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大空のひとところを、指差して、月にむかって、「そこに、とどまれ!」などと言う、愚か者は、いないはずだ。若い娘の心にむかって、「ひとりを愛して、心がわりせぬことだ。」などと、いう者があるか。若造。八月も終わりだ。八月とは、そうして、流れ去っていく月なのさ・・・。
2006年08月31日
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アルプス電気の採用試験では、志願者に、こういう質問をするそうだ。「君は美人がそばにいると、どう思うか?」1、非常に気になる。2、やや、気になる。3、ぜんぜん、気にならない。どれを選ぶか、どこまで、本音で答えるか、ここが採用試験の難しいところだ。このアンケートでは、「やや、気になる。」という人がいいそうだ。1も、3もだめ。なぜなら、美人を情報に置き換えると、情報に振り回される人や、情報に対して無関心な人は、だめだというのだ。パソコンなどのエレクトニクス革命が起こった、今の時代の一年間に与えられる情報量は、徳川時代の三百年間分に匹敵するという。確かに、江戸時代は、鎖国のうえ、移動できない社会だった。一般の農民は、畑を耕して、外のことなど、ほとんど、知らないまま、一生が過ぎていったのだろう。ところが、情報の洪水という時代のなかで、今は生きているわけだ。かつて、父親が尊敬されたのは、情報は父親から、もたらされたからだろう。父親は狩りにでて、外の世界を知っている。いま、外の世界では、こんなことが起こっている。こんな獣がいる。だから、皆、こんなことに注意しなければいけない。家族や村の人々は、なるほどと、頷く。その父の言葉を信頼し、尊敬していたのだ。情報革命がおこるまえまでの日本は、鎖国をとき、開国して、大本営発表を聞いて育った。それが、つい最近までの我々、日本の社会だ。ところが、今や、世界中のニュースが瞬時にわかってしまう。よく父親に権威がなくなったというが、それはある意味、あたりまえの話だ。的確な情報が父親から、得ることができなくなれば、父親は、尊敬はされるなくなるものだろう。ただ、えばっていても、愚かにしかみえない。人は、知識や、情報に尊敬の念をいだくものだからなのだ。つまり、どこそこに、こんな美人がいるという情報を持っている人が、今は、尊敬されるというわけだ。・・・・・・違うか?!
2006年08月30日
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ドキュメンタリーを見ていたら、なかなか、おもしろかった。歌舞伎町の水商売ではなく、その周辺の商売を紹介していたのだ。たとえば、24時間営業の八百屋。八百屋といっても、普通の八百屋とは違う。果物や飲み物が、客の急に欲しがる果物や飲み物などが、この八百屋では、どんどん買われていく。深夜営業の写真店。ここでは、ホストやホステスの店に飾られる営業用ポートレイトが撮られる。この店には、ホストやホステスたちの予約が、ひっきりなしに入ってきていた。客と同伴で、写真を撮りにくるものもいる。また、ホスト、ホステスらたちの着る普段着とは、程遠い豪華な衣装ドレスを売るご店も、ビジネスになっていた。深夜営業の花屋、アート風船屋、これらも商売になっている。酔った客がプレゼントに使ったり、店のデスプレイに使うようだった。ほかにも、ペットショップ。また、ここはペットホテルや、ペットのトリートメントなどもやっていて、ここが、キャバクラ嬢たちの愛犬、愛猫たちが預けられる。そのうえ、週に、3~5匹の高価な犬や猫が、この店から売られていく。彼ら、深夜族をターゲットにした24時間営業の寿司屋やラーメン屋も、がんばっている。ゴールドラッシュのとき、砂金を探すハンターたちより、彼ら砂金目当てのハンターたちを、相手にした作業着、ジーパン屋やそれらの洗濯屋が、ビジネス的に成功したように、歌舞伎町でも、水商売より、その周辺のひとたちが、ビジネス的には、成功するということもおこるかもしれない。以前、読んだ本に、ビジネスのスタートが、歌舞伎町での、路上でカキ氷を売りと書いていた男がいた。成り上がりを自称していた。それも、ただのカキ氷ではない。彼は、カキ氷のための氷を、魚市場から、ただでもらってくることを考えつく。そのままだと、氷が魚くさいので、レモンをたらして匂いを消す工夫をする。原価は、ゼロに近い。路上で、売っていると、ヤクザと争いになるが、なんども脅され、殴られても、けして、ショバ代を払わなかったようだ。その資金をバネに、彼は、そのあとの自分のビジネスを成功させてしまうのだった。なにかが、流行っているときは、ちょっと、その周辺のものの動きを見ているとおもしろい。
2006年08月29日
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私たちは、三つの教育を受ける。ひとつは、両親から、もう、ひとつは、校長から、そして、残りは社会からである。そして、この三番目は、初めのふたつが私たちに教えること全てに、矛盾するものである。 (モンテスキュー)
2006年08月28日
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折りたたみ自転車で、ぶらりひとり旅をしていたら、自転車がパンクしてしたのに気づいた。それまで、横浜のアウトレットとヨットハーバーで、船を見ながら、優雅に食事をしていて、さあ、違うところへ行こうかと思ったやさきだった。自転車がパンクすると、押して歩くことになるのだが、いくら歩いても、自転車屋というのがない。自転車屋は、町からなくなっているのだろうか。これほど、自転車が町にあふれているのに、自転車屋というのは営業が困難になっているのだろうか。いま、パンクを直すのは、いくらかかるのだろう。もしかして、パンクを直すということはしないのだろうか。探せば、4~5000円ぐらいから、自転車が買える時代だ。自転車は、直すより、消耗品になって、自転車置き場などに捨てられるのか、あげくに北朝鮮や中国などに、船で運ばれていく運命なのだろうか。自転車を押して歩いていると、中央市場の横に看板があった。「ここに、動物を捨ててはいけません。」とある。そうか、ここは市場だ。つまり、飼えきれなくなった犬や猫を、ここに捨てれば、食べ物には困らないという安易な発想なのだろう。子供にせがまれ、犬や猫を買ったのはいいが、世話をしきれなくなった家は多いはずだ。子供はねだるだけねだっても、飽きてしまい、世話をしなくなる子も多い。家も狭い。この看板の言葉は、ペットブームの裏の顔なのかもしれない。しばらく自転車をひっぱっていくと、リサイクルショップがあった。自転車の修理道具が売っているかと思ってはいったのだが、中では、事務机、ロッカー、カウンター、大きな冷蔵庫、炊飯器、厨房器具などが売られていた。寿司皿や大鍋などもある。眺めていると、今にも、会社や店が開けそうな、品揃えだった。どうやら、つぶれた会社や店舗のものを買い取って、リサイクルで売っているようだった。そういう時代なのだろう。こういう、事務用品や店舗用品のリサイクルが、今、商売になっているというわけだ。しかし、自動車屋は、いくつも現れるが、自転車屋はまったくない。むかし、イタリア映画で「自転車泥棒」という映画があった。盗まれた自転車を親子で、ずっと探しつづけるネオリアリズム映画の傑作だ。自転車を押しながら、その映画を思いだしていた。この映画が上映された時から、数十年の歳月が過ぎている。自転車屋を探しながら、不思議な看板や店に出くわす。それが、いまのネオリアリズムの風景なのだろう。
2006年08月27日
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僕は、ここにいるんだけど・・。早く、見つけてくれないかなあ・・・・。もう、かくれんぼ、終わっちゃったのかなあ・・・。お~いい。僕は、ここにいるんだぞ。すごいだろう。驚いてくれよ・・・。・・・・・ぼくを忘れて、みんな、家に帰っちゃたのかなあ・・・・。
2006年08月26日
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最近、暑気払いということで、店を予約するとき、出席者から、その店のメニューで、麺類が出るかと訊かれることがあった。その人は、口の肥えた食べ物にうるさい人だったわけではない。じつは、ひどい蕎麦アレルギーの人だったのだ。出された食べ物の中に、蕎麦の粉が含んでいただけで、アナフィラキシーショックを起こし、救急車で病院へと運ばれることになってしまったという。そういうことで、予約した店にメニューの中身を、こんど点検してもらうことになった。以前にも、別の人で、似たケースがあった。食事をしていたら、急に顔のまわりが赤くなって、呼吸困難になってしまったのだ。自分は蕎麦アレルギーだという。しかし、メニューの中には、蕎麦はでていない。だされたのはウドンだった。じつは、これがいけなかった。蕎麦と同じ釜で茹でたウドンに蕎麦粉がついてしまったためということだった。調べてみると、この蕎麦アレルギーの人は、いろいろなところで受難をうけている。デパートを地下食料品のコーナーを歩いていたら、蕎麦うちの実演が行われ、その舞う蕎麦粉で、アナフィラキシーショックをおこしてまった。町おこしで、学校、公民館などで蕎麦うち教室をしたために、そのあと、学校へ行けなくなってしまう。それを抗議しただけで、こんどは村八分のような仕打ちをされる。蕎麦アレルギーを告知したら、生命保険への加入が許されなかった・・・等々。このアナフィラキシーショックは、ときに死にもいたるようだ。〔参考〕「そばアレルギー」http://homepage3.nifty.com/takumi_k/allergy.htm「アナフィラキシー」とは、食物・薬物などの何らかの異物が体内に入り、急速に(通常、数秒~30分以内)、じんましんなどの皮膚症状に加えて、咳、喘鳴、腹痛、嘔吐などの症状を起こす反応をアナフィラキシーといいます。強いアレルギー反応が急速に起こる場合、と考えてよいと思います。小児では、食物摂取や薬物の内服後、抗生物質などの注射後、予防接種の後、ハチに刺されたあとなどに、アナフィラキシーが起こる可能性があります。(皮膚のかゆみ、じんましん、皮膚の発赤、嘔吐、腹痛、下痢、呼吸困難、不整脈、ショック、意識障害など)食事の後、食後の運動の後、予防接種の後、はちに刺された後、などアナフィラキシーが起こる可能性がある。これらの症状があったら、アナフィラキシーを疑う。これら症状の悪化が考えられ、時には、死にいたるという。 小児科では、注射後、30分以内は、病院の近くにいることを望んでいる。
2006年08月25日
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世界には、長寿村というのがある。ソ連のウズベック地方、チベットの山奥、パルーのビルカバンバなどだ。それらの地方を、調べると、ある共通したことがあるという。それは、一、住居は南面で、日当たりがよく、水はけがよい場所。二、小食粗食。三、多忘。・・・・・・・・この、三つだそうだ。たしかに、思いあたることがおおい。風水というものを、詳しくは知らないが、住まいの環境が人間の体に影響を与えることは、うすうす感じる。山際にたった暗く湿度の高いマンションがあって、そのマンションからは、病気や自殺者がずいぶんとでていた。たぶん、あのじめじめした環境が人の体になんらかの影響を与えていたのではないか。北欧の人には、鬱病がおおく、南イタリアに陽気な人が多いのも、一日の日照時間など、太陽が与える影響に違いない。天気がいいだけで、気分はいいものだ。だいたい、雨が続いたり、天気がよくても湿度が高いと、それだけでいらいらする。人間の感情なんて、そんなものだ。そして、小食粗食。これも、よくわかる。昔、仕事が忙しく、身体を壊して、健康法の本を読み漁ったとき、食べ物があたえる影響をしみじみと感じだ。断食も、試みたりしたら、すこぶる健康になっていった。3日間の断食をやったときは、自分の嗅覚を含めた、感覚が研ぎ澄まされ、鋭敏になっていくのがわかった。野生の自然治癒力が、蘇ってくる感じなのだ。どうやら、氷河期などを乗り越えた人間の体というのは、飢えた状態のほうが、自然なようなのだ。考えれば、人類の歴史上、三食まともに食えた時代なんて、ほとんどない。だから、小食粗食は、人間、本来の食事なのではないだろうか。ここ何年も、私は、朝は、野菜ジュースを一杯飲むだけだし、昼も、ほんの少ししか食べない。まともに食べているのは、夕食ぐらいなのだ。おかげで、病気知らずの健康人だ。最後の多忘。多忘とは、過ぎ去ったことはどんどん忘れて、これからのことを考えよう、ということである。つまり、悩むのは、それだけで病気になってしまうということだ。サマセットモームの言葉で、こういうのがあった。「老人になるということは、肉体のおとろえを意味することではない。記憶の重さに耐えかねるということである。」テレビのご長寿クイズに出てくる老人たちの、あの珍回答を聞いているのが、大好きなのだが、あれが長生きのベストの思考法ということになる。こうして、書いていると、いいかげんなお坊さんに、長寿の方が多いのが、わかるような気がしてきたのだが・・。
2006年08月24日
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子供は、礼儀正しく生きなさい。青年は、情熱を抑えてすごしなさい。大人は、公平な人になりなさい。老人は、よい助言者になりなさい。 アイハヌム
2006年08月23日
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海を渡る蝶がいる。この蝶は、小さな青い半透明の羽をもつ蝶で、海さえも渡っていく。飛翔のしかたは、あまり、羽ばたかず、ふわふわと滑降するように滑空していく。陸路を選ぶものもいて、そのときは、花から花、森から森へと移動していくという。蝶の名前は、アサギマダラ。 * * * * * *アサギマダラの成虫は1年のうちに、日本本土と南西諸島、台湾の間を往復していることが知られている。ただし、北上する個体と南下する個体は子孫の関係で、同じ個体が移動する渡り鳥の移動とは異なる。移動の研究は、捕獲した成虫の翅の半透明部分に捕獲場所・年月日・連絡先などをマジックインキで記入(マーキング)、放蝶するという方法で個体識別を行う。このマーキングされた個体が再び捕獲された場所・日時によって、何日で何km移動したかが分かる。研究者達によって、夏に日本本土で発生したアサギマダラは秋になると南西諸島や台湾まで南下、繁殖した子孫が春に北上し、日本本土に再び現れるという行動が明らかになった。中には直線距離で1500km以上移動した個体や、1日あたり200km以上の速さで移動した個体もある。 ウイキペデアより。 * * * * * *この蝶の飛来に、魅了された人は多い。もともと、アマチア研究家によって、この蝶の飛来の存在はわかったのだ。アサギマダラの飛来は、種子島から、46日間かけて、福島県白河市へたどりついたケースや、大阪の生駒山から17日かけて、沖縄の与那国島にたどりついたケースなどがあるようだ。この蝶は、幼虫のときは、ガガイモ科植物の毒性の強いアルカロイドを含む草を食べ、成虫になると、ヒヨドリバナやフジバカマなど、蜜にアルカロイドを含むものを吸蜜する。アサギマダラは、これらのアルカロイドを取りこむことで自らを毒化し、敵から身を守っているということだ。幼虫・蛹・成虫、どの時代も、鮮やかな体色をしているのは、毒を持っていることを敵に知らせる警戒色のためだという。長い旅を選び、自分に毒を持たせるなんて、なんて、素敵な生き方を選択した蝶なのだ。むかし、見た戦争映画で、こういう美しいシーンがあった。激戦のすえ、海に墜落して、何日もの漂流しなければならなくなったパイロットが、生死をさまよいながら、疲れきった目で、空を見あげると、蝶の群れが、海を渡っていくのだ。パイロットは、その美しい蝶の群れのさきには、島があることを確信するのだった。
2006年08月22日
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ヨガや気功は、呼吸法を身に付けるところから、はじまる。静かに、ゆっくりと息を鼻から吸い、体に気がいきわたるのを感じたら、こんどは、ゆっくりと口から、吐き出す。気を、ヘソの下あたりの丹田に集める手法を、覚えると、あらゆる場面で役にたつ。混みあった交渉や人間関係で、よけいな感情に煩わせれるようなときに、自分の息が荒くなっているのがわかる。このとき、この呼吸法を行うと、冷静にもどり、振り回されないですむことができる。呼吸には、何か、あると思う。日本のエジソン、ドクター中松によれば、発明するには、三つのことが、必要だという。ひとつは、「常に観察する目」を持つこと。つぎに、「発想力」。そして、「健康」だそうだ。「健康」でなければ、発明は浮かばない。なにより、せっかく、みつけた発明のチャンスも、病気がちでは、実用化されることもない、ということだなのだろう。そして、この三つをスパークさせて発明をひらめかせるには、水の中という状況が必要だという。発明をひらめかすために、プールの中や、洗面器に水を張り、ずっと、顔をつける。呼吸が入らない、脳の酸欠状態に、一時的にしてしまうのだ。ぎりぎりの状態に追い込んだあと、こんどは、いっきに息を吸い、酸素を送り込む。このあたりで、ぴかっとひらめくそうだ。このときの、バックグランドミュージックは、ベートベンの交響曲第五番「運命」が、いいという。呼吸とは、内臓や心臓の動きと違い、自分で体をコントロールできる唯一のものだ。息をしているとは、生きているということだ。息が、乱れてはいけない。
2006年08月21日
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真夜中に、突然、蝉が鳴き出すことがある。あれは、このところ、夜中でも、温度が高いからなのだろうか。ひとしきり、鳴くと、やがて、静まった。やはり、夜中の2時頃だろうか、犬を散歩している人がいた。あたりは、住宅地なのに、いったい、なんなのだろう。眠りに入れないのだろうか。それとも、犬の散歩を忘れ、生真面目に守っているのだろうか。どちらにしても、この散歩を犬は望んでいるのだろうか。すごく、気になる。時間が、ずれると、不思議な生態の人たちというのが、棲息している。昔、コーヒーショップで、夜明かししていたら、若者を集めて、説教をしているヤクザ者がいた。若者は、うなだれ、反省していた。あれは、正しい道を教えていたのか、それとも、言葉巧みな、暴力団への勧誘行為だったのか。漫画家の吾妻ひでおが描いた「失踪日記」を本屋で立ち読みをした。漫画のあらゆる賞を総なめしている本だ。実話のマンガ本で、彼が、原稿を描くのがいやになり、ホームレスをしていたときや、ふとしたはずみで、配管工として働いたときの話や、アル中の生活などが、つぎつぎ書かれている。吾妻ひでおとは、不条理な漫画を描く人で、コアなファンがいるが、さすが、この人らしいマンガ本だった。この本のなかで、彼がホームレスをしているとき、話かけてくる人たちというのがいた。それは、宗教の勧誘だったり、臓器か戸籍売買のヤクザだったり、カードで、物を買わせて、持っていってしまう人だったり、とても笑えない話なのだが、それをコミカルに描いていた。泥棒と間違われ、警察につかまり、著名な漫画だとわかったとき、警察官から、サインをねだられ、困り果て、「夢」という字を描いたのには、笑ってしまった。けっこう、おもしろい漫画だったが、もし、この本を買って、彼に印税が入れば、アル中を加速させ、間接的に命を縮めることになるので、立ち読みで終わりにすることにした。
2006年08月20日
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パフェが、今、人気なようです。しかし、パフェ好きな、あなたも、ビール好きな、あなたも、どちらにも、ご満足いただける新メニューを開発してみました。一度、お試しあれ。しかし・・、暑いなあ、毎日・・・・・。
2006年08月19日
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やり方は三つしかない。 正しいやり方 間違ったやり方 ・・・・俺のやり方・・だ! 映画「カジノ」より
2006年08月18日
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この暑いのに、昼、3キロのジョギングをして、汗を流している。だくだくに汗をかいたあと、軽い食事をとり、シャワーを浴びて、午後の仕事にむかうのが、今や、快感になっている。いいのか悪いのか、私には、自分が年齢を経ているという自覚が、まったくない。だから、年相応に、成熟していこうという感覚もない。スポーツでも、若者と、本気で戦っている。自分の年齢を意識した生き方というのは、必要なのだろうか。ハーバード大学の心理学者ランゲが行った実験で、おもしろいものがあった。自己イメージの重要性を示した実験だ。75歳以上の高齢者で、健康状態のよい人を選び、田舎のリゾートへつれていった。そして、その際、持ち物すべてを、20年前以上のものに徹底した。新聞、雑誌、写真・・などなど。1週間の滞在のあいだは、お互い、あたかも20年前であるかのように振舞うことを要求した。会話も、「アイゼンハワー大統領とニクソンの対決は、どうなるか?」など、未来形で話す。そうして、すべてが、20歳若返った前提で、会話がすすめられるのだ。自分たちの子供の話についても、同じようにだ。1週間が過ぎた。結果は、どうなったか。さまざまなテストをしたところ、体力テスト、知覚テスト、認知テスト、すべてで大幅に若返ってしまったのだ。老人になると短くなる指まで長くなり、顔つきも、若返ってしまったという。これは、記憶障害に陥った人にも、同じ現象が起きているのを、本で読んだことがある。つまり、世間との自己イメージで、勝手にガードをかけてしまっているのだ。新しい仕事や趣味にチャレンジするエネルギッシュな人というのは、皆、常識にとらわれていなく、実年齢より、若くみえる人が多い。そのほうが、人生の過ごしかたとしても、結果的にも有意義でもある。つまり・・・・。これからも、どんどん恋愛をしてかまわないということかな。
2006年08月17日
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暑い。・・・・暑い。山が・・・・。山が・・・・パフェに・・・。
2006年08月16日
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『君死にたもうことなかれ』与謝野晶子の詩には、「旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて」という副題がついている。きょう、この詩を、あらためて読み直してみた。* * * * *ああ おとうとよ 君を泣く君死にたもうことなかれ末に生まれし君なれば親のなさけはまさりしも親は刃(やいば)をにぎらせて人を殺せとおしえしや人を殺して死ねよとて二十四までをそだてしや堺(さかい)の街のあきびとの旧家をほこるあるじにて親の名を継ぐ君なれば君死にたもうことなかれ旅順(りょじゅん)の城はほろぶともほろびずとても 何事ぞ君は知らじな あきびとの家のおきてに無かりけり君死にたもうことなかれすめらみことは 戦いにおおみずからは出でまさねかたみに人の血を流し獣(けもの)の道に死ねよとは死ぬるを人のほまれとは大みこころの深ければもとよりいかで思(おぼ)されんああ おとうとよ 戦いに君死にたもうことなかれすぎにし秋を父ぎみにおくれたまえる母ぎみはなげきの中に いたましくわが子を召され 家を守(も)り安しと聞ける大御代(おおみよ)も母のしら髪(が)はまさりぬる暖簾(のれん)のかげに伏して泣くあえかにわかき新妻(にいづま)を君わするるや 思えるや十月(とつき)も添(そ)わでわかれたる少女(おとめ)ごころを思いみよこの世ひとりの君ならでああ また誰をたのむべき君死にたもうことなかれ* * * * *きょう、一日に起きたニュースは、高見順の小説の題名になぞれば、とても『いやな感じ』のものだった。
2006年08月15日
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お盆で、田舎に墓参りに行っていた。田舎のお盆は、13日の夕暮れ頃、寺に提灯を持って先祖の霊を迎えにいく。今は、子供が浴衣などを着て迎えいくが、昔は、羽織ハカマを着て迎えにいったようだ。寺から、提灯の火を消さないように、丁寧に運ぶ。もし、その火が消えてしまったときは、寺にもどってやり直しをする。そして、家では、迎え火を焚いて待っている。家についたら、その火を、大きな提灯に移しかえるのだ。そこに、先祖の霊が宿り、3日間を、家族とともに過ごすということになっている。14日は、昨年、亡くなった人の家を訪ねる。その家族の盆は、新盆と呼ばれる。黒いネクタイをしたり、滋味な服を着て、亡くなった家々を訪問する。13日は、家族で先祖を迎え、14日は縁者たちが、その家に集まるということだ。「さみしい、お盆をお迎えですね。」それが、その年のお盆の挨拶となる。今年は、新盆の家に、何件かまわった。伯母などが、昨年亡くなったからだ。亡き人の仏壇に、手をあわせる。線香をあげる。その家では、思いもかけないような昔の知人と、会うこともあった。「亡くなったとき、棚を整理していたら、遺影の写真が用意してあったのですよ。もう、覚悟はしていたんですね。」「写真も、整理していたら、たくさん、あるんですよね。もう少し、生きているあいだに、これらの写真を見ながら、昔の思い出話をしていればと思ったのですが、そのときは、もう遅いのですね。」「男というのは、妻への感謝の言葉というのは、照れくさくて言えないものなのですかね。でも、死ぬ、少しまえに、お礼を言われたんですよ。もう、自分は、だめだと思ったのでしょうかね。」15日には、先祖の霊を送る。昔は、供物や灯篭、線香など供えたものを、川に流しに行った。川では、送り火を焚いた。そんな精霊の乗った供物が、川を流れいった。衛生や、公害の問題もあって、今では、その習慣はなくなっている。昔、鉄腕アトムの漫画で、このお盆の習慣をモデルにしたものがあった。科学技術が進歩して、亡くなった親や子供たちを、そのままのロボットの姿で再生させるのだ。そして、ロボットたちは、13日に家族のまえに現れる。家族は、喜び、故人が生き返ったように懐かしむ。お盆の3日間だけ、家族とともに過ごす。ロボットたちは家族たちに、抱きしめられる。かつての思い出の時間を語る。そして、15日の晩になると、川には、そんなロボットたちが、流されていく。ロボットたちは、そのあと廃棄される。そんな話だった。なぜか、いつまでも、憶えている漫画だった。
2006年08月14日
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ブログを読みながら、涙がとまらなくて、どうしようもなくなってしまった。ブログというものは、いくつもの魅力的な可能性を秘めているものだと、あらためて感じてしまった。市井の人々が、自分のおかれた状況の中で、懸命に生きているという事実。そのブログは、「ぷなぷな日記」以下、一部、内容を抜粋する。 * * * *この「ぷなぷな日記」を読んで、こんなおちゃらけたノリの文章を書いてる奴が、「本当にガンなのかよっ!!(゚Д゚)クワッ」ってな空気が流れてきそうで怖いので…(゚д゚;∬アワワ・・・今日は病気のことについて少しお話を・・・。まず病名は「胚細胞腫」というガンです。聞き慣れない病名だと思ったでしょ?それもそのはず10万人に1~2人ぐらいしか発病しないとっても珍しいガンだそうです。発見された時には、首と腹部のリンパ節に転移してました。首のリンパ節の腫瘍は2月に摘出。(この手術が地獄の痛みで・・・(T-T)この話はまた後日)2月末から国立がんセンターに入院しました。今日は、簡単な自己紹介。埼玉県民。28歳(オス)。妻と子供2人の4人暮らし。あと亀が1匹いましたが・・・今日他界しました・・・。(マジ)かめ吉カンバァアーーーーック(≧◇≦)!!趣味は、和太鼓。20年やってます。あと写真と自作パソコンとカレー作り。職業はトラックドライバー(休職中)。・・・んっ?キュウショクチュウ?サボってんじゃねぇゴラァァア(((((;`Д´)≡⊃)`Д)、;'.・by丸○一同いえいえ・・・マジで休職中ですからっ(゚Д゚)クワッ今年の2月、聖バレンタイン当日に・・・、ガン告知されました・・・本気と書いてマジです・・・。Σ( ̄Д ̄;)いまコレ読んでひいた皆様どーか戻ってきてください。まだ元気ですから…(゚д゚;∬アワワ・・・私の信念・・・「笑ってガンを治す(゚Д゚)クワッ」只今、抗がん剤治療真っ最中。病気のことは、また後日書きます。好きな言葉、「けせらせら」と「楽勝」(笑)「ガン?楽勝ですよ~ヽ(´▽`) * * * *「笑ってガンを治す」これがこのブログのテーマだ。このブログは、入院中での日々も明るく書いている。自分の指にペンで顔を描いて遊んだり、好きな漫画本の紹介をしたりと、とにかく、逆境にも、暗さをいっさい出さない。このブログには、「ひとり隠れんぼう」の好きな5歳の娘さんや、7歳との息子さんとのバーべーキューを楽しむ姿も写真で紹介されていく。そして、どんな苦痛でも、耐えぬき、明るい姿勢は、最後まで崩れない。・・・最後まで。筆者のぷなパパは、闘病、むなしく、亡くなる。このブログは、ぷなママが、この日記をひきついで書かれている。「6月は、嫌いな月になりそうです・・。」そう書かれているが、けして、挫けてはいない。そのあと、子供たちと過ごす、ぷなママの明るさも、すごく、素敵なのだ。子供たちが、亡くなったぷなパパの姿を確認する。いちばん、光る星を、ぷなパパの姿として夜空を見上げる日の日記が、私はとても好きだ。ぷなぷな日記
2006年08月12日
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また、会ったな。どうしたんだい。迷子の子猫ちゃん。都会の道に迷っても、人生の道に、迷っちゃだめだぜ。なに・・・。眠れない夜は、忘れられない愛を思い出すって。おいらの年齢になると、忘れようにも、はじめから、憶えられないのさ。ベイビー。チャオ!今夜も、いい夢、見ろよ!
2006年08月11日
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若いとき、私はなんでも知ったかぶりをしたがったものだ。おかげで、よく面倒を引き起こしては醜態をさらした。だが、その後、悟ったことで、もっとも有益だった一つは、<知りません>ということのいかにやさしいかということである。事実そのために悪く思われたことは一度もない。 サマセット・モーム
2006年08月10日
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台風のせいで、空模様が急変する。激しい雨あと、晴間がのぞくと、蝉が、いっせいに鳴き始めた。きょう、海辺を車で走っていたのだが、まるで、気難しい人の感情のようだと思った。テレビで伝える天気予報、雲の動きの天気図が、頭の中に、入っているから、不思議でもなんでもないが、古人たちは、このような空の変化には、ひどく戸惑っただろう。そして、なんらかの意味づけを探してきたに違いない。人間は、理由のわからないものは、不安でしょうがないのだ。どうにかして、理由を見つけ出そうとする。イタリアの南部の町、ポンベイは、西暦79年8月24日から25日にかけ、一夜にして、溶岩に埋まってしまった。ベスビオス火山の大噴火だ。このポンペイは遺跡になり、かつての都市がそのまま残ることになった。なぜ、ベスビオス火山が噴火したのか、古人たちは、理由を求めた。このとき、ナポリの劇場では、イギリスからソプラノ歌手が来て、ちょうど公演をおこなっていた。彼女の声は、高く、響きわたるような美しい声だった。人々は絶賛した。その直後に、大噴火がおきたのだ。理由がわからない。どうして、山が怒りだしたのだ。古人たちは、これは神に祟りであり、ソプラノ歌手の、とんでもない高い声が、その原因と考えた。彼女は、殺されかかったが、国王の力で、その場で殺されることはなかった。しかし、25年後、ポンペイが死の町となった同じ8月25日、夫によって殺されてしまうのだった。台風の去ったあとの湘南の海の上には、海鳥たちが、舞いはじめていた。
2006年08月09日
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「無意識」を意識化することの、重要性について、宇宙飛行士の毛利さんが、語っていたことがある。これをチェックする方法としては、アメリカで考えられた建設的生活法というのがある。これから、質問をしますので、質問を読んで、すぐ、目をつぶって答えてみてください。1.あなたが、今いる場所には、いくつの窓があるか? それは、どんな形をしているか?2.同じ部屋に何人いるか?彼らは、どんな服装をしているか?3.照明器具はいくつあって、どんな形か?4.床はどんな色か?どんな材料でできているか?模様は?5.机の上には、何が置いてあるか?位置関係はどうなっているか?この5問です。いきなり、質問されると、意外をわかっていないということを、私も、感じた質問だった。そして、目を開けて、部屋を確かめていくと、いかに自分が意識して、モノを見ていないかとも感じたのだった。毛利さんは、こう言っている。「無意識をいかに意識化していくか。時間や空間を意図的に凝縮したり伸ばしたりして見方を変えていけば、それまで、無意識だったものが意識の表面に現れてくる。よく、動物的勘などと言っているのも、あれは他人が意識化していないだけで、本人には、ちゃんと意識できているんですよ。」無意識なものの意識化。この能力を訓練していくと、新しいことにも、すぐに反応できるようになるという。よく勘の鋭い人とか、ツキのある人などというが、じつは、そういう人たちは、全神経を研ぎ澄まして、自然と、無意識なものを意識化しているのだろう。
2006年08月08日
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まったく、最近のアトムおじさんは、暑さで、頭がいかれちまったようだな。このまえは、海の上を走らせられたと思ったら、こんどは、ミルクに飽きたから、コーラにしてくれだってさ。たしかに、毎日、暑いけど・・・。なんか、おかしいと思わない・・。おいらだって、恥ずかしいよ、こんなかっこ。次は、伊藤園のウーロン茶かな、大塚製薬のポイカリスエットかな。いいかげんにしてもらいたいな・・。
2006年08月07日
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「砂漠は美しいなあ・・・」と、王子さまはつづいていいました。まったく、そのとおりでした。ぼくは、いつも砂漠が好きでした。砂山の上に腰をおろす。なにも見えません。なにも聞こえません。だけど、なにかが、ひっそりと光っているのです・・・・。「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ・・。」と、王子さまがいいました。とつぜん、ぼくは、砂がそんなふうに光るわけがわかって驚きました。 『星の王子さま』サン・テグジュペリ
2006年08月06日
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いやあ、暑いですね。こういうとき、危ないですよ。熱中症。 とくに、急に気温が上がったり、梅雨明けしたばかりのいまの時季。特に高血圧症の人や、心臓病持ちの人、高齢者などは、要注意ですよ。 熱中症の予防は、スポーツなら、軽めにするか、徐々にならしてから行うか、そして、水分や適度な塩分をこまめに補給することが大切なようですよ。それに、脇の下など、冷やしたり、サッカーや野球のチームスポーツは、強制飲水も、必要ですよ。昔は、運動をしていると、水を飲むのが、禁止されていたんですけど、あれって、運動部の、うさぎ跳びや、いっき飲みと同じで、間違った行為なんですからね。だいたい、人間の体は半分以上が水で占めているでしょう。その水分は体の不要なものを排泄したり、体温を調節したり、酸素と栄養を運搬したり、しているわけじゃあないですか。だから、体重の2%(体重60kgの人なら1.2リットル=コップ約7杯分)以上の水分が失われると、熱中症になってしまうんですから・・。こまめな、水分補給。大切、大切・・・。あと、寝不足もいけないようですけど・・・・。
2006年08月05日
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遠い遠い処へ来て、わたしは今へんな街を見ている。へんな街だ、兵隊がいない、戦争をしようにも隣の国がない。大学教授が消防夫を兼ねている。医者が薬価を取らず、あべこべに、病気を応じて、保養中の入費にと国立銀行の小切手を呉れる。悪事を探訪する新聞記者がいない。てんで悪事がないからなんだ。大臣はいても官省がない、大臣は畑へ出ている、工場へ勤めている、牧場に働いている、小説を作っている、絵を描いている。中には掃除車の御者をしている者をある。女は皆余計なおめかしをしない。瀟洒とした清い美を保って、おしゃべりをしない、愚痴と生意気を云わない、そして男と同じ職を執っている。特に裁判官は女の名誉職である。勿論、裁判所を民事も刑事もない、もっぱら賞勲の公平を司って、弁護士には臨時に批評家がなる。しかし、長々と無用な弁を振るいはしない。大抵は黙っている。稀に口を出しても簡潔である。それは裁決を受ける功労者の自白が率直だからだ。同時に裁決する女が聡明だからだ。また此街には高利貸がいない。寺がない、教会がない、探偵がない、十種以上の雑誌がない、書生芝居がない、そのくせ、内閣会議も、結婚披露も、葬式も、文学会も、絵の会も、教育会も、国会も、音楽会も、踊りも、もちろん名優の芝居も、幾つかある大国立劇場で催している。まったくへんな街だ、わたしの自慢の東京と、大ちがいの街だ。遠い遠い処へ来て、わたしは今へんな街を見ている。 『街』 与謝野晶子
2006年08月04日
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ヤッホー!ヤッホ、ホー!!夏だ。夏だ。夏だ。
2006年08月03日
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「付けたし言葉」というのがある。話の文脈に、関係なく、つらつらと付けたしいくような言葉だ。たとえば、驚いてはっとしたとき、「驚き桃の木 山椒の木・・あたりき車力の車曳き。」と言うようなものだ。よく香具師たちが使う。映画、フーテンの寅さんも、この言葉の名人だ。私は、もともと東京の下町で育ったこともあり、このての香具師の口上が大好きだ。だいたい、夜店や縁日に、街角にたって、笑いをとりながら、物売る、芸術であるとさえ、思っている。口八丁で、世の中を渡っていく爽快さがある。だいたい、売っているものはたいしたものではなく、買っても、買わなくても、いいようなものだ。もともとが、その商品が欲しいというよりも、その話ぷりに引き込まれることが多い。子供の頃、この口上に、聞き惚れていて、家になかなか帰らなかった。寅さんの映画の中でも、口上は、ずいぶんと憶えた。「蟻が鯛なら芋虫や鯨」もしくは、この変形で、「蟻が十(トウ)なら、芋虫や二十(はたち)・・」と、フーテンの寅さんは言う。そして、「どう、そこのお嬢さん、ちょっと、見ておいでよ。」「だいじょうぶ、だいじょうぶ。」「贋物じゃあないよ、本物だよ、これは~」「ウソはつかないよ。ウソは泥棒のはじまり、泥棒はウソの終わりと言うでしょ・・・」「ウソを、築地の御門跡。恐れ入谷の鬼子母神。」「さあ、よってらっしゃい、見てらっしゃい。」「三つで死んだは、三島のおせん。四谷、赤坂、麹町。ちゃらちゃら流れる御茶ノ水、粋な、ねえちゃん、立小便~。」「何、買ってみようか~。いいねえ。」「おっと、合点、承知の助。」「いや、やっぱり、買わないだと・・。」「その手は、桑名の焼きハマグリとくりゃあ。」「そこのガキ、笑ってないで、さっさと、けえれよ。」「何か用か、九日(ここのか)、十日(とうか)。何が、なんきん、唐茄子かぼちゃ・・」・・・・しかし、そこのガキは、いつまでも立ち去らないのであった。
2006年08月02日
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おひさしぶりです。私が、ブログを更新しないあいだも、毎日、100ものアクセス数があると、やはり、きちんと更新しなければと、自戒してしまいます。気ままな雑文のようなものを、熱心に読んでいただいている方たちを、裏切るようなことをしてはいけないと思ったのでありました。・・・ということで、休暇の合間をみては、東北の山に、登っていたりもしたのですが、激しい霧の中、登頂をめざし、さらに指標がわからず、へたをすれば遭難になりそうな状態でした。白い世界に包まれ、風景どころではない。そんなときも、足元には、黄色い花の高山植物が、浮かびあがってきた。高山植物というのは、ここに住むことを決めた植物なのか。しかし、温暖な土地を求めず、なぜ、この植物は、この地を選んだのか。馬のサラブレッドは、先祖をたどれば、3頭の馬にたどり着く。同じように、人類も、7人のグレートマザーにたどり着くというけれど・・。 * * * * *母系でのみ受け継がれるミトコンドリアDNAを解読すると、15万年前にアフリカの地で生まれたたった一人の女性「ミトコンドリア・イヴ」が人類共通の祖先であるという有名な学説がある。生殖のたびにDNAは複製される。ミトコンドリアDNAの突然変異の確率は安定しているので、現在の子孫のDNAと比較すれば、おおよその生存年代を測定できる。世界中の現代の人類のDNAを集めて分布を調べることで、その骨を残した人間がどこに住んでいた人間なのかも判明する。 『イブの7人の娘たち』ブライアン サイクス著 * * * * * 私が、ここに存在するということは、先祖からの、15万年の流れの果てに辿りついた結果なのだろう。日本という国に生まれたということ、そして、この島のそれぞれの場所に、今、住んでいるということ。それは、この高山植物が、ここに咲いているのと、どう違うのだろうか。この花は、高山で、咲き続けることを選択した子孫の末裔だ。今、生きている場所の周囲で起きることに、私たちは、困惑したり、怒ったり、悲しんだり、感動したり、笑ったりしている。そうして、日々は、過ぎていく。それは、ここで霧や風雨、寒さに耐え、咲く高山植物とたいして変わりのない話ではないかと、考えていた。
2006年08月01日
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