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縁があって、ご一家が60年暮らした家の後片付けを手伝った。ご両親のうち父親は10年前に他界、母親は施設に入居している。息子の顔もほとんどわからないそうだ。彼は結婚して二児を設けたが最近離婚、市内で働いている。妹さんは首都圏へ嫁入りして元のご一家は自然と解散した。「離散」では何か不幸があったみたいだし、「解散が一番ふさわしいかと・・・。
役目を終えた家は何度もの地震にも耐えなお健在だが、息子さんは一人暮らしの身には大きすぎるとのことで、マンションに引っ越したため、いよいよ解体することになったのだが、中を整理していると、4人が共同生活した跡にいると、目には見えない「なにか」を感じる。いろいろ想像してしまうのだ。人間には誕生と死亡とがあるが、家にもまったく同様に新築と解体がある。新築の時には華々しく周囲の関係者が集まっていろいろな行事がある。上棟式を迎え、建て主は集まった近所の人々に餅や現金を投げる風習もなつかしい。いまは人間横着になり、近所でこれをやったのを見たことはない。新築して引っ越すと親戚、近所の方々を読んでお披露目的行事がある。引き出物まで出て、まさに人生のイベントの一つだった。
60年間、家は人間4人を風雨から守り、犯罪者たちから守り、一家4人ケンカするときも喜び合うときもすべてこの家が基礎であったろう。学ぶのも遊ぶのもすべてここが起点だったのだ。
柳田国男によれば、家は家族を作り、人の個数の増加に大いに貢献したとされる。従来は自然の地形を見つけてヒトはそこに住み着き、火を焚き、小川を見つけてはそこで水を汲んで煮炊きして生活した。食料を求めて移動、居住を繰り返し、獣の襲撃や事故で個体数は増加しなかったが、やがて集団を作ってその中に優秀なものがいて、知恵を出してそれを広めていった。共通の言葉を話して意思の疎通を図り、一つの集団となった。他の部族との衝突もあり、武器が考えられ、それによって幾多の集団が滅んでは生まれ、ヒトは食料を求めて移動した。家を建てるという文化はずっと後のことで、食料が栽培や家畜で生産されるようになってからだ。ヒトは定住民と移動民に大まかに別れ、前者は精密な家屋と田畑を計画し、道路も作り、水も小川だけでなく、井戸を掘って集落ができた。火は各家庭にいろりとなって、一家だんらんの場所となったのだろう。定住民は移動民によって侵略されるのが世界史の定番で、定住民は防御のための砦や要塞を作り、移動民は馬を思い通りに走らせる馬具、また騎乗姿勢で放つ弓の発明など、矛盾をくりかえしてきたのだ。家はしだいに集落となって集団で防御する城郭都市となり、ここでの生活は組織、連絡協議としての行政、政治機関ができたのだろう。
閑話休題 おばあちゃんの自慢のタネだった着物ダンス、娘さんのコレクションだったろう人形棚や机の上を飾ったであろう日光での記念写真を見た瞬間、レプリカントが最後に言った言葉、「やがてそれも消える」が頭の中でジンジンなった。
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