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今日は広島への原爆投下記念日である。必ずと言っていいほどこの日が近づくにつれ、国内にはネットにも新聞にも原爆使用の是非についての論評が溢れる。内容は「非道の兵器核兵器を投下した米国の犯罪を批判する」。しかし投下後77年経っても「原爆投下は過ちだった」とか、米大統領が日本国民に対して謝罪したなどと言う話はない。米国側の言い分としては大きく分けて二つある。一つは東京裁判で日本側の代理人ブレイクニ―弁護士が提起した「原爆を落とした国に日本を裁く資格はない」とした動議は直ちに連合国側に否決されたということ、もう一つは米国側の論理に、「原爆投下は、多数の日米国民の命を救った」という理屈があるからだ。
前者の東京裁判での却下は敗戦直後の挫折感漂う日本人にとって痛烈な打撃ではあったが、戦勝国が戦敗国を裁くということ自体が基本的に裁判と言う中立性を保ってされたはずはないから、無理な論理であった。しかし日本人はこの判決から75年、日本側が改めて調査、原爆投下の合否を再び明るみに出したことはない。毎年々繰り返される敗者の恨み言に均しいことが繰り返されるのは残念である。日本の言い分は、原爆投下は間違っていたとする見解なのであれば、国家としてこれを調査、世界に発表しなければならない。しかし公に調査したという話はどこからも聞こえてこない。
米英のドイツへの爆撃についてだが、両国とも同じ方法ではなかった。米国が目標を港湾、工場、駅などのいわゆる点を攻撃したのに対して、英国は目標を決めず、地域を決めて夜間爆撃を行った。これは米国の考えは一般市民を巻き込まないという言い訳の名分になった。一方英国はドイツ側から「無差別爆撃」として非難されたが、戦後ナチスの戦争犯罪が暴露されるにつれて反論は収まった。調査団の一行が悲惨な焼け跡を見たり、被爆した市民の体験を聞きとってノイローゼ気味になると、調査委員長からアウシュビッツを見てきたまえと勧められた。そこには最良の解毒剤があったのだ。
日本への空爆は欧州の例に沿って軍事目標のみを狙い、いわゆる住宅地は外されていた。従って昼間爆撃が採用されたが、対空砲火と迎撃戦闘機からの被害を避けるために高度を上げていたため、命中率ははなはだ悪く、成果を挙げられなかった。司令官は左遷され、今でも日本では悪名の高いカーチス・ルメイ将軍が着任し、方式がガラっと変わった。まず精密爆撃をやめ、英国式に夜間爆撃と目標を地域に切り替えた。さらに日本の住宅がほとんど紙と木でできていることから焼夷弾を使うことにした。ドイツに比べて対空砲火と戦闘機の攻撃が少ないと見たルメイは機銃を取り外し、焼夷弾の積載量を上げてまでこの作戦を徹底した。例外なのは4月におこなわれた郡山の化学工場爆撃ぐらいだろう。この方法は先の英国が取った夜間爆撃と同じで、敗者側は無差別爆撃と非難した。有名なのは10万人の被害を出した3月10日の東京下町爆撃である。ルメイの主張は、「日本の住宅では内職と称して軍事工場へ納品する部品を作っていた。これは軍事目標とみなす」と言うことだった。
しかし原爆投下はこの推測をまったく違うものにしたのだ。原爆投下にもかかわらず、日本が降伏を拒否していたら、ソビエトが北海道へ上陸していたのは変わらないとしても、日米両軍に多大の損害が出るというのは違っていて、米軍首脳部は兵隊の損害を少なくするためにおそらく第三の原爆をどこかに投下したに違いない。たった一機の爆撃機(10名搭乗)があげる戦果は、司令官や政治家にとって魅力的である。もし先の米軍の空襲目標の統制の取れた方針(最後には無視されたが)も何千、何万と言うアメリカ人の戦死で被る損害は当時の大統領としても受け入れられるものではなかったはずだ。高価ではあるが、原爆によって戦争が終わるとすれば、十分見合う計算になる。つまり原爆がもたらした効果は米国よりも日本人にとって不幸中の幸いだったということになるのだ。一方的な日本人への殺戮は終戦の決断をした日本の指導部が恐怖したことであった。このころ原爆の在庫は少なくとも2個、朝鮮戦争の時は数十個に増えている。マッカーサーは中国が北朝鮮から攻めてきたとき、大統領にすくなくとも十個の原爆が必要だと要求しクビになっている。軍人は道徳的要素など考える必要はないが、それでもこのような軍人をすぐに首にする権限が大統領にあったのは幸いであった。
一般国民と言う概念は戦争によってだいぶ拡大解釈され、彼らだって国を構成している一員、当然ながら攻撃の対象になるという考えが定着したのは戦後である。
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