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小学校の校長先生から,全校生の保護者から教育についての意見や質問を求めるというプリントが来ました.はじめはためらいましたが,次男の不登校から私が感じていることを書いて提出してしまいました.次男がまったく登校しなくなって1年半になろうとしています.彼がポツポツと辿々しく話してくれた中で,お伝えしたいことがあります.(客観的事実の有無ではなく,彼の主観的な思いこみが問題と考えております.)1.遅刻や忘れ物などをした際に何人かの先生方は,本人に釈明させようとせずに「学校に来る資格がない.」「帰れ」「もう来るな」「死んでお詫びしなさい.」と言われたとのこと.2.本人がなんとか釈明しようとしても「ウソをつけ」「信用できない」と言われたこと.3.たまっていた宿題を何とか仕上げて遅れて提出したとき,夏休みにキットを材料に作った工作を提出したときに,親に援けてもらったのだろうと蔑むような対応をされたとのこと.(以後,親に勉強をみてもらうことを頑なに拒んでおります.)4.トイレで用を足しているときに,突然後ろから当時の担任の先生に頸部をつかまれて,「殺される.」と感じてしまったこと.5.学校をさぼれば「何故来ない?」と問いつめられ,登校すれば「何をしに来た?」と問いつめられ,自分でも何が何だか答えようがなくなり,行かないことを決心したこと.もちろん,3才上の長男はそんなことがあっても平気(あまりなかったようですが)だったと言いますし,学校とは関係のない乳幼児期に他家にあずけられたことについての問題や,主に私が母親として主婦として力が足りないことも不登校に陥った要因になっているという訴えもあります.学校の先生方にしても親にしても彼を苦しめて何も益するところがないという理屈が,まったく判らないわけではないようではありますが,そういう理性的な部分はまだまだ未熟で,感情的に混乱してしまうと本人にはどうしようもなくなってしまうようなのです.また,身体が非常に大きく,ときどき妙に大人びたことに気が付いてしまうことも,現在の彼にとっては,マイナスに作用してしまっているようです.今の学校教育では,次男のように心身の発達のバランスが他のお子さんと違っている事例にまでは,とても先生方は手が回らないでしょうから,親は暗中模索するしかありません.この1年半の間に,いろいろな方々に助けていただいておりますが,もっと酷い目にあっている子どもさんも見聞いたしました.たまたま私は高齢者の介護に関わる仕事をしておりますが,わずか十数年間で,個々のお年寄りの個性を尊重しながら,様々な専門職にある者が状況を多方面から分析して最適のサービスを提供するシステムが整いつつあります.教育の現場でも,同じように子どもたち一人一人の状況に応じた支援システムを作っていくことは不可能ではないでしょうし,実は最も必要なことではないかと感じております.
2003.02.19
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小学校に入って初めての冬,末っ子の長女は懸念していたとおり,朝の登校準備にぐずるようになりました.かつて,どうしても優秀な先生の集まる県下一の小学校に私たち姉妹を通わせなさいと,小学校の先生だった,祖父母と伯母が私の両親をそそのかして,現在の住所に住むことになったということなのですが,その場所ときたら,だだっぴろい校区のはじっこ.小学生にとっては本当に長い通学路です.私自身もなんでこんなに歩かなければならんのかと恨めしかったし,次男の不登校が始まった頃には,登校途中にランドセルを放り出して行方知れずになってしまうことが何度かあり,捜すエリアが広くて苦労しました. さて,今朝は長女が特別もたついてしまい始業に間に合いませんでした.小学校に遅れて連れていくと言う連絡のための電話をしたところ,教頭先生が出たので,ついでに6年生の中学校入学の説明会はいつなのか気になっていたので尋ねたのですよ.答えはなんと「明日なんですけどお・・・・」オイオイオイオイ,いくらなんでも不登校でも,そういう日程くらいは連絡してくるべきじゃないんかい?次男が不登校になったのは,すべて担任のセンセイが悪いとは言いませんけれどね.最後の一撃を下したのは,あの担任のセンセイだよ.その上,本人が楽しみにしている中学校への入学についても足を引っ張るって法はないじゃないのよ.けっこう感情的になったワタシは「もお,あのセンセイは要りません.直接中学校に連絡します.」と言い捨てて電話を切ってしまいました.昨日でしたなんて言われなくてまだよかったけれど,先月の成人式のときには卒業アルバム用の写真を撮りに行く期限だと電話をしてきて,インフルエンザで熱のある次男を写真館に連れて行くことになり,そこの婆さんに目一杯あてこすりを言われたし(写真館のご主人はその分愛想が良かったけど),二度とあのセンセイには会いたくありませんよ.今後はドリルもプリントも郵送だわ.卒業式も行かないもんね. その後,中学校に電話して事情を説明し,必要な書類は長男に渡してもらうようにお願いしました(ずっとPTAや町内会の役員をやっているので,同じ町内にある中学校の先生方とは顔なじみでお願いしやすくてヨカッタ.). それにしても,県下一と評判の小学校の優秀なセンセイというのがこういうレベルなんじゃあ,やりきれませんね.教育者の優劣の基準って,なんなんだろう?不登校児を何人出そうが,勤務評定には関係ないのかしらん? 祖父母も伯母もとっくに他界していますので,誰にも訊けず残念です.だけど,かれらの葬儀の際には教え子の弔問が数百人もあって,お寺の前の道路まで人があふれていたし,後日追悼会までしてもらっていたなあ.だれか一人でも,まだ生きていてくれたら,きっと助けてくれただろうになあ.49歳で急逝した伯母は,「よくできた子と,苦労させられた子は,いつまでも遊びに来てくれるわ.」と笑いながら語ってくれたものでした.次男は,まだそういうふうに敬愛せずにいられない先生に巡り会えていません.「中学校にはイイ先生ばかりだぜ.」と言っている長男の言葉が彼にもあてはまれば嬉しいのですが.
2003.02.06
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