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国内鉄道が敷設されて150年経ったのだそうです。これを記念して畑違いの評論家たちが盛んにマスコミを通じてどうでもいいようなコメントを発表している。脳科学者や医者がアマチュアリズム丸出しで楽しそうにしゃべるのもまた勉強になることがある。その中で、あるジュンキョージュが、もし新橋~横浜間の鉄道が敷かれるのがもっと遅く、緩やかに国内の産業が成長していたらどうだったか?というIFを呈していた。だれもこの事を受けて話したものはいなかったが、本人は大まじめで、鉄道が日本を後進国から脱却させるきっかけの一つになったわけで、そのために日清戦争、日露戦争に続き、大陸に進出して大東亜戦争と太平洋戦争で破滅を招いたという解釈で、富国強兵が成り立っていなかった日本がどんな道を歩いたか見てみたいとの主旨だった。
わたしは大いに刺激を受けて彼の発想とは真逆の「もし日本が明治維新をやり遂げず、徳川幕府のままだったら・・・」を空想してみた。Gさんここに夢想極まれりという歴史ネタですが、お付き合いください。
すべては孝明天皇が暗殺から逃れて存命だったというところから始まります。
1863年暗殺未遂事件の犯人逮捕を命じられた会津藩はただちに三条実美ら7公卿を逮捕して死刑に処します。これをきっかけにして孝明天皇の会津藩に対する信頼は不動のものとなり、以後藩主松平容保は天皇の懐刀と呼ばれるほどの権威を持ちます。
1865年)孝明天皇の命により、一斉に廃藩置県が行われ、新選組が仕組んだ罠によって旧薩摩藩、佐賀藩の藩主、家臣たちは逮捕され、武器隠匿、抗命の罪で逮捕されます。両藩は特別地域として会津藩の管理地となります。
その後、孝明天皇は会津藩兵の護衛で会津に入り、会津遷都とともに鎖国政策を正式に廃止、英国、フランスとまず国交を結びます。陸海軍の創設とともに将校の養成学校を作り、英仏から講師を招聘します。
旧藩校は大学に昇格し、いまの国立大の基礎となります。
同時に年号は廃止され、西暦を使うことが決まります。
初代総理大臣に選ばれた松平容保は、長い鎖国政策の非を改善しようと、薩長土肥から人材を集め、対外政策にあたります。国内のインフラは外国に派遣した留学生、招聘した講師などによって農業、土木、建築などの基礎がまず整備され、行政は7つの区に分けられます。政治の基礎である国会中枢は江戸に置かれ、実質的な首都になります。
対外的に日本が積極的になった最初の件は英国の香港租借に倣った朝鮮半島の釜山の租借であります。続いて太平洋のハワイとの友好条約、英国を最恵国待遇として祭り上げ、仏、露、米、独などをけん制して日本は経済的にも軍事的にも文字通り「富国強兵」の道を歩みます(汗)
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