森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2017.05.03
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カテゴリ: 認識の誤り
神経症で苦しんでいる人は完全主義という「かくあるべし」を持っている人が多い。
完全主義が強いと「全か無かの二分法的思考」に陥りやすい。
物事を見る場合、良いか悪いか、白か黒か、正しいか間違いか、プラスかマイナスか、といった両極端なものの見方をすることになる。
やることなすことが100点満点であれば問題はないが、現実問題としてそういうケースはほとんどない。
二分法的思考の特徴は、 99点から1点までの間はすべて0点と判定するのである。
つまり中間的、灰色、ファジィを許容するゆとりは持ち合わせていないのである。
ものの見方が100点か 0点の2つしかしかないのである。これはデジタル思考の考え方である。
こういうものの見方や生活の仕方は精神面にとても深刻な問題を引き起こします。

このような思考方法をとると、自分が弱点や欠点と思うことは決して見逃すことができなくなる。
また、楽器の演奏やスポーツ、自分に与えられた役割や仕事などでミスをしたり、失敗をしでかすことも寛容な態度で許す事は出来なくなる。
弱点や欠点があったり、ミスや失敗が発生すると、自分自身をダメ人間と判定して、 0点に評価してしまうのである。
そうなると普段の注意や意識はミスや失敗にばかりに振り向けられるようになる。
ちょっとしたミスや失敗に神経が過敏に反応するため、生きていくことが苦しくてならなくなる。
仮にミスや失敗をすると、自分で自分を責めるようになる。
自己を肯定することができなくなり、自己嫌悪の固まりとなる。
さらにまずいいことに、自分のみならず、自分の周囲にいる人に対しても執拗に完璧を求める。
自分の理想から外れていると嫌悪感をもたらし、相手を攻撃するようになる。
その結果、相手との人間関係はどんどん悪化してくる。

「全か無かの二分法的思考」に陥りやすい人は大きな特徴がある。
例えば、インテリアの卸会社でお客様から注文を受けて、メーカーに発注する仕事をしていたとしよう。
オーダーカーテンの注文を受けて、パソコンで加工して工場に発注する。
数日が経って出来上がった商品がお客様のところへ届く。
ところが届いたその商品が寸足らずで、柄も色も違っていた。
当然、お客様は腹が立ち不平不満を発注担当者にぶつける。
発注担当者はとても動揺する。
このような場合、普通の発注担当者はお客様に対し、丁寧にお詫びをすると同時に、できるだけ早く再発注をかけて被害を最小限に留めようと最大限の努力する。

ところが「全か無の二分法的思考」をとる人は、そのような対応ができなくなることがある。
例えば、お客様からの注文書のファックスの数字が曖昧であったなどの言い訳をする。
自分の責任をなんとかして逃れようとしたりするのである。
その時点でお客様の立場に立った対応ができないので、ますますお客様の怒りに油を注ぐことになる。
それと、もっと大きな問題が発生する。
カーテンの誤発注というミスをしたという事実に対して、意識や注意が自分を責めて自己否定の方向に向かうのである。そのことばかり考えるので、どんどん加速して増悪していく。

この仕事は自分に向いていないとか、自分は何をしても大きな失敗をしてみんなに責められる。
自分にはいいところは何もない。もう会社での自分の居場所はなくなった。
上司や同僚たちは、きっと自分のこと軽蔑しているだろう。解雇されるかもしれない。
これをきっかけにしてきっと人間関係も悪化するだろう。
こんな居心地の悪い会社は辞めるしかない。会社を辞めて楽になりたい。
これでも自分の会社人生は終わったも同然だ。こんな自分が生きていてはいけないのだ。
生きていくことが、こんなに苦しいのなら死んだ方がマシだ。・・・等々。

商品の発注の仕事をしている人で、誤発注をして落ち込んだ経験はほとんどの人が持っている。
その時、普通の人はすぐに先方に謝り、始末書を上司に提出して、早急に事後処理を行っている。
ところが「全か無の二分法的思考」をとる人は、だれでも避けて通れないミスを、自分の将来の人生を左右するような大問題にまで膨らませてしまうのである。
自分で自分の首を絞めているようなものである。
これでは仕事をすること自体、予期不安でいっぱいになり、いつもビクビクして苦しいばかりである。
自分は苦しむために生きているのだろうかと疑心暗鬼になる。
生きていくことは苦しいことばかりである。

完全主義や「全か無の二分法的思考」は何としても解消していかなくてはならない。
そのためには、自分の欠点や弱み、実際にしでかしてしまったミスや失敗を自分の能力のなさや人格の未熟さ等にまで拡大しないことである。
私たちはたった1つの不完全な自分自身を見つけると、それをすぐに敷衍して、自分の性格や人格、能力や意欲にまで拡大して、自分のすべてを否定してしまう。あまりにも拡大解釈している。
不完全な点が1つでもあると、他の面では多くの長所や今までの実績があっても、それらを含めてすべてを0点判定してしまうという特徴がある。これでは自分がかわいそうではないか。
このことをしっかりと自覚する必要があると思う。





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Last updated  2024.06.02 07:51:59
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