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さて、長らく続けてきた楽天ブログからアメブロに引っ越す決心がつきました。今度のブログは→http://ameblo.jp/bombaymix/
2010.02.24
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北インドはインドとはいっても、別の国のようです。こちらの人々は、南インドのことをほとんど理解していません。一般人にとっては、別の国のことのようです。今日は、夕飯にケララパロタを食べたかったんです。小麦粉で作った、ロティ?ですが、パイ生地のように何層にも重なっていて、柔らかくてこしがあって、おいしいのです。フィッシュカレーにつけて食べるのが好きです。そこで、聞いてみました。ケララパロタ作れるひといる?と...すると、「マダム、それはどういう材料で作るのか?」と聞かれました。私は、「材料がわからないってことはつくれないってことだよね。」といいました。電話を受けた人は、「シェフに確認するから少しお待ちを...」というので、電話を切って折り返しかかってくるのを待ちました。10分近くたっても電話はかかってきません。だいたい、こういうときは、言いにくい返事です。なので、もう一度電話をして、「今日はビリヤににする」と言うと、あわてて「マダム、ケララパロタに似たものがあるが、それではどうか。」というではないですか、「私は、ケララパロタが食べたいので、似たものは食べたくない。おなかもすいているので、今日はビリヤににする。」といいました。そして、「私は、だれもせめているわけではないのよ。誰も頼まないようなものを頼んでいるんだから、できなければそれで仕方がない。だから気にすることはないのよ。」といっておきました。そして、待つこと15分くらい...ビリヤにが到着したと思いドアを開けると、シェフが一緒に来ているではないですか。びっくり。明日、作るので是非食べてみてくれ!と言っていました。(このシェフ、食べたいものは何でも言ってくれ。なんでも作ってやる!というけど...同じ国の食べ物もつくれないんじゃ...でも、悪い人じゃないんですよ。体が大きくて、明るいおじさんです。)ま、いいんですが。というわけで、言いたかったのは、北インドのシェフは、南インド料理は作れないんだな...ということです。でも、食べたいな。ケララパロタ。
2010.02.23
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私の現在の事務所では、インド人が10人程度働いています。この中に、とても苦手なおじさんが一人。私は彼の仕事をサポートする立場です。なので、実際には、コミュニケーションを蜜にとるべき相手なのですが、初めてあったときから、とてもいやなひとだと思っていました。なぜなら、人の話をさえぎって「それは違う!こうなんだ!」とぎゃんぎゃん言うんです。しかも甲高い声なので、たまりません。たいてい、批判をしています。また、言葉が足らないことが多く、意図を理解できないことも多いです。かりかりしやすい人なんです。かっとなると、言葉が出てこなくなるタイプです。昨日などは、私の仕事のことに関して、また、ぎゃんぎゃんとミーティングで言い始めました。間違ったことは言っていないのですが、あまりに、土壇場での提案に、私は、一時むっとしていました。どうして事前に言ってくれなかったか、そして、そのミーティングであたかも私が存在しないかのような態度だったことなど。今まで、人を小ばかにしたような、「俺は何でも知っている、お前はなにも知らない」というような態度を、彼が私にとってきたことも、私は、不愉快に思っていました。そこで、彼に昨日は、「私は、あなたを専門家として尊重しているし、能力も評価している。だけれども、今日のミーティングで私を無視した発言は、チームで働く上では、非常識だったと思う。私は、無能だといわんばかりではなかったですか。私があなたを尊重するように、私も、あなたから尊重される権利がある。」と、むっとして言いました。彼は、さっきふと思いついたんだとかなんとか言っていましたが、私は、「そういうのは、言い訳にならないよ」といいました。なぜなら、彼にはだいぶ前にそのことを相談していたし、私と話し合う時間は沢山あったはずです。しかも、ふと思いついたのでもよい、だけれども、わきまえるということは、できたはずです(しかし、彼はできないんですね。)。今日、彼と一対一で仕事の話をすることがありました。彼は、「言い方はきついかもしれないが、間違ったことは言っていない。」といいました。そして、私も「それは、みんなわかっていますよ。」といいました。すると、彼が自分のことを少し話してくれました。「貧しい家の出身で、今のような国際的な仕事をしたり、規模の大きなプロジェクトをマネージして成功させてきた。」と。これでなんとなくわかりました。インドの階級社会で、それを乗り越えて成功するためには、こういうふうにしてこなくてはならなかったんだと。かれは、きっと、他人を批判したり、小さく感じさせることで、自分をより大きく見せないと、不安でたまらないんだなと。きっと、今まで、「あなたの能力を評価しています。」と面と向かって彼に伝えた人はいなかったのかもしれません。そうは思っていても、結局は、「彼は仕事はできるかもしれないけど、貧しい家の出身だから。」とかいうことで、苦い思いをしてきたことが沢山あったのかもしれません。そして、経済的利益を求めることで、自分の社会的立場を築いてきたのでしょう。今回のチームの中には、博士号を持っている人が彼のほかにも4人います。だから、余計に自分の立場を強調せずにはいられなかったのかもしれません。そして、このミーティングのあと、私は、「あ~、今まで、いやなやつだと思っていて、何も理解しようとしてあげなかったではないか」と気づきました。彼は、ただ一生懸命で、仕事に熱心で、そのあまりかっとなりやすいだけだったんです。 でも、いろんなわけがあるんだなと思えば、理解できます。そして、また、一緒にやっていけるような気がしました。そして、そうすれば、彼には、それなりの力があるわけですから、私にとっては、一緒にやっていってもらったら、強みになります。今までは、こういう人に出会ったら、排除する方向に向かっていましたが、なんと、今回は、その反対です。私もだいぶインド化してきたみたいです。
2010.02.13
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こちらに来る前に、モヒニアッタムの丸橋広美先生に、「人はなぜ踊るか」(渡辺建夫著)という本を紹介された。モヒニアッタムについて詳しく書いてあるというので、こちらに来てから読んでみた。この本の中では、インド古典舞踊の発祥と社会的な位置づけの変化、そして、西洋のバレー、バリ舞踊、そして日本舞踊との比較が書かれている。踊り子の社会的な位置づけが踊りの振りにも影響してきたということもわかる。インド古典舞踊はそもそも、神様にささげるという意味もあったし、踊りを通じて神様に近づくという意味もあった。そういう神聖なものだったのに、植民地時代には、女性が人前で踊るということは恥ずかしいことだというふうに見られるようになった。しかし、現在では、社会が伝統芸能の価値を認め始め、インド古典舞踊を学ぶことは一般に広まり、純粋な芸術として鑑賞されるようになってきているそうだ。私は、そういう背景を全く知らずに、ケララで仕事をしていたので、なにか、少しでもケララのことを学ぼうと、モヒニアッタムを習いはじめてみた。日ごろ頭を使う仕事をしているので、体で感じたままを表現する、あるいは、頭で考えることなく、体を使うことに集中する踊りは、私に必要なことであるとも以前から感じていたというのもある。最近は、仕事が忙しくなり踊りの稽古にはほとんど出ていない。しかし、この本を読んで、時間を見つけて、少しでもよいから、踊りを学び続けようと思ったりもした。どれだけできるかわからないけれど...細く長く続けて行こう。
2010.02.01
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