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「これは私がやったことだ」と、私の記憶がいう。「そんなことを私がやったはずがない。」と、私の自負がいい。そして、頑としてゆずらない。ついに・・・記憶が譲歩する。 『善悪の彼岸』ニーチェ
2006年09月30日
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私の父親は、脳梗塞で3度倒れていて、自分の意思表示は難しい状態になっている。そこで、このまえ、父親をつれて近所の床屋につれていって、驚いた。父親に似た、高齢者たちの客が、待っているのだ。いま、床屋は駅前などで、千円カットのデイスカント店などもでているが、この店は、昔の値段なので、4~5000円ぐらいする。高額だ。しかし、ほとんど髪のなくなった老人達が、この床屋にやってくるのだ。駅から、遠くても、家の近所の馴染みの店ということなのだろう。だから、いくら高い床屋でも、混むこともなく、融通がきくので、商売になっているようなのだ。近所の電器屋も、こまめに電球をとりかえたりするので、老人たちが、新しいテレビなどを買うときは、家電のデイスカウント店やネットショップなどで買わないで、この近所の電器屋で買う。面倒な取り付けや、修理もしてくれる。多少、高くれも、電器屋が、しっかりと商売になっているのだ。高齢者が多い県では、小規模の運送業が、伸びをしめしているという話も聞いた。足が悪くなった老人たちの、荷物の運搬がビジネスになっているようなのだ。ニュービジネスは、都会から、発信されることが多かったが、これからは、高齢化の激しい地方が発信地となって、ニュービジネスの流れがくるのではないのだろうか。これらのことが気になって、地方の新聞を眺めていたら、そう思ってしまった。以下、参考。 * * * *犬や猫の飼い主が旅行や長期入院の際にペットを世話するペットシッターの需要が、核家族化や近所づきあいの希薄さなどを背景に年々高まっている。徳島県内でも今春、初のプロペットシッターが誕生し、七月から業務を始めている。西田さんは「このまま高齢化が進めば、飼い主が家にいながら日常的なペットの世話が困難になる家庭も出てくる。今後も、需要は高まっていくと思う」と話している。 (徳島新聞) * * * *「歌って健康づくりと交流を-。中高年や高齢者をターゲットにしたカラオケ店「健康カラオケ道場 笑歌(わらうた)」が25日、米子市中町にオープンする。中高年以上の世代になじみの深い、「うたごえ喫茶」も週1回開催予定。若者向けのイメージが強い、既存のカラオケボックスに入りにくいという人たちにも、気軽にマイクを握ってもらえそうだ。 中高年や高齢者に好評の田園での試みを、コミュニティービジネスに発展させようと計画。中町有料駐車場横のビル3階にあるカラオケ店の経営を引き継ぐ形で開く。」 (山陰中央新報) * * * *ローソンは30日、徳島と高知にシニア向けに品ぞろえなどを工夫した「ローソンプラス」を4店舗改装オープンした。若者の利用が多いコンビニエンスストアで中高年の利用も増やし、少子高齢化への対応を図る。特に高齢化が進んでいる四国は重点エリアとして取り組む予定で、2007年2月期中に15店、将来は四国に展開する414店の3割をシニア向けに改装する。 中高年の希望が多かった生鮮食品や和菓子などの他に、介護食や健康食も展開。老眼鏡、中高年向け雑誌なども用意した。地元で製造されている調味料など地元産品も多く取りそろえた。商品数は通常の店より約500品目多い約3300品目に達している。 (日経ネット)
2006年09月29日
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「警部。この事件の、原因はなんでしょうか・・・・。」「まあ、これから捜査が進まないと、わからないが・・。」「憤死でしょうね。」「憤死には、間違いないと思う。」
2006年09月27日
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松村正直の短歌がいい。「それ以上言わない人とそれ以上聞かない僕に静かに雪は」「新しい町で暮らせば、新しい自分になれる(はずもないのに)」「花束の水をこまめに取り替えて あなたは花を長生きさせる」「待つように言ったら待ってくれたろう 二十分でも二十年でも」「さびしさを呟き続けた夜が明けて もう日本語を喋らない猫」「私から嫌いになることはないから」と自信に満ちて君は言うなり「七年で六つの町に暮らしたり 僕は僕から出られないまま」松村正直は、満員電車と東京的なものすべてに息苦しさを感じ、東大の卒業式をまえに、就職活動をすることもなく、岡山、金沢、函館、福島、大分、京都と移り住み、12年ものフリーター生活を送る。そして、ハンガーがーショップで、フリーター生活をしながら、短歌を作りはじめた。「作業場の床を掃きつつ塵取りに今日の心を収めゆくかな」「通勤のロングシートに六人の他他他他他人と一人の私」「滑らかにエレベーターは上下して最後までビルを出ることはない」「転々と町の名前を変えるたびに他人のような顔つきになる」
2006年09月26日
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「大学のキャンパスには、立て看板もないのですね。」「もう、ないですね。」私の質問に、教授は薄く笑ってこたえてくれた。銀杏の並木道はある。校内を、自転車で移動する学生がいる。エキセントリックなかっこうをしている女子大生というのはあいかわずだった。探検部や、プロレス研究会の勧誘ポスターがあった。これらのサークルは、意外と息がながいのだろうか。大学の掲示版を見ながら、笑ってしまった。しかし、大学は、様変わりしていた。まず、煙草が、分煙になっている。あの、どこでも紫煙を吐きながら、議論するなんてことはないのだろう。学生たちの集まる場所もきれいで、ゴミの分別収集がされている。ゴミタメのような、サークルの部室というのは、なくなったのだろうか。掲示版には、介護体験の授業や、弁護士によるアカデミックハラスメントの講演のポスターが貼ってある。マイクをもって、アジ演説を行っている学生もいない。校舎の壁に、ベトナム戦争反対や、沖縄解放の文字が、無秩序に、書かれていることもない。こういう、ひとつひとつが、私から見ると予想もしなかったことで、興味深かった。自習室にいって驚いた。いくつもの机が並んでいるのは同じなのだが、パソコンが一台ずつ置かれ、自分のコードとパスワードを入れると使えるようになっていた。生協では、大学のロゴの入った、Tシャツや、ペン、バックなどが売られていた。国立大学も、独立行政法人になってから、経営を考えるようになって、こういう営業もするようになっているのだろうか。授業は、前のほうで聴いた。考えてみれば、これも考えられないことだ。いつも、さぼるか、うしろのほうで寝ていた。同じ教室に、美人の女子大生が入ってくると、ちょっと、どきっとした。これは、今も、昔も、変らない私の反応だった。大学の大食堂で、ランチをとった。安いうえに、大盛りで、味もそれほど悪くなかった。このあたりの雰囲気は同じだ。すごく、いい。すると、ふいに、女子大生から、声をかけられた。にやけながら、まだまだ、私も捨てたものじゃないのか。現役、復帰できる・・と瞬間、頭をよぎった。「どうして、ここにいるんですか?」声の主は、姪っ子だった。つまり、弟の娘というわけだ。やばい。時間は流れているのだ。そういえば、息子の同級生もいるかもしれないし・・。女子大生との合コンなどと浮かれて妄想していると、・・・・・やはり・・・まずいよ・・なあ。
2006年09月25日
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いいかい。プラトンやアリストテレスの議論を、すべて、読んだとしても、示された事物について、しっかりした判断を下しえなければ、我らは、決して哲学者とはいえない・・・・と、デカルトは、「精神指導の規則」で、語っている。・・という、このことが、哲学なのだよ。
2006年09月24日
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来週から、毎週、一回、午前中、ある国立大学にかようことになった。半年間だが、大学生をやることになる。ひさしぶりというか、何十年ぶりかの、キャンパスライフというわけだ。まったく、浦島太郎状態の大学生となる。そのうえ、自腹ではなく、私の所属している仕事の関係から、派遣されるかたちになるので、あまり、さぼったり、いいかげに、授業を受けているわけにもいかない。真剣に、前のほうの席に座って、授業を聴こうかと思っている。今になって、ふりかえれば、私は、まじめな大学生ではなかった。サークルばかり夢中になって、山ばかり、登っていたので、成績が悪いうえに、ぎりぎりの単位で卒業したようなものだった。そのうえ、大学は学生運動の流れの残滓で、まだまだ、わさわさしていた時代だった。私が、学園祭の実行委員をやっていたときなど、オールナイトのロックコンサートをやったり、それも大学から、電源を切られたり、ゲバ学生たちは暴れていたり、大変な騒ぎの日々だった。むかしの大学など、いいかげんなもので、まわりの友人たちも、留年したり、退学したりと、ろくな連中はいない。まあ、それでも、あいつらも、なんとなく生きているので、人生、悩むことなどないのかもしれない。今回、大学にかようのに、論文のほかに、健康診断書や成績表を提出することになった。大学の成績表が、こんなあとになってまで、影響するとは思わなかった。だいいち、大学が成績表を、これほど長く保管しているとも、そのときは考えたこともなかった。今回、過去の自分の単位取得と成績表を提出することは、ほんとうに恥ずかしかった。人生、いつもまじめに生きているほうがいいようだ。今の大学生の生活とは、どういうものなのだろう。休講などは、ネットや携帯でわかるようだし、携帯電話を使って、出席を確認するところもあるという。たぶん、学校がロックアウトされて、突然、休講なんてことも、今は、ないのだろうなあ・・。
2006年09月23日
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では、ここで、世界のなぞなぞです。果たして、あなたは、何問、正解することができるでしょうか?1、羽毛より軽いが、誰かに、ぶつかると、剣よりひどく、突き刺さるもの。 なあんだ?(ポーランド)2、風より、はやいもの、なあんだ?(スコットランド)3、お日さまが料理して、手がそれを、ぶち壊す。 あんよが踏んづけて、口がそれを舌なめずりなあんだ?(ドイツ)4、夜になると、それを広げる敷き物。しかし、朝を迎えると、たちまち、跡形もなく消えてしまうものなあに。(アラブ)5、目がなくても、泣くものなあに?(イラン)6、そこから動かないのに、進むものなあに?(ロシア)さてさて、いくつ、わかったでしょう? 1、噂。2、女房の想像力。3、ワイン。4、星空。5、雲。6、時。
2006年09月21日
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テレビや映画のドラマでは、あれほど、人を殴ったり、殺したりしているのに、現実の社会では死者を見ることはほとんどない。はじめに、死者を間近に見たのは、たぶん祖父母の死だったと思う。そのまえに、飼っていた犬が死に、あたたかった体が、亡くなったあと、死体が硬くなり冷えていくのを、知った。インドには、聖地バラナシ(ベナレス)という場所があり、そこのあるガートでは、一日中、死体が焼かれていた。まだ、私が、若く、長い旅の途中。そこのガートに座り、一日中、死者が焼かれるのを見ていたことがあった。生者と死者が、そこには存在していた。息子は、医者の卵なので、大学の授業で、死体解剖などもやるようだ。このまえは、救急車に同乗する経験をしたという。医学の実習というのは、さまざまことを経験させられるようだ。呼び出され、老人が救急車に運ばれた。そして、車の中で、救急医療を施すのに立ち会ったが、病院に着くまえに、老人は亡くなってしまったということだった。息子は、死者を見たのは、はじめてではないかと思った。家族の死ではなく、はじめて会った老人が、最初に見た死者の姿ということになってしまったと思う。いまの時代は、人が病院で生まれ、病院で死んでいく。生も死も目につかない社会だ。これは、はたして幸福なことなのだろうか。メメント・モリ。息子の話を聞き、ひさしぶりにインドでの光景を思い出していた。
2006年09月20日
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アメリカで、毎年、全米セールスマンの大会というのがあって、そこでの上位入賞者に共通することは、じつは話上手ではなく、聞き上手なことだそうだ。聞き上手には、三つあって、第一は目を見る、第二はタイミングのいい相槌をする、そして、第三は、話の腰を折らないことだそうだ。アメリカ人は、自己主張の強い民族だと思われているが、平均的アメリカ人の生活時間における言葉の配分は、聞くが50%。話すが30%。読むが15%で、書くのが5%の割合らしい。つまり、聞くという行為が、圧倒的に多いようなのだ。そして、話すときは、たいてい、軽いジョークをまじえる。このあたりは、さすがコミュニケーション能力の優れた国民性だと思う。だいたい、聞き上手のメリットは、相手を勇気づける、相手の気持ちをくみとる、そして、相手の信頼を勝ち取るということがある。たしかに、相槌をうって聞いてくれる人と話をしていると、こちらのことを信頼してくれているなあ、と感じることがある。だいたい、持論をとうとうと喋られる人といると、話の内容が濃ければいいが、つまらないと、たいてい飽きてくる。しかし、腰をおるわけにもいかず、ということがままあるのだ。新宿のナンバーワンホストも、女性に指名されるようになるには、聞き上手になることだと言っていた。そして、重要なのは、この相槌だそうだ。話の流れのなかで、タイミングを考えながら、こう呟くそうだ。「それって、大切なことですよね。」この言葉がポイントになってくるらしい。そういえば、平成の色男、石田純一も、似たようなことを、テレビで喋っていた。「へえ~。そうなんだ。すごいね~。」これで、女性との会話を3時間、持たせるそうだ。これを、女性タレントを相手に、やってみせていたが、このときの、石田純一も、相手の顔をのぞきこむようにして、相手の話に興味をしめす仕草をしていた。どうやら、話上手になることより、聞き上手になることのほうが、人生では重要なようだ。
2006年09月19日
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人間は、誰でもみんな、灰色の魂を持っている。・・・・・だから、ちょっと、虹をさがしたがるのさ・・・・。 『どん底』ゴーリキー
2006年09月18日
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どうして、なんだ・・・!?おいらを見て、アメリカ人は、エンパイアステイトビルで、アメリカ空軍と闘わせようとする。イギリス人は、どうにかして、タキシードを着せようとする。イタリア人は、メスのキングコングは、どこにいるのか、しつこく訊いてくる。中国人は、中華料理の材料にならないか、そんな、目論見をしている。そして、日本人は、北海道の旭山動物園へ、来ないかと誘ってくる。どうして、なんだ・・・・・・!?
2006年09月17日
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きょう、鎌倉八幡宮の例大祭で、流鏑馬を見た。すごい、人だった。とにかく、神事なので、長い。なんたって800年も、続いている神事なのだ。流鏑馬のはじまるまでに、あまりに時間がかかり、途中、気分が悪くなり、救急車で運ばれる人が何人かいた。流鏑馬は、はじまってしまえば、目のまえを馬が瞬間的に通り過ぎていってしまう。射手が、三本の矢を射るのだが、的を撃ちおとすたびに、歓声がわきおこっていた。きょうは、夕方には、神事に供えられていた鈴虫が放生される祭りもひらかれる。流鏑馬を観たあと、鎌倉の古本屋にいった。鎌倉には、古本屋もいくつかあり、土地柄か、なかなか手にはいらない美術書や文学全集がふいに見つかったりする。大船に松竹の撮影所があったころは、映画の台本なども、束になって置かれていたこともあった。台本には、書き込みがしてあったりして、おもしろがって買ったこともあった。美術展のカタログを眺めていたら、となりで、地下足袋をはいた職人さんが、芸術新潮を買っていった。職人さんたちと、話すと、それぞれが芸術家の魂を持っている。そんなところから、いつも、鎌倉らしさを感じていた。『参考』以下は、鎌倉八幡軍のホームページから、抜粋しました。「例大祭」毎年9月14日から16日までの3日間、当宮では例大祭が盛大に執り行われます。『吾妻鏡』によれば、文治3年(1187)8月15日に放生会(ほうじょうえ)と流鏑馬が始行されたとあり、これが当宮例大祭の始まりとなります。以来絶えることなく800年の歴史と伝統が現在に伝えられており、一年を通して最も重い祭事です。「流鏑馬神事」鎌倉武士の狩装束に身を包んだ射手が、馬で駆けながら馬場に配された3つの的を射抜く勇壮な神事で、源頼朝公の時代より800年の伝統を受け継いでいます。弓馬術礼法小笠原教場宗家の小笠原清忠氏ほか一門のご奉仕により、鎌倉時代さながらに執り行われます。「鈴虫放生祭」例大祭で神前にお供えした鈴虫を神域の自然の中に放す行事です。放生とは生き物を放つことであり、生命の尊さや季節に対する感性を大切に守り伝えようと、平成16年より始められたものです。儀式は舞殿にて執り行われ、雅楽の演奏と巫女による神楽舞を奉仕した後、境内の林に鈴虫を放ちます。
2006年09月16日
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写真集を探していた。できるならアルプスやヒマラヤの山岳写真集、もしくは、ニューヨークの街角、ヨーロッパの田園風景の風景写真集が欲しかった。できるだけ、大きな写真集がよかった。そして、山岳写真集を買ったら、ペーパーナイフで、一枚、一枚はがすのだ。そして、それを手作りの額にいれる。額縁は、古木がいい、市販の額は上品すぎるのだ。山岳写真を、古木の額縁に入れると、すごくいい味がでる。誰も、持っていないような額になるのだ。これは、お金がかからない。写真集は、3800円ぐらいで、一般の書物よりは、高いように思うが、これで、たいてい100ページぐらいの写真が載っているので、分解して額にいれれば、一枚が、38円になってしまう。額縁だが、これはできるなら自分で作る。額縁を買うと、けっこう高いのだ。それに、額縁は、自分で手をかけると、すごくいいものができる。額縁は、椅子などと違って、自分で作っても、そう失敗はしない。絵画も、写真も、この納まる額縁によって、雰囲気が一変するのだ。油絵を習っていたとき、額縁も絵の一部と考えるようにと、教えられた。それほど、額縁というのは重要なのだ。古木を探すのは難しいが、これも、東急ハンズあたりにいくと、塗れば古木の味がでる外国製のニスというのが売っている。これを、ホームセンターで売っている、一枚1~200円の木板に塗れば、それらしい古木に変身してしまう。これも面倒なら、ウイスキー樽の板を取り寄せて作るという方法もあるが、これは、少し値がはってしまう。お気に入りの絵画や写真を入った額を壁に飾るというのは、生活に潤いをあたえる。部屋の壁に、窓を開けたような気分になり、そこから、心にしみる風景が、毎日、広がってくるというわけだ。これなら、写真集も高くはない。
2006年09月15日
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深夜のテレビで、プロレスラー前田氏が、自分は、赤ちゃんの時のベッドに寝ていたときの記憶があり、天井の模様まで憶えていると言っていた。すると、番組の進行役の江原氏は、自分は、母親の胎内にいたときの記憶があるという。ある実験で、2,3歳の言葉を話しはじめた子に、胎内の記憶を訊くと、そのときの様子を喋りはじめる子がいるという。胎児にも記憶する能力があるという人と、それはあとから教えられて記憶だという人がいる。友人にいちばん古い記憶を聞いたら、自分が生まれたときの様子を知っている、というのがいた。兄たちが、まわりにいて、座っていた場所まで覚えているというのだ。たしか、三島由紀夫の小説にも、似たようなものがあった。興味がわいたので、まわりにいる人に、自分のいちばん古い記憶を訊いてみた。たいていは、2,3歳の頃の記憶だ。親に手をひかれていて、犬がいて、振り向いたときの恐怖を話す人、夜中に起き、トイレの場所を間違えたときの記憶を話す人、おもしろかったのは、ある女性で、自分のいちばん古い記憶は味覚の記憶で、お食いぞめのときの、葡萄の味だというのがいた。これならば、お食いぞめの意味もあったというわけだ。脳の仕組みというのは、まだまだ、一部しか解明されていない。脳というのは、想像以上に、精密で高度なもののようだ。こんなことまでというのが、記憶に残っていることもある。また、「24人のビリーミリガン」のように、脳が自分で物語を作りはじめ、記憶のようにしてしまうということもある。記憶とは、なんなのだろう。私の、いちばん古い記憶はなにかと考えていたら、情けないことに、昨日のことも、思い出せない自分に気づいた。
2006年09月14日
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この次に逢ったならかの女に話をしながら目をじっと見つめてやろうそうして沈黙の一瞬を利用してかの女に微笑して見よう (ヴィルドラック)
2006年09月13日
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登山家の野口健が、ヒマラヤなど高い山に登るとき、女性用の香水を持っていくと、雑誌の対談で話していた。ヒマラヤほどの標高の高い山に登ると、排泄物も分解することもなく、凍りついてしまう。排泄物は、そのまま、土に帰っていくこともなくなる。そういう世界では、匂いが、ほとんど消えていくという。匂いがないということは、すごく、精神を不安にさせるそうだ。そこで、自分の不安な精神状態を落ち着かせるために、野口健は、女性用の香水を嗅ぐのだそうだ。おもしろい話だ。たしかに、匂いは、どこか心に影響を与えていると思う。赤ん坊は、生まれたときから、嗅覚は機能している。まだ目の見えていない赤ん坊は、自分の母親と、他人の母親を匂いで区別している。つまり嗅覚で、自分の母親の乳首を探しているのだ。 どうやら、人間は、遺伝子によって決定された固有の「体臭」を持っているようだ。顔の違いのように、匂いも異なっている。 そして、人間の大人も、匂いに支配されている。特に女性は、女性ホルモンの一種であるエストロゲンによって、匂いに対する感受性が強くなると言われている。女性の「排卵期」の頃はエストロゲンが増えるため、とくに匂いに鋭敏になるらしい。 『タイムマシン』を書いた、SF作家のH・G・ウェルズは、見栄えのしない風貌で、風采のあがらない男だったようだ。しかし、彼は、どういうわけか女性には、よくモテていた。 ある時、彼の友人の作家サマセット・モームが、女性に質問した。「あの男のどこがいいんだ。知性か?ウィットがあるからか?」 その女性は答えた。「彼は、なんだかふわっとした蜂蜜の匂いがするからよ」 H・G・ウェルズは、女性好みの香りがする「体臭」の持ち主だったと言われている。同じ匂いのする人間と表現することがある。あれって、たぶん、同じ匂いがほんとうにしているではないだろうか。
2006年09月12日
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私鉄の駅前にある私の所有する建物の一階に空きがでているのだが、ここになかなか入居者が現れてくれない。駅から、1分という近さなのだが、なにぶん、今は、さえない駅で、乗降客も少ない。駅まえだというに、華やかさにも欠ける。この駅は、十年後には、複線化して、東京に出られるようになり、便もよくなり、通勤圏にもなるのだが、それまでは、まだ、ひなびた状態の駅だ。まあ、持久戦みたいな物件だ。ここに、どんな店を開いたら、ビジネス的に成功するのか、ときおり、想像している。公文やカルチャーセンターのような場所に貸すのがいいか。コンビニがないので、ミニコンビニを開き、そこで、洋服の寸法直しや、自転車の修理など、よろず代行業の窓口をもってくるのもおもしろいだろうなあ。食べ物屋もいいか。でも、中華料理は、油で汚れたりするので、勘弁してもらいたい。雰囲気のあるフランス料理やイタリアレストランなら、街の雰囲気もおしゃれに変るから、いいかもしれない。しかし、夜、遅くまで営業されるのも、上の階の住人に困るし・・。想像するだけで、けっこう楽しい。自分で、店を開くか。長寿料理専門店など、変ったメニューのレストランなら、自分でやってみたいところもある。やはり、今の仕事を引退して、私が初老をむかえたら、部屋中、本に囲まれた、好きな音楽だけをかけて、まったく趣味だけのカフェを開きたいなあなどとも思っている。しかし、まあ、・・・。まったく、のんきなものだ。
2006年09月11日
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輪行バックに折りたたみのマウンテンバイクをつめ、ぶらりと列車にのる。そんな、日帰り旅にはまっている。このまえは、城ヶ島の灯台のほうまでいき、渡り船に乗ったりした。きょうは、江ノ島から、境川を北上して、源流をめざして、サイクリングロードをひたすら走った。日差しは、暑いが、気持ちいい。ヨーロッパなどは、町と町を結ぶ、サイクリングロードが整備されて、自転車文化のようなものがあるが、日本も川沿いの道が、今は、けっこう、整備されている。川に沿って走っていると、けっこう、カモや、鵜、鷺などの水鳥が多いことに、気づく。川沿いの親水公園なども、整備されてきている。ヨーロッパの言葉に、町に水があれば、ダイヤの原石があるのと同じだというのがある。つまり、町の中央近くに川や湖、海などがあれば、そこに船での物資の輸送や観光が生まれ、豊かになっていくという意味だ。水は、うるおいをあたえる。公園に、噴水や滝があれば、それだけでうれしくなる。水があるだけで、鳥や魚、虫たちも集まってくる。子供たちが、水の中ではしゃぐ、釣りを楽しむ、ボートに乗る、、虹ができる。サイクリングロードを、ずっと走っていたら、喉が渇いてきた。しかし、なかなか自動販売機もない。そのうち、果樹園が現れ、冷やしたナシを一個、百円で売っていた。試しに買うと、冷えたナシとナイフを渡された。自分でその果実をむき、食べるのだ。江戸を結ぶ街道沿いには、果実のなる樹木を植えたそうだが、日差しをさえぎり、喉をうるおす、これらの樹木は、きっと重宝がられたことだろう。日本の自動販売機というのは、世界的にも、珍しい存在だと思う。数の多さと、飲み物の種類の多さ、こんな国はない。とても、便利で慣れてしまっている。外国にいくと、つい探してしまっている。しかし、冷えたナシに、ナイフを渡される。これも、すごく、いい感じだった。
2006年09月10日
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いい、何度も言わせないでね。私が、欲しいのは、パン。ライスではないのよ。私は、ライスだけどパンなの。ライスが欲しいのが、パンで、パンを欲しがっているのが、ライス。だから、ライスは欲しがっていないの。ライスが、パンを欲しがっているの!つまり・・・!!
2006年09月09日
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コンビニの入り口に、「親王、誕生おめでとうございます。」という貼り紙がはってある。大手デパートでも、垂れ幕が下がっている。日本の歴史では過去、「天皇になろうとした将軍」足利義満や、「天皇」を配下に置く位置に城を作り、「天皇」のさらなる上の権威を示そうとした織田信長などがいる。歴史には、神になろうとする人物というのがいる。ローマ帝国全盛時代、ペテロらの殉教などによって、キリスト教が絶対的な存在だった時代、伝えられた話にこんなものがある。リビア人で、アプセトスという男がいた。彼は神になろうとした。あらゆる努力をしたが、生身の人間は、なかなか、神になることはできない。しかし、彼は、どんな手段を使っても、神に成りあがりたかった。そこで、アプセトスがとった戦略。何匹ものオウムに、「アプセトスは、神である。」と憶えこませたのだ。そして、そのオウムを、こんどは四方八方に飛び立たせたのだ。神の誕生の預言者?の出現だ。この作戦は、大成功した。オウムは、ギリシャまで彼の託宣をふれまわった。アプセトスは、やがて神として崇められるようになっていったのだ。その後、彼の人生はどうなったか。このペテンに気がついたギリシャ人は、このオウムをつかまえて、こんどは「アプセトスが自分に、この言葉を強要した。」と、憶えこませたのだ。このため、アプセトスは捕らえられ、そして、処刑されてしまった・・・ということだ。
2006年09月08日
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むかし、聴いた歌の歌詞を、ふと思い出すことがある。歌の題名は、思い出せない。この歌は、たしか、中村雅俊のテレビドラマで流れていた歌だった。「ひとつ、ひとりじゃ、淋しすぎる。ふたりじゃあ~、息さえ、詰まる部屋。みっつ、見果てぬ夢に破れ、酔いつぶれ~、夜風と遊ぶ街。」そんな歌詞だった。この歌は、数え歌になっていた。そして、もっと先まで、続いていたはずだ。この歌。よほど、心の琴線に触れたのだろう。ふと、思い出して、口ずさんでいるときがあるのだ。ときおり、浮かびあがる古い記憶を反芻するようにだ。そうなんだ。人間関係というのは、ひとりでは淋しく、ふたりでは、だんだんと息がつまりはじめ、見果てぬ夢というのが、わきおこりはじめ・・。夢は、荒れ野を、駆け巡る。そして、・・・・・。
2006年09月07日
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どの辺から天であるか鳶の飛んでいるところは、天であるか人の眼から隠れてここに静かに熟れてゆく果実があるおお その果実の周囲は既に天に属している 『天』 高見順
2006年09月06日
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きょうは、金曜日に講義をするための資料をパワーポイントで作っていた。最近のプレゼンや講義は、すべてがパワーポイントになっている。ホワイトボードに、読めないような字を殴り書きしているよりは、ずっと、聴いている人には、いいと思ったので、頑張ってみることにした。やがて、講義の字は黒でなく、紺のほうがいいはずだ、とか。赤を多様しすぎてはいけない、とか。色づけに悩む。そして、ここでの画面展開は、フェイドインか、フェイドアウトか、渦巻きにするか、それとも、上から、順番に上がってくるかのを使うか、など、映画の作成のような凝りかたが、はじまってしまうのだ。そんな細部は、どうでもいい話なのだが、映画青年だった時期もある私としては、オーソンウエルズの「市民ケーン」は、パンフォーカス画面を最初に取り入れたなあ、実験的な試みを随分試していた作品だった。映画の細部の演出をついつい思い出してしまう。それも、あの若さで。負けるわけには、いかないぞ・・・・!まずい、オーソンウエルズと張り合っている場合ではない。こんなことを考えはじめると、講義の本質から、どんどんはずれてしまうのだ。しかし、一日中、パソコンにむかうということが、やたらに、多くなっている。一日は、仕事のメールのチェックからはじまり、仕事でパソコンの画面に向っていることが多く、そのあいだも、入りこんでくるメールのチェックをして、帰りの電車では、携帯電話で、メールの交換をして、家に帰れば、家のパソコンの立ち上げ、メールをチャックして、そのあと、自分のブログを開き、コメント、書き込みがあると、ほっとしている。メルマガもたくさんとっていて、読まずに、どんどん溜まっている。もう200近いが、いくつまで、溜めれるのだろう。いったい、これは、なんなのだ。この生活。これがハイテク生活なのか。そう思いながら、空いている時間は、こんどはテレビの画面を眺めている。
2006年09月05日
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夕方になると、だんだんと涼しくなってきている。ちょうど、読書に適した季節となってきた。「一日四回メシを食え、一回は、活字のメシを食え。」そう言ったのは、作家むのたけじ氏だ。すごく、好きな言葉だ。フランスの哲学者アランは、こう言っている。「読書は、たとえば、偉大な建築物に、相面するようなものである。建築物は、モノを言わない。しかし、何かを我々に語りかけてくる。そこで無言の対話が行われている。」この比喩は、よくわかる。建築物が建っている。しかし、まったく関心を示さない人もいるし、偉大な建築物でも、ただ目印として、通りすぎるだけの人もいる。その建築物の中に入ってみようとする人もいれば、絵や写真に、おさめようとする人もいる。そして、ある建築物が、忘れられない、思い出の場所になる人もいる。読書との出会いとは、そういう建築物との関わりに、よく似ている。「本の厚さは、気にするな。何日かかっても、毎日、少しずつ読んでいけば、いつかは読んでしまうものだ。」この言葉は、東大名誉教授の辰野博士が、子供に言っていた言葉だ。子供の頃、長い夏休みがくると、いつも読めないような、長編小説に、取り組んだものだった。そういう習慣が、なくなってしまったのは、いつからだろう。
2006年09月04日
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テレビで宝くじの話をしていた。猫を飼っていたことがばれ、アパートから追い出された男が、街をうろつき、新潟地震の宝くじを見て、そういえば、新潟は、亡くなった母親と旅した場所だと思い、母親の命日の日に宝くじを買ったら、1億円があたった、という。それも、その当選番号は、母親の誕生日の数字が入っていたそうだ。アメリカの宝くじの大当たりした人の話で、夜中に、夢の中に、いくつもの数字が現れるので、気持ち悪くなって、その数字を書きとめ、その数字の宝くじを買ったところ、大当たりして、億万長者になってしまった、という話を聞いたことがある。数字には、意味があるのだろうか。西洋人は、13を嫌う。13号室や、13階に客室がないホテルや病院というのがある。日本では、4と9が嫌われる。「4219」の車のナンバーは、「死にいく」で、作られていないという話も聞いたことがある。ミュジーカルスターのフレッド・アステアにとって13は、ラッキー数字だという。第二次世界大戦のさなか、慰問にいったとき、軍用機の座席の順番が、13番目だったという。縁起が悪いので、次の便にしようと言ってくれたとき、彼は、早く着くために、その申し出を丁重に断った。無事、目的地に到着したとき、次の便は墜落していたという。それから、彼にとっては13はラッキーな数字になったという。こういう話は、すべて、偶然なだけなのか。それとも、何かがあるのか。ロトシックスがキャリーオバー中だとか。数字に、意味を感じている人が、今、ちまたに増えているのかもしれない。
2006年09月03日
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やっぱり、夏はミニよね。これで、男たちの視線は、ばっちり、釘付けよ。でも、街には、ダイコンが多いと思わない。チョー、笑う。ゴボウもいるわよね。チョー、ださい。なんてったって、あたしたち、ニンジンよ。ベータカロチンだってあるしね・・・。
2006年09月02日
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どうも、きょうの会議のことが、頭から離れない。職場から、離れたら、あまり、仕事のことを考えないようにしているのだが・・。会議の後で、いつもコメントを求められるのだが、いったい、人間というのは、人の話の何割を理解していくのだろう。こういうことが、たびたび繰り返される。つまり、もともと、同じ話をしていても、互いに、人間は、自分勝手な解釈をしているということのほうが現実なのだろう。だから、自分を理解してもらえないと嘆く人がいるが、そもそも、そのことが間違いなのだ。人間は、完全には、分かりあえない。もしくは、人間は、分かり合ったと、勘違いしあっている生き物なのだ。そもそも、自分勝手な解釈。これは、果たして悪いことなのだろうか。自動車王となったヘンリーフォードは、肉屋のまえでたっていたとき、三人が手分けして、ひとりが頭を、ひとりが背を、ひとりが脚というように、分業して、牛の肉を解体していくのを見た。それを見て、車の作業をベルトに乗せる、流れ作業のアイデアが生まれたという。つまり、ここでも、肉の解体とは別の、自分勝手な解釈が生まれているのだ。そして、そこから、新しいものが生まれている。新しいものとは、ものごとの独自な解釈なのだ。話し合いをして、行き違いがあったとき、そこには、何が存在するのか、それを考えるのも、おもしろい。無意識にさえ、意味があることを分析していったフロイトのような精神医学者のように。
2006年09月01日
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