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グレッグは自分で絵を描くだけではなく、コレクターでもあります。これは、買ったばかりの絵の大きさを見せるために、ねころがってるのですよ。自分の絵が売れる数より、買うほうがおおいなあ。。。もう、おき場所もないなあ。。
2012.01.30
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やっと、写真が載るようになったので、ラグナビーチのレストランの写真をのせます。ここは、明治時代から始まった材木屋でした。私が始めてこの町を訪ねたのは、1965年で、住みだしたのは1969年です。(その前はハワイにいましたから)まだ、材木屋で、この建物の裏が材木置き場だったのです。1970年代から徐々に不動産があがりだし、ついに海のべバリーヒルズとまで、呼ばれるようになったころは、普通の人には手の出ない値段になってました。我々は、その上がる、ちょっと前に海の見える丘に土地をかったので、この土地に住めたのですが、あと10年遅かったらとても買えませんでした。この建物は、「歴史的建物」に指定されたので、建て直すことができません。内装は変えることできますが、外装はずっとこのままで、今ではレストランになってます。私は、この町に30年住み、今でも前夫は住んでいますが、友達が大勢いるので、昔の友達と、先週もここで食事をしてきました。
2012.01.29
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今夜は、マグロのたたき、クリスマスのときに山形からお見えになった、ピアさんからいただいた山形の特別なお米と、おたくわん、アスパラの夕食でグレッグが「たたきも最高。このお米はいつものと違うね。ふりかけはいらない」と、大変喜んでました。日本の味の分かる男です。 私は、食後にこれまた頂き物の緑茶に、一口ケーキをいただいております。
2012.01.29
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前夫から送ってきたものをシェアーします。左下の+-でサイズも拡大できるし、マウスで天井でも床でもどこでも動かせますよ。<http://www.vatican.va/various/cappelle/sistina_vr/index.html>
2012.01.28
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急にグレッグが、オイスター・ロックフェラーを食べたいというので、「作った事ないから、レシピをみつけたら、試してみる』と答えたのです。みつけっこないと思って・・・そしたら、すぐ、ネットにいって「あったよ~」というので、つくるはめになりました。「最高!」と言ってくれたから、成功したのでしょうね。 <img xsrc="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/63/0000075963/23/img8d5bb5f9zik6zj.jpeg" width="960" height="720" alt="397280_10150611627601694_555816693_10897415_1848404160_n.jpg"> 写真がでない!
2012.01.23
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変った芸術家と住んでいると、次々と不思議な作品が増えて行きますが今度は、『ごみの木』です。グレッグは、毎朝、1時間くらい歩きます。我が家の裏側に小学校があり毎日、午前・午後、子供達の送り迎えの車で長い列ができます。彼はその車の去った頃を見計らって歩くのですが、人々は、ありとあらゆるものを落としていきます:ボールペン、ペンのキャップ、鉛筆、はもとより、靴下、片方だけの靴、リボン、お菓子の包装紙、チャームなどのたぐい・・時として、オムツや下着まで落ちてるからあきれます。そういうわけで、遊び心で、通りかかり木の枝枝に、落し物を引っ掛けたりした写真を数ヶ月前に、ブログでもおみせしました。そのうちに思いついたのでしょう、ある日、枯れた木の枝をもちかえりました。何事かと思いきや今度は自分の『ごみの木』をつくり始めたのです。彼は、完全に子供に返ったように、キラキラした目で、毎日ゴミを拾ってきては、木の枝を飾りはじめました。小学校のそばですから、一番多いのがお菓子の包装紙やおもちゃ、片方だけのイヤリングなど。そして、雑草の中には、小さなウイスキーやジンなどのガラスのびんや、たばこの吸殻を投げ捨てる人もいます。(完成前の写真です。まだまだ色々付け加えました)「お菓子の包装紙だろう?壊れたスケート・ボードだろう?注射器だろう?酒のビンだろう?この木は、俺自身の人生だなあ・・・・酒も、たばこもやったしドラッグもやった・・・」とつぶやいてるので、「今ではもう20年以上もそのどれもやらないで、作品をつくってるわけだ。つまり自分の歴史のわけね。祭壇にかざりたくなるくらいね」と私が答えたことから、最初はふざけて、遊びで作っていたその木がだんだん神聖化してゆき、十字架やロザリーやら、ハートが付け加えられて美しく、楽しい会話の木になりました。その製作過程そのものも、彼の人生縮図のようなものだなあと考えてました。15年前にめぐり会ったころの肩で風を切り、タバコをすばすば吸い、つばをはき、コールターのようなコーヒーを一日中飲み、一言ごとにけんか腰だった頃のグレッグはもういません。そこには、素直なやさしい、にこやかな男が立ってました。人間は変るものですね。*写真が載せられる間ブログ続けます。その後の計画は考えてません。
2012.01.21
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写真掲載テストどうも、楽天のフォト部門で失敗ばかりするのですが、テストしてます。これは数日前に日米カップル三組で、ディナーをしたときのものです。
2012.01.21
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子供のころ、遠足などに出かけて土産品を買って帰ったら中身は本のちょっぴり、という経験を何度もした。「ひどいねえ、こういうのを上げ底というんだよ、覚えておきなさい。箱の底がへの字に曲がってるだろう?さらに、内側の底にも余計なものをいれて、実際の品物がたくさん入ってるように見せかけるんだよ。見かけにだまされちゃ駄目だよ」と父がいった。それから注意して選ぶようになったのだが、それでも羊羹の箱を開けると上下にマッチ箱のように折り曲げたものが入っていて、実際の羊羹は箱の真ん中にちょこんと入っていたことも覚えている。その時は見えなくても持った重さで考えることも覚えた。そういうネガティブな経験が私を利口にしてくれたのだから、ものは考えようである。とくに日本中貧乏だった戦後にこういうものが多かった。そういう日本を離れてそろそろ半世紀になる。いつもしゃくにさわって、ブログに書こう、書こうとおもってるうちに年月がたってしまったが、つい数日前に起こった一件で、「今回こそ書こう」と思いたった。それは押して吸いあげる、ボトル式ハンド・クリームが出なくなった時である。透明ではないから底がみえない。プラスチックなのに、持ち上げるとまだ重いのでキャップをねじってそのチューブをひっぱり出してみた。すると、チューブはボトルの丈より5センチも短いのである。明らかに、これは「上げ底」式の巧妙な商法である。過半数の消費者は、それでお終いと思って捨てるだろう。。。という心理を利用したずるい商法である。さすがに、透明のボトルは底から1センチくらいの長さである。吸い込み口のために最低1センチは間が必要であろう。プリンターのインクもしかり。まだプリント出来るのにXマークがでる。最初の頃は、正直にすぐ新しいのに取り替えたが、黒字の場合、マークがでても20枚くらいはプリント出来ることに気づいて腹が立ったことがある。色の仕上がりが必修であるプロの仕事の場合はその時点で入れ替える必要性はあると思うが、注意書きに(差はありますが、この時点で黒字だけのテキストだけなら、あと何枚くらいプリント出来ます)位の親切さがほしい。いや、それだけではない。そのブランドのインクでなければ使えないようにするのもしゃくだ。昔のカメラのフィルムにしろ、バッテリーにしろ、どのカメラにも使える規定のサイズというものがある。プリンターそのものを安くして消費者を引き寄せておき、そのブランドだけしかつかえない高いインクを売りつけて麻薬患者のように依存症にしてしまうのは、どう考えても悪徳商法だとしか思えない。どの機械でも使えるスタンダード規定のインクを安く作るように、全世界の消費者が立ち上がったらよい・・と思うのは私だけだろうか。
2012.01.14
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去年の暮れに、日本からの訪問客からたくさんのお土産を いただいた。今月も日本から小包が届いたのだが、その包装の 仕方や繊細なデザインは実に見事であった。薄く削った竹で 出来た丸い箱を覆うピンクのグレーデーションのかかった和紙に 「栗ころがし」と味のある達筆でかかれてあり、金の細い紐が かかっている。それを解くと、中にはその製品のゆえんなどを 書いた紙があり、その中にまた、きちんとセロファンの袋に お行儀よく栗ころがしが並んでいる。 一口羊羹の箱にしても老舗の包装紙できっちりと包んである中から しっかりした厚地の黒い箱が出てきて、更に中から何とも品のよい 色合いの小さな箱が出てくる。その上、種類によって「夜の梅」とか 「おもかげ」とかロマンチックな名前まであるから恐れ入る。お茶の 先生の友達から送ってきた、茶道用の『二人静』という落雁もしかり・・ こうなると、実用的なアメリカのパッケージをバリバリと破いて ムシャブリつく分けにはいかず、綺麗な器に盛って、漆ぬりのしゃれた 竹のフォークなどを沿え、かしこまって頂きたくなる。着物をきると いすに座っても足をくまなくなるのに似た、一種の気取りがでて来る。 話変わって、先週日本人でプリントメーカーの友達の家にお昼によばれた。 彼女は長い間日本語学校で日本語を教えていたのだが、日本では芸大を 卒業しているプリント・メーカーである。無論、絵だって描く。ご夫婦とも 横浜出身。何年か前にご主人を亡くしてからグレッグも参加するラグナ・ ビーチのアート・フェスティバルに参加するようになって知り合った人で、 毎年一度は日本でも展示している。 「結婚するまでお料理なんかしたことないのよ」と彼女が言ったが、考えて みたら私も同じで、何時の間にか、あれこれ出来るようになっていた。 今は亡き母が 「お料理どこで習ったの?上手になってるじゃない」と言ったのを思い出した。 『必要は発明の母』の類に属すのだろう。私の母のように『花嫁修業』をする 人は少ないのではなかろうか。 まず前菜が長方形のお皿にきれいに並んで出てきた。小粒のそらまめを爪楊枝に 串刺しにしたものや、お煮しめも、はすや、切れ目をいれた椎茸、ゴマ付き たたきごぼうなどが、きれいに盛ってある。そして、おつけもの、お吸い物 栗ご飯、次々に出る物が、いちいち芸術的なのだ。食後に「頂き物だけど」 といって、色んなお菓子を出したのだが、やはりひとつひとつ袋にはいっていた。 そして出すものによって、緑茶から紅茶にかわった。 そこで日本の包装は無駄か?必要かという話題になった。 「アメリカ生活が当たり前になって来た頃、日本はなぜ必要以上の包装を するのだろう、無駄だと思った時代があるけど、今は考え方がちょっと 変わってきた」と私が言うと、彼女はすかさず、 「絶対必要!」と答えた。 「そうよね、一種の芸術なのよね。ここに日本でなくてはならない美が あるんだわ。海外でも日本人がほかの東洋系の国の人と違う洗練さがある と言われるゆえんだわ」と答えると、彼女は興奮して続けた、 「そうそう!こういう繊細さが無くなったら寂しくなるじゃない、やだわ 殺伐とした世の中になるじゃない」と言った。 まさにその通りである。 これこそ、何度かブログでも紹介した、ジョー・グラントの残した言葉 「芸術のない人生は野蛮である」そのものずばりだと思った。 http://www.imdb.com/name/nm0335469/ (余談:ジョーは前夫の遠い親戚で、ジョーの娘と私は友達である。彼女の 話によると、この英語版はコピーライトがあるらしいから、英語の カリグラフィーで書いてはいけないらしい。「知らずに、もう書いちゃった」 と言ったら、「日本のブログなら許してあげる」とのこと) 話を元にもどすと: 日本の包装は芸術品であり、そこから「心得」「情緒」「礼儀」などの文化が 生まれてくるのか、繊細な心から芸術品が生まれてくるのかは『卵が先か、鶏が 先か』式の討論になるが、これが私が日本の包装は無駄では無いと考えなおした 理由である。 商品ひとつひとつセロファンに入ってる事も、味や新鮮さを保つためであり、 ゆえに美味しいのだ。高いお金を出すのも芸術品だからと思えば腹もたたない。 それゆえに食べるのも惜しくて、いまだに箱に入ったままである。一度、 もったいながって、玉露をだめにしてしまったことがあるので、賞味期限前 には食べると思うが、このエッセイをタイプしながら、その頂き物の芸術品を 横目で眺めながら、紅茶の入ったマグを片手に、大雑把に入ったアメリカの お菓子を下品に食べている。実に旨い!
2012.01.12
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昨夜見た夢ですから、初夢とは言えませんが、日本のどこかの 大きな部屋で人々がリラックスした状態で丸く輪になって床に 座っていて、なごやかな雰囲気です。私がその部屋に入った時は もうその輪には座れないほどの人数だったので、こっそり誰かの 後ろにすわります。 どうやら、大勢に尊敬されていて名高い「医師」の人生哲学を聴く という集まりで、私はその「医師」と子供時代の友達だったようです。 彼は本来は医者などになりたくなかったのが、医者であった長男も 次男も亡くなって跡継ぎのために医者になったという噂を聞いてました。 いつの間にか有名人になって、アメリカにもそのニュースが届いて いたので、日本に来たついでに、こっそり彼の講演を聴いてみようと 思って参加したのです、 「こんな年とってしまった私を覚えていないだろう」と考えていました。 やがて、白衣を着た「医師」が入ってきて会場の雰囲気が緊張 気味になりました。「医師」は、会場を見回すと私のほうを向いて やにわに、「あ!ヒロコちゃんだ!」と言って白衣を脱ぎ捨てると ジーパンとTシャツなのです。 すると、後ろのほうにあったカーテンがパーっと開いて、巨大な 掲示板に「777777」と出て、 「ヒロコちゃんおめでとうございま~す。ジャックポットで~す!」 という声と、なにやら賑やかな音が聴こえて来た時に目が覚めた というわけです。 わくわくした気分で起きたら、グレッグが大きないびきをかいて たのですよ!賑やかな音は、彼のいびきだったのでしょうね。 一体どう、解釈したらいいと思いますか?
2012.01.08
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<IMG xsrc="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/63/0000075963/15/img8b9f41bdzik6zj.jpeg" width="1024" height="768" alt="027.jpg"> 「おい、砂漠で年越しをしよう」と、31日の午後2時になってグレッグがいい、「オッケー」と、一つ返事で、ばさばさと仕度をして二泊のたびをしてきました。 我が家から車で2,3時間かかります。 砂漠という漢字ですと砂丘を想像されるでしょうが、英語ですとデザートといって、別に砂でなくても水の無い、荒涼とした土地をさし、禿山などもあります。グレッグの弟がそういう石の山ばかりの土地を20エーカーかって、10年かけて自分で別荘を建て、われわれも時々手伝いに行きましたので、いつでも使ってよいことになってます。20エーカーなどといったら、サッカー・スタジアムでも入ってしまうようなサイズなのでしょうが、二束三文の値段でした。ただ、ダイナマイトで岩を砕いて路をつくったり水を引くのに大変なお金がかかるのです。いまだに、舗装された本道から別荘までの数キロは舗装されてませんから、雨など降ろうものなら泥道で4Wでなかったら、車輪がのめりこんでズルズル落ちてきてしまうような場所ですが、昔、地元のラジオ局の小屋があった場所で360度の眺めは素晴らしいものです。この世の汚れを洗い流してくれそうに空気も澄んでいて、夜空はギロギロと星がかがやき、ETと連絡がとれるのではないか、と思うような場所です。無論、お隣さんなんて望遠鏡が無ければ見えません。ガラガラ蛇や、コヨーテ、山猫、きつねが沢山でます。たまに、マウンテン・ライオンの出没警告も来ます。 瞑想にふけるのには最高の場所で、この場所から更に1時間位行った場所に、UFOが降りた場所とされてるところもあり、80年くらい前に、ETとコンタクトを取る建物までたて信者が大勢住んでいたと言われるところまであります。ま、そのようなところで、静かな新年を向かえ、初日の出の写真をとってきましたので皆様におすそわけです。2012年が良い方向に向かいますように。
2012.01.03
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