全55件 (55件中 1-50件目)
二度目の病院からの「危ない数値でしたが持ち直したものの余談は持てないのでいつでも連絡が受け取れるようにしておいてください」との連絡。そして今日、弟から病院から連絡ありで覚悟して行った。病室に入るといつものように父は意識は無く、手を握っても握り返してくれない。目を薄くあけたままで瞬きをしないので目が乾くと思い、瞼を閉じようとしても動かない。看護師さんが入ってきて面会は10分だと。こんな時でも面会時間は決まっているんだ。最後までいられると思ったのに残念。いちど家にもどると1時間位して亡くなったと弟から連絡あり。孫達の保育園の迎えもあり慌ただしい日だったが、夫にこれからお葬式の日まで実家に泊まることを伝え、実家へ向かった。やっと父は母の元へ行けた。母が亡くなった日、母親を亡くした小さな子供のように声をあげて泣いた父。至らない点も多々あったと思うけど私も精一杯頑張ったから許してね。久しぶりに天国の母や兄弟や友達にもあえてうれしいでしょ?私も寿命がくるまで、人に対して誠実に思いやりをもって生きていこうと思います。お疲れさまでした。
2022.12.16
コメント(0)
父が入院して1ヶ月たった。1日おきに面会に行っているが、看護師さんがいうには「低空飛行ながらなんとか頑張られております。」とのこと。面会に行っても父はほとんど寝ていることが多い。目を開けていてもぼんやりした表情。しかし、手をさわるとぎゅっと握ってくるからわかるのかな。いくたび手にニベアを塗っているのでカサカサが消え、しっとりしている。足は前にさわったらぎゅっと引っ込められたので塗っていない。カサカサでフケのような皮膚の乾いたものがシーツに落ちていた。時間で病室を出ると看護師さんから面会はなるべく13時以降にお願いしたいと恐縮しながら言われた。それでは孫の保育園お迎えの前に来ることにしよう。午前中に来ていたのは実は病院前のJAの売店で買い物がしたかったこともある。父面会より買い物優先にしていた自分が少し恥ずかしい。
2022.12.15
コメント(0)
部屋が変わり、初めての二日ぶりの面会。病室へ行く前に売店でチューブのニベアを買う。看護師さんに案内されて行った部屋はやはり個室。思えば姑もここの同じ階に入院していた。父は声をかけても目を閉じたままで反応しない。看護師さんが目やにをコットンで拭きとってくれた。声をかけても肩を叩いても、目はあけない。夢の中で母に会っているのかもしれない。もう、この世に未練は無いだろうな。買ってきたニベアでマッサージする。手のひらに広げて温め父の手と足に刷り込む。指一本一本に塗り込み、引っ張る。手の平、足の裏を指の腹でツボ押しのように押し付ける。カサカサの脚にも塗り広げる。皮膚の下がすぐ骨で角材をさすっているよう。足首の後ろに折り曲げた癖のように白い皺がある。足首と踵が特に乾燥しているので入念に塗り込み、マッサージした。夢の中で、「何だか足と手が気持ちいいぞ」と思っているかな。制限時間の10分がすぎ、父に「また来るね」と声をかけて部屋を出ると、研修の父の担当らしい若い看護学生が部屋の前に立っていた。
2022.12.09
コメント(0)
父の入院先の病院から電話があった。「食事が取れなくなって点滴してます。御家族と会えるよう有料個室へ移動したいと考えてます。」コロナで面会できない為、現在の大部屋から個室へ移って家族に会ってもらうという病院側の配慮のようだ。さっそく弟と病院へ。移動した個室で半月ぶりに父に再会。虚ろな目で入れ歯のない陥没した口元。腕も痩せ細っている。私の声かけにこくんと頷く。声がでなくなっているらしい。両手を宙に浮かせて何かこちらに話しかけようとしているように見える。入院前と様子がかなり変わってしまった。足の浮腫は取れているが鼻にチューブが入ったままで、手足ともカサカサで皮膚も茶色っぽく変色している。 クリームを塗ってあげたい。面会時間は10分であっという間にすぎてしまった。個室は家族に面会用なので、次の患者がいればまた大部屋に戻るらしい。家族に面会ということはもう先が見えている、昏睡状態に入ってしまうということなのだろう。「明日また来るね。」そう父に声かけて病室を出た。
2022.12.05
コメント(0)
医師が言った「入院は3週間位」が過ぎた。入院時、持参した薬が無くなるので、夕方残り全部を入院先へ届けに行った。入院先に行けば父の最新の状況が聞ける。 コロナがなければ当たり前に顔を見せに行けたのに、残念でならない。本人も不安でならないだろう。警備員室の前で受け取りに来た看護師にお薬を渡し、最新の父の状況を聞く。浮腫は取れている。一時食欲がなくなって点滴を追加したが現在は食欲が戻っている。ベッドから出られないので食事はベッドを起こしてそこで自分で食べている。排尿、排便は全てオムツでとのこと。将来、自宅に戻った時のことを思った。自力でトイレ使用ができなくて、このままオムツ使用となれば、事実上寝たきり状態ということか。 そうすると北側で窓が雨戸がしまったままの暗い、現在の寝室に一日いるのは、良くない気がする。ベッドを移動するとすればエアコンのある居間になるのか。目の前にテレビもあり、明るくて外も眺められて気分転換になって良いかも。近所のSさん宅の話しを思い出した。80代の父親を家族で介護していた娘さん。朝起きると寝室から父を介助しながら居間に連れてきてソファにドカリと座らせる。そして一日そこにいる。「介護大変でした」と言っていたことを思い出した。今まで通りに夜は寝室、日中は居間にいるのが本人も気分転換で良いと思うけど、介護する側はオムツ交換とか大変。 色々これからの状況を考えてしまうけど、まだ先生の話が聞けないので具体的にはわからない。でも父の思いも出来るだけ尊重したい。私が犠牲にならない程度に。
2022.12.01
コメント(0)
父が入院して2週間が過ぎた。そろそろ医師の「入院は3週間」の時期が迫ってきた。医師の説明はどうなるだろう。今後のことは先日のソーシャルワーカーとの話し合いで道筋は決めている。父にとって暫く家に帰れないのは嫌だろうな。でも私もこの二年間、父のことを最優先にしてきたから暫く休めるのは嬉しい。父が自宅へ戻って生活するようになってもこの長期の休養期間をもらえただけで頑張れる。これからの父の体調はわからないが、やるべきことをやるだけだと頑張れる力が沸いてきた。
2022.11.25
コメント(0)
指定された日時に行った。想像と大きな違いはなかった。今後、父が心臓の状況が悪化すれば自宅での介護は難しくなり 、施設入所を希望すると伝えた。ソーシャルワーカーが提示した案は、まず特養施設の入所要件の介護度3以上になれるか、その見直しの手続きをし、特養入所予約をする。今回の治療が終了後、2ヶ月程は当病院の老人施設に引き続き入院できること。 その後は老健施設に入所。自宅に戻ることが前提条件なのでその後は自宅とショートステイをミックスした生活で、特養入所の空きを待つ。 医師の検査結果の話はこれからなので上記は明らかに予定でしかない。それでも道筋は予想通りとはいえ、具体的に見えてきたので介護側の覚悟も持てた。今後父が長生きした場合の金額的な不安も無いとは言えないので、弟妹と話し合っていきたい。
2022.11.24
コメント(0)
父が入院して3日目。状況を知りたくて電話してみた。やはり電話では説明できないと。じゃあこれから直接行ってみるかと思っていると「先生が検査結果が全て出てから家族に説明しますので、その時になったらお知らせします」とのこと。それがいつになるかはまだわからないが、それを知れただけでも良かった。つくづくこのコロナが恨めしい。通常だったら家族が入院先に顔を出すのは当たり前。顔を見ただけで、状況がある程度わかるし、本人も家族の顔を見るだけでも安心できるはず。面会できない今の状況だと認知症も進んでそうで心配だ。とりあえずこの状況を弟妹にメールで伝えた。
2022.11.15
コメント(0)
夜中に目が覚めるたびに病院にいる父に思いをはせた。昨日、下半身の浮腫の悪化と息切れで通院している病院へ行った。今までは浮腫は治りと再発を繰り返していたのがここ最近ずっと続いていたのと、体が思うように動けなくなったので診察でもしかして入院かなと思っていた。車椅子にいるのも大変そうと看護師さんが診察室の後ろにあるベッド室へ案内してくれ、そこでしばらく休んでから超音波、レントゲン、血液、心電図の検査をこなした。少し離れた場所の血圧計に並んでいる親戚の人がいるのに気付いた。父の付き添いで行ったレントゲン室の前でも別の親戚に会ったこの地区の総合病院だから、会う確率は高い。レントゲンから戻った父が上着がぞんざいに着せてもらって斜めに歪んでいたのがちょっと悲しかった。その後、ベッドで休んでいると「入院を前提にPCR検査をします。その間、娘さんお昼の食事をしてきてください」と。医師の診察はこれからなのに検査の結果と現状での看護師さんの判断でやはり入院か。高齢だし、仕方がない。内科の待合室とこちらのベッド室の看護師さん達の仕事の話しのやり取りの喧騒。不思議と居心地がいい空間だった。弟妹にメールで連絡。一階に降りてお洒落なカフェで昼食。てんぷらうどんを注文したら、さすがカフェ、デザートに小さなケーキがついていた。その後、外来に戻り医師の話しを聞く。うっ血性心不全と画像を見せながら説明を聞く。入院は2~3週間とのこと。印刷する書類の文字入力で何回も入力ミスを繰り返すのをぼんやり見ていた。ベッド室へ戻り、父に「入院だから、家よりも安心だからね」というと、こくんとうなづいた父。そのあと看護師に入院手続きの説明を聞き、家に戻り、洗濯をして部屋に干し、入院の書類、持っていくものを揃え、弟妹にも連絡。病院と実家を二往復し、仕事から帰って来た弟としばらく話し、その後自宅へと戻った。
2022.11.12
コメント(0)
予約をしていた近くの医院へ父とインフルエンザワクチン接種へ。二人分で2000円にはビックリ。接種証明書には高齢者接種と書いてあってショック。私も父と同じ高齢者だなんて、認めたくないぞ!接種してくださった女医さんを他の誰かと勘違いした父が親しげに話しかけるのを笑顔で話を合わせて下さり、側にいた看護婦さんと私も混じって皆で笑ってほのぼのした時間だった。そのあと町のスーパーに、施設用の上履きが足の浮腫できつくなった為、大きいサイズへ買い直し。その帰りにいつも行くラーメンチェーン店で昼食。食べられないから少しのでいいと言う父。最初子供用にしようかと思ったけど、大盛サイズがあったので味噌ラーメンの大盛サイズを二人で分けようと一つ注文。配膳の年配の女性、ちゃんとわかっていて、父用の子丼も一緒に持ったきて下さった。今日、外出してみんなお年寄りに親切だなと実感した。父も楽しそうだった。父の体が許す限り、外出は大切だなと思った。
2022.11.04
コメント(0)
いつもの1000円カットへ。 客は三人。 待っている人は父一人なのに、みんな顔剃りが、これからで10分位待たされた。いつもは待っている人が何人いても、すぐだったのに。それでも早い。帰りにお昼を、といつも行く幸楽苑ではなく、地元のタンメンが評判のラーメン屋さんへ。椅子席がなく、座敷へ。お昼前だったので、席は空いている。 そのうち、お祖母ちゃんと孫娘の二人連れが後ろのテーブルへ。そのお祖母ちゃんの話し方が地元の人らしいイントネーションで耳に心地いい。食べ終えて席を立つ時、父がヨイショと掛け声をかけながら慎重に立ち上がるのを心配そうに見ていたおばあちゃん。目が合うとニッコリして「私も足が悪くて立つ大変なんだよ」という。立ち上がった父が「俺は、はあ90なんだよ」とおばあちゃんに声掛けると「あら若いねえ、私なんて80なのに体はガタガタ」と笑って言ってた。亡くなった母に面影が似ている。父もそう感じたかな。帰りに「アイスキャンデーが食いてえ」と言うのでコンビニで栗もなかを買うと、早速車の中で食べていた。快晴の今日、行って良かった。美味しいラーメン食べて、母に似た人とおしゃべりできて、デザートに栗もなかも食べられた。運転しながら、もし父ではなく母だったら、母ともいろんな所へ連れて美味しいもの食べたり温泉に行きたかったなと思った。昔の母への不満もきっと帳消しできただろうなと。家へ着くと廊下へ広げていた布団が太陽を浴びて幸せな気分になった。明後日には家へ帰れるという事実もそれ以上に幸せな気分だった。
2022.10.19
コメント(0)
お風呂に入るのに、廊下の手すりに干していたバスマットを手にかかえたとき、尿臭がした。父だ。お風呂上がりに漏れてしまったということか。本来、潔癖症で片付けに煩かった父が年を取ってこうなってしまった。仕方がない。実家にいるときは父の着ているものや、脱いだもの、寝具や、廊下や床を注意してみている。排泄物とわかればすぐに、掃除や漂白剤をいれたバケツにつける。気付かずに 踏んでいることもあるだろうな。洗濯物は漂白剤をいれて、父と私は別に洗う。非日常のことを今私はしていると実感する。とにかく粛々と日々をこなす。家へ帰れば好きな事ができるのだから。
2022.10.19
コメント(0)
ショートステイでお世話になっている施設から電話有り。21日から受け入れ可能と。ホッとした。時々思う。父が天国へ行ったら私はどんな気持ちになるのだろう。もちろん、今までのショートステイを利用しながらのワンオペ介護からの解放はホッとする気持ちはあるだろう。しかし、後悔もあるだろうな。 父にガミガミ怒ったこと。自宅に帰れなくて何で私ばっかりとそのイライラをぶつけたこと。それに対して、父はいつも穏やかで反抗的な態度は取らなかった。実の娘に対する優しさも感じられた。そんな事を思い出して後悔するのだろうな。だが、こんな心情は自分でも予想できない。実際、母が死んだ時、想像では毎日泣き腫らして暫く通常の生活ができないと確信していた。ところが実際は冷静だった。涙が流れたのはヘルパーの仕事先で、洗面所で洗い物をしている時、もう助からないと言われたことを思いだし、涙が溢れてきたことが一回だけ。鼻水がマスクの下から落ちてきて、マスクして泣くとこうなるんだと、目の前の鏡で他人事みたいに見ていたこと。あの時だけだった。実際、臨終のときも、自宅へ母の亡骸と葬儀社の車で戻る時も、葬式でも涙はでなかった。 自分でもびっくりした。普段はすぐ涙ぐむのに。もしかしたら、母とは心の距離があったからなのかもしれない。母親としては素晴らしかったけど、私の心の拠り所にはなっていなかったから。私自身の性格もあり、相性も良くなかったのだ。そのぶん、妹にたいしての甘やかしとも思えるほどの対応。それについて、抗議すればよかったと今更ながら思う。そんな事から涙が出なかったのは当然なのかもしれない。しかし、父は母と違い、分かりやすく愛情を注いでくれた。現在、ガミガミ言う私に対して父は怖がって遠慮しているかも。後悔しない対応をしていかねば。
2022.10.18
コメント(0)
昨夜就寝中、襖を隔てた隣の父が私を呼ぶ声で目が覚めた。部屋の電気を点けてびっくり!全身肌色の父がベッドを横切るようにして横になっていた。何でパジャマを脱いだ?脱いだリハパンを辛うじて局部の上に置いておくのは、まだ理性があるからかと少しホッとする私。どうやら電気敷毛布が熱かったらしい。起き上がるのが大変そうなので私が起こしてあげ、パジャマを手渡した。パジャマを着せてあげるのは簡単だが、ここは自分で着てもらおう。前後が反対だとしても。隣の部屋で着終わるまでスマホを眺めていたら、着終わったようで布団に入り、電気を消していた。見に行くと目から下を布団に埋めて必死に眠ろうとする父の横顔が見え、切なくなった。自分の布団に戻り、目をつぶると元気だった頃の父の話を思いだした。認知症で独り暮らしの父の兄の家に、様子見に訪れた父。玄関に出てきた兄の様子に度肝を抜かれたと。その時兄は素っ裸だったと父が話してくれた。10年くらい前の父が話してくれた伯父さんのこと。今、父も同じようなことをしている。父、私、兄妹のこれからのことを思いながらいつしか眠りに入った。
2022.10.17
コメント(0)
昨日の今ごろは明日のショートステイがコロナで中止で大ショックだった。あまりの衝撃に父の介護は、もう続けられないと思った。私の介護が当然のように、何の労りの言葉もない、兄妹や父を恨んだ。さっさと先に死んで、父を丸投げした母を恨んだ。それでも必死に気持ちを建て直そうとした。実家で一日一日を淡々と過ごそう。ショートステイの数日なんてあっという間。すぐにショートステイから帰ってくる日が巡ってくる。そしてコロナの心配がなくなって、いつものように再開出来てまたお願い出来るのだから。そう、前向きな考えで自分を奮い立たせ、今はもう落ち込んではいない。父を施設に入れて、介護から解放されたい。しかし、特養は父の介護度2で対象外。 グループホームは入れるが、料金が父の年金では足りない。父の貯金もあるが、いつまでの命なのか分からないのに切り崩してもあっという間のような気がする。兄妹で負担といっても、シングルマザーの妹には声をかけられない。私も無職で年金だけなので、とても厳しい。弟一人に賄ってもらうわけにもいかず、結局私が犠牲になって介護するしか?と、またスタート地点に戻ってしまう。しかし、私一人犠牲になることなんてない。と気持ちをふるいたたせても、お金の問題になると気持ちが萎えてしまう。取り敢えずケアマネにはっきりした金額と、こらからのことを相談すると弟に伝えた。
2022.10.16
コメント(0)
実家で読書をしていた時、傍らのスマホが鳴った。父のショートステイ先からだ。瞬時にいい電話ではないと理解した。父は自宅にいる。何かのお知らせだ。電話に出ると初めて名前を聞く女性。「コロナが発生したのでしばらくショートステイは出来なくなります。再開も未定です。」明後日からのショートステイが中止になった。私は自宅に帰れる。それを目標に日々の介護をこなしてきたのに。電話を終えて放心状態になる。手にしていた本を気を取り直して読もうとしても頭に入らない。コロナがなけれは、予定どおり自宅に帰れたのに。私にだって予定があるのに。兄妹のなかでなんで、私ばかり犠牲になる?さんざん実家に子供連れで何泊も出来た妹ではなく、姑持ちの私を早く家に帰らせようとした母が憎くなる。結婚して出産以外に実家に泊まれたのなんて数日なのに、あんな姑のいる嫁ぎ先なんて帰りたくなかったのに、母は有無を言わせず帰れと言った。そして自分が死んで、残された家のことなんて何もできない父の面倒を今、私は自分の都合を犠牲にして泊まりがけで見ている。仕事もやめて介護をしている私は父と母の犠牲者。自宅で一人の生活に慣れた夫は、それなりに快適そう。弟と妹は何も変わっていない生活をしている。
2022.10.15
コメント(0)
最近、父は枕元の数個並んだ一枚の電源スイッチを、何度もつけたり消したりをする。隣の部屋で襖を隔て寝ているものの、非常に耳障りだ。トイレに起きたついでに「うるさいから止めて」と父に言った。特に目的もなくしている行為なのかそうではないのか聞いても要領を得ない父。「何がなんだか、わがんねぐなったんだ。」と弱々しく答える。このセリフ、他でも聞いた。ヘルパー時代の担当のSさんだ。 認知症が進んだものの、いつも身綺麗で普通の会話をできてお互い通じ合っていると実感できた人だった。我が儘は言わず、我を通すこともなく、上品で昔話をよくしてくれた。そんなSさんがよく呟いていた言葉だった。認知症というと周りを困らすというイメージだったが、そうでない人もいるとSさんと接して実感した。父もSさんに似ている。「何がなんだか、わがんねぐなったんだ。」胸がキュンとする。このセリフ、私も将来言うようになるのかも、とふと頭を過った。
2022.10.07
コメント(0)
購入したポータブルトイレ。さっそく父のベッド脇に設置。設置は介護用品屋さんがしてくれた。高さを調節し、消臭剤のサンプルも置いて行った。自己負担は1割負担で3000円弱。安い!その夜、使い方を父に説明したがベッド脇のトイレは匂いが気になるといって結局使わずじまい。それはそれでいい。自力でトイレに行けるのならそれが一番。慣れるまで私も一緒に夜何度も起きて、見守るのも大変と思っていたし。ポータブルトイレを買ったことは後悔していない。いずれ使うと思うし。おかげでその夜はぐっすり眠れた私。
2022.09.25
コメント(0)
先日の定期検診でBNPの数値が高くなっていると言われ、一種類お薬追加になった。ここ半年ほどで徐脈傾向、足の浮腫もここ数週間、ずっと見られる。その足の浮腫のせいか、歩くのも大変そう。特に夜、2~3回の6~7メートル離れたトイレに行くのも大変かなと思い、ベッド脇にポータブルトイレの設置を提案したら、父も了承。早速ケアマネに連絡、介護用品屋さんがその日のうちにきて種類を検討して設置は来週となった。ポータブルトイレは買い取りで一割負担で3,000円台。安いな、有り難いなとしみじみ思う。ベッド脇に置くのに、母の使っていたベッドは撤去することにした。実際、使ってみてどうだか来週様子を見よう。
2022.09.18
コメント(0)
湯船に入ってまったりしているとき、ドアの開け閉め時の空気の音を感じた。 「まさか、」鳥肌をたててそーと脱衣場を見ると案の定、杖をついた父がドアを開けて脱衣室に入ろうとしているところだった。「こらー、お風呂入ってるの!さっき私、入るって言ったでしょ!」大声で力一杯、怒ってることを伝えた。「お、おう、ごめんな!」とすぐドアを閉めて出ていった。お風呂から出てからも、居間にいた父にもう一度ダメ出し。「わかった!風呂に誰もいないと思ったんだ。ごめんな!」子供のように怯えた声の父が可哀想に思えた。以前はお風呂の順番は父が先だった。しかし、浴槽の底に茶色の小さな固形物を数個見つけてから、父に私が先に入ることを了承してもらった。脱衣場のドアに鍵をつければ一番いいのだけど、めんどくさいので、私が気を付ければいい。 私が怒った時の父の反応でも、大変なことをしたという自覚はあるようだ。お風呂に入る時、前もって入らないよう伝えれば何とか大丈夫だと思う。
2022.08.28
コメント(0)
お風呂上がりの父が「これゴムがきついんだ。」と言ってリハパンのウエスト部分を押さえていた。よく見ると、足を入れるところが間違っている。足の部分から、はいていたのできついのも当然。お風呂は自分で入るので、着替えを用意して上がって肌着を着るまで本人にまかせている。最近、たまに失禁をするようになったため、パンツからリハパンに替えた。ほとんど濡らすことはないが、パンツやズボンの洗濯を考えて介護側の負担軽減でリハパンに替えた。また、ズボンを濡らした時の父が私に言いずらそうにしていたことも決断になった。施設でもみんなリハパンなので本人も抵抗は無いように見える。一日一枚の交換。パットは無し。ショートステイ先でも用意してくれるので、購入頻度も月一で大丈夫。「認知が進んできてますね。」と施設の担当者にも言われた。私も実感している。でもまだ大丈夫。今日はこれから1000円カットに父を連れていく。
2022.08.26
コメント(0)
昨日ショートステイでお世話になっている施設の担当者から電話をもらった。父と接触していた職員の家族がコロナになり、その職員が検査に行き、結果待ちだと。返事は後程、と言われ動揺した。結果は半々だとしても悪い方を想像してしまう。もし陽性ならば、接触した父は濃厚接触者として自宅待機か?しばらく実家で父の介護をするようになるのか。正直勘弁してほしい。今でさえ、自分の生活を犠牲にして父の世話をしていることを深く考えないようにしているというのに。それでも気持ちは自宅に暫く帰れないかもと自分に言い聞かせていた。そしてきょう、施設の担当者から不在着信があり、折り返すと、電話にでた別の女性職員が明るい声だったのでもしかして陰性だったのかもと直感した。担当者に替わった時もいつにもまして明るかったので確信に変わり、「陰性でした」の回答。よかった。ほっとした。月曜日に自宅に帰ることが確定した。当たり前の自宅に帰ることが、父の介護をするようになって心からの喜びになっている。コロナ騒ぎはまだまだ続く。もし、巻き込まれたとしても粛々と受け入れよう。そして将来、懐かしく思出話として話せたらと思う。
2022.07.23
コメント(0)
知り合いが敷地内同居する義理の老父が夏でもコタツにはいっていると言っていた。それが私の父もするようになった。実家は元々掘りごたつを夏も足が伸ばせるので布団だけ取り払ってテーブルとして使っている。父はそのコタツのスイッチを入れて自分で毛布をテーブル下にセットして満足そうに横になっていた。老人だから仕方ないか。今日は開けていた窓も閉めてくれと私に言う。そのくらい、自分で閉めろと言いたいが、気まずくなるのが嫌で黙って従う。こんな小さな不満がどんどん積み重なるんだろうな。改めて介護ノータッチのきょうだいが恨めしくなる。とにかくストレスをためない。自分を甘やかす時間を持つ。それで乗り切ろう。
2022.07.10
コメント(0)
ショートステイに父を迎えに行くと、担当の方に「最近認知が進んで来たようです。」と何度か言われた。夜中に起きて、辻褄の合わないことを職員に訴えると。自宅でも同様のことが最近起きている。昨夜もそうだった。夜中、電灯をつけ、立って何かしているのが見える。側に行くと、窓際の棚に置いてある昔もらった靴べらの束をガサガサとさわっていた。「これは家を直してもらった時に記念に貰ったものだ」と。柱に打ち付けてある鉄製の飾り物を指差して「これは◯◯の御守りだ」と説明を始める。言っていることは間違っていないが、夜中に起きて昔の事を話し出すのはやっぱり認知症そのものだ。アルツハイマーとはいわれていないので、加齢に伴うものと思える。わがままや暴言は言わないし、おかしな事をした時、こちらが注意するとしゅんとして「何がなんだかわがんなくなってきてんだ」と言うので可哀想になってくる。そして将来、私自身も同じ事を言うようになるのかなと思ったりする。注意すれば素直に従い、決して強気な態度には出ない父。ふと心配になってきた。ショートステイ先で、介護士もいろんな人がいる。大人しい父にガミガミ言う人がいたら嫌だなとちょっと心配になった。
2022.07.03
コメント(0)
朝晩の食事の際に出す父の飲み薬。何となく今月中旬の通院日までの分に足りなそうに見える。実際数えてみると朝の分が2回分足りない。次回の通院日までの分、日数きっちりで足りないと大変だ。考えられるのは、テーブルに一度出して、そのあと父がなくしてしまい、私も出さなかったと思い込み、二重に出してしまうこと。父の座布団の下から袋のまま手付かずのが出てきたことがあるから。さっそく足りない二回分、大捜査。以前の薬袋をみると、何と二袋出てきた。個別の薬をチャック付き袋に入れたもの。以前は朝、夕と袋に纏めてなくて、薬別に貰って、こちらで朝、夕と必要な薬を出していたのだ。母はそんな手間をかけていた。薬局で纏めて貰うようにしたのは、私が父を見るようになってから。今更ながら母に教えてあげれば良かった。その昔のお薬の内容を今の薬の明細と確認すると利尿剤が足りないことがわかった。必死に探して堀こたつの中と父の荷物からその利尿剤を発見。事なきを得た。とにかく薬はどんなものでも捨てないで取っておくようにしようと思った。
2022.06.04
コメント(0)
父の襟足が伸びていたので、本日1000円カットへ。平日なのに待っている人が3人。そのあとも次々来店。しかし一人辺りの時間は短くてすぐに順番は来る。頭の上の面だけ残し、他は綺麗に剃りあげるヘアスタイルの若い男性。職業は何なんだろう。自営業?会社勤めだとなかなか出来ない髪型だ。隣接する美容室には女性の客が1人。施術可能な時間が入り口にメモしてあった。美容師が1人だからか?快晴で暑いくらい。帰りにラーメン店で昼食をとり、家に帰るとぐったりして一時間ほど昼寝をした。
2022.05.20
コメント(0)
久し振りの快晴。10時のお茶の時、父が桜は咲いているかと聞いてきて外出したそうだったのでドライブにいくことにした。連日の雨で桜は散ってしまったが行く先 は父の希望で牡丹園へ。牡丹はまだ咲いていないので入場料無料。父が歩けないというので車椅子を入り口で借りた。私と同年代のボランティアの女性数人が受付にいて同じピンクのウインドブレーカーで挨拶してくれる。父を車椅子に乗せ、出発。メインが牡丹なので、あちこちに咲いているチューリップや芝桜は満開ながらもボリュームがないのでちょっと寂しい。地面は細かい砂利道で緩い坂道の繰り返しで車椅子を操作するのは力がいる。車椅子が古いというのもある。子供達が小さかった頃、ディズニーランドで借りたバギーの軽やかだったことを思い出す。あちらは地面がリノリウムのようななめらかさだったからそれもあると思う。本当は奥の方へも行ってみたかったが、体力の限界なので無理をしないことにした。父は松の木を見上げながら「大したでっかく育った木だなあ」と何度も言っていた。牡丹園、人生で数える位しか行ったことのない場所。子供達の幼稚園の遠足の付き添いと今回の父と来たこと。さっき見たチューリップ畑は息子が職場の研修で全員で記念写真を撮った場所。遠くに見た池は、娘と幼稚園の遠足で、アヒルを見た池だ。帰りに牡丹会館に入り、展示物を観賞。毎年街中に貼り出される牡丹園のポスターが年代順に貼られている。昭和49年、私が高校生の時、通学時に貼ってあったんだ。昭和52年、社会人になってあれこれ夢と希望があった時。そのあと子供達の年齢を思い出しながら鑑賞。帰りがけ父を車に乗せて車椅子を返しに行くと、借りるときは1台しかなかったのに5台の車椅子がならんでいた。
2022.04.17
コメント(0)
朝方、父がベッドで「おーい」と呼んだ。はっきりした声だったのでどこか具合が悪いのかとすぐに隣室から行くと、眠っていて声をかけると呼んだ覚えはないと。寝ぼけていたのだ。「おーい」は、母を呼ぶ時に使っていた。夢で母に会えたのかな。私が声かけて現実に戻り、がっかりしただろうな。いつか父がこの世を去る時、母に会えて嬉しいだろうなと思う。父ももうこの世には未練はないと思う。何も口にはしないけど父は寂しいだろうなと思う。
2022.03.21
コメント(0)
信用金庫から粗品でステンレス製携帯用魔法びんをもらった。 一合も入らない、私だったら、いやほとんどの人にとって到底足りない容量。スーパーにも可愛らしい柄の同じサイズのポットが並んでいたが、いったい誰が使うのか不思議で仕方がなかった。ところがある日、このサイズが出先で薬を飲むのに重宝していると聞いてなるほどと思った。高齢の父に使える。先日、一緒に病院に行く時に持って行った。自宅でもいつもいる居間の手の届く所にお湯を入れて置いておくと、喉が渇いた時に自分で気軽に飲める。夜、寝ている時必ずペットボトルに入れた水を飲んでいたが、ポットのお湯なら尚、飲みやすい。これから夏にかけては氷を入れた冷たい水が手元に置ける。保温機能はそれほどではないので、丁度飲みやすい温度になっている。何より軽くて嵩張らないのが良い。このポットを使えて良かった。
2022.03.10
コメント(0)
父の介護が始まって一年が過ぎた。弟、妹がいるが当然のように私が担当することに。必然ではあった。別棟に住んでいる弟に任せるのは忍びない。食事の準備や身の回りの世話を働いている弟にさせるわけにはいかない。妹は県外在住でシングルマザーで子供も小さく、物理的に無理だ。当初は私も働いていたが、夕食の時間が遅くなるので退職。私の年金が貰えるまで、父の毎月の生活費の予算から残ったものを雀の涙ほどだが私が貰うことにした。今は父の貯金と年金でまかなっているが長生きすれば兄弟で出すようになるのかな。カツカツで生活している妹に請求するのは忍びない。親戚で叔父が独り暮らしで認知症が出ても、子供達は介護すること無く、定期的に様子を見に行くだけで、最後はグループホームに入所した。先に叔母もグループホームに入所していて亡くなるまで10年いたことになる。介護保険を使ったとしてもその費用は膨大だと思うが、子供達は大企業勤めや会社経営をしていたので兄弟みんなで出し合えばそれ程ではなかったのかも。私に置き換えれば先が見えない介護。生活が父のせいで大きく変わったのに、それがまた当たり前とみられているようでモヤモヤする。父はわがままは言わない。それほど手はかからない。と自分をなだめているけれど、やっぱり私は犠牲になっている。特養の施設にいれたいけど介護度3からが入場要件なので対象外だ。食事の内容を完ぺきになんてしなくていいんだ。緩く緩くやるんだ。と自分に言い聞かせ、毎日を過ごしている。
2022.02.20
コメント(0)
昨日から実家で泊まり介護。夜中に隣室の父が居間に行くのが見えた。足が寒くて眠れないので炬燵で寝ると。父のベッドには電気敷き毛布と湯タンポがある。湯タンポはぬるくなっていつものように袋から出してあった。炬燵では体が痛くなるから布団でと父をベッドにもどす。ぬるい湯タンポを布団から出して、側にある電気アンカのスイッチを入れ、敷き毛布の目盛りを高くして寝て貰った。「家事も覚える気もしないで人任せでまったく」とひとり心の中で毒ずいていたけど実際問題、とても一人ではおけない。独り暮らしで父より認知症が進み、介護度も高いお年寄りをヘルパー時代何人も見てきたけど、危ない綱渡り状態だった。一人の時、いつ事故が起きてもおかしくない状況なのだ。あの当時、それが一番怖かった。たとえ自分に責任が無かったとしても、事故が起きる直前まで関わったヘルパーとして事情を聞かれるだろうし、自責の念も沸くだろう。退社する時は事故が起きなくてよかったとほっとした。そんなことを考えながら横になった父の布団を整えていると「有り難う。御世話になります」と他人行儀なことを父が呟いた。
2022.01.28
コメント(0)
明日から父はまた3泊4日のショートステイへ。私も自宅へ帰れる。自宅へ帰れる前日からうれしい。反対に実家へ行く日は気が重い。父は手がかからず見守り介護。 家事は自分で好きにカスタマイズしてきたし、気を遣う人はいない。しかし、できるならやりたくない。あと何年私は介護に縛られるのだろうと考えると落ち込む。知り合いに「介護大変だね」といわれると反射的に「手がかりかからないから楽なの」と言ってしまう。事実ではあるが自分の正直な気持ちは「もう、解放されたい。」夜、布団に入る時、隣室の父を見て布団が乱れていれば整える。「寒くないかい?」の問いに「あー、温かいよ」との半分眠りながらの呂律の回らない返答を聞くと泣きそうになる。予想外に母が先に亡くなって不安なはず。いくら娘といっても気は遣ってるはず。子供のような返答に、幼い頃の父を想像する。この先、父が天国へ行ったら母の時とは違って大泣きしそうだなと思いながら私は眠りに入った。
2021.12.12
コメント(0)
実家でケアマネがきて来月の予定表を持ってきてくれた。ショートステイの予定はこちらの希望を聞いてくださり頭が下がる思いだ。帰りがけ、カレンダー納品が今年は遅れてるので到着次第持ってくると。そういえば来月の予定を記入しようとカレンダーの前に来て気付いた。来年のぶんが無かった。今年ももう終わりなんだ。自宅からカレンダーを持って来ることにしよう。
2021.12.11
コメント(0)
父の襟足が伸びてきたので床屋へ。千円床屋。平日だったので他に客は二人。すぐ席に案内され、チケットを自販機で購入、担当理容師へ。理容師の手元を興味深く見てしまう。温タオルの手つき、頭や肩のマッサージ、専用ブラシで体についた毛を払う様子。小さな頃から美容師に憧れていた。人を綺麗にすることに興味があった。しかし子供心にいつも目にする美容師は、その技術以上に人あしらいが重要だということに気付き、自分には向いていないと諦めた。あっという間に終了し、お昼近くになったので、すぐ近くのラーメン屋さんで昼食。湯麺が有名なところ。年配男性客数人がきてワイワイおしゃべり。「あれはバカだからどうしようもない。」と誰かを批判している。夫と来ると私が食べ終わるのをいつも待たせるが、父は私よりもゆっくりなので、ゆったり食事ができた。快晴で気分の良い日だった。
2021.11.19
コメント(0)
今日から4日間、また実家へ行って父の介護。大分その生活にも慣れてきた。しかし行く前日から気が重い。 できれば行きたくない。家にいて自分や家族のことだけしていたい。そして自宅へ帰る日は前日からワクワクする。何度も繰り返しているのに今もこの気持ちは変わらない。ショートステイへ行く朝、父の体温が高かったらという恐怖。当然 ショートステイは中止になる。いつも体温計測 は緊張する。実家で介護といっても見守りと食事、掃除、洗濯等の家事全般でそれほど重労働ではない。合間に好きな手芸や読書もできる。仕事をしていた頃の緊張感や人間関係の悩みはない。 それでは何が嫌なのか?父の入れ歯のカタカタ音が嫌→なるべく別の部屋にいるよう努めているがこれから寒くなると燃料費の無駄遣いになり、父も別室にいる私を気にする。食事メニュー→自宅と同じにはできない。なるべく気を遣わずにと思うがやはり気を遣う。寝室→父の寝室とトイレの中間にあり、夜何度も起きる父が私の布団の脇を杖をついて歩っていくのでそのたびに目が覚める。プライバシーがない。要するに父と四六時中一緒にいるのは苦痛であるということ。それと父と他の兄弟からは労りの言葉が皆無だということ。私が介護しているのは当然なのか?と思ってしまう。思えば姑を介護していた頃は、姑本人からも義姉からも感謝の言葉を何度も貰えた。それだけで気持的に楽になれた。姑が元気な頃は姑本人も義姉にも嫁の立場としていろいろ思うことはあったが介護するようになってからは思いも徐々に変わっていった。義姉も積極的に姑の介護の協力をしてくれた。今、私はほとんと一人で父を見ている状態。他の兄弟は仕事をしているという理由があるけど。こんなモヤモヤをかかえたまま、しかし、その不満を改良するようこれからも工夫をしていくつもりでいる。
2021.10.07
コメント(0)
実家で昨夜、お風呂に入っていると脱衣所で人の気配が。湯船に入ったまま脇の三つ折ドアを開けると父がいた。入れ歯を洗浄剤入りの入れ物に入れている所だった。「コラッ!」と大声で言って入浴中は入ってこないよう言った筈だと叱った。「はいよー」と行って出て行ったが腹立たしい。これで二度目だ。前回は下着を着た後でセーフだった。いつも脱衣所では父が入ってこないか気にしながら、急いで脱ぎ着をする。「今度また同じことしたら、私家に帰るからね。あとはなんでも自分でしてね。」精一杯の嫌みを言った。ストレスを溜めないよう、言いたいことは言うようにしている。
2021.10.03
コメント(0)
敬老の日。市からお祝い金三千円を商品券で頂いたので夕食はスーパーで巻き寿司とお刺身。ぷらす自家製煮物で。出来合いだと楽でいい。黙々と食事。実家は昔から黙食だ。夕方のスーパーはいつもより人が少なかった。三連休の最終日だからだ。後片付けしながらつらつらと考える。私だってそう遠くない未来にこの立場になる。子供達には迷惑かけたくない。「世話になるんだから」なんて口がさけても言わない。姑がかつて口癖のように言っていて嫌悪感を抱いてた。実際、その通りになった。ただひとつだけ良かったのは「世話になるなあ」と声かけてくれたこと。その一言で優しい気持ちになれた。感謝の言葉は、気づいたときは言うようにしよう。そんなことを考えながら生ゴミを外のコンポストに捨てに行った。満月がこちらを見ていた。
2021.09.20
コメント(0)
身内に風邪気味がいて不安になった。父にうつったら、次回の久しぶりのショートはキャンセルになり、もしコロナだとしたらそれどころではなくなる。万全の対策はとっているがショートに預けるまで不安は続く。父は相変わらずマイペース。好きな書き物をしたり、書き物用紙に線を引いたり、特別我が儘や暴言を言う訳ではないので楽なのは楽だが、四六時中一緒にいるのはきつい。そんな父が書き終わった用紙を小さく破いてすわっている座布団に紙片を置いている。掃除が大変だからゴミ箱に入れてと私が大声で注意する。風邪の心配もあるので、イライラしているのを自覚している。次に爪切りを始める。切った爪が畳に落ちていても気にしない。昔は新聞紙を広げて切っていたはずなのに。同様に注意する。仮眠用の座布団にも小さな破片が落ちているはずだがあえてそのまままにした。こちらが細々と世話をするのを当然とされるのは嫌だから。イライラしている私。洗面所へ行ってシャンプーすることにした。昨日カワチで買った資生堂のホネケーキで顔も洗うことにした。小さな贅沢をして介護の気分をまぎらわそうと買ったもの。母が昔愛用していたものだ。快晴の今日。ドライヤーがないので外に洗濯物を干しながら自然乾燥。全部干し終わる頃は、さっきのイライラは飛んで行った。イライラの頂点が過ぎるのを待つようにしよう。少しずつコントロールできるようになった気がした。介護に潰されない。無理をしない。自分の感情に正直になる。少しの贅沢を自分に許す。今の自分を誉めて上げよう。
2021.08.28
コメント(0)
朝方の雨が止んだので、行きたいと言っていた床屋へ。以前は地元の床屋だったが、父は自分で見つけた1000円床屋へ行くようになった。10年前の東日本大震災のとき、ちょうどその床屋にいた時だったと何度も話してくれた。きょうもその床屋で若い理容師さんに話していた。理容師さんは高齢者や小さな子供に対するような優しい応対をしていてくれた。あの当時は父は自分で車を運転していたんだ。車を手放したら不便だったろうな。プラスチックのボトルに入った様々な色のローションが鏡の前に並んだ昔と変わらない風景。 漂う甘い香りも昔にタイムスリップする。あっという間に父の頭がカットされ、さっぱりして戻ってきた。
2021.08.25
コメント(0)
月一のケアマネ面会日。来月の予定表を見てため息。ショートより自宅にいる方がずっと多い。以前よりショートが減ったのは、母がいた頃はデイサービスを週2日、使っていただけなので、その分を振り分けていたので多かったのだと。理由は聞いていたので納得していたのだが、気持ちは落ち込む。それも今月、事情があり、ショートの予定をキャンセルし、そのため自宅にいる日数が今までて最長期間になってしまった。精神的に疲弊してしまった。兄弟や父本人からも労りの言葉がなく、私一人が介護をするのが当然と思われているようで嫌な気分になる。いや、別世帯の弟は家事以外のことは何でもしてくれる。いろいろ気遣ってくれている。労りの言葉を掛けてくれる性格ではないのはわかっている。ちょくちょく自宅には戻るが、ケアマネにはずっと実家に泊まりなのは、自宅での仕事もあるので困っていると正直に話した。その後、ケアマネが今月キャンセルした分を来月に繰り越せる事が可能になったと電話があった。 それを聞いただけで心が軽くなった。来週は、少し楽になると。ケアマネに感謝した。
2021.08.23
コメント(0)
読売新聞日曜版に主婦の仕事がいっぱいいっぱいでつらいというのに「全てを放り出して逃げていい」と。私も父を放り出して、自宅へ帰りたい。自分の好きなことをしたい。父の入れ歯カタカタ音を聞きたくない。食事のメニューで頭を悩ましたくない。(自宅に夫はいるがそれほど問題ではない)要するに人にはそれぞれ事情があるのだ。頑張らない介護をしているつもりだが、最低限やるべきことだけでいっぱいいっぱいだ。洗面所の棚に、父の入れ歯洗浄剤をばらしたもの、泊まる分出してある。毎日、入れ物に溶かすたび、あと何個とモチベーションにしている。カレンダーの予定表を眺め、あと何日と数えている。きっと私を見てもそんなこと思っているようには見えないだろう。でも同じ思いで介護をしている人はたくさんいる。どうしたら自分を大事にできるか日々考えている。
2021.08.22
コメント(0)
とにかく最近は介護のことで頭が一杯だ。というのも8月のお盆からショートステイが無いので、ずっと実家にいるからだ。施設の都合上仕方の無いこと、納得の上ではあるが辛い。兄弟で私以外代わりにできる人がいないのが辛い。いつまでこの介護が続くのか。施設に入れるにしても、特養は介護2なので入れない。では他の施設はというと費用が父の年金では到底足りない。兄弟で出すとしても、約一名シングルマザーがいてお金の話しは気の毒で話せない。だからと言って私だって出すとなると難しい。父は前よりも元気だ。体が弱いなんて母を伴って大したこと無い体の不調で病院通いをして、結局不調を隠していた母の方が先に天国へ行ってしまった。これから先のことを考えるとため息が出る。早く父がショートステイに行って、自宅へ帰りたい。
2021.08.20
コメント(0)
父は、始終入れ歯を噛み締めて音を立てる。一度指摘したが本人は気付いていない。指摘した時、気になる、やめてほしいとは言わなかったので今でも音を聞かされる。なんどもやめてほしいと言うかとおもったが言えずにいる。昔、読んだ本で遭難して二人でずっとテント生活して相手の生活音や無意識の癖が気になって、険悪な関係になったというのを思い出した。それが今の私の感情だ。介護に疲れてきたのだ。頑張らない。ゆるくやる。そう、自分に言い聞かせている。
2021.08.20
コメント(0)
父のコロナワクチン接種一回目に行ってきた。 ショートステイ先に迎えにいくと玄関に私と同年代の女性がやはりワクチンに母親をつれていくところだった。 認知症と思われる方とのふたりのやり取りがなんだか微笑ましくて私がニコニコしていたら、その母親が不思議そうな顔で私を見ていた。 ヘルパーをしていた頃を思い出した。 利用者さん元気かな。 父を通院している病院へ。 待っているとき、高齢の夫婦もいて父は 母を思い出しているかなと思った。 いよいよ接種。 看護士と話していた父、「俺、何歳に見える?」と。 「うーん68歳?」と看護士さんリップサービス。 もう看護士さん、それほとんど私と同年代。 年齢を聞くというのは、父は常々「実年齢より若い」と言われてるんだなと気付いた。 年をとっても若く見られるのは嬉しいものなのね。
2021.07.07
コメント(0)
実家の隣の家は、私の幼馴染みYちゃんのお兄さんが、息子夫婦と敷地内で別々に暮らしている。 お兄さんは廃業した工場の2階の住まいで独り暮らし。 よく歌謡曲やカラオケが聴こえてくる。 騒音ではないので問題はない。 前の畑で少しずつ野菜も育て、カラオケをしたり朝夕は犬の散歩をし、悠々自適に見える。 独り暮らしは長いので家事も一通り出来るし、体が動くうちは子供達には迷惑をかけないと思われる。 つくづく思う、母はあまりに父を甘やかしすぎた。良妻賢母と亭主関白の組み合わせは女性が先に旅立つと子供にとばっちりがくることを。
2021.07.03
コメント(0)
父は何でもじぶんでできるが、自分一人では生活出来ない。 ご飯を作ったり、掃除したり、洗濯が出来ない。 全て母に任せっきりだったので、認知症がある今から、覚えることは不可能だ。 私が母の代わりに来ていることも、特に労りの言葉があるわけでもなく、生活そのものは母がいた頃の延長線にある。 「世話になるなあ」といちいち言ってくれる性格ではないのは百も承知。 あまりにも飄々としているので時々嫌になる。 私が来るのを当然と思わないでほしい。 私の生活も犠牲になっているんだよ。 県外で子供も小さいからと、介護の部外者になっている私の兄弟。それを当然と思わないでほしい。 私よりもずっと親に甘えて子連れでしょっちゅう泊まりに来て、私は姑持ちで実家に泊まったのはかぞえるほど。 それがこの状況になったら当然のように介護は私の役割に。 父は今介護度2、特養に入れるのは3から。 これからどうなるのだろう。どのくらい続くのだろう。 先が見えなくて時々挫けそうになる。
2021.07.03
コメント(0)
父は、日中居間のこたつ(上掛けだけで電源は入っていない)に毛布をかけて寝ているか、調子の良いときはそこで趣味の書き物をしている。 ふと思ったのだ。 私は寝るとイビキをかく。夫や妹からも言われたし、寝ていて自分のイビキが聞こえることもあるから事実だ。 実家では私は父の寝室の襖を隔てた隣室に寝ている。 トイレは私の部屋を通るので襖は半分開けておく。 父は私のイビキがうるさいのではないか? うるさくて眠れなくて、そんな時は翌日居間で寝ているのではないかと思うようになった。 申し訳ない。 父はあれこれうるさくいう人ではないのでただ黙っているのかもしれない。 私がトイレでただ考え事をしてゆっくりしてその後ドアを開けたら父が廊下で手刷りに掴まりながら待っていたことがあった。 いるとわかればすぐ出たのにと申し訳ない気持ちでいっぱいだった。 寝室の件はどうしようもない。 見守りがあるので別の部屋というわけにもいかないだろう。 当面この体制でいく予定。 優しい父に感謝している。
2021.06.29
コメント(0)
父は手がかからない。 見守り介護だけだ。 しかしあの音だけはストレスだ。 入れ歯のカタカタという音。 無意識に上下を動かすので起きている間はずっと音がでている。 何度「うるさい!」と言いかけたことか。 しかしそのあとのことを考えると言い出せない。 本人は無意識。 それを注意されておそらく本人も気を付けるようになったとして本人がストレスになると思われる。 言わないに越したことはない。 では入れ歯をはずしてもらうのは? これは虐待にならないか? それにしても気になる。 そんな時は同じ部屋にいないようにはしている。 父のいる居間はソファが居心地がよいのでできればいたいのだけど。 父がお昼寝しているときが一番良い時間だ。
2021.06.27
コメント(0)
トイレへ入って掃除をしようとお掃除シートの蓋を開けると枚数が減っている。 父がお掃除に使ったということだ。 前に便器のうち側に薬剤をスタンプするものをスタンプ直後に、父がブラシ掃除して流しててしまうことが数回あり、使用を止めたことがあった。 粗相をした時は自分でちゃんと後始末が出来る人なのだ。 居間で毛布を使用した時も部屋に戻るときは自分で畳んでおく。 手間はかからないが見守り介護は必要なのだ。
2021.06.25
コメント(0)
父の介護、半年過ぎた。自宅と実家を週の半分ずつ行ったり来たり。 父をショートに預けるとほっとする。 やっと自分の本来の生活に戻れると。 先週は施設の都合で10日間、実家に泊まりぱなしだった。 一日過ぎるとあと何日と自宅に帰れる日を数えていた。 過酷な介護ではない。見守りと生活の世話だけどそれでも辛い。 姑が生きていたころは帰りたくて仕方なかった実家なのに。 姑が亡くなり、やっと自分の家になったと思ったら今度は父の介護。 あの当時実家にほとんど泊まることはなかった。日中来ただけで夕方になると母は姑がいるんだからと帰るようせかされた。 核家族の妹は好きなだけ泊まっていたのに。 今、妹は県外で介護にはノータッチ。理不尽だ。母が亡くなったときそれ程泣けなかったのはそんな恨みもあるのかなと思う。 あとどれくらいと思うたび、冷たい自分と嫌悪感を持ってしまう。
2021.06.13
コメント(0)
全55件 (55件中 1-50件目)