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4月になると、どこの大学精神科医局にも、「フレッシュ」と呼ばれる新入生が入ってくる。最近、このフレッシュに転科組が多くなった。転科組というのは、外科や内科や、皮膚科...その他もろもろの科から、専門科変更を希望してやってくる先生たちのことだ。なぜ転科してこられるのか...外科では体力と気力と生活が続かなくなった、精神科なら今からでもやれると思った...など実際「楽だろうから」「誰でもやれる」と思って来られる先生が少なからずおられるに違いなく、ローテート研修後すぐに精神科を志した私などは「それは違うど!」と声を大にして言いたくなってしまうのだ。前にも書いたように、場合によっては患者さんと取っ組み合うくらいの体力がいるし、服薬を頑強に拒否する患者さんとは気力を振り絞って根競べをしなくてはならない。他科から転科された先生の診察を診ていると、若い先生でも「あー、いかにもお医者さんっていう診察だな」と思うことがある。患者さんが何かを訊いたり、不満をこぼしたりする「隙のない」診察なのである。傍から見るとそういう先生はとても信頼できそうで、言い切られると看護師も対応への不平不満を言いにくく、表面的には何も言われず指示が流れていったりする。変なところでつけ入られたりしないためには「隙のない」ことも重要だし、時として私も言い切ることがある。前の主治医がチョー隙のない先生だと、表面的に隙のある私は主治医交替した途端に家族から「家に置けない」と特に変化のない患者さんでも入院を迫られたりしてしまう。何回か診察を繰り返すと「じゅびあ先生は実はそんなに隙があるわけじゃないんだ」と伝わるようだが。何度言っても服薬してこない患者さんに「服薬しなきゃ話にならん、いくら診察に来ても、デイケアだけ来てても、意味がない」と半分怒って言うくらいのことは、私だってある。...いくら怒ってもキリがないので、ある患者さんはGW明けまで服薬できなかったら、持続性抗精神病薬注射(デポ剤)の導入を考えるつもりだ。精神科というのはものすごく専門性の高い領域だ。精神科経験のない内科開業医が「内科・循環器科・心療内科」などと標榜していることがよくある。この例ならばこの先生の専門は循環器で、心療内科については十中八九「患者さんの要求に従って睡眠剤と安定剤くらいなら出せる」という程度だと思ってよいし、診察している先生自身も「睡眠剤と安定剤くらいなら、特別の勉強をしなくても出せる」と思っている可能性が高い。これはまた一方で、患者さんたちが「精神科」の看板を毛嫌いし、「心療内科」という甘美な響きに惹かれやすいということの結果でもある。「心療内科」からの紹介状を見ると「この先生は実は全く向精神薬をご存じないのだな」と思うことが、本当によくある。心療内科でも、「心療内科・精神科」「精神科・心療内科」と標榜している先生は、精神科医だから、誰でも見分けられると思う。この「心療内科」いうのは微妙で、本当は内科とも精神科とも趣の異なる領域で、本物の「心療内科」医を私は数えるほどしか知らない。精神科領域を診療する心療内科医何とか、とコミックやドラマに出てくることで、うつや強迫、妄想で「精神科は嫌だから」と心療内科にかかってしまう患者さんが後を絶たないが、本来の「心療内科」は心因性に身体症状が出ているのを軽減するのが目的の科だから、混同されないような啓蒙が必要だと思う。話を戻そう。転科組の全てがそうだと言わないが、「今からでもできる」「誰でもできる」と思って精神科を希望される先生たちには「そう甘くないぞ」と言いたいし、「他の科をやって疲れたから、楽をしたいから精神科へ移った」医師にかかった患者さんは不幸だと思う。指導をしていても最初から精神科希望(ローテート後、すぐ)の先生のほうが、変な「色」や、プライドがなくて正直指導しやすい。転科組でも、精神科という領域に敬意を払い「大変なつもり」で来てくれる先生は、もちろん、大歓迎ですよ。
2008年04月26日
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...間違いなくタイトルの2つが我が家の家計を圧迫している。我々の業界は、診療報酬改定こそあったものの、不景気には比較的影響されない恵まれたところだ、とは思っている。だが、3月までと同じ食品がどこへ行っても1割程度値上げされていると、一瞬買うのに迷う。他のもっと安いものはないかな...と探して売り場をうろうろ。食品が1割上がり、私の年次昇給は上がっても2%弱。子どもも進級して習い事の値段が上がった。今まで別れた夫から送られてきた養育費を、「小さいうちは」とほとんど子ども名義の貯金に回してきたが、生活費に繰り入れさせるを得なくなってきた。後期高齢者医療っていうのを、私はよく研究していなかった。母を扶養から外す異動届を書かされて、初めて気づいた...。日本は、国民がこんなに長生きすると思わずに年金の制度を作ってしまったので、長生きしすぎた人から天引きで取り返そうとしてきた、というように見えてならない。一方で、母の調子が悪いと当直を増やせないどころか、むしろ決まっていたところも降りざるを得なくなった。家のローンも残っているし、車も今度の車検は厳しい。旅行に行ったり、たまに美味しいものを食べるのはいいが、普段の生活をできるだけ節約。今年はPTAの委員決め当日、外来で行けなかった。片方のクラスから「○●委員が決まらないので、くじで決めることになった。くじの中に入れさせて頂く。全員連絡が取れるまで、解散できない」と診察中に連絡食らった。その後連絡がなかったから、くじは外れたみたいだけど、この上委員になってしまったら、夏休み分のすべての休みを使って毎月半日休む羽目になるとこだった...。週にもう1日、どこかへパートに出ないとダメかな、とも思い始めている今日この頃。今の病院、勤務を週にもう0.5日少なくした方が、手当は同額な分、お得。しかし、業務の内容、初診や再来、病棟担当数のDUTYは変わらず、週4日に詰めて行うことになるだけ。今でも体力的にはかなりしんどいし、仕事のキメが粗くなるのは許せない。決してシングルマザーの女医はセレブでもカッコよくもないのですよ。関係ないけど、子どもが去年使った植木鉢をきれいにして持っていかねばならず、カチカチに刺さった支柱を無理に抜いたら、その瞬間ギックリ腰になってしまった。こんなにひどいのは10年ぶりくらい。鍼治療に定期的に通っていた頃は、ひどい発作が起きなかったのだけど、今は鍼治療に通うだけの財力もない。心理的にボンビー、ぴすぴすぴすっ、だわ。
2008年04月20日
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私には、絶対音感がある。幼い時からそうだったので、だいぶ後までみんなそうなのだと思っていた。ピアノで音を出されれば、鍵盤を見なくてもその音が何かもちろんわかる。カラオケではその曲の原調以外のキーでイントロが出てくると相当気持ち悪い。必死にリモコンでキーを上げて探すのだが、カラオケから出てくる音そのものが、ピアノの音階に存在しない音だったりすると、いくら探しても元のキーが見つからないということになる。ヤマハの「ピアニカ」とスズキの「メロディオン」はどっちも鍵盤ハーモニカだが、メロディオンの方が全体的に音が低いと感じる(私だけ?)。子どもたちは保育園ではメロディオンを購入させられたが、小学校指定の基準(家にある人は買わなくてよい)がもしピアニカだったら、迷わず買い直すつもりだった。合奏した時に絶対、うなりが生じるはずだ。絶対音感は遺伝という説もあるが、うちの子どもたちには無いようだ。私は幼稚園の年中~中学2年くらいまで聴音(和音とか、メロディを聴いて素早く楽譜にする。終わりの頃は、音大を目指す高校生のクラスにいた)をやっていたので、訓練の賜物でもあるだろう。どうやっても「ド」の音は「ド」の音にしか聞こえず、ハ長調以外の曲を「移動ド」で歌う技術は、大学生になってコーラスサークルに入ってから、努力して身につけたものである。一度「固定ド」で歌ってから、平行にずらして歌い直している。頭の中に絶対音感で鍵盤を浮かべてから、その曲のドレミ音階がどこから始まるかを考えて歌うのだ。ただ、私の絶対音感には揺らぎがあるので、ある程度幅のある近似値で許容できるようだ。私の知っている絶対音感保持者には、空調の音までいちいち音階に聴こえる人や、ピアノの440Hzと442Hzを聞き分ける人がいた。ここまで能力があるとある意味で苦痛もあろうと思う。私の耳が音階として捉えるのはせいぜい救急車のサイレンまでである。ああ、聴力検査の音も「ドー♪」「ドーッ♪」とやたらに聴こえるので、聴こえる前からその音を探してしまい、鳴ってないのにフライングでボタンを押してしまったりする。救急車のサイレンと言えば、私は幼稚園の年長~小学校1年くらいの時に、「ドップラー効果」を認識していた。「どうして救急車が通り過ぎると音が下がるの?」と尋ねたが、親に「救急車の音が下がるなんて、この子はおかしなことを言う。気のせいじゃなきゃ耳がおかしい」とひどいことを言われたのをはっきり覚えている。「ピーポー(≒シーソー)ピーポーォパーポー(≒シ♭ーソ♭ー)パーポーってなるじゃない」と一生懸命物真似で表現したが相手にされなかった。歌う時に絶対音感は絶対ではない。いろいろ不思議なことがある。ハモる時には音によって多少音程を調節するほうがきれいにハマる。例えば「ドミソ」の和音の「ミ」は意識してやや高め(明るめ)にした方が、きちんと「ドミソ♪」に聴こえる。「ミ」が本来の「ミ」より少しでも低いと、暗く聴こえ、短調(マイナー)として認識されてしまう。「ド」とその完全5度上の「ソ」の音を出すと、最初の「ド」の1オクターブ上の「ド」とそこから長3度上の「ミ」の音がその中に聞こえるのは、決して幻聴ではなくて(笑)、「倍音」というもの。家にきちんと調律されたピアノがある人だったら、1オクターブ上の「ド」と「ミ」の鍵盤を予めそっと押さえておいて、下の「ド」と「ソ」を鳴らしてみると、これを実感できる。倍音で聞こえてくる「ミ」の1オクターブ下の「ミ」を出すのが「ドミソ」の和音で、これを聞くと人間は安心できるのである。診察室にごく小さな音でいろいろな和音を流しておいたら、患者さんの心理状態が変わるのではないかと思っているが、残念ながら実験したことがない。
2008年04月17日
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日曜日、近所のラーメン屋へ行ったら、「何名様ですか」と出てきたお兄ちゃんがイケメンでびっくり。頭に赤いバンダナを巻いて、タイプで言えば小池徹平。色白で、顔が小さくて、ひげなんか生えてなくて、ベビーフェイスのジャニーズ系。母が一瞬「嘘!女の子でしょ」と言ったくらい。脂ぎったラーメン屋には不釣り合いな爽やかさ。子どもたちも「おーっ」と感嘆の声。帰りの車の中で、息子が言った。「僕、イケメンの新しいお父さんが欲しい。」イケメンの新しいお父さんが来ても、アンタの顔は変わらないよ。「じゃ、イケメンの弟が欲しい。」...それはもっと難しいのじゃないでしょうか。
2008年04月16日
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強迫症状と一口に言うが、これまでいろんな「強迫」を診てきた。ズボンやスカートのファスナーを閉めたか、トイレの水を流したか確認し続けた受付嬢。書類が間違っていないか何度も確認するために、仕事が進まず左遷された会社員。バナナをお箸でつまんで食べていた小学生。夜中でも水をザーザー流して、あかぎれになるのも構わず手を洗い続けていた女の子。ごみ箱に何かを捨てると、そのたびに自分が捨てたものは間違っていないかひっくり返して確認していた高校生。床に落ちたボールが服に触れたと言って、全身着替えていた少年。病棟の個室トイレでも使えないと、妻にサイズの合うトイレカバーを手作りさせ、手の触れる範囲をすべてカバーで覆っていた夫。お風呂に入るには、順番通り洗わなくてはならず、時間もかかって大変でできない、と1ヶ月に一度しか入浴しない妻。車を運転していて段差のたびに「人を轢いたのではないか」と路肩に車を停めて一周回っていた母親。会社の書類を服に挟んで持って帰ってきてしまったのではないかと何回も帰り道と干した洗濯物を確認していた秘書のねーさん。トイレや浴室のドアを開けては、自分が殺した死体が倒れているのではないかと見て回り、診察のたびに私を殺していないか確認していた青年。神経症圏の強迫というのは度を過ぎているとはいえ、健康な人にもある程度理解できるもの。...あなたなら、どこに了解可能、了解不可能の線を引くだろう。どこからが思考障害を含み、どこからが病的体験を含むだろう。一番下のケースくらいになると素人さんでも「これはちょっと...」と思うに違いない。これらの判断は、精神科医でも難しい。私が「これは精神病圏」と判断したケースで、家族が「強迫神経症の治療をしない」と怒鳴りこんできてそのまま退院させてしまうケースもあった。往々にして前医が強迫神経症の診断をしていて、その治療を続けてきたケースだ。実際、幻聴の存在がはっきりしないのに統合失調症という診断がなぜついたのか、と平気で言ってしまう精神科医が、残念だが少なからずいる。奇妙か、奇妙でないか、その感覚が診断にはすごく大事なのだ。
2008年04月15日
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ご存知のように私の家にはうさぎがいるが、うさぎは当然、ベジタリアンである。うさぎを飼っているのだから、ついでに私もベジタリアンになるべきだ、ということを言ったある先生のことを話そう。ベジタリアンになればダイエットはできるし、肉や魚を買わない分お金が貯まるかもしれないが、激しくお断りである。ベジタリアンになるのなら、手持ちの革製品を全部手放すべきだし、革靴も履けない。一人暮らしをずっとするなら別だが、子どもと自分の食事を別々に用意するなんて、とんでもない。私の知っている精神科医の中で、たった一人のベジー。彼もこんなところで話題にされるのは不本意かもしれないが...許せ。彼がベジーになった理由は、宗教的なものでも体質的なものでもなく、中学の時にテレビでペンギンが殺される映像を見て、可哀想だったから、である。彼が加わる宴会には配慮が必要で、私が幹事のときには「インド料理屋」を会場にしたことがある。インド料理屋なら、間違いなく完全なベジタリアン料理が用意できるからである。彼はその後このインド料理屋を贔屓にしていたようで、お忍び彼女連れのところに遭遇したのだった(お忍びなら私の知っている店を使うべきではない)。彼は宗教的にベジーなわけではないので、たとえばみんなで鍋を囲むと野菜ばかりをつついていて、出汁に肉やカツオが入っていることまでどうこう言うわけではなかった。仕事だから、と病院の検食だけは普通に食べていた。だが、たとえばキノコのクレープ巻きにチキンのだしが入っていることなどにはやはり敏感で、「これは入っている」と私が気付かないような匂いを嗅ぎ分けていた。そんな彼だからだいたい宴会では割り勘負けするのだが、ただ一度だけ、彼が負けなかった宴会があった。会場は寿司屋で、彼はなんと松茸の握りばかりをひたすら食べ続けたのである。いつだったか、彼が自転車で側溝に落ち、怪我をしてきたことがあった。下腿の前面にかなりの長さの裂傷を負い、ナート(外科で縫合)してきたと言う。通常、高齢者でも1週間もすれば抜糸ができる。だが、彼の傷はなかなかくっつかず、抜糸が遅れた。長年のベジー生活で、慢性的な低タンパク血症だったに違いない。「いったい普段、何を食べているの?」と彼に尋ねると、「豆腐とか、パスタが多い」と言っていた。パスタは手軽ですぐにできるし、中に入れる野菜を変えるだけで違う味になる。彼の住む病院宿舎の前の生け垣の下には、密かにネギが植えてあった。卵や牛乳も摂らない彼の蛋白源は、ひたすら豆腐や納豆など、大豆だけだそうである。やっと自転車の傷が抜糸された頃、今度は車で事故を起こした。彼はスポーツタイプの車に乗っていて、顔に似合わず走り屋っぽい運転をしていたのだが、その車が一発で廃車になるほどのひどい事故だった。幸い相手は誰もいなくて、自分だけで用水路に落っこちた。晴天続きで用水路に水がなかったこと、ベジーな彼の体格が華奢だったのもよかった。ぺしゃんこになった車の、隙間にすっぽり身体が入り込んだ状態で、彼は用水路に落ちた。隙間は数十センチしかなく、用水路にもし少しでも水があったら、溺死していただろう。命は助かったのだが、頸部を含む椎体を2ヶ所、圧迫骨折したのである。だいたい、椎体なんていうのは、骨粗鬆症の人が折るもので、三十代独身の男が折るような場所ではない。「なだ万」の野菜の炊き合わせ(笑)を持って見舞いに行くと、彼は頸部を吊られて、身動き一つできない状態でベッドにいた。「先生、そこの引き出し開けてよ」と言って彼が見せてくれたのは、ぺしゃんこになった愛車の写真と、自分のレントゲン写真。「ねっ、すごいでしょ」...自慢することかい。大体、明らかに骨密度が低くて骨がすかすかじゃないの。彼は「野菜の煮物ってこんな美味しいのがあるんだー」と言って喜んで食べてくれた。私はそれを見ながら「ベジー返上したら?30代男性で、圧迫骨折なんてあんた、学会に発表されるって。目のところ黒い線入れられて、スライドに載るぞー」とからかい半分、だが半分は本気で言った。「そうだね、先生。これから乳製品は摂るようにするよ。そういうの、ラクトベジタリアンって言うんだよ。」...懲りない人だ。結局一ヶ月以上かかって退院した彼は、普通に生活できるようになったが、彼女とは結婚しなかった。やっぱりベジーなのがネックだったんじゃないのかな、と思ったものだ。彼の奥さんになる人は大変すぎる。そんな彼が後に言っていた。「やっぱりインドの女性とかいいですよね。本当はずっと向こうに住みたいんですけど」彼はバックパッカーでもあり、ユーストン駅(ロンドン)で寝ていたところを「泊めてやる」と言ってくれた見知らぬ現地男性について行き、もう少しで貞操を奪われそうになった経験を持っているのだとこれまた面白そうに話してくれた。照明をつけてもつけても消され、おかしいなと思ったらもぞもぞと触られ、「ごめんなさい」とまた駅に戻って寝たそうだ。...勝手におし。
2008年04月12日
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4月に入って、母の症状が少しずつ、目立ち始めた。肺がんの、脳転移。転移巣の周りに生じた浮腫が引き起こす、せん妄の症状だ。状態が分かってから、2年半。原発巣にはイレッサもよく効いてくれて、動きはない。だが脳転移にはあまり効かない。母の脳転移も複数あり、新しく出現する度、ある程度大きくなる度、放射線治療をしてきた。今度は以前に放射線治療をした箇所が大きくなってきたため、同じ場所にもう一度かけることができないのだそうである。とにかくできるだけ症状を緩和するため、少しでも長く自宅で生活を送るため、薬でやれることを、とステロイド内服薬の投与が始まった。脳外科の先生からそれが告げられたのと、私が症状を感じ始めたのと、時期がぴったり一致している。今まで以上に感染に気をつけなくては。ひとつひとつは小さなこと。家の雨戸を閉め忘れるとか(2年半前もっとひどかった時は開けることも忘れ、1日中暗い部屋の中で過ごしていた)、セ○ムやドアチェーンをかけ忘れるとか。台所の三角コーナーに、ごみ捨て用の網が入っていないとか(2年半前、ごみを捨てるだけで大変で、次の網を入れることがしんどくてできないと逆ギレしていた。網をセットしないから、ごみを捨てるのが大変になるのに...)。薬やレシート、DMや洗濯バサミの入った紙袋が家の中のあちこちに落ち始めるとか(先週日曜日、部屋の真ん中に2個落ちているのを見てついに来たかとゾッとした。ひどくなると、どんどん数が増えて行く。母はやたらと「忘れないように」と紙袋に入れて、そのへんに放置するのだ)。他の優先すべき作業があるにもかかわらず、朝一番に起き出して、お金の計算をずっとしているとか。洗濯物を干すのを忘れたり、干したことも忘れたり、私がとりこんでおくとまた洗濯機に入れてしまったり。調理をすると、冷蔵庫に野菜がたくさんあるのに、肉と魚のものばかり出したり。夕食後、「疲れるから」とソファに横になってすぐにうとうとしてしまい、とんでもなく遅い時間に起き出して、風呂に入ったり。母が眠ってから私はリビングへ降りて、ごそごそ洗濯物干しや施錠確認、洗い残した調理器具の洗浄、食器洗い機の中身の片付けなどをするのだ。外来日なのに朝ギリギリまでばたばたこれらをやっていたら、「どうせ私は役に立たない、この家にいない方がいいのね」と逆ギレされ、大変なことになった。この私が「ばたばた家事をやっている」ということ自体を、被害的に受け止めるのである。それで夜中にやることになったのだ。母はその日私が出勤時間ぎりぎりまで、いや遅刻ラインを越えて家にいたことに気付きもしなかった。食べるつもりの自分の朝食を置いたまま家事をしていたら、「早く片付けをしろって言ったから」と捨てられていたのは本当に頭に来た。多少無理をして(すみませんでした)、どうにか診察開始時間には間に合った。診察は普通にやれた。患者さんが次々に、仕事への、日常生活への不満を話す。呼吸を整えながら、相槌を打ちながら、「無理ないよねえ」と笑顔で話しながら、「そんなことくらいなら、まだたいしたことないぞ」と心のどこかで思う冷めた私が診察室にいた。4月の医局会議で「家庭の事情で5月から当直を降りさせていただく」と突然宣言したため、「当分の間なのか」「ずっとなのか」などと事情を知らない一部の医師に詰め寄られたが、返事のしようがなかった。「母が死んだらやれます」とか、「入院したらやれます」とか、答えるわけにもいかない。事情を知っている院長が「とにかく、他の先生で一度埋めておくように」と言ってくれたので、その場はとりあえず済んだが...。今日母は私を呼びとめるのに、名前がどうしても出て来なかったそうで、私のことをこう呼んだ。「ちょっと、ぶーちゃん」いくら私がまるっこいからって、それはないだろう.....。
2008年04月11日
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ある男性の先生のことを女性看護師たちが言っていた。「T先生は、患者さんが暴れているといつも一番後ろに下がって、『あなたたちやって』なんですよ。男性の応援を頼むにしても、一応先生だって、男手じゃないですか...。私たちだって、危険なのは同じなのに」私は、どちらかというと、そういう時に一番前に出なきゃいけないと思うタイプ。医師というのは一応医療チームの中で指示を出す立場にいる人間であって、自分はいつも安全な所にいて、他人にやれ、と言っても周囲は動いてくれなくて当たり前、と思っている。忘れている人のためにいっときますが私は女性ですよ~。先日も、当直をしていたら、ある男性患者さんが、女性看護師に向かって尖った鉛筆を振りかざしている、怖くてたまらないと泣きそうな声でコールがあった。当直職員が女性のみの病棟で、私が行ったら誰も男性職員がいなくて、「どうして同時に他の男性職員のいる病棟にコールしてないんだよ(泣)」と思ってしまった。私の方が看護師より強いってわけでもないぞ。だが患者さんの方は、医者にコールをされた時点でマズイと思ったのか、自室に戻ってしまっていた。わざわざ寝た子を起こすこともないので、しばらく詰所で待っていると、再び怒声がし始めた。当直看護長にまずコールし、男手を集めてもらってから、病室に向かった。患者さんは意味不明のことを叫んで興奮し、それでも医者と見ると「自分は悪くない」「他の患者の誰々が悪い」というようなことを言って、どうにか私を去らせようとした。後ろ手には、問題の鉛筆。「もう、休む時間です。今からは鉛筆は要らないでしょうから、お預かりしますね。」患者さんは鉛筆を反対の手に持ち替えて、何も持っていないとでも言うように、手を前に出した。「両手を出してください。そんなものを振り回しては危ないですし、他の患者さんも休めません。」患者さんに鉛筆を渡すよう促し、ぐいと前に進み、右手を広げて差し出した。...このままグサッとやられるなら、利き手でない左手の方がよかったな、と一瞬思った。患者さんは私の掌に鉛筆を突き立てるかと思ったが、競馬新聞を眺めているおっちゃんのように鉛筆を耳にはさんで両手を出した。そうかと思うと突然自分のベッドの方へ走り出し、寝具の下に鉛筆を隠し、何故か私の手にはノートを渡した(掌に触れたのが鉛筆の先でなくて、本当によかった)。一瞬目を閉じた私の頭の中には、手からだらだら出血するイメージが完全に浮かんでいた。その隙に複数の職員が総出で取り押さえ、鉛筆を取り上げ、患者さんは神輿のように担がれ、朝主治医が来るまで保護室へ隔離(もちろん、私の指示で)。私はその時に思いっきり足を踏まれたが、踏んだのが患者さんだったか職員だったかは分からない。この間は医療保護入院時に、入院に納得しない患者さんが私の受け取った書類に飛びかかって引きちぎり、書類をかばおうとした私は左手首の捻挫と左中指のつき指を受傷。保護者の親御さんはぼーっと見てただけ...。いちいち怪我をしたことは言わなかったが、数日はキーボードを片手で叩く羽目になった。認知症のおばあちゃんに、突然げんこつを振り上げられ、その腕を握りしめたら握った手に噛みつこうとされて、両手でおばあちゃんの腕を引っ張ったまま「誰か来てー」と叫んだことも。その時蹴られ続けた脛の皮下出血は消えるのに3週間かかった。火事場の馬鹿力ってやつだ。1週間後には薬の効いたおばあちゃん、ニコニコしてたけど...。自分の患者さんが突然不穏になって指定医診察を頼んだ時のこと。詰所で待っていると、指定医が診察室からすっ飛んで出てきた。後ろからはまるでボールのように患者さんがコブシを振り上げて飛び出してきた。想像以上に不穏だったのだ。詰所には女性職員しかいなくて、みな遠巻き。患者さんの注意は、男性の指定医だけに向いていて、すぐ横にいる主治医の私は目に入っていなかったようだった。私は彼の左手に両手で飛びつき「ダメだって!」と叫んだ。まさか、女性の主治医に、自分が取り押さえられるとは思ってなかったらしい。ひるんだ彼に指定医の先生も飛びかかり、二人がかりで体重をかけ床に抑え込んだ。「男性職員呼んで!早くっ!」指定医の先生と二人、渾身の力と体重で体格のいい男性患者さんを押さえつけて応援を待った。あの時彼に引っかかれた指定医の先生は、傷がなかなか治らないなー、と思っていたら、1週間後に化膿していたそうだ。彼は、風呂が嫌いで爪がばっちかったのだった。診察室で仕事をしていたら、詰所のほうで何かしら音がした。詰所に職員は誰もいない。どうも施錠し忘れたドアから、患者さんが侵入したらしく、用意した点滴台などを蹴倒していた。いや、彼はその向こうにあるちり紙が欲しかっただけなのだけど(患者さんは、往々にしてちり紙が好きだ。ものすごく貯めている人、服の下にぎっしり詰めている人がいる。トイレットペーパーをホルダーにつけておくと、持ち去られたり、トイレに詰められたりしてしまうので、必要時に詰所でちり紙を渡して使ってもらっている病棟は多い。ちり紙は、彼にとって財産みたいなものなのだ)。見回しても、見える範囲に職員がいない。叫んでみたが、誰も反応なし。被害が広がり続けるのをほっとくわけにもいかず、「ダメだってー」と叫びながら仕方なく、私一人で彼を後ろから羽交い締めにして抱きかかえた。たまたまワイヤーの当たる場所を蚊に刺されており、その日はノーブラだった(ノーブラ出勤は後にも先にもこの日だけだ)。「ちっ、スペシャルサービスしちまってるよ。でも、ちり紙、ちり紙...としか言わない彼がそんなことに気づくことは永遠にないだろうな」と思いながら「誰かあ~!」と叫び続けていると、廊下の向こうから気づいた主治医の先生と看護師が走ってきてくれた。精神科医に必要なものは、1に腕力、2に体重、3、4がなくて、5に勇気、かもしれません。怖くないわけではないんです。怖がっていることが患者さんに伝わると、ますますやられるので、虚勢張ってます。でも、重症の入院患者さんより、初診の外来患者さんの方が、何を持っているか、何が起こるか分からないので怖いんです。どこの診察室にも、非常ボタンがあります。たとえ殴られても、刺されても、即死さえしなければ、助けは呼べる、一発だけ死なずに、気を失わずに耐えれば、まあ何とかなるだろう、といつも自分に言い聞かせて、やってます。
2008年04月04日
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4月になり、さまざまな病院で、さまざまな人事異動があった。特に、医局支配の強い大学から来ている先生たちは、大変だ。マイホームを建てた途端に、単身赴任になったり。子どもが小さいのに、遠距離通勤になったり。ほとんど子どもを診たことがないのに突然、児童の専門病院に赴任させられたり。大変な反面、このように医局支配の強い大学に対して、医師を派遣してもらわなくてはならない立場の病院は、弱腰だ。だから、そこから来ている先生たちは医局支配が強くて大変な反面、自分の言うことは何でも通ったりする。勤務先への帰属意識より、大学への帰属意識のほうが強い先生も、しばしば。医局の人事権が強い、ということは、誰も行きたがらないような病院にも期間限定で医者に我慢をさせて派遣したりできるわけで、それなりに意味がある。だが、多くの場合、医局人事の中に患者さんは不在なのだな、と思ってしまう。精神科の患者さんの多くは長い経過を辿る。院長やクリニック受診でなければ、同じ病院に続けてかかっていても、現主治医は歴代何人め、ということがある。数年ごとに医者が医局人事で異動するために起きることだ。数年ごとでもこうなるのに、平気で1年で大学に戻ったり。年明けに精神科へ転科してきた先生が、4月に赴任するまでの繋ぎとしてだけ週に数日患者さんを診てたり(勉強としての意味合いより、収入としての意味合いが強い)。3月の初めに辞めた先生の患者さんが4月に引き継がれるまでの数週間だけ、私が診なければならなかったり(いっそ、そのまま自分で引き受けようとしたのだが、「上」の意向で不許可だった)。ブランク明けの医者がよそへ赴任する前の数週間だけリハビリ代わりに診察していたり。ごく短期だけこの医者を預かって食わせろ、と大学に言われたら、弱小民間病院は従うしかない。そういう先生たちは、次の医者に渡すまでに責任もって患者さんをよくしようという気持ちに欠けていると言っては言いすぎかもしれないが、毎週処方をdo(前処方を継続すること)で出すだけで終わっていることが多くて。そこに、患者さんは不在だ。私が4月に一部引き継いだ患者さんも、そういう患者さんたちで、主治医交代には慣れている。その、主治医交代に慣れている、っていうところが悲しい。
2008年04月03日
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