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というのは共産党の理屈であって、資本主義では何の役にも立たないし煩わしいだけである。あるブログを読んでそう思ったのだが、紹介するとある学校の校長がお母さんたちの前である生徒の作文を読んで聞かせたとのこと。
大意は「父親の職業はいわゆる鳶で、足場を掛けたり穴を掘ったりと忙しい。家では母親から邪魔者扱いされても一言も文句を言わない。ある日、足場の上で父親が仕事をしているのを見て、仁王様のように大きく見えたのに感動したという話だが、創作のようにも思えるブログだ。鳶はわたしから言わせれば技能職業で、ホワイトカラー(古い表現)にはない直接的な仕事感覚を持っている。彼らは高所、または地面で作業するから、ホワイトカラーに比べて危険度は数倍のリスクを背負うだろう。なので常に単純直哉的な行動が求められる。遠慮していたら始らない。自分が危険にさらされるだけなので、彼らはそれこそ必死にチームワークを守るのである。パートナーがどんなに鈍くても自分より劣っていても、彼らは黙々と仕事をこなすのだ。これこそ職業に貴賎はないという見本であろう。昔のフォーク歌手の歌詞に「俺たちゃ居なければビルも道路もできやしねえ」なんてのはとんでもない話で、特定の職業を差別する事になろうか。また昔の話しばかりで恐縮だが、女性が運転する車のうしろに見えるようにヘルメットを置くのが流行ったことがある。これは女性一人だとバカにされるので、ヘルメットを見せつけることで、土建屋のガラの悪さを利用したアピールであったらしい。当時は確かに鳶土工のたぐいは風来坊、無宿人、ギャンブラー、その日暮らしなど、社会的なイメージは低かった。しかし今はどうか?彼らは天空を背にして安全帯(三点姿勢)のベルトを着け、工具をカラビナでぶら下げていかめしくもかっこいい。昔からあんな危険な職業にしかつけないのは、学校で勉強しなかったからだよと教わった。それは確かに誤りではないだろう。しかしみんなが勉強してしまったらどうなるのだ?東大卒の鳶土工が増えたりするのではないか?ナンセンスな話である。音楽界でもそうである。クラシックは何となく努力研鑽、自己制御の匂いがするが、ジャズは正反対で、努力などとは無縁の世界、自己中心主義、快楽始業主義、イソップ童話でいうところのキリギリスであろう。公立大学を出てバンドマンになり、将来を誤った人間はたくさんいる。こんな実例を見ていると、職業には貴賎があるから、学業に精出せよと言う昔ながらの教えが正しくなってしまうではないか。反抗期の息子に頭を下げて「頼むから進学校に入ってくれ」と頼み込んだ父親は立派である。父親の威厳もかなぐり捨てて息子に頭を下げるという行為は捨て身でなければできないことだ。その息子は立派に薬剤師になり、家業を継いでいる。これこそ教育ではないだろうか。
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