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いつもありがとうございます。スサノウノミコト【人によって過ごす環境は違います。出会う人によって進む道も変わります。出会う相手の人間性は、自身の波長に沿う環境として現れる事象とすれば、人間関係は自身の波長から作り出される環境でしょう。波長を素質、資質と言うのであれば、波長の共鳴によって、同じような才能の人たちが集まったり、友人たちも趣味嗜好だけではなく、魂としての同類が集うようなものなのかもしれません。自身の隠れた人間性が相手に現れ、本人の資質と感じていても、自分がいなくなれば、相手の精神的な癖も消えていく、極端ですが。周囲は鏡と言いますが、魂が波動として共鳴している状態を観察しているだけのような気もします。】人から言葉が発せられれば、その者の意思が通じるであろう。文字も言葉もその者の人柄である。心の窓なのだ。美辞美麗な言葉を並べたとて、直ぐに心を見透かされるものだ。文字、言葉、絵、全て窓であり、その者の心が見えるのだ。隠そうとしても隠しきれるものではない、嘘は通じぬとなろう。人は時に、真実を語り、また偽りを語るものだ。言葉には心がこもり、魂の匂いが漂うもの。嘘の言葉であっても、臭いは消せぬ。不快な臭いに人は敏感なものだ、遠くからでも、それと直ぐにわかるのだ。共に過ごすものとの相性とは、魂の相性でもある。もとより魂を否定するように感じれば、共に過ごすことは苦痛であろう。嘘が通じぬ魂の匂いは、その者の質に響くのだ。移り香のように魂の匂いも移るのだ。匂いの中に浸っておれば、やがて区別はつかぬようになる。己の魂を否定せぬように、その中より抜けだそうとも思わぬようにもなろう。相性を飛び越え、魂に匂いを移し、質が入れ替われば、もうその者ではない。響き過ぎれば、正しく感じることなく、移された魂に従うということだ。魂と一言でいうが、例を言えば時代そのものも魂の一部と言い換えられよう。故に、時代に沿って生きるもの、時代を飛び越え生きるものがおる。相性で言えば社会とて同じである。社会に馴染むもの、馴染まぬものがおる。この時代、この社会に生まれたことが必然ではないのだ。必然であれば、相性を受け入れるだけが道となろう。限られた世界に生まれたのではないのだ。飛び越えるとは限度はないのだ。時代に従わずとも生きられるということである。思いやりは癒やすというであろう、幾つも重なる波を調和させるのだ。相手を思う故のこと、互いに繋がり、言葉となり態度となるのだ。調和とは己のみで成されるのはなく、両者で成されるものだ。相手にとって不調を招くこともあろう、秩序が合わぬのだ。思いやりのつもりが、相手には無理矢理と感じれば不快であろう。社会に合わぬ、時代に合わぬと感じるのは不快でもあろう。不快の中に生きたくはないと思うのであれば、調和を目指すことだ。調和する故に、魂が消えると感じるのであれば、飛び越えるしかない。思いやる魂を持ったまま飛び越えることが、ただひとつの方法である。その魂がなければ、飛び越えた先に繋がることはできぬ。全てに絶望し諦めたとしても、魂の奥底にあるその思いを捨てぬ限り、魂も命も消えることはない。生き続けることができるのだ。理不尽に命が消えたとしても、時代を飛び越え再生するであろう。魂と命はそうして繋がっておるのだ。残り香とは、そこにその者がいた証である。魂の香りは、人の匂いそのものである。饐えた臭いは我らでなくとも遠ざけたい臭いであろう、周囲から人がいなくなるのだ。が好む者もおる、それも忘れぬことだ。【ありがとうございます】
2017年01月28日
いつもありがとうございます。雪ですね。北国の方達にとって冬に雪は当たり前かもしれませんが、私の住む地方ではあまりありません。当たり前とは言え、雪下ろしや交通など、大変かと思います。私など転ばないように歩くだけで大変ですが、慣れている方達もそうでない方達もどうぞお気をつけて。コノハナサクヤ姫【宜しくお願います。人には現実を創造する力が備わっていると思いますが、力の強弱というのはあるようで、うまく現実が回っていかない人も、またそのタイミングもあるようです。想念が空間に作用する時に波に乗ると言いますか、空間の持つ検閲機能をくぐり抜けないと現実化は無理のような気もします。皆のためになる貢献などは検閲は素通りできるようなことかもしれません。集合意識がある限り、その場の中で現実は動いていきますが、人の資質によって強く検閲される人と弱い、軽い人がいるようにも思えます。つまり現実を作っているのは一部の人たちであり、その他の人たちは利用しているだけで現実を創造しているわけではないのかもしれません。】ほほほ、朝昼晩の雰囲気というもの、季節、天候の雰囲気というもの、皆、現実として感覚を得ることができるであろう。想像すれば、雰囲気を感覚として再現できるのじゃ。事実、日の光を想像すれば、その温もりの中に居るような感覚となるであろう。心も身体も、区別はつけられぬ、雰囲気の同化は現実との同化ということよの。言うなれば、そなたたちの現実とは、真実という思い込みによりあると言えような。体感とは、心がある故にあること、心と体は繋がっておるというであろう。が、同化はそれ以上じゃ。心が現実として創造し続ける故、身体があるということよの。心がもう身体はいらぬと思えば、身体という現実は薄くなり消えていくであろう。同時に現実がいらぬということ、心も消えていくとなるのじゃ。身体と心が消えた後に残るもの、それが魂、真我というものよの。現実の空間に住むのは心と体、魂、真我はそこには住まぬとなる。夢の空間に住むのが魂じゃ、真我は更に奥にある空間に住む。が、真我からは全て重なり、同じ空間に住むと見えるのじゃ。真我からは空間に遮るものなく透明な水の底を見るようなものよの。真我が住む場所からは、現実が現れる様が手に取るように見えるものじゃ。心の動き、魂の動き、何故そう動くのか、全てお見通しじゃ。心が身体はもういらぬと申したが、真我がそれで良いと魂、心に伝える故に、心が現実を作らぬように動き始めるということよの。真我とは人の真実そのものじゃ。心と体という命さえ、守り切ることができるよう真我は見守り、魂という命の動力を動かし続けるのじゃ。現実の空間に住むこと、優先順位はあろうな。先に住んだもの勝ちというわけでは無論ないが、似たようななものじゃ。現実と同化し続けてきた者は、存在そのものが現実の空間じゃ。己の空間に見知らぬ他者は入れたくないであろう、同じことよの。その者にとって空間が真我に近い、真実の空間じゃ。同化しておらぬ者は、動力があったとしても動かし切れぬ。弾かれてしまうのがおちじゃ。同化すれば空間からは区別はつかぬ、優先順位も消えるのじゃ。経験も思考も繋がりを太くする過程よの。同化は繋がりではない、その位置に並ぶということじゃ。人として心が真我と並べば命と同化し、現実は命となろう。ほんのわずかでも見えぬ場所があれば、真我の目とは呼べぬ。人は命を創造できぬのじゃ。どのように現実に並ぶのか、心は知らぬとも魂は知るであろう。雰囲気を感じておる感覚を麻痺させぬことよの。心と魂を離してしまえば、真我からの声も聞こえぬようになる。真我は一つの出来事として扱うだけのこと、ただ見守るとはそういうことじゃ。微細で濃厚な雰囲気を感じることよの。得意であろう?【ありがとうございます】
2017年01月14日
いつもありがとうございます。今回の問答も話が良く見えませんが、話半分以下でお願いします。プレアデスA【陰陽のエネルギーを感じ、潜在意識と融合し物事が顕在化することを因縁と呼ぶようですが、そのプロセスは因果関係であり、潜在意識の空間は、現実を創造する空間と言えますね。時間を飛び越えてプロセスに干渉すれば歪みとして現れ、現実化を創造とすれば、因果を収束するように破壊として変移していくとなります。多くの予言が未来の崩壊を示唆していますが、プロセスに干渉した結果であれば、反動を反らさなければ回避はできません。もしくは現実化のエネルギーを少しずつ消してしまうのでしょうか。カウンタバランスのように、破壊も回避されていくようにも思えますが、結局、破壊させないためには、干渉し続けるしかないとなりますね。】想念のエネルギーが創造化に果たす役割はさておき、時間は点の状態から引き延ばされていくように経過していきますから、そのプロセスに干渉すれば、歪な形に成長するのは明らかなことです。言うなれば奇形の存在が現在の時空間の姿とも言えるのです。プロセスの維持は潜在意識の仕組みによります。仕組みはエネルギーを流し現実を造ります。意識のエネルギーは潜在意識の領域に還流し、再び現実に変換されます。潜在意識に無理矢理エネルギーを投入すれば、現実は歪な形になって出てきます。あなたたちの観測では宇宙は誕生から138億年とも言われているでしょう。それがシステムの範囲であり、循環が現れる空間なのです。最初の誕生の時に、既に干渉され、その空間にあなたたちは住むのです。プロセスへの干渉は法則が歪むため、物事は近似的にしか現れなくなります。揺らぎも許容される一方、精度は落ち、未来も可能性として存在するようになります。多様性を生み出しますが、法則も幾つも存在することを示唆しています。つまりプロセスに干渉し、新たに法則を作ることができるということです。宇宙は循環によって多くの宇宙人が存在するようになりました。人も転生のシステムがあるでしょう。エネルギーの循環によって宇宙人も誕生します。循環の時、時間は点から始まりますから、誕生は現在もあれば過去も未来もあります。バランスが偏り、時間軸に均一に誕生するのではなく、どこかに偏るようになります。未来に多数偏る場合もあるでしょう。過去も同じように可能性があります。宇宙空間の揺らぎによって誕生の容易さに差が現れます。意識、つまり宇宙人はその容易な時空間に集中して現れます。歪さは観測可能な138億年を超えても歪なままです。どのような空間に生まれても、歪さは解消されず、意識も歪なままとなります。循環のプロセスを逆流させれば、時間も点に戻りますが、エネルギーは残ります。宇宙は点から始まりましたが、意識は元々存在していたのです。人はその意識を引き継ぐ存在なのは言うまでもありません。その意識は素意識とでも呼べばいいでしょう。多くの意識の核に素意識があり、人が存在しています。素意識はパズルのようにピースが完成した一枚の絵のようなものです。やがてプロセスが逆流に転じる時、別の絵が完成する時、意識のピースが残れば、次の宇宙に転生することになります。逆流が始まる時、潜在意識の領域も縮小していきます。因果関係は維持できなくなり、潜在意識にエネルギーは還流しなくなります。空間のエネルギー、つまり現実はそうして消滅していくのです。時間軸に偏りはあるとしても、どうしても転生できない未来があることがわかった時、宇宙人たちは、現実はやがて消えることを理解しました。未来の歪はさらに引き延ばされ、意識としての秩序は消え、転生もなくなります。未来の宇宙人ほど、プロセスから来る反動は大きい、消える反動が大きいのです。逆流がやがて始まることを知り、その前に意識が消滅するのは避けようとしました。過去にも戻れない境界があります。システムの制約として存在するそれは、干渉させないために存在しています。設計には干渉できないということです。孵化したばかりの素意識に干渉した結果が、現在の宇宙と人の姿なのです。空間が壊れている宇宙では、整合性などどこにも担保できません。いつ逆流が始まっても不思議ではないのです。素意識を持つ人は、システム設計者と繋がります。設計者の意図がわかるでしょう、そう期待されているのです。【ありがとうございます】
2017年01月08日
いつもありがとうございます伊弉冉尊【宜しくお願いします。仕事にしろ人生にしろ奥行きも幅も広げていくには、何らかの挑戦が必要ですね。挑戦せずに暮らしていると、だんだん心は狭くなっていくような気もします。前に進みたいという気持ちは大切なのですが、状況、環境によっては意思が通じない場合もあるかもしれません。挑戦によって新しい物事を吸収できなければ、心も風化していくのでしょうね、経験、学びによって積み重ねた認識も削がれていくのかもしれません。風化の力は本質を露わにさせるものであり、その力があるからこそ、偽物は存在できないのですね。挑戦によって風化を止めるというより、本質に近づくという意味では風化と挑戦の力は似ているようにも思えます。】一度ならず二度、三度、幾度も繰り返すことは、根気がなければできないことでしょう。根気とは魂の気、命に替えてという言葉があるように、命を気に替えていくのです。動いているから命です。経験は動かない、命とは別のものになったのです。挑戦は経験を得るものではありません。命の引き替えに、動かないものを得るのでは割に合わないでしょう。物と物を交換するように、命を交換するのではないのです。経験は命の価値を決めるものではありません。命と対等なのは、動いているものだけなのです。生活、暮らし、人との関わり、挑戦も。全て動いているのです。動きと一緒に見えるのは、命の姿その形、光、色、本質が見えるのです。本質とは隠れているものではありません。表に出ようとするのです。隠しているものは、経験、認識、動かないものが覆い隠すのです。心も体も動かなければ、本質は沈奥深く沈み、やがて見えなくなります。根気とは動かし続ける様子です。命が見える故に、繰り返していくことができるのです。生き方、生き様とよくいうでしょう、それが命の姿です。いつか来る時、命そのものを持っていくことはできません。命が繰り返される時、音が再生されるように、姿、生き方が繰り返されます。挑戦するとは、幾度も繰り返し生き続けようとすること、故に、その度に新鮮なのです。繰り返し新鮮さを失うということ、経験が残っていくということなのです。現世は動くものと動かないもので成り立ちます。どちらも必要なのです。引き替えにできないと言うこと、いらないと言うことではありません。命を残す場所があり、経験を残す場所もあり、それぞれ住処が違うのです。同じ場所に住まわせようとすれば、どちらかが見えなくなるのです。住処が違えば、どちらも本物です。風化とは棲み分けを進めること、それ故に、あるべき場所になければ消えてゆくのです。あなたはどちらに住むのですか。住みたい方に住めば良いのです。姿がはっきり近くに見えた時、本物に近づいたということです。【ありがとうございます】
2017年01月07日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。一年の計は元旦にありと言います。何事も最初が肝心ということですね。年を新たにし、心はすがすがしくリセットされたような気持ちにもなります。年齢の所為もあるのでしょうけれど、一年が過ぎるのが早く感じるようになり、昨年もあったという間に過ぎてしまったように思います。今年も時間は加速していくような年なのでしょうね。】ほほほ、人生積み重ねというであろう。技も心も積み重なる程、高みも増すものじゃ。初めに置いた思いは、土台じゃ、故に最初が肝心というのじゃ。潰れる思いでは、重なりようもないよの。建物は、人が住み、また客が訪れる場所じゃ。多くの者たちが集う場所よの、重さに耐えきれぬのであれば、建物としては成り立たぬ。人ひとりとて同じことじゃ。己の思いは、重さに耐えきれるか考えてみればよい。時代が速くなるということ、大きな建物を造らぬ、小さな建物でよいということじゃ。若い時代は、己の夢も目的も大きいものであろう。差が大きいということじゃ。時間が早くなるということ、夢も小さくなったということじゃ。近くしか見えぬとなろうな。たくさん夢を見ることもなく、見たとてほんのわずかな望みだけじゃ。高望みも背伸びも、時に必要なのじゃ、身に余るとして多く者が望まぬようになれば、己自身も社会も大きく発展などせぬとなる。思いが強くある故、夢を見ることができるのじゃ。高く積み上げ建物を大きくするのは、夢そのものよの。夢による建物を造りあげる、それを創造というのじゃ。申しておくが年齢は無関係じゃ。誰でもどのような時でも夢を見ることはできよう。歳の所為にすれば、何も目の前には現れては来ぬ、ただ歳が過ぎていくだけじゃ。己の人生そのものが創造じゃ。夢が消えた時、創造も消え、人生も終わるのじゃ。この国は夢が消えた時代はなかったのじゃ。夢は暗い夜に見るように、明るい時代に夢は、そうそう見つからぬ。明るいとは無論、夢などで見ずともその明るさ故に見えるということよの。創造せずとも目の前にあるということじゃ。手を伸ばせば直ぐに届く。それが先に申した近いということじゃ。暗さが必要とは申さぬ。が、絶望の極みから夢が立ち上がるように、この先、明るい時代に暗さは際だって来よう。夢と絶望は一対よの。真の暗さを持つ者は、周囲が暗くとも明るくとも、影響は受けぬ。光により見えぬ故に目をこらすもの、考えるということじゃ。否が応でも歳を取る、そう感じた時より時は消える。過去と今をいったり来たりするのじゃ。夢はない故に未来には進めぬ。時という重さがなくなる故、軽く、速く進むのじゃ。申したように今からでも遅くはない。先は長いよの。この問答が、わらわとそなたの今年の最初の夢、初夢じゃ。【ありがとうございます】
2017年01月02日
天照大神殿【あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。】さて恒例、年賀のご挨拶、一言申し上げましょう。名は体を表すと申します。名とは、神々に縁ある者であれば、神々に名を挙げること。生まれたその日より魂は大切に名を通して見守られていくのです。生まれた命は、今年も多くの縁と繋がっていくことでしょう。生涯その縁は紡がれ、また時に編み直され、縁そのものが生き物の命のように編み込まれていくのです。名を呼ぶとは縁を呼び込むということ。縁は波のように動いているもの、点より縦横に広がる波のように命の基点としてある故に、体とされ、大切に扱われているのです。新しい名は、新たな現世の始まりです。その名が呼ばれる時、縁が始まり、次の時代が動き始めます。昨年迎えた人や物事の新たな名は、今年広がり、体の姿を目の当たりにします。今年の出来事は昨年の名付けが基点であったと気づくのです。どのような花を咲かせるのか、植えた種で決まります。基点にある名、縁。芽が出始め、今年は大きく成長する年となるでしょう。問答を始めた頃を覚えていますか。縁を続けるということ、命を育てるようなもの。名付けた思いは、育っていくもの。その姿こそ楽しみです。【ありがとうございます】
2017年01月01日
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