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私が初めてフィリピン・パブに行った1990年当時はキャバクラのような日本人の女の子がいて、かつ安くお酒が飲める店はほとんど無かったように記憶しています。日本人の女の子がいるクラブとかパブですと、バブル全盛時とあって私が住んでいる埼玉に近い東京の辺境地でさえ飲み代はかなり高額でした。そんな中、フィリピン・パブは比較的安い料金設定ということであまりお金は無いけど、酒を飲むだけじゃなく女の子の居る店に行きたいといった客層の気持ちを掴んだようで徐々にその店数を増やしていました。ま、安いとは言っても、今考えるとそれなりに高かったんですけど。 (^^;私も、友人も、これをきっかけに酒を飲む時はほとんどフィリピン・パブに行くようになりました。ところで、フィリピン・パブの魅力って一体何なのでしょう?それよりもまず、日本では一般的にフィリピンという国を知らない人が多いでしょうね。私も、フィリピンという名前は聞いたことあってもどのような国であるかという知識はフィリピン・パブに行くようになってはじめて知りました。ここで、話は少し脱線しますけど次回からはフィリピンという国について少々触れたいと思います。なお、フィリピンに関する基本的な情報は、それが掲載されている下記のリンク先を参照してもらうことで、当blogでは説明を割愛させていただきますので、ご了承ください。 (^^;************外務省HP 各国・地域情勢 > アジア > フィリピン共和国http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/philippines/index.html
2006.02.27
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フィリピンではエドサ革命の20周年を祝う式典が2月25日に控えているというのに一部兵士がクーデター計画を企てたらしくアロヨ大統領が非常事態を宣言したらしい。。。************今から遡ること20年前、1986年のフィリピンはまだマルコス大統領による独裁政権下にありました。しかし当時行われた大統領選挙においてマルコス一派に依る投票箱の略奪や反マルコスの指導者の抹殺が行われたりしたのをきっかけとしてフィリピン国民が独裁政治から解放され民主主義を望む声が一気に吹き出し、マルコス派軍隊の戦車の前に多くの国民の人間バリケードが出来上がりました。これによって国内外の支持を失ったマルコスはハワイの亡命を余儀なくされたのです。これがエドサ革命で別名「2月革命」「ピープル・パワー」とも呼ばれるこれらの出来事は当時日本のニュースでもかなり報道されたのでご存知の方もいらっしゃるでしょう。しかしあれから20年経つのに上に立って規範を示すべき政治家や官僚達の多くがフィリピンでは腐敗しておりまた国民の大多数を占める貧困層の生活が改善されていないというフィリピンが根本的に抱えている問題は当時からあまり変わっていないんですよね。全くもって、嘆かわしいよなぁ。何とかしてくれよ、フィリピン人! (^^;************それでも、何故か嫌いになれないんですよねぇ。ホントにフィリピンって国は不思議な魅力があります。そのフィリピンの国旗です。 ↓↓
2006.02.24
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私と妻の馴れ初めはといいますと、1990年に遡ります。友人から「知り合いの内装屋が仕事で飲み屋の改装をやったらしいんだけどさ~、『俺はちょっと忙しいから、代わりに一度その店に飲みに行ってあげてくれない?』ってお願いされちゃったんだよ。一緒に行かない?」と誘いがありました。当時はこの友人とは毎晩のように遊んでいて、よく飲みに行ったりもしてたので特に断る理由もなく、付き合いで一緒にその店に行くことにしました。その店がフィリピン・パブであることは、友人も私も店の前に来て初めて知りました。「どうする?」と一瞬躊躇いましたが、今まで体験したことがない世界だったので「とりあえず入ってみるべぇ~!」と勢いで店内に突入することに。 (^^;店の扉を開けると、薄暗い店内からムッとかなり強烈な香水の匂いが漂ってきました。複数の香水が互いを主張しあう感じの何とも体験した事の無い匂いでした。日本人ですと、香水をプンプン匂うように付ける人はまだ少ないですからフィリピン・パブとか苦手な人に理由を聞くと、この匂いが嫌だという人が多いですね。この当時はバブル全盛の頃で、しかもフィリピン・パブはまだかなりマイナーな存在で数が少ないせいか、この手の店が好きそうな客で満杯でした。女の子が発する「イラッシャイマセ~!」の声も少なく、暫らく待たされてから、無理矢理作った感じの狭いテーブル席へと案内されました。友人と2人で座っていると、そこに2名の女の子が狭い席に割って入ってきました。そんな状況だから密着度はかなりのもの。そして隣の娘が、おもむろに私の手を取り自分の腰に巻きつけるではありませんか。 (^^;;当時は日本人の女の子が居る店ばかり行っていて、いきなりそんな事をされるなんて経験が無かったので、面食らってかなり緊張してしまったことを記憶しております。そしてしきりに私の肩に凭れ掛かってきたり、抱きついてきたり、盛んにベタベタしてきました。妙な感覚ではありましたが、私もまだ20代の血気盛んな男でしたから嬉しくないはずがありません。まして、20数年生きてきて女の子にモテた事の無い私でしたから (涙)どう対応していいのか分からないながらも、フィリピン娘の甘い態度に逆上せてしまったのは言うまでもありません。 (笑)************フィリピンでマクドナルドより有名なハンバーガー・ショップ「Jollibee」のキャラクター・マークです。 ↓↓
2006.02.21
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昨日はバレンタイン・ディだったというのに、チョコレートは1個も貰えなかった。。。orz息子もまだ幼稚園の年中ではありますが、やはりチョコは貰えなかったらしい。。。(^^;この親にして、この子あり…ってか?(息子よ、スマン!)*********************さて、まずブログを始めるに当たって、私の人生で一番大きなポイントとなりました結婚について、私が何故国際結婚を、しかも相手にフィリピン人を選んだのか…といったところから話を進めて参りたいと思います。私と妻が結婚したのは約6年前の1999年9月11日。そう、米国で発生したあの忌まわしい同時多発テロのせいで有名になってしまった、9月11日が私達の結婚記念日なんです。もっとも、あの事件が発生したのは結婚してから2年後のことなんですけど。 (^^;で、翌2000年7月31日に長男が誕生しました。しかし、今まで諸般の事情で妻と子供はフィリピンのケソン市という場所にある妻の実家でずっと暮らしておりました。経緯を話すと長くなるのですが、まあ国際結婚にはよくありがちな、私の両親が外国人との結婚に反対だったというのが主な理由です。*********************「Pump It Up」が収録されているセカンド・アルバム。↓↓【Rock/Pops:エ】 エルヴィス・コステロElvis Costello / This Year's Model(CD) (Aポイント付)
2006.02.15
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本日、管理人の私 Elvis Costello のブログを開設いたしました。今日はバレンタイン・ディでもあるし、かつ大安というメデタイ日。(関係ないっすね…笑)これから家を建築する事もありそれに関する話が多くなると思いますが日々感じることや自分の趣味の話なども混在させて進めていきたいと思っております。興味を持って読んでいただける方がいらっしゃいましたら、どうぞよろしくお願いします。*********************Elvis Costello 1977年発表、衝撃のデビュー・アルバム!「Alison」他、名曲揃いです。↓↓ 【Rock/Pops:エ】エルヴィス・コステロElvis Costello / My Aim Is True (CD) (Aポイント付)
2006.02.14
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