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久しぶりの更新になりました。仕事の内容も変わり、スピードと丁寧さの両立がまだできてない日々ですが、感情の波は、また一つの大きな振幅の期間に入ったように思います。波が無い安定と高速に振動を続ける状態での安定は全く別物ですが、その運動にエネルギーを与え続けるための、自身の意識的な感情操作、意識の学びを続けることが、課題でもあります。最近、喜怒哀楽が少なくなっていました。穏やかな生活が、意識の死に至るプロセスになるということ、匂い、嗅覚は脳内の感情部位に近く、他の視覚などの感覚と異なり、直接脳に直結するといいます。強烈な匂いを嗅ぐことが最近多く、感情もそれによって高まってきたようにも思います。変な話ですが。コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。理不尽なこともなく、皆が幸せな社会というのが理想とすれば、現実は決してそのようなことはなく、至るところに格差は存在します。現実と理想の差異が生み出す葛藤や、努力などがダイナミックな社会を作っているとも思います。変化する社会においては、また皆が自立した意識を持っていたとしても、格差が生まれるのは必然なのでしょうか。】ほほ、人の意識にある頂、それを目指し人は進むよの、頂を越えれば、意識は老化し、前に進むことは出来なくなるのじゃ。仕事の引き時、人生の幕時、そのようなものが本当にあろうか。決めておるのは、己に頂があるという意識そのものということじゃ。加齢とともに、年代は交代し、社会も文明も一新されていくよの、その都度、理想とする社会は変わっていくのじゃ。頂など、どこにも無かったという証じゃ。積み重ねで社会が成り立つのではない、切捨てで成り立つのじゃ。過ちであったと、民意が認め、新たな枠組みができる、頂とは、それまでの社会の価値、それをいつまでも持つものは、いつしか頂が消え、幻を追い続ける生き様となるということよの。人が社会と同期を持つが故に、意識も心も活力を得るのじゃ。社会は生き物よの、だがそのまま生きれば意識が成長するとは限らぬ、人と同じ、様々な経験、葛藤などの思い、社会にもそれが必要じゃ。社会の意識の死、その時が文明の死じゃ、切捨てを忘れ、その社会を守る、理想の社会を守る、それが死ということじゃ。理想と現実の差には、まだ捨てる意識がそこにあると示すものじゃ。価値を捨てれば社会の格差も換わる、その時に人の意識も捨てるのであれば、人の意識も社会の意識も死ぬことはなかろう。山の頂を目指し登りきれば、回りに見えるのは、自身の住む景色じゃ。だが頂に住むことはできぬ、また山を降り、その場所で過ごすのじゃ。目の前にいつでも山という頂があろうと、過ごすのは地なのじゃ。二度目に上れば景色も変わろう、天と地の間にあるのが人じゃ。その間を人が往復する都度、天と地は違う景色を見せる、往復をやめたとき、意識が見る景色も色あせるということよの。【ありがとうございます】
2010年06月06日