これに対して、子供はたいして「すごいこと」だと思っていないそうです。
それではどう思っているのか。
今までできなかったことが、何回も挑戦して、「やっとできた」「これだけ練習したのだからできてあたりまえ」「そんなすごくはない」と思っているそうです。
ほっとしているというところでしょうか。
子供の気持ちとしては、親に褒められることよりも、その事実を、認めてもらいたいという気持ちが強いのだそうです。
子供が「お母さん、見て、できた」といったとき、その気持ちに応えるとすれば、「できでよかったね」「そうだね。できたね」と共感してあげるだけでよいのです。
逆にいつもほめまくることを習慣にしていると、ほめられることを目的として行動するような子供になってしまいます。ほめられないことには取り組まないという気持ちが強く働いてくるのです。
必要に応じて、必要なだけ行動するという目的からそれてしまうのです。
私たちも集談会などで森田理論を生活に活かしている人などの話を聞いて、「すごいね」「えらいね」と反射的に反応してしまうことがあります。私も以前はこの言葉を使っていました。
相手に怪訝な顔をされたことも何度かありました。
ある人から厳しく注意されました。
その言葉は、先生が生徒に向かって使う言葉ですよ。
あなたは集談会では先生なのですか。集談会には先生はいないはずですよ。
あるいは、相手のことをほめてあげなければということにとらわれすぎているのではないですか。
生活の発見会の活動指針の中に、「会員は相互に平等である」と唱っているではありませんか。
私たちの自助組織は、たとえ大臣をされている人がきても、ここではみんな平等なはずですよ。
先生が入りこんでいると、森田の相互学習は成り立ちませんよ。形骸化してしまいます。
できれば、上から下目線的な発言は控えたほうがよいと思いますよ。
私はそんな気持ちはなかったのに、第三者からそのように見られていたということにショックでした。
言葉の端々に上から下目線の態度が露骨に出ていたのでしょう。
ではどうすればいいのですかと聞いてみました。
共感の気持ちをもって接するようにすればよいと思います。
そして事実をそのまま口にすればどうでしょうと言われました。
例えば「森田を生活の中で活用できるようになってよかったですね」
「森田的な生活になっていますね。私も見習いたいです」
「森田理論学習がすごく深まっていますね」
などなど相手の状態を認めて、そのままの事実を言葉にすればよいのです。
その際価値評価は必要ありません。
相手の考え方や行動を価値判断してオーバーに褒めるということは、「かくあるべし」を相手に押し付けることにつながるのかもしれません。
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