなかには、過去の失敗が山積みとなって感情記憶として、つまり心のなかの蟠りとして現れて来る。だから、人間は悪との関わりあいを免れないのである。自分の罪は自分で克服しないと未完成で未熟な霊魂のままなのである。ます、自分が未完成な存在なのを自覚しないと、ヨガの奥義には達しない。少し余裕があると、人間は必ず悪い事をするのを自覚しないといけない。前世からひきついだ失敗が心のなかにあるからである。国のため、民族のためと言いながら、実は自分の名誉欲や虚栄心の、利益のためでしかない。そのような自分を偽るなかに、未完成な悪魔が隠れている。国民の知る権利のためといいながら、自分たちが利権獲得のために犯してきた性接待を隠蔽するマスゴミをみればわかる。ヨガの教えとは、まず自分が未完成な存在の、自覚からはじまる。それは過去の自己の執着から、自己を解放し、物質界の誘惑に超然とするためである。人間のなかには、良き光の蛇と、悪しき闇の蛇がいて、そのバランスが重要なのである。蛇使いとなって、両者をバランスよく支配するのが、ヨガの奥義なのである。ヨガの奥義の教えについてはまた次回に譲りたい。肉体では、その蛇が、細胞のなかの、ミトコンドリアであるのがいずれ明らかになるだろう。ミトコンドリアは、エーテル体の電子のような存在なのである。
2025年02月11日
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巷では、H3ロケットが成功したと騒いだら、今度は、埼玉で道路が陥没して大騒ぎである。ロケットを飛ばせる技術がありながら、陥没を予測して回避できない技術がないのだから、いかにも片手落ちで、宇宙人からみれば、地球人というのは、利口なのか、馬鹿なのか、一見すると意味不明だが、いずれにしても、失敗から学び、技術を革新してきたことに変わりはなく、どちらの技術もまだまだ未完成で、宇宙人からすれば、ようやく小学生レベルにある状況に変わりはないだろう。攻めるのは得意だが、守るのは苦手で、破壊は得意だが、創造は不得意というのが、某TV局の呆れた隠蔽会見をみれば、地球人の大まかな特徴ともいえるかもしれないが、このような特徴を多大にもつ地球人を上層部に就かせて権力を与えてしまうのが、何度となく人類滅亡の破局に遭遇してきた、懲りない人類の矛盾した特徴といえるかもしれない。親が、子どもに、「そっちに行ったら危ないよ」と警告しているのに、無邪気に進んで、危ない目に遭ってはじめて学ぶ経験からの知識しかもたないのを、地球人は、とにかく自覚しないといけない。それぐらい、いまの人類は、宇宙人から冷や冷やもので、見守られているのかもしれない。しかしまぁ、物質界の出来事は、自分自身にブーメランのように戻ってくるのだから、所詮、自業自得というべきものかもしれない。さて、「矛盾」の字は、最強の矛と最強の盾のどちらが最強なのか、そんな唯一の最強のものは、物質界には存在しないことを意味する言葉でもある。万物は流転する、と説いたヘラクレイトスからすれば、矛盾という言葉は、物質界での五感に囚われた言葉なのである。例えば、矛盾とは、2次元の平面で、ぶつかりあうようなものであり、物質界は、陰陽論でもわかるが、必ずプラスとマイナスがあり、相手の作用を共に打ち消しあっているわけなんである。だからして、足し算と引き算の演算ができるわけなんである。矛盾 - Wikipedia要するに、地球人は、全体の一部しかみないで、その一部に囚われて、立場を堅持し、包括的に判断できないで、専門的に判断するので、専門性に囚われてかえって間違えるわけなんである。これまで紹介してきた時間についても、覚醒意識の時間感覚に囚われ過ぎているのがわかるはずである。覚醒意識での時間は、物質界での出来事、例えば、物質の崩壊や運動を線形化現象として、整理するのに都合がいいだけなのである。その時間を通して、地球人は、宇宙に流れる意識を、地球で自分なりの出来事や事象で解釈し、物質化して、学んでいるのである。しかし、それはあくまで自分なりの自己流の物質化した事実にすぎない。黒澤明監督の有名な映画「羅生門」の登場人物が、それぞれ自分の解釈で、事実を語っているのと同じである。群盲象を評す、というわけなんである。だから、論争、闘争、戦争に関わる愚者は、五感でしか物事をみていない、全体の一部しかみない低レベルな地球人なのを告白しているにすぎない群盲象を評す - Wikipediaさて、DNAが右巻き螺旋構造をとるのを発見したのは、ワトソンとクリックなのは有名だが、なぜ右巻き螺旋構造をとるのか、現代生物学ではいまだ未解明なのは、それが人間の覚醒意識の、五感の延長上で捉えているからにすぎない。生物学を超えて包括的に、それも唯物論を超えないと、生物の存在は解き明かせないから、地球人を超える発想をもたないと、ゲーデルの不完全性定理と同じで、せいぜいハイゼンベルグの不確定性関係で論じるしかない。プラトンにいわせれば、イデアの陰を追っかけているにすぎない。二重らせん - Wikipedia【天才の光と影 異端のノーベル賞受賞者たち】第17回 ジェームズ・ワトソン(1962年ノーベル医学・生理学賞) | Web Voice|新しい日本を創るオピニオンサイトなるほど、地球人は、宇宙人の知性の断片を、イデアの陰として追っかけるだけしかできないので、試行錯誤で、失敗から学び、少しづくこれまでの考えを改めて、前進するしかないのかもしれない。UFOをみつけ、画像解析して、この物質界のモノなのかどうか、五感を研ぎ澄ませて、過去の事例から検証するしかないわけである。宇宙人は、外界の存在で、五感の延長上にあるものと思い込んでいる。さて、バカリズム氏の2本のドラマ、ブラッシュアップライフとホットスポットに触発されて、神秘学から解き明かされた輪廻転生と宇宙人を紹介してきたが、前回は、地球人のなかでも、もっとも宇宙人っぽいというか、地球人を超えた観点をもっていたバックミンスターフラーを紹介した。ブラッシュアップライフ - Wikipedia2025年1月期日曜ドラマ『ホットスポット』|日本テレビバックミンスター・フラー~宇宙との調和の意思 - zeitgeist来るべき水瓶座の水星紀の人類を先取りしたフラーの思想は、非常に興味深いので、再度紹介したい。フラーは、自らをノックアウトマウスならぬ、ノックアウトヒューマンとすることで、宇宙と人類の調和を、自らの人生を実験的経験に捧げることで、目指した。そして、次のような答えに行きついた。バックミンスター・フラー~宇宙との調和の意思 - zeitgeist「失敗をしなくなった時にはじめて、成功するのだ」「自然は人間に成功させようとしている。自然は人間に重要な役割を担うための準備をさせているのだ」。諦めを知らない不屈の精神は、まるで聖書のなかの神に試された存在ヨブのようだ。 今の世界がうまくいっていないのは、そのやり方が不適切で、宇宙との調和、宇宙の普遍へと至っていたいからだ、フラーはそう考えた。 例えば、フラーはこう主張した。全世界の機械の稼働率は5%にすぎず、これを倍にするだけで地球のエネルギー問題、ひいては、環境汚染、人口爆発、資源戦争などはすべて解決する、と。 「Less is more」ならぬ「More for less」をスローガンに、最小の資源で最大の効果を達成するという発想で数々の発明にチャレンジする。 ☆ ☆ ☆フラーが主張した「全世界の機械の稼働率は5%にすぎず」というのは、以下のダークマターの探求からわかるように、「人類が見知ることが出来る物質の大半を占めていると思われる水素やヘリウムは4%ぐらいでしかない」わけで、人類が覚醒意識から五感を使って観測できる、原子は4.9%にすぎないのが、現代物質科学を用いた宇宙論でも明らかになっているわけなんである。暗黒物質 - Wikipedia宇宙に占める暗黒物質の割合の推定 1986年に宇宙の大規模構造が発見された。このような構造を形成するための宇宙の物質の総量が見積もられたが、予想よりも質量が少ないため構造の成長には、ハッブル則から導かれる宇宙の年齢(ハッブル時間):100億 - 200億年よりも、さらに長い時間を要すると計算された (missing mass problem)。この少なすぎる質量を補うものとして、それまでにいくつかの研究で提案されていた暗黒物質(英: dark matter ダークマター)の存在が仮定された。この仮定は、いくつかのシミュレーションによってもハッブル則の範囲内で現在のような銀河集団の泡構造が出来上がることを支持している。 その後、宇宙の加速膨張が発見され、さらにインフレーション理論の説明のためダークエネルギーの概念が導入された。宇宙背景放射を観測するWMAP衛星の観測に基づいて、宇宙全体の物質エネルギーのうち、74%が暗黒エネルギー、22%が暗黒物質で、人類が見知ることが出来る物質の大半を占めていると思われる水素やヘリウムは4%ぐらいでしかない、と説明されるようになってきている。この観測結果は、宇宙の大規模構造のシミュレーションから予測されているダークマターの値と、ほぼ一致している。 このように2つの方法から推測したダークマターの量がほぼ合うということから、この考えに妥当性がある、と考えられている。2013年3月、欧州宇宙機関はプランク(宇宙観測望遠鏡)の観測結果に基づいて、ダークマターは26.8%、ダークエネルギーは68.3%、原子は4.9%と発表した。プランク (人工衛星) - Wikipediaフラーは、この5%を倍の10%にするために、最小の資源で最大の効果を達成するという発想の、シナジーを提唱し、それを実践するために、新人類が目指すべき哲学を、クリティカル・パスとして示した。フラーとカウフマンの世界シナジェティクス - Wikipediaクリティカル・パス - Wikipedia クリティカル・パス (critical path) とは、バックミンスター・フラーが提唱した概念。もしくは、1981年に出版した同名の著作。 彼の晩年の思想の全体を網羅し、当時の人類が直面しつつある危機を回避し、人類の継続的発展へ舵を切るために、何をどうすれば良いのかその項目、その最短で最も効率的な道筋(=クリティカル・パス)の内容を述べている。 その中で、人類の危機の回避は大多数の人類の犠牲による一部の人類の生き残りではなく、全人類が生活水準を向上させた上で、全ての人が成功することができ、またそこにしかないと主張している。 そのために人々の生活環境を劇的に効率化しつつ、それを地球の太陽エネルギー収支のみで過去の蓄積である資源を消費することなく行うためにデザインサイエンスによる革命を行わなければならないとした。 ☆ ☆ ☆フラーの説くデザインサイエンスとは、完結にいえば、所有概念を陳腐化して、人類全体の共有投資の精神を目指すことである。それは一種の意識革命で、端的な例を挙げると、北欧の人たちは、税金は、国民の生活を豊かにするための、預かり金で、国民に必ず還元するという共有公共投資の概念をもっている。個人が自由に活動するために、私用と公用を区別し、公私混同を戒めている。全体の利益を常に包括的に考え、それに基づいて、個人の自由を将来に展望するわけなんである。例えば、国民を自由に教育するのは、国のためではなく、個人が自由に将来活動できるためで、それが全体を国として結果的に、学識豊かにするわけなんである。この物質界を超えた、将来を展望する自由な教育こそ、五感を超えるシナジーから生まれる哲学で、クリティカルパスなのである。現代の常識に囚われない自由な発想からはじまる、俗にいわれる、失敗を恐れない活動を、フラーはデザインサイエンスと呼び、意識改革を説いたのである。それは以下のフラーの言葉で象徴されている。 権力闘争や戦争は、人類が宇宙や地球との調和を見出せない段階で、生き残りや独占を求める未熟な発想から生まれたもので、人類が宇宙との調和の手段を発見できれば、政治は不用だ、として政治や権威を嫌悪した。 「生き残りではなく包摂を」、「攻撃ではなく陳腐化による更新を」、「剣を鍬の刃に」。こうしたフラーの態度は、既存の組織や業界やアカデミズムから徹底的に無視される結果を生んだ。 しかしながら、意外にもというべきか、やはりというべきか、こうした権威に頼らないフラーの独立不羈の姿勢や地球規模の構えの大きい発想は、1960年代のカウンター・カルチャーの時代になって大いに注目を集める。 カウンター・カルチャーのバイブル的存在の雑誌『ホール・アースカタログ』は、スチュアート・ブランドが、 バックミンスター ・フラーの講演を聴いたことがきっかけになって作られている。 フラーはなぜ失敗し続けたのか。それは人類が宇宙との調和など真剣に必要としていなかったから、とも言えるかもしれない。 「政治はいつも最終的には軍備に頼ることになる」、「原子爆弾の次にもっとも危険なのは、組織化された宗教である」、「所有はしだいに負担になり、不経済になり、それゆえ時代遅れになりつつある」。つまり、地球を変えるのではなく、地球人の意識を変えるのである。これまでの五感を捨てて、第6感や第7感に目覚めるために、失敗を恐れずに、前進するのが何より重要なのである。地球がかわっているのだから、地球人もかわっていくべきなのである。これまでのやり方が通用しないのは、地球が地球だけでなりたっているわけではないからである。このように、フラーのデザインサイエンスから、地球を超える視点の獲得が不可欠なのがわかるだろう。面白い事に、ダークマターの探求から、デザインサイエンスの一断片のフラクタルが解き明かされるかもしれない。ウイキの解説によれば、以下のように、熱いダークマターと、冷たいダークマターに大別されている、というからである。暗黒物質の候補 暗黒物質とは具体的に何で構成されるのかについては現状不明であるが、後述のように複数の候補が挙がっており、大別して素粒子論からの候補と天体物理学からの候補に分けることができる。また、熱い暗黒物質と冷たい暗黒物質の2種類に分けることもある。 素粒子論からの候補はWIMPと呼ばれ、天体物理学からの候補はMACHOと呼ばれる。また、宇宙の晴れ 上がりの時に、その暗黒物質の運動エネルギーが質量エネルギーを上回っていた場合は熱い暗黒物質、そうではないものを冷たい暗黒物質と呼ぶ。2010年代時点では冷たい暗黒物質シナリオが有力視されているが、その候補粒子は未だ検出されていない。 ☆ ☆ ☆神秘学の宇宙論、つまり神智学によれば、宇宙波動として流れるアカシャ(虚空)記録から、ダークマターの熱いのは、火の陽の、太陽光エネルギーで、冷たいのは、水の陰の、月光エネルギーであるのを既に解き明かしているのである。この火と水の二元性の融合によって、宇宙意識により、物質界の素粒子が、コスミックダストとして生み出される、と伝承されている。太陽光は男性の陽のエネルギーの象徴で、月光は女性の陰のエネルギーの象徴なのである。面白いのは、日本には、邪馬台国の卑弥呼(ひみこ)の伝説があるが、邪馬台国は、「やまとこく」の当て字で、ヤハヴェを信じる民の国という意味で、本来は、八百万の神の国、八幡神国とも伝承されている。英語読みのジャパンは、ラテン語の、ヤハンの八幡の訛りから名付けられたという説もある。英語名のヨハネに近いのも面白い。ちなみに、「ヨハネ」をググると、ヘブライ語で「ヤハウェは恵み深い」を意味するヨーハーナーン (יוחנן, Yôḥānān) が元の形とされる、らしい。八百万とは、多数、無数の意味で、無限大を表わす、いわば当て字の言葉である。現代でいえば、数字の8を横にした「∞(無限大)」の神ということになる。だから、日本は古代では「やまとこく」の無限大の神を信仰した民の国ということになるかもしれない。その族長が「ひみこ」というのは、火水子と読めるのは、不思議でもある。太陽の火と、月の水から、生まれた子と解釈できるからである。そして、古代の神道には、左は、火だりで火に、右は、水に由来するという伝承もある。卑弥呼 - Wikipedia人智学では、月光が照らされた水には、エーテルの生命力が宿るとされている。満月の日に雨が多く、それは大地に生命力を浸透させるため、と解き明かしている。地球が月と分かれる前の月紀の液状だった地球の生命力旺盛な記憶を呼び起こすらしいのである。前回紹介したように、人間がミストサウナに癒しを感じるのと同じである。かつてあった生命力を覚醒させるわけなんである。シュタイナーは、満月のときに、土の精霊ノームが、ここぞとばかりに、狼男のように、活発に活動すると述べている。土のなかで月光からの情報を取り入れて、生殖活動をするらしい。大地に水が必要なのは、陰のエネルギーの月光があってこそなのである。月の秘めたパワー:達人に訊け!:中日新聞Web日本で伝承されている神話には、五感では理解不能な、現代では、俗にいわれる第六感の、霊能力や、神智学で読み解かれた第七感の神我一体からしか理解できない、古代アトランティスに繁栄した断片的な叡智が隠されているのがわかる。この第6感、第7感の再獲得法が、実はヨガ哲学なのである。日本では仏教とともに禅になっているが、日本のヨガとして有名なのは、以下の沖正弘であろう。沖正弘 - Wikipedia沖ヨガ | ヨガジェネレーション yogagenerationヨガによって、宇宙の火と水の融合を体現したなら、第三の目の第六感と、サハスララの頭頂部の第七感を覚醒させることができると、神智学により理論的に解き明かされている。ヨガについては、私はまだまだ勉強不足なので、おいおい紹介していきたいが、現代で行われているヨガのほとんどはニセモノであるとだけ紹介しておきたい。そもそも、金銭を介在した指導はどんなものもニセモノなのである。このブログも、できれば広告などを削除したいのだが、削除のやり方もわからないし、自分のブログをみるのもわざわざ広告が介在するのも納得がいかないのだが、最近の楽天の商魂には呆れているが、他に移るのも面倒なので、使わしてもらっているが、それによって楽天が利ザヤを稼ぐのなら、稼いだ罪は、楽天に下されるはずだから、楽天のやり方を見て、反面教師にしているわけなんである。なんでも商売にしようとするのはどこぞのTV局と同じでそのうち滅んでしまうだろう。利益に目が眩むと、利益の奴隷になるだけである。そういうわけで、ヨガについては、次回に譲るが、そのうち、バカリズム氏が、今度はヨガの聖人をテーマにドラマでも作ってくれるのを期待したい。生まれ変わり、宇宙人とくれば、次はヨガじゃないか?と、スターウォーズのヨーダのように生命力のフォースを宇宙から送っているわけなんである。その前に、DNAがなぜ右巻き螺旋構造なのか、それは太陽光と、月光の関係にあり、それを解き明かすのが、ヨガだからで、ヨガとは、神や宇宙人との交信法で、それには、宇宙の運動を、地動説ではなく、天動説で解き明かす必要があり、というのも、人智学では、地球は、太陽の軌道を、右巻き螺旋構造で辿っているのがわかっているわけなんである。つまり、天体の運動を西洋では地動説から幾何学で、ガリレイ、ケプラーを経由し、ニュートン力学として覚醒意識で構築したわけだが、東洋ではすでに古代インドのヨガ哲学で、霊的な宇宙の、天体の運動を生み出す前の天動説から、人体のなかの七つのチャクラとして、マクロコスモスのなかのミクロコスモスとして、フラーが自らを実験人間とする前に、人体を、宇宙との調和の道具として実験していたわけなんである。だから、太陽と月と地球の関係が、人間の細胞のなかの核のDNAの右螺旋構造として記録されているのは、宇宙全体の進化の法則の体現なのである。水が螺旋となって生み出されるのは、水素で観測する宇宙が、蜘蛛の巣でみえるのと同じフラクタル構造なのであり、上にあることは、下にもあることなんである。だから、地球人さえその気になれば、自分のなかにある、二重の、右巻き螺旋から、宇宙の神や、宇宙人と共通の構造から、所有概念を捨てて、共有投資の、自己を宇宙に還元していく、自由で博愛な、公共の精神で、交信できるわけなんである。しかし、まだ地球人には、ヨガを通じて、高次の宇宙人と交信できるものは少ないから、ハルマゲドンを回避できるかは、埼玉の陥落と同じような現状にあるだろう。
2025年02月06日
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現代人には計り知れない高度な宇宙文明をもっていたマヤ文明が、なぜ滅んだのかは、謎とされ、多くの唯物論により、様々な滅亡説が唱えられているが、神智学では滅んだのではなく、地球人を卒業したのがわかっている。マヤ人たちの霊魂は、地球から、次の金星へと進化し、高周波の霊魂へと純化していったというのである。だから、マヤ人は、地球への転生を卒業して、金星人となっているので、我々地球人からみれば、もはや高度な宇宙人となったわけなんである。マヤ文明 - Wikipedia日本にも、かぐや姫の物語として、月に昇天した伝説が残っているが、神智学によれば、古代アトランティス時代では、地球は現在よりも物質はまだ液体の流体状で、金属は、いわば水銀のような状態だったので、大気は気体ではなく液状の流体だったので、船で、地球からの大海の流れに沿って、いまでいう宇宙放射線の気流に乗って、月にも行けたというのである。だから、飛行機ではなく、宇宙船なのである。液体か、気体かの違いや、大気圏の層の違いがあるが、飛行機が、空中を飛ぶ原理もほとんど同じなのだが。竹取物語 - Wikipedia現代の科学が、物質科学であるように、当時の科学は、流体のエーテル科学で、それはいまでは、植物の生命の法則に反映されているので、古代アトランティス時代に最も繁栄していた、いまの中国大陸の中華文明から、易経に、その科学の残滓がわずかにみてとれ、その人体の応用として、気功学が残っているのが神秘学を学べば、薄々わかるだろう。易経 - Wikipedia現に、易経が干支として、植物の幹と枝の生命力から、十干十二支として、いわば流体力学の変化の相として、暦に割り当てられて、実用化されてきたのは、日本では、大安吉日とか、仏滅とか、占術に用いられて低俗化され、東アジアの習慣や日本文化として、お馴染みになっている。単純にいえば、易経とは、古代アトランティス時代の天気予報なのである。現代では、台風でもない限りは、雨の日には、傘をさしたり、雨合羽を着たりして、ある程度、自己本位で、自由に行動できるが、それでも洗濯物を乾かせないとか、下手すれば、突風や竜巻が起こって、自然災害で肉体を失うこともあるわけで、天災が予想される日には、安全な場所で身をひそめる、のが生命の救いになる。現代科学の恩恵を受けた、いまでも、地震や火事のような天変地異に安全が脅かされるわけで、唯物的にも、そのような予測が行われている。いまでも、一部の動物では、古代アトランティス時代の、植物の生命力のような、自然に循環する流体の運動を、易経のように、本能(霊)的に、読み解くことで、天変地異を予期し、行動しているものもいる。人智学では、動物は、人間のような個人的な自我はもたずに、いわば種全体の集合自我を、物質界ではなく、霊界にもつのがわかっているので、人間のように、個人的に自由な行動ができずに、種全体の統合的な行動を、自然に合わせて選択するように、いわば、人間での手足が、動物の種全体の個体となっているので、正確にいうなら、天変地異を予測しているのではなく、あわせて行動をとるように命令されている、といえるかもしれない。人間も、古代アトランティス時代では、族長の手足となって、動物のように、天変地異にあわせて行動していた名残りが、ポストアトランティス時代の現代になるにつれて、易経となり、干支となって、暦に活用されて、四季の祭日や文化風習となってきたといえるだろう。例えば、お祭りに参加することで、古代アトランティス時代での、前世を霊魂のなかから、想い出す人もいるかもしれない。かつてもっていた自然との流体的なつながりを、現代の気体と物体に分かれて対峙する自然との交流のなかに、再発見し、失われた霊的な叡智を再び獲得できる人もいるかもしれない。現代人の多くが、現代的な物質社会から、孤立し、孤独感を感じたときに、お祭りや自然との交流に癒されるのは、古代アトランティス時代の前世を、霊魂のなかから、想い出すせいなのかもしれない。例えば、古代アトランティス時代の自然環境は、現代でいえば、高温多湿の、ミストサウナのような状態といえる。ミストサウナ | サーラのガス | サーラエナジー株式会社気象観測といえば、富士山レーダーに用いられているジオデシックドームで有名なバックミンスターフラーは、自分を実験動物モルモットB(バックミンスターの頭文字)として、宇宙に提供することで、宇宙が人類に何を求めているのか、生涯をかけて、宇宙の意図を探ろうとした。バックミンスター・フラー - Wikipedia富士山レーダー - Wikipediaバックミンスター・フラー~宇宙との調和の意思 - zeitgeistフラーは自らを「実験としての生涯」あるいは「モルモットB」と呼び、人類が宇宙と調和して生きるすべを発見することに生涯をかけた。「自然は人間に成功させようとしている。自然は人間に重要な役割を担うための準備をさせているのだ」。諦めを知らない不屈の精神は、まるで聖書のなかの神に試された存在ヨブのようだ。「失敗をしなくなった時にはじめて、成功するのだ」 権力闘争や戦争は、人類が宇宙や地球との調和を見出せない段階で、生き残りや独占を求める未熟な発想から生まれたもので、人類が宇宙との調和の手段を発見できれば、政治は不用だ、として政治や権威を嫌悪した。「生き残りではなく包摂を」、「攻撃ではなく陳腐化による更新を」、「剣を鍬の刃に」。こうしたフラーの態度は、既存の組織や業界やアカデミズムから徹底的に無視される結果を生んだ。 しかしながら、意外にもというべきか、やはりというべきか、こうした権威に頼らないフラーの独立不羈の姿勢や地球規模の構えの大きい発想は、1960年代のカウンター・カルチャーの時代になって大いに注目を集める。 カウンター・カルチャーのバイブル的存在の雑誌『ホール・アースカタログ』は、スチュアート・ブランドが、 バックミンスター ・フラーの講演を聴いたことがきっかけになって作られている。 フラーはなぜ失敗し続けたのか。それは人類が宇宙との調和など真剣に必要としていなかったから、とも言えるかもしれない。「政治はいつも最終的には軍備に頼ることになる」、「原子爆弾の次にもっとも危険なのは、組織化された宗教である」、「所有はしだいに負担になり、不経済になり、それゆえ時代遅れになりつつある」。 こうした バックミンスター ・フラーの言葉が、死後三十年以上たった今、かつて以上に抜き差しならない調子を帯びて響くということは、どういうことなのかを、われわれは深く考えてみる必要がある。以上のサイトからの抜粋からもわかるように、フラーは地球を超えた視野を持つ点で、宇宙人だったといえるかもしれない。フラーは、いわば自分を宇宙の実験体とすることで、宇宙のなかに、その科学的真理の意図を汲み取り、読み解こうとした。現代科学の遺伝子研究では、特定の遺伝子を欠損させたノックアウトマウスがどう振舞うかで、その遺伝子が持つ役割を解析する。フラーの宇宙人的態度からいえば、地球人は、ノックアウトマウスに置き換えられたノックアウトヒューマンと呼ぶべきかもしれない。だから、このような宇宙人的な実験思考からすれば、地球人は、宇宙人のある特殊能力を失った地球での経験から、その特殊能力を再確認するために、宇宙人に必要とされる存在なのかもしれない。ノックアウトマウス - Wikipedia実は、この嘘のようなフィクションにもみえる、宇宙人実験思考の話は、神智学によれば、本当の話で、地球に転生することで、人間の霊魂は、いわばノックアウトマウスのように、ある特殊な霊能力が、肉体により封印されてしまう、というのである。失ってみてはじめて、その能力の、存在の意味がわかるからである。【知らないと損する】失ってから気づく大切なこと6選(えらせん) - エキスパート - Yahoo!ニュースつまり、この地上に転生することが、失楽とも言われるのは、楽園では普通にあった、ある特殊な霊能力、早い話が、愛を失うことで、その愛の自力の獲得に、目覚めるためである、といえる。だから、宇宙人は、地球人が自力で愛を獲得していくことで、改めて、自己のなかにある、愛を再確認できるわけなんである。だから、宇宙人は、常に地球人に愛を送りながら、その愛を自力で獲得していく、地球人のドラマを、第3の目の、脳の松果体を通じて、見守っている視聴者なのである。地球という舞台で演じられる地球人たちの愛、ときには憎悪のドラマを見ながら、自分たちの愛の大切さを知る、身近な視聴者であり、サポーターでもある。例えば、日本に来るインバウンドの外国人たちが、日本食や日本の生活を絶賛するのをみて、日常当たり前になっていた光景が、改めて異なる視点から、新鮮に、貴重に、素晴らしく感じられてくる、のがわかるだろう。また、日本人が海外に行ってみて、改めて、日本の良さを感じ、懐かしく思うのも、宇宙人と、地球人の関係にも似ているわけなんである。能力とは失ってみてはじめてわかる、ある意味、病気や老化や死などの、バランスを失うことなのである。つまり、地球に転生することで、肉体を纏うことで、バランスが乱されるので、その回復力が試されているわけである。どんな境遇においても、バランスをとれるのが、自我の自己組織化のバランス回復力なのである。免疫力は、このバランス回復力の発現といえるかもしれない。さて、ドラマ「ホットスポット」に出てくる宇宙人高橋さんは、地球人とほとんど変わらないが、ちょっと怪しいオジサン風のルックスをもつので、アメコミのスーパーマンを、コミカルにアレンジした、クエンティン・タランティーノ風の中年男性ならぬ、中年女性の会話から展開させる、全く宇宙人らしくない宇宙人活躍ドラマで、なぜか自分には、スパイらしくないスパイのジョニーイングリッシュと被って、妙に笑えるのだが、地球人がイメージできる宇宙人ってどういう存在なのか? 逆に、似たようなルックスを持つ場合、どうやって、宇宙人は、地球人に、自分が宇宙人だと証明できるのか? ドラマをみるうちに、現実に気になってきた。2025年1月期日曜ドラマ『ホットスポット』|日本テレビジョニー・イングリッシュ - Wikipediaいったい地球人にとって、高度な宇宙人とはどんな存在なのか? そのような存在を身近に感じるには、先日、NHKで大谷選手の特集番組をみたのだが、まさに大谷選手のように、自己の生きる目的を知る存在、と気が付いた。自分が何のために生まれてきて、現世でどのように生きて、多くの人々に感動を与えられるのか? 自分を良く知っている人、深く自分の生き様を前世にまで辿っていける地球人を、他の多くの地球人は、なかば冗談として、宇宙人と認識している、のに気づいたわけなんである。大谷選手は空想上の一角獣のユニコーンとも呼ばれている。ユニコーンは恐らく、第3の目が開けた眉間の霊眼をもつ、3つ目の宇宙人を指す、と考えられる。ユニコーンが馬のイメージになったのは、古代ギリシア神話のケンタウロスの影響を受けたためだろう。ユニコーン - Wikipediaケンタウロス - Wikipedia高度な宇宙人と交信するために、これまで神智学から古代叡智を紹介してきたが、とどのつまり、まず地球を平和にするために、地球人がまず利己主義を捨てて、自分を他者の平和のために有効活用する、自己開発法をみつけることが何よりも先決なのがわかる。万物の根源は水のエーテルである、と唱えた古代ギリシア哲学のタレスは、「汝自身を知れ」といって、自己認識の重要性を説いている。自分自身を理解することが、現世を理解する第一歩で、現世での経験から、神である宇宙意識が、自己を表現舞台とするように、自己開発を行うのが、人類一人一人に与えられた生きる目的である、と、古代ギリシア哲学は説いているようにみえる。また原子論を提唱したデモクリトスが、「幸せは持っているものに宿るのではない、金に宿るのでもない。幸せは魂に宿るのである」と説いているように、モノに価値を与え、そのモノに依存し、自らを束縛し、足枷にしているのは、本来は自由で永遠な人間の霊魂である。地球に生まれたために、地上の概念に囚われて、自らを束縛しているのは、人間の霊魂の思い込みにすぎない、とデモクリトスは人類に問いている。地上の支配権をもつ者が最上の幸福なのか?最も資産を持つ、金持ちが、幸福なのか?それらは地上にあるときだけの、一時的なもので、死と共に、いずれは失われる。永遠にもてないもので、利己主義は死を乗り越えられず、死に埋没し、利己主義故に自己を破壊せずにいられなくなる。利己は利己的に支配しようとする欲だから、自分と他人を差別するもので、壁をつくるものであり、結局は、自分の罪を無責任に他人に擦り付けているだけで、破壊に破壊を続けるだけで、利己心の虚栄心の、承認欲の虜にならざるを得ない。第一、何事も、自分でやれば自分の能力になるのを、支配権や、カネを使って、代わりに他人に代行してもらい、やってもらっているだけなのである。だから、益々無能になるだけなのである。小便に行くのが面倒だから、小便をとってくれ、と言っているようなもので、いずれは泌尿器を取り除くことになるだろう。そうやって、自分の能力を使わずに、分断していくのである。使わないから、その臓器が、自我の命に背いて、腫瘍化して癌化して、外科手術で取り除くことになる。そして、だんだんと自分の統合力を失って、どこかのTV局のように、コンプラ違反なのに、隠蔽工作でなんとか、誤魔化して、潰れてしまうわけなんで、霊魂の場合は、無能なゲヘナと化してしまうわけなんである。デモクリトスが原子論を説いたのは、以下にあるように、原子とは、最大の宇宙意識の、最小単位への反映なのを、実は、現代の量子論の前身を、つまり、マクロコスモスのミクロコスモスへの照合を、霊魂で解き明かしていたのである。人間の自我は、神の宇宙意識のバランスの反映で、原子は、いまの量子で、マクロコスモスの自我の、ミクロコスモスへの反映なのである。デモクリトス - Wikipedia学説「原子(アトム)」は不生・不滅・無性質・分割不可能な自然の最小単位であって、たえず運動し、その存在と運動の場所として「空虚(ケノン)」の存在が前提される。無限の空虚の中では上も下もない。形・大きさ・配列・姿勢の違うこれら無数の原子の結合や分離の仕方によって、すべての感覚でとらえられる対象や生滅の現象が生じる。また魂と火(熱)とを同一視し、原子は無数あるが、あらゆるものに浸透して他を動かす「球形のものが火であり、魂である」とした。デモクリトスは世界の起源については語らなかったが、「いかなることも偶然によって起こりえない」と述べた。デモクリトスの原子論とは、だから、人間が、量子を、例えば、電子を認識するには、人間の自我が、神の宇宙意識とバランスがとれたとき、つまり、これが電子なんだよと、観測のための、量子化の演算子が、神から命令として、叡智として降ろされてきたときなのである。だから、神から叡智として観測の演算子が降ろされない、観測できないときは、量子ではなく、波動のままで、波として伝播している、潜在意識のなかに漠然と、虚無(空虚)としてある。それがダークマターであり、ダークエネルギーで、ディラックの海とも呼ばれる、宇宙の海メムである。だから、デモクリトスの原子論とは、宇宙意識のメムである。デモクリトスの原子論を、量子力学に沿って解説するために、観測の演算子という言葉を使ったが、簡略化していえば、数学的思考といえるかもしれない。もっと端的にいえば、パターン認識である。動物が、動物種長の集合自我から降ろされて、天変地異を予期し行動に移すための指標で、古代アトランティス時代に、人間も使っていた、易経の前身のエーテル流体学、いまでいう量子統計を波動流体学に応用した学問というべきものかもしれない。易経の残滓の、干支は、十干十二支だが、古代アトランティス時代のは、カバラの生命の樹の、10のセフィロトと、22のパスとして伝承されている。古代ヘブライ語は、この10の数字と、22の文字から言葉がつくられた。さしずめ、現代でいえば、量子力学を、場の理論に展開した、素粒子の標準模型といえるかもしれない。古代アトランティス時代には、現代の量子論は、既にデモクリトスが原子論で、その前身を説いていたのがわかる。ただ現代の言葉では表現できないだけなんである。生命の樹 (旧約聖書) - Wikipedia標準模型 - Wikipedia現代のエントロピー増大の法則で有名な、熱力学第2の法則も、古代アトランティス時代では、時間と物質の法則として知られていた、と神智学は解き明かしている。特殊相対論で、光の速さで進む、慣性系は、時間の進みが遅れる、というのは、逆にいえば、光の速度から遅れた慣性系は、その慣性系の時空に、光のエネルギーが吸収されて、それだけ全体として質量をもつので、重力の作用を受け、光と重力の間の相互作用により、事象が多く起こるために、時間の観測が認識されるから、一見すると、物体の運動のために、時間が速く経過したようにみえる。この現象を、アインシュタインは、一般相対論の等価原理で、時間の進みを、時空のエネルギーとして曲率化し、慣性力を、質量への重力の作用として、修正したのだが、古代人は、物質を動かすには、エネルギーが必要で、エネルギーを事象に置き換えるには、時間が必要と認識していたという。つまり、エントロピー増大の法則として、物質がなくなれば、エネルギーも時間もなくなる、ということなのである。これを逆説的にいうなら、エントロピー増大の法則で、宇宙人は地球人に愛を送って、時間により、地球人の愛を体現する物質界でのドラマを演じた経験による自己開発を確認して、自分たちの愛の叡智に満足するわけなんだろう。宇宙人と地球人が愛の確認作業のために回りくどいやり方をしていると捉える人もいるかもしれないが、筋書きのないドラマだからこそ、嘘のような本当の話なのである。フラーも「政治はいつも最終的には軍備に頼ることになる」、「原子爆弾の次にもっとも危険なのは、組織化された宗教である」、「所有はしだいに負担になり、不経済になり、それゆえ時代遅れになりつつある」と地球の将来を危惧していたが、所有の概念がなくなれば、地球は皆の平和のもので、国境もなくなり、宗教は各個人の他者との平和の共生のための、自己開発への方法の相違だけで、権力も組織も必要なくなるだろう。それには、なによりも、物質界を超えた宇宙との調和を生み出す第3の目の開発が必要不可欠となるわけで、それこそが来るべき水瓶座の前世を覚えている、高次の宇宙人と交信できる新人類の誕生なのである。フラーが「攻撃ではなく陳腐化による更新を」と説くように、利己的な独裁者は陳腐化して、新人類を生み出すことである。政治など国境をつくり所有概念を生み出すものを陳腐化することである。
2025年02月04日
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