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息子からのハガキ★マムとグレッグ僕達、もう最高のバカンスをここで過ごしてるよ!ヒヒヒ! と、書いてありました。私のブログを長い事読んでいらっしゃる方は、息子の嫁さんは、ウクライナからの女医だと言うのをご存知でしょう。でも、外国で医者でもアメリカでは、また、やり直さなければならず、彼女は4年間また勉強して、テストに全部受かりやっと、去年6月にインターンになりました。アメリカのインターンのトレーニングは超過激で36時間勤務、8時間休み、また36時間勤務というのは、もう当たり前になっています。ですから、最初の一月は、初めてのインターンには地獄のような物で、その経過でギブアップする人も少なくないようです。嫁さんも、毎日休み時間に息子に泣いて電話をしてきたようですが、やっとなれて、もうすこし楽なスケジュールにまわされたようです。それでも、休みが全くなかったのですが、やっと、半年過ぎた今月、ひとつきの休暇をもらったので、息子が「ご褒美に」と、彼女を10日間、この島に連れて行ったのです。息子は、この様に、嫁さんが何かで頑張ると、ご褒美ツアーに連れて行きますから、彼女は、この国にきて、5年になりますが、もう、あちこちを旅してます。『結婚したら、嫁さんにつくしなさい。大事にしなさい』といったとうりに 育ってくれて、私もとってもうれしいです。
2008.01.31
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クオリティー・タイムQualityというのは、名詞で「質」と言う意味ですから、グッド、バッドの形容詞をつけるとGood quality=良質Bad quality=悪質、粗悪、質が悪いとなりますが、となりますが、形容詞敵に使うことも出来、その場合は、ポジティブな意味になり、クオリティー・ソサエティーというと上流社会という意味になります。ところで、この十年くらいから流行ってる言葉にクオリティー・タイムというのがあります。それは、有意義な時間とでも訳したら良いのでしょうか。「近頃の子供達は、ハイテクで遊んでばかりいて、家族とのクオリティー・タイムが少ないから、親子の会話がない」と言うような事を、心理学者たちが、よく話してますが、最近やたらと、グレッグが、そのクオリティー・タイムを口に出すようになりました。「この数年、ヒロコは暇さえあればパソコンの前で、ちっとも会話がない。もっとクオリティー・タイムがほしい」 二人共芸術家ですから、いつも一緒なのに、いまさら何だと思いきや、二人でねっころがって、一緒にテレビを見ることだったんですけど、何のことはない、いつも、彼がチャンネル権をもっていて、(実際に手にリモコンを持ってる)戦争映画とか、クラシックばかり。(中には私も見たいものもありますがね)その上私の膝枕で頭をマッサージしてくれっていうわけで、「何が、クオリティー・タイムなのよ。これなら、私、二階でパソコンで遊んでる方がいいわ」と言ったら、やっとしぶしぶ私の好きなドキュメンタリー番組にしてくれましたけどね。 考えてみたら、そもそも私がブログを始めたという理由が、そのクオリティー・タイムだったんですよ。 一緒になって何年も、二人でそうやってテレビを見ていたのですが、私の見たいものは、そう言うわけで、まず見られず、マッサージを要求されるばかりで、彼の我がままに呆れて、私はパソコンに興味を持ち始めたのを思いだしたのです。それがエスカレートして、次々に本を書くようになったり、皆さんに巡り合えたのですから、何が幸いするか分かりませんね。
2008.01.29
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生まれ変わらなければならないアメリカこの数週間、グレッグと私はテレビの画面に釘付けになって、大統領選挙運動を見続けています。 知識階級が聞いたら呆れるでしょうが、私は、党や候補者の経験で選ぶより、自分の第六感に可なり重点をおきます。無論、第六感と言っても、当てずっぽうなわけではなく、学校や医療制度の様子、犯罪などの理由から分かる社会状況、物価や、就職状況や平均収入から分かる日常生活の状態、土地物産や株の動き、メディアの情報、人々との会話から感ずる事も含み、候補者の選挙演説の内容だけでなく、参加者の反応も全部しっかり見た上で感ずる第六感のことです。話しがとびますが・・・・私は、ニューヨークの同時テロ事件の直前に、たまたまヨーロッパを旅していました。イギリス人やフランス人の友達との会話の中にも、あちらで見たテレビ・ニュースでも、その頃から、すでに排米運動が始まっているのを肌で感じてました。そして、何かアメリカの経済に大異変が起こる予感を抱いて帰国したのですが、数日中にその気持ちが更に強くなったので、投資会社のエージェントに比較的安全な株や証券まで全部現金に取り替えてもらったことがあります。もちろん、エージェントには、笑われましたが、数日後の9・11には、彼はもう、笑っていませんでした。私は只勘に従っただけ。 日本から長年離れて母国を見ると、日本にいらっしゃる方とはまた違った角度の日本が見えるように、ヨーロッパを旅して、その国々の人と話しながら見るアメリカと、その中で甘んじて生活してる時とは別の目で見ることが出来ます。国内にいると、とかく政治家に洗脳されやすく、まるでアメリカだけが「自由国」であり、世界のリーダーシプをとらなければならない、と思いがちですが、外の国もアメリカに劣らず自由であり、それどころか社会福祉制度や医療制度、学校制度などアメリカよりずっと進んでいる事が分かります。アメリカのように頭でっかちで、ハデハデではなく、地味に深く静かに進行している国が沢山あります。この世は、常に動いていますから、いつまでも同じスローガンをかかげて自己賞賛に酔っているのは時代遅れも甚だしいです。もっと広い目で世界を見てから自分の国を評価し直す時代に入って来たと思ってました。そしてこの考えは、私だけではないという証拠が、昨夜の南・カロライナ州の民主党の予備選挙で実証されました。白人と黒人のハーフの大統領候補者バラック・オバマが、女性候補者ヒラリー・クリントンと、ジョン・エドワード二人の合計投票数をゆうに上回る55%の投票率で一位になったことです。この州は、共和党の力の強い地域だったことや、南部の白人達が黒人であるオバマに投票したというのを見ても、この国がブッシュ政権に愛想をつかして、大きな変化を要求している事が分かります。つまり、アメリカは生まれ変わらなければならない、と思うのは私一人ではなかったのです。そして、新しいアメリカが始まるような気がします。
2008.01.27
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占い日本では、厄払いとか、大殺界とか、大吉、大凶とか、やたら、縁起を担ぐのですが、あれは、日本から出たら、つまり外国に来たら、全く関係ないのかしら?私は、もともと、こういう事は、(面白い事)という程度で、真剣に信じた事はありません。厄年とか言うのも、たまたま統計学的にある年数過ぎると、病気になり易くなるのではないかと思っているので、いつが厄年かも知りません。でも、車の部品が古くなるように、人間の体にもガタがくる時期ってあるのでしょうね。 西洋の星占いも、雑誌とかに載ってる一般のは、本当に一般的な答えだと思いませんか。なぜなら、同じ誕生日に生まれている人は何億人といるわけで、同じ運命の筈はありませんよね。ただし、中には為になるアドバイスもあるのでそう言うのは、日常生活に活用しています。 あなたは、どうですか?ちなみに、今日の魚座の運勢はこんなのが書いてありました。Your horoscope - Today, January 26, 2008The planetary energies highlight your creativity, Hiroko. Make the most of this auspicious opportunity to do some painting or some writing. You have much talent, and need only use it on a regular basis in order to enhance it. Today you may discover not only how talented you are, but also how much you enjoy the process of creating. Give yourself the gift of time, and the focus necessary in order to use your abilities to their full potential.プラネットのエネルギーがあなたの創作意欲に重点を置いてます。このエネルギーを絵や物を書くほうに利用してごらんなさい。・・・後略 でも、プラネットのエネルギーに関係なく、私はいつも書きたい時に書いてますし、この占いを読む前から、結果よりも、創作過程を楽しむ人間ですからね。つまり、ごく一般的な事が書いてあるだけでした。
2008.01.27
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光陰矢の如し外出が苦手な私は、必要事項をメモに書きためてなるべく、同じ日に全部を回るようにしています。この4日間は、インフルエンザで、家に閉じこもっていたので、銀行、郵便局、薬局、文房具や、スーパーともろもろのことを、全部まとめてやってきました。どういう風の吹き回しか、行った事のない道を通ってみようと思って、入ったら、ジグザグしたのちに、又元の道に戻ってしまって、一人で「バカミタイ」などと言いながら、感覚で、こっちの方だろう、と走っているうちに昔、子供達が赤ん坊だったころ、初めて自分達で買った家の道に出てきたのです。日本の感覚なら、結構普通のサイズなのでしょうが、アメリカでは、小さいタウンハウス。でも、初めての我が家でしたから、もう張り切ってあちこちインテリアを考え、庭にはスウィッチで滝が流れる小さなプールを作ったり、障子をあちこちの部屋に入れたり、沢山の思い出が蘇って来ました。娘が二歳、息子はまだ生まれたばかり。そのコミュニティープールで、二人に水泳を教え、いつかは、海の見えるところに家を建てる夢でふくらんでいた時代です。その娘が38になって、息子は来月で37になろうとしているので、光陰矢のごとし・・・と、感無量。あと何年生きるか知らないけど、悔いのない人生を送ろうと思いながら車を走らせてました。
2008.01.26
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99%オッケーです 私は「今」にフォーカスする人。なんちゃって!ですから、風邪ひいたら、もうひたすらに治そうと水分をとって、寝てました。二日間はピアノも日本語も休んでいましたが、今日の午後からは全く平常に戻りました。お見舞いの書き込みをしてくださった方々、心よりお礼を申し上げます。一つ一つ感謝しながら読みました。ここで、一度にお礼をさせてくださいね。 私自身びっくりしたのは、一昨日朝起きて、声をだしたら、真ん中のドから、1オクターブ下のドの更にしたのソの音だったのです。オ~ォ~とか言いながら、「お!まだ、下だ。まだまだ、下だ!」とピアノの鍵盤をニタニタしながら叩いてる私を想像してみてください。 若い頃は3オクターブの音域があったのですが、こんな低い声になったのは、生まれて初めて。 風邪が治ったとたんに、元にもどってしまって何となく残念ですけど、なんか自分の声でなくなると不思議ですね。 グレッグが「朝ごはん作ってやった」と、目玉焼きとトーストをベットまで持って来てくれましたよ。自分はまだ、ゴホンゴホンと凄い咳をしてますけど、相変らず「チッとも、治らない。こんなひどい流感初めてだ」と言いながらジョギングをし、草花に水をまき粘土をこねてます。
2008.01.25
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やっとインフルエンザにかかった!なんて、書くと、まるで、待ちわびていたようでしょうが、ついに、一昨日から流感にかかったらしく、声がチベットのお坊さんの瞑想にふける時の一番低い声(自分でも始めて)になったので、二日間ぶっ通しで昼ねしてました。ちゃんと、予防注射していたので、恐らくこれ以上悪くはならないでしょう。私は、すぐに、水分を充分とって静かにしてるので、恐らく明日は元にもどるでしょうが、グレッグはまだ、2週間すぎでもひどい咳をしてます。咳をしながら、庭で水まいて鳥に餌をやりジョギングをしてるオロカモノです。それで、今日は、マイミクのKazueっさんが、我が家に訪れた時のことを写真入でブログに載せていらっしゃるので興味おありの方は、どうぞ。彼女のフォトには、我が家のクリスマスの様子も入ってます。では、又。皆さまも、お風邪をめしませぬように。。。http://mixi.jp/view_diary.pl?id=691869647&owner_id=6649418
2008.01.23
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アメリカの故郷故郷というのを、辞書で引いてみると、自分の生まれ育った所と書いてある。しかし、この説明は私にはしっくり来ない。何故なら、私の本籍は東京であるが戦争中で危険だからということで、母は熱海の別荘で私を生み、その後疎開といって、青森に行ったり埼玉に行ったり、静岡の興津に行ったりしたからで、子供時代は興津であるから、ここが故郷のような気がする。しかしだからと言って、そこに我が家があるわけでもないし、東京の家が焼けてから両親は最後まで借家住いだったから、実家もない。そういう訳だから、私にとっては、一番長く住んだ場所が故郷であると思っている。そうなると、やはり南カリフォルニアの、ラグナ・ビーチになってしまう。この町で30年私は子育てをし、ボランティアーをし、ピアノを教え、高校の教師にもなった。だから、ベティーの追悼式のように、何かのイベントでこの町にくると、友達、親戚や知り合いが大勢いて、ほっとするのである。 昨日も、「あら~、あなたも来てたんだ」浜辺に行く途中で、ベティーとは反対の隣にすんでいたジャンとその娘のロリーに声をかけられた。私とジャンはよく、子守の交換をした中である。「ヒロコの描いてくれた絵、まだもってるのよ。あ、これ私の娘」と、娘のロリーが言った。当時ロリーは、4,5歳であったがその彼女にもう、高校生になる娘がいるのである。時の流れを感じないではいられない。そして、もう何百回と来た、この砂浜に久々に下りて来た時、「故郷に帰ってきた」気分になったのである。写真は左からジャン、私、ロリー
2008.01.22
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さよならベティー元旦に友達のベティーがこの世から去った。昨日は、その追悼式に行った。御伽噺に出てくるようなベティーの小さな家の、大きな芝生の庭には、百人位の人が集まった。その中には懐かしい顔が沢山あった。この庭で、ベティーはよくパーティーをした。家が小さいので、十人以上の時は海の見えるデッキで食べた。私は昔この隣にすんでいて、赤ん坊だった娘と砂浜で遊んでいた時に娘より一つ上の幼児を遊ばせに来ていたベティーとめぐり合った。ベティーは、私と一つ違いの美人。聡明で、朗らかで料理も洋裁も上手く家の中も庭も、いつ、誰が来て写真をとっても恥ずかしくない程、整理整頓されていた。その上、彼女自身いつもファッション雑誌から抜け出てきたように、きちんとした格好をしていた。人の悪口はいわず、ユーモアにあふれ、困ってる人に手を貸す熱心なクリスチャンで、教会には必ず行くような人だった。何度か再婚をし最後は一人であったが、リゾートの周旋業の会社を経営するようになったベティーは、世界中を飛び回る程忙しくなり、私も外の町に引っ越して叙々に疎遠になって行った。どんなに、裕福になってもベティーはその小さな家に住んでいた。(大きなユーカリのある大きな庭ですが、左の家は、ベティーのではありません。彼女のいえは、白雪姫の家のような小さな物です)数年前にふと彼女を訪ねて行った時に、その小さな家のリビングルームに見慣れぬ老女が座っていた。窓ガラスをノックすると、骸骨のような白髪の老女が手を振って私を招きいれた。ベティーだった。五十代に入った時、自己免疫疾患症と診断され数年で二十年分老けてしまったのである。いつも色とりどりの花が咲いていた庭は、芝生だけになっていた。病状がすすむにつれ、お手伝いさんを雇っていたが、相変らず家の中は整理整頓されており、出かける時はつばの広い帽子をかぶり、きちんとした格好であった。弔辞を述べた宣教師達の話しから、元気な頃ベティーは閑さえあれば、メキシコに行って、孤児院建設の手伝いをしていた事を知った。病気になってからの十年は、会った事の無い、バングラダッシュの四人の孤児をずっと養い続けていた事を知った。追悼式の最後を飾って、庭から歩いてすぐの海辺に行き、参加者はそれぞれに、オーキッドの花を手渡され、打ち寄せる波に投げ入れた。私はベティーと初めて巡りあった、同じ砂浜に立ってベティーの娘や、孫と一緒にその花を投げ入れた。★小さな家と書いた理由は、ラグナ・ビーチと言う町は富豪の大勢いる場所で、特に海から二列目などは、普通の人には手の届かない高価なもので、この40年に周りは豪邸が並ぶようになってるのに、ベティーは昔そのままの家を保っていたからです。★整理整頓の理由として、いつも、いらなくなった物はすぐ、寄付するかあげちゃったからです。この二つを貫いた彼女は立派だったと思います。
2008.01.21
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こういう日でした「また、インフルエンザが復活したみたいだ。今日は家にいたほうが良いかなあ。ゴホンゴホン!」グレッグが、朝一で憂鬱そうに言いました。「そ~ら、いわんこっちゃない。インフルは、きちんと治さないと危険だっていったでしょう!」「ジョギングしないほうが良い?」「当然でしょう!」「陶器も、絵もやっちゃだめ?ゴホン!」「暖かくして、休んで、水分を充分とれって言っても聞かないから、こじらせてしまったのよ」「じゃあ、○○の家に行く約束もキャンセルしたほうが良い?」 私はもう、呆れ果て、咳が無くなるまでは家にいなさい、そうやって、また他の人にも移しているのだと説明しても半信半疑。水曜日には彼の母親の誕生祝で外食があるので、それまでに完治する事、と納得させ、やっと昨日は一日家にいたのです。つまり、そうなると、私はパソコンなどやっていられず一緒に寝転がってテレビをみたり、話しをしたり。「天ぷらうどんが食べたい」と言えば、それをテークアウトしてきたり、つまり、一日グレッグのお守りをしていたのです。(元、寿司職人が日本食のテークアウトの店を始めて、人気を集めてる店が車で十分以内にあり、とっても美味しいのです)それでもですよ、夜、彼と別の番組を見るために二階のテレビを見ていた30分間に、彼が消えていたのです。階下ではテレビがつきっぱなしで、不思議に思ってると、ガレージが開く音がして、「一緒に見ようと思って、DVDを借りてきた」と、彼が帰って来たじゃないですか!もう子供より始末が悪いです。 今日も、友達の画家のオープニングがあるから行くというのをキャンセルさせました。私は、友達が亡くなったのでその追悼会に行くのですが、その間じっとしてくれるかなあ。どなたか子守にきてください。あはははは!こまったやつだ。
2008.01.20
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25万円でコウロギを救った話し このブログをご存知の方は、グレッグがいかに生き物や植物を大事にするかというのをご存 知でしょう。と言っても、菜食主義者ではないから、ちょっと矛盾してますがね。 この話しは、コウロギを救う為に25万円出費した、昨日あった、本当の話です。 我が家の台所の冷蔵庫の後ろに、もう、十年くらい前から住み着いたコウロギがいて、耳が 悪くなった私には時々しか聞こえないものでも、ディナー・ゲストなどが、「あら、コウロギ が・・・」などと、喜んでくれるのです。十年前からですから、その子々孫々が増えてきてるの ですが、グレッグは絶対に殺しません。 「でも、ちょっと増えすぎよ。ほら、そこにもピョンピョン、あそこにも跳ねてるし」 「そのうちに、暖かくなったら掴まえて草むらに出してやる」 さて、先月、二階の洗面所のカウンターに、恐ろしい物を発見。それは、白蟻の、ウンチです。 ガレージで時々見ていたのですが、どうやら、それが屋根裏に侵入して来て、我が家をアタッ ク始めたので、これは放っておいたら大変な事になります。只でさえ、もう古くなったこの家は あちこちがひび割れて来てますから、この上、床や屋根裏に穴をあけられたら、つぶれてし まいます。 それで、考えたのが100%完全に消す方法の、ガス・テントです。 (6月16日 2007年のブログに、隣がやったときの写真があります) ところが、これだと屋根瓦の中で冬眠してるトカゲも勿論コウロギも死んでしまうのですよ。 食料品も全部つつまなければならないし、暖房用、洗濯用、台所用おガスは全部止めなけれ ばならないし、1日、家を開けなければないし、有毒ですから、家の周りの植物も枯れてしま います。 グレッグは猛反対です。 「オレンジオイルと言って、人間や他のものに無害なものがあるから、それにしろ」と言うわけ です。 それだと、25万円も払って、部分的にオレンジの油を注ぎ込むだけですから、他に広がった ら又雇わなければなりません。生活費は私がほぼ95%稼いでるので、これは考えてしまい ますよ。少ない収入からテントの二倍の値段払って、数年の保証ですからね。テントなら 十年はもちます。 でも、結局は私の負け。 「じゃ、数ヶ月は寿司と外食なしよ」 「それでもいい」という事になりました。 それで、家中オレンジの香りに包まれ、コウロギがじゅうたんを飛び跳ねる中で、グレッグが 口笛を吹いて、私は「さて、どこをどうやって倹約しよう」と思案中と言うわけです。
2008.01.18
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日本語だけで書ける?お正月に日本に行った時の話だから、もう十年以上の事です。年の暮れ特集番組で、画面に映ってるのは、良く手入れされた広大な芝生です。細長い鉄の棒で、卓球くらいの玉を芝生の穴にいれる競技の試合でした。その試合中、一切日本語以外使用してはいけない、と言う規則があり、日本語以外の言葉を使うたびに点を引かれるのです。参加者では、(さんまさん)と(たもりさん)だけしか覚えてませんがもう、最初から最後まで爆笑のし続けでした。と言うのは、参加者、数秒ごとに英語が飛び出ちゃうのですね。「だめ~天引き。ほら、お前それ、英語だぞ」「じゃ、日本語でなんというんだい?」「みどりだろうが」「みどりかぁ、味気ねぇなあ」 カ~ンと打ちます。「ナ・・・ううう、良く打てた!」「あ、バ~ハハハハ・・・・鳥だ!」 なんて具合です。戦争中に英語を禁止された時の野球中継を思い出しました。実は、私はよく皆様の日記を読み歩くのですが、まず最初から最後まで日本語の日記というのは、殆どないのです。今日は、意地で百人くらいの日記を見にいったのですが、全部日本語だったのは、魅笑さん一人でした。あはははは!皆さんの日記を、全部日本語にしたら、どうなるだろう?と想像して、一人でゲラゲラ笑ってました。あなた、毎日、日本語だけで書けます?★書き込みも全部日本語だけでお願いします。きゃはははは!
2008.01.17
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そして当選者は!!!例の「キク 僕から百点満点あげる!」の抽選なのですが、名前を調べてみたら、結構海外の方も多かったので、日本から二名、海外から二名グレッグにくじ引きしてもらいました。「何だいこれ?」と聞かれて、「私の本の原稿をコピーしておくる抽選」といったら「へ~、ヒロコの本を読みたいなんて物好きもいたもんだ」などと、減らず口をききながらも、喜んでつまみあげてくれました。下の四人様です。ありがとう御座いました。メッセージにご本名と住所を書いてください。決して他言はいたしませんし、私からどこへも行きません。2月1日くらいに、郵送しますので、お待ち下さい。gagaga 2008年01月10日 02:5 コロラドChacha 2008年01月10日 05:4 サン・ディエゴTeam MKNさん 東京☆玉ねぎ☆ 2008年01月10日 21:34 東京★昨日のブログの最後の晩餐に音楽のコードの秘密がある、というのを発見した人のヴィデオを見つけました。私が聴いたMSNのサイトのではありませんが、このサイトに行くと、その人が見られます。どうやら、パンの位置だけでなく、手の位置も音符のようです。http://www.youtube.com/watch?v=y0m4uc2hwMQ
2008.01.16
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本物のダ・ヴィンチ・コード?インターネット・ニュースに、ロイター発の、ダ・ヴィンチに関するニュースが二件載ってました。一つは、『最後の晩餐』のパンの位置が、どうみてもわざと置かれているようだと、あるイタリアの音楽家(コンピューターの技術者でもある)が気付き、五線を引いて、その上にパンを置いてみたのです。すると、それは、賛美歌の楽譜の一部だったと言うのです。しかも、ダ・ヴィンチは、右から左にコードを書く癖があったので、(パンの)音符を右から左に向かって弾いて見た結果がヴィデオに入っていましたが、成る程ちゃんとした音楽なんです。 Real Da Vinci code?Nov. 12: An Italian musician and computer technician says he's uncovered a musical hymn hidden inside Leonardo Da Vinci's "The Last Supper."MSNBCもう一つは、「モナ・リザ」が、誰であったかが判明したと言う記事で、ドイツの学者が、ある16世紀(1503年)の日記に書かれていたのを発見。その専門家によると、モナリザはリサ・ヘラルディーニ? ジェラルディーニ?(イタリア発音が分かりませんがGherardini)-といって、フローレンスの富豪の商人フランチェスコ・デル・ジオコンドと言う人のワイフであるとにほぼ間違いないという事です。どうやら、その富豪が妻の肖像画をダ・ヴィンチに描かせたようです。 German experts crack the ID of ‘Mona Lisa’ Notes indicate that famed da Vinci portrait is of wealthy merchant’s wife updated 12:35 p.m. PT, Mon., Jan. 14, 2008BERLIN - German academics believe they have solved the centuries-old mystery behind the identity of the "Mona Lisa" in Leonardo da Vinci's famous portrait.Lisa Gherardini, the wife of a wealthy Florentine merchant, Francesco del Giocondo, has long been seen as the most likely model for the 16th-century paintingGerman experts say that scribbled notes from 1503 confirm that da Vinci’s famed "Mona Lisa" is the portrait of Lisa Gherardini, the wife of a wealthy Florentine merchant.
2008.01.15
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血だらけの映画「おい、ヒロコ、いますぐ来い」ほ~ら始まった。元気になった証拠。「どうしたの?」「スウィーニー・トッドを見に行こう」「え?昨日まで、死にそうだった人が、何言ってるの?まだ、凄い咳じゃないの!」 私は、呆れてます。「でも、見たいのだ」「死にそうだ、なんていっても私、無視するからねっ!」「もう大丈夫、ゴホンゴホン!」「何時のにするの?」「いますぐ」「こんな早朝からやってるもんですか」と私は、パソコンで調べます。 それで二時半のに行ってきました。ティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演で、詳細を言ったらつまらないでしょうから内緒ですが、主人公はあだ討ち一筋に生きていて、ネガティブで、暗くて、血だらけの映画でした。ま、ブラックユーモアのお好きなかた向きですが、私は、半分は目を瞑っていましたよ。二度と見たくないですが、彼にいわせると、「余りにも、ありえない残虐さだから、面白いんだよ」という事です。でもねえ、この世の中、まねする馬鹿が大勢いるから、こういう映画は良くないなあ。
2008.01.14
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そのまま受け入れる事の難しさなどと書くと、心理学の話しみたいでしょうが、実は、一昨日、写真家の友達リックにポートレイト写真を撮ってもらいに行って来たのです。昔と違って、今はデジカメですから、撮りながら途中で「見てみる?」と、スクリーンを見せてくれ、あっという間にCDと、プルーフが出来上がってきました。一枚で良いというのに、500枚くらい写したので、度肝を抜かれました。リックはもう50年もカメラマンをやっていますが、昔はハリウッドでも活躍していて、リズ・テーラーなどもクライエントでしたから、彼のリビング・ルームにはその時代の写真が飾ってあります。今では、お金にはならない芸術作品にフォーカスしていて、時々写真展をやります。さて、タイトルの話しに戻りますが、ここで、お見せするプルーフを見ると、「悪くない」と思うのに、パソコンの画面一杯にすると、ぎょ!っとするほどの皺、しわ=32どころではなく、自慢じゃないけど首など七面鳥並み。リックが、良いものにチェックマークをしてくれたのですが、「こりゃ、だみだ!」と思うものばかり。どれか使用する場合には、やっぱりフォトショップで、ちょっと加工してしまうでしょう。(ほら、ぼやけさしたり・・)「きゃ~、私こんなに年取ったんだ!」と、言ったら、「ここまで生きられたって、素晴らしいと思わないかい?」と、いつも私が人に言ってるのと同じことを彼に言われて、可笑しくなりました。「言うは易し受け入れるは難し」仕方が無い、自然の流れだ、もう来月で66になるんだから、この辺で垂れ下がった瞼も首も、たるんだ、ほっぺたも、そのまま受け入れる練習をしなければと思ったのですよ。でも、やっぱり難しいなぁ~。
2008.01.13
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熊のレスキュー私、ブログの種が沢山あって、ブログ・ホールダーがあるのですが、そこに親戚や友達からもらったものを入れて、そのうちに載せようと思っても忘れちゃうのです。そういう一つに、去年、アメリカの姪から送ってきた物を見つけたので、あまり古くならないうちにお見せします。彼女がたまたま、ここを走っていた時に目撃したので、車を止めて、その熊のレスキューの過程を全部写したものです。説明はいらないでしょう。
2008.01.12
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幼児になったグレッグ「半熟の卵に、トーストを細く切ったのつけてたべた~い。ゴホン、ゴホン」「ぼく、熱あるぅ~?ちょっとさわってみて~」「喉がいた~い、クチャン!」「ラジオもって来て~」「体中が痛い、もんでくれる~ぅ?」「何処行くの?置いてきぼりにするの?」「レモネードつくって~、(鼻ズルズル)」「一緒にねっころがってヴィデオ見て~」 インフルエンザにかかったグレッグは、39度の熱を出して、「死ぬかもしれない」等といつもに増して甘えん坊になってます。だったら、静かに寝てれば良いのに、ちょっと平熱になると「ジョギングしてくる」なんて言うので、もうあきれ返ってます。「外に出ちゃ駄目だって言ったでしょう。又ぶり返すわよ」等と言っても「うるさい!」と聞き入れないし。そして、またその夜、熱出して、なんというあほらしいやっちゃ。幼児のようでも、幼児ではないから、力任せに家に閉じ込めておくわけにもいかないのですよ。こういう男性、あなたの周りにもいますか?★この二日間、皆様へのご返信おこたりましたことお詫びしますが、ここで、一度にお礼を申し上げます。グレッグは、まだ時々ひどい咳をしてますが、熱はなくなり、食欲は物凄いですから心配ないでしょう。私は、予防注射をしてるので、かかっても軽いと思います。というか、すでにうつってるみたいです。★昨日は「親として辛い事・その2」のPと食事をして来ましたが、クリスティーは、やっとセラピーを始めたようで、昨日は友達と、ハイキングにいったようです。健康な行動に、直そうという意欲が見えてうれしいです。
2008.01.11
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そしてタイトルは?★ありがとうございました!皆様からのアイディアに、「わ~、これだけ色んな考えがあるんだ!」「演歌みたい」「少女小説みたい」「ポップスの題名に最高!」「こりゃ、オペラだな」「宝塚むき」「駄洒落」と、笑いながら、感心しながら、丁寧に読ませていただきました。やはり全文を読まなければ無理でしょうが、読む人に「何だろう?」と思わせ、読み終わって、「成る程、そう言う意味だったんだ」と思わせるタイトルって難しいですね~。私が最終的に選んだのをイメージでいれましたが、下の方だけではなく、書き込んでくださった皆様、マイミクではKENKENPA 楽天では座長TERUさんを最後にして、抽選で全文原稿のコピーを二月に日経出版社に投稿後にお贈りします。この場合、名前を書いた紙を籠に入れグレッグにくじ引きさせて、日本から2名、海外から1名選ばせていただきます。今、グレッグがインフルエンザで寝ているので、返信できませんが、宜しく。富雄のようになってもらいたくないので。(八章をお読みになればわかります)ナイトサファリさん 「波涛を越えて・・菊さんの物語」Chu-Hi@CV 2008年01月10日 01:2「向かい風に咲く花」Herry 2008年01月10日 02:25「菊」「ブドウ畑に吹く風」ぺぺ 2008年01月10日 05:01「菊に聴く」グレープフルーツ 2008年01月10日 05:58[海を渡った菊ー女性開拓者のアメリカンドリーム]「ニューホープ」ハルナ 2008年01月10日 06:4「菊 薫る」「菊 薫れ」 「菊 香り咲く」ポラリス。 2008年01月10日 08:41「菊の一生」かーくん 2008年01月10日 10:0「菊の愛・in U.S.A」こまち。 2008年01月10日 10:35「一人じゃないからね」天道虫 2008年01月10日 10:3「夢と明日に向かって!」 「アメリカで夢をかなえた(ある明治女の物語)」まゆ姐 2008年01月10日 12:00「菊の物語」FL 2008年01月10日 12:4[億万長者 菊]ブラボー 2008年01月10日 13:01< その名は菊 >ミモザ 2008年01月10日 14:08「道」 「人生のみち」 「菊さんが歩いた道」「菊さんのまわりの人たちが歩いた道」レイ 2008年01月10日 14:4「クレサンテーム」にのの 2008年01月10日 14:56[よっしゃ~やったぞ]ふくろう 2008年01月10日 14:5「散らない花」さくらさくら 2008年01月10日 20:3「大海を超えて」菜の花畑 2008年01月10日 22:26「高潔・・やまと心」KENKENPA 2008年01月10日 23:4「凛と咲く華~お菊の一生」 「峠の菊」 「菊峠」 「ともに咲いた大輪の菊」
2008.01.10
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題名って難しいのよ★まず、去年の大晦日のブログを読んでみてください。このコンテストに出す本の前編をブログに載せてきました。やっと脱稿し、いま編集してますが、こういうコンテストで大事なのは、題名なんです。ぱっと、人の目を引く題名、「読みたいな」「何だろう」と思わせる題名が必要です。「菊」とか「日本のキク」とかでは、つまらないのです。例をあげれば:大和女の底力(これは、ちょっと浪花節みたい)あっぱれな女 (これは時代劇みたい)キク・お見事!(これはゲーム・ショーみたい)西部開拓者・キク平岡(これは、教科書みたい)成功者物語(これだと、金融関係みたい)あはははは!ま、色々ありますよね。もう決めましたが、さて、あなたならどんな題名にします?ここに、あらすじを入れます。 菊は二十三歳で三人の幼児を抱えて未亡人になった。しかも大正時代のアメリカである。夫婦生活も絶好調、あと十年で引退して家族で一等船室で里帰りが出来ると、夫婦で夢を見ている矢先のことであった。再婚もせず、生活保護も受けず、菊は一人で子供を育て上げた。やっと三人が成人し、末娘のチェリーが歯科医の学生になるが、卒業二ヶ月前に太平洋戦争が始まり、一家は辺鄙なアリゾナの砂漠に強制護送される。そこで長男を亡くし、日本から移民船で同室だった友達の自殺も知った。幾たびも身を掻き毟られる経験に苦しむが、この収容所で菊は叙々にスピリチュアルに目覚め、精神的に強くなって行く。 菊の出身地の広島や長崎に原爆が落とされ終戦になってカリフォルニアの家に戻れば、所持品は全て盗まれて、お化け屋敷同然であった。又、一から初めて最終的には億万長者になるが、何処にこの華奢な女性の体にそんなエネルギーが隠れていたのだろう。それは一筋に、前向きで自分を信じ、愛する亡夫の夢に向かって生き抜いたからであろう。 物語は、明治生まれの菊が移民したアメリカから七十年振りに二世の娘と日本に里帰りをした所から始まる。自分の見慣れた日本が見付からず落胆し、新幹線で故郷の広島に向かう途中のトンネルで寝てしまう所から回想に入る形式になっている。 大正元年、菊はストックトンという町で葡萄園の経営で成功していた平岡富雄と写真見合いで結婚して移民船でカリフォルニアに渡る。富雄は十七歳にして自費留学し英語も流暢な上、理想的な夫であったが一九十八年に世界中を襲ったスペイン風邪で死んでしまう。「上の子二人を日本で育てるから、お前はお腹の赤子と一緒に再婚しろ」と日本の両親から言われたのを無視し、菊は一人で葡萄園を経営するが、子供達により良い教育を与えたかった夫の夢を叶える為に葡萄園を売却しサンフランシスコに越す。アパートを借り、菊自身、洋裁学校に通い教師の免状を手にし、再びストックトンに戻り洋裁学校を始めるが、一九三九年の株の大暴落で金繰りに窮していた白人の大家が家賃を法外に吊り上げて行くので、菊は七年続けた学校を閉め南カリフォルニアに越す。大きな土地付きの家を借りボイズンベリーで生計をたて、やがて十八歳になった米国籍の長男名義でその土地を買う。 波乱万丈の人生がやっと落ち着き、孫やひ孫が出来た頃から自叙伝を書き出すが、出版記念と誕生日を兼ねて盛大なパーティーをした時に地元のテレビ局がインタビューに来て菊に「人生成功の秘訣は?」と聞く。インタビューが終わると意外な事が待っていた。 菊が主人公であるが、成功した人、挫折した人、戦死した人、帰国した人、親子で国籍が違う為に悩む人、人種差別問題で悩む人達を知り合いとして織り込み、時代性、社会性、且つ娯楽性も充分含んだ、実話を元にしたドラマチックな物語である。
2008.01.09
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世界全ての人の平和ねぇ。。。さてこまった。★私は時々知ってる方、余り知らない方、初めての方からメッセージをいただきますが、数日前にこんなのが入ってました。「初めまして♪娘の○○○○といいます(^^)今高校の授業でたくさんの人に英語でPeace Messageをもらってます☆ヒロコさんにもMessageをいただきたくてメールしました!!3種類ぐらい書いてもらえませんか?お願いします。」★これに対して、漠然としてわかりません。何の平和のことでしょう?と聞いたら、下のような返信が来ました。「 平和に暮らすことが出来ない、世界のすべての人たちに向けてっていうテーマです♪>今までもらったやつでは「Peace for every body in the world」>とかです☆>このメールで送っていただけますか?」★で、ここからが、この高校生宛の私の返信です:世界の全ての人達・・・う~ん。まあ、ここで、お若いあなたに説明してもわからないでしょうが、平和、という定義自体が、かなりあやふやなんです。簡単に、言うと。平和って、なんですか?という質問です。戦争が無いこと?食べ物に飢えないこと?親、兄弟と喧嘩しないこと?人の悪口いわないこと?イジメをしないこと?盗みや、ごまかしがないこと?物資難がないこと?停電しないこと?・・・・と、まあ、これだけじゃないけど沢山出てきます。次ぎに、全ての人達って?という質問です。アフリカ、インドだけでなく、アメリカや日本のように経済豊かな国でも、全ての人が平和になることは先ずありえないのです。なぜかというと、人間には「欲」と「嫉妬」と言うものがあるからです。例えば:親兄弟が一つの洞穴で住んでいるとします。食べる物もこまらないとします。兄弟げんかもしません。親は子を愛してくれます。子も親を信頼し、愛しています。テレビも携帯も車も冷蔵庫も家具もないけど、とっても平和なんです。ある日、隣りの洞穴に家族が越してきました。上の家族が持っていないもを全部持っていたとします。さて、この隣りの人がなんでも上の家族と一緒につかうかな?解るかな?私は戦争中に生まれました。小学生になった頃、同級生にはお昼さえ食べられないユキという生徒がいました。同じクラスに金持ちの町長さんの子がいました。毎日贅沢なお弁当を持ってきてるのに、「こんなまずい物ない!」と半分すてました。ピアノも持っていて女中もいる家でしたが、この子はいつも不平ばかりいってました。就学旅行が来ました。ユキはもちろんいけませんでしたが、先生は何故か、私を選んで、ユキに「旅費は大丈夫だから一緒に行きましょう」と、いわせたのです。その子のうれしそうな顔、今でも覚えてます。その修学旅行中、ユキは幸せそうで、とっても平和だったんです。町長さんの娘は文句たらたらでした。ま、こういう事を考えて一般的な平和メッセージを英語で書いて見ましょう。Peace of mind is not what you have, but what you give.平和はあなたが何を持っているという事ではなく、何をあげられるか、という事です。If all the people in the world have compassionate heartもし、全ての人に慈悲心があって、何も持ってない人とand shares things with people who don't have, there isa chance for peace. 分け合う事ができるなら、平和のチャンスがあるでしょう。Peace is not how many material things you have, but what 平和は、あなたがどんな物資を沢山持ってるかではなく、non-material things you can give. So give a nice word, 見えない何かをあげられるかです。だから、優しい言葉を上げてください、give a nice smile, give a helping hand.微笑みをあげてください、助ける(ボランティアー)をしてください。Peace is always within you. Bring it out so that will 平和はいつもあなた自身の中にあります。それを表に引き出してmake your family peaceful, that will make your friends and 家族を平和にしてください、そうすれば友達も親戚も平和になるでしょう、relatives peaceful, that will make your town peaceful, thatそうすれば町も平和になるでしょう、次ぎに市も国も平和にwill make your city peaceful, that will make your country なるでしょう。そして全ての人が平和になるでしょう。peaceful and that will make this world peaceful."That's too difficult," you may say. 「それは難しすぎる」とあなたは言うかもしれません。Of course it is difficult, but how else can we begin?勿論難しいです、でも、それじゃ何処から始めたら良いのですか。★これは、今朝私がタイプしながら一時間半くらい考えた物で、誰から借りた物でもありません。 念のため。平和の為にパソコンの前で、1時間以上考えて書いたものですから、無駄にしないでください。ヒロコ・ファルケンシュタイン
2008.01.08
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親として辛い事・その2友達のPと、先月食事にいく計画をしてました。彼女からの誘いでしたから、無論彼女は楽しみにしていたのです。すると、当日の11時に電話がなりました。「ランチ11時半だっけか?」受話器をとると、ストレスで緊張したPの声でした。時間を忘れるなんて、全く彼女らしくありません。「そうだけど違う日に替えようか?」勘のよい私は、Pの娘クリスティーの問題だなと察して、そう答えました。「ちょっと遅れるけど行きたい。かけ直す」ガチャン!10分後に又電話がなりました。「12時でもいい?」と、P.「私は1時でも、違う日でも良いわよ。自由な身だからそちらの都合に合わせられるわよ。何だったらお宅に近いレストラン○○にしようか?」「そうねえ、あ、ごめん!又かけ直す」ガチャン!結果から言うと、四回目の電話でドタキャンになりました。クリスティーは高校ではトップの成績で卒業しましたが、完全主義者。ピアノを教えたこともありますが、自分がトップでないと気がすまない子でした。UCバークレーに合格してから、地獄へ落ち始めたのです。何故なら、バークレーは、全国からトップ・レベルの生徒が集まるので、そこでトップになるのは容易な事ではなく、自己嫌悪に陥入り易い生徒が大勢います。クリスティーの場合も例外ではなく、アルコール依存症になり次に拒食症になり、やがて鎮痛剤依存症にまでなって中退してしまったのです。お兄さんが同じ学校の医学部を出て医者になったのが、彼女の脱落に拍車をかけました。今ではもう、三十過ぎなのですが、仕事も続かず、ついには家に戻って来てしまったわけです。そして、この日お母さんのPが出かけようとすると、「いなくなったら飲むから」とか「死ぬから」とかいって、脅していたようです。「ヒロコ聞いて、彼女の部屋から9本のウォッカの空き瓶が出てきたのよ。もう堪忍袋の緒がきれたから、施設に入れる。今までは娘に嫌われるのが怖かったから」と、Pが言いました。 実は、私は、もう何度も相談され、5年くらい前からPに、「彼女を愛しているなら、すぐに施設に入れて徹底的に直してあげなさい。何故世間体が大事なの?娘の方が大事じゃないの?嫌われたって良いじゃない。それが本当の愛よ。もう周りの人達は知ってるはずよ。見てみない振りしてるだけの筈よ」と、ハッキリ言ってたのですよ。ところが、「クリスティーが行く必要ないと言うから、大袈裟にしたら返って失敗すると思ったから」というのです。今では、もう手に負えない所に来てるのですよ。辛いのも恥ずかしいのも解りますけど、世間体を気にしていた為にクリスティーナも自分ももっと辛い思いをすることになるでしょう。この世は、なにも良い成績で、最高の大学に行かなくても良いのですよ。お父さんが弁護士で、お兄さんが医者だからと言って、下の子までが競争することはないのですよ。その子の良いところを見出して、それを育ててあげれば良いのですよ。今、子育て中の方々、人間の本当の幸せは天からいただいた才能をのばしてあげることです。その才能はたとえ料理でも、掃除でも、マンガを描くことでも、大工仕事でもいいのですよ。私の言いたいこと、解ります?ちなみに私の娘はアニメ家です。マンガが好きでしたからね。
2008.01.07
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親として辛い事・その1 生前、祖母から聞いた話ですが、結婚式の祝辞に「親が死ね、子死ね孫死ね、ひ孫死ね」と詠まれた方がいて、「この目出たい場所で、死ねとは何と縁起の悪い事礼儀知らぬも甚だしい」と一同の顰蹙をかったそうです。ところが、新郎の父親だったかが、哲学者のような人で「いや~、さすが○○さんだ。これは素晴らしい祝辞を下さった。感謝いたします」と答え、説明をしました。つまり、自分の子を亡くすのは親をなくすより辛いという意味です。人間は年の上から順々に亡くなるのが筋だと言うわけです。執筆中の「菊」の話しも、息子を亡くすのですが、その辛さを表現する為、もし私が愛する息子をなくしたら、と想像して書きました。いくら気丈な菊でも、やはり普通でいられる筈は無いと思ったのです。今、この原稿を、マイミクのある方が校正して下さってるのですが、彼女もそこに来たときには涙が止まらなくて、先へなかなか進まなかったと書いてきました。成功したようです。「孝行をしたい時には、親はいず」と言うのも、ありますが、後悔しないように、親も子供も、心から愛してあげて下さい。
2008.01.06
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専門家の・・★マイミクのネット姫さんは、何度もエッセイコンテストで入賞なさってる方です。その中でも最優秀賞の一千万円を受賞なさった時は、ご主人とフランスをシトロエン会社のスポンサーで旅をし、そのエッセイ集「フランス夢街道」を近代文芸社から竹田洋香というペンネームで出版なさいました。 そのご本を送って下さったお礼に、「愛の功績」をお送りしたのですが、そのご感想文を書いて下さいましたので、許可を得て掲載いたします。******************一気に読みたいと思いつつ体調不良で2回に分けて読んだが読み終えてもう一度読み直してみたいと思わせるものがあった。まるで上質の映画を観るような臨場感に溢れた描写にとても優れたものを感じたがこれは事実を誇張もてらいもなく冷静に淡々と書いている筆者の飾らない性格を如実に物語っているように思えた。それゆえに修羅場とも形容される事実の重みがなお一層重く読者に感じられるのかもしれない。かつては貴婦人のようであった義母がアルツハイマーとなり糞尿まみれになるさまは読者としても胸をえぐられるような場面であるがこれを主婦、母親、学生、ピアノ教師等をこなしながら介護してきた筆者のパワーは人間業ではないと思えるほどのものである。さらに義父までもが怪我や病に間断なく襲われそれらの介護も併せてしなければならなくなったとき、もはやパワーだけでは乗り越えられない筆者の信じがたい精神力の強さにも脱帽した。それだけではない。裕福な義父母をカモをみなすさまざまなヘルパーとの闘い。闘うだけでなく忍耐と同時にユーモアのセンスで乗り切る筆者の叡智と度量の深さに圧倒されたが人間の内部を深く観察する能力もずば抜けていると思った。筆者は尋常な人ではないと思わせたのはひとつだけでも私にはこなせないと思われるばかりの難問に満ちたものであったから。この物語は夫婦関係、親子関係をより深く考えさせられるものでもある。結果的には夫の両親、つまりは義父母のために離婚をし、その義父母の面倒を見るようになるという映画や小説よりも奇なりのエピソードが満載であるが息をつく暇もないほどの緊張感をもたらすものだった。筆者の義父母に寄せる愛情と理解はそれだけに止まらず自分の両親を見捨てたような本来は糾弾されるべき夫へもその温かい眼差しと理解は及んでいる。それゆえに本来は外の者であるはずの嫁の立場しかも異国の花嫁の立場でありながら夫の両親はもとより、親戚や友人、近隣の人たちに信頼と理解をもって迎えられる姿にほっとすると同時に感動した。胸の迫るエピソードにちりばめられている物語だが人生に行き詰った時の数々の示唆もたくさんあった。私が特に好きだったのは義父と深い人生観をユーモアに溢れた会話でやりとりするときの筆者の姿である。旧きよき時代の日本人観を残している筆者がアメリカに渡ってすでに40年以上を過ごしていることの片鱗をうかがわせ二つの国の良い部分をうまくミックスしてご自分のものにしているのがよくわかる。それにしても老後の介護についてあらためて考えさせられた。ニュースや雑誌等の断片的な介護情報と違って筆者が7年にもわたる介護で経験した出来事がまるで目の前に展開されているごとく生き生きとした筆致と描写で語られているのでこれまで得てきた断片的な介護の姿を一変させる迫力があった。誰にでも平等にやってくる老後。誰もがみんな介護する人、介護される人の予備軍である。今まさにその真ん中で奮闘なさっていらっしゃる方もいるだろう。さまざまな立場から、ぜひ一読をお薦めしたい一冊である。それにしても自宅で最後を迎えることが出来た義父母さんはとても幸せな方であったと思う。★ http://mixi.jp/show_friend.pl?id=4281704 ネット姫さんのブログ★ http://www.falcondigitalbook.com/ 私のデジブック・サイトです。宜しく。
2008.01.05
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やっと終わった~~。執筆中の小説をやっと昨夜書き終わって、今、読み返しているのですが。その最後の一行を書き終えた時に、思わず両手をバンザイの形にして、「やった~!」と叫んでいました。400字詰めで換算すると、560ページくらいになる大作ですから、その達成感に浸っていたのです。これでも、300ページくらいカットしてるのですよ。規定が600ページ内ですから。終わってから、湯船につかっていたら、会ったこともない菊のモデルのキミさんの顔が浮かんで来て、想像の中で会話をしていました。彼女も、「やったね~」と言ってるような感じでした。今夜は、グレッグの初出展日ですから、行ってきます。
2008.01.04
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初・ごろごろ日本では、書き初めとか、初鰹とか、仕事始めとか、何でも年の初めにやる事、食べる物に「初」を、つけるようですが、我々は「初・ごろごろ」をしました。これは、ボーリングでも、のっぺりとテレビの前でころがってる事でもないのです。グレッグが、10年前に私の家に、平安時代式に婿入りしてきた時、「仕事の分担は最初からはっきり決めておくほうが、いさかいが無いと思う」と言って彼から言い出したものが、1.ゴミ捨て2.庭、外回りは全部やる3.お皿をあらう4.メークベット5.遠距離運転・・・・・だったのです。ところが、この4番目のは、私が寝坊をしている時はまだ起きないか、起きないかと、何度もドアを開けて見に来るので、こちらもねちゃ~いられない。それで「メークベッドは、遅く起きた方がやることに変えよう」と、私が提案したのです。それからが大変!明け方まだ暗いうちに、私がトイレに起きたりすると、もう起きるのかと思ったらしくて、肩をムンズと捕まえて、「そうは、問屋が卸さない!」って言ったのです。「ばか、トイレよ。又寝るんだから」「うそつけ、メークベットをしたくないんだろ」「じょ~だんじゃない、私はあなたの曲がったメーク・ベットいやでいつも黙って直してるんだから。本当なら、私がやりたいくらい。ほら、放せってば!」「だめ!」といって、私の上にゴロリとかぶさってきたんです。それで、私も負けず嫌い。「なんだと~」と、彼をひっくり返して、彼の上にかぶさる。そのうちに、お互いに先に起きようと、ごろごろとベットの上をあっちこっちに、ごろごろ転がり出したのです。で、「じゃ、1,2の3!で、一緒に起きよう」って、飛び跳ねてもう、私も目がパッチリ。メークベットも二人でやったのです。大晦日は友達と夜中まで、なにやら飲んでいたので(アルコール類ではない)元旦の早朝にトイレに起きたのですが、そのごろごろがはじまっちゃった、というわけです。オシマイ
2008.01.02
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誰の抱負なの?「おい、ヒロコ2008年の抱負はなんだ?」年の暮れ(30日)に、グレッグが、ニタニタして、聞きました。「まだ、決めてない。どうして?」「僕のはね、ヒロコにもっともっと優しくする事」「へ~!すごい!私、ラッキ~ねぇ」「そうだろ?だから、ヒロコも僕に優しくすることを抱負にしろ!」「なんだ、それ?私の抱負は私がきめるもの!」「それとか、もっと、ひんぱんに寿司を食べに行くってのは?」「ちょっと、ちょっと~」「僕が、何しても、文句言わないとか」「おい!いい加減でやめないと」と、ここで椅子から立ち上がって彼の首をしめる真似をしました。「もっと、美味しいものを料理してくれるとか」 私は、しめる真似だけでなく、すこし閉めました。「女らしくなるとかぁ~」 私はますます、強く閉めて、急にその手をゆるめ、「じゃ、今夜お寿司たべにいこうか?」「僕のかち~~!」 かくして、二人は寿司屋にいったのでした。明けましておめでとうございます!!今年も、こんな具合です。
2008.01.01
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