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先週は、ウガンダ地方天候がすぐれず、Mbaleでは午後から夜にかけてスコールがやってきました。カンパラの天候も不安定だった様です。MbaleはMt. Elgonのふもとにあり、雨がふるととても寒くなり、フリースなどがほしくなります。一方、太陽の下では、肌がじりじりと焼けるように強い日差しで、暑いくらいになりますが。前々回は、この気温の差で、何十年かぶりで熱を出しました。ワークショップの参加者も体調が優れない人が多かったです。さて、こんな仕事をしていると、七つ道具のようなものがなんとなくあります。まずは、パソコンとプリンターです。いつも、首都から現場に出張するときも、パソコンとプリンターを持って出かけます。ウガンダでは、まだまだ地方の農村までは電気は行き渡ってはいませんが、地方都市では電気があります。インターネットカフェも街中では普及してきています。ですから、地方でもメールのチェックやレポート・文書の作成もほぼ首都にいるときと変わりなくできるようになりました。(しかし、最近の停電問題で、難しい面もありますが。)この間は、あまり長い間車のなかでゆれられていたせいか、いざパソコンを立ち上げようとしたら、起動しなくなってしまって、あせりました。バックアップしなくては。次は携帯電話です。ウガンダでも携帯電話はかなり普及しています。ウガンダ人の多くも電話を持っています。多くの場合、受信専用で使っていますが。ウガンダの携帯電話は、日本のように、国際電話をかけるのに制限があるということもありませんから、人里はなれたところにいても、ネットワークがあれば、日本の会社から、家族から電話を受けたり、こちらからかけたりもできます。主に普及しているのはプリペイド式です。ネットワークも、ほとんどの場所で問題ないです。というわけで、緊急事態発生の折には便利ですし、移動時間を使って車のなかから関係者に連絡をしたりできます。ちなみに電話は、ヨーロッパと共通で、Simカードが入れ替えられるものです。Nokiaが普及していますかね。インドネシアも同様です。ワークショップ用の文房具。私は、最近この業界で一般的なPRA/PLA(主に参加者全員でコミュニティーの問題をわいわいがやがや話し合いながら解決方法を見つけ出すという方法)ですが、それをするために欠かせない道具がありまして。それらは、マスキングテープ、フリップチャート、マーカーです。そして、資料やディスプレー用のポスターを作ったりするので、のり、はさみ、ホチキスと針、2穴パンチなどなどを常に持っています。Dr. Martenの靴。もう5年ほど愛用しています。Dr. Martenの靴底と甲の部分が厚くて、滑らなくて、しかも、ウォータープルーフなところが、気に入っています。最近、どこかから空気が漏れるのか、歩くたびにぴよぴよ行っていますが、まだ、他のところが大丈夫なので、履いてます。日本では、同じ色のものは手に入りますが、靴底が違うので、次回ヨーロッパのどこかの国にでも行くまで、このまま、履き続けようと思っています。デジカメ。便利なようで不便でが、レポート作成には便利ですね。現地の人に写真をあげようとするとちょっと不便だけれども。ネガをくれといわれると困る。目覚まし時計。どこの国にも「現地時間」というのがあり、ウガンダも、約束の時間きっかりに何かが始まるということはあまり多くはないですが、主催者が遅れては何も生らないので、折りたたみ式の目覚まし時計を持っています。カチカチ針の音がならないものを使っています。実は、あの音が気になる。ちなみに、インドネシアの時間は「ゴムの時間(Jam Karet)」といわれており、まさにゴムのように変形自在ということです。ウガンダの場合は、特に田舎の通信手段のないところの人への連絡は、実際に自分が出向くか、伝言するかしかないので、時間通りになにかが始まるのは難しいですね。そして、彼らにも彼らの都合というものもありますし。しかも、雨がふれば身動きは取れなくなりますから当然遅れてやってきますね。こうやって、「ま、しょうがないな~。」と外国人も現地化しつつ仕事は進んでいきます。虫除けとかゆみ止め。昔は虫除けをしていてもマラリアになりましたが...しかし、万全を期すことも重要なので、虫除けはいつも持っています。南京虫やダニもいますから。防水の利いているジャケットとフリース。ちょっとした雨の時や、現場で急に気温が下がったときに便利です。最近は、体まで南国化したのか、寒いのには耐えられないのです。アフリカだって寒くなります。あとは、野帳(Level Bookともう一種類あった。)という測量をする人々がつかうノートがありますが、これが大きさもちょうど良くて、表紙も防水だし、芯が入っているので、野外でも使いやすくて気に入っています。これ以外には、私的な持ち物は、日記帳とCD Playerですかね。というわけで、重装備です、ご想像に難くないと思います。では、また。
2005.01.31
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昨日、ウガンダ東部のMbaleというところから、カンパラに戻りました。今回のワークショップは、3日間で、40名が参加しました。テーマは、ウガンダの農業と湿地の生態系に配慮した利用方法というものでしたが、今まで「水があるからそこを耕した」という農家の人々も、湿地の機能や湿地の無秩序な開発は、結果的に自らの生活にも負の影響を与えるということを少し気づいたようで、「目からうろこ」状態でみんな帰路に着きました。さて、「甘くないバナナ」の話を書いたところ、ウガンダの食生活についての質問をいただきました。そこで、ウガンダの農業と食生活について書きたいと思います。私が現在従事しているのは、灌漑のプロジェクトですが、ウガンダは、アフリカの小国とはいえ、雨に恵まれて、緑に覆われた美しい国です。かつて、イギリスの首相ウィンストン・チャーチルが「アフリカの真珠(Pearl of Africa)」と呼び、イギリス人は暗く寒く長い自国の冬を避けて、ウガンダにやってきたとも言います(現在のイギリス人は、南仏やスペイン、ギリシャが格安パック旅行で人気があるところでしょうか。ちょっと足を伸ばしてドバイやバンコクというのもありますね。)。気温は、年間を通じて最高でも30度を超えることはめったになく、だいたい日中でも25度から27度くらい、朝は、一枚はおるものがなければ、寒いくらいです。ちなみに、標高が1400メートルくらいですから、涼しいのも当然かもしれません。年間を通じて雨はたくさん降りますが、最近は、通常は雨が降る時期に降らないことが多く、農家の皆さんは、作付け時期を決めるのに苦労しています。感覚としては、「そろそろ例年だと降りそうだ。しかも、ぱらぱら降ってきてるし、植えてみるか。」という感じです。そして、この読みが当たって、たくさん雨が降ればよし、降らなければ、作物は全滅状態です。私の友人は、ウガンダの気象庁のようなところでSeneor Meteorologistをしていますが、彼女いわく、「ラジオで、しかも主要な言語でちゃんと天気予報を流してるよ」とのことでしたが、雨によって影響を受けやすい農家は害してラジオなんか持ってません...あっても電池が買えません。ウガンダの主食は、前にも書きましたが国の南半分はマトケと呼ばれる甘みのないバナナを中心にメイズの粉を練ったもの(ポショあるいはカウンガとも呼ばれます。ケニアでは、ウガリですね。)です、北のほうはミレットやメイズを粉にして練ったものです。これ以外には、バナナやメイズが十分でないときには、キャッサバ(甘みの少ないサツマイモみたいな食感です。)、ヤム芋、サツマイモも食べます。基本的には、食糧は都市部でない限り、自家消費用の主食はほとんどが自分の畑で作ります。これに、鶏や牛、山羊、ティラピア(魚)、豆、落花生のソースをつけて食べるわけですが、副菜はほとんどありません。時々、ナカティ、スクマウィーク、キャベツのいためたものがつきますが、田舎の一般的な家庭ではお祭りでもなければ、ほとんど、主食と落花生のソースか豆のシチューです。肉を食べるのは、特別な日だけです。そして、そんな日の食事に欠かせないのが、米です。ウガンダ人もお米が大好きです。他に野菜といえば、シチューの材料として、少量のトマトとたまねぎを使用する以外は、野菜という野菜は日常は大量に摂取することはありません。果物は、ジャックフルーツ(生食です。インドネシアあたりは、ココナッツミルクで煮てご飯のおかずですが。)、マンゴー、グアバなどが田舎であれば、その辺になっているので、そのへんに生っていれば、とってきて食べるという感じです。アボカドも日本で見かけるものの2倍から3倍はあるような大きくておいしいのがたくさん取れますよ。地域によっては、オレンジが取れるところもありますが、オレンジなのに緑色です。パイナップルも栽培されていて、おいしいです。値段も安いので、皮をむいて丸ごとかじっている人も見かけます。パッションフルーツは、ジュース用に。カンパラのスーパーでみかけるリンゴなどは、輸入品です。卵も貴重品です。田舎では、鶏を放し飼いにしていますが、大体は、雛をかえして鶏を増やすほうに重点が置かれています。最近は、都会ではブロイラーも増えていますが、ウガンダ人はこの地鶏の方を好んでいます。私は、日本では鶏肉のにおいが苦手でほとんど食べませんが、こちらの鶏はいつもおいしくいただいています。そして、ブロイラーが増えてきたせいか、最近カンパラの街中でゆで卵売りを見かけるようになりました。田舎の食事は、朝は、夕べの残り物を食べて、10時半ごろにミルクなしの紅茶かメイズの粉をお粥状に溶かしたポリッジを飲みます。お昼は1時から2時ごろ、夕べの残りを食べます。そして、夕飯は8時から9時ごろ、マトケかポショと落花生か豆のソースで食べます。というわけで、バランスはとれていません。これは、栽培されている作物が主食に偏っていること、野菜を栽培するための種子や技術もほとんど普及されていないためです。(カンパラの周辺の一部の農家は、大根やレタス、ニンジン、コリアンダー、リーク(ねぎみたいなもの)などを栽培しているところもあります。これは、契約農家として栽培しているものと思われます。)どうして、新種の野菜が普及しないのか。それは、この国の農業普及制度と栄養教育の不足にあるかもしれません。この国の農業普及制度は、これから民営化されようとしています。農家は、技術指導の費用を一部負担して、地域ごと(郡単位)に選んだ特定作物に関して、民間団体・企業に指導を依頼することになります。しかし、このやりかたでは、個々人のニーズ、あるいは少量生産をしたい人々は取り残されることになり、大規模に野菜を作らない限り、技術普及は受けられないことになってしまいます。そして、従来の公共の農業普及制度は、他の途上国と同様、資金難で、農家を個別訪問するためのガソリン代がない、普及員自体の人数が少なく、一人あたりの担当農家数が多すぎる、普及員の知識・指導能力も適切でないなどの問題から、ある一部の「小金持ち農家」以外は、普及員の恩恵を受けることはほとんどありません。また、農家の方も食べるのに精一杯で、他の野菜などの新種の作物栽培に手をだす余裕がないという状況もあります。一方で、栄養教育については、あまり詳しくはわかりませんが、ある程度の知識は持ち合わせていても、ビタミンの不足が自らの体にどういう影響を及ぼすのかというところまで理解できていない人が多いような気がします。(今度、調べてみます。)しかし、最近田舎町でも、ビタミン剤だけを売る店が登場しているのは、不思議です。商売になるのか、人事ながら心配になります。あとは、食事の準備をするのはもちろん女性が多いわけですが、栄養的にこんなものを食卓にと思っていても、その女性がどういう作物を栽培したいかという決定権を持っていない場合が多いような気がします。もし栄養的にこういう野菜を作りたいと思っても、なかなか実行に移せないということもあるでしょう。(でも、一部の「小金持ち農家」は違います。)というわけで、多くの農村部の一般的な家庭では栄養バランスが偏っていることがおわかりいただけたかとおもいますが。では、その弊害はどんなところに現れているか?というと、それは、「老いの速さ」にみられるかもしれません。この国の人々は、私たちに比べて「老い」が早い気がします。私と同年代(30代半ばですが。)でも、10歳くらいあるいはそれ以上ふけて見えます。1年くらい前にあった人が、今は、「え~あんなにかっこよかったのに、こんなにおじさんになっちゃった~。」ということもままあります。平均寿命は、公表されているのは45歳くらいですが、大体は皆さん60~70歳、なかにはそれ以上まで生きられます。(平均寿命を下げているのは、HIV/ AIDSによる、中年の死亡率が高いためと思われます。)しかし、一方で、誕生日が正確にはわからない人も結構いるので、実際の年とは数年のずれがあるかもしれない可能性も否定できないですが。そして、特に小児の間で、重度の栄養不良が見受けられます。(詳しく病気の名前は忘れました。)では、そういう私は、ウガンダの食生活を楽しんでいるのでしょうか?以前、ウガンダの村の寄宿小学校にしばらく生活していましたが、そのときは、毎日ポショと豆ばかりでした。正直うんざりしてしまいました。その後、隣村の村長さん宅に居候をしましたが、そこでは、ソースと主食には変わりありませんでしたが、一応毎日なんとなくバリエーションがあったので、なんとか持ちこたえました。現在は、昼以外は、ウガンダ料理を食べることはなくなってしまいました。というのは、カンパラにいる間は自炊ですし、Mbaleに行っても、日本人の他のプロジェクト関係者の方がいろいろと食事の面倒を見てくださるためです。なので、バランスは取れているはずですが...少なくともインドネシアにいるときよりは、野菜の摂取量は多いと思う...しかし、ビタミン剤は欠かさず飲んでいます。(これじゃ、ウガンダ人とおんなじか...)
2005.01.22
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バナナといえば、日本では黄色くて甘いバナナが一般的ですが、アフリカでは甘みの少ないバナナもあります。ウガンダでも、両方のバナナが存在し、ウガンダの南部を中心とする広い地域で、甘みの少ないマトケと呼ばれるバナナが主食としてこのまれています。このバナナは、熟れても黄色くなることはなく、緑のままです。皮をむいて、蒸して、つぶして、鶏肉や牛肉、豆などのシチューや落花生を砕いてペースト状にしたソースと一緒に食べます。食感は、甘みの少ないサツマイモのつぶしたものという感じです。ちなみに、マトケはあくが強い食べ物でもあるようで、皮をむくときは気をつけないと、手が真っ黒になり、しばらくは落ちません。先日、ある村人から、バセリンか食用油で落ちるよと効かされ、今まで、マトケを向くたびに真っ黒に染まった指先を眺めて憂鬱な日々を過ごさなければならなかった自分は、一体なんだったんだろうと思いました。もちろん、ウガンダ人でそんなに手が真っ黒になった人を見たことはありません。みんなやっぱりなれてます。バナナはウガンダの代表的なお酒でもある、ワラジの材料でもあります。これは、甘いバナナから蒸留して作ります。一般的には瓶詰めで売られていますが、50ミリ入りのビニール袋入りのものも見かけます。一人で少し飲みたいときにはちょうどいいですね。味は、ジンに良く似ています。生のままでも、ソーダ割りにしてもおいしいです。私は、何も入れないのが好きです。(ちなみに、マラウィでは、マラウィジンというメイズから作るジンがあるとかないとか。)田舎では、甘いバナナとミレットを混ぜて発酵させて、ムウェンゲというお酒を造るところもあります。主に、村の女性が作り、男性にコップ一杯いくらという具合にして売り、現金収入を得ています。このお酒で男性はお金をつかってしまい、家計が苦しくなるというのは、アフリカでは良くある話です。今日は、どこかで雨が降っています。カンパラの天気も午後は雷が鳴り、雨がぱらぱら降ったりして、少し不安定になりました。でも、この雨のおかげで空気がきれいになったのでしょうか、部屋の窓からビクトリア湖が見えます。
2005.01.16
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昨日、ウガンダの東部の地方都市Mbaleから戻ってきました。といっても、また数日後には戻るのですが。Mbaleの町は、エルゴン山のふもとにあり、おちついた街です。観光客やキリスト教関係の外国人も多く滞在しています。私は、他の関係者と一緒にゲストハウスに泊まります。ここは、借り手のつかない民家です。Mbaleには他にも、ホテルやゲストハウスが複数あります。Mt. Elgonというホテルは、改装されたばかりで、きれいです。朝食込み50,000シリング(約30ドルぐらい)、そして、Mbale Resort Hotelというプールやジムのついた高層ホテル(といっても5階建てぐらいだったと思うが???)もあります。その他のゲストハウスは、朝食込み30,000シリング(15ドルくらい)です。私は、もちろん長期滞在でもあるので、後者の安いほうの値段でとまっています。以前は、植民地時代を思わせるような、白い壁の豪邸を改装したやはり一泊30,000シリングのゲストハウスを利用していました。部屋数は、3室しかないので、満室ということもしばしばありました。そこは、所有はウガンダ人ですが、インド人が借り上げてこのゲストハウスを経営していました。そのためか、当時はインド人のコックさんがいてとてもおいしいカレーを食べさせてくれました。(しかし、そのせいか、朝食のオムレツもカレー風味だったが。)時には、インドでの仕事の経験が長いプロジェクトの関係者のリクエストに答えて、メニューにないインド料理も作ってくれました。ここの、マネージャ氏がとても気の良いウガンダ人で、スタッフのサービスも行き届いていました。私が最後にそこに泊まったのは、昨年の7月のことですが、半年たった今、そのマネージャー氏の姿はなく、インド人のコックさんもいなくなってしまったようです。以前、泊まったときには、ここの経営方針についていけないこと、一日も早く職を変わりたいというようなことを私に話していました。ウガンダには、大勢のインド人がいます。Mbaleという町をみても、大きめなスーパーやインターネットカフェなどは、インド人が経営していることが多いです。歴史的にも、インド人とウガンダ人の関係はとても微妙な一線を保ってきたのかもしれません。インド人の持ち前の商才とまじめで温厚なウガンダ人の組み合わせで、経済が発展してきたということも言えるかも知れませんが、そこにやはり雇用者と被雇用者の間の力関係があって、搾取の構造が存在するのは否定できません。ちなみに、カンパラにある長期滞在用のアパートやスーパーなどもインド人の経営が多いですね。私の滞在しているアパートもインド人の経営です。そのおかげで、インドのテレビ番組や映画を見ることができます。インド映画好きの私には、うれしい限りです。しかし、テレビを横目に仕事が手につかないという弊害もありますが。今日は、この辺で。仕事に取り掛からねば。現場では、土曜も、日曜もありませんから。
2005.01.15
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明日から、農家を対象にした灌漑のための農民グループづくりの訓練を始めます。場所は、カンパラ4時間ほど東に行った、Mbaleというところです。エルゴン山のふもとです。3日ほどカンパラを留守にします。では、また。
2005.01.12
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今年、私に届いた一通の年賀状は、もんじゃマンさんという方からでした。真っ青な空に、風見鶏が映っていました。新年早々、私も高く青いウガンダの空の下で仕事ができるのは、うれしいことです。ウガンダには、Gaishaというブランドの石鹸があります。最初は、芸者なんて何だろうと思いましたが、ただの石鹸です。昔は大きな楕円形の石鹸がビニールの袋にパッキングされて売られていましたが、現在は、箱入りのものもあります。こちらは、カモミールエッセンスの入った石鹸です。そして、最近目につくようになったのは、花です。バラや、ガーべラ、カーネーション、等がスーパーでごく普通に売られるようになりました。特にバラは、ハウス栽培です。写真に石鹸と一緒に写っているのは、一束3500シル(2ドルほど)でした。しかし、他のものに比べれば、高いですが。昨日は、今回の仕事を一緒にしているポールに電話をするつもりで、ぜんぜん違う大学時代からの知人のカンパラに住むポールに電話をしてしまい、しかもそれに気づかずにまくし立ててしまい...とても申し訳ないやら恥ずかしいやら。携帯の電話番号リストに記録した時に、きっとやるだろうな~と思っていた矢先の出来事でした。知人のポールは、「ウガンダに来てるんだってわかってよかったよ~。」といってくれたけど。本当に申し訳なかったです。後の祭りだけれど、これからは、気をつけます。
2005.01.09
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1月3日に日本を出発し、翌日ドバイ経由でウガンダに到着しました。到着の翌日から、フル稼働で少々時差ぼけ気味の頭にはつらいものがあります。こういう状況でも、仕事をしながら体調を調整していくのは、仕事のうちでもあります。今回は、Mbaleというところで、農家を対象とした研修を実施しますが、拠点はKampalaです。私の仕事は、結構、田舎まで入り込んで行って調査をすることが多く、以前は調査地近くに拠点を構えたりもしましたが、今回は、現地で研修している期間も研修に使う教材について関係者とつめる必要があるため、Kampalaに本拠地をおくことにしました。いつもは、人気の高いアパートが運良くあいていたため、借りることにしました。さて、生活事情ですが、しばらく前1997年に私が始めてウガンダを訪れたときには、現在のようなスーパーマーケットはほとんど皆無でした。1999年に滞在したときも、通常、野菜はNakasero マーケットかOwino マーケットで買い、当時はほとんど肉を口にすることはありませんでした。そして、どうしてもおいしいパンが食べたい!というときには、その当時一番おいしいといわれたあるパン屋まで、Matatu(Public Taxi)で足を運んだものです。(冷蔵庫のある高級肉屋は当時カンパラに一軒しかなく、そこに行けば、良い肉は買えました。しかし、貧乏生活の当時は、そういうことはできませんでしたね。今でも、そこのお肉やチーズはおいしいですよ。最近は、Pattisserieのようなものも併設されています。)ですが、現在は、巨大スーパーがカンパラ市内に数軒できたので、食料品は、肉も野菜も含めて一箇所で買い物が済みます。便利になりました。そして、続々と増える外国人の数には驚くものがあります。1997年や1999年には、外国人はほとんど街中で見かけることはありませんでしたが、現在は、毎日数人ずつヨーロッパ人、時々青年海外協力隊かな?と思わせるアジア人をみかけます。インド人もよく見かけるようになりました。こちらに私より一月ほど早く来ている同僚の話では、中国人も増えているとか。停電も、8月にいたときよりも増えているようです。特に、プロジェクトの事務所のあるエンテベはひどいです。半計画停電で、午前中電気がないときは、午後。午後電気がないときは午前中という具合です。ですが、これが規則的に実施されているわけではないので、いつも事務所に、「今日は電気があるかな~?」と行ってみて、その後の成り行き任せです。最近は、コピー機やプリンター、パソコン。ほとんど、電気がないと動かないので、商売あがったりというところでしょうか。これは、1997年、99年ごろの様子に似ています。でも、あのころは、ちゃんと一日おきに、午前停電、午後停電がやってきたように記憶しています。ちなみに、現在のカンパラは、今のところ仕事に支障がでるほどではありません。では、また。
2005.01.07
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あけましておめでとうございます。今年は、年賀状が一通しか来ませんでした。出さないので当然といえば当然ですが、私の場合は移動も多く、ほぼ住所不定状態なので、皆さんもうあきらめたのでしょう。そのかわり、メールで新年のご挨拶をいただくことも送ることも多くなりました。日本人にあるまじき...「行く年来る年」は、結局見ることはできませんでした。あまりに疲れて、寝てしまいました。今日は、さすがににわか駅伝ファンにはや代わりし、母校の応援をしました。毎年、選手の皆さんのがんばりには、感動します。今年は、我が母校は、6位くらいで往路を終えたそうです。明日は、箱根を見届けてから、夜のフライトでウガンダへ出張です。さて、出張をするときにかならず持っていくものがいくつかあります。それは、コーヒーだったり(コーヒーの産地に行くのに、なぜコーヒーを持っていくのか。この理由は、以前書きましたが、産地のコーヒー=うまいとは限らない、つまりウガンダのコーヒーはあまりおいしくないということです。)、音楽CDだったりします。そして、なぜかつけてる近所の神社のお守りです。実家のそばにある、神社でここ数年買って、バックパックにひとつと、いつも持って歩いているショルダーバッグにひとつつけています。そして、これらのどれかひとつがかけていても、落ち着かなくなるのです。なにか、不安になるのです。そして、最近はパソコン関係の周辺機器なども増えてきて、とてもおも~いスーツケースになってしまうのです...あ~あ~。いつも、もっと少ない荷物でと思うのですが...仕事の資料もあるし...といいわけをしてもしょうがない。というわけで、あわただしく新年を迎えてしまいました。新年の計も、まだできてません。でも、家族みんなが健康で楽しい一年を送れたらよいと思います。今年も皆さんにとって素敵な一年になりますように。
2005.01.02
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