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以前も紹介したティム・バックリーの映像に実はフランク・ファレルも映っていたのが判りましたので再び掲載w ベースを弾いているのがファレル氏ドラムスはイアン・ウォーレス。ということはファレルは、アンディ・マカロックとフィールズで活動し、バックリーのバックではウォーレスとも共演と元クリムゾン、ドラマー2人と相次いで一緒に演奏したと言うわけですね。あとはフィールズのTV映像とかも出てこないかなぁと。むりですかねぇ。■5月1日追記いやいやいやいや、わすれてました!ファレルさんはレオ・レイヤーのアルバムでマイケル・ジャイルズ先生とも共演されていたのでした!まあキーボードででしたけどねー。忘れてしまい申し訳ないっ。ふーw
Apr 28, 2015
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ボズ・バレルが1984年に関わっていたチャック・ファーリーのバンドでの演奏です。このバンドではアルバムとシングルが発売されましたが自主制作みたいなレーベルの為、あまり見かけないレコードになっていますが、こうして映像が公開されていることでどんな音楽をやっていたか見られるのはラッキーですね。ボズの関わったバンドとしてもとても貴重な映像だと思います。Chuck Farley Live Set 1 The Red Lion Brentford 1984 Chuck Farley Live Set 2 The Red Lion Brentford 1984 オマケ:こちらはライブ音源のみCHUCK FARLEY MONEY HONEYキーボードとミキシングはボズのスタジオでフェアライトオペレートやエンジニアで相方を務めていたポリ・パーマー。
Apr 28, 2015
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調べてるうちに、自分じゃわかった上で書いてるつもりが、読み手の立場からすると「なんで?」となることがわりとありますね。 ボズ・バレルが1963年から64年に在籍した最初のセミプロバンド、ティー・タイム・フォーなどについて昨年秋に本ブログでも取り上げましたが、情報源によっては「ロンバード・アンド・ティー・タイム・フォー」だったり「マイク・プリオール・アンド・ティー・タイム・フォー」だったりします。 なぜかと言えば、そのステージ時にリード・ヴォーカルを務めてた人の名前がが頭に付くからですねw え?ボズが唄ってたんじゃないの?と思われる方もいるでしょうが、最初の彼の経歴はアコースティック・ギターから始まりました。そういう訳です。 ボズ本人が1960年代後半に出したシングル盤6枚のうち、二曲自作曲を入れられたのも、元々彼がギターを弾いていたという事からもギターで作ったのだろうなと想像できますね。これらの情報が無い頃は、どうやってボズが作曲したんだろうと不思議に考えてましたw 知り合いの昔バンドのヴォーカルでプロデビューしていた某氏は、カセット片手に「ナナナナ~♪」と曲を思いつくとドコでも録音してたそうですが、ボズの時代にはまだコンパクトな録音機器なんぞスパイ映画の世界の中だけの想像上の物でしたw だからこそ、後のクリムゾン参加時、フリップから2週間特訓されただけでベースを弾くようになったのでしょうね。基礎は元々あったわけです。 少し前にも余談で書きましたが、ちなみにこのフリップの特訓時、ボズはジャズコードをきっちり叩き込まれたそうです。60年代のボズ・ピープルにイアン・マクレガンが参加した際「ジャズを唄いたいから、君ジャズコードを習ってくれないか?」とボズが言ってマクレガンを困らせたそうですが、回りまわってクリムゾンではボズもおぼえさせられる羽目になったのです。お陰で後々までセッションでボズのプレイに役立ったのですから何でも基礎は大事ですね♪ フリップが80年代にギター教室を始める以前、彼から演奏を教授されたのはアマ時代のゴードン・ハスケル、アル・スチュワートがいましたが、アルは「フリップからジャズコードとか教えられたけど、今は使うことはない」と言ってましたので、後に役に立てる事ができたのは実はゴードンとボズというKCの初期ベーシスト二名だったというオチでございます。 毎度の長文最後までお読みいただきありがとうございました。■4月29日追記リズムギターとヴォーカルと表記されているボズ、ティータイム・フォー時代の画像より
Apr 26, 2015
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ツイッターでココモJPさんからボクサー関連の話題からDick & The Firemenについて色々うかがいサーチしてみたところ、マイク・パトゥが1974年に出したシングル盤にメル・コリンズ、イアン・ウォーレス、ボズ・バレルが参加しているのが判りました。しかも2人ベースに2人ドラムスという豪華な布陣でwSitting in the Park - Mike Patto (1974) Backing Vocals – Boz Burrell, Mike Patto, Tim Hinkley Bass – Alan Spenner, Boz Burrell Drums – Ian Wallace, John Halsey Fender Rhodes – Zoot Money Guitar – Neil Hubbard Hammond Organ – Tim Hinkley Saxophone – Mel Collins Vocals – Mike Patto現在オリジナルシングルの入手は難しいかもしれませんが、同シングル曲とSaturday Nightという曲がヒンクレーさんの出した70年代アーカイブ音源CDに収録されています。入手される場合は、AMAZONや輸入盤専門店などで購入が可能だと思います。お求めの際はご参考に。楽天ではコチラHinkleys Heroes Vol1 (1999)【メール便送料無料】Tim Hinkley / Hinkley's Heroes (輸入盤CD)価格:2,290円(税込、送料別) 70年代半ば、からだに腫瘍が見つかったマイク・パトゥはガン治療のために放射線療法を受けます。彼をサポートする為に多くのミュージシャンが協力したのがDick & The Firemenという企画バンドライブだったようです。ソロシングル盤の二年後76年夏のステージではボズがサイモン・カークと共にバッドカンパニーの活動先フランスから飛んで着て参加し、キャロル・グリムスやココモ勢と演奏をしたようです。全員消防士の格好ですw■5月5日追記 Dick & The Firemenについて調査したところ、1971年5月に結成された寄せ集めビッグバンド企画なのだそうで、このときもボズは客演していたそうです。1973年4月にパトゥー解散後に行なわれた二回のステージでもボズは参加。チリ・チャールズのアルバム、ビージー・コーナー制作時にBPファロンからポール・ロジャースがベーシストを探しているという話を聞かされ、バッド・カンパニー参加という流れだったそうです。76年のDick & The Firemenのステージは久々の復活劇だったのでしょうね。参加メンバーが被っているキャロル・グリムスのバンド Carol Grimes And London Boogie Bandが出した1974年シングルGive It Everything You've Gotにもメル・コリンズは参加してたようです。キャロルが当時を語っているインタビューで見る限り、Dick & The Firemenの流れでLondon Boogie Bandを結成していたようですね。 マイク・パトゥがメインだとDick & The Firemen、キャロル・グリムスが中心だとLondon boogie Band、ティム・ヒンクリーが中心だとHinkley's Heroesという感じなんでしょうか?この一連の仲間が参加した作品には、ヴァージンレーベル創生期の Steve York's Camelo Pardalis – Manor Liveもありますね。 どうやら竹の地下茎のような人脈が連なってるようですねw
Apr 25, 2015
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当ブログでも60年代にゴードン・ハスケルが在籍したFleur De Lys(FDL)がバックバンドとして共演した彼女、シャロン・タンディについて今まで数多く取り上げてきました。 たまたまシャロン・ウィンターズの声や唄いぶりがが余りにタンディにソックリで、同一人物かどうかデータを色々と調査していた中で、なんとこの春彼女が亡くなっていた事が判明したのでした。 1970年ごろにシャロン・タンディが英国から故郷の南アフリカに戻った後、ビリー・フォレストらとローカルヒット曲を出すこともあったそうですが、家庭に入って以降はそんな活動もなくなってしまっていました。また英国からの帰国には彼女の持病の問題も深く影響していたそうです。 現時点で詳しい病名はわかりませんが、シャロンが亡くなった原因も長年苦しんだ病気という事です。思えば60年代の仲間たちと2009年に当時と同じ100クラブで同窓会ライブをやった時、もう声があまり出なくなっていましたね。下記の2004年映像と見比べても明確に様子が異なる為、持病の病状が進行してたのでしょう。 1960年代後半、活動期間は短くとも鮮烈な軌跡を描いて見せたシャロン・タンディさんのご冥福をお祈りすると共に今一度彼女の歌声をいくつかご紹介させていただきます。Sharon Tandy (born Sharon Finkelstein; 18 September 1943 d. 21 March 2015)まずはシャロンの最も有名な楽曲。作詞作曲にはゴードン・ハスケルも関わっており、彼の属したFDLがバック演奏している為、ハスケルもブリンブリンとベースを唸らせています。ガスターのドラムがこの頃既に移民の歌スタイルだったり、ブリンのサイケギターも初めてのリードプレイとは思えぬほどシュールですね。映像は西ドイツのテレビ番組からSharon Tandy - Hold On (1967)続いて、ロンドンはスピーク・イージーでのシャロンとFDLのライブ映像。フランスのテレビ番組らしいです。Sharon Tandy - Take a little piece of my heart & 1 other French tv.こちらも西ドイツのビートクラブ出演時の映像。ビートルズカバーを唄う彼女の髪が短くなっています。'' sharon tandy '' fool on the hill - beatclub 9/3/1968. こちらは動画ではありませんが、シャロン・タンディのファンにホールド・オンと並び最も人気の高い一曲。今でもこの曲の入ったオリジナルシングル盤はいい状態だとべらぼうな値段で取引されているようです(ゆえに私にはとても買えませんw)。ここからは、21世紀になってからの復活映像ですSharon Tandy "Hold On" Live at the 100 Club 19 feb. 2004Sharon Tandy & The Fleur De Lys. 100 Club 11th Nov.2009 'Hold On' ここの所、1971年初めからマイケル・ジャイルズが参加したマイク・モートン・コングリゲイションLP4枚を聞き込んで、そこに参加している女性シンガー「シャロン・ウィンターズ」の歌い方が余りにタンディに瓜二つであることを確認してました。 高音・低音・シャウト・裏声・発音・音程の推移・癖・フェイクなど様々な点で明らかに一致。それもあってキース・ガスター氏にでもシャロンの連絡先アドレスを伺い、この点について確認メールでもと思っていた矢先、彼女の訃報を知るに至りました。スペインでもMモートン関連のミュージシャンと二枚のシングルを残しているシャロン・ウィンターズが果たしてタンディさんと同一人物かどうか、これでもう解からなくなってしまいました。彼女のシングル曲を集めたCDはリマスター音源を使用した良い出来のアルバムになっています。まだお持ちで無いのならお勧めですよ。いい曲がたくさん詰まっています。【メール便送料無料】シャロン・タンディ / ユー・ガッタ・ビリーヴ・イット[CD]価格:2,700円(税込、送料別)
Apr 21, 2015
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何を今更20年前のCDで? いえいえ、ただ思い出しただけですw正式名称はKing Biscuit Flower Hour Presents Greg Lake in Concert (1981)海外じゃ95年にCDで出たようですが、日本では96年発売。 70年代ELPの在籍当時のグレッグは、キング・クリムゾン楽曲についてはライブでエピタフのさわりだけちょろっと歌う程度で、実際きっちりバンドで取り上げることはなかったのでしたよね? 70年代には様々なクリムゾン関連海賊盤LPレコードもあるにはあったのですが、オリジナルメンバーのライブ音源は70年代終わり頃まで市場にも出てこなかったので、グレッグが唄うクリムゾンナンバーのライブ音源は、今より全然聴く機会が無かったのです。ほんとにw 渇望してました。 キースもライブでナイスのロンドは演りましたが、さすがに他のはほとんどやってないはず。グレッグのあの性格ですから、「前のバンドの曲なんかオレに弾かせんじゃねーよ」とか文句いいそうですしw ファンとしてみりゃ、オリジナルを唄ってたグレッグレイクによる宮殿ナンバーを今一度聞いてみたいと、そういう思いがあった時期でもありました。 81年に登場した復活グレッグ・レイクのライブ音声は、その話題性もありあっという間に世界のマニアに拡散したんでしょうね。ネットが一般化する14年も前ですから、当然カバンに詰めてでしょうけれどw 私も当時某レコード店で聞きました。嬉々として持ち込まれた音源を囲んで、いざ宮殿でグレッグが唄いだすと店の店員や客が、うぉーって唸りましたものですw 西新宿で同じ内容のがLP3枚組で売られていたそうな。買ってはいませんでしたがw いや、店で聞いたのがブートだったのかな?もう記憶も定かではありません。今になって思い出したくらいですから。 その後、グレッグも長くソロ活動をしておりますから、今となっちゃその時の感動は中々思い出せなくなってますが、それでもこのCDが96年に日本盤で出た時はやはり買ってしまいましたw 前出の海賊盤と同じなのか、それとも別なのかはちょっと今判りません。グレッグの復活ソロライブの最初はレディングフェスでしたが、このCDはハマースミスオデオンでのコンサート収録(ラジオ放送用音声)。 ライナー読み返すと、このライブ当時ゲイリー・ムーアも契約問題で苦労してたのだなぁと感じます。同じプロモーションに属していたグレッグのバンドで活動という裏技で苦境を乗り切っちゃう。本人の思いはどうだったかうかがい知れませんが。結果、スタジオのみならずライブ作品としても偉大な共演が残されたのは嬉しい事ですね。 演奏の質がクリムゾンと違うとか贅沢言っちゃいけません。グレッグが往年の名曲を遂に復活させ、それに観客が狂喜。ニューウェーブが蔓延る81年といえどもグレッグの歌う宮殿はやはり時代を超えてグレートな存在感。いや肉体じゃなく声がw 最近のグレッグの活動は、往年の名曲を次々と唄うスタイルで、このCDの価値とか考えもしてこなかったのですが、改めて手に取ると色んな思い出がグダグダになりつつも湧いてきたので、今回取り上げました。毎度のダラダラ長文に最後までお付き合い頂きありがとうございます。
Apr 20, 2015
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仕事から戻り、ぐったりして寝て起きたらキンキンの訃報。愛川さんの元気な姿を見て育った世代としては、にわかに信じられない気持ちです。 声優としてDJとして親交深かった故・野沢那智さんが生前、「元々彼は二枚目で俳優としてエリートだった」と愛川さんの若き日を称していましたが、それでも60年代は俳優としてまだブレイクできずに、おはようこどもショーのロバ君役で着ぐるみに入り、今のふなっしーさながらのハイトーンボイスでキャラクターを演じたり。洋画やアニメ吹き替えでは、ジャック・レモンやスーパースリー、あと有名な物では「いなかっぺ大将」で主人公に指導する猫「ニャンコ先生」で陽気な印象を子供にも残しましたね。ハクション大魔王でのジングル的な存在「それからどうしたの?」の突っ込みおじさんも忘れられません。 そのキンキンが最初にテレビで若者向け情報番組でMCとして活躍したのが、フジテレビで1972年から放送された「リブ・ヤング!」。 そう、エマーソン・レイク・アンド・パーマー(1972年7月16日)やショッキング・ブルーなど海外ロックアーチストや国内のロックバンドも生出演した番組でした。愛川さんの横に座ったまだ若手タレントだったイガグリ頭の柴俊夫さんをその姿から「すずめ!」と愛称で呼んでましたね。 またTBSラジオでは深夜のパックインミュージックが人気番組に。毎回番組始まりにアドリブで今で言うラップまがいのおかしな「松葉節」を演りましたが、あのバックサウンドの軽快なパーカッションも元パーカッション奏者としての愛川さんの意外な一面でした。また、友人でもあった田宮二郎氏の死去に誰よりも悔し涙を流して惜しんだのもこの番組でしたね。 昼間のTBSラジオにそれ行け!歌謡曲で進出すると、久米宏や平野レミといったキャラバン隊が出張収録で活躍しましたね。一度声優仲間で最初の天才バカボンでパパを演じられた雨森雅司さんが「パパなのだ!」と生放送で飛び入り参加したこともありました。 11PMの司会になると、リブヤング!でも情報紹介役だった今野雄二氏を起用し、ブロンディなど当時の新進洋楽アーチスト出演や、時にはプログレ廃盤特集のような他では考えられない企画も放送されてました。 今現在テレビに多く存在するいわゆるグルメ番組も、彼の「探検レストラン」の大ヒットが深い影響を今日に残していると思います。 情報番組や歌番組、バラエティでもヒットを連発し、俳優としても多くの作品に出演。トラック野郎シリーズはあまりにも有名ですが、彼の初監督作品「さよならモロッコ」も忘れられません。またテレビで主演されたドラマ「東京メグレ警視シリーズ」でのダンディな演技も印象的に思い起こされます。 歌手としてはアニメ関連作品に多く歌声が残されていますが、ソロ歌手としては二枚のアルバムと他にもシングルを発表されており、シュールすぎるコミックソングから、愛川さん作詞の地味深い名曲も生んでいました。死ね死ねブルース愛川欽也 村はずれ その活躍の幅が余りに広く数多く、そして息の長い芸歴ゆえ、一度に彼の功績を思い出すのが難しいと思われる方もいらっしゃる事でしょう。多くの愉快な時間を与えてくれたキンキンに感謝すると共に、今一度その功績を称えたく、僭越ながら今回取り上げさせて頂きました。 お疲れ様でした。そして今までありがとうございました。ゆっくりとお休みください。余談:今から10年ほど前、2005年8月6日放送、アド街ック天国|谷中エンディングでジャイルズ・ジャイルズ・アンド・フリップの「サースディ・モーニング」が掛かっていた。。。と書いたのが10年前の私wイボンヌ・エリマン「愛の食事」での記述でした。忘れていましたよ、読み返すまで。http://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/200508060002/
Apr 17, 2015
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さて、麗しのジュディさんの新譜です♪それも1964年のホームデモや67年のフェアポートの頃のデモとかもあるようです。あるようですというのは、現時点でCD3枚のトラックリストがまだ出てないからで(言い訳w) AMAZONでは4月21日発売予定と出ていますが、他の輸入盤取扱店がどうなってるかは各店舗でのご案内をご参照ください。楽天でも売られるようですから、興味のあるジュディ様ファンはご参考に♪【送料無料】Judy Dyble / Gathering The Threads (Fifty Years Of Stuff: Antho (輸入盤CD)【I...
Apr 15, 2015
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入手の難しいCDやレコードとなるとその理由の多くは、1、古くても人気がある廃盤、コレクターが手放さないので市場に出ない2、人気があるというほどでもないが、そもそも流通する枚数が少ない3、自主プレス、テスト盤オンリー、ラジオ用など配布経路が特殊で限られてたなどなど、いくつか理由があるものですよね。 このボズ・バレルがプロデュースまで手掛けたタム・ホワイトとの連名アルバム。これもどうも販売が当時まだ存在していたボズ・バレルのサイトで頒布されていたもののようです。しかしボズの死後サイトの閉鎖で入手経路が閉ざされたままでファン泣かせの一枚となってしまいました。Tam White/Boz Burrell - the celtic groove connection (1999) なんかジャケットが薄汚れて見えますが、これ最初から印刷でワザとこうなっています。余りにリアルな汚れっぷりなので現物を少し離れたところから見ると「わー、なんだよ。CDがケースごと埃まみれじゃないか!」と事情を知らない人には不評を買いそうです。なんと迷惑なデザインでしょうw たぶんカーボンがこすれたりする感じを再現してるのでしょうけど、この商品じゃネットでさぞ売りにくかったんじゃないかと。既にボズも相棒のタムも共に鬼籍に入っているので、その時のファンの反応をうかがうことはもう叶いませんが。 せっかくですので、演奏者のクレジットを。 くどいようですが、この汚れた感じは最初からの印刷上のものです。ですので印刷面はクリーン。 全5曲で計26分ほどのミニアルバムですが、ボズとタムが晩年に活動した『セルティック・グルーヴ・コネクション』のこれが唯一作品。91年に出されたタム・ホワイト名義の作品よりタイトでシャープな演奏が、ボズの目指したジャズのスタイルなんでしょうね。届く前の予想はタム作品の延長と思っていたのでうれしい誤算でした。(まあタムの作品はあれはアレで味があって好きですが) プロデュースにボズの名もあるのですが、全体的にベースの音も大きくブリブリ鳴らしてくれてます。まあ結構ベースがランニングしてる事。 ボズの90年代のインタビューを読んでいたら、彼は本当に昔からジャズが大好きだったんですね。しかし、彼が音楽活動をはじめた1963年は、歌手のバックでアコースティックギターを弾くところからスタートし。その後歌手になってからもどちらかと言うと青春歌謡みたいなシングル盤を6枚出してました。 彼にとってはクリムゾンもバドカンも決して本意じゃなかったようですが。かといって毛嫌いしていたと言うほどでもなかったようです。彼の晩年インタビューがほとんど無い為、過去の活動に否定的なんじゃないかと考えてしまいがちでしたが、そういう訳でも無いようですね。 ただバッド・カンパニーのオリジナル再結成を放り出しても、残りの人生で待望だったジャズをやるのに執着したのは、長年やりたくても出来なかった事が実現する運びになったと言うのが大きいのでしょう。 バドカンとこのセルティック・グルーブ・コネクションを比較したという訳でも無いのでしょうけれど、もしこの時点でオリジナルのバドカンに固執していたら、自分の希望がいつまでも叶わなくなる。チャンスは今。そういう思いが時期的にこの制作背景にはあったのかもしれませんね。 ボズの急逝で私もこのCDを長い事探す羽目になりました。彼には何の罪も無いのですが、手に入らないアルバムに対し途方にくれていたわけです。スコットランドで制作されたこのアルバム。製造枚数はどうだったのでしょう?買ったのは当然コアなファンばかりでしょうけれど。ボズのサイトが無くなった今となっては、それももう判らない訳です。 ボズの熱心なファンの方なら発売当時既にお買い上げになった方もいらっしゃるかもしれませんね。もし「発売当時、ボズのサイトじゃこんな事が書かれていたよ」とかご存知の方がいらしたら、当方のツイートにでも御教授頂けます様よろしくお願いいたします。最後に、だいぶ前にも当ブログで紹介したセルティック・グルーブ・コネクションの演奏映像。晩年の貴重なボズの姿・・・見た目が激変しているのはともかくw 余談: 先日亡くなったイアン・マクレガンさんのボズ・ピープルにまつわる話を見つけたのでちょっとだけ意訳。 イアン・マクレガンがレコードも出していたミュールスキナーズを抜け、ボズ・ピープル入りしたのは、1965年6月。 加入後ボズから「ジャズを唄いたいから、ジャズコードを勉強してよ」と請われて習ったけど、楽しくなかったなとイアン。とはいえ、ミュールスキナーズよりはプロフェッショナルな印象をイアンはこのボズピープルで感じたそうで、米軍基地で3時間を越えるステージなどもこなしてた様だ。「ボズには少しいたずらっ子な面があったので、僕はもっと真面目にやって欲しかった。」 スコットランド巡業からノースロンドンに戻って来た金曜日に僕らはもう終わってた。ボズは笑いながら「はは、俺たちはもうお終い。チクショー!なんだよこれ。もう出来ないよ。」 どうやらマクレガンの在籍期間はとても短かったようですね。シド・スミスさんの著作で語られている「機材が盗まれバンドが負債を背負い込んだ」というのは、どうもこのあたりなのかもしれませんね。 このあと、65年の11月頭には既にボズから離れていたようです。6月から精々10月あたりまでがイアン・マクレガンのボズ・ピープル在籍期間の可能性として高そうですね。年明けにボズが単身コロンビアレコーズとソロ契約するのには、まだまだ今からはうかがい知れぬ様々な事情があったようですね。関連記事:Boz Burrellが60年代に在籍したTea Time Four等バンド活動について http://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/201410020000/
Apr 14, 2015
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三年前に書いたアラン・バリーらのキング・ハリーにまつわるファミリーツリー。 つまり60年代のクリムゾンメンバーのバンド相関図ですが、ダラダラ手直しを繰り返したらヴァージョン15になりました。しかもKCはリザードまでしか書いてません。ここから少しでも進むと地獄なのでw タダでさえ毎回ややこしいのにどうもすみませんw(林家三平風) 一応今回横のバンド繋がりが判るよう大きくレイアウトを変更しました。 画像は今回もだいぶ大きいです。興味がありましたらダウンロードするなりして適当にご覧ください。(2015 5/14 ヴァージョン17に更新)jpeg形式(5,300px × 5,342px)http://livedoor.blogimg.jp/chop100-0000/imgs/0/1/01704d34.jpgflash形式(右クリックでメニューを出し、拡大縮小してご覧ください。)http://chop100.doorblog.jp/King%20Harry%20201505.swfアンディ・マカロックのジェイコブス・ラダーは依然詳細不明です。ほんと何か情報出てこないかな? 今回はハスケル氏に「60年代半ばフリップが抜けたバンドにジョン・ウェットンが入ったと書かれてるサイトがあるが」という質問に「ウェットンと初めて会ったのは70年だからありえないよ」という確認(苦笑)と、ウェットン氏にした「歳時記のロンドン録音は71年8月?」「たぶんそうだった様に思う」をちょこっと反映しました。非常に微妙な判る人にしか理解されない点ですけどw もちろん過去においてツイートで情報を頂いた方々、Kimmyさん、にゃん玉99さん他への感謝も忘れておりません。ありがとうございました。 まあこんなもんもあるんだ程度で楽しんでいただければ幸いです。制作はあくまで趣味の物ですので勝手ながら商用に無断使用するのだけはご勘弁ください。■4月11日修正。最初の頃からレイヴンズの項目をほとんどチェックしてなかったのもあり、ミスに今更気付きました。すみません。以前からハスケル氏のインタビューで最初のバンドは一年しかやってなかった事が明らかだったのに解散を63年にしたままでした。正しくは62年でした。 あとティノ・リチニオ氏はレイヴンズ立ち上げ時にはまだおらず、ドラマー交代時ドラムのファーガソンが連れてきたという事をフリップ師のインタビューで確認したのでコチラも修正しました。■5月2日フィールズのセカンド発売に対応しヴァージョン16に更新■5月14日、レイヴンズの最初のコンサートが61年9月1日で、まだドラムスが初代のワーレイだった為修正。ティノ・リチニオをバンドに紹介したのは二代目ドラマー、ファーガソンであるというフリップ師の記述通りならば、9月1日のコンサートでまだ初代グラハム・ワーレイがドラムスで参加していたのは、7月にバンド結成し共に練習していたワーレイがそのまま最初のステージでは叩いていた、と解釈すればいいのかな? 何にせよ、ワーレイはじきに抜けてしまったと言われているので、最初で最後のワーレイのステージだったのかもしれません。まさか21世紀になっても自身のバンド歴が悩みのタネになってるとはご本人も思わないでしょうw※その後追記を繰り返したので、上記の画像リンクは現在切れています。元記事からご覧ください。ややこしくなってしまい申し訳ございません。King Harry - Divided We Stand (1977)http://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/201205190000/
Apr 10, 2015
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Mel Collinsが1966年から参加したザ・ストームズヴィル・シェイカーズ、そしてそこから発展したサーカスの今や入手が非常に困難で高価な各シングル、そしてパリ録音でフランスのみ未発売された4曲EPや未発表音源をまとめたコンプリートCDが、遂に出ます!! しかも価格が割りと抑え目と言うのもメル・コリンズ様ファンにはうれしい限りですね♪タイトルは、かなり長めでwStormsville Shakers & Circus with Phillip Goodhand Tait / One & One Is Two: Complete Recordings 1965-1967【送料無料】 Stormsville Shakers & Circus W / Phillip Goodhand Tait / One & One I... 個人的にサーカスのシングルはなんとか買いましたが、シェイカーズのシングルやフランス盤がとんでもない値段でもう諦めてたので、これでやっと聴く事が出来ると思うと何か嬉しくなりますね♪ 今まで出ていたシェイカーズやサーカスの復刻CDはシングル音源が未収録でしたので、これからメルの若い日のサウンドに触れる人にも今回のコンプリートCDは断然お買い得です。チェリーレッド・レコーズからの発売予定日は2015年5月18日、日本での入荷時期は各輸入盤店、AMAZON、上記楽天店舗などでお確かめください。当然買いますよ、私もw
Apr 9, 2015
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トニーさんとピーターさんのレヴィン・ブラザース映像が結構上がっていたので、プチっと特集と言う事で♪Levin Brothers Mini Documentary - Part 1 - The Cello Levin Brothers Mini Documentary - Part 2 - Growing Up Levin Levin Brothers | Not So Square Dance The Levin Brothers NAMM 2015Levin Brothers Audio Sample 今夜みたいな冷え込みに合いますねー♪
Apr 8, 2015
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ブライアン・フェリーの初来日にメル・コリンズとジョン・ウェットンが参加したあの映像ですw 懐かしいですね。NHKのスタジオ101での演奏とテロップが出てますね。BRYAN FERRY - Live in TOKYO - 1977
Apr 7, 2015
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こんばんは!雨で冷え込んで2月下旬の冷え込みだそうで、コタツと暖房入れましたw 今回は完全に「小ネタ」です(きっぱりw) 皆さんはGoogleなどの検索エンジンを色々と使われていることと思います。かく言う私も、過去様々な謎ネタをほじくるためのスコップの一つとして重宝してきました。何気に「そういえば1969年辺りの音楽紙面はどーなってんだろう?」と興味本位にサーチしたら、グーグル書籍検索で当時の紙面が出てきました。(一部訳は毎度のヘッポコ意訳です)例えば、Billboard 1967年11月11日から グレッグ・レイクが歌っていたザ・シェイムのレコードレビューは、「MGMから出る強力でフレッシュなグループサウンド。ロック風にジャニス・イアンの曲を演っておりヒットするインパクトがある。」と言う風な感じで紹介されてますね。1968年12月28日紙面には、4つ星評価アルバム一覧の中にGiles, Giles Frippが。ただしジャンルがロックではなく「ポピュラー作品」w1969年5月3日付けのインターナショナルニュース欄では、ムーディブルースの新レーベルがキングクリムゾンのシングルを出すような記事が。まだトニー・クラークとスタジオで揉める前ですねー。しかもムーディーズのレーベル側はシングルから売ろうとしていたとか、戦略性の違いが出てて興味深いですね。短い記事ですがそれだけにバンドとレーベル側の考えの違いが端的に現れてるように感じました。1971年12月4日の新譜情報にはゴードンハスケルのセカンドLPがでており、暗く湿っぽい気分にさせられる歌詞だとか書かれてますが、聴いておくべき作品と評されてますね。クリムゾンのクの字も出てこない記事でもありますw時期的に。ビルボード紙面なので、ちょっと英国の音楽紙よりタイムラグがありますが、当時の状況を知るには貴重な資料となりますね。これを利用するといくらでも過去アーチストの記事を掘り出せるという、めまいがするほどの便利さを感じたので紹介させていただきました♪皆様もお気に入りアーチストの過去記事を漁ってみませんか?(何だそのおすすめw)Googleブックス検索オプションhttp://www.google.com/advanced_book_search?hl=ja
Apr 7, 2015
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この4月に発売されるフィールズの43年間お蔵入りセカンドアルバムFields / Contrasts – From Urban Roar to Country Peace正式発売で、急に関心が寄せられるかもしれないフランク・ファレル(1947-1997)。私自身もまだ歌声を聞く前なので期待が高まってるところでございますw そんな彼の足跡を書いているサイトからコチラのバイオグラフィーをご紹介させて頂きます。Tribute to Frank Farrell (frankfarrelltribute) on Myspace:https://myspace.com/frankfarrelltribute/bio トリビュートと言ってもコンサートや企画盤が出るわけじゃなく、たぶんファンが彼の功績を残す為に情報を記している感じです。マルチに楽器を演奏するとても才能溢れる男だったとも書かれていますね。面白いのが73年1月、チャック・ベリーのツアーでバックを務めてる所。ヘーと言う感じです。楽器だけじゃなく、他バンドのロードマネージャーやらロッキー・ホラー・ショーではミュージカルの現場監督やったり本興業でピアノ弾いたり、ほんと色んな活動をしてたんですね。 ファレルの参加したレオ・セイヤーの3rdアルバム、アナザー・イヤー(1975年)とか今までろくに注目して聴いてこなかったのですが、マイケル・ジャイルズとのセッションですし、棚からLP探し出さないとw レオ・セイヤーの当時のツアーにバックバンド参加したのが1973年だったとの事ですが、その後キーボード担当だったデイヴ・グリーンスレイドが自身のグリーンスレイド3rdアルバム制作でバンドから離れた為。残りのツアーでファレルはピアノを演奏したそうです。器用ですね♪ また上記サイトで最後に書かれているファレルが1968から69年に活動したザ・ブレイクスルーというバンドの音源集も出ているそうです。そちらの情報はコチラに出ていました。BREAKTHRU - Adventures Highwayhttp://www.brumbeat.net/revbreak.htm日本での取り扱いはディスクユニオン様で確認できたので、興味のある方はどうぞ。なんか気になりますね。Amazonでも購入可能です。ちなみに楽天では品切れみたいです。なので画像リンクだけw【送料無料】 Breakthru / Adventures Highway 輸入盤 【CD】価格:2,593円(税込、送料込) ただ、アラン・バリー脱退後フランク・ファレルが参加した1972年のフィールズに関してだけは、当時セカンドLPが発売されなかった為に今までその活動が知られる事はほとんど無かったので、ここにも記されていません。シド・スミスさんの書かれたCDライナーでどんな事が判るか、ここも注目ですね。 最後に、「凄い才能を持ちながらも成功できなかった」とアラン・バリーを称したのは、ゴードン・ハスケル氏でしたが、バリーの後任となったフランク・ファレル自身も参加したフィールズのセカンドアルバムが生前に日の目を見る機会が無かったのですから、何とも複雑な思いを感じてしまいますね。 FIELDS / コントラスツ:アーバン・ロアー・トゥ・カントリー・ピースの発売はフィールズのファンだけでなく、上記トリビュートサイトを書かれたファレルのファンにとっても大きなプレゼントとなることでしょう。関連記事:遂に発売!フィールズ幻のセカンドアルバム!!http://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/201503240000/
Apr 6, 2015
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オリーが亡くなるひと月前、ロンドンで行なわれたケヴィン・エアーズのコンサートで演奏していた映像です。シンプルなバンド構成で日本公演を思い出しちゃいました。KEVIN AYERS w ollie halsall - In Memoriam - LONDON - SHAW THEATRE - 28.APRIL 1992 彼らの来日公演をごらんになった方も、そうじゃないファンの方にも懐かしんで頂ければ幸いです。
Apr 5, 2015
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ウィリアムEことビル・キンバーのレコーディング・セッションに1967年に参加したゴードン・ハスケルらFleur De Lysのメンバー。ところがセッションを始めると用意された曲が下記動画リンクの一曲しかなく、さてどうしようとなった時にハスケルが「僕が書いたばかりの曲があるのだけど」とスタジオでLazy Lifeを披露し、めでたくシングルに採用。 そのきっかけとなったのがこのB面収録曲というわけですwWilliam E- Crazy How Love Slips Away (Aug.1967) ゴードン・ハスケルのセッションワークとして見てもシャロン・タンディと並び初期の部類にあたると思います。 しかし、もしこの時曲のストックがなかったら、プロデューサーたちはどうするつもりだったんでしょうね? 今までもLazy Lifeについて幾度が書いてきましたが、再度紹介。 この翌年1968年、ビル・キンバーは西アフリカで自身のバンド、ザ・ゴンクスと共にLazy Lifeを再度録音。当地で大ヒット曲となりました。 Quentin E. Klopjaeger - Lazy Life基本的なアレンジが英国録音と変わりません。少しテンポが速いでしょうか。 これが西アフリカで他のバンドにもカバーされてました。 The Outlet - Lazy life (1970) オーストラリアではHeart'n'Soulがカバーしコチラもヒット、大胆なオーケストレーションでムーディに仕上がっています。 Heart'n'Soul - Lazy Life (1969) こちらも以前書きましたが、70年代セカンドアルバムが成功せずバックバンド仕事に戻ったハスケルは、ある時泊まり先のコテージで60年代初期のロックアイドルだったビリー・ヒューリーが着てこの歌を唄ってくれた事があるそうです。この時期心臓疾患でヒューリーが入院したらしいのですが、その前後どちらかは判りません。83年に若くして心臓病で亡くなりましたが、晩年彼もLazy Lifeを録音しており、死後に出されたレコードに収録されました。
Apr 1, 2015
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夜の春雨によく似合うクリムゾン・ジャズ・トリオ♪イアンが亡くなる8ヶ月前のステージから。Crimson Jazz Trio - Wilmington, DE, 2006-06-05 この後手術が成功したと聞いた時はひと安心していただけに、急逝の報には当時大変驚いたものですね。
Apr 1, 2015
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