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面白いなあと思うのはこれ、コカコーラのCMソング集。1962年からのものを集めてるんだ。でね、コーラの栓を抜く音、「シュワー!!!」って泡が吹き出すあの音までCDで聴けるのと、昔のCMソングって「コカコーラ!」って連呼してるんだ、これが面白いと思うとこかな。比較的新しいやつでいくと、矢沢栄吉、J-WALK、佐藤竹善とかも収録されてるけど、60年代ともなると、どちらかというとポップスよりもジャズチック。なかでもおれが気に入っているのはピンキー&キラーズってグループの曲。「恋がしたくてコカコーラ♪キッスのあとでコカコーラ♪空を仰げば青空♪コークを飲もうよ♪」って、レトロジャズ調のメロディからこんな歌詞がね。恋がしたいからコカコーラ?何でキッスの後でコーラ飲まないかんのだ!って突っ込みたくなるのをこらえても、なかなか聴き応えあるCDだと思うよ♪
2006.10.30
今日一番のマイビッグニュース!普段は電車に乗らないせんぱいと一緒に地下鉄に乗って外出したこと。愛車のボルボで飛び回っているせんぱい...ETCゲートもぶっちぎりのせんぱい...てっきりも今日もそうなるかと思ってたら「地下鉄のほうがいいだろ?」僕は耳を疑ったのだが、せんぱいと一緒に地下鉄に乗車。たったふた駅なのにせんぱいは落ち着かずソワソワ...いつもはETCゲートもぶっちぎりのせんぱい...ぶっちぎりすぎて音声ガイダンスが間に合わないくらいだ...そんなせんぱいが公共交通機関に乗ることを間近で見れた記念すべき日だった。おつかれさまでした。
2006.10.25
色んな方法があります。まず営業。飛び込み、テレアポ何でもござれ。Web戦略も最近は効果的だ。売り上げを伸ばすには新規はやらなあかん。しかし、もうひとつの効果的な手法を忘れてはいませんか?そうです。既存顧客を大切にする事です。これは僕の売りっぱなしにしないという持論にも共通するが。新規営業より、既存の業務にまず尽力しなけりゃあならないと思うことがある。まず、既存の業務がうまく進行しているかどうかチェックすること。うまくいかなければその後の新規案件もなしくずしになってしまう。僕はそんな経験を幾度かしている。新規顧客の業務がスタートするとしばらく没頭する。利益が千円だろうが1万円だろうがあまり気にする必要はない。顧客を好きになり、仕事にも思い入れをもってやったほうがいいということだ。実際、既存顧客を大切にすることで紹介をもらったり、売り上げを伸ばしたりしている方も多いと思う。僕はこれが売り上げを伸ばす一番の方法だと最近つくづく感じている。 何より売ったら売りっぱなしにする奴に売り上げを伸ばす技量があるだろうか? 疑問である。
2006.10.24
営業代行をやっていると非常に多くのオファーがくる。逐一、ヒアリングするのだが、半分くらいはヒアリング段階で断る案件だ。なぜ?完全なる成功報酬を望まれているからだ。 契約が取れるまで無報酬。いわゆる代理店方式だ。 仕事取れるまで金出さん! それはもっとも! しかし、そんな人が実際契約を取ってきて金払うだろうか? 僕にはどうも信じがたい話だ。以前、この件で契約書のサインを断られたことがある。「いや、契約は実際に業務がスタートしてから。」と、かたくなに拒まれた。 どちらが勘違いしているのかわからないけど、成果が上がらなければ出費はない。成果が上がれば上がっただけの利益の一部を払えばよい。これがいわゆる代理店の考えだ。しかしなんだろう、こんな都合のいい解釈で仕事を受ける人はいません。 では保険代理店とかはどうか? それはそれ自体が会社のネームバリュー、商品のネームバリューがあるから成し得る話。 そんじょそこらのベンチャーが開発した商品をすぐに代理店流通網に乗せることなんて至難なことだ。よく、「弊社商品を御社商材に加えていただけませんか?」というメールが来る。「弊社は代理店にはなりません。営業活動を請け負うことは可能ですが、諸経費、人件費は請求対象となります。」と返事するとだいたいは返事が返ってこない。 創業したての会社の状況などはよくわかるから、なんともいえないのだが、資金というリスクを避けて、収益を上げようなど随分虫のいい話だと思う。
2006.10.24
海(うみ)...なんてすばらしい存在なんだろう...それは、とっても広い大海原(おおうなばら)...海路はつづくよどこまでも。それは世界の果てまで続いているのである。どこまでも碧い(あをい)のである。うねる波はどこまでも碧い波(あをいなみ)なのである。ぼくたちをやさしく包んでくれる海がすき。ぼくたちを慈しんでくれる碧い波(あをいなみ)が好き。
2006.10.23
仲間を裏切らないこと、見捨てないことかな?仲間やブレインが回りにいる事を喜ばしく思うし、そのような環境のなかで起業を志す人をうらやましく思います。自分は仲間がいるにも関わらず一匹オオカミを通していたから、仲間を裏切りもした。結果、一人で思い悩む自分がいたんだよ。それで万事うまくいけば良い。しかしね、仕事って仲間の力が必要なんだよ。一人ってね、必ず限界がくる。ドボンと堕ちた時はホンマに辛かった。地に堕ちた天使には興味がない?興味がなかったらそれでええやん!でもね、あなたに興味のない人が全くいないわけではない。必ずあなたを応援してくれる人がいるんだよ。堕ちたら堕ちたでいい。勇気を持って這い上がれ!傷つき打ちのめされても這い上がる力がほしい人はみな、弱虫を背負って生きている(ホールドユアラストチャンス・長渕剛)
2006.10.23
またきてくださいました。アントレデスクの増田紀彦さんこと”あなたに会えてよかった人”を囲む会です。今回は岡崎での講演の帰りに名古屋へ。僕たちの”あなたに会えてよかった人”は素敵な女性でもなんでもなく、46才のオジサンです。ホントこの人にはお世話になってます。体型はマリオ?顔はチェッカーズの高杢さん?それともコロンビアマフィア?どこにでもいる普通の編集者のような探偵さんのような風貌のこの方は毎年1000人以上の起業家やその予備軍と接触して交流を深めている傍ら、講演、執筆にととても精力的に活動しています。その豊富な知識、ユニークにコミカルにそしてやさしく語ってくれるこの方は人々を魅了します。名古屋にも増田さんのストーカーまで出現しているくらいだから...そんな多忙な方でもいつも名古屋に来てくれたときにはみんなでワイワイから騒ぎ。僕自身のから騒ぎは店がわからないところから。店の名前は「夢の蔵」なんだけど、勘違いして”ゆめまくら”という店を探してた...ようやく生き別れになった仲間と再会して...本当に飲んだね、騒いだね。増田さんの多芸ぶりがここでも大ブレイク!今回はたばこの箱を利用して”にわかレスキュー隊員”に変身!一同大爆笑!夢の蔵とZETTONと飲みまくって深夜の1時半までから騒ぎ。増田さん今回もお世話になりました。また遊んでくださいね。あなたに会えてよかった...
2006.10.22
正しく儲けていない社長さん必見!てか?これも増田さんの著書正しく儲ける「起業術」 。うちの社長が「俺、正しく儲けていないから...」と、手にとって読破していました。書き方がとってもユニークでほんと読者を飽きさせませんね。増田さんのファンはこのところ名古屋でも多くて、中には増田さんのストーカーまで現れる始末...ホント、とっても素敵な46歳のオジサマです。さあ、次回は増田さんと...
2006.10.22
起業家のお父さんの異名を取る増田紀彦さんの意欲作、独立起業の強化書。毎年1000人以上に及ぶ起業家やその予備軍との交流活動のなか蓄積された失敗事例の数々を披露しています。起業家にとっては笑えない事実がたくさんあるけどコミカルに書き上げているのが増田さんらしい。
2006.10.22
何年も聞き続けている小野リサのアルバムです。この中ではMOONLIGHT SERENADEに注目して買ってしまったのだが以来、7年以上聴き続けています。5曲目のNightAndDayはジャズシーンではそれはもうあまりにも有名な曲ですが、さらにこの局の中に超有名なOneNoteSambaが仕込まれています。一番お気に入りなのが1曲目のOnTheSunnySideOfTheStreet(明るい表通りで)です。明るい表通りで何するの?明るい表通りで素敵な人と...とっても素敵な歌ですね。
2006.10.21
イタリアのカフェミュージックのオムニバスでよくこのタイトルが使われています。la dolce vitaとは英語でthe sweet lifeといいます。最近知ったことなのですが。その数あるla dolce vitaの中でもとくにお勧めしたい1枚がla dolce vitaですね。1曲目はジャズシーンではあまりにも有名なWhen I Fall In Love(恋に落ちて)、シナトラさんやセリーヌディオン、はたまた佐藤竹善さんも歌っているのを聞いたことがあります。けだるい休日の昼下がりに聴くととっても心地いい。画像がはっていないのが残念。
2006.10.21
仕事をしていていつも思うのは、ファンだと思える人がどんどん増えていくとぴうこと。毎日いろんな人と会うけど、会うたびにその人を好きになっていくんだな。なんでだろう。会う人ごとにいろんな話をする。何も仕事に限ったことではない。お互いの趣味の話、夢、恋愛についてさまざまな話をするのだ。お金を生み出す時間は仕事のことだけ考えているのかといえば僕はそんなふうではない。営業資料作成でパソコンをたたいている間。電車やバイクでの移動中にいろんな人のことを考えている。つい昨日の食事での楽しいひととき、近況、ある人が僕に語ってくれた夢...その幸せそうな人々の表情を見るととってもうれしくなるんだな。つまりは人をなかなか嫌いになれない。人を嫌いになるとどんどん回りの人の存在が嫌になっていくんだな。で、どんどん自分が孤独になっていく。何も得なことはないと思っている。幸せなことを考え続けていけるのは本当に幸せなこと。たとえ過酷な状況に陥ったとしても幸せをひたすら願えば必ず幸せになれる。そう思いながら日々すごしたいなあ。僕の好きな歌NightAndDayの一節Night and day.You are the one.Only you beneath the moon and under the sun.夜も昼もあなたのことだけ月のしたでも日差しのなかでもあなたのことだけ
2006.10.21
EuropeByNatureCafe(コモン3エリア) バゲットピザっていうフランスパン生地のフレンチピザ。オネエサンと目が合うと「ボンジュール」ってウィンクされるからつい買っちゃうんだよね。でも食いでのあるピザでしたよ。http://www.expo2005.or.jp/jp/E0/E7/grm_042348.html
2006.10.20
昨日のモーニングで『常務島耕作』の最終回だったからその話を。『課長島耕作』からはじまって『部長~』『取締役~』となって常務島耕作のラスト、来月から『専務島耕作』。どんどん出世していくね~島クン。でも『副社長島耕作』ときて最後は『社長島耕作』なのかなあ、それとも『会長島耕作』?『相談役島耕作』?さあ、いつになったらラストになるのやら...ちなみにイブニングで『ヤング島耕作』を連載中でそちらは主任島耕作です...
2006.10.20
KOKO(アフリカ共同館) ここ、ビーフステーキライスってメニューがあった。弁当箱にご飯が盛られていてその上に、ステーキとはいいがたい牛肉が盛られて...ってこれ牛丼ちゃうん!でも日本人好みの味でうまかったよ。http://www.expo2005.or.jp/jp/E0/E7/grm_042137.html
2006.10.19
自然食バイキング・Na菜Na(瀬戸会場) いつも腹いっぱい食べてた。うまい!1900円だけど出す価値は充分にあるよ。現在、愛知・岐阜で4店舗運営中です。http://www.expo2005.or.jp/jp/E0/E7/grm_042562.html
2006.10.19
ルート66(コモン2エリア) ヤンキースドッグなんてばかでかいホットドッグを売ってた。チキンチップスはなかなか食べ応えがあってスパイシーで好きだった。http://www.expo2005.or.jp/jp/E0/E7/grm_042241.html
2006.10.19
カフェ・サンライズ(西エントランス) 抹茶メロンパンがうまかった。なんといってもいつでも焼きたてのほかほかのメロンパンにありつけたのがうれしかった。http://www.expo2005.or.jp/jp/E0/E7/grm_052432.html
2006.10.18
ローティチャナイ(マレーシア館) おやつ感覚で食べられるカレーでした。生地が甘いのが特徴です。ネパールカレー(ネパール館)タンドリー(丸い釜)で職人さんが一日中ナンを焼いてました。釜入れする前に丸い生地クルクル廻すパフォーマンスが人気でした。ルーはミルクが入っているから甘くてうまいっすよ。http://www.expo2005.or.jp/jp/E0/E7/E7.1/E7_wg_01.html
2006.10.18
ワニサンド(南米共同館) 食べてみたかったあぁぁぁhttp://www.expo2005.or.jp/jp/E0/E7/E7.1/E7_wg_10.html
2006.10.18
バラのソフトクリーム(コーカサス共同館) バラの香りのするただのソフトクリーム...ソフトクリーム、ヨーグルト&バラ(ブルガリア館)ヨーグルトの酸味がGOO!トルコアイス(トルコ館)のびるアイスクリームです。ここもパフォーマーたちが道行く人々に有無を言わさずコーンを手渡して...何度買ったことか...のびるアイスクリーム...岩塩ソフトクリーム(モンゴル館)ソフトクリームに塩をかけるなんて...って思ってたけど、バカうま!あなたもやってみりん!八丁みそソフトクリーム(なだ万)味はご想像におまかせします...http://www.expo2005.or.jp/jp/E0/E7/E7.1/E7_wg_03.html
2006.10.17
エベレストビール(ネパール館) 「ちゅめたいエベレストビールおいちいよ!」ってネパール人スタッフにすすめられて飲んだけど、全然冷たないやん!でもそこは愛嬌があって憎めなかった。結構うまかった。 ビアラオ(ラオス館)あっさりした飲み口でイケるビールだった。館内で売られている激辛ライスとよく合いました。 ドミニカビール(ドミニカ館)日本では売られていない貴重なビール。ヨーグルトのようにほのかに酸っぱく、そして甘く不思議なビールだった。最後の夜はドミニカ館で余ったこのビールをしこたま飲んだ。スタッフの女の子たち可愛かったなあ。http://www.expo2005.or.jp/jp/E0/E7/E7.1/E7_wg_04.html
2006.10.17
ざくろジュース(イラン館) 濃厚な原液を氷で割って飲みました。あの酸っぱさ、ミキプルーンとはまた違ったうまさ... チョコレートドリンク(スイス館)とうとう飲まずじまいだった。どんなお味だったのだろうか。http://www.expo2005.or.jp/jp/E0/E7/E7.1/E7_wg_09.html
2006.10.17
傍から聞いていて一番嫌な事。 それは何かがうまくいかない時にすぐ責任転嫁する人だ。何かがうまくいかない理由。それを自己批判ではなく他己批判で完結してしまう人のことだ。こないだこんな話を聞いた。以前大阪の某所で居酒屋をやっていた。しかし、半年もたたずに店をたたんでしまったと。彼はお姉さんと二人で店を切り盛りしていた。というか、話を聞いているとどうもお姉さんにまかせっきりだったらしい。彼曰く「お姉ちゃん給料くれへんかった。何もやらせてもらえへんかった。その間生活でけへんから消費者金融にはまってしまってん。」ってね。ちなみに彼にはまだ負債が残っている。一応弁護士を立てて各債権者との和解が成立しているのだが。給料くれへんかった。何もやらせてもらえへんかった。この文言に僕は何を感じたかというと、給料くれへんかった時、一体彼は何をしていたんでしょうね。何もしなかったから給料くれへんかったんじゃあないのかなあ...ということだ。と、僕が指摘してもその意見にすぐに同意するものでもない。ちなみに人間ってプライドが高いから、自分の欠点を指摘されるとなかなか受け入れがたい。僕だってそうなのだが。しかし、彼の言葉、まったく自己反省の言葉もない。すべてお姉さんのせいにしている。かけがえのない肉親なのにね。確かに彼はやりたいことをいろいろと持っている。夢もロマンもある。しかし、自己反省の気持ちがないから、はっきり言ってプロモーションしていないのだ。人ってなんで言い訳するんだろう。僕だってそうなのだが。しかしながら、かつての自分の反省もあるけど、やっぱり自分自身が真っ先に反省すべきだと思う。相手が反省していないから自分もしない。では、いかんのだ。それではいつまでたっても自分自身が進展しない。言い訳するたびに自分自身が退化していくような気が僕はします。てか、悪口、言い訳、聞いている人の立場からするととっても気分が悪いです!
2006.10.16
名古屋には昔から親しまれている地名が多い。笹島、柳橋、長者町、伏見などがそうであろう。ともに笹島は現在の名駅南周辺、名鉄レジャックのある交差点にその名前を残している。もと貨物駅のあった広大な空き地も”ささしま”と呼ばれている。柳橋は名駅4丁目周辺、卸売市場の名前がやなぎばしであり、午前3時からセリが行われていて早朝から活気のある場所だ。UFJ銀行のある交差点も柳橋でありその名は広く知られている。長者町はいまの錦2丁目周辺、もとは名古屋市中区長者町と言われ、大阪本町のような繊維問屋が立ち並んでいる。ピンポイントでその場所に行くのなら錦2丁目よりも長者町といったほうが伝わりやすい。伏見は地下鉄の駅が伏見だから駅周辺(栄1丁目、錦1丁目)を伏見を言うことが多い。これらは戦後の地名変更で変えられてしまった地名の数々である。名古屋駅至近という立地から知名度を上げるべく”名駅”、同じく名古屋ではとても知名度のある”栄””錦”にあやかって消えてしまった地名である。しかし、市場や問屋などピンポイントでその場所を指す場合に昔の名前で呼ばれることが多い。僕としては古きよき時代をしのぶことができて感慨も深く感じるのだが、昔の名前が語り継がれるのもいいこと。それがこの街の良さかもしれない。
2006.10.15
中村区にある旧稲葉地(いなばじ)配水塔。下町の住宅街にそびえたつ。これ、昭和12年に急増する水道需要に対応するべく名古屋市水道局が建設したものだ。当時は中村区のどこからでも望見できたという。しかし、本来の用途としては7年あまりしか使用されておらず、昭和19年給水停止。そして戦後は長らく放置されていたが昭和40年に中村図書館として再活用され、平成2年まで使われていた。現在は名古屋市演劇練習館「アクテノン」として3度目の奉公をしている。この名前ギリシャのそれに似ているからつけられたのだろうか?未来のアクターたちの稽古場として70年近くたった今もしっかりお役目を果たしている。美しい外観は人々を魅了し、この建物をスケッチする画家さん、カメラマンさんもたくさんいる。周辺は稲葉地公園として名古屋市民の憩いの場にもなっている。名古屋市民となった3年前。真っ先のこの憩いの場を見つけた。いつ来てもなんだかほっとする場所である。
2006.10.15
僕は起業家時代、自分という人間そのものがブランドであると信じて疑わなかった。名前そのものがそこそこ知られていたからである。自分に酔っていただけなのだが。サラリーマンをやめて起業したとき、僕は勇んで飛び込み営業をするのだが、門前払いで相手にしてくれる会社なんてなかった。そのとき悟ったのが、今までは一部上場企業の社員であるという入れ物に護られていたという事。一応法人組織に属していたのだが、名古屋では無名の会社。自分個人ではほんとうに無力であることを知った。その後、ご承知のとおり異業種交流会を開催するようになり、取材もそこそこ受けて、DJデビューも果たし、自分がスターダムにのしあがっていくような幻覚を見ていた。その後は何度も書いているように転落人生なのだが。僕は再就職した昨年から、あまり自分というブランドを強調することはしなかった。ブランド確立がされていないと無理が生じるし、もともと自分自身の力もないと思ったからだ。しかしなんだろう、最近僕のところに舞い込んでくる仕事の頼まれ方というのが、やはり決して奢った気持ちではないが、”しみず”という人間がプロデュースする仕事であるという信頼感を相手に与えていることが多い。自分ブランドはあまり出すつもりもなかったけど、期待されているのはブランド力なのだ。だからこそ、これに応えるために自分は困難な事柄があってもなんとかクリアしたいと思って頑張ろうと思う。でも、自分のブランドを自分で評価するのもいいが、まだ、確立されていない部分もあるから悩ましい部分でもある。自分を戒める気持ちで思うのは、決してブランドを利用して大儲けしようなんて思わないこと、安売り、量産してはいけないということ、不用意にこのブランドの知名度を上げようとしないこと。たしかに「費やした時間は必ずお金に換える」という営業上の信念もある。泥臭い言い方をすればカネの臭いをかぎつけて、1円でも多くのお金を回収することだ。人が動けばお金が動く、時給いくらだろうか?かかった人件費だけは最低でも回収しなければならない。ある意味営業だからお金にはシビアに考えなければならない。ルーズな考えではいけないのだ。しかし、妥協案などを提示してまでしてお金に換えようという気にはなれない。目先の分だけでも回収しようと思えばいくらでも回収できる。でもそれはやはりできないというのが自分自身の考えでもある。これは仕事上へのこだわりかもしれないが、「売ったら売りっぱなしにしない事」を最低限のルールとして掲げている。サービスを提供できればいいというのではないと思う。売ればいいというのではない。実はこれは、多くの営業会社が勘違いしているものだと僕は思う。そのことを非難すると「忙しくて手が回らない」とか「コストに見合っていない」なんて失礼なことをいう営業マンもいる。なんとも無責任きわまりないことか。確かに目の前を飛び交う多額のお金を見て生唾を飲むこともある。給料が増えてその後の生活を夢見ることもある。しかし、多額のお金をいただくのであればそれに見合うプロデュースをしなければならない。要は自分がどこまでオペレーションができるかということだ。オペレーション能力を超える仕事は取ってはならないのだ。ブランドという話からはかけ離れてしまったが、ブランドであれ、何であれ仕事なんだから、最後まで責任をもってやるべし。責任をもてないのならやるべきではない。決して売ったらうりっぱなしにしてはならないと思う。
2006.10.15
名駅のワインショップスタンドフォーさんで珍しいペルーのワインがおいてあったから、手にとってしかも買ってしまった。タカマ・レゼルヴァ2004です。プチヴェルドが入っています。かなりアルコールは高く、複雑な味わいだけど、のん兵衛には飲み応えのあるワインだと思う。店長いわく年末用に珍しいワインをたくさん仕入れているらしい。来月はボージョレーの解禁でまた日本では珍しい銘柄をいくつも取り入れているらしい。しかし僕はガメイ種は少々苦手だが。この店初心者でもわかりやすく教えてくれる、うんちくも語らないから気軽に楽しめます。
2006.10.14
昨日は亀島のパキスタン料理店「K2」へ。99円ショップの前にあります。またしてもだれも客のいない店の客になってしまった。僕は800円のBランチを注文。野菜カレー、ナン、サラダ、ヨーグルトがついてます。カレーの辛さは5段階あり、僕は一番辛くないヤツを注文。マイルドな味だからおいしく食べられた。ナンもうまかったが、でかい!ヨーグルトはちょっと甘かったかな。あまりにも辛いものは少し苦手なので、安心していたら、サラダが香辛料たっぷりかかっていて、最後にピリピリピリってきちゃいました。でもこの辛いドレッシングいけますよ!またしても大満足!店員のオニイサンに「おいちかった?」って聞かれたから、「おいちかったよ!」って笑顔で返しました。ごちそうさまでした。
2006.10.14
万博勤務時代のルーティンワークです。 4:30 起床5:15 出発5:35 地下鉄高畑駅(始発の東山線)6:20 地下鉄藤ヶ丘駅 ひと駅間ウォーキング 6:40 リニモはなみずき通駅6:50 リニモ公園西駅 7:20 出勤 ざっと朝はこんな感じだった。始発の地下鉄は高畑ですでに座席が埋まっていて、名古屋でだんだん込みだしてきて、栄でラッシュ時顔負けの超満員(僕は始発だから座っていた)。藤が丘に着くと、リニモ駅に向かって一斉に猛ダッシュ!しかしリニモはすでに乗車制限で常に30分以上待たされるから、15分ほど、とぼとぼと隣のはなみずき駅まで歩いていた。そしてこれまた3両編成の小ぶりなぎゅうぎゅう詰めのリニモに乗っていた。そして公園西駅から徹夜組を含めたゲート前の行列を尻目に、スタッフゲートを通過してEXPOドーム裏の事務所まで30分とぼとぼと歩いた。閉幕が近づくにつれて混雑もひどくなって人々の移動時間帯がだんだんと早くなったものだ。会場間移動のゴンドラに乗るのに3時間かかったとか、ドイツ館に入るのに5時間待ったという記録も残されている。そしてわが自転車タクシーも休日は60分待ちして乗車してもらったり、申し訳ない気持ちで一杯だったけど、ほとんどの来場者さんは嫌な顔せずニッコリ笑顔で別れたものだ。僕は通勤途中でも会場へ向かう人たちとすぐに打ち解けて話ができて、いろんな話をしたものだ。
2006.10.13
昨日は久しぶりにビジメシ会、名東区の石川会計事務所(http://mem.ecall.co.jp/azaz/)さんが座長です。ここの事務所はもとファミレス?だったとか、とかくおしゃれな事務所で、スタッフも多く活気のある税理士事務所です。参加者は15名くらいだったが、結構顔見知りの方もいたり、知り合いが共通だったり、名古屋って街の狭さを実感!したりするのが交流会でしょうか。とかく、この場所で知り合った人たちとは情報交換する事が多く、自分のビジネスに非常に役にたっています。で、前半は石川先生の事務所で自社PR、今日は少なめでしたが、いつもながら白熱した自社PRがつづき、終了予定時刻を大幅にオーバー!これもビジメシ会の宿命か! で、終わったらお待ちかねのオールドスパゲティファクトリー(http://www.chitaka.co.jp/osf/index.htm )でランチ。ここはチタカグループの店ですが、南区にあった名古屋店は店内にホンモノの名鉄電車が鎮座していて有名でした。しかし、こちらは閉店したようです。でも、この店、いつ来てもうまいなあ。ランチメニューはパン、ピザ、サラダ、パスタ、ドリンクがついています。いつも2000円の会費の中に入ってますから、一体いくらなのかは知りません!が、パン・ピザは食べ放題!ドリンクもものによっては飲み放題です。ピザは石釜ピザでうまい!です。パンは固めで、ガーリックバターがNiceコンビネーション!サラダはいつも僕、ブルーチーズのドレッシングをチョイスしますが、うまい!本日のパスタは僕は正規料金で一番高いロブスターのクリームパスタを注文!食いでがあってうまかったなあ。この会に出席している人は、比較的経営者の方が多いのも特徴です。僕はいつも営業のアウトソーシングについてPRさせてもらっているが、なかには保険セールスでMDRTを持っていらっしゃる方もいて、営業のプロの方が一杯いるのがこの会の特徴かな。僕は営業マン同士での情報交換をまめにやっているほうだけど、特に違う業界の方の営業手法、アプローチ手法などは聞いていてとても参考になる。久々に楽しい一日だった。ちなみに、自宅が私の事務所の隣のマンションという社長さんもいてとってもビックリ!ごちそうさまでした。
2006.10.13
このブログではいろんなのことを書いている。ビジネスのこと、音楽のこと、グルメ・酒に関すること、大好きな名古屋のこと、いろいろだ。特にジャンルは決めていない。人に聞かせたい事、是非おすすめしたい事を書いている。商売人なのだから本当は商売のことを書けばいいのだろうが、そればかりでは面白みがない。ちなみに僕はサラリーマンではない。30歳を前にサラリーマンを辞めてきた人間だ。この30歳という年齢、僕は人生の岐路だと思っている。僕の尊敬する故五十嵐健治氏(白洋舎創業者)は30歳という年齢を人生の節目と感じたという。それはイエス様が布教活動を開始したのが30歳だったからという事で大変意識的に感じていたらしい。僕も五十嵐氏の物語「夕あり朝あり(三浦綾子著・新潮社)」を17歳の時に読んでから、無意識にそのことを考えていたと思う。サラリーマンを5年で辞めると心に決めていたものも入社当時からあった。というわけで、僕はサラリーマン生活を離れたわけだが、それはサラリーマンでは得がたい経験の数々だったと思う。決してそれは穏やかで楽しい事ばかりではなかったのが事実である。しかし、普通では出来ない経験を数々してきたのである。そういった意味ではサラリーマンをやめてよかったと思っている。もうひとついうなれば、僕は嫌になってサラリーマンを辞めたわけなのだが、昔の会社には大変感謝している。この会社に入らなければ名古屋という土地に縁がなかっただろうから。そして、その後の出会い、特に愛地球博なんて縁がなかったんだろうなあと。今のかけがえのない、そして多くの友人たちは、この会社に入れたからこそ得られたものだと思っています。それでは、今日のお題、世間の冷たい風(ピュゥゥゥゥ)について。 僕は一度起業した。そしてどうなったかといえば前にも記したとおり、奈落のそこに突き落とされるのであった。 これは身から出た錆であるが。 一度、就職しようと思って会社訪問をしていたことがある。リフォーム、不動産、通信すべて営業に関する仕事だった。 すぐに採用がきまった会社はオール電化の販売会社だった。いわゆる訪販だ。自分の連れでシロアリ駆除の営業をやっているやつがいるけど、自分もまさか同じ業界にはいるとは思っても見なかった。しかし、即採用だったので翌週から勤務することに。しかし、そこはげに恐ろしき営業会社だった。売るためとはいえ、不在のお宅に勝手に入り込んで給湯器の年式を調べたり、訪販業法で禁じられている19:00以降であってもアポが取れなかったら取れるまで帰ってくるなといわれたり。結局ここは1ヶ月でくびになった。一緒に入った同期の2人も後をおうようにしてくびになっている。 その後、気を取り直して就職活動を再開したものの、しかし、どこの会社も採用してくれないのだ。不採用の理由は知らないが、包み隠さずという信条で事業に失敗したこと、自分に借金があることなどもありのままに話している。しかし、負債の話をしただけで担当者は顔をゆがめたりする。今から考えると当然なのだが、だって自分は普通のサラリーマンならありえないことをしているのだから。普通はいわくつきの人間を採用などしないのだろうと思うが、世間の風は冷たいと思ったものだ。 その後、求人誌を見て雑貨販売会社の門をたたいた。ここは月給18万円をうたっていたのだが、うまいことやりこめられてまたもフルコミッションになってしまった。しかし、他人の迷惑を顧みず、人様の会社に入り込む強引さ、そして粗悪な品物を売らなければならないことに嫌気がさして2週間でやめてしまう。 思うのは本当に人間が苦しくてもがいているとき、世間の風が冷たかったりするということだ。その冷たさを感じたとき、人間はもっと苦しい思いをする。 しかし、一番苦しいときこそ、歯をくいしばって這い上がろうとする根性も大切なのである。 僕は神様を信じている。神様は自分を救ってくれると思っている。でも、それは神様を信じ、救いの手を差し伸べなければ救ってはくれません。 その後僕は、愛地球博のスタッフになることができて見事に立ち直った。決して僕は根性なんかで立ち直ったのではない。人に恵まれた。運が良かったのだと思っている。しかし、胸を張って言えることは、この半年間、人のために尽くした事、ひたすらみなさんにいい思い出をつくって帰ってほしいと願ってやまなかったこと。あのとき得られた感動、流した涙がその後の人生、新たな出会いにつながっているのである。 自分は根性で這い上がったとはいえないが、世間の風が冷たくても負けるな! 決してその後の人生順風満帆だったわけでは...でも、誰か一人ぐらいつつみかくさず話せる人を見つけよう。 僕は先輩から何度も励まされた。 「負けるな!」ってね。 だから、なんとしてでも立ち上がれ! 今現在苦境に陥っている人には、苦しいかもしれないし、軽々しいことはいえないけど、でも、負けるな!歯をくいしばれ!
2006.10.13
つくづく考えること。僕は好き嫌いが激しいという事。僕は自炊しても外食をしても好きなもんばっかり食っている。人には嗜好があるから仕方ないものの...しかし、よく考えたい。肉ばっかり食っていてもだめなんだ。魚も野菜も米を食わないと...しかし、おいしいものを食べるのは幸せである。好きな酒、好きな人がいれば幸せである。だが、栄養が偏りすぎだなあと反省する事もある。実はこれ、仕事に関してもいえる事。僕は今、3つの会社にかかわっている。人材派遣会社であり、発送代行であり、運送会社の仕事である。これは人と人とのつながりからこうなってしまったのであり、決して生活が苦しいから掛け持ちをしているわけではないが。それぞれの会社にはそれぞれのビジョンがある。それぞれが新規業務ももちろん果敢にチャレンジする攻めの営業会社であることは申し上げておこう。しかし、それぞれの会社にはそれぞれの底辺たる業務がある。発送代行の会社を例にとると、ダイレクトメール関係の発送の仕事がこれにあたる。いわば会社の屋台骨だ。この仕事なくしてはこの会社は成り立たない。この底辺業務とは、食べ物にたとえると主食の米だと思う。僕はいつも夢を語る。グローバルなビジョンを語る。僕の夢、ビジョンはビジネスを通じて社会に貢献することだ。社会性のないビジネスは永続しない。何度も言うが、たとえば江戸時代から続いている財閥のような企業グループがただ、金儲けして自分たちがポッポしてやってきたわけではない。きちんと社会に利益を還元しているからこそ300年、400年続いているのだ。伝統工芸だってそうだろう。そんな企業、ビジネスでなければやる意味がないとも思っている。僕は三河出身の実業家、故神谷傳兵衛氏を尊敬している。たった20銭の金をもって上京し、後に”シャトーカミヤ”を設立した人だ。日本ではじめてワインの醸造に成功している。この人がいなければ日本のワイン文化は大きく後退していたかもしれない。そんな人だ。ワイン好きの僕にはこの人の功績を高く評価している。しかしなんだろう、今の自分の反省は大きな視点ばかり語っていて、底辺たる業務をしっかりとやっていない事だと思う。米を食わずして肉を食っている事に自分の大きな反省点がある。今日、食事をしていてやはりそう思ってしまった。食事のとり方と、仕事の進め方があまりにも一致しているのである。悪いとは思わないが、反省すべき点でもある。感謝を祈念して
2006.10.12
ワイン大好き! と、同時にマリアージュを考えてしまうのだが... 最近僕が凝っているカレーとワインは合うか?という疑問です。それに関しては中川区でカレーとワインの店をやってらっしゃるTSマスターことバルTAPASさんからこんなコメントを 「Shimmyさん, それならTAPASに来てちょ~ッ!ってねッ(~~)う~ん、基本的にはカレー食べながらワイン飲む方は少ないですよね。カレーには、ビール飲む方が多いです。カレーの香りvsワインの香り でケンカしちゃうんでしょうね。Shimmyさんほどのワイン好きなら何でもアリかと思いますが。あ、そうそう。「サングリア」はカレーに合いますよ! (2006/10/12 02:42:38 AM)」 サングリアとカレーって合うんだ。じゃ、今度TAPASにおじゃました際は是非。昨日、ピリ辛のインドカレーならワインと合うよ!というコメントも頂きました。それも試してみます。 マスターありがと~。
2006.10.12
昨日は月に一度のワインスクール♪ってことで、名駅2丁目のスタンドフォーさんへ。昨日のテーマはイタリアピエモンテ州のワイン飲み比べ。毎回僕は遅刻するので、泡の切れのなくなったスパークリングワイン...と、白2種類、赤4種類のワインが出てきました。このスクール、昨日はすべてピオチェザーレ社のワイン。赤4種類のワインのうち、2種類は同じぶどう品種を使っていて、どれとどれがそうなのか?実はバローロというワインが2種類入っていました(僕は見事にご名答!)。これはネビオーロというぶどう品種から作られるワインで、味は完熟トマトとでもいっておきましょうか?とってもチャーミングなワインです(http://www.rakuten.co.jp/kobusiya/428768/430215/460409/#936384)。あと、きのうはカベルネソーヴィ二ヨンというぶどうそのものをみんなで食べました。ワイン用のぶどうをたべるのも生まれて初めて!付け根の部分は甘いけど、先っぽはちょっと酸っぱかった。チーズはウォッシュやゴルゴンゾーラ、とっても臭いセミハードなどでました。来月はオーストラリアワイン飲み比べ。スタンドフォーさんがはじめて輸入した日本初上陸のワインが並びます。ごちそうさまでした。
2006.10.12
カレーって日本人の国民食だからどこへ行っても食べられる。佐川の食堂のカツカレーもうまいし、ココイチのカレー、松屋のカレーも好きだ。しかし、万博勤務時代もそうだったが、カレー店行脚は不思議としてしまうものである。先日は会社の近くのインド・パキスタン料理店「HAN ENTERPRISE」へ。パキスタンの名前が出ているのはモスクが近くにあり、イスラム教の人が経営しているからなのか。パキスタン料理の店はこの界隈には結構ある。土曜日の昼下がり、誰もいない小さな店に僕はこの店の客になった。カレーランチが600円から食べられるのだ。野菜カレーとナン、ホットチャイがついて600円!お値打ちである。カレーは後からピリピリとした辛さが襲ってくるけど甘めに焼き上げられたナンと一緒に食べればうまく中和できる。なんもこれでもか!ってくらいオーバーなくらいでかい。具の野菜は何種類か入っていたが何と何が入っていたかは不明。食後のチャイでひと息ついてごちそうさま。しかし、インド料理店では必ずといっていいくらい、インド映画のビデオが流れている。そのほとんどがずっとダンサーが踊り続けているものである。見ていると少々退屈になってくるが、ダンスの躍動感は日本人ではまねのできないものだと思う。ごちそうさまでした。
2006.10.11
以前僕はこのブログで借金の話について語った。打出の小槌をたたきすぎて借金まみれになっていくというげに恐ろしき物語のことである。これは3年にもおよぶ僕の楽天日記史上、一番反響をいただいた物語で、以来借金に関する相談が後を絶たない。類は友を呼ぶのだろうか。僕としては手助けしたいから極力時間をとって相談にのっている。この物語の中でノンバンクのことをかなり悪者のように書いたが今も考えは変わらない。彼らを社会悪だといい続けるであろう。2005年自己破産した人は22万人、そして驚くのは返済不能に陥っている人が今現在200万人いるという事実だ。この数字、50人に一人がそうなっている。もっと言えば200万都市の名古屋市民全員が借金を返せない状態にある、そんなすごい数字なのだ。これも一部のノンバンクがこの10年CMなどで体裁を繕い、業績を伸ばしてきた結果がもたらしたものだと思っている。返済不能の人が200万人いても利息をしっかり取っているから彼らには痛くもかゆくもない。すぐ返すつもりで10万円借りたのが、彼らの甘言にのり2年後には500万円に膨れ上がっているなんてことも実際にある話だ。しかし、彼らから金を借りる人のほとんどが、無知であったり、あるいは事業や生活が自転車操業で見境がつかなくなっていることが多い。僕は以前、ある方に借金の精算の相談をした。彼は事業に失敗して2000万円の借金を抱えて3度の自殺未遂を経験している。僕の相談に乗れるということは見事に立ち直っているからなのだが。僕は彼に自分の負債状況を包み隠さず話したのだが、彼はこう言った。「これじゃ元金は一向に減らない。ここまま手を打たなければこのままずっと借金を返さなくてはならないどころか、もっと金額が膨れ上がるだろう。」この言葉に僕は愕然とした。これまで毎月返済うをつづけていたのに。そう、僕はほとんど元金を返していなかったのだ。それどころか彼らの甘言にのり、どんどん限度額を増やしていたのだから...こんな人、たくさんいるはずである。人の無知、弱みに付け込むのが彼らの卑劣さなのだ。しかし、重ね重ね言っておこう。それはどういうふうにつけこまれても所詮は借りたものを返さないやつが悪い。のである。たとえ返せないからといって逃げたりするのは返さないアンタのほうが卑劣であるということだ。こんな状況に陥ってしまっている人がうなだれながらもこんな事を言う。「人の弱みにつけこんで...」なんてね。そりゃもっともだ。僕も彼らは許せない。でもね、よく考えてよ。一番悪いのはアンタなんだよ。アンタが返さないからこんな目にあってるわけじゃん。それをやり方が卑劣だとか言ってもそれは逆恨みだとしか僕には思えない。ある借金まみれの人が言った話。彼には数百万の借金があって現在返済中。しかし、返済していない借金が100万ほどある。彼は住民票を移せない。そう言った彼のコメントから発覚した事なのだが。彼曰く「借金をしたのは8年前。あと2年で時効だから...」これって僕には法を悪用した詐欺だとしか思えない。たしかにこれは借金に困っている人を救済するために作られた法律だと思う。しかし、ハナっから踏み倒すつもりのやつに適用すべき法律ではない。貸すほうも卑劣なら踏み倒すやつも卑劣だといういい例だ。ちなみに彼はその後まもなく姿をくらました。このように借りたほうも自分のことを省みず恨みがましいことを言ったり、卑劣な事をするやつがいるということも事実なのだ。どうしてこんな事になってしまったのか冷静に考えてもらいたい。所詮悪いのはアンタなんだよ。自己破産した人は22万人、返済不能に陥っている人が今現在200万人。はっきり言ってノンバンクは卑劣だ。自分のことしか考えていないから。法規制も検討されているようだが、動きは鈍い。手ぬるいと僕は思うから、各自が予防線を張る必要はある。しかし何より、借りたもんは必ず返せ!
2006.10.09
アンディウィリアムスが1962年に生み出した名曲。あまりにも有名すぎてこれもたくさんのアーチストがカバーしています。歌う人が変われば曲の魅力がまた変わるのも飽きがこない理由のひとつ。僕は、ボサノバ寄りのnoon、SONIAがお勧めです。ナンシーウィルソンサイレントジャズトリオフォアフレッシュメンnoon綾戸智恵SONIA
2006.10.09
見事に僕をボサノバファンにさせてくれた人です。1999年発売のドリームがきっかけだった。たしかムーライトセレナーデが三菱パジェロイオのCMソングだった。ドリームは今でも聞き続けているけど、隅から隅まで聞き尽くしてしまいます。5曲目の「NightAndDay」はジャズシーンでも超有名な名曲ですがなんとこの中にこれまたボサノバの名曲ワンノートサンバを織り交ぜています。小野リサはサウンドもボーカルもさることながら、ジャズやボサノバの有名な曲をカバーしているから聴きやすいと思います。クリスマスにはBOAS FESTASの”WinterWonderland”がおすすめです。ドリームBOAS FESTASPretyWorld
2006.10.09
ボサノバの先駆者アントニオカルロスジョビンが生み出したのがワンノートサンバ。ボサノバが好きな人なら誰でも知っているこの曲は、ジョビン亡き後も多くの人に愛され歌われ続けています。個人的には佐藤竹善(シングライクトーキング)とSalt(塩谷哲)が組んだユニット”Salt&Sugar”の1曲目でカバーしているワンノートサンバが涼しげでお気に入りです。アントニオカルロスジョビンNorio Maeda セルジオメンデスEliane Elias
2006.10.08
マントラは中一のころからの付き合いです(かれこれ20年かな)。初めてジャズに接したのがこのアーチスト。なかでも「フォーブラザーズ」これって4人組である彼らの事を言ってるんだよね。スイング、ボーカルどれをとっても鮮やか過ぎてまねできない!これ聞いてからジャズに開眼しましたね。どれくらいジャズを聴いたかわからないけど、これが正真正銘の登竜門。ずいぶん昔からいるみたいだけど一体彼らは何才なんでしょう?ベリーベストSymphony Sessions
2006.10.08
僕の率直な気持ちである。以前、僕が懇意にしているライターさんが『起業家である前に人間であれ』というコラムを発表されたが、僕もまったく同感である。少々生意気だが僕の考えはこうである。お客様に貢献する→会社の発展に寄与する→自分の生活が豊かになるお客様に貢献するという意味は僕の場合は、広い意味で社会に貢献するものだと思っている。これは自分が生涯ビジネスマンを続けていく上で永遠のテーマだと思っている。たとえば運輸業に従事するのであれば、CO2の排出量を少しでも減らす努力をしなければならない。2007年以降、減り続けるであろう労働者の不足を補うにはどのような策を講じるべきか?立派な貿易赤字国になった日本を立て直すにはどのような策を講じるべきか?これらを自分のビジネスの中であてはめるべきだと思っている。広く社会に貢献できる企業でなければ永続するわけがないということなのだ。企業が存続しなければ、その企業に属する人たちの豊かな生活なんてありえないのだ。僕が以前勤めていたN社のわれらの信条に「運輸の公共性に応え、社会の繁栄に寄与する」という言葉があった。これはとてもいい言葉である。おそらく創業者である当時の社長たちが作られた言葉だと思うが、言葉どおり、このN社は独創的なアイデアをどんどん実現させ、運輸業界の発展に寄与しているのである。このN社がなければ、今は当たり前のように使われている物流器具、システムすら存在しなかったからである。これは32年間の人生経験と、10年間の社会人経験から学んだものである。だからというわけではないが、クライアントや職場のみんなの気持ちや立場を考えずに自分の考えをゴリ押しする人間を見ると腹が立つ。それが経営者ならなおさらだが、腹が立つのを通り越していささか不憫にも思えてくる。誰も賛同するものがいないからだ。たとえば経営という舵取りをする立場のものが傲慢な考えをするのであれば、賛同する者もいないから、会社を去っていくものもいるし、もとより会社はバラバラになっていくのである。あるいは僕はいろんな経営者との付き合いも多いのだが、やはりカネがすべてだと思っている経営者にもつかないほうがいいと思う。社業の発展=金儲けと思っている経営者のことだが、この金儲けとは自分自身のカネのことを指す。ある経営者に「俺につけば、マンションだって買える。女だって囲える」そういって引抜きを受けたことがある。この人は女を人間としてみていないはっきり言って最低の男である。これはよくネットワークビジネスの人が甘言する「隣の芝は青い」である。そんなに世の中は甘くないのだ。というか、僕の過去を知らないみたいだが、「あほちゃうか」って思っている。僕の過去を言おう。N社を辞めて営業の仕事で起業した。最初に輸入ワインの販売を手がけた。なれない飛び込み営業に四苦八苦だったが、持ち前の性格がよかったのだが、人脈にも恵まれた。大手百貨店への納入がきまり、以降はレストランチェーンなどへの受注が決まった。大口顧客を手にした僕の手元には何百万というカネが舞い込んできた。もう連日クラブで豪遊し、いつしか錦の顔になっていた。しかし、そんな生活が長く続くわけがない。もとより、200万円もらっていても給料日前にはいつもスカンピンだったのだから。やがて大口顧客のひとつが不渡りで倒産し、未収金を弁償することになってから奈落の底へ落とされるのであった。それでも再起をかけて、しかし、何をなってもうまくいかない自分がいた。「なんでやねん」って自問自答している自分がいたのも事実である。それは神様が与えた天罰だったと今では思っている。その時、そこにいた自分は他人のことなんてこれっぽっちも考えていなかった。自分さえ良ければいいのである。これは何も大儲けするという馬鹿げた目標のみならず、仕事をするうえでも考えるべきなのは自分の立場ではなく、相手の立場なのだ。相手が下請けだからといって見下してはならない。下請けさんであってもその方たちにも恵みのあるビジネスでなければビジネスは成立しない。確かにお金はすべての人に平等の価値を与えるものだと思うが、使い方次第では人間性をも変えてしまうということを僕は身をもって学んでいる。もうひとつ言おう。僕は以前某FM局のパーソナリティをやっていたことがある。オーディションに受かったときは本当にうれしかった。一民間人が一挙にスターダムにのし上がったかのような、オーバーだがあのときの喜びは計り知れないものであった。この局の部長がよく言っていたのは「自己満足では公共放送は成り立たない」というものである。これも僕は至言だと思っている。公共放送のみならず、ビジネスも人間関係も自己満足では成り立たないと思っている。かくして自己満足にひたっていた僕のパーソナリティ人生は半年ももたなかった。これも天罰だろう。生意気なことを言っているようだが、自分自身もまだ発展途上だと思っている。が、しかし、ビジネスは所詮人間関係なくして成り立たない。企業は人なんだ。相手を思いやる気持ちがなければビジネスは成り立たない。そして企業の永続的な発展のためには社会に広く貢献する気持ちもまた大切なのである。多くの株式会社経営者が夢見る株式上場についてもそう、株式上場を何のためにやるのか?それによって社会や株主にどう還元するべきか?真剣に考えている経営者は以外に少ないと僕は思う。決して自分だけのエゴイズムではビジネスも人間も社会も目を向けてくれないということを肝に銘じたい。いつまでも対等な人間関係でなければならない。
2006.10.08
名古屋には昔の名前で呼ばれている地名がたくさんある。たとえば“笹島“”柳橋“”伏見“”長者町“などである。笹島は以前はなしたとおりだが、柳橋も名古屋駅近く、地名的には名古屋市中村区名駅4丁目といわれる場所がそう呼ばれている。なぜ、柳橋という地名がいまも使われているか?それはおそらくここにある卸売市場が“柳橋”という「昔の名前で出ています」だからだ。ここは名古屋市民の台所で、古色蒼然としたビルが立ち並ぶ一角だが、近海で陸揚げされた魚のセリが早朝3時から行われている。聞いた話では、柳橋で売られるまぐろは専らびんちょうまぐろ、熱田区の市場では専らキハダまぐろが売られていると聞いたことがあるのだが本当だろうか?また、角にUFJ銀行のある交差点も柳橋交差点であり、やはり知名度が高い理由のひとつである。おなじく伏見は町名変更で栄1丁目にかわったが、駅名としてそのままのこっていて付近を“伏見”と呼んでいる。長者町も今は錦2丁目だが、大阪本町のような繊維問屋が立ち並ぶ一帯を長者町繊維街と言っていることから“長者町”の通称でも名古屋人には充分通じる。
2006.10.07
僕は会社の人とのつきあいが下手だった。なんかみんなと打ち解けられない自分がいたというか、はっきり言って寮の中ではひきこもっていた。先にも書いたように同期が辞めていく中で、仲良くしていたヤツがみんなやめてしまったからだ。そんな折、学生時代の国際交流サークルで一緒だった子が津市に住んでいるのを知っていたので、気分転換のつもりでそいつと飲みに言ったら、彼女がボランティアサークルとか、青年団で沢山の友達がいることを知って僕も仲間に入れてもらうことに。それからは、レクリエーションスポーツ、山登り、釣り、ジャズダンス、マラソン大会、演劇ありとあらゆるものに挑戦した。仲間が増えた。ただ毎日が楽しかった。同時に会社の連中との付き合いもうまくなり、会社帰りに飲みに行く機会も増えた。豊富な自然に目を向け、近在のいろんなところに出かけた。今日は三重の面白いスポットを紹介しましょう。榊原温泉三重って温泉が多いけど、ここば一番のお気に入り。かつては観光誘致に力をいれてたみたいだけど、ひなびた温泉地です。お肌のツルツル具合が他の温泉とは違います。河芸マリーナここは字のごとくマリーナ...結構つくりは凝っていて外国のビーチをイメージして作ったそうです。ブライダルもやっていて僕の友人もここで2組挙げました。自然薯料理「茶々」湯ノ山温泉のすぐふもと、菰野町にあります。自然薯のとろろめし(麦飯とともに)、自然薯のステーキ、自然薯のアイスクリーム、むかごの天ぷら、どれをとってもうまい!ぜいたく!何度行っても満足します。湯治の帰り際には是非お立ち寄りを!焼肉みさき屋鈴鹿市内にある焼肉屋。秘伝のたれで漬け込まれています。サーキットの選手や有名人が沢山おとずれる店でたしかマッチのサインがあった。鈴鹿は有名人が多くて、僕も炉端焼きの店で三原じゅん子を見かけたことがある。くじら(ミニコミ誌)月刊誌だが、結構面白い。三重人はこれを愛読しないと話題についていけない...
2006.10.07
名古屋駅(名駅)の南には“ささしま“と言われる広大な空き地がある。ご存知の方もいると思うが、愛地球博のサテライト会場にも使用された場所である。閉幕後はアミューズメントスクエア以外は取り壊され再び更地に戻された。この場所は名古屋駅から1キロほど、超1等地になるのだがいまだに手つかずになっている。もともとここは関西鉄道(いまのJR関西線)の終点愛知駅として明治45年に開業した場所だ。その後は名古屋駅に統合されても貨物駅としての機能は残っていたんだが、国鉄改革のあおりで廃止になり、更地のまま放置されている。“ささしま(笹島)”とは昔の知名だが、町名変更されたいまでも笹島と呼ばれている。再開発構想はこれまでに何度も持ち上がっているが、付近は複数の鉄道や高速道路のがんじがらめで、町を縦断する自由通路の建設すらままならないため、やはり手つかずである。しかし都心に残された最後の広大な空き地であり、有効活用を期待したいものだが。
2006.10.06
かくして、東京人になる夢が打ち砕かれた僕は鈴鹿の人になった。運送会社に入って何をやるのかと言えば、「まずは現場!」ってことでトラックの運転手になった。「面白そうじゃん」ってのん気に構えられたのも仕事に就くまでのはなし。初日早々にも「しまった!」って思ったくらいだから。それと僕はペーパードライバーだった。同期の連中もほとんどがそうだった。会社の広いモータープールで"でっかい"4tトラックを1週間練習して、2週間目には路上に出ていた。工場への自動車部品の納入の仕事なので、乗務員というよりは現場作業員なのだ。重たい車のモーターなどをすべて手降ろしで下ろして、広い工場内を駈けずりまわっていた。夏場は水を3リットルくらい飲んだだろうか?汗が出ても発汗量がすごく、脱水症状で倒れるやつも続出した。僕自身も幾度となくゲロ吐いて、それでも仕事を休まなかった。「辞めたい。いつ切り出そうか。」と思いながら日々すごしていたのが事実だった。しかし、年が明けて、新入社員が入ってくる頃にはなんとかやり遂げようと思っていた。1年たって後輩にバトンタッチして、僕はある上司に呼ばれてその方の部下となった。ちなみに僕はN社で何度か転勤しているが、すべて上司、上役の方から抜擢されての人事異動だった。どんなにしんどくても、辛くても、やり遂げる事が大事なんだと僕はその時学んだ。ちなみにその年に大卒で入社した同期は約50名。一年後には30人あまりに激減していた。
2006.10.06
名古屋のこれから象徴的なものとなりうるものは名古屋駅前に建設中のトヨタ本社ビル「ミッドランドスクエア」、地上高およそ250mだっただろうか。JRセントラルタワーズより数m高くなるそうである。ここには以前トヨタビルと毎日ビルが建っていたのだが、昭和20年代に建てられたそれらのビルの老朽化に伴い、今回新しくビルを建てることになった。ここにはトヨタの本社機能が集結する予定である。高層階にはスカイレストラン、展望台がお目見えする。東京の人に言わせればこんな程度のビルは新宿や汐留にいけばいくらでもあるし、珍しいことでもないらしいが、名古屋では一大事件に違いない。JRセントラルタワーズが竣工する1999年以前は名古屋にそれほど高いビルはなかった。今でもそうだが、碁盤目状にきれいに整備された都心部は京都の街並みと同様、高いビルなどそんなになく整然としている。以前は名駅南にある住友生命ビルと、伏見にあるホテルヒルトンが遠くから見えて目立っていた。実は僕、このミッドランドスクエアーの内覧会になんとなんと、招待されちゃったんです!超ラッキー♪来月のことだが楽しみ♪♪♪内覧会の報告はまた1ヵ月後♪写真はミッドランドスクエアー正面からとらえたもの、そしてJRセントラルタワーズ(1999年竣工)とのツーショットである。ミッドランドスクエアーホームページ
2006.10.05
僕が社会人になったのはかれこれ9年前。東証一部上場の物流会社のN社に入社した。何故この会社を選んだのか?1.貿易実務がやりたかったから2.東京に行きたかったから こんな理由だった。関東に強い地盤を持つこの会社なら東京に行けるだろうと思っていた。かくして実際に配属されたのは...三重県の鈴鹿市だった。「東京...」の夢はあっさりと消えてしまったのだ。入社式を終えて一度帰省し、翌日鈴鹿に。地図で調べたところ、JR関西線の井田川駅が最寄りだとわかって奈良から井田川までの切符を買って向かったものの、当の井田川駅は無人駅で一面田んぼ...バスもない...寮に電話しても誰も出ない...仕方なくタクシーを手配したが、とんでもない所に飛ばされたとの感が拭いきれなかった。東京と三重の田舎とはえらい違いである。思えば遠くへ来たもんだ...(by武田鉄矢)この運命をねたましく思っていたものだが、しかしその後は自然の豊富なこの地がすっかり気に入ってもうすぐ10年がたつ。このN社に入らなければ今住んでいる名古屋とも縁がおそらくなかったろう。別の会社を選んでいたならまた違った人生だったかもしれない。そう思うと、この巡り合わせに深く感謝する次第である。そう、このN社に入った事がその後の人生の多くの出会いをもたらしたのである。
2006.10.05
名古屋で象徴的なものといえば、名鉄のパノラマカーである。おじいちゃんおばあちゃんの家が名古屋にあったから、この電車は子供の頃から親しんでいるのだが、いつ眺めても飽きが来ないのである。この電車最初の登場は昭和36年と古い。運転席を2階に上げ、階下を展望席にするという大胆な発想のもとに生まれた。イタリアの同様の電車を模範にしたといわれるこの電車はフォルムも独特である。この電車にめぐり合うとトクをした気分に誰もが思ってしまうのである。パノラマカーシリーズは1961年初登場のパノラマカーと後継車のパノラマスーパーがあり、パノラマカーに関してはまだまだ現役だが、後継車の登場で2010年までに廃止、パノラマスーパーに関しても名鉄の営業施策の変更で全車指定席のものは2009年までに廃止されることがつい最近発表された。万人に愛され、名鉄を象徴付ける電車が消えていくのは寂しい気がする。この豪華でまたいかついフォルムをした電車が、民家などごくわずかの超ど田舎のまた小さな無人駅にぽつんと停まっていたりするのがご愛嬌である。
2006.10.04
名古屋で人の集まるところといえば、名駅か栄、最近では金山である。このどれに集まるかといえば人それぞれの好みによるものがあるだろう。僕は名駅が好きなんだな。名駅とは名古屋駅の周辺のことを言い、地名も名駅○丁目、名駅南○丁目となっています。鉄道が開通する明治19年ごろまでは名古屋で人の集まるところといえば熱田神宮のまわりだったといいます。熱田さんの近くには七里の渡しという船着場があって五十三次ある東海道もここから桑名までは海路をたどっていました。鉄道の草創期には鉄道の開通で職を失うことを懸念した人力車の車夫や、船頭たちの猛反対で駅の開設が容易にできなかったとか。かくして当時の名古屋駅周辺は”笹島”といわれるうらさびれた農村だったそうですが、100年の月日を経て現在ではすっかり名古屋の玄関口となっています。駅を中心に駅の東側ではデパート、地下街、オフィス街が立ち並びセントラルタワーズがオープンした2000年以降は集客でも栄に劣らないそうです。一方、名古屋駅の西側は椿町という地名で、ビックカメラがあり活性化していますが、新幹線が開通するまではバラックが立ち並んでいて、再開発でビルに建て替えられたものの、一歩中に入ると市場が所狭しと立ち並び、町の様相は東とはまったくちがいます。僕は名古屋で一番の集客力のある栄よりも名駅が好きで、遊びのスポットは名駅が多い。雑多で泥臭いこの街は地方から出てきた者にはまた別の感慨があるものだ。どこか田舎の匂いが感じられるのだ。新幹線を降りた人のなかには、九州弁が飛び交っていたり、近鉄の駅に行けば旅行者も関西弁なら、駅員も大半が関西弁を使っている。ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく(石川啄木)かの石川啄木が上野の停車場をこう謳ったものだが、僕も同じ事を考えているのだろうか。時々この地に足を運んで田舎のことを懐かしんでいたりする。田舎から出てきて10年目だが、ここにくると初心に戻ったような初々しい気分になるものだ。時々僕に気づきを与えてくれる名駅という土地はやっぱり名古屋の中で一番好き。
2006.10.01
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