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冬の旅行、といえば私的には暖かい方面が定番だが、ただ一度、あえて寒い方面へ出かけたことがある。2年前の冬、就学で子どもが平日休みをとれなくなる前に、と「さっぽろ雪まつり」見物に出かけたのである。北海道の中でも札幌は暖かいほう。いくら寒い、と言っても朝ホテルを出て氷点下9℃くらい(所詮一桁、と私は言う)。まあまあ、短時間なら普通の厳冬期装備で歩けないこともない。室内や地下街は暖かくて厚着で歩けば汗ばむほど。だが、雪まつり会場は広い(というか、大通り会場なので、長い)。歩いていると、足元からしんしんと冷えてくる。普通のブーツなどだと、隙間からしみこんできた水分が足を痺れさせるほど。地元の人でも、雪まつり見物はスキーウェアのようなかなりの重装備で回るらしい。夕闇のライトアップは大変美しいが、そんな冷え込む時間に見て回ることは生理的に無理、早々に退散した。ライトアップならテレビ塔から眺めるのもきれいらしいが、テレビ塔への入場は大行列。かなり早い時間から入っていないと、難しい。札幌駅を出るところから、滑り止めも必須。滑り止めをつけていても、注意深くしていても、慣れない本州人は最低1回2回転ぶ。歩道はロードウォーマーが入っていて凍らないが、歩道と車道の境目が危険。横断歩道を渡るのに、当然車道は水はけのため、ゆるやかな勾配がついている。勾配のついた道が凍っているんだから、転ばないわけはない。寒いので当然手袋をしているが、普通のニットの手袋だと、転んで手をついた拍子に湿って後からとんでもなく冷たくなる。本来ならゴ●テッ●スのスキー仕様がいいだろうが、雪まつり見物のためだけに、子どものスキーウェア一式を揃えるのも現実的でない。特に忘れられないのが、さとらんど会場。さとらんど会場へは、地下鉄などの最寄り駅からバスを利用した。普通なら15分かそこらの所要時間だというが、30分経っても、半分もいかない。会場へ向かう車の大渋滞で、バスがほとんど進まないのだ。バスは満員ですごい熱気、ほとんどが座れず、厚着をしているので汗だくだ。見かねて「歩く」と下車する乗客が次々と出て、私たちもバスを降りる決断をした。これは決して間違いではなかったのだが、えらい目にあった。さとらんど会場まで、歩道を歩く。歩道と車道の間には、除雪された雪が身長より高くまで積みあがっていた。歩きなれていない私たちは、すぐに歩く集団から取り残されてしまった。あとどれだけ歩けば到着するのかは全くわからない。ただ、ひたすら歩くしかない。子どもも無言。時々雪の隙間から見える渋滞の車列を見て、「こっちで間違いないのだ」と分かる。歩道の反対側からは、強風にあおられたパウダースノーが吹き付ける。私と子どもたちはあっという間に、全身左半分が真っ白になってしまった。だんだん、南極越冬隊のような気分(?)になってきた。「私たちこのまま、遭難するのかしら...?ここで倒れていたら、誰か救急車を呼んでくれるかしら?」本気で思い始めた。しかし、その横を、中学生の野球部がユニフォーム姿で、「いち、に、いち、に」とランニングで追い越していく(爆)。「あはは、ここは遭難するようなところじゃないんだ」と我に返る。30分余り歩いただろうか、ようやく会場到着。長い長い30分だった。会場に着いて子どもたちが望んだことは、ロイズの迷路でも、氷の滑り台でもなかった。「お母さん、なんでもいいから、温かいものが食べたい...」20分は並んだが、「生き返る!」と思ってこの時食べたラーメンは生涯で一番美味しいラーメンだった。多分これからも。ラーメンを食べ終わってみると、ロイズの迷路は2時間以上、大きい滑り台は1時間半以上の待ち時間。吹き付ける雪の中での順番待ちは、TDRで並ぶのとは訳が違う。結局30分ほど並んで滑れる小さい氷の滑り台ひとつ滑って、会場を後にした。いったい何をしに来たんだ(笑)。この日、バスは2時間かかっても、会場に到着できなかったそうだから、歩いたのは正解だったと、市街地のタクシー運ちゃんに教えられた。それと、あの年は期間中に雨が降らなかったため、雪像が会期終了まで、きれいに残っていたそうだ(一度でも雨が降ると、もう汚くなって悲惨)。愛知万博の会場のように、会場から離れたところに自家用車の駐車場を設定しシャトルバスを出して、会場内の駐車場には大型バスしか入れない、というような工夫をしないと、あれは無理だ。地下鉄駅や大通り公園からのバスが出る時間では、とてもさとらんど会場には辿り着けないから、もしこれから行かれるという方がおられたら、参考にしてください。今年は特に3連休なので、人出は半端じゃないはずです。
2007年12月26日
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ノートンキャッシュバックキャンペーンで2000円分の定額小為替が送られてきたのを換金としようと郵便局へ行った。例年、今頃になると年賀はがきは売り切れていることが多い。今年はインクジェット写真用を使ったが、いざ作り始めたら子どもの年賀状が意外に増えていて、5枚ほど足りなくなった。慌てて集配局まで追加を買いに行ったのは1週間ほど前のこと。写真用は当然もう無いだろう、と思っていたので、売れ残っているのを意外に思った。換金に出かけた郵便局はまた別の小さな郵便局だったが、局の前の歩道までワゴンを出して年賀はがきを販売していた。換金が終わった時にも局員に「年賀はがきはどうですか」と勧められた。「もう全部作ってしまったので」と答えながら、「そんなに今年賀はがきって売れないの?」と思った。確かに、小学校が名簿を作成してこないので、子どもが友達に書く年賀状も、個人的に住所を聞いてきた相手だけ。民営化されて張り切って年賀はがきを製造しすぎたのか、新年の挨拶はもはやメールが主流なのか。と言う私も、去年一昨年と郵便局でなく「金券屋」で、少しお得にインクジェット年賀はがきを購入したが。ここ数年、年賀状は表書きまでPCで作り、そこへ手書きのメッセージを添えている。私は毎年自分の分と子どもの分、母の分、姉家族の個人向け、事業向けと6種類ほどデザインを変えて作る(姉のところの住所録まで、何故か私が管理しているのだ)。1種類を数百枚刷るのなら、業者に出した方が採算が合う。だが、それぞれが20枚、30枚、50枚×2、80枚、120枚ほどなので、業者に頼むと高くつく。大変な作業のためもあるが、とにかく12月の声を聞いたら年賀状に着手するようにしている。年末の休みに入ってから慌てた年も過去にはあったが、「まだ年賀状がある...」と思いながら日々を過ごすのは結構憂鬱。手をつけるまでが辛いのであって、一度手をつけさえすれば、あとは速いのだ。住所録の管理も、とにかく転居の知らせ、喪中欠礼の知らせがあるたびの入力を心がけている。年賀状を作る頃になって、「あの人は引っ越したってはがきが来たんじゃなかった?」とそのへんに突っ込んだはがきを探すのはかなり面倒。早く年賀状を作ってしまうと、周囲が「ああ、また年賀状を書かなきゃ」と言いだした頃に「ふふん、私はもう全部作っちゃったもんね」と密かな優越感に浸れる。この優越感のために、早く作っていると言ってもいい。今回はPC買換えに伴って、プリンターを10年ぶりくらいに買い換えた。古いプリンターのインクカートリッジは電器店に2個くらいしか置いてなくなったし、価格も4000円台。新しいものは一応複合機だが、ちょっと前の型だったので、10500円で購入できた。年賀状を刷ってみて、その速さときれいさ、にじみの少なさ、印刷失敗率の低さ(ほっておいても1枚もずれたりくっついたり、前後のはがきに印刷かうつったりしなかったのだ!)にびっくり。写真用はがきに刷ったものなど、本当に「写真」だ。作業は(今までに比べて)すぐに終わってしまった。とっくに買い換えるべきだった...。年に一度、年賀状のやりとりだけになっている友人、恩師も何人かいる。でも「お互いに存在を忘れていない」「相手への関心を失っていない」ということの証明のような気がする。プリンターだって、カラー印刷を使ってあげるのは年賀状のときくらいだ。自分が学生の頃、社会人になりたての頃は、名簿を見ながら親しい友人や勤務先のドクターにはすべて年賀状を出したもの。個人情報の問題で名簿が作成されなくなったのも、年賀状の衰退に拍車をかけているだろう。過去にもらった年賀状は、すべてシュレッダーにかけて処分している。小学校の頃もらったものまで全部残っていたのを、10年ほど前、途中で加熱し休憩してしまうシュレッダーで根気よく裁断した。個人情報の流出にも気をつけてるから、うちへの年賀状は安心して出してください(笑)。
2007年12月16日
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外来が、ここのところ、大変になってきた。というのも、私の裏で外来をやってきた医師が一人退職するため、2枠分を私一人でやることになったためだ。もともと、前の勤務地から連れてきた患者さんがそれほど沢山ではなかったから、転勤して以降、比較的外来は余裕を持ってやっていた。世間話も含め、一人一人の話をゆっくり聞きながらやることができた。だが、少しずつもう片方の枠の外来患者さんが移されてきたため、この年末年始、外来は予約定数オーバー状態が続く。結構しんどいが、やり方を変えるつもりはない。「じゅびあ先生がよくて、信じて移ってきた患者さんたち」に、診療のやり方を変えることはできないのだ。一人一人の時間を取るため、他の先生より一日に入れられる予約数は少なく設定してあるが、私は別枠をもう一つ作っており、他の先生の1.5倍の時間を再来予約に割いているのだから、文句は言わせない。ところが、退職する医師の外来からポンっと移ってきた患者さんたち、これが結構色々ある。まず、自立支援だの、障害年金の書類だの、主治医交代すると同時に次々私の所に来るようになった。1度しか診察していない、下手をすれば家族のみの受診で一度も本人に会ったことのない患者さん、場合によってはまだ前主治医の退職以降一度も受診に来ていない患者さんの書類が、事務的に私のところへ来てしまう。全く知らない患者さん、会ったことのない患者さんの書類は、まず第一に書けない。一度だけ診察して「変わりないです」と薬をもらって帰った患者さんの書類も厳しい。例のように、顔も覚えていない。しかも一日にこなす数が数十ずつ一気に増えたため、私にしては珍しいが名前すら記憶に残っていない。患者さんにも不便をかけているわけだから、少しでも早く書類を仕上げる必要があるが、簡単に書けないので、机の上に書類依頼が溜まっていく。年末だから余計に書類依頼が多い、という問題もあるのか?さらに、主治医交代を機に、「何も知らない(?)新しい医者」を相手に「自分の希望通りの薬を出させよう」とか、「薬を減らさせよう」とか、「もう薬を止めていいという返事を引き出そう」と粘る人たちがいるのだ(泣)。外来患者さんの場合、極端な話、薬を止めるのは確かに自由だ。自由、というと語弊があるが、実際服薬中断する患者さんを何とかすることってできない。それで悪化すれば、いずれ経済的負担をして入院治療に、ということにもなるのでお勧めできない(それに、私も悪くなったところからもう一度やるのは、大変で嫌なのだ)が、それでもどうしても中断するという人はする。本人が服薬しない場合現場でのませるよう努力していただくのは家族の仕事でもある。「私としては服薬を続けた方がいいと思いますが、外来では実際止めてしまう患者さんは止めてしまいますからね。それについてはどうしようもない部分ですし、私は責任取れません。」と常々説明するのだが、自宅通院の患者さんならまだしも、施設から通院の患者さんにごねられても困ってしまう。服薬しなければ、施設が「これでは看きれない」とすぐ言い出すわけで。実際一度外来後1週間、「薬をのむのを嫌がるがどうすればいいか」という電話が施設から何度もかかり、「主治医が変わった途端薬をのまなくなったとはどういうことだ」と離れた所に住んでいる家族が怒鳴り込んできた。主治医が変わった途端って、私はまだたいして話もしていない。彼は初対面で診察室に入ってくるなり、「この薬をずっとのんでいるが、このせいで便秘をしている(というこだわりが彼にある)」と訴え、「量も少ないし、そのせいとは考えにくいですよ」と説明する私を遮り「何を意地になっているんだ。お前の反骨精神か。患者には、薬をやめる自由があるんだ。そんなに言うなら、試しにのまずにやってみれば、お前の言うことが正しいか、俺の言うことが正しいかはっきりするだろう」と一方的に叫びまくって帰って行っただけである。前主治医に問い合わせたところ、主治医交代時、その先生も同じ目に遭ったそうで、3~4回診察すれば諦めますよ、とのことだった。初対面で入ってくるなり、付き添ってきた母親が入院させようと粘ったケースもあった。本人は、多少ワガママで自分の思い通りにならないと大声を出したり、物に当たったりするようなところもあるが、デイケアにもきちんと出て、そこそこ家でやっている。本人だけでいつも診察を受けているのだが、初対面ということで母親がやってきたのか、と思った。ところが入室するなり、母親は「私がもう限界だ。これ以上家ではやれない」と言い出した。カルテを見る限り、ここ数か月状態が変わっているようには見えない。診察室内で本人と母親が喧嘩をし始めた。「だから一人で来るって言ったのに!ついて来るならそういうことは云わない約束でしょ!」「そんなこと言ったって、あんたは1日1回かんしゃくを起こすじゃないの!昨日だって!」「それは、友達が急に約束に行けなくっなたって言ったから、イライラしただけ!」私の後ろには外来予約のカルテが山積み。インフルエンザの予防接種も別の受付で間に入ってくるから、その日は大変なのに、親子の言い合いで診察室を30分も使われて困る。見かねて割って入り、「どうしても家で静かにさせたい、とおっしゃるんですね。じゃあとにかくこの処方で、2週間やって様子を見てください」と道理に反した処方変更をした。通常、主治医交代時には患者さんの病状が変動しやすいので、まずしばらく処方は前医のものを引き継ぎ、数か月は様子を見る。それに反して処方を変えたということだ。翌々日には母親から「○●という薬が増えてから、ゴロゴロと寝てばかりいます。デイケアにも眠くて行きたがりません。こんなことでは家に置けません。」という電話。「寝てばかり...って、昨日もちゃんとデイケアに来ているではありませんか。それで、かんしゃくを起こして家で看るのが限界、というお話はどうなったんですか。」「それは...確かに静かにはなりましたが、ずっと家にいられるのも困るんです。」「静かになって頂く目的で出した薬ですから、そのまま様子を見てください。」新しい主治医になったから、とやたらに話をしたい、と予約変更しどんどん近い日に変えて、やってきた患者さんもいた。1時間近く話をしたのだが、要は病気の症状の話ではなく、自分の生活が満足いかない、思い通りにいかない、次々と取り換える同棲相手ともうまくいかず、自分の親にも協力してもらえず、当分今のところにいるしかないと思うと、ここ3日ほど気分が落ち着かないので薬を出して欲しい、というもの。「それは薬では解決しませんね。今の状況は自分が選んだものですし、当分受け入れていくしかないです。」と話したのが、たいそう気に入らなかったそうで、また続けて予約をねじこみ「主治医を◎△先生に変えてもらいたい」とやってきた。◎△先生の外来も予約いっぱいなので、私の方から主治医交代です、と予約を入れることもできない。「◎△先生でも、他の先生でも、誰でもご自分のお気に召す医師にかかって頂けばいいですよ。次回予約は入れませんので、私以外の医師が担当する曜日にいつでもいらしてください。予約外再来ですのでお待ち頂くことにはなりますが、ご自分が診察を受けられて、この先生、と思った医師に主治医になるよう依頼してください。」すぐに主治医欄から自分の名前を抹消した。私もいっぱいいっぱいなので...じゅびあの診察が受けたくて来てくれる患者さんだけでいいや...と思ってしまう。患者さんを区別してはいけないとは思うけれど、私も人間だから、やっぱりじゅびあの診察を受けたい、と頼って来てくれる患者さんには愛着が湧くし、はなから「お前なんて気に食わん」と来る患者さんには、ネガティブな感情を持たざるを得ない。ああ、もちろん精神病症状のピークで「お前なんかなんだ」っておっしゃる統合失調症の患者さんにはそういうことはないけれど、落ち着いている患者さんに「お前なんか気に食わん」って言われると「じゃあ、他の誰のとこでも、どこでも行って」と言いたくなっちゃう。まだまだ修行が足りませぬ。勤務医だから言えること。開業医だったら、どんな患者さんであっても、ひたすら機嫌を取って一人でも逃げられないようにしなくちゃいけないもの。いくら収入が勤務医より上でも、私に開業は無理ですわー。
2007年12月09日
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精神保健指定医は、「入院治療が必要だけれどその判断がつかず自分では同意できない患者さん」を強制的に入院させたり、暴れちゃう入院患者さんを鍵のかかる個室に閉じ込めたり、閉じ込めてもなお自分を傷つけてしまう患者さんを縛ったりすることができる。医師歴常勤で5年以上、精神科医師歴常勤で3年以上、指定された研修会(3日間缶詰)に出席後1年以内に定められた条件のケースレポート(合計8例)を提出すれば取れる資格。あとは定期的(5年に1度)に講習会に出て、更新するだけ。ホームページを見ると、各病院や医院のホームページに「資格:精神保健指定医」と書いてある先生が多いけれど、所詮それだけの資格といえば、それだけ。結構誰でも持っているし、これを持っている医師が、特別経験豊富とか、治療や処方がうまいとか、ということでは残念ながらない。実務上、入院施設を持つ精神科医療機関としてはやはり誰も指定医を持っていないのでは困るが、入院施設を持たないクリニックでは関係ない。だが、収益上、精神保健指定医の診察は非指定医の診察より高い診療報酬が取れるので、指定医資格だけ入院施設のある精神科病院でぱっと取っておいて開業したり、老人病院に移ったりしてしまう医師も多い。指定医のケースだけ集めたら、あとは用がない、ということだ。自分の出身大学の先生たちには、こういう人はほとんどいなかった。ケースを集めさせてもらった病院で一度も指定医業務を行うことなく平気でずらかるっていう感覚は私には理解できない。しかも、指定医取得のための出張費用や研修会費(上京するのであれば大体10万円くらいは必要)を病院に負担させておいて、なのだから。私は経験年数は十分満たしているのに、いまだに指定医を持っていない。指定医のケースレポートは常勤で勤務していた病院で、過去6年を超えないケースでなければならないため、一時期結婚、出産、育児で勤務を離れると昔のケースは使えなくなってしまう。非常勤勤務の期間も長かったため、その間診療していたケースは無かったと同じ。離婚後の整理がついて常勤勤務を再開したところから、すべてのケースを集め直しになった。ケースは7例集めた。レポートも作成済み。あと1例だけ、どうしても条件を満たす患者さんが来てくれないのだが、こればかりは運を天に任せて待つしかない。...結構最初に取り損ねてしまうと、取りにくくなってしまうのだ。今まで、指定医を持っていなくて不便だとか、悔しいとか思ったことはなかった。子どもの迎えを考えると、夕方突然措置鑑定(これは指定医の義務であるから、拒否できない)で遠くの病院や警察へ行かされたりするのも困る。指定医を持っていると書類仕事も増える。前の病院でも、協力的にやっていた先生たちの持っている「指定医証」を実質自分が持っているのと同じように使うことができた(もちろん、きちんと指定医診察を行うのだが、何人かの先生が、私が指定医診察を依頼すると必ずすぐに飛んできてくれたのだ)。今の病院でもその点では困っていない。安い単価でいい診療をやってれば、患者さんにはお得なんだよな、くらいに思っていた(病院は儲からない)。今年最後の指定医ケースレポート提出期間が始まった。子どもの病院や老人施設で「精神科」をやってきて、直球勝負の精神科を1年もやっていないあるドクターが、指定医申請をする。治療後の結果がどうなろうと知らん、という感じでとにかく入院から退院まで持ち込み、半年でケースを集め、すぐに退職、今はまた他の施設で外来だけやっている。治療不十分で退院させたり、任意入院に切り替えて置き去りにしたりした患者さんをすべて他の先生に押しつけて、である。また後継のために他科から転科して精神科になり、親のクリニックを2年手伝って移ってきたあるドクターも、今回申請。半年でケースを集めてしまったので、たった1年で退職、親の後を継ぐようだ。初めて、自分が指定医を持っていないことを、悔しいと思った。指定医の有無は法律的なことを理解しているかいないかだけの差だと思っていた。私もこの業界は長いので、それほど法律的な要件を理解していないわけではない(と思う)。でも、今回申請する医師たちを見ていると、到底法律的な理解があるとは思えないのだ。「罰のため保護室へ入れる」と平気でカルテに記載していたり、新患を受けるのに保護者が必ず一緒に来るよう指示していなかったり、本人の同意による任意入院のままで平気で隔離し入院形態の変更を行う様子がなかったり、看護からの電話だけで隔離指示して何時間も経ってから診察していたり。私は「暴れています」という連絡を受けたら電話で隔離などさせない。診に行くまではとにかくマンパワーで押さえていてもらい、病棟へ走る。隔離だけなら非指定医でも12時間までできるので、隔離してからすぐ指定医に診察を依頼、12時間以内に指定医により改めて隔離という手続きを都度確実に行なって、カルテにもその旨を明記してきた。指定医診察を依頼できない当直帯なら、1度12時間以内に隔離解除して観察させ、何か起きかけたらすぐに再隔離して平常日勤帯まで繋ぐということを厳密にやってきた私は任意入院の患者さんに隔離拘束を行うときは必ず退院制限、そして保護者の同意による医療保護入院に切り替える(正確には、他の指定医の先生にすぐしてもらう)。任意入院の患者さんが保護室で「出せよ~」って扉を蹴っているのって、ありえない。治療に協力できず暴れるから縛られたって患者さんが、自分の意思で入院しているって、ないよ。休日夜間に急遽対応を迫られた場合はいいけれど、平常診療時間帯に入ったら、即手続き、というのを、何年も守ってきた。そういう話をすると「えー、そうなんですか?そうしなきゃいけないんですかねえ。」っておっしゃる先生たちが、私より先に指定医を取得していく。指定医って、こんな人たちでももらえるのか。こんな人たちのケースで、治療内容で、認められるのか。それなのにこれから、私が医療保護入院や、行動制限が必要だな、と思う患者さんに対応する時、これらの先生たちの「OK」がないとさせられないのか。...これってどう考えてもおかしいぞ。納得いかないぞ。あと1例、何度かチャンスはあったのに、土壇場でことごとく横取りされたり、フラレたりしてきた。来年こそは、来てくれないと困る...指定医がないことで今の病院は年収100万違う。生活かかってます。
2007年12月02日
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