2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
全31件 (31件中 1-31件目)
1
缶詰ばかり、置いてある。バーがあるそうだ。けっこう話題になっているらしい。 * * * * *缶詰バー「酒のつまみとして缶詰を出すバーや居酒屋。ビールも缶ビールのみという、完全に缶だけの店もある。カウンターや壁の棚に缶詰を並べてあり、客が選択した缶詰を開けて提供する。1970年代には缶詰は一般家庭にも必ずあったものだが、レトルト食品の普及とともに次第に姿を消し、かえって若者たちの興味を集めているともいわれる。レトルト食品は温める必要があるが、缶詰は缶を開ければすぐに食べることができる便利さがあり、バーのおつまみとしての地位を獲得しつつある。缶を開けるだけでなく、少し手を加えた料理として提供する店もある。 「Yahoo!辞書 新語探検」より * * * * *港にドラム缶をならんだテーブルで、壁いっぱいに並べられた、エゾ鹿、あざらし、アロエ、ナタデココ、缶ワイン・・など、世界150種類に及ぶ、缶詰のなかから、好きなものを選ぶ、バーなどもあるようだ。なかなか、目のつけどころがおもしろい。料理の手間がいらないから素人のバイトでもでき、それでいて、種類は豊富にあり、なにより、保存がきき、在庫の心配がいらない。そういえば、缶詰にも、食べごろの時季があるというのを聞いたことがある。缶詰の場合は、刺身のように、新しければいいというものではないらしい。缶詰というのは、味がしっかり染み込むまで、6ヶ月かかるようにできているようだ。だから、缶詰は、逆に新しければいいというものではないそうだ。製造から6ヶ月から4年ぐらいがメドで、酸味の強い果物類は3年ほどで、食べるのが旬だそうだ。子供の頃、なにかの景品で「おもちゃの缶詰」というのがあった。缶のなかに、いろいろなおもちゃが詰め込まれている缶詰なのだ。すごく、欲しくたまらなかった。あの缶詰の、いちばんにおいしいところは、缶を開けるまでのドキドキ感だったので、結局は、なかなか開けることができなかった。
2006年05月31日
コメント(16)
結局、人間というのは時間に集積なのかと思うときがある。昼、ジョギングをするようになってから、肉体が変化していくのがわかる。ほんの30分のことなどだが、毎日、時間をそこにさくだけで、身体は間違いなく反応している。これは、肉体だけでなく、精神も同じなのだろう。脳というのは、良い、悪いの判断をすることもなく、一日のうちで、体験したものは、すべて、吸収してしまうようだ。崇高な意見も、志のある意見も、くだらない情報も、不快な考えも、脳は、区別することもなく、すべて平等に、吸収してしまう。映画も、音楽も、テレビのワイドショーも、雑誌や町の噂話も、仕事上での会話も・・。一日が24時間しかないわけだから、誰と何を話しているかということは、重要になってくるのだろう。もしくは、そんな、ほんのささいな日常的な会話の集積によって、自分が形成されているにしかすぎないのかもしれない。とくに、子供の頃は、情報源の多くは、そこからしか得られないわけだから、影響は大きい。漁師の子が漁師、教師の子が教師、政治家の子が政治家、というように、親子で同じ職業を持つ場合も多いが、それも結局、その人に与えられる時間の情報のほとんどが、親からのものであることが多いということも起因していると思う。時間を何に費やしたかで、世の中は、自然に見えたり、金融に見えたり、愛に見えたりするだけなのかもしれない。ふと、昔の友人を思い出した。30そこそこで、脳梗塞で亡くなった男のことだ。彼はとても、優秀だったが、食事のとき、肉しか食べなかった。皿に野菜が盛り付けてあると、はねのけて、いっさい口にしない男だった。恋人がいたが、脳梗塞で倒れたあと、父親はその彼女のところに会いにいき、もう会わないように諭していた。息子のさきを覚悟が見えたのと、彼女の未来を考えてのことだった。彼女は、それに従い、二度と会うことはなかった。食事の時間のほとんどを、肉しか食べなかった友人は、亡くなった。あれから、もう20年近いときが流れている。あのときの娘さんは、いまは、どこかで家庭を持っているかもしれない。時間は、どんなときでも流れている。
2006年05月30日
コメント(18)
仕事などで、人と会う約束をするとき、5分、10分刻みの時刻を指定することにしている。とくに、時間のルーズな人と会うときはそうだ。9時ではなく、8時45分、もしくは、9時10分というような、時間の約束だ。このほうが、時間は守られる。9時では、平気で遅れてくるものもいる。時間の使いかたを見ていると、その人の人間性がわかる。仕事のできる人というのは、時間の使いかたが、すごく、いい。まず、理解力が速いということと、状況下での優先順位というのがわかっている。仕事がいくつも重なると、この優先順位が大切になる。漏れなく、どれだけ、手際よく処理するかということが求められる。ポストイットを貼って、それの順番を並びかえながら、処理している人がいる。新しい事案が、横から、入ってきたときも、この方法が、便利だ。そして、終わったポストイットは、すぐに捨てていく。処理が終わったら、忘れる。ポストイットを、便利な使い方をしていた。ほかにも、頭のいい人というのは、失敗から、立ち直る時間が、すごく、速い。たいていの人は失敗をするものだが、そのあと処理がいい。落ち込みから、立ち直る時間が、すごく短いのだ。失敗したあと、悩んでいる時間というのは、最大のロスだ。いつまでも、ぐじぐじしている人がいる。失敗に悩む時間より、これから、どうしたらミスを防げるか、これからどうすべきか、に悩むほうが時間のロスはない。ロスのない時間の配分、時間の戦略というものは、すごく重要だ。「60セカンズ」という映画があった。ニコラスケイジが主人公の映画だった。彼が、「50台の高級クラシックカーを、3日間で盗んでこい。」と、マフィアから指示される。ここで1台盗むのに、何時間かかるから、と計算していたら、もう、駄目だ。通報が入って、警察が動きだしたら、すぐにつかまってしまう。この状況下での、時間を考えて行動しなければならない。いったい、どうすれば、50台の高級クラシックカーを、3日間で盗めるのか。不可能として、諦めるのか。それとも、そんな難問をだした人間を非難するのか。ひとりで、ただ、ただ、ぼやくのか。では、ニコラスケイジが、とった方法。1日目は、仲間を集める。大勢のプロの集団を集める。2日目、たった一度のチャンスを成功させるために、仲間と準備にとりかかる。3日目、一晩で、一気に実行して、成功させる。この映画の大筋は、そうだった。なんだと思うかもしれないが、たいていは、この単純な発想と行動ができない。この映画は、時間の有効な使い方も、示した、優れた映画だと思った。
2006年05月29日
コメント(12)
少しまえだが、ある組織を退職した知人の退職を祝う会にでかけた。あらゆることに精力的に活動をしていた人で、ホテルで開かれたその会には、多方面から、さまざまな人が参加して、100人以上の人が集まっていた。立食のパーテイーだった。顔見知りも、何人かいたので、ひさしぶりに会った人たちと、泳ぐように動きながら、会話をした。参加者は、その人の関係上、年齢層は、どちらかというと高い人が多かった。そんな大先輩の人たちを見ていると、いろいろと考えさせられた。社会的な立場で、成功した人、いい人なのに、陽の目をみなかった人、噂だけがいつも流れ、こういう会には顔も見せなくなった人・・・。若く結婚した人、遅く結婚した人、シングルでの生き方を楽しむ人、家族に恵まれた人、恵まれなかった人、時間の経過というものは、仕事や家庭などで、いろいろな顔の人生を作っていくものだと思った。「残業して、仕事をしていては、金は残らないよ。」「時間を作って、投資の勉強をすることだ。女性に入れ込んではいけない。」若い者に、そう諭していたのは、株と投資にたけた人で、億単位の資産を作っていた人だった。昼休みは、いつも、証券会社にかよっていた。もう、いつでも隠居できると言っているが、そういう気配はない。「あの人、今、あの会社のどこの部署にいるの、課長?部長?」「そういえば、あの人、ゴルフ得意だったよね。」この人は、ひょうひょうとした人で、人事にたけた人で、組織の中では出世した人だった。テレビに出て、会社の代表のコメントをしていたこともあった。「アトムおじさん。ヒゲをのばしているのですか?」「まるで、ちょい悪オヤジですね。」若い者が、近づいてきた。私は適当に笑っていた。それから、彼の親しい友人が、ここに参加していない理由を訊いた。「病気なんですよ。」「病気?」「白血病のようで、このまえ急に入院したんです。」驚いてしまった。まだ、若く、まじめに仕事をやる男だった。結婚して、自慢の美人の奥さんと二人暮しだった。急に頭がいたいとうずくまり、病院へ行ったら、白血病という診断で、急遽、入院することになったようだ。この病気の難しさは、わかっていた。いつも、仕事を完璧にこなそうとしていた彼が、ふいに、仕事から引き離され、この病と闘うはめになったのか。どうして、自分が、この病気に・・と、彼は思っているだろうと、考えていた。いま、この時も、彼は無菌室の病室にいるのだろう。無趣味なうえ、いきなり大量の空の時間を、与えられた彼は、いったい、どうしているのだろうか。会場の舞台では、退職者の、いままでのエピソードが、スクリーンに映し出された写真とともに、司会者によって語られていた。
2006年05月28日
コメント(18)
きのう、映画のセリフを書いたが、映画を観たあとに、気になってしまうことがある。あのシーンは何だったのか。あのセリフの本当の意味は・・。たとえば、キューブリックの「2001年 宇宙の旅」の最後の惑星に胎児が映るがあれはなにか意味があるのか?・・・のように。最近のインターネットというのは、すごくて、なんでも調べられるようになっている。そのとき、調べたサイトは、「あの映画のココがわからない まとめサイト」だ。http://www.movie-faq.com/ ここでは、映画の疑問をまとめた2チャンネルでの論争サイトで、映画ごとの疑問点をみんなで、語りあっている。あの2チャンネルだが、この映画に関しては、けっこう、おもしろい。映画のウンチクを語るものだが、これほど、知識人がいるのかと笑ってしまう。観た映画について、思いもよらぬ知識が得られる。私のブログの右側のブックマークのところには、いくつか、役立つサイトに飛べるようにしています。少しずつ、手を加えているのですが、きょうも、ユニークなのを、少し、足しました。きょう加えたなかの、いくつかのサイトに感想のコメントを加えて紹介したいと思います。「ウエザーアイ」http://www.weather-eye.com/これは、過去の天気が調べられるというもの。夏休みの日記だけでなく、もし、アリバイが必要になったとき、このサイトを覗けば、過去の各地の天気予報がわかるというもの。2000年7月から、現在までの天気なら、日本中の天気がわかってしまう。「FOKS search 」http://www.foks.info//index.htmlこれは、漢字などの読みがわからないとき、コピーペーストして、調べることができる。英訳も載っている。これで、読まない字も、調べられ、知ったかぶりができる、すぐれものサイト。「福島中央テレビちょっと便利帳」http://www.fct.co.jp/benri/このサイトは、すごく便利だ。めんどうな、日数計算や単位換算から、地図など、あらゆる便利サイト案内に飛ぶことができる。リットルから、ガロンへの変換。指定した日の曜日調べから、入学、卒業年の計算など、いろいろ調べたいときに便利。地方のテレビ局も、頑張っているなあと、関心するサイトです。「JAL国際線世界時計」 http://www.jal.co.jp/worldclock/?NRTこれは、世界の主要都市の時間がわかるのですが、便利なのは祝日が載っていること。外国の祝日というのは、なかなかわからない。これがカレンダー形式で載っています。「タクシーサイト」 http://www.taxisite.com/これは、出発地と到着地を入力すると、タクシー料金を調べることができます。酔っぱらって、自宅まで帰るには、いくらかかるのかと、遊んでいるだけでも面白い。「ほんつな」 http://www.hontsuna.com/本を探すサイトなのだが、ここに若い女性の助手がいて、いくつかのキーワードを入れていくと、探し物の本を見つけてくれる。この助手の天然ボケが、けっこうおもしろい。この女性、時間がかかるが、真剣に探してくれる。この女性、きっと、好きになりますよ。「Jcross 」http://www.jcross.com/index.htmlこれは、かなり優れもののサイト。読みたい、探したい本を古本屋や日本中のどこの図書館に置いてあるか、探し出してくれる。「シネマ」「和田誠」とキーワードをいれたら、「シネマ今昔物語」和田誠、行田市図書館というように、日本中の図書館から探してくれました。全国ロケ地ガイドhttp://loca.ash.jp/http://saya.s145.xrea.com/x/lmap.htmlこのふたつは、日本のドラマのロケの場所を地図や写真で示してくれる。横浜や鎌倉のシーンは、映画を観るたびに、どうして、急にここへ移動するのかと、気になってはいるのですが・・・。「gooラボ エリア情報検索 」(車や徒歩での地図上で道案内)http://map.labs.goo.ne.jp/これは、徒歩や車での道案内をしてくれます。「シェフに教わる賄い料理 」http://www.nikkeibp.co.jp/style/life/joy/chef/これは、日経BPに連載されていた,人気一流シェフが、手軽な家庭用料理のレシピを紹介したもの。賄い料理ということで、高価ものは紹介していない。コンソメスープでラーメンを作ったらなど、遊び心があって、なかなかいい。私のブログを最強にするために、ユニークなサイトを見つけたら、少しずつ、ブックマークに載せておきますので、覗いて、遊んでみてください。
2006年05月27日
コメント(10)
Mama always said life was like a box of chocolates. You never know what you're gonna get.ママは言ってた。「人生はチョコレートの箱みたい」って。「食べるまで中身は分からない。」 フォレストガンプ 一期一会
2006年05月26日
コメント(10)
電気を全身に感じたことを、昨日、書いた。しばらくは、痺れが、身体の中に残り、とれなかった。二度と経験したくないほどに、激しいものだった。人間の身体の中を走る電流は、人を殺すこともあるが、しかし、助けることもある。もともと、人間には、電流が走っている。これにより、人は、反射的に手をしりぞけることができたり、心臓を休みなく動くことができるのだ。AEDという機器がある。AEDとは、自動体外式除細動器のことで、心臓マッサージよりも効果的な手段として,生まれた機器だ。胸に電極を当てて高圧の直流電流を流すと、全身がピクンと跳ね上がる、あの機器だ。これにより、心臓にも電流が流れ、心臓の動きを正常な状態にすることができる。AEDは、以前は、医師のみに使用が許可されていたが、平成16年7月から、一般の人でも使用が可能となっている。60~70メートルおき設置していた愛知万博では、この機器により、3人の命が救われている。心臓が停止してからそのまま何の処置もしないと、3分で救命率は50%まで下がってしまう。そして、6分過ぎるとほぼ0%。呼吸停止からは10分で救命率50%、20分を過ぎると0%になってしまうという。救急車の到着までにかかる時間は平均約6分だから、その場に居合わせた人が、このAEDにより、心肺蘇生法を行えれば、命が救われることが充分に可能になってくるのだ。この機器、使い方は、難しくなく、メッセージに従って、ただ、動かせばいい。以下、救急法のホームページより。 * * * * * 私が講座で使用したAEDは25センチ×20センチくらいの薄いオレンジ色の箱。フタを開けると、自動的に電源が入ります。中には、コードにつながった、湿布薬みたいなシール状の電極シールが2枚、袋入りの状態で入っています。本体には電気ショックを与えるための放電ボタンが1つあるだけ。見るからに複雑な操作はいらなさそうなかんじ。では、操作の具体的な手順は……1.AEDのフタを開ける(自動的に電源が入る)。音声案内「電極を患者にセットしてください」2.電極シールを右鎖骨の下と左わき下5センチほどのところに貼る。音声案内「患者に触れないでください。心電図の解析中です」>>>電気ショックが必要な場合3.音声案内「除細動適用です。充電中です」(自動的に充電)4.音声案内「放電します。患者から離れて点滅ボタンを押してください」5.患者から離れて、AED本体にある放電ボタンを押す。→このあと、2の音声案内を繰り返し、再び除細動が必要かどうか、心電図を自動解析。>>>電気ショックが必要ない場合音声案内「脈拍をチェックしてください。脈拍がないときはCPR(人工呼吸と心臓マッサージ)を行ってください」というかんじ。どうです? 簡単でしょう?気を付けなければならないのは、●ペースメーカーを埋め込んである患者の場合は、ペースメーカーから3センチ以上離したところに電極シールを貼ること●8歳以下、体重25キロ未満の子どもには使えないので注意すること(アメリカではOKらしいけど、日本では法的に承認されていないので)●患者がしている金属のアクセサリーは必ずはずすこと●電極シールを水で濡らさないこと(雨の場合は、濡れていない場所で行う)●心電図解析中と電気ショックを与えるときは、絶対、誰も患者に触れてはいけないこと心臓の働き言うまでもなく心臓は絶えず血液を全身に送り生命を維持するための重要な臓器です。心臓の停止はすなわち死を意味します。人間の心臓が停止して5分以上経過すると脳の細胞が破壊され救命率は極端に低下します。心臓の停止から五分以内に処置をすることが非常に重要です。人が倒れ「呼吸が無い、咳、体を動かさない」などが認められたら、気道確保、人工呼吸、心臓マッサージ、AEDがあれば使用となります。AEDの使用はためらうことはありません。胸部に端子を張ればAED自体が指示を出してくれます。もし、心臓が動いていれば何もするなと、指示してくれます。すぐにAEDを使いましょう。最後にAEDは現在、救命救急の常識です。しかし、一般の人の認識はまだまだ不足しています。 大きな空港、密集地には日本でもかなりの数のAEDが設置されています。AEDとは何か、使用適応は、何時か、常識として覚えてください。 溺れた子供、突然の心臓発作の人が救えます。愛知万博にはAEDが数十台設置されていて、実際に、使用され3人の命が救われたことはあまり知られていません。
2006年05月25日
コメント(10)
リビングルームの天井のライトが、つかなくなり、はずして原因を確かめていたら、電源のところが具合がわるく、直しているうちに、ビリっとした電流を、全身に感じてしまった。まさしく、電流をあびたような経験をしてしまったのだ。心臓に近い左手でやらなくて、よかったと思った。へたな流れかたをしたら、ショック死するところだった。こういうときは、絶縁のゴム手袋をして作業しなければいけない。魅力的な詩や絵を残した、山田かまちという17歳で、亡くなった少年がいるが、確か、エレキギターの練習中に感電死してしまったと記憶している。電気は、気をつけなければいけない。そういえば、いままで、死にそうになった何回かあったが、ふいに、そのことを思い出した。子供の頃、遊んでいて、走り回っているうちに、路上に飛び出し、車にひかれそうになった。危険を感じたので、魂が口からでるほどの勢いで走り逃げた。カンマ何秒かの違いで、命が、助かった。しかし、そのあまりの恐ろしさに、そのまま、家に帰り、そのあとも部屋でぶるぶると震えていたことがあった。大学の頃、山で気を失ったことがある。そのあいだの記憶が完全になくなっていた。気がついたときは、病院に運ばれていた。もう少し、遅かったら、死んでいたかもしれない。山で、雷にあったことがあるが、このときも、生きたここちがしなかった。岩をやっていると、カラビアなどの金属をもっているので、それが振るえだす。雷が斜めに走るような気がした。その雷から、狙い撃ちをされているようなものなのだ。友人は、岩をひとりで登っていて、落下したことがある。そして、幾ばくかの時、下で、うずくまったまま、気を失っていた。、幸運にも正気に戻り、奇跡的に帰ったことがあるが、その日の晩、親から電話がかかってきて、おまえが死んだ夢を観たと言われたという。私は、いまのところ、こういう経験はない。そういえば、海でも、死にそうになったことがある。素潜りで、深く潜水していたときのことだ。このときは、気を失っても、肉体は、必死に生きようと勝手に動くものだと思った。頭での思考よりも、身体は別に生きようとするものだった。心臓は、最後までビートを刻む。身体の反応を信じなければいけない。ほかにバイトで、建築現場で下敷きになってしまったこともあった。あのときは、人間のはかなさというものを、強烈に、意識した。結局、天井のライトは、直すことじゃできず、部屋は、間接照明だらけの静かな部屋になってしまっている。落ち着いている。また、これもいい。しばらくぶりに、いままでの人生の、いろいろなことを思い出してしまった。
2006年05月24日
コメント(14)
・・・というわけで、「和風きのこパスタ」のソースで、芋煮込みの汁のような、ノッペ汁のようなスープを作ったわけだ。けっこう、これが、うまい。ミリンや醤油ダシなどを加えながら、味を調えた。しかし、ベースは、スーパーや、百円ショップなどで、売っている日清製粉のママーというレトルトパックのものを使用したものだ。どうして、この微妙な味を作ったのだと言われるくらい、パスタソースであることは、気づかれない。野菜やキノコの具などもたっぷり入っている。簡単なノッペ汁は、こうすればできるのだ。ほかに、応用はないかと考えた。たとえば、この汁を蕎麦の上にかけてもいい。山菜を多くいれれば、山菜蕎麦になる。よく山岳地域の蕎麦屋で、でるような山菜とキノコの田舎風蕎麦ができあがる。ほかにも、このノッペ汁のようなものに、片栗粉を加えて、半煉りじょうに仕上げる。そして、それを揚げ豆腐のうえにかけてもいい。揚げた魚のうえもいいだろう。とても、パスタソースを使ったとは思えなくなる。ほかにも、このレトルトのパスタソースでのバリエーションを考えてみた。ホワイトクリームのパスタソースがある。これは、魚やチキンなどフライにして、そのうえにソースとしてかけてもいいかもしれない。また、マカロニに混ぜてマカロニグラタン、ライスのうえにかけて、ラザリアはできないだろうか。ちょっと焦がしを入れれば、すごく、うまいものができそうな気がする。トマトのパスタソースは、プレーンオムレツなどの、ソースに使えるかもしれない。ミートソースやトマトソースのものは、ライスと千切りにした玉ネギなどの野菜と混ぜあわせれば、ケチャップライスやチャーハンが可能になりそうな気がする。おもしろくなってきたぞ。パスタソースをパスタには使わない。パスタソースの冒険が、はじまっていくようだ。
2006年05月23日
コメント(16)
きょう、発明した料理。八百屋の店頭で、シメジ、エノキ、エリンギなどの、キノコ類が大量に安く、売っていたので、それらを入れたパスタでも作ろうかと思った。キノコは、いろいろな種類を一度に食べると、コクがでてうまい。しかし、急に考えが変った。キノコ類は、全部、使うのだが、それに大根、長ネギ、ニンジン、コンニャクなどを、細かく刻み、煮込む、それに、「和風きのこのパスタソース」を、ただ加えた。そして、それを汁物にした。これが、すごくうまい。何も、パスタソースだからと言って、パスタに絡めなければいけないわけではない。薄めて飲んだスープの元のほうがいいかもしれない、と思った。実のたっぷり入った、イモ煮込みの汁のような、うまみのある汁物ができあがった。これなら、簡単にイモ煮込み汁ができる。このまえ、タイの切り落としの残りが安く売っていたので、それで汁を作り、さらにその汁とほぐしたタイの、ご飯を炊いたら、すごく、うまい炊き込みご飯ができた。料理というのは、化学の実験のようで、おもしろい。それも、こうなったら、どうなるかというアイデアの勝負のところがおもしろい。そういえば、いくつものハーブや紅茶を混ぜて、飲み物を作ったら、これは、失敗作になってしまった。なんだか、変な薬のようになってしまったのだ。アンパンも、日本にパンが入ってきたときに、パンにアンコをいれたら、どうなるだろうと思って、誰かが、試したのだろう。明太子スパゲッティだって、誰かが、意外とおいしいかもと、考えて、市民権を得たものだろう。熟れたアボガドを買ってきて、これにわさび醤油をかけて食べると、まるで、極上トロと同じ味がする。これも、誰かが、試してみたら、トロと同じだということになったのだろう。最近では、回転寿司屋のメニューにもなっている。まあ、料理は、ルールは、あるようで、ないものだから、既成のものを壊していくところに、おもしろみがあると思うのだが。
2006年05月22日
コメント(14)
昔、ある冒険家がジャングルで三人の原住民を雇い、急いで目的地に向かった。冒険家はいち早く目的地に着きたかったので、原住民を、三日三晩、休まさずジャングルを進ませた。しかし、あるところで原住民たちは座り込み、頑として動こうとしなくなったのだ。目的地に少しでも早く着きたいし、だけど原住民がいないとどこへ、行っていいのかわからないので、冒険家は苛立ちはじめた。なぜ、直ちに起きて道を急がないのかとせかした。そうすると、原住民たちはこう答えという。「私たちは、今私たちの魂がこの体に追いついてくるのを待っているのです。私たちがあまりにも急ぎすぎたので、今、私たちの体と魂は分離してしまっているのです。魂が戻ってくるまでは絶対に動けないのです。」職場が変ったり、新しい仕事について、5月病になる人も、そろそろでるかもしれない。身体と魂が、離れたかなあと思ったときは、近くに咲いた足元の花を見ながら、魂が戻ってくるのを、待つのもいいかもしれない。
2006年05月21日
コメント(8)
きょうの鎌倉の海は、荒れて、サーフィンを楽しむ人たちには、ちょうどいい高い波がおきていた。自然の近くに、住むと、自然の動きに、必要以上に敏感になる。これほどの波がきていることは、都会に住んでいるとわからない。鎌倉の稲村ガ崎は、新田義貞が鎌倉に攻め入る時に、海に宝剣を投げ入れると潮が引き、軍勢を一気に鎌倉方へ進めることができたという伝説の土地である。これは、新田義貞が、地元の漁師から、引き潮の時間を聞いて、弱気な兵士たちを鼓舞するために、図った策とも、言われている。新田の兵士たちは、もともと山に住んでいたので、潮の満ちひきを知らないので、海が引いていくのを見て、さぞ、驚いたに違いない。古代、卑弥呼は、殺されたと、松本清張や井沢元彦は、本の中で書いている。それは、たぶん、真実だと私も思っている。「不徳のいたすところ。」という言葉がある。「人間にとって、もっとも大切なのは徳であり、徳が充分であれば、すべてがうまくいく。」という考えだ。この考えは5千年以上もまえからある。「災異思想。」これは、「人間の行為の善悪に応じて、自然が災害や変異をもたらすという中国の思想。中国では、古くから自然と人間、すなわち天と人とのあいだには、内面的な結びつきがあるとする思想があったが、これが進んで、人間の行為が自然現象に影響を与えるという、いわゆる天人相関の思想を生むにいたった。」(世界大百科事典)「天人相関説」中国の思想で、天と人との間、すなわち、自然現象との人事の間に、因果関係の存在を主張する。さらに具体的にいえば、君主の政治の善悪が自然界の吉祥や災異を招くとする説である。」(世界大百科事典)つまり、卑弥呼の行いは、自然界を含めた、すべてのことに影響を与えるというのだ。卑弥呼が死んだ年に、紀元248年9月5日。日本では、日食がおこったのだ。邪馬台国は、狗奴国との戦争に敗れる。そして、日食もおきる。古代人は、天災も、飢饉も、疫病もすべて王者の責任となる。祭祀者としての、霊力の衰えが、敗戦を招いたのだ。霊力を失った卑弥呼は、人々によって、殺される。鎌倉のスターバックスで、そんな本を読んでいて、帰ろうとすると、急に、大雨が降り出してきた。いままで、晴れていたのに・・。しかたなく、ずぶ濡れになりながら、自転車をこいで家に帰った。これも、きっと、日頃の私の行いがいけないからに違いない。
2006年05月20日
コメント(16)
きょうは、新人の歓迎会だった。横浜のホテルが会場だった。料理を自分で、するようになると、料理の味付けや、塩梅なども、気になるようになる。この肉は、どのような焼き方をしているのか。このソースには、何が含まれているか。舌の、全感覚を総動員するようになる。これは、どの世界でも同じで、自分で関わったか、どうかで、見方がぜんぜん違ってくるのだ。たとえば、油絵を描いたことのある人が、油絵を鑑賞すると、スフマートのような、細かな絵画テクニックなども、絵の鑑賞から、読み取ったり、配色のバランスや、キャンバスの下塗りに、どの色を使っているかなども、気になるようになってくる。これは、音楽もギターなどの楽器をかじったことによって同じことがある。あそこはハンマリングか、など、感動の幅が大きくなる。すごいな、あの指の動かし方などというように・・。スポーツも、自分が体験したことがあると、見方が変化するうえ、勝負の楽しみ方も、倍増してくる。たとえば、サッカーを見ていても、なるほど、ここで相手の選手にトラップを仕掛けながら、両サイドから、パスを通すのか、バックラインをあげてきたな、など、ただ、選手が走りまわっているだけはなく、インテリジェンスのある作戦が、背後にあって動いていることがわかってくるのだ。そんなこともあり、世の中の森羅万象、すべてのことを、一度は経験してみたくなってしまい、つい、節操もなく、いろいろと頭を突っ込んでいることが多い。話を、もとに戻すと、硬い肉を柔らかくするコツは、圧力鍋があれば、それを使うのだが、ステーキなら、調理前に、少量の酢を混ぜたオリーブオイルかサラダオイルを擦りこんでおき、そのまま、2~3時間そのままにしておく。ソテーなどは、ビールに1時間ほど、ひたしておく。肉を焼きながら、ビールをふりかけても、効果がある。きょうの料理の肉は、とても、うまく焼けていた。どうせ、肉を食べるなら、柔らかくて、おいしいほうがいい。どうせ、絵を観るなら、どうせ、音楽を聴くなら、どうせ、映画を観るなら、どうせ、小説を読むなら、どうせ、スポーツをするなら、どうせ、・・・・・。ああ・・・・きりがない。
2006年05月19日
コメント(10)
最近、簡単にできて、うまい食事を作るのに、はまっている。たとえば、炊いた、ご飯のシーチキンの缶詰をオイルごとかけて混ぜる、そこに、マヨネーズと醤油を、少々、垂らして、食べるだけでも、けっこう、おいしい。ご飯のうえに、シーチキンの缶詰を混ぜたあとには、手でもみほぐした板海苔、5センチ長に切った水菜を全体に混ぜ、そこに、半熟の目玉焼きを中央にのせて、だし醤油をたらして、卵を崩しながら食べる方法もある。これも、けっこう、うまい。炊飯器で、ご飯を炊くときに、だし醤油とみりん、ほんだしを入れ、そこに干し海老や、肉など、さまざまな残った食材を入れて、ご飯を炊くと、それだけで、簡単な混ぜご飯ができる。ほんだしをたっぷり入れるのコツで、それだけで、けっこう、おいしくなってしまう。これは、おいしい混ぜご飯を作るのにも、手間がほとんどかからない。ほかにも、レトルトのカレーを、ただ、温めて食べるのではなく。ナス、玉ねぎ、ピーマンなど、冷蔵庫に残った野菜を炒める。そこに、このレトルトカレーを袋から出して、いっしょにからめて、火を通す。たった、これだけのことを加えるだけで、すぐに、ホテルなみの極上のカレーが作れる。カレーの煮込む時間が、まったくかからない。パスタは、さらに、いろいろとできるが・・・・。こうして、書き出していくと、止まらなくなってしまう。
2006年05月18日
コメント(12)
講師をやる機会が多くなってきているので、講師のためのスキル講習会に参加してみた。はやりの、パワーポイントの操作というのも、憶えてきた。べつに難しいものではなく、ワードやエクセルを作成できれば、それなりのものが、なんとなくできてしまう。画面の中で、自動車や、人間を動かしたりすることもできるが、ここでのポイントは、「出し惜しみ」というテクニックにあるようだ。つまり、話をしながら、色の反転した言葉が、ゆっくりひとつずつ現れたり、要旨の言葉が書かれた積み木を、ひとつずつ落ちてくるようにしたり、はたまた、棒線グラフを作ったら、それを、一度には、出さないで、話をしながら、月ごとの棒を示していき、プレゼンの自分の言葉と一致させていき、メッセージ性を高める。そんなところが、テクニックのようだった。色も、黒は事務的になるので、青や赤など、工夫をこらすことが、必要なのだそうだ。画面上の行も、多くても七行あたりにしぼり、もっと、多くなるときは、次の画面にもっていくといい。画面展開も、映画でいうところの、フェイドイン、フェイドアウト、横すべり、など、多彩な機能が備わっていて、こういう機能が備わっていると、細かなところに、凝り出すものがいるに違いない。話かたも講義を受けたが、ボディランゲージのテクニックは必要だと思った。胸元あたりで、手を動かしながら、話をしたほうが表現が豊かになる。また、声の抑揚も、時に、ささやくように、時に大声でと、これは演劇論にも、通じるテクニックの手法だなあと思った。そして、間のとりかた。たとえば、「では、何か御質問は?」と問いかけたら、10秒待つそうだ。10秒とは、意外に長い。この充分な長さは、躊躇している人に判断を与える時間だそうだ。そして、迷っている人がいたら、「どうですか?」と指してあげることも、ときに必要になことのようだ。アイコンタクトも、必ずおこない、20人ぐらいなら、ひとりずつ、大きな会場で、500人、千人ぐらいになると、ブロックごとに、アイコンタクトを行うようにすると良いらしい。まだまだ、いろいろなスキルを教わったが、私が、自然に講義の中に導入されているには、もう少し時間がかかりそうだ。
2006年05月17日
コメント(6)
男だけのグループを狭い部屋に詰め込んで、討議させると、互いに攻撃的となって、モノの見方も激しくなっていく。逆に、広い部屋だと、男ばかりでの討論は、やりとりが冷静になって、有益だったという、実験結果があるらしい。女性ばかりのグループを、狭い部屋に詰め込んで、討論すると、終始なごやかにすすみ、盛り上がっていくのだが、広い部屋に移ると、相手を身構えようになり、相手に厳しい見方をしたり、だんだん雰囲気が険悪になっていった、という実験結果があるそうだ。ミーテイングのときは、男性が多いか、女性が多いかで、部屋の大きさを気にしたほうがいいということかもしれない。また、このとき、部屋の色も重要で、赤が配置されていると、時間が早くたつように、感じるらしい。そのためにファーストフードの店は、椅子や壁の絵などに、赤系統の色がよく使われているそうだ。色というのも、人間の感覚に影響を与えるものだから、熱い議論には赤、静めたいときは青系統、落ち着いて感じは茶系統など、ミーテイング会場の色というのも、話の内容にあわせて、重要なのではないだろうか。そして、ミーテイングの短くするコツには、発言のタイミングというのも大事になる。これは、アメリカの心理学者ステインザーの説なのだが、ある意見がでたときには、次には、その意見に賛成する人より、反対する人のほうが多くなる傾向があるそうだ。これを考慮すると、反対意見が出るまえに、賛成意見を増やすという戦略も必要になってくる。サクラの仲間に賛成意見をつづけて出してもらい、会議の流れをつくり、反対の意見を出しにくくするという手法もうまれることになる。意見というのは、多数になってくると、くつがえすのが困難になってくる。内容が、どうでも、いいようなことだと、たいていは妥協してしまう。どうして、こういうことばかり書いてしまうかというと、時間の無駄なミーテイングというのが、けっこうある。たいていは、日本人のミーテイングは、話し合いというよりは、お互いのコンセンサスを得るためにミーテイングをしていることも多いのだが、声の大きな人によって、妙な方向に流れていくことも多い。そのときは、こんなことを考えていたり、メモ用紙に、内容を書いているふりをしながら、まったく、関係ない、絵や図を描いて、私は、ひとり遊びしていることが多い。
2006年05月16日
コメント(16)
少年の日読んだ「家なき子」の物語の結びは、こういう言葉で終わっている。― 前へ。僕は、この言葉が好きだ。物語が終わっても、僕らの人生は終わらない。僕らの人生の不幸は終わりがない。希望を失わず、つねに前へ進んでいく、物語のなかの少年ルミよ。僕はあの健気なルミが好きだ。辛いこと、厭なこと、悲しいことに、出会うたび、僕は弱い自分を励ます。― 前へ。 『― 前へ。』 大木 実きょう、読んで、気にいった詩です。
2006年05月15日
コメント(10)
SF映画で未来社会を描くとき、ときに、それは哲学になる。いったい、我々の存在とは、何か。存在する意味とは、何なのか、を問いかけてくる。「2001年宇宙の旅」「未来惑星ソラリス」そして、映画ファンが、必ず、古典のように見る映画のひとつに、「ブレードランナー」がある。この映画を観たとき、はじめのシーン。未来社会の映像に、まず、度肝をぬかれる。そこは、未来のロサンゼルス。数百階の超高層ビル群が林立して、酸性雨が、降りそそぎ、止むことはない。ビルの壁には、コーマシャル映像が写しだされるが、その映像は、日本の「強力わかもと」の芸者ガールだ。ストーリーは、簡潔にいえば、その街で、人間のレプリカのロボットと、それを破壊しにくる捜査官の追跡劇だ。しかし、・・・。 * * * * *『21世紀の始め、タイレル社はロボットの進化段階をネクサス・フェーズ(実質上、人間に等しい存在)に進めた。それはレプリカントとして知られる。ネクサス6型レプリカントは、彼らを創造した遺伝子技術者に対して、体力や機敏性においては勝り、さらに知能においては少なくとも同等であった。レプリカントは、危険な宇宙探査や、他の惑星の植民地化など、宇宙での奴隷労働に使われた。ネクサス6型の戦闘チームが宇宙植民地で流血を伴う反乱を起こした後、レプリカントは地球上では非合法な存在と宣言された -- その罰は死刑である。特別捜査班(ブレードランナー・ユニット)は、侵入してくる全てのレプリカントを捜索の上、撃ち殺すように命令された。それは処刑とは呼ばれなかった。それは廃棄と呼ばれた。~ロサンジェルス2019年11月』(映画の冒頭より) * * * * *レプリカントたちは、わずか4年しか寿命がない。彼らは、自分たちは、ほんとうに人間ではないのかと、自問する。同じような身体で、同じように考えて生きているのに、自分たちは、ロボットだったのか。彼らは、自問しながら、危険を冒して自分が製造された工場への侵入を試みていく。自らの製造年月日が分かれば4年後が、いつなのか分かるためだ。そして、死亡予定日を知ることで生き方も、選べるからだ。短い命を、懸命に生きようとするレプリカントに対し、約80年も寿命がありながら、日々を無為に消耗していく人類たち。このレプリカントの悲しみが、映画を見終ったあとも、いつまでも、心に残る。そして、ときどき思い出す。私は、ほんとうに、人間なのか。それとも、レプリカントなのか。
2006年05月14日
コメント(14)
図書館にある分厚い書物の中でもなく、名だたる哲学者の言葉でもなく、ふと、読んだ壁の落書きの言葉を思い出すことがある。かつて、東京の澁谷の交差点に書かれた落書きで、こんな言葉があった。「ここが、ロゴスだ。ここで、跳べ。」急なカーブが現れるあたりに、書かれていた。バイクで走りさるとき、アクセルを思い切り、吹かしたくなるような言葉だった。タイに楽宮旅社という、有名なバックパッカーの溜まる安宿があった。ここの壁に書かれていた落書きの言葉。「豊かな青春、悲惨な老後。」誰もが、アジアの迷宮に入りこんだとき、この宿から、長い旅がはじまり、この短い言葉に、煩悶していくのだ。アンカレッジの公衆トイレには、こういう言葉が書かれていた。「人間は、もう一度、生まれ直してこなければ、神の意味がわからない。人間とは、そういう存在である。」アンカレッジ経由で旅をして、中途で停留するたびに、この言葉に出会う。そして、この言葉をみつめていく。(参考)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より、ロゴスとは、古典ギリシア語logosで、「言葉、論理、真理」の意。転じて、哲学では今日、論理的に語られたもの、語りうるものという意味で用いられることもある。主として哲学で用いられる用語。またキリスト教では神のことば、世界を構成する論理としてのイエス・キリストを意味する。
2006年05月13日
コメント(8)
食べ物ほど、国を現すものはないのではないかと思う。ステーキに代表されるアメリカの食べ物には、迫力とボリュームはあるが、味にインテリジェンスは感じない。フランスでは、どこの店に入っても、あまり、はずれの店はないと思う。路地にある、小さな店で、卵料理を食べても、べらぼうにうまいことがある。繊細さも持っている。フランス料理がうまいのは、フランス革命後、宮廷の料理人たちが、町に放出され、いたるところで料理店をはじめるようになったからだという話がある。同じヨーロッパでも、海をはさんだイギリスでは、あまりうまい店がなく、しかたなく、フィッシュ&チップを食べることになったりする。もしくは、パブで食べるパブ飯ということになる。イギリス人は、家庭での食生活も貧弱なものだ。イギリス人は、ピューリタンの禁欲的な価値観が、広まっていて、贅沢な食事はいけないという考えが強いからだろうか。子供に贅沢な食事をさせるのが、甘やかすことになるとも、考えているのか。イギリスは、階級が厳然とあり、同じ階級が代々続くので、労働者階級の子孫も代々、同じ食生活が続いていくということになってしまうように思う。日本料理が繊細なのは、やはり、季節が存在していたからではないか。スープというのは、どこの国でも、肉や卵でスープを作っていくが、日本のお吸い物というのは、そこに季節の具を盛り込む。旬の魚や貝類、山菜を入れる。はまぐり、しじみ、菜の花、旬の野草、キノコなどなど。竹の子ご飯が、大好きなのだが、その旬も終わりの季節になってきた。春さきになると、竹の子が食べたくなって、うずうずしてくるのだ。竹の子が、八百屋の店先から消えていっている。寂しい。これからは、夏野菜の季節だろうか。料理のうまい、パートナーと結婚すると、離婚しないというが、けっこう、真実をついているかもしれない。
2006年05月12日
コメント(6)
きのう、講義をした会場の建物に、自動販売機があって、ここで飲み物を買ったら、驚いてしまった。自動販売機で、朝、コーヒーを買うと、「おはようございます。」と言うのだ。そして、昼頃、同じ自動販売機で、同じように飲み物を買うと、「お疲れさまでした。午後も、がんばりましょう。」と喋る。3時ごろには、ただ、「ありがとうございました。」と囁くのだ。「え、ああ~、おはようございます。」「そうですね。午後も元気でいきましょう。」「そんな、ご丁寧に、お気遣いなく。」など、つい、答えたくなってくる。買うたびに、自動販売機の言う言葉が違うのだ。それも、時間帯がわかっているように話しかけてくる。なんだ、この自動販売機は、中に人が入っているのか。それも、きれいな声の女性ではないか。なんだか、もっと、話がしたくなる。機械の、うしろを確かめたくなってしまった。職場の小さな子供のいる女性は、お子さんに携帯を持たせて、常にメールでやりとりしていた。その、やりとりを見ていると、子供のほうも、まるで、近くに母親がいるかのようなのだ。新しいタイプの親子関係を見ているようだった。最近、大学も、休講のお知らせを携帯メールで確認することもできるようだ。また、授業の出欠席も、その場で、携帯でメールを送り確認するというのもあるらしい。そうして、学生が、代返が、できない仕組みになっているのだ。仕事も、メールでのやりとりが多くなっている。これからは、人間同士の距離というもの、コミュニケーションというものの変化が間違いなくおきていく気配だ。テクノロジーの進歩は、人間同士、そして、人間と機械の関係を変化させていく。自動販売機は、子供の携帯電話に反応して、今、どこにいるか家族に報告したり、隠しカメラが装置され、街角の防犯の道具にもなっているものもあるようだ。ロボットが、身近になってくるとき、もしかしたら、最初は、この缶コーヒーの自動販売機からではないのかと、ふと、思ってしまった。かわいい女性の売り子のようなロボットが微笑んでくれて、やさしい言葉とともに、煎れたてのコーヒーが飲める時代が、もうそこまできている。
2006年05月11日
コメント(12)
きょうは、ある新人の集まる研修会の講師で、半日、話をした。年に数回、講師として話をしなければならない。しかし、半日というのは、けっこう、長い。最近は、パソコンのパワーポイントというものがあって、図や表、文章などを、大きな画面に映し出して、説明することが、可能になった。そういう便利なものがあるのに、私の場合、まだ、ホワイトボードに、字を書きなぐるようにして、話をしている。私は、だいたい、席にたって、じっと、していない。そして、動きまわる。髪ふりみだし、オーバーアクションで、ロックンローラーもしくは、インチキ宗教家のように、大声をあげながら、講義を進めているように思う。そのうえ、聴いている人のひとりひとりを睨みつけていく。どうも、静かな講義というのはできないタイプのようだ。まあ、私の場合、毎日、講義をするのが仕事ではないため、こんな無駄に、エネルギッシュなやり方の講義が、可能なのかもしれない。前にたって話す機会がある人は、わかると思うが、どんなに大きな会場でも、だいたい、どこで誰が、眠っているかというのがわかるものなのだ。午後、昼食後などに講義をすると、ぱらぱらと、こういう人がいるときがある。視界にこの人たちが、入ってくるとムカつくのだ。これは、明らかに、自分の講義力、説明力のなさを棚にあげてはいる。話の内容が、もともと硬く難しい話なのだ。だから、ふとした拍子にうたた寝したくなるのは、当然なのだ。しかし、・・・。こういうときは、アトランダムに指名をして、誰かに、何かを、答えさせるということも可能だ。しかし、その手法では、こちらが負けたような気になってしまうのだ。私としては、どこかで、笑いをとって、興味をひっぱるか、動き回りながら、大声をあげる方法で、講義内容をひっぱっていきたいのだ。ジョンレノンと、ナチスの宣伝相ゲッペルスの声は近似しているそうだ。その声を聴いているだけで、生理的な快感を呼び覚ます声なのだそうだ。確かに、すぐれたミュージシャンたちは、歌詞をさておき、その歌声だけで、気持ちがいいということはある。そういう声紋をもつように訓練すべきなのかと思った。そうすれば、聞き惚れるかもしれない。でも、そういう声で講義をしたら、よけいに眠る人間が増えてしまうかもしれない。
2006年05月10日
コメント(22)
「もう、連休は終わったんだよ。いいかげんに、しゃんとしろよ。」「おおきな、お世話だ。これが、俺の生き方なんだよ。」
2006年05月09日
コメント(18)
村上龍の「カンブリア宮殿」という番組を観ていた。経済の第一線で活躍する人たちを、紹介する番組で、村上龍の視点とコメントは、いつもながらに、いい。今回のゲストは、「ミクシィ」社長の笠原健治氏と、「はてな」社長の近藤淳也氏が出ていた。以下は、この番組のホームページからの抜粋。「今、インターネットの中で大きな異変が起きている。例えば、日本のSNS(ソーシャルネットワーキングサービス。知人の紹介による会員制ネットコミュニティ)の最大手・ミクシィの爆発的な膨張。4年前、たった2人で始めた小さなコミュニティが、今や350万人に。年内にも1000万人を超えると言われている。既に1日のページ閲覧数は楽天を抜いた。」「これまで匿名性が特徴だったネット世界。しかし「ミクシィ」のようなSNS会員の多くが実名。バーチャルからリアルな社会になりつつあるのだ。」「一方、人力検索の「はてな」は、知りたいことを文章で質問すると、ネット上のユーザーが回答を寄せてくれるシステム。ヤフーやグーグルのように機械的な検索を行うのではない。ネット社会の情報量は膨大になり過ぎ、もはや整理しきれないために“ネット内の人間の力”が必要になったのだ。その利用者は毎月のべ800万人にものぼる。」 「彼らの共通項は、「ネット内部の、リアルな人間が主役」ということ。曰く「ネットを信頼しないと、今後ネットでは何も出来ない」という。 孫、三木谷に続く次世代のネットベンチャーの実力とは?彼らが描くインターネット社会の未来とは?」この番組の中の質問で、『自分は、ブログで知りあった人と結婚するが、見合いで結婚した両親は、このことに反対している。どう、思うか。』というのがあった。番組の中で、「はてな」社長の近藤淳也氏が、この質問に答えて、ブログで知りあった相手と結婚することは、大賛成だと、言っていた。なぜなら、自分の会社で社員を採用するとき、本人がブログをやっていれば、必ず、閲覧する。何年もかけた書いたブログを読むほうが、その場かぎりの履歴書よりも、本人のことがよくわかるのだ、と言うのだ。リアルな人間関係とは、いったい、何かと思っていた。そして、一生のうちに知り合える人間の数についても、考えていた。これから、ネットで知り合って、結婚までいく人の数は、確実に、増えていくだろう。何かに悩み、質問する、それについて、誰かが、どこかで答えてくれる。ひとりぼっちの人間はいない。ネットは、間違いなく人間関係を変えていくと思う。今は、そういう新しい時代の、はじまりなのではないだろうか。
2006年05月08日
コメント(8)
ブラキストン・ラインというのがある。イギリスの動物学者T・W・ブラキストンが提唱した、動物の北限境界のことで、北海道と本州のあいだ、津軽海峡を横断する形で引かれたラインのことだ。このラインによって、北海道と本州は、植物や動物の種類が違うという。つまり、インの南側の本州には、ツキノワグマ・ニホンジカ・ニホンザルなどが生息している。それより北側の北海道にはヒグマ、エゾジカ、エゾシマリスが、生息しているという。北海道と本州は、海で分断されていたこともあるが、それぞれ少しずつ違った進化をしているそうだ。こんなところから、北海道に渡ると、風景が違って見えるのではないだろうか。ちなみに、このブラキストン・ラインは、ゴキブリの北限でもあったが、温暖化で、北海道でも最近はゴキブリがみられるようになったそうだ。このブラキストン・ライン。ほかにも、いろいろあるのではないかと思うときがある。とくに、関東圏と関西圏では、線引きがどこかと思うことがいくつかある。たとえば、関東ではマクドナルドをマックというが、関西ではマクドと言う。このときの、ブラキストン・ラインは、名古屋なのだろうか?家を借りるときの、敷金、礼金の考え方も関東圏と関西圏では違う。テレビで放送していて、おもしろかったのは、ハリセンで、いきなり、後ろから叩いたら、関東の人は、怪訝そうな顔をするか、不愉快な顔をするのだが、関西では、ボケたり、ずっこけたりする人がいるのだ。あの笑いの文化は、吉本を生む土壌があると歓心してしまった。あのブラキストン・ラインは、どのあたりなのだろうか。そういえば、おもしろいなあと思ったことに観光バスの数字がある。関西圏では、何台も連ねて走るとき、号車番号の大きい数字から、先頭で走るのだ。つまり、5号車、4号車、3号車、2号車、1号車の順番に走っていく。はじめは、不思議に思ったが、これが生まれた背景は、狭い道などで、道を譲ってもらうとき、対向車が、あと、後ろに何台あるか、すぐにわかるためだそうだ。さすが、関西人だと思ってしまった。しかし、これは合理的な発想からのようなのだが、全国的には受け入れられなかったようだ。
2006年05月07日
コメント(10)
・・・ということで、今日も、折りたたみ自転車で、東京散歩をした。はじめは、東京湾沿いに走り、レインボーブリッジを渡り、お台場へ行こうと思った。横浜のベイブリッジは、下を歩けるが、料金がかかり、さらに横断できず、途中で戻ってくることになる。しかし、レインボーブリッジの遊歩道は、無料なうえ、向う岸まで、歩いて渡ることができるはずなのだ。そのレインボーブリッジ。横断でき、通行可能の遊歩道にはなっていたが、自転車だけは乗り入れが禁止されていた。残念だったが、しかたがないので、レインボーブリッジを中途で、戻ると、自転車で、浜離宮から、築地の中央市場へむかった。築地につくと、中央市場は、すごい人であふれていた。とくに市場内の寿司屋には、長い行列ができていた。比較的すいていた洋食の市場食堂で、トンカツを食べたあと、佃島へ向うことにした。むかし、ここを訪れたとき、時間が止まってしまったような錯覚を覚えた。昭和初期の路地が、そのまま、残っていたからだ。しかし、いまでは高層マンションの立ち並ぶ町へと、急速な変貌をとげていた。まるで、中国、上海の町の変貌と同じだった。月島は、もんじゃ焼きの店が、少し増えたように思った。それも、どの店も小綺麗になってしまっている。子供の頃、私は、東京の下町で育ったので、このもんじゃ焼きは、ひどく懐かしい食べ物だ。関東、それも、東京の下町以外では、もんじゃ焼きという食べ物が、馴染みがないかもしれない。お好み焼きを、さらに薄くしたような食べ物で、味噌汁の椀に、ごくごく薄く溶かした小麦粉に、キャベツなどの具が入っているもので、専用の小さなコテで、焼きながら食べるのだ。かつての、もんじゃ屋は、古ぼけた木造家屋、それも近所のオバちゃんの部屋にあがって食べるような食べ物だった。下町の子供たちは、野球や、ベーゴマ、メンコ、銀玉鉄砲、2B、爆竹などで遊んだあと、みんなで、駄菓子屋や、このもんじゃ焼き屋へとくりだすのだ。そこで、隣りの小学校の連中との喧嘩に勝つための戦略などを話したり、次のおもしろい遊びを考えだすのだ。誰もが、遊ぶことしか考えていなかった。なんて至福の時間だったのだ。以下は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による、もんじゃ焼きの歴史「明治時代には記述があったと伝えられるが、起源は不明である。1819年刊『北斎漫画』に、「文字焼き屋」の挿絵があり、この時代既に江戸にもんじゃ焼きに類するものがあったことが分かっている。 東京では、東京都台東区浅草近辺が発祥地という説が根強いが、群馬県側では、発祥地は群馬であり、特産品のうどんを作った際の余りのうどん粉を水で溶いて焼いたのが起源だと主張している。」「東京界隈では、下町地区にもんじゃ焼きを供する店舗がいくつも存在し、上記のように発祥地の一つの説にもなっている浅草界隈や中央区の月島界隈に特に顕著であり、特に月島は「もんじゃ焼きの街」として地域の名物として人々に認知され、もんじゃ焼きの振興会も存在する。ただ、もんじゃ焼きの店舗でも、もんじゃ焼きのみを供するのではなく、多くは兄弟分の食べ物でもあるお好み焼きも供している店が一般的である(ただし、焼きそば関連がないので、広島風お好み焼きやモダン焼きはメニューに掲げられていることは少ない)。近年では数を減らし続けている駄菓子屋には、昭和初期から中期頃までは、大抵もんじゃ焼きの鉄板があり、うどん粉を水で溶き味付けしただけのものを、当時の子供達はよく食べていた。お金に余裕がある時は、駄菓子屋で売っている、餡子玉や干したイカ等を、上に乗せて食べていたといわれている。このようにもんじゃ焼きはかつては下町を中心とした子どもたちに親しまれていたが、近年は、食文化の変遷から子どもたちの食べ物としてのもんじゃ焼きが遠のいてしまった。しかし、最近では東京の下町地域の伝統的な食べ物として、そのターゲットが観光客やサラリーマンなどに代わり、大人の酒のお供として供されるようになったが、かつての全盛期に比べるとやはりその数は減っているといえる。」もんじゃ焼き、一度は食べてみてください。東京の下町でしか、食べることができませんから。
2006年05月06日
コメント(10)
大学時代に山小屋を作ったことがある。これがけっこうおもしろい。家というのは、基礎部分は難しいが、それ以外は、なんとなく、本を読みながらでも、見よう見真似でできる。タイのスラム街で、学校を作るのを手伝っていたこともある。家にペンキを塗るなんていうのは、すごく、おもしろい。自宅も、古い家を買ったので、ときどき、自分で修理をしたり、リフォームしたりして、おもしろがっている。風呂場のタイルもメキシコのもの買ってきて、張り替えたら、なかなかのものになった。家を自分で作っていく感覚が、なによりいい。壁紙をかえるのも、慣れてくると、難しくはない。壁紙も、いまは、いろいろな種類があって、積みレンガ風、コンクリートの打ちっぱなし風、砂壁風、塗り壁風など、それも、本物と見分けがつかないくらいのものがある。壁紙は変えるだけで、部屋の雰囲気ががらりと変る。休みなので、本棚を作りたくなって、ホームセンターにいった。そこで、スノコを買ってきた。スノコというのは便利で、切ったり、組み合わせたりしながら、机や椅子、小さな棚、ガーデンテラス、などなどが作れる。ベッドの下に敷けば、風のとおりがよくなる。なかなかのすぐれものなのだ。スノコというのは、ブロック遊びのブロックのピースのようなところがあるのだ。ホームセンターも、こころえたもので、そんな日曜大工ファンのために、スノコが山積みになっていて、格安で売られている。その横には、スノコを使って、こんなものが作れるというガイドブックまでが置いてある。日曜大工が好きになるコツは、ドリルを買うか、買わないかだと思う。電気ドリルを買うと、ネジの穴あけと、ネジを埋めるのが、格段に早くなるのだ。作業が、スピードアップされてくると、おもしろくなってくる。ニスやペンキも好みの色を塗る。部屋の色のバランスを考える。カントリー家具でまとめているので、木の木目を生きるように、マホガニーカラーのニスを塗る。低い本段を二台作ってならべた。そこに、本をならべた。従兄弟は、東京の出版社をやめたあと、田舎の廃校に移り住み、家具作りをやっていたが、その気持ちが、なんだか、わかるような気がした。
2006年05月05日
コメント(14)
ゴールデンウイークのもっとも有意義で、最高の過ごし方は、昼間から、公園でビールを飲むことさ。
2006年05月04日
コメント(14)
・・・ということで、折りたたみ自転車を輪行バックに詰めて、東京にむかった。私の折りたたみ自転車は、マウンテンバイクになっているので、悪路でも走れる。新橋駅で、降りて、自転車を組み立てると、国会議事堂にむかった。天気も良く、サイクリング日和だった。連休の都会は、さほど、混んではいなかった。外務省、内閣府、国会図書館のあたりを眺めて、法務省の美しい赤レンガの建物の横をすぎ、桜田門から、皇居外苑に入っていった。二重橋のあたりも、自転車で進入したら、そこは、自転車もマラソンも禁止区域のようで、皇宮警察の人に注意されてしまった。霞ヶ関や皇居のあたりは、さすがに、警察の警備がどこにいても厳しかった。どこも、ものものしい警備だった。彼らをサムライの格好をさせれば、まさしく、歴史ドラマのような雰囲気が、あたりには漂っていた。はとバスの観光客が、次から次へとやってきては、記念撮影をしていた。それから、自転車をおりて、皇居東御苑のなかに入った。外苑とはいえ、皇居の中に入ったのは、はじめてだった。皇居東御苑は、資料館もあり、富士見櫓、城壁のあとが残り、かなり、広いスペースだった。敷地内には、松の廊下の跡地なども、中には残っていた。そういえば、江戸城には、不思議なことに、天守閣がなかった。書かれた、説明によると、この江戸城の天守閣は、明暦の振袖火事で消失してしまったあと、再建はされなかったようだ。これは、意外だったが、江戸時代が長く続いた理由もわかるような気がした。以下、江戸城のホームページより、一部抜粋。「会津藩主の保科正之が四代将軍家綱に天守閣再建より江戸市民の救済を最優先するべきとして、先送りし、江戸再建を計った。正之は兄の三代将軍家光と四代将軍家綱に仕え、また、家綱の後見人として20年に及ぶ将軍補佐役として、将軍家綱に 王道政治を心掛けさせ「江戸の再建」と「玉川上水による水利確保」を計った。その他殉死の禁止、大名証人(人質として妻子を江戸に住まわせる) 制度の廃止、また末期養子の緩和により、跡継ぎの居ない大名の取り潰しを救済し家臣が路頭に迷うのを救い 天に恥じない王道政治を導いた。」そうだったのか・・・。皇居を自転車で、一周したあと、日本橋、銀座と自転車を走らせ、新橋に戻ると、自転車を折りたたみ、また、バックに詰め込んだ。ホームレスのようなおじさんが近づいてくると、「手伝ってあげようか?」という。「いやあ、汚れるし、悪いから、いいですよ。」と丁重にことわったが、おじさんは、かまわないから、と、どんどんと、バックに積めるのを手伝ってくれた。「自転車は、気持ちいいよね。」それから、そういうと去っていってしまった。なかなか、いい一日だった。
2006年05月03日
コメント(4)
ゴールデンウイークがはじまった。今年は、遠出をする予定がないので、どうしようかと思っている。ここ数日は、友人に会ったほかは、ジョギングをして汗を流したあとに、ためていた映画のビデオを観ていた。家で、映画三昧もいいが、天気もよさそうだし、やはり、体を動かすことをしたい。21世紀の人間の余暇時間は、36万時間あるそうだが、寝転がって、テレビを観ているだけではもったいない。たいていは、この36万時間の自由な時間が、あっても、無為なことに使ってしまっていることも多い。折りたたみ自転車があるので、それで、皇居を一周したり、東京の下町を駆け抜けたり、横浜の港のあたりをぶらついたりしようかとも考えている。以前から気になっていた国会議事堂や、東京タワー、新宿、代々木公園、秋葉原、羽田飛行場など、これらの位置関係を体で感じ取りたいというのもある。時間があったら、あれもしよう、これもしようと思うが、これがなかなか、うまく実行できる人とできない人というのがいる。たとえば、以前紹介したアカデミー賞の映画も、1本3時間以上の大作もあるので、きちんと意識的に時間を作り出さないと、鑑賞することができない。あとで時間があるときに観ようと思っても、たいていはできないで終わってしまうのだ。読みたいと思っている本も、むりやり、読書計画をしないと読めない。仕事だけでなく、遊びも、有効な時間な処理の仕方というのが、必要なようで、よく周囲を観察していると、仕事の手際のよい人は、遊びも充実させていることがおおい。だらだらと無為な仕事の処理の仕方をする人は、遊びも同じように、充実させていないことが多いように思う。そういえば、誰でもできる一日を楽しく過ごす方法というのがある。これはアメリカの心理学者フォレンビュー博士の理論だ。この博士によれば、人間は一日に、30分だけ集中して、悩めば、1日の残りの時間が楽しくなるということなのだ。この理論を博士は、100人の心配性の人を集めて実験した。すると、この理論の実践で、生き方が、楽しく思えてくる人が増えるというデータが得られたのだ。悩んでいる時間というのは、もっとも、もったいない時間だ。うだうだと、いつまでも悩んでいるタイプの人もいる。結論は、時間をかければ、いい結論がでるともかぎらないのに。だから、どうしても、悩まなければいけないことがあるときは、30分という時間を区切って悩むのもひとつの方法かもしれない。もっとも、連休を、どう過ごそうかというような幸せな悩みは、30分以上悩んでいても、それだけでも、充分に、楽しい時間だけれども。
2006年05月02日
コメント(10)
だいたい、人の会話というのは、お互い興味のある共通の話題を、いつのまにか話していることになる。映画、読書、釣り、スポーツなどなど・・、共通の趣味があれば、その趣味の話をすることでおさまる。これは、その分野の興味の深さで、話がはずんでいく。共通の知り合いがいると、その噂話ということもあり、その延長に、有名人や芸能人のスキャンダルというものも存在している。男の場合は、それに、もっともらしい権威をほしがるから、それが政治がらみのディスカッションということになるが、それこそ、話は、内容が、もっともらしい政治にうつっているだけで、興味という本質はさほど変らない。これは女性が身近なお金の話をしていて、男は仕事上で億単位の金を動かしていることを自慢しているが、結局は、それは会社のお金で、自分のお金でないというのに、構図は、よく似ている。この連休で、学生時代の連中に会った。この場合、年齢が、同じということで、興味の対象が近く、話が弾みやすいということはある。若いときは、恋愛や結婚の話、もしくは旅行の話で、それが、結婚をしたら、こんどは子供のことや、学校や子育ての話になったりする。それがやがて、親の介護の話になっていったり、自分の病気になっていったりする。ここでも、男の場合は、仕事人間になっているから、ストレスから持病の話になっていったりする。耳鳴りが止まらなく、一年中蝉が鳴いている状態だの、心臓に不整脈がおきて、ときどき止まる、また、視力が弱ってしまい、目が見えなくなるだの、鼻血が出てきて止まらないなど・・そんな話がはじまる。ここでも男は馬鹿だから、戦争で、前線で戦い、傷を負ったことを自慢するように、そんな話をしていることがある。こんなに頑張っているのだと、周囲や、家族、若い女性のまえで去勢をはったりしているのだ。まあ、いくつになっても、男は馬鹿で、「武勇伝、武勇伝、武勇、でん、でん」ってやつだ。やがて、宴もたけなわでございますが、ということで・・。お互い、自分の日常にもどっていくのだが、ふと、こういう集まりに、出席してこない人がいて、音信不通の男というのがいる。しかし、こういう男に限って、ふいに、むこうから顔を見せることがあるが、そのときは、たいていは、金の無心をしたりする。だいたい、金や女性に若いときからルーズな男は、年齢をへてもルーズだったりするものなのだ。ホームレスは、たいてい、男ばかりだ。日帰り温泉や昼のランチバイキングにいくと、かつてのお嬢様たちであふれかえっている。こういう会話や現象を見ると、男女の平均寿命の差がひらいていくのは明白なのでありました。
2006年05月01日
コメント(4)
全31件 (31件中 1-31件目)
1