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ビッグモーターのでたらめ経営、ブラック企業の体質があからさまになったが、同時に損保会社とのなれ合いも表面化したこの頃、別な疑問もわいてきた。街路樹ってほんとに必要なのか?ということだ。そりゃないよりはあったほうがいいということもあるだろうが、まず欠点を上げると1.定期定な伐採が必要なので費用もかかるし、作業中は交通規制がかかるから危険が増す。2.道路上の看板や標識が見えづらく、これを探すのに視線がさまよって危ない目に合う。3.目的の施設への入出時の左右確認がしづらい。4.害虫や害鳥の温床になっている。反面いいところは恐らく官製で、視線を誘導するとか、街に潤いをもたらすとか、火災時に延焼を防ぐとかいろいろある。しかし延焼を防ぐというよりは、消火活動の邪魔になっている例をしばしばみるし、歩行者ならまだしも、自動車運転者にとってはわたしは邪魔なものとしてしか捉えられないのではと思うのだ。街路樹も素晴らしい景観をもたらすところがあるが、これはTPOで考えることで、すべての道路に街路樹をっ手のは少し短絡、ショートカットではないだろうか。田舎道を考えてみれば、街路樹など一本もない。初めて通る道路などはどこを見て運転するかと言えば、恐らくセンターラインか路側帯だろう。街路樹って必ず必要とは限らないと思う。政府でどっかの大学に諮問してみるのも手ではないだろうか。これでかなりの予算が浮くと思うのだ。外国の歴史ある道路のマネをする必要はない。
2023.08.06
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NHKでレギュラーで放映している番組に飲酒しながら鉄道沿線をウォッチングして回る番組がある。酒飲みにはまさに最上の時間と思わせるような筋書きにあふれている。缶ビールを開けてぐびぐびやりながら、景色姿のいいところで降車、周囲の飲み屋、または酒蔵を訪ね歩くという内容で、あちこちの特徴ある地酒を紹介しているのだ。俗にいう「呑み鉄・・・・」というタイトルの番組で、まさに主人公は番組のあいだ中飲みっぱなしというやつである。日本以外にこんな番組を作れる国ってそうはないはずだ。中近東ではおおむねアルコールは禁止、外国人は特区で飲酒できるだけで、自国民から隔離されている。完全に酩酊を罪とする宗教も考え物であるが、わたしは日本という一応先進国と目されている国が、この飲酒習慣についてはまず野放しとなっていることに違和感、不快感を覚えること久しい。わたしは別に酔っ払いを憎むわけではないし、下戸でもない。しかし酔っぱらって他人に迷惑を掛けたり、日頃は虫も殺さない人格なのに、酩酊して狼藉をはたらく酔っ払いを日常で見てきた。酩酊は呑み屋、家庭の中だけにしてもらい、全体的に風紀的取り締まりも強化してもらいたいものだ。常軌を外した酔っ払いが多すぎるのだ。
2023.08.06
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なのでまだ早いですが、わたしが禁煙に成功したコツというか、その一部始終をご紹介します。わたしの数少ない成功体験をご紹介してこれからしてみようかという方々のご参考にという感じであくまで軽く行きたいと思います。禁煙前は20本入りメンソールタバコを一日平均50~60本吸っていたわたし、帰宅するときには必ずポケットに手つかずのタバコが二箱はないと何か落ち着かなく、近所のタバコ屋の叔母さんとは顔なじみ(そのうち自販機に代わったが)になり、サービス景品をいろいろもらったりしました。例に寄って喫煙者の常で、車のガラスはやにでベタベタ、においは染みつき灰皿は満タンです。あの頃はガソリンスタンドも灰皿掃除はルーチンでした。職場では今では考えられませんが、デスクの上にそれぞれ灰皿があり、女の子が掃除するのが役目、いまでは考えられませんね。それがだんだん外で吸うようになり、誘い合って喫煙する習慣になり、時は経ってとうとう敷地内禁煙と宣言するようになりましたね。時代の変化は恐ろしいものです。価値観の変化はゆっくりとですが、確実に動いているんですね。それでもこんな風潮の中で一社だけ確実に職場で堂々と吸える会社がありました。それは日本たばこです。仕事で打ち合わせに行きますと、玄関、階段の踊り場、しまいには廊下まで灰皿があり、当然ながら事務室内も懐かしい風景で,各々が灰皿を持ち、空気はかすみ、巨大な空気清浄機が唸っていました。事務員さんたちは例外なくマスクをかけて頭にスカーフを巻いている人もいたぐらいです。一見中金h等の人かと見間違うばかりの風景にビックリした覚えがあります。会議室では皆さんマイ灰皿でしょうか、専用の灰皿と資料を抱えてきますし、目の前には接待用の立派なケースに入ったタバコがあり、それを勧められます。そのころはわたしも喫煙者でしたから喜んでいただきました。閑話休題退職と同時に、車や室内が汚れるのは不愉快だし、そのころの値段が220円/箱だから一日660円の節約です。一か月二万円弱の節約になりますから、当然定職がなくなった身としては実行すべきだと思ったんです。ここで人により禁煙の仕方は分かれますが、わたしの場合は誰にも言わずひっそりと実行したということです。よく周囲に宣言して禁煙に失敗する人を見た反動かもしれません。ステルス禁煙はしかも短期勝負に限ります。よく一か月ぐらいかけて毎日一本ずつ減らすという計画、あれはただみみっちいだけなので性格に合いません。わたしの場合、たった一日でやめてしまいました。そのかわりポケットには一箱のタバコとライターを入れておいたのです。これだといつでも喫煙を再開できるという安心感がありました。そしてその日は夜飲み会がありました。周囲は例に寄って喫煙者だらけ、わたしもまた火を付けないたばこをくわえたまま参加していました。人と話すことで禁煙の苦しみを忘れられるかなと思ったのです。もちろん禁煙したことはお首にもだしません。言えば必ず横やりが入るのは目に見えていたからです。また家族をお持ちの方ならあり得ますが、喫煙者がいるとうまく行きません。こっそり禁煙するというのはつらいでしょう。もし自分だけなら無限実行するだけなので簡単です。たとえ家族だろうが言わないほうがいいと思います。変に誤解されたりするとやる気を失ってしまうからです。さて飲み会が終わって適当に酔っぱらい、騒いで帰宅するとそのまま寝てしまい、次の日目覚めると前の日煙草を一本も吸わないで済んだことに驚きました。なお同時に満足感というか達成感が再び吸いたいという欲望を打ち消してしまったようで、そんなに吸いたいと思いませんでした。これがコツかな。つまり禁煙最初の一日はわざと忙しくして、ヒトの渦に入り込んでしまい、ぐずぐず考えないことかと思います。行ったことのない観光地へ行くとか、好きな映画を見るとか、デパートに行くとかなんでもいいから人ごみに入ってしまうことかと・・・列車の客席に乗って車窓を眺めるのもいいのでは?誰もあなたが禁煙しているなんて思っちゃいないので至って気楽なものです。また心理的に自分なりに評価しますと次のようなことが成功した原因になっているかと思われます。まず遠大な希望を持たないこと。タバコを節約すれば一か月でいくら貯まるから何々を買おうとか、貯金をして、車を買って、なんて目標を一切持たないことです。なぜならいつでも禁煙なんて解除できるというお気楽根性が大切だと思うのです。よく禁煙すればいろいろな方面で利点があると言われます。しかしそんなものは自分が体験して初めてわかるもので、最初からそんな絵に描いた餅を期待して禁煙などしないほうがよろしい。それは禁煙して一年二年とたつうちにだんだんと自覚してくるものだと思います。禁煙したってすぐにがんになって死亡した人も知っていますし、最近人の吸うたばこの煙の薫りが魅力的で、また吸い始めようかなあなどおもったこともあるのです。タバコとおさらばして13年になりますが、やはりたばこの煙は魅力的なものがありますね。ときどき無性に吸いたくなる時があります。ただし今のタバコの値段を見たらとてもじゃないがぜいたく品で手を出しようもなくなっていました。もう少しこのまま禁煙を続けてみようというのがコツかと・・・・あと何年生きられるかわかりませんが今から喫煙再開したって大した健康害にはならんと思っています。そのぐらいのスタンスでいることが秘訣かな。
2023.04.11
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あまりにもボケたタイトルですが、正直に世間で言う「暴力」を考えてみた。わたしなりにである。夫婦間の暴力、他人への暴力、理由はともあれれっきとした犯罪となるのだが、最近はネットでの裏バイト募集がおこす強盗で誰でも暴力を行使して若者が簡単に暴力を振るう機会が多くなったのは衝撃的である。しかも友人や家族には手など上げたことがないという若者がである。「暴力」は昔から悪いこととされてきた。なぜかといえば自分の欲望をかなえるためにする力の物理的行使であり、国家間の戦争と同じ理屈なのだ。しかし暴力は映画でも漫画でも小説でも見られ、人間の本能的な当たり前の行為として描かれている。暴力がここでは正当な出来事として描かれているのがほとんどで、やむを得ない力の行使または相手の暴力に対する正当防衛ということが原則となる。わたしは小さいころから友人がちょっかいを出したりしてもケンカというものをしたことがなく、避けていたほうだった。いじめを受けたことはあったがその意味があまり理解できず、深刻に考えることができなかったためかあまり不愉快な思いをしたことがない方だったように思う。現在まで人に暴力を振るったことはないし、世間でよく報道される夫婦間の暴力やケンカなどは経験がない。暴力は性に合わないのだろう。というよりも暴力を振るえばあとで仕返しが来るだろうし、なによりもその人に恨まれるのが嫌だったし、また女性だったら自分を嫌いになってしまうだろう。これを恐れたのだ。それでも相変わらず暴力はスクリーンやコミックで正々堂々描かれている。暴力礼賛のネタがたくさん世の中にあふれている。この矛盾はどうしたもんだろうか。法学のまず最初に謳われるのは、なぜ犯罪に対して刑罰があるのか?という理由は、個人それぞれが暴力に対して対抗手段をとるということは、個人によりバラバラな対応で、これを勝手にやっていたら収拾がつかなくなる。ある人は機関銃を持ち歩き、ある人はそっちが機関銃を持っているならこっちはバズーカ砲だなど漫画の世界になってしまう。米国などはこれに近いのだろう。アクション映画はだいたいこのあたりの掣肘合戦になっている。国が警察力を使って国民が平和に社会生活を送れるようにするのが基本で、個人の武装は国によって違うが、もし個人にいわれのない攻撃が加えられた場合は法律で国がそれを処罰することになる。我が国などは武器の所有は認められていないので、世界一治安が安全な国として知られている。お上にすべてお任せである。閑話休題、つまり暴力とはいったい何なのか、それを訴えたくて拙文を表したが大した答えにはなっていないな。
2023.04.10
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わたしは日頃着信するメールがわずらわしくて、ろくに中身を確認せず次々と抹消してしまうのだが、中には怪しいメールがある。大手通販業者を装って「注文したこともないスマホの最高機種が不在のため持ち帰ったので次の電話番号に連絡してくれ」と言う内容がいちばん多い。ためしに一度だけ電話してみた。そしたら明らかに東南アジア系のアクセントで話す男が出た。そこでこっちも日本人でないふりをし、「あなたの言っていることはわからない」と応酬して電話を切った。そんななかで、知人がフィッシングにあったらしい。23日に着信した宅配業者からの会員再照会の内容に、不用意にもID,パスワードを入れてしまったらしい。そしたら即日送られてくる支払い一覧に行ったこともない観光地で買い物したという明細があり、金額は八万余、さっそく携帯電話会社に被害の内容とID、パスワードの変更をお願いした。その際にわたしもわきに控えてモニターしていたのでこの会社の対応がリアルにわかった。時間は窓口閉店時間ギリギリの八時前だったが、まず落ち着いた声の男性が対応し、丁寧に筋道を通してわかりやすく教えてくれた。警察への被害届の出し方もこれまた手を取り足を取りであった。時間にして約40分、閉店時間を過ぎているにもかかわらず、携帯販売会社の対応によくある「鼻でくくったような」対応とは大違いである。続いて係が変わり、今度は被害の実態を聴取する話になる。今度は女性で、関西訛りだが明快な発音でいろいろ聞いてくる。犯人は常習犯らしく、釣り上げた魚は一度だけ少額で取引、深追いはしないらしい。しかもサーバーはアメリカ経由で観光地の通販を通じて物品を購入し、メルカリあたりで裁くらしい。ここまですぐにわかるのだから大したものだと恐れ入った。われわれの日常のネットでの動きなど手に取るように彼らにはわかってしまうのだろうと逆に怖くなった。それにしても被害者がある程度のスマホとパソコンの知識があったから会話も両者合わせて一時間以上のやり取りをすますことができたが、これがごくフツーのオジサンオバサンの類だったらこうはいかなかったろう。夜九時ごろまでの時間、仕事とはいえ丁寧な応対は心底ストレスがたまるだろう。二交代制なのだろうが、このような仕事をする人たちに支えられて携帯電話屋は成り立っているのだなあと感じた。縁の下の力持ちとはよく言ったものだ。まさにネットの世界は魑魅魍魎、不法地帯です。不明な物には触らない、これが鉄則で、そのまま削除しましょう
2022.11.03
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Z世代とかX世代なんてアルファベットを憶えるのは若いころだけにして、新世代と言ってしまう。就職したばかり、社会人新進気鋭の世代を指すことにする。変わったと思うのは、彼らはイメージでまず入る。形からと言ってもいいだろう。そのためには見た目カッコよくなければいけない。時々乗る電車の車掌さんと運転手のペア、アタッシェケース(というのか書類カバン)を引っ提げて男女ペアで乗り込んでくるが、その制服のかっこいいことは昔の国鉄の油臭いイメージはない。ローカル線でもアナウンスが中央の録音で流れるし、ネイチャーの車掌さんのアナウンスでも流れるのでかなりしつこい。常連客にはしつこいかも。わたしは電車通勤をとぎれとぎれにしかやった経験がないので、定期で通勤することにあこがれていた。駅員がパンチャを入れないで済む目視通過と言うやつである。今は外見では定期か単発かわからないからつまらないのだ。よく空港で見かけるパイロットとスチュワーデス(いまはCA)がトレーラー付のトランク押してさっそうと歩くのがかっこよかったがあのイメージを電車にも流用したのだろう。形で入るとは服装、装備でそれらしくなることで、昔は3K(かっこわるいきたないきけん)と呼ばれた建設業も、装備が発達してきたため、三点式のハーネス、ドイツ軍のようなヘルメット、腰に手りゅう弾ならぬ工具類をジャラジャラさせて足場上を動いている。親父を見直したなんて話もあるかっこよさ、昔は「俺たちゐなきゃ橋も道路もできゃしねえ」何て開き直って焼酎煽るイメージだったが、いまは後継者不足もあり、後進を育てるのに業界も必死で,まして見て覚えろなんてのはもう落第である。鳶の昼休みと言えば、あかたんあおたんの世界だったが、いまは他人との接触は仕事中だけでひたすらマイカーの中でお昼寝と言う健康志向である。悪い意味での職人が減り、だいぶ建設業もソフティケィテッドされてきたようだ。我々は職業を最も高い位置に置き、家族を喰わせる手段としてストイックに捉えていたが、今の世代はその区別は薄く、両方とも切っても切れない両立するものとして受け入れているのだろう。昔のような悲壮感は余りなく、世の中転職をもたやすくできる風潮に代わった。子育ても仕事も同列で、イクメン休暇などは役所が先導してやっている。労働者にとってはまことに働きやすい職場になったものだ。残業などは上からの命令がなければやらないし、ましてサービス残業などはお断り、と彼らの額には書いてある。上司がスパルタ教育をしようものなら、その上の上司に訴えてやめさせることもできるし、またその件数は増えている。でもわたしなどは心配する。これで日本は大丈夫か、GNPは下がらないのかというより世界的な位置づけは下がらないのか?中国やキタチョーセンあたりの圧力に負けないだけの軍事力と米国の勝手押し付けを跳ね返すだけのパワーを政治家は持ち得るのか?自分だけが良ければいいのだという考えももちろんある。しかし先進国で暮らす幸せな人間は毎年微減して今や20%を切っているそうだ。残り80%の人間は到底今の日本人には受けいれがたいレベルの暮らしを送っている。いまのレベルを落としてもいいのだという人は皆無だと思う。それでいてなおかつ荒唐無稽な公約を堂々と発表して平気な政治家もいるのだ。また新世代人間の均一化というかマニュアル化には辟易するときがある。まずオペレーターと言う人種だが、言葉遣いは慇懃ながら無礼千万、最後に必ず「最後にご質問は?」とくるので、聞きたいことがなくなったから会話終了だよと言う。決まりきったことが不自然に途切れるのだ。なぜあんな取ってつけたような定番のフレーズが出てくるのだろう。また飲食店などでも全く同じフレーズが違う店の店員から飛び出すのには呆れるを通り越して笑ってしまうときがある。マニュアルしか覚えていないのだから、こっちが少しでも外れた応答をすると困惑するのもこの世代の特徴だ。「お名前を頂戴できますか」にはわたしの「名前くれたらなくなっちまうからいやだよ」と冗談100%のレスポンスも彼らは小パニックを起こしてしまうのだ。せっかくの冗談を理解する余裕もないのだろう。それはそうと、この冗談は意外と使える。銀行窓口、カードの問い合わせ、店舗や役場での各種申し込みなどだが、客の名前を聞くときのセリフに使えるのだ。黙り込んでしまう人とおおらかに笑ってくれる人がいる。当然後者の方が望ましいと思う。マニュアル化の目的は当然ながら客応対、品質管理の均質化だろう。しかし人によって大きな違いがある。棒読みそのものの無味乾燥の人も、マニュアルとは思えない自然な応対の人もいる。こんな風潮の中だが、たまには目の覚めるような接客をするスーパーもある。バックヤードの扉があくや否や「いらっしゃいませ」の連呼をする店員がいる。すると他の店員さんもつられるのか「いらっしゃいませ」を言うようになるのだ。なかなか考えているものだ。本来なら客応対能力がスバ抜けた人ばかりならマニュアルなどいらないのだ。いつの日も基本は「いらっっしゃいませ」です。
2022.10.17
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国内鉄道が敷設されて150年経ったのだそうです。これを記念して畑違いの評論家たちが盛んにマスコミを通じてどうでもいいようなコメントを発表している。脳科学者や医者がアマチュアリズム丸出しで楽しそうにしゃべるのもまた勉強になることがある。その中で、あるジュンキョージュが、もし新橋~横浜間の鉄道が敷かれるのがもっと遅く、緩やかに国内の産業が成長していたらどうだったか?というIFを呈していた。だれもこの事を受けて話したものはいなかったが、本人は大まじめで、鉄道が日本を後進国から脱却させるきっかけの一つになったわけで、そのために日清戦争、日露戦争に続き、大陸に進出して大東亜戦争と太平洋戦争で破滅を招いたという解釈で、富国強兵が成り立っていなかった日本がどんな道を歩いたか見てみたいとの主旨だった。わたしは大いに刺激を受けて彼の発想とは真逆の「もし日本が明治維新をやり遂げず、徳川幕府のままだったら・・・」を空想してみた。Gさんここに夢想極まれりという歴史ネタですが、お付き合いください。題してIF年表です。これはだいぶ前にFACEBOOKに投稿したが、どなたにも反応していただけなかったものです。性懲りもなくまた持ち出してみました。少々長くなるので一枚ごとに解説をします。すべては孝明天皇が暗殺から逃れて存命だったというところから始まります。1863年暗殺未遂事件の犯人逮捕を命じられた会津藩はただちに三条実美ら7公卿を逮捕して死刑に処します。これをきっかけにして孝明天皇の会津藩に対する信頼は不動のものとなり、以後藩主松平容保は天皇の懐刀と呼ばれるほどの権威を持ちます。翌年(1864年)会津、薩摩の連合軍は錦旗を擁して長州に進攻、これを直轄領とします。不穏分子とされていた坂本龍馬は新選組(会津藩の諜報専門部隊)に暗殺されます。1865年)孝明天皇の命により、一斉に廃藩置県が行われ、新選組が仕組んだ罠によって旧薩摩藩、佐賀藩の藩主、家臣たちは逮捕され、武器隠匿、抗命の罪で逮捕されます。両藩は特別地域として会津藩の管理地となります。その後、孝明天皇は会津藩兵の護衛で会津に入り、会津遷都とともに鎖国政策を正式に廃止、英国、フランスとまず国交を結びます。陸海軍の創設とともに将校の養成学校を作り、英仏から講師を招聘します。旧藩校は大学に昇格し、いまの国立大の基礎となります。同時に年号は廃止され、西暦を使うことが決まります。初代総理大臣に選ばれた松平容保は、長い鎖国政策の非を改善しようと、薩長土肥から人材を集め、対外政策にあたります。国内のインフラは外国に派遣した留学生、招聘した講師などによって農業、土木、建築などの基礎がまず整備され、行政は7つの区に分けられます。政治の基礎である国会中枢は江戸に置かれ、実質的な首都になります。対外的に日本が積極的になった最初の件は英国の香港租借に倣った朝鮮半島の釜山の租借であります。続いて太平洋のハワイとの友好条約、英国を最恵国待遇として祭り上げ、仏、露、米、独などをけん制して日本は経済的にも軍事的にも文字通り「富国強兵」の道を歩みます(汗)
2022.10.12
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奇跡的に好天が続き身も心も快調、庭の金木精も濃い芳香を放ち続け、窓を開いて一身にそれを浴びる毎日、まことに天の恵みと言える期間です。人間やはり天気と精神状態の関係はアリなんでしょうね。何をやってもうまく行く感じがしてプチ行動を積極的に行う毎日ですが、この天気も明日までとか・・・いままでもこんな時期は何回もあったのだろうが、たぶんですがそれを自分が感じ取れなかったのだろうと思います。当たり前にまた来年同じ季節、同じ日々がやってくるというのは生きている限り、健康である限りほぼ間違いなくやってきますが、年を経ればその確率は下がってくるのは自明の理と言えるでしょう。それを心のどこかで感じ取っていて、この時期をありがたいものとして受け止めることができるのでしょう。その考えの変化こそGさん臭くなってきているのだろうなと思います。別に不愉快なことではなく、逆に新しい体験なので新鮮な感覚として受け止めています。また週に1,2度電車に乗ってみる。小一時間ほどの乗車で何をするかと言えば、視界に入る風景はもちろんだが、人のウォッチングですね。これも度を過ぎると犯罪ですが(笑)マスクで顔半分覆われていて、目だけが出ている状態ですが、この異常さが想像を生むのです。きれいな目をしていらっしゃるのでさぞかしマスク外せばきれいな人なんだろうなとか、いや確率の問題でそうそうきれいな人に遭遇するはずはないと思ったり、そんな無責任想像が楽しくて仕方ないのもGさん臭いのかも(笑)その他、自分ではなりたくないと思ってもなってしまうGさん臭さはいろいろあります。思い当たるだけでも、孫の七五三に招かれて心躍らせたり、誕生日が近づくと何をプレゼントしようかとか心ときめく第二の青春、まあこれが人生の後半の楽しみなんでしょうね。しかしやたらと説教臭くなるのもGさんの特徴、まあ嫌われない程度にしておこうと思いますがなかなかね、むずかしいです。また物事にまず批判的になるってのもこれはわたしだけの特徴かもしれませんが、気を付けたいと思ってはいます。またあの狂気じみた冬が来る前に心の準備をしておきたいと思います。ついでに言ってしまうと、冬が嫌いになるのもGさんの特徴ではないでしょうか。まず着ぶくれる、余計な暖房が必要なので手間かかる、布団は重くなるし、動作は鈍くなる、いいことはないですね。冬の試練があるからこそ夏の解放感、秋の花々の芳香、春の甘い弛緩があるのでしょうね。若いころは未来を遠いものに感じていましたが、Gさんはすぐ明日が未来だと思うようになります。この時間短縮も特徴の一つでしょうね。
2022.10.03
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最近のテレビの映像を見ていると、つくづく我が国はまだまだ捨てたものではないと思う。ロシアの徴兵騒動や中国の民族弾圧など、政府が国民を制圧する様が報道されるからだ。批判的なブログなど書いたらまっさきに政府批判のかどで逮捕されているのではないか。安部晋三の国葬反対にしても当日まで数千人が国会を取り巻いたり、自由に報道機関がアンケートなど取って政府の支持率何%などと発表できる社会は、悪いものではない。民主主義とは直接関係ないが、警察官はあくまで敬語を使い、協力していただきたいという態度を崩さず、どこかの国のようにちょっと反抗的な態度を見せただけで拳銃を振り回すことはまずない。住民投票も武装兵士立会いの下で自宅まで押しかけて投票させる国もある。言うことを訊かない民族は再教育して洗脳し、科学の発展は国家の発展とばかり、人体実験を繰り返して自動運転などの分野は最先端を走っている。何人の犠牲者が出ようが、外部には一切発表されず闇に葬られる。議会などはあってなきがごとし、議論は時間の無駄というわけだ。すべて国家が進路を決定して国民はそれに従えばよいのだ。そうして得た技術で最新式の兵器を作り、周辺諸国を威嚇して平和を乱すという、民主主義国家から見たらまさに悪の帝国である。考えることや議論することをやめてしまった国民は幸せと言えるのだろうか?浅草や富良野あたりで見かける外国人の仕草が何となくバカっぽく感じるのはわたしの先入観だけのせいではないだろう。このあいだ、コロナ禍から立ち直る経済の速度が国ごとに視覚化されたグラフがあったが、圧倒的に中国がダントツ、米や欧州、日本などのいわゆる民主主義国家はずっと遅れを取っている。理由は単純明快で、総員右に倣え式の国と、総員勝手な考えの国民をまとめなければならない国の違いだろう。俗に前者を共産党の国、後者を民主主義の国と便宜上読んでいる。なぜなら、国名に○○民主主義人民共和国なんて意味不明の名前を付けて平気な国もあるからだ。さあどっちの国民が幸せか?夫婦の浮気のように、知らないほうが幸せだと思う人は赤を押してください。何気なく毎日見ているテレビが、いきなり真っ黒な画面になったり、町会長が町民の家族調査を事細かに調べ上げて市役所に報告するなんてこともやる、いつの間にか告げ口されていて、ある日突然武装警察が家に踏み込んできて逮捕されることもあるかもしれない。そのために町内会長には町民からちょくちょくつけ届けや密告が届くらしい。すべては国家のために協力する義務が国民にはあるからだ。民主主義も似たようなところはあるが、文章には謳っていない。憲法として国民は国の上にあるもので、国は信託されているという難しい考え方からなっている。共産主義や全体主義(国家主義とも呼び、共産主義とは正反対だがほとんどの部分でやっていることは同じである)の社会では、ごく普通の当たり前の人間が小さな権力を持ち、専制者となりうる。町内会長あたりがいきなり死刑執行人になったり裁判官になったりするのだから始末が悪い。隣人や家族と打ち解けて話もできず、日本ではありふれた家族、社会が成り立たないのだ。ただ、知らぬが仏という考え方もある。自由な社会生活を知らないで、すべて国家に右倣え式が染みついている国民ならばそれでもいいのかもしれない。民主主義の自由な暮らしをしてしまった人は共産主義の暮らしには適応しそうもないが、その逆はいかがだろうか。
2022.10.01
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の代表としては、犬が挙げられる。狼を飼いならしてハンティングに、警備に使い、これほど人間に取り入って永らえている種はいないだろう馬もまたその意味で人に取り入ったというよりは人がうまく使いこなして今に至ると言ったほうがいいだろう。輸送や交通、また軍事にと使われ、その歴史は長い。猫は取り入ったというよりも人が逆に取り入ったのかもしれない。何の役にも立たないが(ネズミ除けぐらいにはなる)それらとは別に、人間を糧に生きてきた動物はたくさんいる。昔は山中に住んでいたのにいまや都会に進出し、わがもの顔でわたしたちのすぐそばを生活圏としている代表的な動物は、カラスだと思う。朝から晩まで人家のすぐ近くでカアカアと鳴き叫び、日常生活をここで送っている。最も身近に毎日目撃する動物は個数にしても最も多いのがカラスだ。(わたしの街では)場合によっては人間を目撃するよりも多いかもしれない。そして彼らはなわばり意識を持っており、街路樹に巣を作ると途端に攻撃的になり、人間様を襲うのである。またいったん巣を作るとその巣は壊されない限り代々使われるらしい。近くの杉に作られた巣はもう十年以上になるが、相変わらず住み着いている。カラスに限らないが、彼らが低空を飛ぶときの動作は極めて優雅で、まるで空気力学の賜物のような詳細な設計された羽を持っているようである。鳥は空中を飛ぶときに振ることで揚力と推進力両方を翼から得るが、その構造はとても人間には真似できなかったのである。いまだに人間は浮揚するのに推力を使い、翼を使っている。今のコロナ禍も新しい生命(ではないと言うが)との遭遇で,ヒトはエライ目に合っている。人類最大の敵ともいえるこの株は、ホントは宇宙からでも来たのではないか?それとも驕る人間への天罰なのか?だんだん怪しくなってきました(笑)
2022.09.28
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黒船に乗船許可された日本人が見て一番びっくりしたのは、米海軍の制服についたボタンとベルトだったそうな。逆に、下田のお寺に入った米国人が最もビックリしたのは引き戸だったそうだ。鴨居と敷居のあいだを音もなく滑る障子に一同精密な木工技術に驚嘆したそうである。手漕ぎボートにも大きな違いがあり、米艦のはよく公園で見かけるオール式、日本のは櫓で操る式で、幅も狭く、乗員は一列になって乗った。この乗り物に乗って乗艦した日本人の衣服が全く濡れていないことに気づいた水兵がいて上官に報告、さらに彼はペリーに報告、提督は日本人が中国人とは違うものを感じたという。(大江志乃夫:ペリー艦隊大航海記)また動物の世界だが、ボルネオ島に住むオランウータンの群を調査していた学者が、川の流域の両岸で全く違うオランウータンの習性を発見した。木の実の皮をむくとき、石ではぎとる集団と口と手で剥がす集団とに分かれ、この事は逆に互いの文化が川によって接触せずに全く異なる習性をもつようになったとの表れだろう。身近なところで、電車の中でたまに乗り合わせる異国人同士が話している会話がやたらうるさく感じる時がある。中国人やベトナム人だが、なぜだろうと考えた。まず服装のセンスが彼らはより原色に近く、組み合わせが色相環で言うお互い対面している補色同士を使っているのだ。また聞きなれた日本語のイントネーションではないので、これも耳に引っかかるというか神経に触る。別に彼らの会話が大きい声というわけではないのだ。ただ日頃聞きなれないからだけなのだろう。意味も分からないしいわば雑音と判定してしまうのだ。別に敵意はないがこんなことも外国人がバッシングされるきっかけになっているのかもしれない。不思議なことに、韓国語は文法も音節も似ているせいか、意味は別としてただの音として聴いているとそんなに日本語と変わりない。不思議なものである。英語は映画やテレビなどで良く聞くので、そんなに雑音とは感じない。異文化を感じるなら手っ取り早いのは浅草の大ちょうちんから浅草寺までの通りを歩くだけでよい。やたら甲高い中国系、訊きなれた英語、最も世界で話されているらしいスペイン語、近場では朝鮮半島系などが交錯して聞こえる。国同士でもっとも文化程度の違いを表しているのは色の名前の数だと言うのは柳田国男で、「明治大正史」によれば、明治時代には日本では色の種類は40色程度しかなかった。ほとんどが植物から採られた名前をそのまま引用、これは外国も同じだが、低緯度地方になるほど色は増えていく。植物や動物の種類が増え、様々な色が見られるからだそうだ。名前もそのままで、直接的なものが多い。色彩の文化はまさにその民族の最先端を表しているということで、しかも若い女性の服装はその中の先駆けだそうな。「ちかごろ変わったのは若い女の服の色」という認識が定着してきたのは最近のことである。
2022.09.25
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テレビや新聞で、「移住」をテーマにした番組や記事が取り上げられ始めた。これは政府の政策とも一致しているのだろうか、若者が子育てに適しているとか、仕事に適しているということで都会から田舎に移住するというのが骨子である。その理由のほとんどが都会の生活に疲れた、または仕事に疲れたということであるが、中にはリタイア組が第二の人生を求めて廃屋を改造して住み着くという例もある。番組やテレビは移住者の本音を引き出さず、まるでシャングリラにいるような環境だと褒め上げ、移住のすばらしさをアピールしているように見える。冷静にこれらの番組や記事を見れば、それがほとんどの人に当てはまるかと言えば、そうではないようだ。特にリタイア組が移住する場合、ある程度の資産(退職金)を持ち、地域にカネを持ってくるから歓迎される、また複雑な人間関係から逃れようとしてきたはずの田舎が、都会よりもとんでもない泥沼的近隣づきあいを強いられるといったケースは報道しない。ある番組では建築家が廃屋をリメイクして売りに出し、それを買いとるリタイア組が主に紹介される。田舎の人たちは素朴で、都会から来た人たちを歓迎し、時々小宴会が蘇った家で開かれていると言った形である。田舎暮らしも悪くないんだといった一種のCM番組に近い。しかし素直でないわたしにはとても受け入れられるものではない。若者の子育てに適しているというが、自然の中でのびのび育った子供は確かに性格もおおらかであろうが、では彼の将来はどうなるのだ?リタイアした人はやがて後期高齢者に達し、体も動かなくなるはずだ。何年リメイクされた住み心地のいい家に住めるのだろうか?4輪駆動のSUVだっていつまでも操縦できるとは思えない。医療施設だって満足なものがあればいいが、最後を迎えるにふさわしい環境であるとは思えない。確かに新鮮な野菜や果物は身近にあって近所の人たちが持ってきてくれるのだろうが、もらったら世の常としてお返しをしなければならないだろう。流通の原則は、いくら田舎にいても変えられるものではない。商品(地産品)の八割は都会に集積されるのだ。残ったものを地域で販売しているにすぎない。確かにエンゲル係数は下がるだろう。しかし交通費や医療費はどうなのだろうか。このあたりは推測するしかないが、ある程度のあきらめと割り切りが必要で、じっと我慢してどこにもいかずに夜明けの山の端から上る旭日や花や蝶を愛でるのに専念するしかないのだろうか?わたしはまっぴらごめんである。番組に出る人たちはこのような葛藤を乗り越えてきた人たちなのだろうが、そのあたりを取り上げることはないから、一種のギミックとしか思えないのだ。前も取り上げた身近なご夫婦だが、こちらをリアルな移住として取り上げてみる。ご主人は定年退職して好きなピアノを練習する毎日、腕も上がって奥さんともども悠々たるリタイア状態に入ったわけだが、突然東京に引っ越しますとのことである。理由は、友人知人はたくさん周りにいるが、これらの人たちに自分たちの老後を託するわけにはいかない、やはり子供たちのそばがいいとのことで、ご夫婦はいまマンションの買い替えを模索している。しかし前述した田舎への移住とは逆に、物価の高い都会へ移住するには、住居の住み替えは明らかに不利である。保険点数の係数が21%も高い地域ではその分の格差を受け入れなければ息子たちの近くというわけにはいかないのだ。そのあたりが悩みだという。しかし二人だけなら早い話、賃貸しのアパートだってこれまた割り切りで移住できるのではないだろうか。じっさいそうして暮らす人たちはたくさんいるらしい。老人の一人暮らしまたは夫婦暮らしは一戸建てよりはアパートの方がいいかもしれない。一人だと断られる可能性は高いが・・・いつになっても悩みは尽きないものです(笑)
2022.09.11
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に外国に行った人は少なくなっていると思う。学生のころ欧州の建築実物を見るツァーに参加し、有名なフランクフルトの尖塔を見たり、ローマの世界最古のコンクリート建築を見たりしたが、さっぱり憶えていないのだ(笑)ただ地震の少ないドイツだからこそ、ロケットの発射台のような四方から尖塔を支えるバッテラス方式だけはなるほどと思ったものだ。だから材料の強度ぎりぎりまで塔は高くなることができる。ガウディのサクラダファミリアもその一種だろう。さて、ホノルルで360円時代マクドナルドでハンバーガーを喰ったことがある。確か10弗ぐらいだったから3,600円、昭和55年のころの3600円てざっと物価指数がおよそ4.0としていまに換算すると1万4千円ぐらい?ずいぶん高い食い物だったんだなあ。それにまずかった。パンはパサパサ、ハンバーグはぼそぼそで大味、これがアメリカの本場ものかと思ったものだ。日銀が金利を上げないせいで円安だというが、これが続いたらどうなのだろうか。1弗360円のころに逆戻りだとすると、海外に出ていた製造業は国内に戻ってくるのだろうか。失業率は下がるのだろうが、賃金は上がるのだろうか。物価が上がるのは間違いなく、日銀の金利凍結政策はナンセンスなものになってしまうのではないか。経済ジャンルにはまったく門外漢であるが、日本人は生活の質をぐっと下げざるを得ないのではないだろうか。浪費をつつしみ、「もったいない」を復活させ、容器使いまわしや耐久消費財の課税も復活する可能性もある。外国人に頭を下げ、外貨獲得に必死になる時代が間もなく来るのだろうか。もう一度戦後に逆戻りだな。
2022.09.09
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英国の首相が交代し、数々の不祥事で首同然で首班を去るジョンソンさんがうまい演説をした。「私の役割は補助ロケットのようなもので、分離されてからは太平洋の片隅に着水して百姓をやる」この演説の陰には、太平洋のどこかから政権を見つめていて、事あらばまた首班指名に出るぞと言っている。このしぶとさ、言葉のセンスの良さ、とても日本人にはできない相談だ。総庶民意識の日本と違い、ジョンソンさんは名門出身、産まれから違うのである。生まれが違うということは尺度も考え方も違い、貴族が庶民をリードするという欧州独特の階層意識があるのだろう。岸田が数々の失態でやめたとしてもこのような演説は習慣としてしないのだ。「老兵は黙って去るのみ」の精神なのである。それはそうと、欧州はいま冬に向かっていずれも首班は苦悩している。ロシアの天然ガスが猛威を振るい、英国の新首相は一般家庭の光熱費が倍になるのを黙ってみているのか?あるいはロシアの狡猾な駆け引きに屈するのか?ドイツなどは光熱費が8万円を超える平均値になるそうだ。ロシアはとにかく10月いっぱいじっと耐えてウクライナ戦争を戦い抜けば、あとは自然に欧州は降伏するという読みがある。一般市民が一挙に上がる光熱費を黙っているはずがないという読みである。現に新首相のトラスさんに対する野党の要求は、ウクライナ援助を欧州の足並みにならって続けるならば、我が国の国民はどれだけ我慢しなければならないのか?とやんわり批判している。欧州諸国、とくに英独両国とも、ここ半年の国民をいかに納得させるかが彼らの演説にかかっていると言ってもいいと思う。誠実、ていねい、謙虚な態度がその言葉に表れるからだ。いかに日本の政治家が彼らに比べて不勉強または無能なのかわかるというものだ。ロシアの強力な武器天然ガス供給に欧州が屈したら、あとは日本とアメリカしか残っていないのだ。来年の春にはロシアが歴史始まって以来3度目の勝利を得ることになる。最初が対ナポレオン戦争、次が第二次大戦での対独勝利、三度目が今回の対ウクライナ、欧州連合戦争である。書いているうちにエリザベス女王がなくなったというニュース、こちらはまちがいなく国葬で行われるはずだ。運も実力のうちというが、岸田政権も安部の国葬の意義などはまた薄れてしまうだろう。また一段と批判が高まるはずだ。
2022.09.07
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は案外と多いわたしの場合は。まず運動である。若いころは運動神経が鈍いと自負しただけあって体動かすのは嫌いだったし、先天的な強度の近視だったからメガネをかけていて、このころはレンズはガラス製、縁は鉄製またはべっ甲で、重いか高価かどちらかだった。メガネは貴重品で当時はかなり高かったと思う。したがい、サッカーや野球などの球技は絶対にご法度、危なくてできなかった。参加してもなるべく球が飛来しないポジションに居た。今はまったくの無職だから、何かしらやらなければ体に悪いと思いつつ、なにかもっとも効率のいい運動はないものかと思案していたところに、テレビで電柱間疾走てのがあった。電柱はおよそ50m感覚で立っているから、その間を走ったり歩いたり繰り返すのである。純粋な散歩ではかったるいし、消費カロリーも低いだろう。まずやってみたら、すぐに電柱間50mでは短すぎ、2本ごと三本ごとに伸びていまでは角から角へ走り切れるようにはなった。それで走って弛緩を繰り返し、深呼吸も自然にできるし、有酸素運動ともなるし、しかも短時間で済むというのが気に入った。計算するとほぼ同じカロリーを消費するのは2時間の散歩に相当するらしいから、それを1時間たらずでできるのは時間の節約でもある。それにはまず形からということで、スニーカーを二足買って交互に履き、コースも少しづつ変えていく。時間は朝飯前と就寝前と決めた。なぜなら昼間は人や車が多くてよけるのも面倒だし、だいたい知人に会ったら恥ずかしい。「あのじいさんそんなに長生きしてえのか」と思われるのが嫌なのだ(笑)もう始めてから一か月たつが、体重は70キロオーバーから65キロ弱まで減った。腹もだんだん引っ込んだが、残念なことにいったんたるんだ皮膚はしわとなって残っているのが玉にきず、これ以上のことは望まないことにした。モットーは決して目標を立てないこと、たとえばあの角まで走ろうと思っても手前でやめてしまう、これが自分を保つコツだと思う。今日は足が重いなあと感じたら短時間で引き返す、調子がいいと思ったら長躯2キロぐらい徒歩疾走を繰り返す。早朝は同じような走る人たちが多いが、若い人は例外なく、すれ違う時にスピードを上げる。これって見栄はりなのだろうか。お年寄りでもわたしのような徒歩疾走でなく、疾走だけで走りきる人もいる。そんなお年寄りは例外なく体重がいかにも軽そうな小柄な体である。車で言えば軽自動車でエンジンも小型だから持続力があるのだろう。わたしは身長164㎝だから、車の例えで言えばシャーシー(骨格)にふさわしい体重はいまぐらいではないかと思う。今では朝起きるとコースを考えている自分がいる、変な癖がついたものだ。
2022.09.05
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って案外と多いものだ。まず若いころ観てさっぱりつまらんかった映画「東京物語」のセリフにドキッとしたり、共感したりと新鮮な感覚で同じ映画を鑑賞した。主人公夫婦が東京の子供に会いに上京するが、すでに彼らは一人前の大人、医者だったり美容院経営者だったりして自分の生活がある。わたしもじっさい息子の家に急だったが泊めてもらい、そのありがたさに感激したのだが、映画は表面的な歓迎のセリフと、反する本音のセリフが小津の脚本で明らかになっていく過程でまさに初めて現実が理解できたのだ。息子はおろか、嫁もそう思っているのだろう。子供は孫を持ち、育てる責任がある。嫁を扶養する義務もある。そんな戦場とも言える家庭に、年よりが割り込むのはまあたまにはいいかと自己弁護するのだ。浴室を借りてシャワー浴びた時、バスタブの周囲はびっしりとキャラクターの人形が並び、孫をあやしながら夫婦だけで子を入浴させるという光景が浮かび上がり、ほほえましいというよりは彼らの子育て戦場なのだ。長居はできないとばかり帰ってきて荻窪駅前のクラシック喫茶(なぜか早朝からやっていた)でいろいろと考えを巡らす。けっきょく年寄りが孫をかわいいと思うのは離れて暮らしているからで、めちゃくちゃ動物的にかわいいだけ。一緒に居たらそうはいかないのだろう。小津の脚本は痛烈なことを劇中で言っている。じいさん「なあ婆さん、孫はかわいいというがどうじゃった?」ばあさん「わたしはやはり子供の方がかわいいですね。お爺さんは?」じいさん「そうじゃなあそんなもんかなあ」とあやふやな答え、ここに小津の言いたいことがあると思う。こんな会話ができるような夫婦になれば申し分ないのだろう。母親の葬式の最中、息子の一人が「親孝行したいときには親はなし、墓石に布団は着せられず」という俗っぽいセリフから、亡くなる前の危篤状態の時、駆け付けた子供たちは喪服を持っていくかどうかで打ち合わせを済ませておくという冷静さ、また長男が「ハハキトク」の電報を受け取った時、平然と庭の犬と戯れるシーンなど、この年にならないとなかなか理解できないものだ。また、原節子扮する戦死した息子の嫁が、きれいごとばかり言ってみんなに嫁の見本と思われている存在なのだが、いきなり老人に本音をぶちまけるシーンは何度も見たが、今回初めて理解できたのである。わたしの現実と言えば、初めて孫の手をとって歩いたときぐらいかな感動したのは。戦前の英国映画「小公子セドリック」はアニメや漫画になって子供のころから見ていたが、映画の中での伯爵が孫の素直さにすっかり頑迷な態度を改めて、周囲の人からも尊敬されるようになるストーリーもよーく理解できた。これらの旧作が無料で好きな時に鑑賞できるYOUTUBEはホントにありがたい存在である。
2022.08.28
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先週、最終の新幹線に乗り遅れるという醜態を忍んで息子のアパートに泊まった話をしたっけ?お詫びの意味を込めて翌日、息子夫婦と孫にランチを驕ったが、ここにも級地現象が存在する。「級地」とは保険点数の計算に使う用語で、人件費の地域格差を考慮して総和数にパーセントを掛けたものを加算するのだが、わが自治体はゼロ、これに比べて東京都は21%である。イタ飯屋で占めて23.100円也、まあ食うも食ったが、地元なら逆算して23.100÷1.21となろうか。わが自治体なら19.000円ぐらい?いやもっと安いかもしれないな。介護保険業界も1から2級地からわが自治体に転院させて利潤を稼ぐ連中もいるらしい。これは先進国から後進国へ生産がシフトダウンするのと同じ理屈で、人件費の安いほうへ生産は流れるという法則にのっとったものだ。そんなことよりも、わたしがつくづく感じたのは、東京は年金生活者の年寄りがうろつくところではないということだ。電車の中では優先席をゆずってくれない若者が急増、みんな速足で歩くから年寄りも健脚でなければ務まらない。電車の中は私より年上はついぞ発見せず。早朝の電車に居た!彼らはたぶん再就職組で、夜勤帰りか早朝出勤のどちらか、みんな決まったようにくたびれたカバンを膝の上に抱きしめ、無理やりなのか目をつむっている。もう東京の連中に軽々しく驕るのはやめにした。今度は割り勘にして居住地の級地を訊き、係数をかけることにしようか。複雑な計算はネットの「高度計算サイト」がやってくれる。本当に見栄を張っていたら生きていけないのが地方の0パーセント地域居住年金生活者である。
2022.08.17
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近くの仕立て屋から聞いた話だが、旦那のジャケットを修理したが、その方法が奥さんからクレーム付けられて本人も取りに来ずに困っているとのことである。めんどくさいなあ女房持ちって!と思ったのがこの拙文の始まりである。何を言いたいのか?そう、独身者なら意思決定も早く問題ないが、妻帯者となると、ある手続きを踏まねばこのようなことになってしまうのだ。つまり前者なら一党独裁国家、共産党もその部類、後者は民主主義国家、米国がその代表と言えるだろう。一党独裁の独身者の欠点としては、どうしても一人の頭脳での話だから選択肢は限られるが、後者は異性としての意見や一般常識に近づく判断が得られるため、意思決定に時間はかかるがより適正な判断が得られるはずである。なかには配偶者の意見がほぼ100%通ってしまうだらしのない国家もあるが(笑)俗にいう恐妻家というやつである。これは論外とするが、夫を首長、妻を議会と考えるといろいろ思い当たることはたくさんある。まず民主主義の代表である夫婦家庭だが、意思決定は独身者に比べて大変遅く、円満と言われる家庭ほど遅い。これはお互いを尊重しすぎるためで、意見がぶつかるからではない。しかしはたから見てイライラするのはこのタイプかな。それとも旦那の意思を忠実に実行と言うタイプで、夫婦にも旦那にすべてお任せと言う方もあり、いわばK市の議会のような夫婦もいる。今の中国は独身貴族(昔この言葉が流行したことがある。独身者は可処分所得が既婚者よりも多い場合が多く、うらやましがられた時代があった)の典型で、書記長が絶大な権限を持ち、議会などはない。しかしこの欠点は首長の能力いかんで国の方向が大きく変わり、とんでもないほうへ発展する危険がある。意思決定の速さを是としてこの体制を続けると破綻してしまうことも多いのだ。第三者の冷静な値踏みと言うものが必要である。しかし首長の能力がずば抜けており、采配よろしきを得ることで、爆発的に国力は力を得て夫婦者など馬鹿らしくなることもある。しかし狡猾な妻は、夫を建てて傘下に入り、のうのうと一生を過ごすというのも多い。昨今のK市議会がそうである。夫の欠点をわかっていながら指摘すると夫の逆鱗に触れるので黙っている。こんな議会を持つ自治体は不幸である。また市民がたまったものではない。このような議会を偽装夫婦という。市民である子供にとってこんな自治体を親に持つのは不幸である。またも閑話休題いま民主主義の国は世界でも劣勢にある。つまり結婚していることで意思決定が遅く、人格なども尊重しなければならないので、個人の犠牲など国家の利益の前には吹っ飛ぶ共産主義が優越している。技術的にも人命がかかる自動運転や空飛ぶタクシーなどでは圧倒的に中国が優位に立っている。何人死んでいるかわからないが、深圳あたりではテストコースではなく一般道路でいきなり本番で実験している。将来、民主主義国家よりも共産党のような一党独裁国家が出現するのは間違いない。後進国が素早く国家の体裁を整えるためには、民主主義などかったるくてしようがないということだ。現に小さいながらも民主主義を掲げて発足した政権が、軍のクーデターであっさりと独裁国家になってしまう例はたくさんある。架空の理論だが、マイケル・クライトンのオッドマン仮説は「ぐずぐずしている間に敵はお前をやっつけてしまうぞ」という理論で、議論は前にやっておき、いざというときは行動が先というシステムである。母ちゃんと相談してからってのは通用しないのだ。
2022.08.13
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というのは共産党の理屈であって、資本主義では何の役にも立たないし煩わしいだけである。あるブログを読んでそう思ったのだが、紹介するとある学校の校長がお母さんたちの前である生徒の作文を読んで聞かせたとのこと。大意は「父親の職業はいわゆる鳶で、足場を掛けたり穴を掘ったりと忙しい。家では母親から邪魔者扱いされても一言も文句を言わない。ある日、足場の上で父親が仕事をしているのを見て、仁王様のように大きく見えたのに感動したという話だが、創作のようにも思えるブログだ。鳶はわたしから言わせれば技能職業で、ホワイトカラー(古い表現)にはない直接的な仕事感覚を持っている。彼らは高所、または地面で作業するから、ホワイトカラーに比べて危険度は数倍のリスクを背負うだろう。なので常に単純直哉的な行動が求められる。遠慮していたら始らない。自分が危険にさらされるだけなので、彼らはそれこそ必死にチームワークを守るのである。パートナーがどんなに鈍くても自分より劣っていても、彼らは黙々と仕事をこなすのだ。これこそ職業に貴賎はないという見本であろう。昔のフォーク歌手の歌詞に「俺たちゃ居なければビルも道路もできやしねえ」なんてのはとんでもない話で、特定の職業を差別する事になろうか。また昔の話しばかりで恐縮だが、女性が運転する車のうしろに見えるようにヘルメットを置くのが流行ったことがある。これは女性一人だとバカにされるので、ヘルメットを見せつけることで、土建屋のガラの悪さを利用したアピールであったらしい。当時は確かに鳶土工のたぐいは風来坊、無宿人、ギャンブラー、その日暮らしなど、社会的なイメージは低かった。しかし今はどうか?彼らは天空を背にして安全帯(三点姿勢)のベルトを着け、工具をカラビナでぶら下げていかめしくもかっこいい。昔からあんな危険な職業にしかつけないのは、学校で勉強しなかったからだよと教わった。それは確かに誤りではないだろう。しかしみんなが勉強してしまったらどうなるのだ?東大卒の鳶土工が増えたりするのではないか?ナンセンスな話である。音楽界でもそうである。クラシックは何となく努力研鑽、自己制御の匂いがするが、ジャズは正反対で、努力などとは無縁の世界、自己中心主義、快楽始業主義、イソップ童話でいうところのキリギリスであろう。公立大学を出てバンドマンになり、将来を誤った人間はたくさんいる。こんな実例を見ていると、職業には貴賎があるから、学業に精出せよと言う昔ながらの教えが正しくなってしまうではないか。反抗期の息子に頭を下げて「頼むから進学校に入ってくれ」と頼み込んだ父親は立派である。父親の威厳もかなぐり捨てて息子に頭を下げるという行為は捨て身でなければできないことだ。その息子は立派に薬剤師になり、家業を継いでいる。これこそ教育ではないだろうか。
2022.08.11
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今日は広島への原爆投下記念日である。必ずと言っていいほどこの日が近づくにつれ、国内にはネットにも新聞にも原爆使用の是非についての論評が溢れる。内容は「非道の兵器核兵器を投下した米国の犯罪を批判する」。しかし投下後77年経っても「原爆投下は過ちだった」とか、米大統領が日本国民に対して謝罪したなどと言う話はない。米国側の言い分としては大きく分けて二つある。一つは東京裁判で日本側の代理人ブレイクニ―弁護士が提起した「原爆を落とした国に日本を裁く資格はない」とした動議は直ちに連合国側に否決されたということ、もう一つは米国側の論理に、「原爆投下は、多数の日米国民の命を救った」という理屈があるからだ。前者の東京裁判での却下は敗戦直後の挫折感漂う日本人にとって痛烈な打撃ではあったが、戦勝国が戦敗国を裁くということ自体が基本的に裁判と言う中立性を保ってされたはずはないから、無理な論理であった。しかし日本人はこの判決から75年、日本側が改めて調査、原爆投下の合否を再び明るみに出したことはない。毎年々繰り返される敗者の恨み言に均しいことが繰り返されるのは残念である。日本の言い分は、原爆投下は間違っていたとする見解なのであれば、国家としてこれを調査、世界に発表しなければならない。しかし公に調査したという話はどこからも聞こえてこない。二つ目の米国の見解は「原爆投下は日米両国の国民を救った」である。この見解は米国のいろいろな人が支持している。根拠は戦後まもなく行われた米国の戦略爆撃調査団によるドイツ、イタリ―、日本の被爆民へのインタービューと膨大な記録が残っているからである。米英のドイツへの爆撃についてだが、両国とも同じ方法ではなかった。米国が目標を港湾、工場、駅などのいわゆる点を攻撃したのに対して、英国は目標を決めず、地域を決めて夜間爆撃を行った。これは米国の考えは一般市民を巻き込まないという言い訳の名分になった。一方英国はドイツ側から「無差別爆撃」として非難されたが、戦後ナチスの戦争犯罪が暴露されるにつれて反論は収まった。調査団の一行が悲惨な焼け跡を見たり、被爆した市民の体験を聞きとってノイローゼ気味になると、調査委員長からアウシュビッツを見てきたまえと勧められた。そこには最良の解毒剤があったのだ。日本への空爆は欧州の例に沿って軍事目標のみを狙い、いわゆる住宅地は外されていた。従って昼間爆撃が採用されたが、対空砲火と迎撃戦闘機からの被害を避けるために高度を上げていたため、命中率ははなはだ悪く、成果を挙げられなかった。司令官は左遷され、今でも日本では悪名の高いカーチス・ルメイ将軍が着任し、方式がガラっと変わった。まず精密爆撃をやめ、英国式に夜間爆撃と目標を地域に切り替えた。さらに日本の住宅がほとんど紙と木でできていることから焼夷弾を使うことにした。ドイツに比べて対空砲火と戦闘機の攻撃が少ないと見たルメイは機銃を取り外し、焼夷弾の積載量を上げてまでこの作戦を徹底した。例外なのは4月におこなわれた郡山の化学工場爆撃ぐらいだろう。この方法は先の英国が取った夜間爆撃と同じで、敗者側は無差別爆撃と非難した。有名なのは10万人の被害を出した3月10日の東京下町爆撃である。ルメイの主張は、「日本の住宅では内職と称して軍事工場へ納品する部品を作っていた。これは軍事目標とみなす」と言うことだった。さらに追って、8月の原爆投下が決定された原因のひとつにソビエトへのけん制があった。日本を降伏させるのにお前の力は不要だというアピールである。日本が無条件降伏をした8月15日を過ぎてもソビエトが分け前を欲しがっていたという事実はこれを証明している。この出来事は二個の原子爆弾が広島、長崎に落とされてその前後の日本政府の記録と合わせて間違いなく日本は終戦への意思を固めたと推測するのは簡単である。原爆が落とされなければ日本はまだぐずぐずと抵抗を続けただろうし、ソビエトは北海道に上陸していたかもしれない。さらに連合軍の本土上陸が行われていれば、日米両方に多くの死者が出ていたのは間違いない。天皇の逆音放送にある終戦の理由の一つ「残虐なる特殊爆弾」というのは原爆のことである。しかし原爆投下はこの推測をまったく違うものにしたのだ。原爆投下にもかかわらず、日本が降伏を拒否していたら、ソビエトが北海道へ上陸していたのは変わらないとしても、日米両軍に多大の損害が出るというのは違っていて、米軍首脳部は兵隊の損害を少なくするためにおそらく第三の原爆をどこかに投下したに違いない。たった一機の爆撃機(10名搭乗)があげる戦果は、司令官や政治家にとって魅力的である。もし先の米軍の空襲目標の統制の取れた方針(最後には無視されたが)も何千、何万と言うアメリカ人の戦死で被る損害は当時の大統領としても受け入れられるものではなかったはずだ。高価ではあるが、原爆によって戦争が終わるとすれば、十分見合う計算になる。つまり原爆がもたらした効果は米国よりも日本人にとって不幸中の幸いだったということになるのだ。一方的な日本人への殺戮は終戦の決断をした日本の指導部が恐怖したことであった。このころ原爆の在庫は少なくとも2個、朝鮮戦争の時は数十個に増えている。マッカーサーは中国が北朝鮮から攻めてきたとき、大統領にすくなくとも十個の原爆が必要だと要求しクビになっている。軍人は道徳的要素など考える必要はないが、それでもこのような軍人をすぐに首にする権限が大統領にあったのは幸いであった。一般国民と言う概念は戦争によってだいぶ拡大解釈され、彼らだって国を構成している一員、当然ながら攻撃の対象になるという考えが定着したのは戦後である。
2022.08.06
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柳田国男さんの名著と言われているこの本、父親の蔵書として書棚に埋もれていたが、息子のわたしが有り余る時間を利用して読み始めた。最初は時代錯誤して難解な部分にぶち当たるが、当時の知識や情報収集環境の違いを想像しながら自分なりにバイアスをかけて読むことにしたら、だいぶ気は楽になった。最初の章は色音論と言うタイトルで、いまの日本人の感覚のもとになったのが色と音だという。江戸時代後期に流行ったものが赤い椿を庭に植え、ウズラをかごで飼ったという組み合わせがこの色音論だそうだ。現代では、日本人はことさら色に敏感で、同じ夕暮れの雲の色が千遍万化する様を捉えてあかね、くれない、などと称して自画自賛するが、実は我々は当時色をはなはだ制限してあまり種類を増やさないようにしていたとの著者の弁である。これは混乱を防ぐことと、当時の染め物の技術が鉱物系、植物系と自然界のものに頼るしかなく、種類があまりにも視覚からはかけ離れていたからではないだろうか。我々が感じる夕暮れの雲の色の種類は、とても当時の染め物師が作れる数を凌駕していた。たとえば俳句で「赤い花」というのは想像するしかないのだが、このあたりの想像力は日本人には現代に自画自賛するような能力が備わっていたのだろう。また著者は言う。もし日本人が低緯度地方で自然の果実や植物の色に遭遇していたら色の数はおのずから増えて色の名前もまたしかりだったはずだともいう。その証拠に、色の数(名称)は外国の方がはるかに多いという。なるほど、例えばレモンは日本になかったが、外国ではLemonyellowとしてあるし、フェルメールで有名な青の顔料はとても当時の日本ではお目にかかれず、ただの青としてしか認識しないだろう。自然界の青を群青とか、紺碧とやったのは独自の日本人の感性だろう。果物のオレンジ色は日本では赤と黄色の中間としか認識されず、オレンジと言う果物から採られた色だとするのは後の話しである。日本人は色を認識するのに最も多い機会は娘たちの晴れ着だったと言う。染め物師が技術の最先端を活かすのはやはり古今東西若い人たちの着物であった。ここに登場する色以外はまったく蚊帳の外だったのが当時の日本であった。若い女たちの着る晴れ着から柳田はまた鋭い解釈を続けていくのだ。当時の情報収集環境は、せいぜいが旅行か旅行者からの見聞きしかない時代、やはり彼ほどの思想家と言うか世俗評論家はいなかっただろう。書物はつぎに服装のことを取り上げる。晴れ着は当時(江戸時代)ほとんどの庶民の若い女には無縁で、一番上等な着物を晴れ着としていた。すなわち、女の着物は晴れ着しかなく、水仕事や料理の際には襷を使って袖や裾を詰めて作業着としたとのことだ。晴れ着の中から一番古くて傷んだものを作業着におろすという決断があったらしい。しかしこれは女の分野であって、男の場合は大工や石工、鳶の職業は仕事着と言うのがれっきとしてあり、女性との差が甚だしかったようだ。警官や兵士はいわゆる筒袖付の洋服が用いられ、まず上着から下履きへと変わっていったという。洋服に袴、またはモンペや股引(タコ)といういで立ちから、上下とも洋装になったのはかなりの年月が必要だったらしい。もっとも変革が遅れたのは履物で、これは欧州の履物文化と異なる文化を持つ日本だからこそできたことで、欧州ではほとんど靴は脱がず、方や日本では靴はしょっちゅう脱着を繰り返す。住居と仕事場のあいだを往復するのに最適の履物はぞうり、下駄類であった。旧制高校の生徒の典型的服装はYシャツに長ズボン、ベルトには手ぬぐいをはさみ、履物は下駄であった。明治中期になるとロシア軍人の履くゴム底製の長靴を見て警察官に採用、兵士から一般人へと広がっていったらしい。およそ百年前(この本ができた時期から)はどんな小さな庭先でも椿とウズラのコンビが日本人の精神を慰めていたというのにである。この速さは驚異的と柳田国男は書くのである。今でいうパラダイムシフトを目の前で体験した柳田はさらに住宅へとその観察眼を移していくのだ。
2022.08.02
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感染者4万人を超すかもしれないと言われた日曜日に東京から帰った。気がついたのは、都心の電車内にはほとんどお年寄りがいないということだ。すくなくとも1949年より前に生まれた人は皆無だと思う。優先席は健康な若者が遠慮なく座っている。お年寄りは巣鴨にでも行っているのか?身代わり地蔵など撫でまわしているのかもしれない。ならば神社仏閣の代表である浅草寺は?やはりいないのだ。コロナのせいで客は激減しており、大ちょうちんから奥のお寺まで見渡せるほどだった。ここでもほとんどが外国人または日本人の若者である。お年寄りには都心はまったく親切ではないのだろう。車を持つには地方の維持費の数倍かかるし、かといって電車を使うには歩行での移動距離は長すぎる。東京駅や渋谷駅など地方に暮らす人たちにはなんでこんなに歩かなきゃならんの?と言う感慨がわく。地方では車さえ運転できれば枯葉マークつけて何とか移動できる。早朝の都心には若者がマラソンマンに早変わりでこれまた出現、お年寄りはいない。群れを成して走るマラソングループがなぜ皇居周辺に多いのだろうか?このあたりは歩行者優先の信号感覚で、非常に歩きやすいからかもしれない。あるいは日本の中心地で走るという虚偽のステータス?一人では心もとないので集団で誘い合う心理かもしれない。お年寄りはお呼びでないところ、それが東京である。知人のお医者さんは大宮に介護施設を持っているが、いま地方にも土地を物色、増設する計画である。物価指数は東京の方が断然高いので、この差額で地方に要介護者を移動しようということらしい。東京から流出するのは老人だけかもしれない。土地はいくらでもある。一級河川の河畔には広大な土地が坪800円ぐらいで売りに出ているんだから介護施設は次々と地方に移っているのだろう。最近は介護保険の点数が上昇して穴場になっているとのことだ。
2022.07.31
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われわれ(1949年生まれ)が習ったのは世界史と日本史で、受験はどちらかを選択したっけ。世界史は大学に行くとなくなり、より細分化して西洋史とかアジア史とかに分かれた。しかし近代になるとその区別はあいまいになり、教科書のページもめくるのが早くなってあっという間に終わってしまうのだ。もっとも期末には受験が控えていたので仕方ないところもある。今の日本人が体験している「世界史」の最大のイベントは、やはりコロナとウクライナ戦争と大地震だろう。この三つがわずか10年の間に起きて、われわれは物価高、物不足、医療貧困という不便さに直面している。世界が日本と直結しているから、とても日本だけは安泰と言うわけにはいかないからだ。江戸時代には日本史は純粋に存在した。外国で何が起きてもほとんど国内には影響なく、周囲を海に囲まれた国土では独自の歴史が刻まれていった。時々外敵が攻めてきたり、こっちから外征したりと言うのはあった。幕府が倒れた時、世界は西欧の強国が陣取り合戦の真っ最中で、アジアもまたその勢いに吞まれていた。そんな意味では、明治維新は日本という国が興廃の瀬戸際にあったころと言えるのかもしれない。明治維新がまさに日本史が世界史に仲間入りするエポックだったのだろう。我々は日本は加工貿易で暮らしていると教わった。優れた加工技術を持ち、しかも賃金は安いので価格も競争力があった。今は中国がそれにとってかわり、世界第二位の経済大国となった。習近平が何を考えているかが我々の生活に大きな影響を及ぼす時代、アマゾン川で一匹の蝶が羽ばたくと日本が台風に襲われるというのも冗談ではなくなりつつある今、ニュースの聴取は欠かせない日常事だ。今、世界の歴史学者は何をしているのだろうか?少なくとも地域に分かれたアジア史とか南欧史とかは既存を除いてはもう成立しないだろう。せいぜい北南半球か東西半球、またはアフリカ史、南北米大陸史ぐらいが関の山ではないだろうか。ますます世界史はそのページを加速的に増やし、地球全体を吞み込むようになるだろう。現代にそぐわない無力に近い国連は再編成され、国としてではなく地域として参加する機関ができるかもしれない。東アジア連合、西欧州連合とか北米連合とかなんたらかんたらキリがない。これに加わらない国はこの新機関が軍事的に征服するとか、経済的に協力するとかで、いまのEUがその先進的テストケースになりうるかもしれない。「かもしれない」ばかりだが、その程度の話ではある。
2022.07.29
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マラソンマンは中途半端に見たことは何度もあるが、最初から通しで見たのは初めてである。BSで今日放映されると知って録画しておいたのだ。わたしの一存だが、この映画ほど常に緊張感のある映画ってあっただろうか?と思わせるほどストーリー、配役、カメラワーク、音楽が全て溶けあっているのだ。これぞまさしく映画芸術の極みだろう。元ナチの首領を演ずる歯科医のローレンス・オリヴィエの不気味さ、彼が出ると音楽は彼のテーマともいうべき不協和音に満ちたメロディが鳴る。また誰が味方か敵かわからないストーリーも凝っていて、ストーリーは複雑に過ぎ、やもすればもう一度録画を戻して重要なセリフを確認したりする。とにかく走る男ダスティン・ホフマンは父の形見の大型拳銃を振り回すが、オリヴィエの拷問を受ける役で、歯科医の使う器具が不気味に見えるように演出されている。オリヴィエはまずホフマンの歯を診察し、虫歯を探しだしてそこの神経を器具で刺激するのと丁字油を塗って痛みを止めるのを交互に繰り返す。丁字油が歯の痛みに訊くとは知らなかった。またロイ・シェイダーが「ジョーズ」のしがない警察署長とは比べにならないカッコよさで出てくる。俳優陣が超ベテランたちだからできる映画で、最近のつまらないアクション映画とはできが違う。
2022.07.12
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よく見ないとわからないが、薄く虹がかかっているのが見えますか?これはあるペンションでの日常風景だそうです。しかしわたしには初めての光景、おもわず撮りました。朝は静寂そのもの、鳥の声は全く聞こえず、湖畔の水面も鏡のようです。たまに魚が跳ね上がり、水面の虫を喰っている。自然てこんなに静かなのだと知ったのだが、街の早朝はカラスが泣きわめき、スズメがエサを探し、案外と動物の出番なのだ。山の中は街と違って非日常と言えるほど静かなのだ。生物はじっと息をひそめあって天敵の襲来に備え、逆にまたうまい朝食にありつこうとじっと待ち伏せしているのだろう。このあたりの蚊は人間サマを襲撃するのはたった一回、ブーンと来てあっという間に針を刺している。でさっさと逃げてしまうか生まれてくるだろうわが子のためにリスクを冒してたっぷり吸血して手で叩かれるか、まさに安部を襲撃した暗殺者の手口である。彼は第二撃で目的を果たし逃げなかったが・・。街の蚊はしつこく周囲を飛び回って機会を狙うのだが、山の中では数少ない獲物なので、生存競争激しくチャンスは一回限りなのだろう。このような非日常を手に入れようと、別荘を買ったりペンションのオーナーになったり、また移住する人もいる。しかしそれもいいが、この二つの世界を往復することで両方が日常になりえる。そして日常はグレードアップするのは間違いない。日常が新鮮に見え、ヒントがたくさん生まれるのだ。やはり人間新しい出会いと環境は必要なのだろう。クラリネットのPee Wee Russelのインパルス盤Old Bottle New Wineのタイトルを思い出す。
2022.07.11
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マーチン・スコシッジ監督の昔の映画で「タクシー・ドライバー」と言う映画がある。主人公(ロバート・デ・ニーロ)が幼い娼婦(ジョディ・フォスター)を救い出すためにいろいろな銃器を試して改造するシーンが印象的だが、元々は大統領暗殺を目論んでいたという内容である。安部元首相を射殺した犯人は報道によればかなりのマニアで、実際に改造銃器や爆発物を隠していた由。マニアがどんどんその程度を深めていくとやがて目的は一度使ってみたいという欲求に代わり、動物から人間にターゲットは変わっていくのだそうだ。それにしても第一発目を外したら次はないというのがゴルゴ13の有名なセリフで、これはじっさいにも暗殺者の金言であるそうだ。フレッド・ジンネマン監督の「ジャッカルの日」では暗殺者が一発目を外し、第二発目を装填中に警官に射殺されるという筋書きである。映画とはいえ、事実に相違ない。それにもかかわらず、第二発目が安部元首相の命を奪ったという事実は、警備が甘かったということに尽きるだろう。それにしてもネットの報道が入り乱れる中で、消防署や警察、ドクターヘリと医療機関が次々と詳細な時間系列を発表し、あたかも後で問題にならないようにアリバイ工作をしたような形跡がある。こんなところは自己保身主義極まれり。要人が襲撃された例はたくさんあるが、安部元首相の場合は引退後のことであり、彼の影響力がいかに大きかったかを表している、というよりも引退したのは首相と言うポストだけで、在任中に築いた人脈を生かして最大派閥を率い、しかも数々の疑惑を生んだ張本人であり、そんな意味では引退した人間ではないのだ。彼が亡くなったことで、これらの疑惑が解明されることに躊躇があってはならないと思う。とかく日本人は死人を鞭打つという行為を忌避する傾向があるが、この場合は話は別である。これらの疑惑は日本の総理大臣が侵すことのできる犯罪解明につながるはずである。ロッキード事件の田中角栄にも劣らない疑惑解明に遠慮があってはならない。
2022.07.09
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七夕は盧溝橋事件の日でもある。今からおよそ90年前、柳条湖事件(昭和6年)をきっかけに起きた事変は満州国を作り、さらに6年後の今日、盧溝橋でまた軍同士の紛争があり、日本と中国は全面的戦争を起こした。いずれの出来事も日本軍が仕掛けた自作自演だったらしい。前者では満州を手に入れるきっかけとなり、、後者は逃げる中国軍を追いかけて広大な大陸で鬼ごっこをする羽目になった。とにかく中国軍は弱かった。ろくな軍事教練もできず、将校を養成する学校も西安にあるだけで、そこの教官は日本人が多く、中国の将校を馬鹿にする有様であったらしい。日本人は小学生まで中国人を軽蔑し、差別していた。昔は中国を師と仰ぎ、遣隋使や遣唐使を派遣することもあったのに、中国は欧州の軍事力に敗退し、香港を英国に、マカオをポルトガル、満州北部をロシアに統治させていた。明治維新を日本が成し遂げると、日本に留学していた孫文が日本こそお手本とばかり、辛亥革命なるものを勃興させたが、中国全土には至らなかった。このころ中国には二つの政党があり、内戦状態となっていたのだ。ソビエト共産党の指示を受ける毛沢東の紅軍、蒋介石率いる国民党の軍隊とである。アメリカやドイツから軍事援助を受け、このころは軍事的に共産軍より優位であった。日本はこれをいいことに、内戦状態であればあるほど中国は弱っていくのは明らかと見たが、実際は国共合作と称して国民党と共産党は対日戦線で合意に達し、共同戦線を張ったのである。この情報はまったく日本人には入らず、中国軍恐れるものぞと言う独りよがり的優越感に浸っていたのが当時の日本人である。孫文は日本と中国の橋渡しを望んでいたが、まさに中国のことわざ「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」であった。大多数の中国人は教育を受けず、無学で文盲であった。このころの中国の文盲率は100%に近かったはずである。このため外国はおろか、国内のことも知ることはなく、政治的にも全く白紙であった。しかし文盲の中国人兵隊の逃げ足は速く、日本軍が追撃する倍の速さで揚子江を遡行して重慶まで逃げた。日本軍は負うことができず、爆撃機で重慶を空襲するにとどまった。これが世界で最初の戦略爆撃となった。この時すでに心ある日本人は広大無限の中国本土を占領する事の愚を悟ったものが何人かいたが、いずれも少数派で、勇ましい発言ばかりが歓迎される軍内では大きな声にはならなかった。本来、進歩した国の軍隊と言うものは、政府の完全な管理下にあり、軍自体が政府を左右するものなどではない。しかし日本の陸軍は政府の言うことなど聞かなかった。これは陸軍が当時天皇の直接指揮を得るものとして扱われていたからである。政府が天皇の軍隊をして口を出すなどとんでもないと陸軍の一人勝手な理屈であった。そして中国で身動きできずにいる軍隊を目にしながら、さらに東アジアの原油やアルミニウムやゴムなどの軍需物資を得るために軍事行動を起こし、これがアメリカの反発を買って太平洋戦争につながっていくのだ。この責任はだれにあるのか?旧陸軍の幹部にあるというのはたやすいが、それでは答えにはなっていない。陸軍の思いあがった精神を叩き直して正しい道に戻すのが政府の役目とすれば、当時の政府、首班だった近衛、東条、広田の責任もあるが、最大の犯人は当時の国民だろう。 ちょうど英国のジョンソン首相が閣僚の信頼を失って辞任するニュースが流れた。彼は私立のイートンスクールを出てハーバード出、国内では超エリートである。かえって日本の首相だった近衛も東条も広田もこれまたエリートである。日本も英国も同じ内閣制で政治的に似ているところはあるが、ジョンソンと日本の首相たちが違うのは、前者は現実主義者、後者は理想主義者で、現実とかけ離れた思想に固まったお坊ちゃん体質だったということである。ジョンソンはエリート臭をおくびにも出さず、女性ではだらしなく、酒でもだらしなくしてかえって国民の人気を集めた。逆に近衛は天皇五摂家の筆頭で、ジョンソンとは比べにならないほどの家柄だった。これが何を意味するか?首相としての責任よりも自分の家計を守るために生きていた人物と言うことである。そのためにひたすら保身に身をやつし、人の評判をものすごく気にして行動した。そのいい例が対米戦について率直な意見を山本五十六から聞いたときである。山本が、開戦して一年や半年は暴れて見せるがそのあとは確証がない、と言ったとされる。この意見を参考にして近衛が立ち回ったという話を聞いたことがない。彼はそのあと戦争に反対したという記録はなく、御前会議で開戦決定後に辞任した。彼は日米会談も全くやる気がなく、東条に後を任せてしまったのだ。両家の子女に過ぎない彼の特質はまだある。終戦後、彼は珍しくマッカーサーに会見を申し入れ、マッカーサーから終戦処理の指導をするように言われて有頂天になり、憲法改正や国務大臣としての敗戦処理にあたったほどである。しかし彼のマッカーサー訪問は、戦勝将軍を訪問することで、戦犯を逃れるために行動したのではないかとわたしは見る。彼は恐らく戦犯指定の予感があったのだろうが、だからこそ米国の占領軍最高司令官に会ってご機嫌を伺ったのだと思う。それほど彼は世間知らずだったのだ。時がたって東京裁判でA級戦犯として収監される前日、荻外荘で自殺してしまった。彼の神経は細く、それでいてきぐらいは高かった。東条もしかりで、MPが収監にきたとたん、拳銃自殺を図ったが当時の大発明ペニシリンの使用で命を取り留めた。豪放磊落な一面を見せたジョンソンの人間味と現実を見極めて決断する能力、肩や政治よりも家系にしか興味のない男のちがいなのだろう。当時の日本は一部の誤ったエリートたちに国を動かされていたとしか言いようがない。
2022.07.07
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最近は庭いじりばかりやっている。親が作った庭だが、ほとんど手入れもせず放置していたので、目隠しとして植えた杉の根っこがやたら猛威を振るって地面を凸凹にし、庭石を押し上げ、縦横に地下に値を張り巡らせている状態、これを何とかしようと日々格闘しているのだが、つくづく思い知らされるのは、木と言う植物の物理的才能である。水のある方に根っこの先端は伸びていき、やがてそれは排水管の継ぎ目から侵入して管内にびっしり張り付き、中で繁殖して一種のスポンジ状になっている。水脈を辿るわけでもないから、水音でも聞きつける聴覚か水の香りをかぎ分ける嗅覚でも持っておるのだろうか。最近言った温泉の近くに大きな杉があり、神木としてまつられているのだが、その根は昔築かれた砂防ダムとしての石垣にがっちり食い込み、それをXY方向の基礎のベース(専門用語ではフーチンと呼ぶ)に見立てて支柱として垂直に伸びているのだ。地盤調査の専門家が良く言うのは、地盤の耐力(どのぐらいの荷重を支えられるか)はその付近の木の高さを見れば見当がつくそうだ。高ければ地盤は強固、低ければヤバいということになる。一般に海岸に近いと地耐力は下がり、山間部に近づくと上がるようだ。と言うことは、樹木もまた物理学の基礎ぐらいは知っているようで、これ以上伸びるにはベクトルを分解して水平方向に何m必要かを計算するのだろう。根っこが伸びる時の土壌の硬度も計算しているのだろう。常に倒れないように最小限の根っこの長さと深さを絶えず計算してバランスしているのだろう。プレデターのように完全に透明になる物体は自然界にはないので、虫や鳥はこれで多大な損害を被っている。ガラスに衝突して死んでしまう鳥、ガラス窓があるのを知らずにその前に巣を張ってしまう蜘蛛など、生物は正直なのだ。閑話休題木をいじっていると、時々得も言われぬ薫りが立ち上る時がある。庭の殺風景な光景はたちどころに高級デパートのコスメ売り場の周辺と化す。化粧品の大部分は植物から成分を取り出し、それを化学的に合成して香りのデザイナーが調合するらしい。デパートの入り口でオーデコロンの新作ですとか言ってサンプルをくれる時があるが、まあ人間とはいろいろなことをするものだ。庭石の積み方なども温泉や大きな公園の風景を見て勉強してみた。すると共通するのは、尖ったほうが上にする積み方と、平らな方を上にする積み方があり、これを組み合わせてたいへん姿の良い庭ができるようだ。また石の色や種類なども参考になる。明治の元勲山県狂介は庭いじりの名人で、目白の椿山荘などはその遺作であるらしい。造園屋さんに訊くと、コツは自然に見えるように置くことらしい。草花や樹木は成長すれば人口臭さは抜けるが、石は形が変わらないのでずっとそのまま、垂直だったり水平だったりは避けること。自然にそのようなものは水以外はないからだと。なので庭石は時々眺めてみて、あの石はもう少し右に振ったほうがいいとかもっと傾けたほうがいいとかキリがない。
2022.07.07
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関東は梅雨明けだそうだ。6月中に梅雨明けと言うのは経験したことも聞いたこともないが、これも異常気象のうち?と素人判断するしかない。どういうきっかけか思い出せないのだが、やはら庭をいじりまわしている。庭石を交換してみたり、積み方を変えてみたりと、飽きずにやっている。幸い空梅雨で雨が少なく、作業ははかどっている。庭石の積み方って実にいろいろあり、セオリーはないようだが、石の姿をじっと見ていると、この方向から見てくれと言っているような声がする(そろそろお迎えが近いかも)隣り合った石とのバランスもあり、ある種の妥協も必要なのだろう。露天風呂の石の積み方など大いに参考になるので、最近はしっぽり温泉通いもしている。梅雨に振り込められた場合も考えて、内業リストも作っている。摩耗した階段踏板の再生、漆喰の塗替え、窓枠の清掃など実に多い。スコップで土をいじりまわしていると、木の根っこやミミズやなんとカエルまでお目にかかる時がある。前に書いた自然は物理と化学で出来ている感想も新たに、いろいろなことに考えをめぐらす。庭をいじりながら、全然関係のないあの件をどうするこうするとか、あの金は誰に借金しようかなあなど、まさにマルチ人間である。人間ボーッとして生きていられないようになっている。小さな庭だが、正岡子規が晩年病床から障子の隙間を通して見た庭の風景は歌に仕立てられて残っているそうだ。南と北はビルに囲まれているので、空は狭いが鳥は入れ代わり立ち代わりきちんと順序を守ってやってくる。最初がカラスで、食料を探して飛び回り、叫び、だいたい六時ごろまで騒いている。次がスズメで、カラスに比べると小さくて可憐な鳴き声で、実にかわいい。庭の木で休んだ後、またどこかへ飛び立つのだ。鳥を愛でるようになると、花鳥風月の順番からいって二番目、次は風かな。
2022.07.01
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夢には全く未経験の世界は出ないと思うが、行ったことのない場所にいることがある。脳は未経験の世界を作り出す能力があるのだろうか。案外と先祖から伝わるDNAにそんな記憶が組み込まれていたりして(笑)2台のピアノと言うのは確かに現職時代記憶があってそれが元になった夢だと思う。建設会社にいたわたしは、得意先の工場長から家庭の防音で相談を受けたことがある。娘さんが二人いらっしゃって、それぞれ自分の部屋でピアノ教師をしているとのこと、ご両親とも最初は気づかなかったが、半年もすると不眠や頭痛が出始め、それは娘たちのピアノ教室から漏れてくる音だったことに気づいたのが始まり。現地調査をすると、娘さんたちの部屋は2階で隣り合っており、肩やアップライト、もう一方は小さなグランドピアノが鎮座している。お二人とも同じ音大を出てかなりの腕前、生徒さんが立て込んでくるとどうしても同時にピアノを叩くようになるが、時間帯の調整は無理、防音設備を施すしかないが、2階どうしはまだしも2階から1階への音の遮断はかなり無理がある。そこで一番カネのかからない方法、庭にプレハブを作ってそこに防音設備を施せばいいという提案をしたが、庭を狭くするのは嫌だとの奥さんの話で、立ち消えになったことがある。あの時のご夫妻の精神的苦痛はやはり音楽が好きだからで、ただの雑音としか捉えない人だったら苦痛には思えないだろう。精神統一すれば耳から入る音も克服できる。すべて「陽気発処 金石亦透 精神一到 何事不成」で、この漢文はわたしの出た小学校のモットーであった。校門にこの石碑と二宮金次郎の像が建っている。また校歌も似たような内容で「志をいったん建てたなら石を貫く矢もあるように、一心腐乱に勉強すれば世の中のためになる。そうして誠の人と成れよ」との大意である。悪ガキ時代だから、こんな意味わかるはずもなく、つとめはげみて のところでハゲた先生を見て笑い、つぎの「まことのひととうたわれん」ではわたし(名がマコト)をふりかえって笑うというありさまだった。先生ごめんね今ではわたしが同じ境遇に・・・小学校の思い出になってしまった。
2022.06.30
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前からだが、悪いことは人に話す、いいことは話さないという親の言いつけを守っている。悪いことはどんどん人に話してお前の悪いことをどんどん暴いてもらい、批評してもらって糧とせよ、と言う意味でした。しかし年を取ると批評してくれる人もおらず、また反論でもされたらめんどくさいのでほっとこうとなると思う。また人を批判するって案外ストレスがかかるのだ。昨日、変な夢を見た。場所はレストランか集会所かわからないが、公衆が集まっているところで二台のピアノがあり、それぞれ違う曲を弾いている。一曲はバッハでもう一曲はメンデルスゾーンだと思う。あまりの不愉快さにたまらず、「どっちかやめてくれ!」と叫んだ。そしたらみんな一斉に非難の目をわたしに向けるのだ。中でも若いお兄さんがガンを付けてきてなにやら言いたそうな眼付、睨み返していると目が醒めた。耳の周りを蚊がぶんぶん飛んでいるのでたまらず蚊取り線香に点火してまた寝た。また道を歩いていると黒猫が前を横切る時がある。これは欧州では不吉とされているが、わが国ではあまり問題にはならないようだ。しかしネットでも右からと左からとで違うらしく、これまた複雑な話であまりあてにはならないだろう。いちばんなるほどと思えるのは、いったん逆戻りして呪文を唱えてすすむというものだ。呪文は何でもいいらしい。南妙法蓮華経でも南無阿弥陀仏でもAmenでも好きなものを選んでください。それはそうとして、夢に出た聴衆はよほど変わり者なのだろう。二曲を一度に堪能する能力を持っているのだ。わたしも部屋ではテレビと鑑賞と音楽鑑賞と読書とゲームを同時進行でやる時があるが、二曲同時に干渉するというのはやったことがない。おそらく人は音楽として聴いているので、旋律を二つ以上同時に聴き分けられないのだろう。旋律は複雑に絡み合って官能を刺激するようにできている。二つの言語を聞き分ける同時通訳とは違って音楽を感じるところが違うのだろう。
2022.06.29
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温泉好きの人がいる。ピアノを弾くのが好きな人がいる。酒を飲むのが好きな人がいる。音楽を聴くのが好きな人がいる。山登りが好きな人がいる。人間さまざまの趣味をもっている。ここで言う趣味とは、仕事とは切り離している好きなことで、ほとんどの人は持っていると思う。仕事が趣味という人は論外である(笑)これを前提に話を進める。なぜあなたは温泉に行くの?と訊くと、非日常が必要だからと答える。なるほど、では非日常とは何?と訊くと日常のつまらない仕事や対人関係を忘れるため、一言で言えばストレス解消と答える。1DKの独身寮から、素晴らしい露天風呂と森の薫りが充満する環境は、たしかに日常的ではない。大金持ちなら温泉を所有してしまい日常になるのだが(笑)残念ながらほとんどの人は温泉に通うしかない。日常とは、人間が生活するのに必要な経済活動と生きるために必要な生物的活動だろう。ピアノは好きな人ならば何時間でも鍵盤に向かっていることができる。いわゆる拾い弾きと言うやつで、自分が出した音を無心に聴き、それをまた指先で表現する。時間はあっという間に過ぎ、もう夕方かとなりあわただしく夕食の支度を始めるというお母さんがいる。大人専門のピアノ教室に行ってみようかとモチベーションが上がる人もいる。三時ごろから一切の水分を取らずにひたすらアフターファイブのビールを非日常として日々取り込む人もいる。いろいろな非日常があってわれわれは日常を過不足なくごくフツーに過ごせるのだろう。しかし非日常は日常があって初めて成り立っている。まさに「職住足りて礼節を為す」である。非日常の楽しみを増やすには、経済的な余裕が欲しいということに気づく人は賢明で、また反面、非日常を日常とする人もいる。世間ではこれをプロと言う。芸術家、音楽家などはこのジャンルに入る。日常と非日常のバランスを我々はどうやって取っているのだろうか。日常、仕事が忙しければ非日常の時間は少なくなる。人間は忙しいとき一杯のビールを思い出し、ストレスがかかっているときに不思議と脳内でBGMが鳴り響いている。人間て危急の時に案外と全然関係ないことを考えているものなのだろう。このあたりが鬱にかかりやすい人、かかりにくい人との境目かもしれない。
2022.06.26
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こないだは夏至だった。夏生まれのせいか無性に夏が恋しいのだ。梅雨が来れば早く開けて夏にならんかなと思うのはわたしだけ?梅雨になっても夏のような天気が続く。なにがそんなに老人をはしゃがせるのか?まあ他愛はないのだが、まず水仕事は積極的にできるのだ。冬だと最小限の水量で、ちまちまとやってすぐに終わらせる。背中は丸くなり、まるで猫である。布団は重くなり、寝返りも打たず暖気が逃げるのを防ぐ。毛布は布団から20㎝ほど出して首周りを保温する役目で、電気毛布はもちろん使うが、ベッドに入ればスイッチは切る。電気代をけちるのだ。やたらと冬はケチらなければならない作業が多すぎる。早く暗くなるので照明もこまめに点灯消灯をくりかえし、かといって着ぶくれるので動作は鈍くなる。自然と脂肪は内臓に沈着し、メタボ気味になる。その代償として燃料代はかかるし手は汚れる。しかも天候は最悪で、早く暗くなるしなかなか夜はあけない。夜明けに忠実なカラスどもはなかなか鳴かないし、空は灰色で雲は低い。冬の存在はわたしにとっては悪である。しかし冬がなければ人類の発展はあり得なかったのだろう。暖かいところでまず人類は4大文明を築いたと習ったが、けっきょくはその文明は高度な武器と移動手段を持った北方からの攻撃に敗れた。冬があるからこそ住宅は発達し、暖房や衣服も発達し、人類は考えながら移動し、略奪しながら武器を発達させて今に至る。いまでもこの動きは変わっていない。閑話休題その点夏は正反対、汗はかき放題、短パンTシャツでOK,限りなくだらしないわたしはその本性をあらわしてくつろぐことができる。汗止めのタオルを鉢巻きにして巻けば土方仕事も何のそので、庭いじりも精が出るというものだ。狭い庭から空を見上げれば、真っ白い雲が西から東へ飛んでいく何気ない風情が快適なのである。ある落語家がネタにしていたが、花鳥風月と言うのがあって順序良くこれを愛でるようになると、人間そろそろ終焉に近づく信号なのだそうだ。庭いじりは花にあたるからその入り口なのかもしれない。それはそうと、パーシーフェイス楽団の代表的ヒット曲に「夏の日の思い出」があるし、似たような曲でミッシェルルグランの「思い出の夏」もある。両方とも映画になっており、不思議なことに、夏休み中の学生が年上の女性に恋をするという筋書きで、夏が終わるとともにその恋は終焉するというのも共通している。これが行き過ぎると直近の中学校女性教師が教え子によからぬ行為に及んだということで懲戒免職になったりする。やはりこれも夏の日の思い出である。夏はやはり生物の染色体が活発になり、生殖の季節なのだろう。で秋になるとタネが撒かれて厳冬期はじっと我慢、春になって発芽するのが植物である。人間は年中発情期なのだが。樹木に詳しい人は言う。発芽のサイクルも裏年と言うのがあって年がら年中タネを作っているわけではなく、やはり休養が必要なのだろうということだ。例えば金木犀は毎年花を咲かせているわけではなく、木によっては一年おき、二年おきに咲くのもあるとのことだ。またご近所の見事な藤の花を咲かせるオーナー氏も、花が咲かない年はわかるという。藤の木が全体的に元気良く、葉が厚くて緑濃いとき、花に咲かせる余裕がないそうだ。つまり、元気のいいときは種をまく必要がない。つまり花を咲かせる必要がないということらしい。これは人間もおんなじで、危険を感じると自分の遺伝子を残そうとする本能が備わっている。男子ならわかるはずだが、具体的に書くと楽天の場合NGワードになる可能性がある。大戦後の日本が急激なベビーブームを迎えた原因の一つは、600万人近い人口が戦争で減少した後、復員した兵士が家庭をもったことだが、やはり人口減少を憂いた民族の本能と言うか自動補填と言うか目に見えないベクトルが働いたのfではないだろうか。ネズミの個体が増えすぎると食料が足りず個体が減る。それと似たような原因で人が増えすぎると戦争で個体が減り、また繁殖で人が増えるということか。ともかく夏は生命誕生の季節である。
2022.06.23
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よくあることだが、現役時代にある程度の管理職まで務めた人によく在りがちなことが二通りある。まず前職での自分の地位と個人の地位が区別できない人、それから退職してからもこの地位を昔の部下に行使する人、両方とも最悪である(笑)現職時代に今の仕事を個人で立ち上げればもっと収入は上がる、仕事の内容は変わらないのだから、退職して事業立ち上げ、という考え方はサラリーマンによくあるのだ。しかしほとんどの場合うまく行かない。なぜかと言えば、周辺の人々は会社を通じて付き合っている人たちで、退職した人間と今まで通り付き合うのというのは考えられないからだ。いくら資格を持っていても、仕事は自分から舞い込んでこない。企業が成立するためには、地盤、看板、資金なのだ。なにやら選挙に立候補する人と同じくなってしまったが、よほど他の会社よりもとびぬけた技術や特許を持っているなら別だが、在職時と同じ人脈で立ち上げようとするのはまず不可能である。理由は、まずやめた人間と取引することは在職していた会社が許さない。裏で取引すればいい話ではあるが、いつかはばれるわけだし、また大きな問題は、おなじ取引条件にはならないということだ。実績を積んだ企業と、退職したばかりの人間の差がここにある。うまく行く条件はたったひとつ、在職している時点で、自分にとって代わる人間が企業にいないこと、また協力してくれる取引業者がいること、資金調達してくれる人がいること、この三つである。この組み合わせが最強の転職独立条件だろう。それには並外れた能力と努力、人間性が必要だろう。だからわたしも含めてほとんどの人間がお城勤めで定年を迎えるのだ。しかし中には現職時代に人脈を築き上げ、転職のたんびに年収と地位が上がっていく人材は確かにいる。こんな人間はどこに行っても通用するのだが・・・。同僚が本気で転職の相談をかけてきたときはビックリしたが、意思が固いとわかると特に無理に引き留めることもないからほっといた。彼は退職して2.3年同じ職種で頑張っていたようだが、業者から材料が手に入らない。手に入っても仕切りが高いとかがあったようで、これは別に会社が業者に強要したわけでもないのだが、なぜか彼は被害者意識だった。彼はいつのまにか以前の会社の地方営業所に雇用されていた。もちろん再出発の新入社員である。世の中甘くないなあ
2022.06.17
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縁があって、ご一家が60年暮らした家の後片付けを手伝った。ご両親のうち父親は10年前に他界、母親は施設に入居している。息子の顔もほとんどわからないそうだ。彼は結婚して二児を設けたが最近離婚、市内で働いている。妹さんは首都圏へ嫁入りして元のご一家は自然と解散した。「離散」では何か不幸があったみたいだし、「解散が一番ふさわしいかと・・・。役目を終えた家は何度もの地震にも耐えなお健在だが、息子さんは一人暮らしの身には大きすぎるとのことで、マンションに引っ越したため、いよいよ解体することになったのだが、中を整理していると、4人が共同生活した跡にいると、目には見えない「なにか」を感じる。いろいろ想像してしまうのだ。人間には誕生と死亡とがあるが、家にもまったく同様に新築と解体がある。新築の時には華々しく周囲の関係者が集まっていろいろな行事がある。上棟式を迎え、建て主は集まった近所の人々に餅や現金を投げる風習もなつかしい。いまは人間横着になり、近所でこれをやったのを見たことはない。新築して引っ越すと親戚、近所の方々を読んでお披露目的行事がある。引き出物まで出て、まさに人生のイベントの一つだった。60年間、家は人間4人を風雨から守り、犯罪者たちから守り、一家4人ケンカするときも喜び合うときもすべてこの家が基礎であったろう。学ぶのも遊ぶのもすべてここが起点だったのだ。柳田国男によれば、家は家族を作り、人の個数の増加に大いに貢献したとされる。従来は自然の地形を見つけてヒトはそこに住み着き、火を焚き、小川を見つけてはそこで水を汲んで煮炊きして生活した。食料を求めて移動、居住を繰り返し、獣の襲撃や事故で個体数は増加しなかったが、やがて集団を作ってその中に優秀なものがいて、知恵を出してそれを広めていった。共通の言葉を話して意思の疎通を図り、一つの集団となった。他の部族との衝突もあり、武器が考えられ、それによって幾多の集団が滅んでは生まれ、ヒトは食料を求めて移動した。家を建てるという文化はずっと後のことで、食料が栽培や家畜で生産されるようになってからだ。ヒトは定住民と移動民に大まかに別れ、前者は精密な家屋と田畑を計画し、道路も作り、水も小川だけでなく、井戸を掘って集落ができた。火は各家庭にいろりとなって、一家だんらんの場所となったのだろう。定住民は移動民によって侵略されるのが世界史の定番で、定住民は防御のための砦や要塞を作り、移動民は馬を思い通りに走らせる馬具、また騎乗姿勢で放つ弓の発明など、矛盾をくりかえしてきたのだ。家はしだいに集落となって集団で防御する城郭都市となり、ここでの生活は組織、連絡協議としての行政、政治機関ができたのだろう。柳田は遠野物語の中で、火と水の集約が家と家族を作ったと言っているが、全くその通りだ。いまでも家庭内には言ってみれば小さな小川(流し台、トイレ)があり、火(台所のガス台、暖房器具など)が設置されている。ただし家族と言っても常に一緒ではない独立新考えが生まれ、個室ができて火と水は家庭内で分散した。これが今のひきこもりの一因でもあるだろう。風呂だけは個人専用と言うのは一人暮らし以外は少ないだろうが、娘は父親の後を嫌って入りたがらず、トラブルの原因となる。閑話休題 おばあちゃんの自慢のタネだった着物ダンス、娘さんのコレクションだったろう人形棚や机の上を飾ったであろう日光での記念写真を見た瞬間、レプリカントが最後に言った言葉、「やがてそれも消える」が頭の中でジンジンなった。
2022.06.16
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ここ2.3日、あるイベントの実行に向けて、何人かの方々に協力を仰ぎ、なんとか実行できた。関係者すべての人にそれぞれ気を使い、スケジュールを調整、まとめて実行する作業は細かいが没頭すると時間も忘れる。いろいろな職業、考え方の違いの方々をそれぞれに合わせるということはしんどいが、これによって人から信頼されるのかもしれない。大した経験もないわたしをサポートしてくれるのはありがたい。これが会社組織となるとこうはいかない。すべての人付き合いは組織での上下関係、また個性は無視して、対人マニュアルで動くのが原則だから、いまのようなすべての人がまず平等と言うこととはだいぶ勝手が違う。それを忘れて、在職した時の経験をもとにして人と付き合うと、まず失敗する。年下の人には部下扱い、年上の人には上司扱いをどうしてもしてしまうことがある。わたしも気を付けていることではある。したがって、自然と会社勤めのころの仲間とは少しづつだが、遠ざかっていく。新たに共通の趣味を見つけたりすれば別だが、退職後はそれぞれみんなその時の成り行きで終の棲家を見つけるわけだから、せいぜい年賀状のやり取りぐらいだろう。人間づきあいの基礎は、仕事抜きで培われると思う。学生のように純粋になれるひととき、悠々自適と言っていいのかもしれない。
2022.06.14
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数年前、日本のトップトランぺッター日野皓正が中学生をビンタした事件があった。YOUTUBEでマツコのコメントがあったので視聴してみると、なかなか正論だったので取り上げてみた。ただ手放しでほめているわけではないが、教育委員会のジャズに対する立ち位置を痛烈に批判している。少し背景を紹介すると、世田谷区の教育委員会が日野皓正を講師として、ジャズ演奏の研修会を開催した時のアクシデントである。講師の日野の支持を無視してドラムソロを勝手に始めてしかもやめようとしない中学生をビンタしたという他愛のない話で、しかも中学生の父親が謝りに来たというオチもつく。マツコはまず、「ジャズのような自由な音楽」を教育委員会のようなものが取り上げるべきではないということを言っているが、そんなにジャズは自由でもない。よく言われるのは確かだが、ホントに自由な音楽ってあるのか知らん。これはクラシックに対比して言っているのだと思う。しかしある意味で正鵠を得ているのだ。中学生がドラムソロを講師の指示に従わずやめなかったという話も、中学生はジャズが自由だと思ったからこそやめなかったのだろう。しかしそんな世界にもチームプレイと言うのはある。これを無視した行為に日野はカチンときたのだろう。マツコは、日野はジャズ界で苦労してのし上がってきた人物で、彼を講師とするのなら、教育委員会の方も彼をコントロールできる人間を入れるべきだったという意見にはわたしは大賛成、日野はあくまでジャズトランぺッターであり、父親からタップダンスをスパルタで仕込まれた経歴の男、それとも教育委員会はこの男に中学生がなにかも感じ取ってくれるなら重畳とばかりこの企画をしたのかもしれないが、彼には講師としての資質も心構えもないと思う。もしここに司会者のような形で教育委員会の人間がステージかたわらにいたら、日野はここまではせず、教育委員会の人間にそれなりの抗議をしたのではないだろうか。マツコは教育委員会の丸投げ体質をも批判したのだと思われる。わたしはこの中学生のドラマーとしての資質に興味がある。中学生の分際で日野皓正の指示を無視して逆鱗に触れてビンタを食らったという彼には一生残る傷となり、おそらく癒えることはない。その痛みは彼を奮起させ、努力させるかもしれない。彼が超一流のドラマーになれば。日野のやったことは正しかったということになる。
2022.06.11
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【ふるさと納税】Yakult1000オレンジジュースセット【千葉県内お届け限定】 / 乳酸菌 飲料 健康 整腸 千葉県いまヤクルト1000がバカ売れで品不足なんだそうです。知り合いの歯医者さんがこれを飲んでみて、九時間ぐっすり寝れたという経験がSNSで投稿されたり、プロ野球の球団が全選手にこれを飲めと指示したりと、中には転売して高値に吊り上がったり、本家のヤクルトは一切品質保証はしないとのコメント出したり?昨今のこの手のブームは数年前のバナナブームよりも早く湧き上がって減衰するのも早いのかもしれない。しかしこれが本物かどうかは飲んでみなくちゃわからない。近所に配達に来るおばちゃんに頼んでもいつ入るかわからない、わたしたちも困っているとのことでした。とにかくヤクルト始って以来の大ヒットらしい。こんな時、落ち着いて大人のふるまいを見せる企業が生き残るのだろうなあ。焦って増産して、そういえば機械に細菌が繁殖して中毒者を出した会社もあった。食品は直接体内に入るから、日本ぐらい厳重に管理していればまあ安心だろうが、たまにこんなことが起きると微生物って恐ろしいなあと思う。微生物と言えば発酵と言うのは微生物が食品に取りついて腐らせ(言葉悪いが)るから、人体に有害だと思うのだが、納豆やチーズやヤクルトの乳酸菌だって微生物、善玉と悪玉がいるのだろう。話変わるが、納豆って朝食べる人が多いらしいが、わたしはあの食後の口の中がねばねばするのを朝から味わうのが嫌で、習慣になっている。同僚で、社員食堂で納豆が出ると逃げていく輩もいたっけ。彼は確か四国生まれ、納豆なんて食い物じゃない、あれは腐ってるよねと常に言っていた。地域による文化の違いは恐ろしいほどはっきりしている。これからはこの教会はネットの影響で解消されていくのだろう。ヤクルト1000もいつまでこの人気を保つのか?本物なら買いです。
2022.06.09
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アイドルストップが廃れるのは時間の問題だと思っていたが、やはり自然消滅らしい。わたしが車を運転するようになったのは約半世紀前、バッテリーはしょっちゅう上がり、この時のテクニックとして押しがけ(車を押して勢いに乗ったらクラッチをつないでエンジンを再始動させる危険な技で、二人ないし三人いれば安全に押せたが、めったにこんなに乗っていない。エンストした車はお互いさまと言うことで、よく後ろの人が押してくれたこともあるいい時代だった)があり、街のあちこちでこの光景が見られた。もちろんマニュアル車だからこそできたことだ。ブースターケーブルはまだ普及していなかった。バッテリーは高価で、しょっちゅう変えられるものではなく、蒸留水を薬局から購入して(この方が安かった)バッテリーの液面に注意しながら補充していた。また注意するのは、発電機やラジエーターファンを回すベルトの張りで、ときどき締めなおしていた。それでもベルトはよく切れた。いまのようにえんこした車が見られない時代では考えられないことである。そんな経験から、エンジンを始動するということは、バッテリーを消耗し、スターターモーターのギヤを摩耗させる一大作業だったのだ。それが昨今、交差点を歩くとあちこちでエンジンがかかる音がするのだ。結構耳障りだし、同乗させたもらったときなど、止まるたんびにエンジンが止まったりかかったりで忙しい思いをした。メーカーの説明は、この装置で燃費が稼げるという理屈で通していたが、スタートするときに一瞬もたつきがあるということは、車にとって性能の大きなマイナスではなかろうか。即座に反応してほしい時もあるのだ。わたしなら絶対にこんな装置の付いた車は買わないなと思っていたらほとんどの車がこれを装着していた。不必要な装置が付いた車を買わされる身としてはおもしろくない。取り外してくれと言ったら補償対象から外れますよと脅かされた。これって一種の偽善的装備なのだ。メーカー同士、うちは燃費対策にこんな装置を付けていますよと言う有利な売り込み文句にもなるので、同じような装置を我も我もとつけた結果、やっとメーカーもこのバカさ加減と言うか不毛の装置に気づいたのだろう。車本来の性能から外れた装置など意味がないのだ。悪貨は良貨を駆逐するか。
2022.06.08
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わかったようなふりして生きていくのも疲れるので、まずこの横文字の意味を調べた。まずパラダイムの意味は動詞や名詞の変格、単複数、名前の男女の違い?シフトとはギヤシフトとおんなじで、変えるということらしい。これを連続して言葉にすると「世相の変わり目、大勢多数の考え方が変わる時、産業体制が変わる時」ならば、Gワットの蒸気機関の発明などはそれにあたるなあ。ライト兄弟の飛行機の発明もそうだし、劇的な発明ってパラダイムシフトが起きる可能性が高いのかもしれない。最大のパラダイムシフトはやはり19世紀の石油の発見?このおかげで世の中は激変、流されてしまう人も流れに乗る人も様々と言うのはいつの世も変わらない。大発明と思われた飛行機も石油がなければ飛ばないし、蒸気機関もまたガソリンエンジンにとって代わって絶滅している。そういえば、我々の周りでも最近見ないなあと言う職種や最近やたら出てきたなあと言う職種がある。今見ないのは豆腐屋、折り箱屋、鍛冶屋など。なくなった理由はわたしなりに考えると、共通するのは過酷、需要減である。これらは家庭内工業から大規模な工場にシフト、鍛冶屋に至っては修理せずに買い替えるほうが安いし、簡単だからだ。なぜ魚屋、肉屋がまだあるのかはわからない。だれか知っている人がいれば教えてほしいものだ。今朝のニュースで、日本を代表する石油元売りの新社長が出演していたが、彼はまず「ガソリンスタンドではなく、サービスステーションです」と苦しい定義をしている。それで狙うのは充電スタンド、また宅配の取次ぎや水素ステーションへのチェンジなどだ。しかし石油からのシフトは急激には行わず、その間の底辺支えをするとのことであった。現在、パラダイムシフトは昔と違って速度が速くなっている。家庭内工業はまちがいなくメジャーにシフトしている。近場でこんな例があった。あるお菓子屋さんの後継ぎだが、父親から直伝の技術指導を受け、ある時は取っ組み合いのけんかをしながら一人前になった。しかし彼は父親がなくなるとすぐに店を廃業し、製菓工場に勤務し始めた。時間は正確だし、休日は取れるし、なによりも気楽だという彼の弁には全く同意するものがある。反面、勤めていた経験を生かして独立し小さな店を開く人や、無人となった農家に移住し、新たに農業を始める人もいる。社会が安定していけばこのような選択肢を選ぶ人は増えていくと思う。
2022.06.08
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今日は語呂合わせにて、老後の日だそうです。しかし老後とはその名の通り、老けた後と書く。「老人」は「老けた人」又は「老いた人」と書くが、こっちは今まさにOld manの現在形、「老後」とは老いた人がこれから何をやるか?と言うことに使える言葉である。一次退職(年金を一切もらわずに働いた期間で通算35年ぐらい、わたしは最初の退職をこう呼んでいる)二次退職(年金かさ上げのために働いた期間で通算5~7年)と区別している。この二つを務めあげて今や完全年金暮らしだが、何度か一次退職した会社の仲間に誘われてOB会に参加したことがある。気心知れた仲間であるので、和気あいあい、しかも仕事抜きの話なので快適な会話が続くが、何か物足りない。と言うのは話のネタが自然とOBたちの去就になってしまうのである。仕事の仲間だった連中と新しい話題を探しても、どうしても家庭に立ち入るようになってしまうので、やはり無難なのは出席していないOBの話題なのだ。それから今の仕事の話も出る。働いている人たちが異口同音に言うのは、「働いていないと何をしていいかわからない」である。わたしはこれにいつも違和感を覚えるのだが、もちろん口に出すことはない。人間いつ死ぬかわからない。明日行くかもしれないし十年後かもしれない。なので一刻も早く仕事をやめて自由並みになり、いつ死んでも後悔しないような一日を過ごしたいと思っているのだ。仲間は現役時代よりもだいぶ減ったが、趣味を通じてなので、仕事抜きの人間関係と言うのは実にいいものである。ただし、配偶者、子供、孫の話は軽く流して触れないようにしている。新入りもまた空気を読んで自然と川の流れは同じ方向に向かう。このあたりが女性と違うところか?うちのだけかもしれないが、女性同士の会話ってまず子供の自慢話ではじまり孫自慢で終わる。マウンティングするのはフランス人と結婚してパリにいる娘を持つ奥さん、わたしは彼女が嫌いなのだが、まさか来るなとも言えずにいる。このあたり女の付き合いは大変だなあと思ってしまう。その点、同じ趣味を通じてできた仲間は男女問わず子供、孫自慢はしない。早く仕事をやめて好きなことを、趣味に没頭したいとわたしは常に思っていたのだが、そう思わない人もいるのだなあと思う今日この頃だ。
2022.06.05
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今年の夏至は6月21日だそうです。さくらが終わって青葉の季節になり、5月も中旬あたりから大気が香るようになり、まさに風薫る5月を迎えます。しかしいつものことですが、夏至が近づくにつれなにかまだ日の光を一杯浴びていないなあという焦りのようなものを感じるのです。熱くなく寒くなく、散歩するにも旅行するにも最高の季節だと思うのですが、夏至は梅雨の真っ最中、じめじめした季節のうちに夏至が終わり、今度は日が短くなっていくのですから、何となくゆううつでありますね。梅雨が明ければ酷暑の夏、すべての営みはこの季節に向かって花開き、あっという間に頂点は過ぎてゆううつな秋が来るのです。冬は論外、ひたすらじっと過ぎるのを待つという感じかな。わたしの季節感はいつもこんな感じ。
2022.06.03
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今日は海軍記念日、いまから117年前の5月27日、日本海でロシアのバルチック艦隊と日本艦隊が交戦し、後者が圧倒的な勝利を収めた日である。よく覚えているのは、わたしの次男が前日生まれているからだ。そのころのわたしは戦史に凝っていたので、よほど平八郎と言う中江にしようと思っていたが、周囲の大反対もあって断念した覚えがある。今思えば付けなくてよかった、というのは、この名前を恐らく親からもらったのであろう、政府の財務官が電車内で酒に酔って不祥事を起こしたからだ。閑話休題東郷平八郎は敗戦後もあちこちの石碑や記念館は取り壊しもされずそっくりしている。また当時の旗艦「三笠」は横須賀に係留されて博物館となっていて、江田島にある海上自衛隊幹部候補生養成学校(旧軍の海軍大学校にあたる)周囲にも東郷元帥の胸像や揮ごうなど多数現存している。これに比べて旧陸軍は影薄く、せいぜい乃木神社が都内に残っているぐらいで、海軍と比べてさみしい限りである。日本海での大勝利が、日本に与えた影響は、やはり日本が海軍国だということと、民族の伝統と言うか海軍は日本の国土と深いつながりがある。海岸線の長さが、日本は世界で第六位、これはカナダ、ロシア、ノルウェー、インドネシア、フィリピンに次ぐ順位で、オーストラリアよりも長いのだ。感覚的にえ?となるが、日本は島国でもあり、多数の島嶼を抱えているから海岸線も長くなる。ロシアや中国は国土が広いのでこの比率は下がる。なぜこんなデータを取るのかと言えば、実は海岸線の長さと国土の広さは、その国の国土防衛に密接に関係しているからだ。日本がまず古来から学んだことは、水上の戦闘は陸上のそれに比べて短時間で終了するので効率がいい。鎌倉時代の蒙古襲来がその最初の学習で、上陸した蒙古軍を撃滅するのは大変だが、その後の台風の襲来で沈没、大破した蒙古軍は自ら自滅し、日本軍は戦わずして勝利者となったことに気づいたのはのちの日本陸軍大学校の教官である。彼らは、日本の歴史からそのような故事を選んで勉強した。最小の兵力で大群を打ち破る研究だ。桶狭間の戦い、ヒヨドリ越え等、寡軍が大軍を破った例ばかりである。壇ノ浦の戦いのみが水軍同士の戦いは陸上に比べて勝てば効率は良く、決戦することができる戦いの形態だとしたのである。これらの研究が偏っていたのはその後の日本の軍隊がたどった歴史を見れば一目瞭然であるが、大軍を集中して敵を破るという当たり前の法則は無視され、偶然が重なって得た勝利の例ばかり研究しても仕方のないことに気づく軍人はいなかったのだ。日本軍の伝統的な戦法に劣勢包囲と言うのがあった。これは相手が未熟な中国軍だから可能な戦法だったが、これを太平洋戦争の各地で使い、日本は敗北した。劣勢包囲はあちこちの戦線で見られた。閑話休題何を言いたいかと言えば、日本は地勢的に海軍国であり、ロシアや中国のような広大な陸地の保全をする必要はない。逆に狭い国土の周囲は海で、ここを渡ってくる敵に対する戦略を考えなければならない。なのに今年度の海自要求額は1.4兆円、陸自が3兆円以上なのにだ。この考えは、陸上こそ決戦地域で、上陸してきた敵を水際または内陸へ誘いこんで撃滅するという戦略が垣間見えるのだ。この考えは保守的で、標準的な考えでしかなく、日本独自の戦略とはとても言えない代物である。俗にいう本土決戦で、国民の財産から生命を危険にさらして戦闘するというのはどうもいただけないし、支持も得られないと思う。何よりも大事なのは、四周を囲む海の監視である。この目が発達していなければ忍び寄る敵を発見して反転させるか、撃沈するかの選択もできず、敵の思うがままになる可能性がある。なぜなら攻撃は自由に場所と時間を選択できるが、守備するほうにはそれはないということだからだ。そのために海上部隊は隠密性を持った監視能力も備えなければならない。それには潜水艦が最適、長距離を遊弋する必要はないから、原子力潜水艦よりも静粛性に優れたディゼルエンジンを積んだ潜水艦の方がその能力を発揮するだろう。その技術の向上はカネがかかる。これの研究で優位に立つことは国の防衛にかかる重大事であって、選択の余地はないと思う。昔の海軍は88艦隊と呼ばれて、いわゆる大鑑巨砲で敵の侵略意図を起こさせず、相手に見せつけるのも役目だったが、これの欠点は相手の装備がわかるだけに、ではこれより大きなものを作るという競争に陥りがちで、大変なカネがかかる。いまは「どこに潜むか何を持っているかわからない状態」を醸し出すのが最善とされる。また戦略もはっきりさせず、もやもやとさせておく。こっちの意図を計りようがない以上、敵もそんなにやすやすと攻め込めないはずである。
2022.05.27
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スマホやPCで検索していると、必要なものを見つける前に関係のない情報が目の前をふさいで邪魔する。イライラするが、資本主義の賜物と考えてその恩恵に甘んじることにして甘受する。つまり、必要な情報はすべて無償提供してあげてるんだよ、そのかわりうちの商品を買ってちょうだいということだと思う。昔は必要な情報を得るには外に出ていって学校の図書館か、先生か友人かから得るしかなかった。その情報は少なかったが正確で、良心的だった。勉強する人としない人の環境格差は大きかった。野口英世は猪苗代湖の湖畔に生まれた貧農?の環境にありながら自ら行動し、必要な情報を友人、知人から得て習得していった。それ以外の人的関係や世の中の交わりのルールなどは得る余裕がなかった。のちに名声と引き換えにいろいろな悪評が残るのはそのせいかもしれない。我々は現代で、彼とは比較にならない速度と情報量の過多に会って戸惑う時間の方が多い。そこにたどり着くまで、ネット内の歴史学者が創作歴史を売り歩き、テキトーな創作記事をもっともらしくニュースとして配る連中を排除しながらだから大変な作業。野口のころはそんな余計な連中はいなかった。ひたすら彼は顕微鏡の扱い方、細胞の染色の方法など、文献だけを机にそろえて勉強できた。効率は彼の方が上だったのではないか?今の医学生の知識は、おそらく野口英世の数倍に匹敵するだろう。しかし知識欲と言うか好奇心と言うか、そんなものは持ち合わせていないだろう。しかし、人間的に、社会的にバランスが取れた適応力のある人間としてただ存在するだけなんだろう。閑話休題トイレで読書するのが悪いくせだがやめられない。付箋も持ち込んで、わからない言葉が出ると付箋を貼り、後日2,3か所になるとまとめて検索する。「予譲の衣」ということわざがある。相手を憎む表現に使うらしいが、早速調べる。意味がすぐ分かるまでわずか数十秒、小学生の時にこんな便利な世の中になってたらなあ、いまごろ東大はおろか、ペンシルバニア大学のキョージュになっていたかもなあ。周りもそうなっているからそれはないですね。「予譲の衣」とは、晋の時代、主人を殺された予譲と言う剣士が何度か仇をつけ狙うがことごとく失敗し、最後に仇の衣をもらい受け、これに三度切りつけてかたき討ちをした故事にちなむそうです。一つ知識を得たが、パソコンないころなら、まず図書館に行って大日本百科事典の棚に行って半日はかかったろうな。まことにありがたい世の中。
2022.05.23
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東郷平八郎からもらったと思われる名前負けしたのかもしれないが、エリートがまた酒でしくじった。案外と高学歴人間が電車内でしくじるって多いようだが、なぜなのかは心理学者にお任せするとして、酒に飲まれたのだろう。元来日本人はアルコールに弱い民族なのに、昔から、戦国時代から酒は強さの象徴だった。下戸だった戦国大名をネットで調べても織田信長とか、毛利元就とか、なんとなくわかるような気はするが、彼らはトップを極めたから酒など飲まなくてもいい立場にいたのだろう。また、酒が一滴も飲めないが、酒席で見事なふるまいを見せる人がいるが、あれなど才覚の一つだろう。こんな人ほど上に立つのではないだろうか。おそらく信長も毛利元就も、その演技がうまく、また酒を上手に部下を使うツールとして扱えたのだろう。ヒットラーなぞは逆で、官邸での酒宴や喫煙を一切禁止していた。部下は禁欲的な生活を強いられたが、地下壕に移ってからは軍規乱れてけっこう飲んでいたらしい。部下が彼についてこなかったのは歴史が示している。彼は狭量で、自分の好みを部下に押し付けた。このあたりが酒をうまく使った信長たちとは違うのだろう。閑話休題現代の大名たちはどうだろうか。だいたい新橋あたりではプラットホームに酒の自販機があったし、俗にいうセンベロ地帯だった。サラリーマン、一日のクロージングに酒は切り離せないなんて勝手に思い込んで酔っ払い、周囲に迷惑をかけて醒めれば憶えていないで済むようだからまさに日本は酒飲み天国、中近東のアルコールはご法度とは正対する国である。このエリートは酒飲みの習慣がなかったのかもしれない。あればいささか飲みすぎればタクシーで帰るとか、ホテルに泊まるとかいう知恵もあったはずだが、元々ケチな性分なのか、公共交通を使用して一生を棒に振ったわけだ。たしかNHKの有名アナウンサーもこれをやったはず。酒の失敗は予測できない。麻薬と同じで本人は知らず知らずのうちにどっぷりつかっているということがほとんど、まさに人間の弱いところに付け込んでくる悪魔の習慣である。道路交通法では通常の違反よりも飲酒した場合は類型的に重い過料が科せられる。一般の量刑も酒が絡んだ場合、数倍の過料を科すことがいいと思うのだ。このぐらいしてちょうどいいのではないか。
2022.05.22
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この数字は全国的に超有名になってしまった。記憶力の悪いわたしでも覚えたぐらい、毎日メディアで叩きこまれると夢にも出そうな雰囲気だ。町長は本音を吐けず、ただひたすら誤送金された金は戻ってくるとコメントしているのがいじらしい姿には気の毒だが、第三者はおもしろがってまさにネタにしている今日この頃。わたしもすでにそんなジャンルに入っている。わたしだったらどうするか?変身願望で空想してみた。 ある日突然口座に4630万円が振り込まれた!で、今日は金曜日、10時10分を過ぎたところである。慌てた市の職員から固定電話にかかってきた電話。「大変申しわけありませんが、あなたの口座に間違って振り込んでしまいました。これから銀行にご同行いただきたい。」わたし「すみませんがわたし留守番なので戻ったら電話させますが・・・・」で考える時間を作る。現実世界では銀行は全くこの預金についてはロックもせずに口座名義人が自由に引き落とし可能にさせていたので、空想世界でも同様とする(汗)わたしはすぐ支店に出向き、払い戻し請求をする。金額は4860万円、もちろん体積は100万円=1㎝として46.3Cm厚みで重量は5㎏弱だから、大きなバッグを持っていく。支店長が今日中には全額無理なので明日まで待ってくれと言う。では本店まで行くから今日中に用意してくれと言うとOKが出る。日銀支店のある県庁所在地まで行く。で、午後には現金全額が手に入る。で、海外へトンズラと思ったが、国内の総資産を捨てるとなると評価額では4630万を上回るはずだから思いとどまる。ではやっぱりギャンブルか、あるいは株か、それとも不動産取得か?わたしはほとんどギャンブル感覚はゼロ、もちろん株式投資も一度しかやったことがない。こっちは倒産して全額損している。わたしには投資と言うのは縁がないと悟っている。考えてみれば、そんな才覚もない男が海外に逃亡してなにやら事業でも始めたいと思っても何の知識もないし、コンサルタントあたりに訊いてみようと思っても人脈もない。逆に小金を持った日本人がいるといううわさを聞き付けたよからぬ連中に脅かされるか殺されるかの末路は見えている。ならば、やはり国内で何かするか?ウクライナに全額軍事援助か?安い自爆型ドローンならこれで5発ぐらいは買えそうだ。あるいはめぐまれない子供たち「お母さんなぜごはん食べないの?」と言うあれに寄付?しかしあれだってCM費用など出せるぐらい資金力はあるのだから寄付しなくてもいいのでは?寄付も選択肢多すぎて断念。では慈善事業にするか。インドのノーベル賞もらったという金融業者のマネをして貧者に事業資金を貸すことにするか?しかしこれも免許が欲しいだろうし、とにかく数日後には当局者の返金してくれとの申し入れにうるさくつきまとわれるだろう。やはり返却してありがたられたほうが社会の良識?よし決まった!弁護士を雇って交渉させよう。今弁護士は吐いて捨てるほどいる。裁判所の周辺には事務所が雨後の竹の子のように林立している。犯罪者にはなりたくないし、かといって全額をああそうですかと簡単に返すのもしゃくに触る。弁護士に託するのは次のとおり誤送金の責任を問う慰謝料を請求する自治体首長および議長の詫び状提出これらが認められない場合は裁判にする(可能なら全額供託する)このくらいが庶民の空想の範囲ではないか。
2022.05.21
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縁もゆかりもない北海道に会社の転勤で行ってしまった次男坊、彼は現地で嫁を娶り、40歳までには家を建てたいと言い出した。子がないせいか、家という愛の巣で夫婦のアイデンテティを確立したいのかどうかはわからないが、いずれにしても頼もしい限りではある。わたしには、彼らがまだ成年に達しないころ,増しては次男坊がまだ中学に入学するかしないかのころにやむを得ない事情で配偶者を離縁した経験があるから、彼らにはずっとすまない気持ちがある。今でもその感情は消えることはないが、親はなくても子は育つのだなあという感慨しきりのころ、しかし次男坊が家を建てたいというシーンに遭遇すると、やはり父親としては自分でもびっくりするぐらいオーソドックスで保守的で当たり前で意地悪な意見を言わなければならなかった。ほとんどのやり取りは長男とわたしと次男とがLINEでグループを作り、その中でコメントを出し合うのだが、そのグループの写真は我が家のお墓である(笑)やり取りの大意次男「家を北海道に建てたいが意見は?」いきなりこのコメントの襲撃である。長男「大賛成!できたら呼んでちょうだい」こいつは論外だな全く人ごとだ。ちなみに長男は都内に住み、女の子がいる。わたしとしても初孫なので写真や動画をねだって送ってもらっている。わたし「父親として頼もしい限り、早い方がローン組むのも楽だろうし賛成だよ」しかしこの後にふつふつと湧き上がる負の感情!どうしようもない。思い切って言ってみた。賽は投げられた!わたし「お前、嫁に引っ張られてるんじゃねえの?」ちなみに嫁の母親は健在ですぐ近くのアパート暮らし、続いてもうとまらないわたし「婆さんを引き取ることになるのは目に見えてる。長男(嫁の兄)がいるんだから話を付けろや!」まるでやくざのせりふである。この兄は離れて全くカンケーねえところに住んでいる。近くにいる娘に面倒見てもらうのが親としてはいちばん幸せよなあなんて言っているセリフが聞こえる。幻聴か?わたし「他人の親を面倒見るんだから、長男と話し合ってうまくやられないようにしろよ」わたしの剣幕に驚いたらしい次男坊「その件は嫁と話し合って決めている。親の面倒は見ないと」わたし「そんなことは空論である。じっさい母親が娘を頼ってきたらお前は負けるんだよ!勝てとは言わないが、搾取されないようにしろよ。人生の経験者として言うが、お前の立場は誰が見ても嫁に引っ張られたと思うだろう。ただしかなり援助してもらったんだろうなんて勘ぐられるだろう。それはそれでいいから家を婆さんの近くに建てるならお前ひとりで苦労することはないよ。俺がお前を育てたのは、他人の親の面倒を見させるためじゃねえ」最小限だが言うべきことは言ったので鉾を納めた。次男坊もわたしの反論は予想内だったようで、落ち着いてはいた。次男「北海道は地震が少ない」わたし「そんなことはない。いま日本のどこで地震が起きてもおかしくない」とっさに地名までは言えなかった。わたし「そんな寒いところにわざわざ家建てなくても。一生貸家の方が気楽かもよ。社宅住まいって手もある。地震保険だの火災保険だの入らなくて済むしな。まして一戸建てなんて古い考えだよ。」さっきまで家建てるのはいいことだと言っていながら反対意見になった。まあこのあたりでやめようとクロージングに向かう。わたし「基本的にお前たちには、自分が親から施されたことは子に返そうとしてやってきた。両親はわたしに介護などさせるつもりはなく、すすんで施設に入り一生を終えたから、お前らもそうしてくれ。自分の面倒は自分で見るから安心せい」どうしてもグループだから兄弟そろってモニターしているわけでこのような言い方にはなる。あんがい嫁にも見せてたりして・・・。ラインは記録になるし、印刷もできるって知ってましたか?しかし一時配偶者の反乱で危ぶんだ子供たちもこうして独り立ちしているんだなあとしみじみ思った初夏でありました。格言「親はナスでも子は育つ」
2022.05.19
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軽いジレンマを感じるのは、やはり人間性善説が当たってるなあと思うニュース、盲目の会社員が停留所で居合わせた小学生の案内でバスに乗る手助けをしてもらうのだが、小学生のこの善行は後輩にも受け継がれ、脈々と続いているという話、まさに感動モノですが、反面誤入金された大金をネコババしてトンヅラと言う若者もいてこれまた善悪説の極地?前者の善行は、まだ世間の垢にまみれないうちの純粋な気持ちがそうさせたのだと思うし、後者もまた、ニュースによれば、一人で移住してきたごくフツーの若者で、これから自分の人生を切り開こうとしていた矢先、まさに悪魔の偶然が彼を悪人に変えてしまったと思われるので、もともとは悪人ではなかったのだろう。また、彼には自分は被害者だという意識もあるのだろう。思い出すのはメルヘンの世界、池に木こりが鉄製の斧を落としてしまい、池の女神が木こりの前に表れて金と銀と鉄の斧を見せて「汝の斧はどれじゃ?」と行く話は有名。あれで金の斧だと言えば悪人、正直に鉄の斧だと言えば善人ということになるが、木こりの選択はどっちだったか忘れてしまった。5千万円近いキャッシュを手にした若者の選択肢はたくさんある。自主的返納、海外逃亡、国内隠棲などだが、このうち海外でこの資金を元手に事業者となり、数年後全額を街に返金してきたなんて言うことになったら痛快(不謹慎だが)だろう。他人事だから無責任にこんなことを想像してしまいました。
2022.05.14
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朝ドラ,たまたま数日前見るとはなしに見ていたら、主人公の一人が酒瓶からラッパ飲みしているシーン、こんなシーンが野放しで放映されている。まさに日本という国は酔っ払い天国と言われるんだろう。わたしは下戸ではないが、だらしなく酔っぱらう連中は苦手である。勝手に酒を飲んでクダ巻くなんて男らしくないし、みっともない。飲むなら勝手に人に迷惑をかけないで飲めと言いたくなる。NHKもなんだかなあ。酔っ払いを作り出しているようなもんだ。わたしが酔っ払いを毛嫌いするのは、自分でも少し異常かな?と思うところはあるのだが、おそらく幼少のころ、周囲がまさに酔っ払いで充満していたせいもあるのだろう。何が嫌かと言えば、日頃は温厚で優しいおじさんが夜になると狼男ののように変身、暴君と化すのを何度も見てきたからだろう。小学生のころ、わが街は新興の工業都市で、国鉄や大手電機工場や化学工場などが駅中心に林立していた。したがって同級生の親たちは工場勤め、いわゆるブルーカラーが多く、退出時の夕方になると駅へ通じる道は彼らで満ち溢れ、彼ら目当てに酒屋が裏で商売していた(酒屋が表向き飲み屋をやるのは禁止だった)。衝立や屏風で店を仕切り、裏に机といすを出して即席のカウンターを作り、ストーブでするめをあぶり、つまみにしていた。コップになみなみと注ぐのだが、わざと受け皿にこぼすのが人気で、そのような店は大繁盛、駅に近づくにつれて酔っ払いはその数を増し、駅前広場はまさに酔っ払いの集団が右往左往、ケンカや行き倒れが続出していた。また懐の豊かな酔っ払いはそのままバスに乗らず、キャバレーやダンスホールにしけこんだ。そんな光景を見ながら育ったわたしだから、当然酔っ払いを嫌悪した理由である。同級生の中には、親父に夕べ殴られて片耳が聞こえないと訴える生徒もいた。酔っぱらって帰った親父は酒乱気味で片っ端から物を壊し、子供をけり、なぐり、母親を罵倒したそうだ。最もひどい家庭は、父親が帰ってくると裏口から隣の家へ逃げる逃走経路が示し合わせてできていた。「ほら父ちゃん帰ってきたからにげろ!」てなもんである。いかに当時酒乱と家庭内暴力が多かったかわかるだろう。こんなだらしない文化が今でも追従され、酔っ払いはある意味で特赦を受けていたのだ。酔っ払いに最も寛容な先進国と言ったら日本が真っ先だと思われる。当時の親父は共稼ぎ少なく一家の大黒柱が多かったから、家庭を背負っているその責任感も多少はあったのだろう。そのストレスがDV,暴言につながったのだろう。日本人は元来アルコールに弱い民族と言うのが定説で、白人のようによく映画などで見るビジネスシーンでウィスキーをデキャンターから注いで一杯やるというのは余りない。弱いから酔っ払いが多いというのは当たり前だろう。いまでこそあまり酔っ払いは雑踏の中にはいないが、我々が子供のころは日常風景の一部だった。酔っ払いが家に侵入し、次の日真っ青になって奥さん付き添いで謝りに来たり、縁の下(昔は床を土間から上げていたので空間があった)からごそごそ音がするので懐中電灯で見ると人が大いびきをかいて寝ていたり、ホステスさんと客が絡み合って通学路を行くという風景は脳裏に焼き付いている。同級生の親が近所でキャバレーを経営していて、ホステスさんは住みこみで、よくペレスプラードの音楽に合わせて道路でダンスの練習をしていた。父親が勿論教師役だった。彼はそのころ珍しいアルファロメオの2シーターに乗っていたほど儲かっていたのである。わたしの担任教師は酔っぱらって汽車のデッキから落下し、2か月入院、分散授業をした。それほど世間は酒天国だったのだ。閑話休題とにかく酔っ払いは願い下げ、それを助長するテレビも責任は大である。大手飲料メーカーはそれなりに政治献金などせっせとしているのだろうが、ある程度の放送コードというか、酒を麻薬と同等に扱う国が欧州にあるそうだが、そのぐらい厳しく規制してもらいものだ。
2022.05.07
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現役で年収○×▲万円のころと、いまの年金暮らしではおのずとニュースの注目部分が違うのに気づく。現役のころはおもに有名人、政治家の汚職やゴシップ記事で、要するに第三者的立場の傍観者だったが、いまは紛争による物価高やコロナ禍による生産の滞りによる輸入のストップなどが主体で、紛争の早期解決を望んだり、あるいは戦局の推移に一喜一憂したりと、極めて積極的なニュースの視聴態度、これは家計を直撃するエンゲル係数の変動、アメリカの金利上下に伴う我が国の光熱費やその他の経費が固定経費と言えないほどに変動してきたからである。また我が国は有数の海外依存度の高い国、戦争になったらアップアップするのは前の大戦で証明済み、「日本を殺すに核はいらん。マラッカ海峡を封鎖すればよい」なんて格言が中国やロシアに広まっているのかもしれない。しかも年金は固定(実際変動はするが固定と言っていいだろう)だから経費の占める率は現役時代の収入と比べたら大きな違いはある。しかし現役時代は年収を確保するためにストレスは存在したが、今は全くない。わたしはこれを公務員再就職と呼んでいる。このあたりが違うところで、年収は下がったが、ストレスがなくなった(年収を確保するための)のは大きい。あとは健康に気を付けるだけでよいのだが、そうは問屋が卸さないのは世の常である。先に書いた若者との認識のずれ、あふれる情報の取り捨て選択、うらやましいと思う反面、気の毒だなあと思ってしまうこともある。余裕で人生を過ごすなんてのは、それこそ80過ぎまで働いて年金の見込みが立ってからと言うのもつらいよなあ。そのころには医学が発達していて80代なんて今の70代ぐらいなのだろう。かつてわたしが40代のころは、60代の人と言うとすごい年寄りで(ごめんなさい)この年まで働きたくないなあなんて思っていたのだが、たしかに労働可能年齢は上がっているのだろう。それとともに世の中への関心度は薄れ、政治や国際関係の日本の立ち位置などは現役世代には考える余裕などない。この世代が占める割合は増え、我々のような年金世代がそれを代行?して投票をするようになるのだろうか。しかしそれでは現役世代の考えが政治に反映しないことになる。年寄りだけの考えで世の中が動いていることになってしまうのは前から危惧されていることである。18歳以上の若者よ、投票に行け!と言うことで拙文をやめときます。
2022.05.07
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