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私の父の年賀状の整理をしていると、もう、これで年賀状をだすのを終わりにしたいという申し出があるときがある。父の年は、もう80代になっている。70代も、過ぎたあたりから、そんな年賀状での断りを見かけるようになった。もう、年賀状だけでのつきあいも、お互い、そろそろ幕引きをしましょうということのようだ。はっきりとして意思表示でもある。かつての消費者金融の中には、年賀状の数で、貸す金額を決めている業者があるというのを聞いたことがある。年賀状の数で、人脈と信頼性を読むということなのだろう。そんなふうに年賀状の枚数を考えている人がいるというのが、世の中にいることが、なんだかおかしかった。作家の邱永漢氏は、友人というのは、着ている服のようなものだと随筆で喝破していた。子供のときは、子供の服、青年時代は青年の服、社会に出てからは、その時、その時の懐具合や肩書きにあった服、そんなように、友人が変化していくものだというのだ。あまりに直截な意見だと思ったが、ある意味、真実をついてもいるとも感じた。しかし、人間には、大切な出会いというのは存在するし、その出会いが人生を変えるということは、よくある。もう少し、はやく出会えていればという人もいる。また、出会いたくなかった人というのもいる。年賀状の束を見ながら、そういえば、年賀状を出したこともないが、忘れられない人もいるなあとも、思った。
2006年01月31日
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「人生は一冊の書物に似ている。馬鹿者たちは、それをぺらぺらとめくっていくが、賢い人間は念入りにそれを読む。なぜなら、かれはただ一度しかそれを読むことができないのを知っているから。」 ジャン・パウル・リヒターネットのブログというものを、ほとんど毎日書いている。昨日は、ひさしぶりに書かなかった。忙しくてではなく、書く気分でないために、書かなかったのは、はじめてだ。日記を、かつ、公開している日記を毎日書くという行為は、いったなんなのだろう。会ったこともない人と親しく話すということは、とても不思議な感覚だ。夜中、パソコンにむかい、あたたかな言葉が書かれていると、それだけで、暗闇に、灯りがともるような感情になる。ほんとうだ。私は、故意に自分のことをあまり書かない。好きな本や、映画、昔のひからびた旅の話を書いている。そして、てまえ味噌な薀蓄をひけらかしている。毎日が、いたずらに過ぎていくなかで、少なくとも、一冊の書物をぺらぺらとめくっていくだけの馬鹿者にならないようにと、思っているところがあるのだが、そういうふうに足掻くことが、もうすでに馬鹿者なのかもしれない。そういえば、私の友人で、バカな冗談しか言わない男がいる。自分で、これから先の人生は、バカな会話をしかしないと決めたそうだ。真摯な話は、相手を縛り、不幸にすることもあるというのだ。こういう行為は、賢いのかもしれない。これは、これで、人生という一冊の書物を、念入りに読んでいるとも思ったのだ。
2006年01月30日
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アメリカで、コクーン現象というのがあるそうだ。このコクーン(繭化)現象で、DVDプレーヤーが急速に普及したそうだ。コクーン(繭化)現象とはなにか。2001年に9月11日に、同時多発テロがおこった。この影響で、人々は旅行や買い物で、遠出するのを避けるようになってしまった。そして、繭を作るように、自宅で料理作りや、家庭内の趣味などに、没頭する時間が増えるようになったそうだ。それで、DVDプレーヤーが、爆発的に広まっていったということのようだ。ほかにも、大工道具、組み立て家具、料理本、生花の宅配などが売り上げを伸ばしている。テロのショックで、経済はマイナスになるだろうといわれたが、それも2ヶ月で、逆にそのあとは、逆にプラスに転じ、このような、個人消費が伸びていったようなのだ。DVDプレーヤーで、自宅で、映画を観ている背後には、同時多発テロがある。また、その映画の内容は、頭の潜在意識のなかに残り、なにかのときに頭をもたげるかもしれない。女子高生のあいだで流行ったカラオケが駄目になったのは、携帯電話の普及のようだし、最近、新聞の契約数が、どんどん減っているのも、インターネットで、最新のニュースが、瞬時に、わかるようになったのが、大きいと思う。テレビやラジオの普及したときも、新聞がなくなると言われたが、この時の媒体は一過性の映像メデイアだったが、インターネットは文字で表現されたものだから、新聞としては強力な脅威になっていると思う。こうして、あらゆるものには、それが単独で存在しているというより、背後には、なんらかの因果関係があるのだろう。自分の周囲にあるもの、家族や、人間関係、仕事、あらゆる物、それらすべてが、因果関係があって、そこに存在していると思うと、ちょっと、不思議な気がしてくる。
2006年01月28日
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旧暦の1月1日、元旦にあたる1月29日(日)は「春節」と呼ばれ、中国のお正月だ。この日は、横浜のチャイナタウンでは、街中を、中国獅子舞や龍が舞い、爆竹が鳴り響きわたる日となる。中華街の店で、食事をしていると、この獅子が店の中まで、入ってくる。激しい爆竹の音とともに、しばらく、舞ったあと、入り口につるした祝金を、加えて去っていくのだ。なかなか、興がある。この日は、中華街イルミネーションとして、「春節燈花」を実施している。中華街全域にイルミネーションと提灯を飾り街全体を光で浮き上がらせている。この春節は、旧正月にあたる日なので、お年玉もこの日にもらえる。中国本土では、故郷に帰る人々で大変なことになっているようだ。 * * * * * *【北京 24日 ロイター】 - 中国南部の出稼ぎ労働者は、今月29日から始まる旧正月を郷里で過ごそうと帰省ラッシュのシーズンを迎えるが、帰省列車は超満員となるため、列車内のトイレを利用するのは“至難の技”なため、大人用のオムツをして列車に乗り込んでいると、国営メディアが24日、明らかにした。 大体、いったん、列車に乗り込めば乗車時間24時間以上もかかる長旅が少なくなく、都市部で出稼ぎに来ている1億2000万人もの労働者の大群が一斉に里帰りするので、どの列車も足の踏み場もないほど超満員となる。昨年は長旅の途中であまりの混雑に気がふれて、列車から飛び降りてしまった客もいたというほどだ。 広東省の佛山市南部では、この時期、鉄道で帰省する人々が買う大人用オムツの売り上げが5割の増加を見せているスーパーがたくさんあるという。中国国内では、23日だけで鉄道利用客数は史上最高の380万人だった。 * * * * * *まあ、紙オムツを買って、超満員の列車に乗り込まないまでも、どうです。週末は、ぶらり、横浜の旅は。以下は、中華街のイベント案内からです春節カウントダウン。日時:1月28日(土)24:00~会場:横濱中華學院校庭(横浜中華学校校友会国術団) 春節を迎える1月28日の深夜より春節を祝うカウントダウンを行います。爆竹や奉納獅子舞が舞う熱気あふれる、中華街ならではのカウントダウンです。今年は土曜日の夜のカウントダウンとなり、タイミングがバッチリ! ぜひ中華街集合してください。日時:1月29日(日)◇祝舞遊行(民族衣装・獅子舞・龍舞によるパレード)日時:1月29日(日)15:00~17:00会場:中華街全域 山下町公園 ⇒ 関帝廟通り ⇒ 福建路 ⇒ 西門通り ⇒中華街大通り ⇒ 南門シルクロード新しい年をお祝いする祭事として龍舞、獅子舞、古代衣裳などが繰り広げる中国時代絵巻を再現した春節祝舞パレードを実施します。
2006年01月27日
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「この世でひとり生きるには、神になるか、獣になるか、どちらかだ。」という言葉が、西欧にはある。大勢として生きるのは、互いに指摘したり、協力しあって、生きていくことが可能だが、ひとりだけで生きていくのは、難しいというような意味だろうか。織田信長は、尾張の国で近親者までも、信じられない生き方をしたとき、「魔王になる。」と、宣言していた。このところ、リーダーということについて、考えていた。鎌倉の禅寺には、よく会社を経営している人たちがきていた。早朝、会社に出向くまえに、座禅を組むのだ。雑音、雑念を強引に振り払うかのようにだ。組織のトップが、その他の兵隊と違うことは「決断」をするということだ。それは、孤独と向き合うということでもある。判断を誤れば、組織は崩壊していくことになる。うまくいっているときは、人はほっといても集まってくる。そして、ちやほやもしてくれる。権威ももつようになる。女性にももてる。浮かれていられる。しかし、挫折や失敗には、人は潮がひくように去っていく。トップにたって指示をだすことは、ひどく孤独な作業なのだ。この孤独に耐えられるようになるために、彼らは座禅を組んでいるのだ。傲慢な独裁者にも、民主的な顔をした決断力のないトップも、どちらも危険なリーダーなのだ。組織のトップが、遊んでいたり、浮かれているような組織は、ちょっと、気をつけたほうがいいかもしれない。
2006年01月26日
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どうも、政治や宗教の論争が苦手だ。ちょっと茶化したり、冗談を言ったりすると、真摯に話あっている人からお叱りをうける。少しでも、笑ったりすると、ふざけていると指摘され、誤解されてしまう。困った性格なのだ。最近、茶化したくなる論争があった。 * * * * *以下は、毎日新聞より、抜粋。小泉純一郎首相は24日、衆参両院での代表質問で、ライブドア前社長の堀江貴文容疑者を先の衆院選で自民党が実質的に後押しした問題について「事件とは別問題」との答弁を押し通した。政府は竹中平蔵総務相が同日の記者会見で堀江容疑者への選挙応援について「政府保証をしたわけではない」と釈明したが、首相は自民党総裁としての立場を併せ持つ。「無関係」とする論理がどこまで通るかが、論戦のポイントとなる。小泉純一郎首相は24日、衆参両院での代表質問で、ライブドア前社長の堀江貴文容疑者を先の衆院選で自民党が実質的に後押しした問題について「事件とは別問題」との答弁を押し通した。政府は竹中平蔵総務相が同日の記者会見で堀江容疑者への選挙応援について「政府保証をしたわけではない」と釈明したが、首相は自民党総裁としての立場を併せ持つ。「無関係」とする論理がどこまで通るかが、論戦のポイントとなる。 * * * * *民主党が、このまえの選挙で、ホリエモンを担ぎ出したことを批判しているが、確か、民主党もホリエモンを担ぎ出そうとして失敗したのではなかったのか。ホリエモンが、郵政民営化の改革に賛成だと言ったのだ。しかし、政治家というのは、よくわからない。タモリと赤塚不二夫は、酒宴が進んでくると、大声で論争がはじまり、一触即発の喧嘩をはじまるという。「おい、タモリ、おまえ、売れたと思って、つけあがるなよ。俺が面倒を見たのを忘れたのか!」タモリも黙っていない。「おもしろくもない、漫画を描いて。そのうえ、もう、才能は枯れたのか。」周囲は、圧倒される。不穏な雲行きに、緊張感がはしる。タモリの表情は、変わる。赤塚不二夫は、水割りの水を、その顔にかける。「表にでろ!」まわりが、おろおろとしている中、ふたりは外に出て行く。そのあと、ふたりは、外でげらげら笑って、飲み逃げてしまう。ふたりの得意な「嘘喧嘩」だそうだ。まわりが、驚いているのを、おもしろがるというわけだ。じつは、こういう激しい論争は、大好きなのだ。
2006年01月25日
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外国の写真家で、日本の街角にある自動販売機ばかりを撮っていたカメラマンがいたが、外国からの旅行者が、日本に来て驚くことのひとつは、自動販売機の多さだと思う。ぎゃくに、日本人が、外国に旅行して、まず、探してしまうのは自動販売機ではないだろうか。だいたい、国によっては、あのような貨幣の両替機のように、お金の詰まった無人の機械が、いたるところに、ぽつんと置いてあることなど、ありえない。とたんに、壊されて、中身を抜き取られることはよくある。銀行のキャッシュでスペンサーが、工事用の大型特殊自動車のシャベルなどで、壊され、持ち去られる事件があったが、あれのほうが、世界標準なのかもしれない。日本の自動販売機は、おもしろい。お金を入れると、ぴこぴこと光が走り、クジになって当りがでるものや、声をだして御礼をしてくれる自動販売機もある。飲料水だけでなく、アイスクリームから、スープ、カップヌードル、タコヤキ、やきそば、おにぎり、など、なんでもござれだ。それも、暖かなものから、冷たいものなど、どちらもだいじょうぶだ。珈琲なども、カップに入っていく途中経過もわかる仕組みになっている。あれも、無音だと、作動しているか不安になるため、わざと音がでるようにしてあるそうだ。そして、缶コーヒーなどの、味もどんどんと進化している。珈琲も、エスプレッソから、カフェオレ、キリマンジャロなど細かく分かれている。紅茶もさまざまな種類がでている。「午後の紅茶」のミルクテイーなどは、私のお気に入りのひとつだ。そういえば、紅茶の国、イギリスでは、ミルクテイーか、ストレートテイーしか飲まれていない。ミルクテイーは、イギリスからアメリカに運搬中、船が嵐にあって、海水をかぶり、廃棄処分にされそうになったとき、たまたま、隣りに積んであったレモンから香りが移っていることがあって、それを売り出したら、大当たりした。それが、はじまりだと聞いたことがある。アメリカらしい話だ。たしかにダージリンのように、フルーテイな香りや味を楽しむには、レモンを漬けるのは邪道だ。自動販売機は、便利だけれど、ゆっくりとしたテイータイムを持つ、心のゆとりのほうも、日本人には必要なのかもしれない。
2006年01月24日
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あらゆるものを放逐して、ふいに旅に出たくなる瞬間がある。ほとんど、衝動に近い感覚だ。そして、地上には、ロマンを誘う場所というのがある。見果てぬ土地。たとえば、ギアナ高地。ここには、1000を越えるテーブルマウンテンがあり、その1つ、アウヤンテプイには、世界最大の落差を持つ瀑布、エンジェルフォールがある。この滝の水は、途中で霧に変わる。滝が虹に姿を変化させる。ギアナ高地をモデルに、コナンドイルは、「失われた大地」を書いた。テーブルマウンテンの上には、絶滅したはずの恐竜たちが生きている。そんな冒険小説だった。子供の頃、読んでどきどきした。すごく、わくわくした。そのあとも、ドイルの海底二万里などの冒険小説は、夢中になって読みあさった。探検家ヘディンは、「彷徨える湖」を書いた。ある日、王国が忽然として砂漠の中に消えるという。また、湖が北から南へ、南から北へとさまよい歩くというのだ。その王国の名は楼蘭、彷徨える湖の名はロプ・ノール。 ロプ・ノールは中央アジアのタクラマカン砂漠に存在する湖で、その位置は一定せず何度も場所を変えるというのだ。ロプ・ノールは大昔にはオアシスとして、そのすぐ傍にシルクロードの要衝楼蘭が栄えていた。そこが、砂漠の砂の移動などにより、川の流れが変わることにより、湖が彷徨うというのだ。消えた王国、楼蘭。この話もいい。こういう話は、活字を追っているだけで血が騒ぎ出す。南極に、砂漠があるという。その砂漠の名前はドライバレー。南極大陸には、氷がなく地肌が露出しているところは、1パーセントほどあるが、このドライバレーは、その中にあるという。もともと、薄い氷に覆われていたドライバレーが、400万年まえに、氷が消滅。そのあと、南極横断山脈にさえぎられて、氷が入ってこなくなったために、ここが砂漠化したのだという。年間の降雪量が数十ミリというドライバレーには、ミイラ化したアザラシが多数いるという。南極にある砂漠。この話もすごい。一度でいいから、見てみたい。しかし、いったい、世の中のどれほどのことが、わかっているというのだ。
2006年01月23日
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鎌倉も雪が降った。近くの山を歩き回った。最近は山も登ることもなくなってしまったが、NHKテレビで、いま「氷壁」を放送していて、雪山の映像が写るたびに、感情がうずいてしょうがなかった。「生きているのを、確認したい。」主人公が、なぜ、山に登るのかと訊かれて、こたえるセリフだ。鎌倉には、低い山しかないが、雪に埋もれた山道は静かで気持ちがよかった。人は誰もいない。ときおり、音をたて横切るのは、リスのような小動物だけだった。美しいまでの静謐。これがたまらないのだ。冬山を登っていたのは、学生の頃だ。登山靴にアイゼンをつけ、ピッケルを持ち、冬山へむかった。ピッケルを使い、滑落を止める練習を繰り返した。「氷壁」の中で、単独でしか山に登らない主人公が、友人と山を登る決意をするのは、遭難して、死に直面したとき、ザイルを切って自分だけが、生き延びる選択ができるかという、パートナーからの率直な問いかけだった。自分だけが、生き延びる、とお互い確認しあったとき、はじめて、ふたりは、未踏峰の山に登ることを決意するのだ。こういう感覚は、アルピニストにしかわからないと思う。単独でしか、山を登らない登山家は、自分以外の人間というものの存在の重さを知っているからなのだ。山岳史上には、遭難が発生し、死を迎えようとしている仲間をかかえて、どうすべきか、という判断に迫られる例はいくつもある。「氷壁」も、これがテーマになっている。「風雪のビバーク」という本にもなっている松浪明は、パートナーの有元が凍傷にやられ動けなくなる。冬の槍ヶ岳、北鎌尾根。ピッケルだけで進もうとしたが、力つきて、這い上がることもできなくなる。ひとり下山して、救援を呼べる状況にはない。友と死ぬことを決心する。彼の最後の日の日記。「一月六日フーセツ 全身凍ッテ力ナシ ナントカ湯俣マデト思ウモ有元ヲ捨テルニシノビズ 死ヲ決スオカアサン アナタノヤサシサニ タダ カンシャ。一足サキニ オトウサンノ所ニ行キマス。ナンノコウコウモ出来ズ、死ヌツミヲ、オユルシ下サイ。有元ト死ヲ決シタノガ6.00 今、14.00。ナカナカ死ネナイ。ヨウヤク腰マデ硬直ガキタ。有元モ・・・ソロソロクルシ、ヒグレトトモニスベテオワラシ・・・。サイゴマデ、タタカウモイノチ 友ノ辺ニスツルモイノチ 共ニユク。我々ガ死ンデ、死ガイハ水ニトケ、ヤガテ海ニ入リ、魚ヲ肥ヤシ、マタ、人ノ身ヲ作ル個人ハ、カリノ姿 グルグルマワル。有元 井上サンヨリ2000エンカリ ポケットニアリ松波 西糸ニ米ダイ借リ 三升分 」かりに、友人を捨てて、自分だけが生き残ったとしても、そのあとの人生を、自分は、どう生きればいいのだろうか。黙りつづける人生を送るのか。生き残った人間には、そういう慙愧が、一生、つきまとってしまうのだ。
2006年01月22日
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日経BPのビジネススタイルで、立花隆がメデイアソシオポリテイックスという連載を行っている。さすが、立花隆で、この連載はおもしろい。ホリエモンの「金脈と人脈」もしっかり、去年3月のうちに指摘している。これを読むと、自殺者もでる今回のことは当然の結果なのだが、それはさておき、ITでの検索の背景について、指摘している文章が印象に残った。怖い話で、ちょっと、長いが一部抜粋して、引用する。 * * * * * 「昨年秋出版された「ザ・サーチ グーグルが世界を変えた」(日経BP社)という本がとても刺激的な本で、グーグルの登場によって、IT業界がどれほど急激に世の中を変えつつあるかがよくわかる。「日常的にグーグルを使っていたから、それが検索エンジンとしてすぐれているということは前から知っていたが、それがどうしてそれほど儲かる会社になったのかがよくわからなかった。グーグルの入り口のページが、広告でいっぱいになっているわけではないから、広告スペースを売ることで儲けているとも思えなかった。」「インターネット世界に詳しい人はみな知るように、グーグルは、グーグルを利用する人々の検索行動をすべてデータとして残し、そのデータの解析から得られるあらゆる情報をそのデータが欲しい人に売るというユニークな情報産業として生きているのだ。」「情報の主たる買い手は、その情報をマーケティングに利用する企業である。インターネットに入ってきた人間が、たいていまずやることは、検索エンジンを使って、自分の知りたい情報がどのページにあるかを調べることである。ページのリストが出てきてから、その人はどこかをクリックして、どこかのページに行く。その記録がグーグル側にみな残る。その人が情報探索をやめるまでの全行動の記録が残る。それを解析していくと、あらゆる消費者の消費行動のパターンがわかってくる。特に情報探索がそのままネット上での商品購入に結びつく場合は、そのものズバリでわかるが、そうでなくとも、情報検索行動の一定の流れを把握してしまうと、消費者の行動に関して驚くほど多くのことがわかってくる。」「そして、それを商売に利用しようと思うと、あらゆる可能性が開けてくる。ある商品を売るためには、どういう階層のどういう行動パターンを持つ人々に働きかけるのがいちばん効果的かわかるから、最も効率のよいセールスができる。どういう商品のどういう側面に関心を持つ人が多いかわかるから、最も効率のよい商品開発ができる。」「要するに、あらゆるグーグル利用者の利用記録という個人情報を徹底的に集め蓄積し、それを解析して、利用可能なデータに組み直してそれを売るわけである。」「ライブドアマーケティング」は、以前の社名を「バリュー・クリック・ジャパン」といい、グーグルまではとてもいかないが、それと似たような情報商売をしていた。インターネットに広告を出したとき、その広告サイトをクリックして入ってきた人の数に応じて、広告料を取るというようなシステムを開発していた。」「いまインターネット広告は、ページを表示した回数を基本にしたものや、このようなクリック数に応じた料金のシステムになっている。スポンサーにすると、広告効果に応じた料金だけ払えばよいわけだから、これまでの印刷メディア、電波メディアの広告から、どんどんインターネット広告に移行しつつある。」「いま出版業界でさかんにいわれているのが、「07年問題」だ。07年問題とは、その年になったらインターネット広告が完全に雑誌広告を追い抜くという予測の年なのだ。インターネット広告は、昨年、ラジオ広告を追い越した。そのとき、次は雑誌広告が追い抜かれるかもしれないがそれにはまだちょっと間があるといわれていたが、もう07年に追い抜かれることは確実という情勢になってきたのである。」「雑誌の収入は、販売収入と広告収入からなるが、ほとんどの雑誌が、収入の半分近く(以上のところもある)を広告収入に依存しているから、それがどんどん減っていったら、経営的に成りたたなくなる雑誌社が続出すると言われている。」「アメリカはすでにそれに近い事態になっている。ネット広告は1兆円を大きく突破して、既に雑誌広告と並んでいる。「ビジネス・ウィーク」や、「ニューズ・ウィーク」といった有名雑誌、あるいは「ニューヨーク・タイムス」のような超有名新聞ですら、広告料金収入があまりに減ったため、人員整理をはじめる事態にたちいたっている。」「すべての行動を裸にするグーグルのビジネスモデル」「最近、グーグルの商売で、もうひとつ新しい事実を知った。グーグルのサービスの一つに、「Gmail」というものがあって、Gmailユーザーに紹介してもらえば、誰でも自由に使える便利なメールで、最近、使う人がどんどんふえている。しかし、このメールを使うと、メールに書く1行1行が即座に自動解析されて、そこに書いたことに関係がある広告がすぐそばに出てくるのだという。この話を聞いて、さっそく実験してみた。「最近、パソコンをそろそろ買い換えようかと思っている」と1行書いたら、なるほど即座にパソコンの広告がそこに出現してきた。」「検索エンジンが長年かけて開発してきた、超高速の情報処理能力と、文章解析能力を組み合わせると、こういうことはいとも簡単にできるのである。」 * * * * * 最近、この楽天にも、悪質なトラックバックが行われている。主催の楽天の削除とのいたちごっこのような、悪質のようなものだ。ただの愉快犯ではないと思っている。これらも、どんな手段でもいいから、自分のサイトに呼び込み、広告サイトのクリック数による収入という背景があるのではないかと思うのだが。
2006年01月21日
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鎌倉の禅寺の入り口に、こういう言葉が書き付けてあることがある。「脚下照顧」足元注意という意味であるが、ここには、履物の扱いは人柄を決めるというような意味もある。靴の扱いというのは、おもしろい。ヤクザ者は、やたらに靴を汚れるのを気にして、ぴかぴかと磨いている。イギリスの金持ちなどは、自分と同じ足のサイズの男を運転手に雇い、しばらく、その運転手に新品の革靴をはかせ、皮が馴染んだところで自分が履く。そんな、贅沢を楽しんでもいる。「脚下照顧」人の家に、お邪魔すると、玄関で、その様子がわかるということがある。靴が散乱していたり、整然としていたり、・・。また、履物を脱いであがったとき、さりげなく、履物を反対向きの出船の形にする人もいれば、そのままの人もいる。品格のある家は、そこの家の、奥方が、さりげなく出舟の形にしてくれる。この出船の形に直すのは、室町時代の茶道の礼法として広まっていったようだ。茶道の礼法では、にじり口から茶室に入るときは、そのまま、入ってしまう。そして、相手におしりを向けないように、ななめの姿勢でしゃがみ、あらためて履物を出船の形にそろえるのが正式のようだ。客人として家にあがるとき、たまに、これを、さりげなく行う女性を見る。こんな女性には、上品な香りを感じてしまう。この礼法が、武家の時代にも、広まっていくが、これは、いざというときに、すぐに履けるという合理性からのようだった。では、そのまえは、なかったかというと、平安時代の肖像画などをよく見ると、天皇や名僧なども、履物をちゃんとそろえている。上流の人々のあいだでは、古くからあった習慣なのかもしれない。品というのは、すぐに身につくものではないようだ。つまり、金では、買えないものなのだ。
2006年01月20日
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よく、街の路上でアクセサリーを売っている外国人というのがいる。少しまえは、青い目の僧の格好をして経を読むふりをしている偽坊主みたいのがいたり、最近は、フリーマーケットで洋服を売っている連中もいる。彼らの多くは、旅費を稼ぎながら旅をしている20代のイスラエル人であることが多い。日本以外の、ほかの国へ行っても、彼らに会うことがある。よく、駅で無料の英語会話を学びませんか、と声をかけてくる。アメリカのモルモン教の背広姿の若者たちとは、また、違った雰囲気を彼らはしている。ちょっと、不思議に思っていた。どうして、イスラエルの若者なのか。イスラエルというのは、とても、兵役の長い国で、イスラム教徒をのぞいた男女全員が満18歳から男子は3年間、女子は2年間の兵役につくそうだ。そして、この兵役が明けると、大学に入るまえに、旅にでる。アクセサリーを売りながら、世界を旅するのが多いので「アクセサリー休暇」とも、呼ばれているようだ。アジアや中南米が多いのだが、ここでは、インドネシアやマレーシアのイスラム国なので、はずされることになる。この異国への旅で、将来のことを考えたりもするようだが、「アクセサリー休暇」のあと、彼らの兵役はつづき、男性は45歳まで、女性は24歳ぐらいまで、年に1ヶ月程度の予備役があるのだ。男性が55歳まで、予備役だったこともある。予備役という兵士。このあいだに、パレスチナとの戦闘状態になれば、もちろん、この兵役期間はのびることとなる。いまは、街角に立っているのも寒い季節だ。茶髪の女子高生やヤンキーの若者が、群れて、酔っ払い、大声で騒いでいる横で、黙々とアクセサリーを売っている、いかがわしい外国人にも、背後には、そんな、イスラエル国家建設という現実があるということを、ふと、感じるときがあるのだ。
2006年01月19日
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外国を旅するとき、入国審査を受け、はじめてのその国に入ったときに行う行為は、現地通貨への交換だと思う。持っていたドルなどを両替して、紙幣をもらい、硬貨にくずしていく。そこで、その国の王室や英雄、歴史的な建物、風景などの絵柄を眺め、描かれた数字を読みとくことになる。そして、そのデザイン紙の価値を知りはじめる。なかなか慣れない。どれぐらいのものが買えるのか、そのときは、まだ、ぼんやりとしている。しばらく、その国に滞在していくうちに、ゆっくりと、そこに描かれた数字の意味がわかりはじめてくる。外国を旅して、国を移動していくと、そんなことの繰り返しだった。しかし、よく考えれば、貨幣とは、ただの紙に書かれた数字なのだ。国家が、輪転機で刷ったデザインされた紙だ。かつて、ポルポトの時代、カンボジアでは貨幣をなくしてしまった。資本主義の悪弊である貨幣制度を廃止してしまったのだ。そして、純粋な共産主義国家を樹立しようとした。貨幣に支配されない、皆で、強力する労働者のための国家樹立。ポルポトによって、プノンペンが制圧された時の写真集には、旧紙幣がゴミのように散乱しているものがある。それは、旧体制の崩壊により、まさしく、貨幣がただの紙くずになってしまった、象徴的な写真だった。貨幣とは、そんなものなのだ。外国を旅をしていて、手元に、その国の通貨をきらしてしまったとき、さまざまな国の通貨をだして、市場では、どの国の通貨なら、受け入れられか、試したことがある。たとえば、食堂で飯を食う。そして、ドル、円、ルピー、バーツ、ポンドなどをつぎつぎ見せるのだ。ダウンタウンの店主は、世界を肌でわかっている。やはり、強いのは、ドルだった。その頃、円も力を持ち始めていたが、やはり、受け取るのは、圧倒的にドルだった。世界情勢も、通貨の動きで見ていくと、よくわかってくる。基軸通貨としてのドル。そして、拡大していくユーロ。ドル対ユーロ。サダムフセインは、2000年11月に、原油取引をドル立てから、ユーロ建てにしている。イランもユーロ決済の意向を示し、2002年12月、北朝鮮も外貨決済をユーロに変えると発表している。これらは、中東がユーロ経済圏の支配下に置かれ、基軸通貨としての確立することを意味する。同じ2002年、アメリカは一般教書演説で、これらの国をテロ支援国家「悪の枢軸国」と表現している。アメリカがイラクに戦争を仕掛けるまえ、フランス、ロシア、中国は、サダムフセイン政権と、油田開発権を獲得していた。アメリカは基軸通貨を死守しなければならない。貨幣とは、幻想なのだ。ただのデザインされた紙なのだ。基軸通貨を死守するということは、自国の輪転機でいくらでも、デザイン紙を刷ることができるということのようだ。そして、このデザイン紙のために、人は殺し合うこともするようになるのだ。
2006年01月18日
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外国の映画で、日本人が出てくると、やたらに、ぺこぺことお辞儀をしている姿が描かれている。頭を必要以上にさげている、ように思う。日本人は、そう思われているのか。しかし、仕事をしていても、確かに、よく頭を下げているかもしれない。握手の意味が、自分はピストルなどの武器を持っていません、という意思表示からはじまったようだが、この日本人の頭をすぐにさげるのは、日本を、サムライが支配していた名残りからではないか、と指摘した韓国の友人がいた。彼が言うには、イギリスと日本は、左側通行なのは、ともに、刀がぶつかり合わないように生まれた風習で、右手でピストルを撃つ、アメリカの文化とは異なる。サムライは、いつ、刀を持ち歩いている。そして、いつその刀を抜くかわからない。そこで、町人はいつもサムライに切られないように、お辞儀をしていたのだ。だから、すぐにぺこぺこと頭を下げる。官庁や儀式などでの、式や列席者の様子を見てみろよ、というのだ。それを放送する、テレビのニュースを読む人まで、お辞儀をしている、とも言うのだ。その韓国人が言うには、日本語を学ぶときに、一番、難しいのは、一人称と二人称の使いわけだという。日本語を知っている韓国の店員が、「おまえ、何を買うのですか?」と、話かけてしまうのは、その例だという。このとき、「おまえ」が、不適切で、失礼なのを理解するのが外国人には難しいのだ。日本では、自分のことを、「私」「我」「拙者」「俺」「おいら」「僕」・・・等々相手を、「君」「てめえ」「おたく」「オヌシ」「あなた」「あんた」・・等々、覚えるのに、きりがないのだそうだ。最近の黒人タレントのボビーオレゴンなど、わざとそれをずらしてユーモアをかもしだしているが、それほどまでに、日本の一人称と二人称の使いわけは複雑多岐なのだ。つまり、あの複雑多岐な一人称と二人称は、低いお辞儀、深いお辞儀など、いくつもの複雑多岐にわかれたお辞儀と同じことなのだそうだ。サムライとサムライ、サムライと町人、町人と町人、年齢や、男と女などなど。日本人は、ぺこぺことお辞儀をしているようで、じつは、相手によって、いくつにも種類がわかれている。なるほど、と思った。そうかもしれないと思った。思わず、こちらも深いお辞儀をしそうになってしまった。
2006年01月17日
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よく、井戸端会議で、この子は父親に似て、頭がいいだとか、悪いだとか、母親に似て、器量がいいだとか、悪いとか、言っているが、遺伝について、どこまで、皆、本気で思って話をしているのだろう。子供というのは、どこか親に似ているところがあるから、勝手に理由づけしているところもあるのではないか。私などは、他人でも、よく似ていると思う人がいるし、自分自身の性格だって、年齢などでも、ずいぶんと違ってきている。『ジーニアス・ファクトリー』デビットブロッツ著、早川書房。この本を立ち読みしていたら、引き込まれてしまった。どういう話かというと、1980年に、割れないメガネレンズで財を成した大富豪ロバート・グラハムが、カリフォルニアに精子バンク「レポジトリー・フォー・ジャーミナル・チョイス」を創設する。この精子バンクが、ただの精子バンクではなかったのだ。ドナーは、ノーベル賞受賞者を含む天才たち。知能検査で高い成績の女性に天才男性の精子を受精させ、人類の遺伝子プールを改善するという、優生学的野望を掲げる組織であったわけだ。ナチスドイツがやろうとしたことを、アメリカの資本主義ビジネスがやったようなものだ。人類は、こんな行為を、これからも、繰り返していくのだろうか。。精子バンクというは実態があまり知られていないが、アメリカではこれまでに、もうすでに、約100万人のドナーベイビーが誕生しているらしい。そして、この精子バンクは、実在のノーベル賞受賞者が精子を提供したことを売り物にし、人類の改造を目指したのは、このバンクだけでもあったわけだ。この組織、知名度は高かったようだが、経営者の死去により、同バンクは1999年に閉鎖されてしまう。もともと、ずさんな経営体質で、続かなかったようだ。しかし、それまでに生まれたスーパーベイビーの数は約200人にのぼるそうだ。もう、この世の中に彼ら彼女らは、存在しているわけだ。この精子バンクでは、精子提供者の男性が誰なのかは、女性にも秘密の匿名原則。女性には提供者のプロフィールとコードネームだけが知らされていたという。バンクは閉鎖されてしまい、記録が失われている。この著者は、天才の遺伝子を受け継いだこどもたちは、果たして天才になったのだろうか。驚異的な才能を発揮して社会のリーダーとして活躍しているのだろうか。バンクは追跡調査を行っていなかったので、その謎の追求の取材がはじまる。著者の粘り強い調査によって、そのあと、意外な事実が次ぎ次に解明されていく。提供者たちはどのような人たちだったのか、実際に何人かとは会って話を聞いている。生まれたベイビーたちは今何をしているのかもわかってくるのだ。結論は、これから、本を読む人のために、書かないが、まあ、すごく優良な種を、すごく優良な畑に蒔いても、水をあげなくて、愛情をもって育てなければ、・・・・・・。というような、ことなのか。感じたことは、人生のように幸福をはかるモノサシは難しいということであり、そして、結局は、人生は、最後までわからないということでもあり、この行為で、いまも大人になっていく人間が存在しているという、確かな現実があるということだ。
2006年01月16日
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外国で、長いことバックパッカーをしていたとき、一日、500円もあれば、三食食べられて、寝泊りできるような生活をしていた。途上国は快適だった。好きな時間に起き、好きなときに食事をして生きる。堅苦しい日本の社会の会社人間になるくらいなら、少しだけ日本で働いて、資金を稼いだら、あとはアジアの安宿に定住して生きていこうかと、考えていたことがあった。実際、そのように生きている若者は、ずいぶんといた。バックパッカーたちは、「アジア、アフリカに沈没する。」などと言われた。旅をしていると、そういう衝動にかられる。しかし、そんな連中が日本の悪口をいくら言っても、結局、日本を切り離せるかといえば、切り離すことはできない。彼らは、外国で、ニートをやっているだけなのだ。ヤフーニュースで、興味深い記事があった。低所得の年金生活者が、外国へ移住しているというのだ。 * * * * *「ペナンは5年の長期滞在ビザで暮らす人がこの数年で急増し、日本人だけで400人ともいわれる。末永さんのマンションも3年前の2世帯から今は30世帯近くになった。事業に失敗して年金生活の計画が狂った老夫婦、会社をリストラされ、年金をもらえる60歳まで安く暮らすために来た世帯……。年金不安が海外移住に拍車をかけている。」 マレーシアは年金が25万~30万円の「中流の上」の世帯を対象に「日本の2倍豊かな生活ができる」と宣伝してきた。だが、生活保護世帯からの問い合わせも来るため、軌道修正を検討している。単身の男性が認知症になり、日本に送り返されたケースもある。政府観光局の関係者は心配する。「いずれ日本人の路上生活者が出かねない」 「タイ北部の古都チェンマイ。神戸市出身の元会社員(64)と妻(55)は03年夏から年の半分を現地のゲストハウスで暮らす。年金は月約23万円。地元ラジオでDJをしている夫は「少ない貯金を取り崩さずに年金だけで生活するのが目的」と言う。ぜいたくしなければ月10万円前後で暮らせる。だが、年4回日本と往復する航空運賃の負担が重い。 タイも日本からの「年金移民」が増えている。日本での長期滞在ビザ(1年)発給が02年は69件だったが、04年は過去最高の203件に達した。長期ビザを取れない低収入の人も増えている。 アパートで独り暮らしをしている元会社員の男性(71)は年金が10万円を切る。日本の市役所で老人ホームを紹介された。2人部屋で夜は外出禁止。迷ったが、断った。今の家賃は約2万1000円。血圧計の電池代まで毎日家計簿につけ、残った分は貯金する。 時々食べたくなる塩こんぶや乾燥じゃこは年に一度帰国した時、スーツケースに詰め込む。「暇でね」とつぶやいて言い直した。「いや、こっちの方がずっといい暮らしができる。NHKの相撲も見られる」 記者(40)はチェンマイの郊外で、月約1万円でひっそり暮らす男性(58)にも出会った。よれよれの紙を財布から取り出して見せてくれた。社会保険庁のホームページで調べた年金額だ。「60歳 103万円」。あと2年、なんとか生きなければならない。この金額ならタイで暮らしてゆける。」 * * * * *これは、若く、日本社会に戻れなくなった若いバックパッカーの話ではない。日本の社会保障で、生きられなくなった、高齢者たちの話だ。団塊の世代が、これから大量に年金生活者になっていく。彼らは、若いときに、バックパッカーとして外国へ出た経験者も多いはずだ。あらたな、国際問題の火種になるニュースのような気がするのだが。
2006年01月15日
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鎌倉は、きょうは一日、雨だった。テレビを観ていると、豪雪地帯の方々は、大変なことになっているようだ。死者もでている。かなりの生活の不便も、強いられているようだ。散歩と雑学が好きな私にとって、外に出られないことは、それだけで憂鬱になる。そのうえ、NHKテレビで「氷壁」なんぞ、放映されているものだから、山への追慕も激しくなってきてしまった。これは、まずいぞ。雨で憂鬱といえば、卓球の起源には、いくつかの説がある。そのひとつには、日本の貴族の羽根つきというものもある。そのなかのひとつに「ゴッシマ」と呼ばれるゲームからだという説もある。これを考えだしたのは、アマチュア陸上競技連盟の創始者でもあるジャームス・ギップという人だ。この人物、大のスポーツ好き。外は雨で退屈、退屈でしょうがなかった。気晴らしを考えていた。食卓を台に、シャンパンのコルクを煙草入れのふたで打つというゲームを考え出した。コルクは、でこぼこして、打ちにくい。そこで、セルロイドの球にして、スピードを出るようにしたようだ。テレビで写った豪雪地帯の長野県の栄村に、しばらく滞在していたことがある。学生時代の友人が住んでいて、居候しながら、スキーを楽しんだのだ。ほんとうに、豪雪地帯だった。毎日、ひたすた、雪おろしだった。これなら、我慢強い人間ができあがると思った。雪を下ろしても、翌日には、また、積もるので、雪下ろし。とにかく、我慢するしかないのだ。競技スキーは、みんな、この雪の中で、いかにおもしろく遊ぶかということで生まれていったのだと思う。そういえば、スキーのジャンプは、はじめは監獄の囚人にスキーをはかせて、高いところから滑らせ、ジャンプさせたのがはじめだそうだが、遊びをせんとや、生まれけん。戯れせんとや、生まれけん。・・・・まあ、退屈になると、人間は、遊びを考えだすが、ほどほどにということもある。
2006年01月14日
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よく、奴隷のように働かされているとか、これじゃあ、まるで、奴隷だと言う人がいるが、歴史の本を読んでいたら、日本人がほんとうにポルトガル人によって、南米などに奴隷として売られた記録もあるようだ。ヨーロッパ諸国におけるアフリカの奴隷貿易は、1441年から1448年の間にポルトガル人が略奪という強制的な手法で1000人近くをポルトガルに連れ帰ったのが始まりだといわれている。 そして、15世紀から16世紀のポルトガルには多くの奴隷が連れてこられる。その中には黒人奴隷ばかりでなくアジアからの奴隷も見られたというのだ。 豊臣秀吉の時代には、多くの日本人が、奴隷としてポルトガルに連れてゆかれ、秀吉を激怒させているらしい。冗談ではなく、日本人が、ほんものの奴隷として存在してわけだ。もともと、アフリカ大陸では、14世紀以前にも、奴隷という階級をもっていた部族は多かったらしい。 つまり、部族間の争いに負けた部族民や、負債を返すことができなかった人たちが奴隷となっていたというわけだ。つまり奴隷は、戦利品のような存在だったといってもいい。しかし、この奴隷という身分は、部族の最下層民であって、 多くのアフリカ社会では奴隷の子孫も2代前後でその部族の成員として認められることが多かったようなのだ。その慣習を、拡大解釈するようなかたちで、ヨーロッパ人たちが、利用してしまったというのが、歴史の流れのようだ。ヨーロッパ人は、奴隷貿易のために、いつまでも、彼らの部族対立を利用していく。そして、奴隷貿易で、綿花など原材料がヨーロッパに大量に入ってくる。それを処理するために産業革命も起こっていったという。三角貿易。そして、アメリカでの奴隷制度、南北戦争。歴史は、いろいろなことが繋がっている。おもしろいのは、アメリカで奴隷解放がおこなれたとき、黒人の奴隷のなかから、奴隷解放をするなという運動が起こったことがあったことだ。奴隷達は、解放されると、どうして、職を得て、どうして生活していいかわからい、というのが理由だったようだ。彼らは、奴隷であることを、自ら、望んだ。この話は、深く考えると、ちょっと、怖い。
2006年01月13日
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井沢元彦は「言霊信仰」については、よく書いている。言霊信仰とは、言葉には霊力があり、言葉に出したことは実現するという感覚のことだ。これが、昨日書いた正月や結婚式の忌み言葉だけでなく、通常の生活でも広く根をはっていると彼は指摘している。「めったなことを言うものではない・・・」という日本人の言語感覚についてだ。不測の事態、最悪の事態といった「めったなこと」を口にしないという、その言語感覚は、そうした「めったなもの。」について考え、皆で協議して、対策をたてる機会も失ってしまうことにつながってしまっているという。もともと、危機管理などは、常にその「めったなもの」。つまり、最悪の事態を想定することから出発するものであるからだ。日本人が、この危機管理が苦手だといわれるのもそのあたりに原因があると指摘している。また、井沢元彦は、「世界の『宗教と戦争』講座」で、神道の本質は「穢れ意識」と「言霊信仰」であるということを書いている。日本における最大の「穢れ」は、天皇の死だ。だから、奈良、平安などの時代、かつては天皇が死ぬたびに、遷都してしまった。天皇の死は、いまでいえば、原爆が落ち、あたりが、放射線に汚染されたような感覚といっていいかもしれない。だから、都ごと移動してしまうのだ。井沢元彦は、「穢れ意識」については、この穢れの中に「恨み」も入っているという。穢れは死の穢れ、罪の穢れなどがあるが、恨みもこうした穢れのうちに入っている。だから日本では「恨みを水に流す」ことが美徳とされるのだ。井沢元彦は、今の日本では、自分はシベリアに抑留されてひどい目にあったからロシアには復讐してやりたいと思っている。なんていうことを公言する人はほとんどいない。これは世界的にみると稀有なことであろうと述べている。私が思うに、パスツールにより、病原菌が発見されまで、流行り病の原因が、いったい、なぜなのかわからなかった。どうして、人間がばたばたと死んでいくのだ。それらの原因を、人間の恨みや怨霊にしていたのだと思う。よく外国とのあいだで、歴史認識の違いが指摘されるが、必ず主語が入り、give,get,take,などで、会話する言語体系と、「言霊信仰」が背後にある言語体系の民族との会話は、なかなか理解しあうのは難しいと思ってしまうのだ。
2006年01月12日
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きょうは、鏡開きで、お汁粉を食べた。お供えしてあった鏡もちを手や木づちで割る正月の行事だ。この餅を食べると、1年間病気をしないといわれているようだ。もともと二十日に行われていたのが、江戸時代の初めに幕府が武家の具足開きの日を十一日に定めた事から、いまでも十一日に鏡開きを行うのが一般的になっているそうだ。では、どうして、開くというのか。武家社会では「切る」「割る」という言葉は嫌われていた。鏡餅を開く時には、切るにつながる刃物は使わないのがしきたりで、「割る」という言葉もおめでたい時には縁起が悪いので使わなかった。つまり、忌みことばは縁起がわるい。運を「開く」と言う意味をこめて鏡開きと変更されたようだ。だから、刃物で切ってわるようなこともしない。この忌み言葉。日本の風習の、いろいろなところで、使われる。結婚式などでは、破談、破綻など不吉な連想を伴うものとして、「切る、戻る、去る、帰る、出る、割れる、切れる、別れる、離れる、失う、病む、流れる、壊れる、破れる、滅びる、死ぬ、しめやかに、終わる、最後」また、たびたび、かさねがさね、などのような繰り返す言葉も、よく忌み言葉になる。不幸が繰り返したり、結婚を繰り返すということかららしい。外国の言語体系には、ほとんど見られない慣習だ。言葉に魂がある。言霊の影響ともいわれる。作家の井沢元彦が、この忌み言葉について、興味深い指摘をしていた。忌み言葉があるかぎり、日本人に民主主義の感覚は育たない。つまり、戦争中も、日本人が戦争に負けるなど、言ってはいけないのだ。言葉をはっしたとたん、それは言霊として支配してしまう、という。言葉が、それだけで力をもつ。誰もが、自分の気持ちを、素直に表現をしなくなる。なかなか、興味深い指摘だった。忌み言葉については、そのうち、もう少し、詳しく書きたいと思っています。
2006年01月11日
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きのうは成人式で、街には、真新しい着物や背広を着た若者たちを、ずいぶんと見かけた。一部なのだが、羽織袴にサングラスを頭にかけて、得意そうに煙草を吸っている男性や、茶髪に厚化粧で携帯をもった着物の女性たちもいる。テレビでは、成人式の会場で、騒ぎをおこしている若者たちがニュースになっていた。いつのころからだろう、こんな若者たちの悪ふざけの騒ぎが、毎年のニュースになるようになってしまったのは・・。成人式になると、思いだす出来事が、ふたつある。ひとつは青年自衛官の成人式だ。1970年代。私が、まだ幼く、若い頃の話だ。テレビのブラウン管の中で、沖縄の青年自衛官は、同じ若者の集団に囲まれて、詰問されていた。ベトナムでは戦争をやっている。君は、それについて、どう思うのか。君のような人殺し集団の人間を、成人式の会場に入れることはできない。青年自衛官は、大学生を中心にした彼ら反戦運動家の矢継ぎばやの詰問に、黙り続けていた。彼は、成人式の会場には、結局、入ることはできずに去っていった。自衛隊員というだけで、成人式に参加することができなかった。あの頃、沖縄の成人式は、そういう成人式だった。もうひとつの出来事は、高校の頃の話だ。私は、高校の受験に失敗した。そして、ある私立の高等学校へ行った。すべりどめの高校も受けていなかったので、流れされていくように進学した高校だった。当時、その私立高校は、そんな生徒の集まりだった。進学校の受験の失敗者、家庭が複雑で問題のある学生、本人にいろいろな過去のある学生、・・そんな、学生が吹きだまるように集まってきていた。十五の私は、そんなクラスで、鬱々としていた。同じクラスには、十八になる不良も入学していた。不良は、裕福な金持ちの子供だった。この男は、頭はいいのだが、家庭が複雑で、すぐに暴力をふるい、退学を繰り返す男子学生だった。この学生が暴れだすと、誰も、手に負えなくなっていた。「静かにしろ。あまえるな。」ひとり、大声でこの男子学生にむかっていったのは、色の白い女学生だった。この女学生の肌は、ほんとうに透きとおるように白かった。そして、小枝のように身体は細かった。美しい女学生だった。一触即発になりそうになったので、私は止めにはいった。教師も入ってきて、その場は、なんとなく収まっていった。「私・・・、たぶん、・・20歳まで、生きていないと思う。」この女学生とは、そのとき、いくつかの言葉を交わした。しかし、そのあと、彼女とは、ほとんど喋ることもなく過ぎていった。この女学生は、高校への登校する回数が、まばらになっていき、やがて、来なくなった。女学生は、その後、まもなくして、亡くなった。自分の言葉どおり、彼女が成人式をむかえることはなかった。彼女の病名が、なんだったのか、私はいまでも知らない。20歳。そのときの私は、成人式なんて、ずっと、ずっと、さきの話にしか感じられなかった。成人式が、遠い未来の話だったのだ。動物が大人になるということは、群れから、離れ、自分で餌を探しはじめることを意味するはずだ。大人になるということは、つまり孤高になる、ということなのだ。成人式で集団で、悪ふざけをして、暴れている若者たちを見ていたら、このふたりの出来事を思い出してしまった。一人前の大人になるなら、群れることを拒否してほしい。孤高の意味を知ってほしい。大人の意味を知ってほしい。沖縄の青年自衛官と薄命の女学生。ふたりは、ほんものの大人だった。
2006年01月10日
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ある私鉄沿線の駅前に、アパートがあるのだが、この三階の一部屋に空きがでている。本業を持っている人間にとって、不動産ビジネスは、本業への影響がないという意味では、ちょうどいい副業だと思う。金の卵を買うよりも、金の卵を産むニワトリを買うほうがいいように、てごろな建物が見つかったら、購入するのもいい。いまなら、都心の中古ワンルームなら、3~400万円ぐらいからある。もちろん、老朽化、価格の下落、大地震などのリスクもあるので、万人にすすめることはしない。もちろん、リスクを避けるための知識は必要になるが、リスクのあるところにしか、リターンも得ることはできないものなのだ。また、この文章を読まれていられる方が、サラリーマンなら、べつの財布をもつということは、それだけで、精神的な独立心がうまれることになると思う。組織で、気にいらないことを強いられたとき、毅然としていられるのだ。数日まえのブログにも書いたが、精神的な独立心をもつためには、経済のバックボーンが、どうしても必要なものなのだ。しかし、投資の不動産も駅前だから、すぐに入るという時代ではなくなっている。投資用の不動産を賃貸するということも、まさしくビジネスなのだ。地主で余裕のある状態で、はじめたわけではないので、私は、ずいぶんと本を読んで研究した。たどりついたのは、貸す部屋を、ホテルの一室のように提供するということだ。アパート、マンションの賃貸をホテルの事業のように行う。この方法なら、不動産が、金持ちの地主や町の不動産屋がほとんどなので、ビジネスとして旧態依然としているところがあるので、風穴を開けることができそうなのだ。まず、建物は、色によって印象が変わる。外壁や階段の色を変え、色の組み合わせを工夫するだけで、高級感と品がでる。人間の五感から受ける印象は、87パーセントが視覚で、そのうち、色の情報は55パーセントだそうだ。形が45パーセントなので、人間が受ける色の印象というのは、かなり重要なものなのだ。部屋の壁紙を、薄っぺらい、安物の白ではだめなのだ。ホテルの壁紙のように、薄いクリーム色や都会的なクールな青味がかるほうがいい。そして、まず、玄関の入り口には、ハーブを置き、部屋には、うっすらと心地よい匂いを満たした。部屋には、シティホテルの部屋に備え付けた宿泊ガイドのようなものを置いた。そこには、近隣の公園、公共施設の場所、空調機、ガス電気の仕様書、などが書かれている。そこには、オーナーからの手紙も入っている。困ったときには、早急にかけつけられる管理会社の連絡先も書いてある。メモのためのペンや便箋なども置く。さすがに聖書だけは、置いていない。そして、サニタリー。ここのトイレには、「消毒済み」の紙のカバーをかけるのだ。まさしく、ホテルのサービスなのだ。訪問に来た、内見者の方に、ここちよく思っていただくようにするのだ。こんなことを、やっていると、アパートやマンション経営が、いつのまにやら自分がホテルを経営しているようになってきて、おもしろくなってくるのでありました。
2006年01月09日
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財産三分法ということを、昔から、言われている。自分の財産を、預金、株、不動産の三つにわけて持っているのが、いちばん良い財産所有の方法だとする教えだ。株や土地も、バブルを経験したが、この教えは、いまも生きていると思っている。いまの日本は、長いデフレの時期が続いているが、資本主義社会というシステムは、インフレが持病だから、遠くない未来に、インフレがはじまるだろう。国の膨大な借金を減らすためにも、政策的にもインフレをおこすのは、時間の問題だと思っている。だいたい、いままでの歴史でも、定期預金をこつこつ貯めて、金持ちになった人はいない。しかし、悲劇はある・・。こういう実話がある。ドイツに、ふたりの兄弟がいた。兄は呑んだくれで、稼いだ金で、酒を飲んでは、毎日、遊んでくらしていた。まじめな弟は、稼いだ金をせっせと貯めた。弟は、食事も質素に、遊ぶこともせずに、毎日を過ごした。年月が流れ、国は、はげしいインフレに襲われた。まじめな弟の貯めた預金は、紙くずと同じように価値のないものになってしまった。貯めたお札で、卵、ひとつしか買えないのだ。その時、遊んで、呑んだくれていた兄のところには、ワインやウイスキーの空いた酒ビンが、あたりに大量に残っていた、インフレで、その酒ビンを売ったら、それで、金持ちになってしまった。・・・・・・・・とさ。経済というものは勉強していないと、翻弄される。学校教育というのは、勤勉な労働者を作るには適しているが、ファイナンシャルな知識は社会に出て、自分の頭で考えていかないといけない。経済には、ふたつの顔がある。とくに、物やサービスを提供して利益を得る実体経済。そして、もうひとつは株をはじめとする金融商品で利益を得るマネー経済。優れた製品やサービスを提供する実体経済は、プロジェクトXに代表される勤勉な日本人が得意とする分野だ。もうひとのマネー経済は、為替、株式、債権、商品を利用した投資であり、ゼロサムの社会であり、市場を利用した賭博性のあるものなので、勝負の世界でもある。いい悪いではなく、世の中は、そういうものであり、経済には、常に、このふたつの顔を持っているということだ。とくに、いまは、実体経済は、大きく成長してしまい、物があふれ、供給過剰になってしまっている。余剰資金があふれだしているので、使い道のない金がマネー経済のほうに流れている。そして、いまや、実体経済の35倍のお金が、ものづくりより、マネー経済へと流れこんでしまっているのだ。そういう時代になってしまったということらしい。不快になってはいけない。マネー経済は、実体経済のようには、地に足がついていない。しかし、苦手な相手ともうまくいくように、この状況は慣れないといけない。私も財産三分法は、実践している。預金は、かつては郵便預金の定額でもっていたが、いまは、ネットバンクの新生銀行を中心にしている。金の移動に手数料がかからず、ネットで瞬時に動かせるからだ。不動産は、自宅以外に、投資用マンション、アパートを持っている。株は不勉強のために、ファンドで所有している。どれも、相続でもらったものはないので、自分で考えて投資を考えている。投資用のアパートは、先日、おもしろい本を読んだ。刺激をうけて、試してみようと思った。詳しくは、次回に書こうと思っています。
2006年01月08日
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きょうは、七草粥を食べた。独身の友人が、昨年に両親が亡くなり、いろいろな世間の風習がわからなくなり、どうしたらよいのかと私に訊いてくる。正月の飾りは、いつから、飾るものなのか、そして、いつ、取り外すものなのか。七草粥を食べなければいけないのか。鏡開きはいつ、どうして、やるのか、・・などなど。親がやっていたことが、何にもわからなくなってしまったそうだ。私は、ウンチクオヤジなので、そういう質問には、けっこう、得意になって、とめどもなく話をしはじめてしまう。へえ、と驚いてくれたりすると、ちょっと、うれしい。「元日に掃除をしてはいけないのは・・なぜ。」正月は、もともと、年のはじめに福の神を迎えるための祭りだった。福の神が、舞い降りてきたのに、掃除をすると、神様まで、掃きだしてしまう。だから、江戸時代の商家では、福の神を留めるために、雨戸を閉め切っていたほどなのだ。ほかにも、正月に餅を焼くのは、男の仕事で、それは、台所にいる火の神様を怒らせないためだ。もっとも、そして、女性たちの仕事を休んでもらう意味があったようだが。「1月2日には、書初めを行う。」「書は人なり。」と、書く字が、その人物そのものを現すものと言われ、昔は、正月には、欠かせない大事な儀式であった。だから、正月には、新しい筆と硯を用意して、床の間には、学問の神様、菅原道真の絵をかざった。そして、おめでたい字を書いたといわれる。書初めの風習は、江戸時代の寺子屋教育が、それを広めていく。書初めで書いたものは、正月の15日のどんど焼きの火で焼く。その火が、高く燃え上がると、いっそう、字がうまくなると言われたのだ。「そうですか・・。」友人は困った顔をした。「家には、床の間ももちろん、硯も、筆もありませんし・・・。それに、どんど焼きといっても、焚き火はダイオキシンの関係でできないし、だいいち、火をつけるマッチって、家にあります?」「・・・・・。」
2006年01月07日
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よく、ある人に幸運が訪れるとき、あの人は運がいいとか、悪いとかいうが、言うが、ほんとうにそれだけなのだろうか。運というのは、作り出していることもあるのではないか、と思うときがある。たとえば、懸賞によく当たる人というのがいる。話を聞くと、隠れた努力をしている。まずは、雑誌などでは応募者の少ないものを選んでだしている。「週間文春」よりは、「週間大衆」「週間漫画」のような、雑誌のほうが、よく当たるそうだ。このような、大人の漫画のような雑誌の懸賞は、懸賞商品が良いわりには、応募者の数が少ないらしい。そして、葉書の楷書は、名前も、住所も、丁寧に書くことだそうだ。ラジオ番組の抽選では、「御中」という礼儀も書けない人は、まえの段階で落としてしまうそうだ。ほかにも、緑色のペンで書くのがよいそうだ。蛍光ペンや、赤マジックでの応募は多く派手で、緑色のペンのほうが、好感がもたれるようだ。たかが、葉書一枚を出すのにも、並々ならぬ努力をしているのだ。かつて、アメリカのジャーナリストが調べたもので、同じ事故多発地点で、交通事故に出会う人と出会わない人との性格、行動の比較をしたものがあった。幸運にも、事故に会わない人の特徴というのは、大切な友人との付き合いに労を惜しまぬ人、自分自身の生き方に積極的な人、精神状態のコントロールができる人だったそうだ。交通事故に会うことのリスク回避が、このような人たちには、潜在的に存在しているのかもしれない。私の友人で、すごく、運のよいと思う人たちは、やはり、精神状態が安定していて、自己コントロールできる人たちだ。そして、表面には現れず、口には出さないが、みな努力家でもある。この種の人間と組んだときは、私までも、失敗しない気がする。慌てて、失敗を繰り返す人ほど、失敗を運のせいにしている。ものごとには、自分の力で可能なかぎり、どうにかできるものがある。万策つくしてというが、その容量や決断も、人によって違うのではないだろうか。織田信長は、運のよいものを家臣にする条件にして、豊臣秀吉を好んだそうだが、戦場での運の運びかたというのは、生死までも分ける大事なことなのを、信長は、知っていたのだと思う。運というのは、ある程度までは、コントロールが可能なのではないだろうか。「運も実力のうち」とは、よく言ったものだ。
2006年01月06日
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若いときに、アジアの難民キャンプやスラムで活動して過ごしていたことがある。そのときに、いろいろなことを考えさせられた。とくに、日本からの援助が、歪であること。食料や金銭などの援助物資は、途中の役人の手に渡り、彼らが私腹を肥やす材料になるなんてことは、よくあった。ほかにも、電気のないような場所に、最新医療機器が送られていて、説明書も読めず、放置されたままになっていたりした。これなどは、後からのメンテナンスのこと考えたりすれば無駄なものだった。それなら、むしろ、日本の蚊帳のようなものを送ったほうが、マラリアなどの予防に役にたつし、永久的に使えて喜ばれるのだ。のちに、途上国の援助は、問題になっていたが、たぶん、いまでも、くい違いのようなことは起こっていると思う。先進国と途上国の関係には、微妙な問題がある。たんに物や金銭を与えるというだけでは、どちらにとっても不幸に関係だ。本人の経済的自立を目指さない、金を与えるだけの福祉が、相手を寄生する人間にしか育てないようにだ。経済の自立は、どの国にとっても、とても重要なのだ。しかし、資本主義社会における先進国の援助というのは、基本的には、途上国との、自己都合的友好という宿命をもっているものなのだ。『ネクスト・マーケット』C.K.プラハラード/英治出版という本を読んだ。この本の発想が、すごく、ユニークだと思った。まず、40億人から50億人の貧困層を資本主義システムに組み込めば、世界規模のビジネスと繁栄が実現すること指摘していく。彼ら貧困層を活発な市場に変えるには、まず経済ピラミッドの底辺にいる人たちを「個人として尊重すること」から始めるべきだとする。そして、貧困層を活気ある市場に変えるための、その分野で成功を収めた、世界中のたくさんの企業の事例を知っておくこととして、たとえば、ブラジルの「カサス・バイア」。彼らは、スラム街の住民たちを顧客とする小売業者だが、「信用売り」という手法で、お金のない人々に購買手段を与えた。また、メキシコの「セメックス」は、世界最大規模のセメント製造会社だ。彼らは「パトリモニオ・オイ(今日から子孫に財産を)」というプログラムを進めている。これは、顧客に毎週貯金をさせることで、いずれ自宅の増築が可能になるというサービスを構築する。貧困層の顧客化に成功した企業に共通するのは、貧困層の視点を理解したこと。わずか1日2ドルで生活する貧困層のためのイノベーションに成功すれば、数十億人という新しい消費者を獲得できる、としているのだ。この本の指摘を読み、しばらく、考えこんでしまった。貧民国の彼らを食い物にするのか、という意見は幼いと思う。人間は、ある意味、経済的自立の裏づけでもって、精神的自立がある生き物だと、思っているのだ。
2006年01月05日
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今年、除夜の鐘を聞きながら、初詣にいったら、犬をいっしょにつれてきている人たちが多かった。なんで、夜中に犬まで、連れ出してと思ったが、よくよく考えれば、今年は、戌年だった。戌年というのは、社会に大きな影響を与える出来事が起きるのが特徴らしい。いままでも、日本国憲法公布、ロッキード事件田中元首相逮捕、三島由紀夫クーデター未遂事件社会党村山内閣成立などが起きている。特に今年は「丙戌(ひのえいぬ)」丙には、あきらかにする、強いという意味があるようで、かなり、大きな出来事が起きるという人もいる。「申酉騒ぎ戌が笑う」という格言がある。十二支の世界での、社会の変化の波を言い表す言葉だ。申年や酉年で、意見が交錯して、騒いでいたことが、戌年にはすべてうまく行くというような意味で使われるそうだ。ネットでこの言葉を調べていたら、立花証券会長・福園一成氏が、「立花月報」2004年1月号「相場展望」で次のような文章を書いているのでご紹介する。 * * * * * * 戦後五回目(平成十六~八年)の桃太郎役は小泉純一郎総理。いちおう任期は平成十八年(二〇〇六年)戌年の九月まで。戌といえば戌笑うという諺がある。ついでに十二支の諺と戦後東証再開(昭和二十四年=丑)後五十五年間の十二支の勝率(年間陰陽足)を紹介しておきたい。子(ね)繁盛(三勝一敗)丑(うし)躓(つまずく=二勝三敗)寅(とら)千里(千里往来=一勝四敗)卯(う)跳(はね=四勝一敗)辰(たつ)巳(み)天井(辰四勝一敗巳(み)三勝二敗)午(うま)尻下(二勝三敗)未(ひつじ)辛抱(三勝二敗)申(さる)酉(とり)騒(共に三勝一敗)戌(いぬ)笑(三勝一敗)亥(い)固(かたまる=四勝) ・・・・・果して小泉総理は戌年で笑えるかどうか。 * * * * * * 干支で、これからの経済を占うのも、強引なような気がするが、経済をになうのは、人間であり、株などは、気分の部分も大きく左右する世界なので、世相に影響をすることも充分に考えられることでもあるのだろう。まあ、理由はなんであれ、それで皆の気分が明るくなれば、まあ、いいか。
2006年01月04日
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「博物館へ、初詣」そのコピーにつられ、東京国立博物館へ、出かけた。正月の博物館では、この日、獅子舞、紙きり、和太鼓、箏曲演奏などが、館内の庭などで開かれている。館内の展示も、「犬と吉祥の特集」など、特別展示もされている。獅子舞では、布袋様が、小槌を振って、小さな小判を撒いていたりした。和太鼓も、十数人の若者たちが、太鼓をいっせいに打ち鳴らすのは、かなりの迫力で、さらに、夜叉の鬼の面を被った奏者が、大きな太鼓の上で舞い、飛び降りたりするパフォーマンスとともに、大太鼓を乱れ打っていた。太鼓というのは、原始的な感情を呼び起こされる。間近で演奏を聴いたが、魂が鷲づかみにされ、揺り動かされようだった。きょうの朝日新聞の天声人語には、筆者が正月の江戸東京博物館にいったことが書かれていた。こちらの博物館では、北斎の「富獄三十六景」の展示が、されているようだ。そして、こちらの江戸東京博物館でも、寄席に見立てた一角があって、「おたから~、おたから~」と、昔の物売りの掛け声を聞かせ、入館者には、七福神が描かれている昔の「宝船絵」が、配られたそうだ。正月の江戸の町では、枕の下に敷いてよい夢を見るように、「宝船売り」が「おたから~っ」の声とともに、売り歩いたということが記事に書かれていた。ここでは、北斎の富士の絵とともに、初夢をテーマにした展示を試みたのだろう。私の訪れた東京国立博物館では、吉祥の展示として、吉祥が描かれた、寝着が展示されていた。これは、悪い夢を見るのを、避けるために、寝る着物に、好んで描かれる図柄だそうだ。正月に見る夢を初夢として、昔から、特別の意味があるようだが、どんな、初夢を見ましたか?いい夢でしか?
2006年01月03日
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大きな鉄の球のなかを、完全にくりぬいて、内側を真っ白に塗る。そこを、赤い光で照らして、中をのぞくと、赤一色の世界だが、一時間もすると、赤みをぼんやりとした明るさしか、感じなくなるそうだ。それは、人間が色を感じるのは、視野のなかに複数の色が同時にあることが、前提なのだという。つまり、人間は、色も、比較で感じている部分があるということだ。いちめんの雪の世界も、ところどころに、家や木が点在していて、雪の銀世界が広がるということだ。吹雪の中の、ホワイトアウトのような白だけの世界では、銀世界の美しさもでてこないというわけだ。千利休は、一輪の朝顔を飾るために、庭に咲く朝顔を、すべて、取り去ってしまっている。その千利休の茶法を聞き書きした秘伝を、堺、南宗寺の南坊宗啓が「南方録」にまとめている。そこには、こう書かれている。「雪の会は、何とぞ、足あと多くならぬやうに心得べし。とび石のうえは、かり水にてそっと消すべし。」雪の上を歩く草履や下駄の足あとが多いのは無粋である。飛び石のうえの雪は、水をかけて消してしまいなさいという教えのようだ。これも、朝顔のときと同じ発想で、雪を消すことによって、雪の白さや清純さを、引き出そうとしている。今年は、日本中で、雪の正月が多い。雪見障子という低く上下する小窓を作り、雪を愛でるのが日本の家屋でもある。正月の雑煮は、地域によって、味噌、醤油、豆腐、昆布、里芋、白菜、海産物、など、入れる種類も、まちまちで、おもしろいが、日本のスープである、汁ものの中身が、季節によって変わり、その具の中身で季節を楽しむスープと言うのは、世界でも、日本だけなのではないか。雑煮を食べながら、そんなことを考えていた。そして、この降っている雨は、雪に変わるのだろうかと思っていた。
2006年01月02日
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明けましておめでとうございます。本年も、よろしくお願いします。新しい年の正月を迎えると、思い出す話がある。どんな、才能のない写真家でも、展覧会を開き、注目される方法。それは、同じ街角を30年間、撮り続けるということだそうだ。たとえば新宿アルタ、澁谷ハチ公前、銀座4丁目と一箇所を決める。そして、その同じ街角を30年間、撮り続ける方法だ。30年後には、どんな写真家でも、注目される写真家の展覧会が開けるという話だ。ビデオや写真を撮っていて、それが興味深いものになるのは、自然の風景ではなくて、家族や子供の、若いときの姿であったりする。写真がタイムカプセルの役目をしているのだ。森羅万象、あらゆるものには、時間の経過というものが存在している。私の両親の家は旧家なので、とても古い家だ。そして、庭に面して、大きな縁側がある。親戚一同が集まると集合写真を、いつも、その場所で撮っている。同じ場所であるから、その写真を見ると、戦前、戦中、戦後、そして、現在と、時代の流れがわかる。孫が生まれ、祖父が死に、子供が大きくなり、戦争の影も写真には、残っていく。同じ縁側の場所で、ときに家族が増え、ときに家族が減っていく。正月、親戚や家族が集合したとき、同じ場所で写真を撮ることを、ずっと、何年も継続していくと、それも、りっぱな歴史資料になっていくものなのかもしれないと思ったのだ。新しい年がはじまった。この新しい年が、過去になるとき、くいの無い生き方をしたいと思う元日だった。(追伸)1月号の表紙は、リンクしている、「鎌倉ブログ」の、よろずや2643の写真を,また、使わせていただいた。湘南の海の写真だ。いつも、よろずや2643さんは、鎌倉の風景を写真で紹介してくれていているのだが、ほんとうに写真がよくて大ファンなのです。鎌倉のイベントなども、詳しく紹介されていますので、ぶらり鎌倉への旅には、きっと、よい情報源になりますよ。鎌倉ブログ
2006年01月01日
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