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紅白ミニパックの中の応援メッセージがすてきだった。『成功は重要ではない。重要なことは努力である。』BY テオドール・ジュロファ再来年も売ってますように。
2006年01月20日
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桜のキットカットの味はなんか桜餅食べてるみたいだよー。『希望は強い勇気であり新たな意志である。』 BY ルター
2006年01月20日
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さくらさくキットカットかってきた。『君の心の庭に忍耐を植えよ、その草は苦くともその実は甘い。』BY オースティン
2006年01月20日
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キットカットうまいよ。『苦悩を突き抜けて歓喜にいたれ。』by ベートーベン
2006年01月20日
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一昨日コタツが壊れて新しいコタツを買いに行った。最近はヒーターの部分だけで売っているので5千円くらいの出費で助かった。コタツはふつうに買うと一万から二万はかるーくかかるのである。高い。家計に痛い。でも、必需品。本体はまだまだ使えるんだからヒーターだけ付け替えればすむのは助かる。だから今は暖かい生活に戻っています。最近こういうの増えましたね。でも、家に帰って壊れたヒーターをはずしてたっぷりついていたほこりを掃除したらまた動きだした。ヒーターのほこりはネジをはずしてヒーターを本体からはずさないと掃除できない。つらいところです。もう少し掃除しやすくつくってほしい。メーカーさんおねがいします。あのたまったほこりのせいで動かなくなっていたみたい。たまったほこりに火がついて火事になりそうで、私はちょっと怖いのですがメーカーさんどうなのでしょうか。でも、うちのコタツは前にも一度止まって掃除してまた動くようになったという経緯があるし、新しいのかってキちゃったからまだ動くけど捨てることにした。基本的に日本の家電は安いし性能いいし、壊れにくい。それでも、壊れたら直すより新しいものを買ったほうがいいようなシステムになっているので、ゴミが増えやすい。外国製のすごくいい家電は直し直し、何十年も使う。同じものを何十年も作っているから何十年たっても部品のスペアがあって修理ができる。そのかわりすごくほんとにすごく高い。どっちがいいのかは微妙。こないだテレビが壊れてさすがに買い換えた。古いテレビを捨てようと思ったら、回収の会社に出すために運送屋さんに頼まなければならなかった。その費用が五千円かかった。高いよー。我が家の場合は時々家電の回収業者がやってくる。前前回はその業者さんに持っていってもらった。ただ、だったからよかったけれど、先日新聞を読んでいたら、回収の手間代をふっかけてくる業者もいるのだそうだ。その一方でテレビで見たんだけど、回収して修理して東南アジアとか中近東とか海外に売るのだそうだ。日本の家電は性能がいいから人気なんだそうだ。ちなみに回収業者は回収したあとどうするんだろう。どこかの山奥に捨てるかもしれない。ほかには完全に解体して部品の一つ一つをリサイクルして使ったり、部品によってはかなり価値のあるものもあるらしい。このあたりどうなんだろう。家電の老後はいろいろなパターンがあるらしい。どうしてますか。みなさん。そういえばテレビが地上波になるって騒いでいるけど、電気屋さんに行くとまだまだ地上波のテレビはそれほど売ってないし、地上波で見られないテレビも結構売っている。よっぽど気をつけないと地上波の見られないテレビを買ってしまいそうなのだ。店員さんもそれほど親切に説明してくれそうな気配もない。商品の説明も地上波がみられるのかどうかわかりにくい。消費者の立場はどうなるのか。メーカーさんどうなのですか。今日はろくでもないことしかかいてないです。ごめん。ところでおとといのことなのですが祝10000ヒッツ!!なのです。今ささらこんなところでこんなことかいているずれた私。ははは。↑吉田秋生さんて女とは思えないんだよね。 すごく男っぽい話かけるんだよね。 全19巻完結です。
2006年01月20日
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ブログでホリエモンは面白いっていろいろ書いていたら話題のネタのホリエモンのところに地検が入っちゃって事件、事件の大ニュース。ライブドアの株価は落ちるし株価全体が落ちてくし、ほらね、ホリエモンいなくなると、ライブドアの株なんて価値なくなるじゃん。 六本木ヒルズに住んでるヒルズ族はみんな三十代らしくて、まさに、明治維新の志士たちと同じくらい。時代を変える現代の志士となるのかそれとも時代のあだ花で終るのか。この事態をホリエモンがのりきれるかどうかにかかっている。 学歴なんていらないさっと東大をちゃらっとやめたはいいけど、やっぱり受験のための勉強と大学での勉強ってのは違うわけで、ビジネス界で生き抜こうというのならやっぱりいろいろな知識がないと困るわけなんだ。第一ホリエモンは、文三だもんね。たしか文三は文学部なはず。ちがうかなー。経済とか、商科とか、経営とか、法律とかやっぱり専門知識がないとこういう時つらいですね。新しい企業を起こすときは確かにアイデア勝負だからいかに斬新なアイデアが出せたかが分かれ目なわけだけど、その後の企業を維持していくにはやはり専門的に経営を勉強していないと無理なんだろうな。だからアイデアで儲けてもそのアイデアをまねた同業他社がかならず出てくるわけでそうなるとあとはアイデアで儲けるというところから、経営技術で維持していくというように企業としての方向性が変わってくるわけで、ここまでくるとやっぱり創業者から、専門的に勉強した人に世代交代していかざるをえなくなるんだそうだ。ライブドアはものすごいスピードで成長してきたからそろそろ経営のプロも必要なんだろうな。でも、ホリエモンのアイデアはまだまだ枯渇しそうにない。 風説の流布が地検の入った理由らしいけど、こういう法規制にちょっと引っかかることなんてのはふつうみんなちょっとはやってるわけで、大概はまあ、みのがされているんだろうけど、今回見たいなのはようするにこじつけでなんでもいいから捜査したかったわけです。ホリエモンは頭よすぎて人の恨みを買うのがうまい。こないだ数ちゃんに言われてたのに、今ひとつわかってないというか、実際にうまくいかせてないというか。自分ほど頭のよくない人間の方が世の中には多いわけで、そういう普通の人たちの思考回路を察することができるようになると一段上に上れるんじゃないのかと思う。 ホリエモンはどうなるんだろー。ホリエモン危うし。 というわけであいかわらずよくわかってないシロート主婦がいい加減なことを書いているわけだ。 今日もホリエモンはテレビのワイドショーのネタうめに貢献しているようなのだった。↑昔ドラマになった話の原作でもありますね。 ホリエモンもイグアナ?なんちゃって。
2006年01月19日
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やっとサイトデザインを変えることができた。やったぜ。パラダイスってことで南国の花だらけっていうデザインにしたかった。でもどーも素材をうまくみつけられない。それでずーっとお花を探していったらこれがあった。この花なんだと思います?桃の花です。桜はちょっと早いしなーっと思って。でも。桃が咲くのは実は桜の後なのですよね。四月の初旬甲府盆地は一面の桃の花で、まっピンクになります。それはそれは美しいのです。 で、桃の花っていえば、桃源郷。学校で勉強するとでてくるでしょ。漢文で。「桃花源記」。ようするにアジア版パラダイスだ。ってことでこれもパラダイスといえばパラダイスなのさ。と、むりやりこじつけてサイトデザインを桃の花だらけにしてみた。まさにどっピンクのせかいだよーん。うーむ。私はピンク好きだけど、人によってはもしかしてものすごく不気味?かも。 さて、ブログの記事をかくのも大変だ。かなり書きたいことを書きまくってきたのでさすがに最近ネタぎれに近い。いやまだ書きたいことはあるんですけどね、ただ私の頭の中で熟成されきってない。完熟しないうちにみきり発車で文章を書き始めると結論が出てない分いまいちいい結末に展開していかない。書こう書こうと思いながら頭の中でごちゃごちゃにして保存しておくとある日ふっと思い立って書き始めたときはっとするほどいい展開をみせてくれる時がある。おおっ!!って感じでいいのがかけたりするわけだけど、まっそんなのはホントにごくたまーになわけで、あとはまあ適当に書き上げて、ちょっとした言いたいことなんかもあるわけで。 それで今つぎのネタを熟成中なんだけど、今日はうちのだんな様がお休みなので、映画を見に行って、それからコタツを買いにいかないとなりません。コタツがこわれたよー。この寒空にコタツがないのはすごくつらい。おかげで今日の我が家はパラダイスじゃないのです。いいコタツありませんかね。 ↑やっぱり少女漫画界の王者といえば萩尾望都さんだよね。先の読めないストーリー展開にわくわくしながら読んでたらあえなく四巻で完結してしまった。うーん。ほんとはもっと続くはずだったのではと想像しつつ。
2006年01月18日
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子供たちが中学校に入ってみたら、美術の時間が少ない。一時間しかない。お兄ちゃんは私立の進学校だから仕方ないのかと思っていた。ところが下の子が入った公立もやっぱり少ない。すごいショックだ。なにしろ昔、学校で一番好きだったのは美術の時間だった。美術みたいな科目は二時間なければできない科目だ。それにもかかわらず一時間しかない。なぜ?ゆとり教育は数学や英語や国語だけでなく美術にまで影響しているのだ。ものすごいショックだ。文部省に言わせると、そういう特別な分野は各家庭で自腹をきってください。ということらしい。今はどこにでも、いろんな習い事の教室があるのだから、美術をやらせたいなら自費で絵画教室に通わせれば良いだろうと言うことらしい。音楽ならピアノやそのほかの教室。体育も体操教室とか、サッカーチームとか、野球チームとかあるわけで。それは確かにそうかもしれない。でもね。美術に話を戻すけど、美術を通して身に着ける芸術的センスはなにも将来画家になろうとかデザイナーになろうとかそういう人にだけ必要なものじゃないよ。美的センスっていうのはもちろん個人的に差はあるかもしれないけど、教養を身につけようというのならある程度必要なものだと思う。 日産がつぶれたのは美的センスがゼロだったから。経営が下手だったわけじゃない。結局は経営が下手だったということになるけれど。日産には優秀な社員がいっぱいいた。優秀な技術者やデザイナーがいっぱいいた。にもかかわらずつぶれる前の日産の車はひどかった。とにかく泥臭かった。そして「熱血」といつもコマーシャルでぎばちゃんが叫んでいたけど、気合だけでものを売ろうなんてまちがってるよ。自分たちが儲けようっていう発想だけでお客に無理やり売りつけようなんて「なに考えてるんだよっ」といつもコマーシャルを見ながら、思っていた。それで。つぶれて、ゴーンさんがやってきた。今の日産の車は驚くほどかっこいい。ほんとにこれが日産の車?って思うほどかっこいい。私はあんまり車には詳しくないけれど、その私がみてもその違いははっきりとわかる。かつての日産の中ではいくら内部の社員がかっこいい車を作ろうとしてもセンスのない上司が「こんなもの売れない」といって片っ端から却下していたのに違いない。車を作る技術や経営だけを勉強してもいい車はつくれない。デザインを勉強していいクルマをデザインしたデザイナーの作品を、生産ラインにのせるかどうか決めるのは会社の上層部なわけだけど、その最終決定権を持つ人たちに芸術的センスがなければ、いくらいいデザイナーを採用しても意味がない。デザイナーだけではなく会社に責任をもつ人たちにもまた、芸術的センスは要求される。そうでなければ部下の作ったものがいいものかどうか見極めることができないのだ。いくらデザインしても採用されずにださいデザインのクルマが生産されていくのをみて、かつての日産の中でデザイナーたちは相当歯がゆかったのではないかと思う。 こういうことは日産だけに留まらないだろうと思う。日本の多くの会社の中でセンスのない上層部によって、いいセンスのものがつぶされてきているに違いない。そういうセンスのなさが会社の売り上げや、経営に影響しているものだろうと思う。技術や経営、経済、英語、数学を学ぶとともに芸術もまた重要な科目なんだけれど、今までの日本にそれは理解されていない。 あのルネッサンス文化を生んだイタリアのつくるクルマはかっこいい。国全体が芸術でできているような国だから、あんなクルマができるんだろう。クルマといえども性能がすべてじゃないのはクルマずきにとってももちろんな話なわけで。 フランスがいまだに世界のファッションのトップをきっているのも、デザイナーだけを育てているのではなくて、国民全体が、高い美術的センスをもってファッション業界を評価し、子供のころから芸術的センスの高い人たちにかこまれて、知らないうちにみにつけていくものがあるからなんだろうと思う。外国の大人は仕事の後にコンサートにいったり、お芝居を見たりして、アフターファイブを過ごす。しかるに日本のビジネスマンは残業するか、居酒屋か赤提灯で一杯飲んで帰る。休日はゴルフかごろ寝でつぶれる。美的センスの育つ暇なんかぜんぜんない。あんなものは女子供か軟弱なやつのためのものだと思っている。芸術に理解なんて期待できそうにない。だから美術の時間も平気で削る。ゆえにねずみのようなサラリーマンが日本の経済の泥臭いダサさをどんどん増強していく。美的センスは商品パッケージのデザインやテナント作りそのほかもろもろもいろいろすべてのビジネスシーンに影響しているってこと気づきませんか。だから会社によっては社員用のイベントとしてコンサートなんかを企画しているところもあるようだ。これは単なるレクリエーションではなく、社員の芸術性、美的センスを育てて、時代を読める感性を育てる上でもとても大切なイベントなのだ。 だから、美術は大事。この記事を評価する ↑音楽も大事。『のだめカンタービレ』のヒットのおかげでクラッシックの売り上げもふえているらしいです。マンガの影響力ってホントすごい。ブラームスのCDのジャケットイラストがなんと千秋様。うーん。 ブログルポ投稿中の記事★ 『地球幼年期の終わり』★ 映画原作の小説『博士の愛した数式』★ 『博士の愛した数式』★ 美術は大事★ 言葉はナマモノ★ 『男たちの大和』その2★ 女の子の世界はむずかしい★ 『東大法学部』★ 教えられたようにヒトは行動する★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2006年01月17日
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なぜに今頃『里美八犬伝』と言われそうだけど、よそのブログを読んでいたら私も書きたくなってきた。なにしろ昔NHKの人形劇『新南総里美八犬伝』をせっせと見ていたので『八犬伝』は親近感バリバリなのです。タッキーもでてた。人情劇の犬塚信乃は女装させられてたり、ちょっとなよなよしてたイメージだけど、タッキーの信乃役は男らしかったですね。 昔の人形劇みたいにたらたら長い話をえんえんやってるのとちがって四時間程度に絞られてる分見やすいっちゃー見やすい。もう最近長い話に付き合うのもめんどくさい。 いやね。今回の八犬伝は八犬士が魔法使うんだもん。ファイガ(炎の魔法)とかエアロ(風の魔法)とか出てくるし。ラストなんか伏姫が「ホーリー(聖なる魔法)」使うし。いやーなんかファイナルファンタジーかいっと思わないでもないですね。伏せ姫はエアリスかなー。どうせだからブリザド(氷の魔法)とかサンダガ(雷の魔法)とかグラビデ(大地の魔法)っと全員魔法使えると面白かったのに。だから当然玉梓は黒魔法なわけで。ラストボスだな。船虫が今回かわいすぎ。たしか角川映画の「里美八犬伝」の時は船虫はもっとグロイ感じだったんだけど。船虫はウォタガ(水魔法)がいいかな。 それにしても犬江親兵衛が「しんべえ」、とよばれる度に『忍たま』思い出しちゃって、八犬士のイメージから遠のいちゃって。 「ファイナルファンタジー里美八犬伝版」とかゲームで、でないかなーっと。思っちゃいました。和風のFFなんて面白そうじゃん。↑やっと新刊がでた。クラッシックがすきになれる本。 これを読まないとイマドキの少女漫画は語れませんね。
2006年01月16日
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さむい。今年の冬は寒すぎる。こんなに寒いのに今年はどうしてショトコートしか売ってないんだよ。ウォームビズがファッション業界にとどいてないぞー。気象庁さん暖冬予報なんかだすなよーお。だいたいセーターとかベストとか着なさいよ。日本にいるのになぜイギリスの服に異様にこだわるのか…わからない。おじさんたちなに考えているんですか。 『冬間』って知ってますか。冬は寒いから家の中で一部屋にだけ暖房を入れて冬の間は家族全員その部屋で暮らす。一部屋だけの暖房なら暖房費も少なくてすみます。リビング、ダイニング、各子供部屋それぞれに暖房入れたら暖房費ばかになりません。それだけじゃなくてやっぱり地球環境にとってもよくないと思うのです。これは昔から日本にある言葉。昔はみんなこんな風に暮らしてたはずなんですが。 というわけで、我が家はずーっと冬は和室だけに暖房を入れてそこだけでみんなで暮らす。みんなで同じテレビを見る。同じコタツでご飯も食べる。同じ部屋で、パソコンをやり、ゲームをやり、テレビを見て、本を読んで、お菓子を食べて、みかんを食べて冬ごもりのように暮らします。そういえば、掘りごたつやめて、普通のコタツにしたら、月の電気代が一万円減ったわ。それにエアコンてなかなか部屋が暖かくならない。ファンヒーターはすぐなんですけどね。しかし、ストーブかっといた方がいいんだろうな。 ちなみに『クールビズ』。ネクタイはずす前に、上着脱げばいいのに。ネクタイ、ネクタイって騒ぐ前に上着ぬぎなさいよ。クールビズって騒いでる割にぜんぜんわかってないじゃん。どうもおじさんたちにとっては鎧兜を取られる雰囲気。上着ぬいで、半そでの開襟シャツにでもしなさいよ。↑ひかわきょうこ初のファンタジー。 完結してますから安心して読んでください。ブログルポ投稿中の記事★ 言葉はナマモノ★ 『男たちの大和』その2★ 女の子の世界はむずかしい★ 『東大法学部』★ 教えられたようにヒトは行動する★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2006年01月15日
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うまい。うますぎるよ。あの三九朗。すごいプレイボーイっていうか。女ったらしって言うか。顔はまあまあ男前だからあたりまえだとして。まず最初のセリフが「この出会いはさだめだったのか。」って来て、その後、御国が三九朗の部屋に夜そっとしのんで行った時に「お前が来ると思っていたぞ。まっていたぞ。」とか言って、そのあと御国が「踊りなんかどうでもいいからあなたと一緒にいたい。」とか言ったら「踊っているお前が好きなんだ。」とくるでしょ。どうしてこう次から次へと女がころっとくるセリフをタイミングよく言うかなあ。ホントに阿国に惚れてるのかなぁ。どうみてもアイドルタレントとマネージャーの関係でしょ。阿国が踊るように踊るように仕組んだセリフを次から次へと言っていくでしょ。一見阿国に惚れてるように聞こえるのに阿国が踊らなきゃならないようにすごくうまーくもっていく。原作有吉佐和子さんだものねえ。女心よくわかってるよねえ。こーんなうまいセリフ言えれば女を落とすの簡単なんだけど、普通の男ってなかなかこういうセリフ言えないんだよねー。ドラマっていうよりプイボーイ入門講座って感じでしたね。 それにしても踊りのシーンになると菊川玲の顔のアップばっかり。踊りの名手の話なのにそのあたりごまかすのが苦しそうです。出雲の阿国は歌舞伎の創始者なんだけど、昔歴史の教科書に出てきたときはとにかくテストのための暗記の単語でしかなくって、教科書に出てくるくらいだから歴史上重要人物なわけだけど、教科書の中だけではピンと来ないんだよね。こんな風に恋に悩み、芸に悩む一人の女性としてみせてくれる本やドラマはありがたいのです。 でも、出雲の阿国が主人公の話なんてはじめてだし、菊川玲はきれいだし、次回が楽しみです。↑原作ですね。
2006年01月14日
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えっとー今日はかなり長いです。硬いです。かんべんしてね。 太平洋戦争が泥沼になっていったのが、軍士官学校卒のエリート将校たちのせいだったとしたら、それは無理の無い話しかもしれない。いかに戦争をするかだけの勉強をえんえんと仕込まれて社会にだされたら、戦争をすること以外考えない人間が出来上がるのは無理の無い話だ。現実に戦争が無かったら無理やり作り出してでも戦争をすることを彼らが考えたとしても不思議ではない。それが必要か不必要かとか、そのために人が死ぬとか生きるとか、誰かが損するか得するか、そんなことは関係なく戦争をすること自体が彼らにとっての至上命題になってしまったのかもしれない。 映画『シルミド』の中でも、トップ暗殺の教育を徹底的に受けた隊員たちは、いきなり計画がなくなったにも関わらず、やはり別のトップ暗殺に向かってしまった。今度は自国の大統領を殺すという方向に変わってしまっただけのことである。。でも、一国のトップを殺すことを教育され続けた彼らにとって、自分自身の身の安全よりも与えられた教育どうりの行動をとることこそが優先された。彼ら自身が意識するかしないかは別だ。彼らはほとんど無意識のうちに自分たちが教育された通りに行動しただけなのかもしれない。 今の日本もまた、勉強をし続けること、いい点をとること、いい順位をとることを第一としてずーっと教育されつづけている。これは公立の中学校や高校ですらそうなのだ。自分たちの勉強が実生活でどう役に立つのか、どういかされるのかは意外と教育内容の中には入っていない。その結果二浪、三浪をしてでも東大理三を目指し続けることに異様にこだわる学生や、将来何になるかも考えずにとにかく偏差値の高い学校を目指す学生が増える。本当に医者になって患者のためにと思うのならどこの医学部でも、医学の勉強はできる。最高レベルの環境に必要以上にこだわることになんの意味があるのか。本当に医者になることのみをめざすのなら、浪人をしている何年もの歳月は惜しくないのだろうか。そうやって浪人を重ねている分救える患者も減るだろうに。その年月分より早く現場に出て行こうとは考えないのだろうか。私が学生だった頃と今の教育界は結局ちっとも変わっていない。いい点を取ることにこだわり続けた結果、勉強をすることだけが好きで、いい点を取ることだけを強要され続けた結果、今度は次の世代に、同じようにいい点をとるためのテクニックだけを伝授するための仕事に関わるようになっていく。 勉強は実生活に必要だからこそするためのものなのに、いつの間にか学歴をとるための道具に成り果ててしまったのだろうか。 学生時代勉強することばかりを要求されて長い年月をすごした挙句、今度は社会に出て、「学校の勉強なんか実社会では役にたたないんだぞ」と言われ、人間関系やコネが仕事の重要なポイントをしめるようになる。そんなら最初からそういうことを教えてくれりゃーいいじゃんと思わないでもない。さんざん頭を下げ、ゴルフ接待や取引先へのご機嫌取りやら、じゃあ一体今までの勉強はなんだったのだろう。あの膨大な量の暗記になんの意味があったのだろう。なぜ、仕事をとるために相手の機嫌をとる必要があるのか、なぜゴルフをさせてくれたから、金をくれたから、うまいものを食わせて気持良くしてくれたから、そんな理由で仕事をまかせる相手をきめるのだろう。おかしいでしょ。どう考えたって。でも、今の日本の社会は、そういうことが常識になっていて、ものすごく当たり前になっていて誰も疑問をなげかけない。こんなことを言おうものなら、「お前はまだ若い。世の中のことをなんにもわかっちゃいない。」なんていわれるのが関の山。でも、私若くないですよ。あれ、いつのまにか話がずれているー。 頭のいい人間は自分の頭脳を使うのが好きなものだ。しかし、実際には頭脳を使う仕事なんていうものはそれほど多くないし、あったとしても、なかなかそこまでたどりつけない。学生時代必死に勉強した挙句、実社会では、その勉強が生かされる場は少ない。(もちろんそうじゃない実学の学部もありますが。) 映画『ビューティフルマインド』で、主人公の数学者は自分の優秀な頭脳を使って社会で評価されることを望んでいた。その当時数学者にとって、戦争のための暗号を解読することが最大の花道だった。しかし、主人公が数学者となった時にはすでに戦争は終わっていた。自分の頭脳を使って暗号を解き、社会的評価を受けることを夢に見た主人公はだんだん精神的においこまれ、病んでいく。 「頭がいいのはいいことだよ」と言われ続けて必死に勉強しつづけた挙句、実社会ではそんなものは役に立たないといわれる。 いい点数を取ることばかりを強制しつづける今の学校のあり方は、戦争する方法を教育し続けた戦前の士官学校と変わらないのではないだろうか。今の学校や塾で教えているのは実学ではもちろん無くて、でも勉強ですらなくて、点数の取り方なのではないのだろうか。センスといわれる国語ですらテストでの点数の取り方がもはや解明されている始末。数学はパターン暗記と化し、他の科目はひたすら暗記、物量作戦での攻略法が定着しつつある。そんなことを何十年も続けていたら。彼らの中で何かが確実に無意識の底にたまっていく。 京進事件やニートやフリーターや今の社会のたくさんの問題を考えていく時に、何かがどこかでつながっているような、そんな気がしてこないだろうか。(ただ、殺人をおそわったわけじゃないし、あの事件はある意味先天的な部分もありそうで、むずかしいところですが) 塾や学校や受験を非難しているわけではない。私たちはいつの間にか自分たちの意識していないところで、本来の目的とは違った方向に進んでいってしまう可能性があることに気づいてもいいのではないかということだ。正しいと思ってやっていることが、長い間にいつの間にか本来の目的とは違う方向に進んでしまっていることに気づかないままでいるのかもしれない。そしてそれはとてもこわいことだ。時折、立ち止まって、振り返って、見つめなおし、考え直し、方向修正をするための働きかけや努力を、すべきではないのかと思うのだ。 こんなことを書くと、そんなことはないですよとか、ほかにもいろいろクレームがつきそうで、申し訳ないのですが、もちろんわかっております。はい。かなり限定された部分で書いてますし、また、視点を変えて書いていきたい部分もありますので、ご容赦ください。この記事を評価する↑ジョン・ナッシュの人生も読みたい。↑読みたい。でも、難しくてわかんないだろうな。 ブログルポ投稿中の記事★ 『地球幼年期の終わり』★ 映画原作の小説『博士の愛した数式』★ 『博士の愛した数式』★ 美術は大事★ 言葉はナマモノ★ 『男たちの大和』その2★ 女の子の世界はむずかしい★ 『東大法学部』★ 教えられたようにヒトは行動する★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2006年01月13日
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昨日NHKの『クローズアップ現代』を見ていた。フランスの暴動事件はまだ続いているんだ。そんな簡単には終わりそうにない。フランスにとっては国を挙げての大事件のようだ。 番組を見ながら自分が書いたブログの記事を思い出していた。本当に本当に自分の国がいくら居心地が悪いからってよその国に言ってもだめだなって。この人たちは差別を怒るより自分たちの国をなんとかしなさいよ。フランスはフランスの人たちが必死の努力で作り上げてきた国なんだ。フランスの人たちが革命や戦争をくぐり抜けて長い年月をかけて作り上げてきた国なんだ。そうやって他人が苦労して作り上げたところに途中からぱっといったってだめだよ。仲間に入れてくれないと言って怒って見ても始まらない。移民の人たちで団結してフランス政府と戦うだけの気概があるのならどうして自分たちの国を良くするための戦いをしないのだろう。あの人たちはフランスのために何かをしようとかは、考えているのだろうか。 フランスは大人になるまでの二十年くらいの年月をかけて自国の国民を育てている。それは例えば、勉強だけじゃなくて社会性や国に対しての愛や奉仕。フランス人としての誇りや道徳観や価値観。自分たちの国のために国を守り、国のために働こうとする意識。こんなことは一朝一夕ではできない。それなのに大人になってからぽっとやってきて、フランスのために何かをしようとせずに、権利だけを要求してもダメだと思う。そいういう移民の人たちを育てることはたかがフランス一国ではできないだろう。 ソルボンヌ大学で差別されたといってた移民の人がいた。タダ勉強だけしてきても、それだけではやはり評価されない。働こうとしても就職できないという。それは移民の人たちが今まで、フランスの中で暮らして、いい評価をきづき上げる努力をしてこなかった結果なんだろうと思う。この人たちを雇っても、使えない、役に立たない、信用できないという評価を作り上げてきた結果なんだろうと思う。自分たちが住む国のことを考えないで、暴動ばかり起こしてこまらせる人たちをフランスの人たちが信用するだろうか。ますます悪意を増やすだけだろうに。フランスという国に住むのなら、自分たちの住むところであるフランスを愛して大切にしてフランスの役に立つ努力を示さなければ、暮らす権利を勝ち取ることはできない。自分たちの社会的評価をあげる努力をすること。あるいは自国に帰って自分たちの国をよくすること。自分たちの国を良くして世界的に認められる国になること。自分と同じ国の人たちが世界中のどこに行っても大切にしてもらえるような努力をすること。それはとても手間と時間と努力のいることだけれど。だから、どこに住んだって同じことなんだよ。 その一方でフランスは植民地時代のつけを払っているのだろう。植民地から搾取したおいしい蜜のつけを、今、払わされている。他国の人たちを安く使って自分たちがいい思いをしたそのあとの結果なのだ。植民地に対してどんな態度でフランスはいたのか。かつての植民地が国として成長する手助けをしていかない限り、移民はどんどんやってきて、どんなにいろんな対策をとってみても、移民を受け入れる努力や政策や手立てをとってみても、移民は増えるばかりで追いつかないはず。そうして国は荒れ、フランスがフランスではなくなっていく。あるいはフランス人たちもまたは自国を捨ててどこかへ逃げていくのだろうか。ところで、これはフランスの話だけれど、アメリカにはメキシコからの移民が、日本には東南アジアからの移住者が来ていて、同じような状況があるように思う。日本は今いろいろとアジアの国々を支援してはいるけれどそれでも、まだまだ道のりは遠い。これから、アメリカや日本はどんな対応をするのだろうか。 いっそ全ての国の人たちが移民しまくれば、世界中の人が混ざって国境もなくなるかもね。↑外国人と結婚した漫画家さんの暮らしぶり。
2006年01月12日
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年末年始は細木センセーの番組が多かった。うっかりしてたので全部を見ることはできなかった。それでもある程度は見られた。 細木センセーが嫌いという人は多い。ま、あれだけズバズバきついことを言うんだから無理ないですけどね。でも、私なんか見てて気持いいよ。だって普段は人間関係を考えて言わずに我慢してるようなことをかわりにズばずバ言ってくれるんだもん。そうそうそうそうだよー。と思ってすっきり。それとやっぱり自戒にもなるし。 でも、こないだのホリエモンの出てきた番組はちょっとなー。せっかくホリエモンがおもしろい話をし始めて何を言うんだろうと期待していたらホリエモンが三言くらい言ったところで細木センセーがさえぎって怒鳴り散らすんだモンナー。あああ、今の所ホリエモンが何しゃべるか聞きたかったのにーと、くやしかった。 いつもいつもバシバシ、ゲストをばっさり切って捨てる数ちゃんだけどさすがにホリエモンと対する時はホリエモンの方が上手に見える。ははははと笑顔で数ちゃんの的外れの暴言をかるーく聞き流している。できる! あれだけむちゃくちゃなこと言われてよく怒んないなーと感心した。経済とか科学技術の分野になってくるとさすがに数ちゃんには知識不足だから話の内容が苦しくなってくる。まるっきりホリエモンの手のひらの上で踊らされている感じだ。数ちゃん危うし。この番組をみるとホリエモンは大物って思う。でもね、この番組、実は大事な部分があった。ホリエモンがぽろっと宇宙開発の話をしちゃったでしょう。数ちゃんがあわててそれ以上ばらすなってシャットしたけど結構このあたりが大事なポイントだったと思う。もっと聞きたかった。 うーん。次回の二人の対決が楽しみだ。次は春休みくらいかな。↑主人公が能の役者さんというかなりの珍しい設定。普段まず知ることのない能の世界がよくわかります。この人が書くと能ですら面白くて今時に見えるから不思議。
2006年01月11日
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さあー今日から新学期、主婦ブロガーがどどっとネットに帰ってくる。アクセスもふえるかなー? 今朝楽天を覗き込んで見たら新しい発見。『注目』っていうマークができていた。これはテーマ投稿じゃないとだめなのかな。どうやらアクセスの多い記事につくマークらしい。だから人気ブログを発見しやすくなりそうだ。 楽天ランキングだと、単にアクセスの多い順になってるからアフイリのサイトがどうしても目立つ。でも、まじめに一生懸命かいてるブログ読みたい読者としてはこの『注目』のマークのシステムで少しでもブロガーに気合が入ったらいいなっと思う。楽天さんも必死に考えたのでしょうか。さてこのシステム効果のほどはいかがなものだろう。 私が昨日の夜に投稿した記事にも『注目』のマークがついていた。がんばれ!ブロガー!
2006年01月10日
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土曜日は成田山に行った。また、成田山の話。何で成田山かというと子供の頃から毎年毎年、初詣は成田山だったから。ほんとにほんとに子供というものは親の真似をするものです。 でもね、成田山に行く本当の理由はおいしいおそばやさんがあったから。成田山の後ろの成田山公園の中にとてもおいしいおそばやさんがあったのです。かくれた名店というやつです。ほんとにどこの本にも雑誌にも載っていない名店です。たぶん。ある年、何気に入ったらなかなかおいしくて、それから毎年毎年そこでおそばを食べるのを楽しみにしていたのです。ご主人が毎年一生懸命おそばをうっていたのです。打ち立ての手打ちの田舎風の少し太めのおそばでした。ところが毎年行っているうちに、だんだんお客さんが増えてきて、とうとう増築して、バイトまで雇って、繁盛していたようでした。宣伝しなくても、いいお店はちゃんとみんな気がつくのですね。その賑わいがいっそうおそばをおいしくさせているようでした。 ところが、ある年またおそばを食べようと楽しみに出かけたところ、なんと閉店していたのです。おそばをうっていたご主人が亡くなられていたのです。おそばをうつ人がいなくなってあえなく閉店となってしまったのです。とてもおいしいおそばで、本当に残念でした。 それからも毎年成田山には行きますがどこのお店に入ってもおいしいおそばには出会えません。ざんねん。 さて、こないだはおいしそうなうなぎやさんを見つけました。来年はあのうなぎを食べようと食い意地の張った私と食い意地のはっただんな様は心に決めて成田山を跡にしたのでした。 食い意地はった話ですみません。 さて、ほのぼのと書いてきましたがどうせ私のブログですから、ちょっと言いたい。後継者を育てるって大事ですね。カリスマじゃー続きません。でも、成田山のお蕎麦屋さんずーッとおいしいおそば食べさせていただきました。ありがとうございました。
2006年01月09日
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昨日は初詣の第二弾(えっ?)で、成田山にいった。その帰り。 富里のインターの入り口でおまわりさんが番、はってた。それでうちもひっかかって、「助手席、シートベールトつけてませんね。」ですと。助手席は私。 いやー料金所にかかるところで「おっ、やべっ」と、思って私はすばやくシートベルトを装着した。だから、料金所を抜けておまわりさんに車内を覗き込まれた時はすでに装着していた。それでも、おまわりさんは「ベルトつけてませんね。」と、強気で言ってきた。おかげでうちのだんな様のきらきら輝く美しいゴールド免許に汚点がついた。一点ですとー。 「三ヶ月で消えますから。」とか言われてもねー。さあ、皆さんはこんな時、ごねますか、食い下がりますか。それともおとなしく言うこと聞きますか。 でも助手席のシートベルトは高速道の中だけが法規定なんですって?私は知らなかったんだけどね。だったら料金所のところでベルトしたんだから別にいいんじゃないの? いったい高速道路の始点はどこなんだ。相変わらずきったないぜ。警察。いままで結構ゆるくしといて正月そうそう厳しくするなんて。くっそー。 なんだかなー。過去問売っといて、ある年いきなり出題傾向を変えるどっかの私立校みたいじゃん。 あーなんくせつけても始まんないよなー。
2006年01月08日
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ドラゴン桜のヒットで、東大志望が二割増しだとか。面白いですね。 その一方で東大の斜陽を書いたのがこの本なわけです。なにしろ近代史というのは学校の授業時間が足りなくなっていつも勉強しないうちに学年が終わる。どうも近代史の知識が乏しい。だから終戦がいつだったのか未だによくわかっていない。 というわけで知識不足の私にはなかなか日本政治の近代史は新鮮でした。 かつての東大法学部ってすごかったんですね。日本の近代の政治を仕切ってきたのは東大法学部出身の官僚達だったんだ。そのあたりは『官僚たちの夏』改版を読むとよくわからるらしい。長男に聞いたら読んだよって言われた。あ、あら。私は読んでません。 そして歴代の総理も東大法学部出身だった。へえー。 ところが田中角栄が東大法学部出身の福田赳夫に大差をつけて総裁選に勝った時から、歴代総理の歴史もまた大きな変革を迎えた。そして官僚の世界もまたおおきな変容を迎える。 どうやらこのあたりから政界官界の腐敗が始まったらしい。そして法学部生は官僚になることに昔ほど夢をもてなくなってしまったらしい。その結果今や東大法学部は弁護士志望の学生が増えてしまった。 国の税金をかけてまで彼らをそだてる意味はあるのか。 自由学園というちょっと趣の違う学校を卒業してジャーナリストとなった著者ゆえの視点で書かれているけれど、私も同じ意見だ。 実際今の国立大学受験は七科目もの受験科目を要し、たんなるオールマイティな人材を要求している。はっきり言ってばかばかしい。 英数国だけに限った試験ではなく、全ての科目をきちんと勉強してきたバランスの取れた人材を考えているのかもしれない。 でも、実際には小学校時代を中学受験の塾通いにつぶし、中高でも、大学受験のための塾通いにつぶし休日も自分の時間も全て勉強に費やして、人間関係のとり方や、それ以外のいろいろな人生勉強に使われるべき時間を机上の勉強に費やしてしまうことになる国立の試験科目が本当にバランスのとれた人間を育てることを阻んでいるように思える。 最も三教科の私立大学受験でも、希望者が増えれば難関として受験生は自分の時間の全てを勉強にまわさなければならなくなることに変わりないかもしれない。 でもなんだか国立がばかばかしいような気がしてきた。 地方の国立ならそれほど難関ではないから授業料の安い国立に志望者がふえるけれど。都市部の場合、東大、東工大、一ツ橋、千葉大どうしたものだろう。 著者は国立の授業料を安くしておくことよりも、奨学金の充実を考えている。わたしもそう考える。 それでも、東大は、やっぱりまだまだ受験勉強をゲームとして楽しむ受験生にとっては楽しいトップ争いのアイドルなんだろうな。 昨日『渡る世間は鬼ばかり』を見ていて、えなりくんが、「東大で勉強することが目的なんじゃない。東大に受かることが目的なんだ。」と言うような内容のセリフを言っていて、橋田寿賀子さんは時代をよく見ているなと思った。おいおい、いい加減にせーよという感じである。 そうやって考えていたら、受験生に関わる塾の先生たちの責任は重大じゃないのって思った。とすると受験生を育ててる親の責任も重大なわけで、その親の周りにいる人たちみんな責任重大だから、結局みんな責任重大でつながってるわけで、他人事じゃあないですね。あっそうだ、学校の先生も責任重大ですね。 それにしても最近の新潮新書なかなかいい品揃えしてそうです。 この記事を評価する ブログルポ投稿中の記事★ 『地球幼年期の終わり』★ 映画原作の小説『博士の愛した数式』★ 『博士の愛した数式』★ 美術は大事★ 言葉はナマモノ★ 『男たちの大和』その2★ 女の子の世界はむずかしい★ 『東大法学部』★ 教えられたようにヒトは行動する★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2006年01月07日
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前回はシナリオの話を書いたけどその後さらに考えていたら、「なるほどー。」なんてのが増えた。 映画を実際に見ると、前宣伝で言ってた「愛するものを守るために」なんてフレーズが嘘っぱちなのはよくわかる。 大和が「戦争を終わらせるために出撃するんだ。」なんて長島一茂が言うセリフがあるけど、実際に終戦になったのは大和撃沈の五ヵ月後だったんだよね。 本当に終戦になったきっかけは原爆だったのはみんなよくわかってる話で、終戦の五ヶ月も前に沈没した大和が終戦のきっかけになってるなんてうそばっかりジャン。どうりで「今回のヤマト特攻は終戦のため」なんていうちょっとかっこいいセリフをあのへったくそな長島一茂なんかにわりふった理由がよくわかった。みんないい場面だっていうけど、そんないい役を何であんなへたっぴが言ってるのかなんだか不思議だったんだけど、そうかうそっぱちだからだ。 どうみてもウドの大木にしか見えない戦艦大和が何で沖縄特攻なんてなんの役にも立たないバカなことさせられたかって言うと多額の予算を使って作った大和を残したまんま戦争が終わったりしたら大和の製造を発案した上層部のお偉いさんが責任を問われちゃってやばいからだ。大和の製作中すでに時代は巨大戦艦の時代ではなくなり始めていたのに、もう作り始めた大和を途中でやめるわけにもいかなくなってとりあえず作ってみたけど、やっぱり戦場でたいして役にたたないことがわかって、(武蔵なんかさっさと撃沈されちゃったし)、こりゃーやばい戦争が終わる前にさっさとあのウドの大木をなんとかしなくちゃと考えた上層部の考えたことが沖縄特攻で、撃沈されることが大前提だったらしい。 どうせ沈んじゃうってわかってんなら乗組員なんか乗せなきゃいいのに、でもそれじゃ撃沈の予定がバレバレだからとりあえず戦場に行って戦うっていう形式は整えないといけない。そんなものに付き合わされて死んじゃう底辺の兵士はほんとにたまったもんじゃないよね。だから、護衛なんか全然ついてなかったみたいだし。 それでここまで考えてきたら、なんで中村獅堂が対空砲の砲手の役だったのかよくわかった。対空砲は対戦闘機のためのものだから、あわてて後から作られたものらしいけど、映画を見てると対空砲を撃つための兵士たちが戦闘機からの攻撃を防ぐためのものがいっさいなく、ラストの沖縄戦でも、戦闘機にばったばった撃たれて血しぶきほとばしってふっとばされるシーンが一番多かったわけなんだけど、このシーン見てるとホントに上層部の人間なんて、底辺の人間のこと虫けらとさえ思ってないってことがよくわかる。敵をやっつけるための砲弾は作っても兵士の身を守るためのものにはぜんぜん予算かけたくないんだなってことが。そして自分を非難されないように大和を消しちゃうためには、底辺部の人間の命なんてほんとにどうでもよくって、そのあたりのことはなんにも考えてないんだってことの、とってもよくわかる映画だったんだなっと思ったわけでした。 だから渡哲也扮する第二艦隊指令長官に沖縄出撃の命令書を渡すシーンで、渡哲也は「こんなことオレにやらせるのかよ」って感じで相手の上官に対するんだけど、相手の上官はたしかほとんど無言でしたね。 つくづく戦争なんて上層部の人間の気まぐれと無責任な決定で進んでるんだってことをよく教えてくれる映画でした。『男たちの大和』その1『男たちの大和』その2
2006年01月06日
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新年なので今年の抱負なんていうテーマのブログが多い。おっネタになりそうじゃん。と、思ったのはいいけど、わたしはかつて一度も「新年の抱負」なんていう仰々しいものを考えたことがないことに気がついた。うーん。しばし考えてみても全然思いつかない。生活を改善しようとか、人生にテーマをもとうなんて考えたこともない。私が唯一そんなことを考えたのは「漫画家」になりたいと思った時ぐらいだ。しかし、へたくそだった上に、もっとうまいやつを何人も見てあっけなく挫折した。それ以降は受験、就職、結婚、子育てと進んで、お金がないないと言いながら、毎日パソコンと、読書と映画と美術館で人生の時間を埋めてきたことに気がついた。抱負なんかいらない。抱負なんかなくても人生は送れる。 中学生の時すでにお釈迦様的達観の世界に入り込んで、「人生は遠大なる暇つぶしである。」という言葉を座右の銘というか、人生の趣旨というか、にしているような体たらくぶりだから当然たかだか一年単位で抱負なんか思いつくわけもない。 長い長い千段くらいの石段を目の前にしたら、「よーし、登るぞ。」なんて気合を入れて登るよりも、私なんかの場合だと、なんにも考えずに当たり前のようにただ黙々と登っていったら、頂上についていた。というような生き方をしてきたような気がする。 私はそんな風なのが好きなんだ。ブログルポ投稿中の記事★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2006年01月05日
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年末で終わっちゃいましたね。とうとう。悲しいなあ。 家族でせっせと見てたのに。 『プロジェクトX』といえばやっぱり「黒部ダム」。この番組の代表作ですよね。 そして、日本の国の発展を理系の人たちが随分底辺で支えていたんだなあとそう思いながら見てました。 「富士通」の話もよかったね。理系っていうと管理職になるのいやがる人多いけど、ノーベル賞とった田中さんもそうだったけど、でも、富士通の人は管理職としてもすごかったな。ろくすっぽ会社に出てこないのにすごい仕事してる。部下が困ってる頃合を見計らって助けてくれたり。理系の人も管理職逃げないで出世してちゃんと社長になってくれればいいのにと思う。文系畑の人たちに政治や会社経営任せといちゃダメだよ。理系でなければ見えないもの、わからないものがある。メーカーなのに理系が引っ込んでたら知らないうちに会社の経営が変な方に進んでっちゃうと思いますよ。だからソニーはあぶないのか。もちろん現場の方が楽しいし、やりがいあるけどさ。 涙をのんで苦境に耐えて、開発した製品も研究も会社がつぶれたら、御破算になっちゃう。 『理系白書』を買って適当に積読でそのあたりに置いといたら(またかよ)うちの長男が読み始めちゃって、「理系は割に合わないみたいだからやめる」とか言い出しちゃって、おいおいって感じでした。 先輩、社長になってがんばって「理系も捨てたモンじゃないよ」って後輩に教えてください。 車で初詣に行くとき、だんながカーステレオで、『地上の星』なんかかけるから、思わず初泣きしちゃったんだけど、いい曲だなあ。 番組の最期、中島みゆきさんがスタジオで歌ってくれてよかったなぁ。 うちのダンナが横で「紅白の黒部の中継の方がよかった。」とか言っててうるさい。
2006年01月04日
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よくできた映画だったし、十分面白かったんだけどなーんか腑に落ちなかったところがあったことに気がついた。 どうもこの映画には裏脚本なるものがあるらしい。というか正しくはシナリオの第一稿。その第一稿のポイントを読んだらすごく面白そうなのだ。このシナリオどおりに作ってあったらすごく面白い映画になっただろうし、大和の本当の姿が伝えられただろうにと残念でならない。ところがやはり商業ベースにのって売れるようにシナリオが直されてしまったために結論のよくわからない映画ができたんだなっと納得できた。 私のブログに貼られたトラックバックをたどっていろんなブログを読んでいったら (ちなみにトラックバックというシステムはこんな風に同じテーマのブログを読みたいときに検索を使わずに同テーマのブログを読んでいける点でもなかなかいけるシステムだと思う。) ここの掲示板にたどり着いた。 で、この掲示板で、シナリオの第一稿があったことを知ることができた。ここを読んで納得できた。あまりよその記事をこぴぺするのは好きじゃないんだけど、どうしてもここだけ、リンク切れの可能性を考えてあえて転写させていただきました。1)内田(中村獅堂)と、その娘(鈴木京香)の役は存在しない。2)臼淵大尉のエピソードもオリジナルには存在しない。3)主人公の神尾には、同じ大和乗組員の兄がいる。3)神尾の恋人役は出てこない。 代わりに母親は途中で死なない。 (母親役は、神尾の母親以外には出てこない、 そのため広島のエピソードもない)4)オリジナル版にあった、「天皇陛下万歳」、「君が代」、「国旗掲揚」 「軍艦マーチ」等のシーンはほとんど丸ごとカットされている。5)同様に大和の船内設備を紹介するシーンも丸ごとカットされている。6)オリジナルに登場する数百人の兵士による 主砲発射までの手順も丸ごとカット7)オリジナルに登場する教師出身の召集兵もカット8)陸軍兵士とのエピソードもカット9)トラック諸島でのエピソードもカット 鈴木京香が年齢的に役の設定とかみ合わない不自然さは最初からひっかかっていたし、集客のための配役なのはもちろん想像のついたところだけれど、最初はなかった役らしい。 そして母と子の別れのシーンや大和の船出を家族が見送るシーンもありえない設定らしく、どうりで見ていて今いち感動できないなあと思った。この手のシーンは今までの戦争映画で何度も見ているので私の場合ちょっと見飽きていたせいもあるのだろうけれど、いかにも集客が目的のお涙頂戴のつくりで今ひとつ迫力にかけていたし、中村獅堂と寺島しのぶ演じる芸者の別れのシーンも今いち。 最初のシナリオでは、どちらもなかったらしい。そしてその代わりに遊郭でのシーンなどがあったらしい。 でも、私がこの元シナリオの中で一番見たかったのはやはり数百の兵士を使って砲弾を運ぶシーンだった。このシーンに一番大和の姿が出ていたんじゃないかと思う。 とにかく商業ベースにのった白々しいお涙頂戴的なシーンばかりを前面に押し出すようなつまらないつくりに走ってしまうことが結局は日本映画をつまらないものしてしまい、日本映画界の質を落としてしまい、衰退を招いてしまっているのだろうにと思う。 できればテレビドラマで、この本来のシナリオを使った物を作って欲しい。女優さんたちの出番も減るし、かなり暗いものになってしまうかもしれない。それでも、映画のように二時間、長くて三時間という時間的制約の短すぎる、わくのないテレビならできるかもしれない。本当の「お・と・こ・た・ち」の「大和」を伝えるドラマができるかもしれない。この記事を評価する『男たちの大和』その1『男たちの大和』その3ブログルポ投稿中の記事★ 『地球幼年期の終わり』★ 映画原作の小説『博士の愛した数式』★ 『博士の愛した数式』★ 美術は大事★ 言葉はナマモノ★ 『男たちの大和』その2★ 女の子の世界はむずかしい★ 『東大法学部』★ 教えられたようにヒトは行動する★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2006年01月03日
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去年はかわいいやんちゃ坊やがいっぱい活躍していて楽しかったな。 ホリエモンとか新城とか、中村獅堂とか、イチローとか杉村太蔵先生とか。 タイゾー先生のブログも見つけて読んでみました。なかなかおもしろーい。女子高校生の恋愛相談までしてるしね。タイゾー先生、かわいいよね。息子というには年取ってるし、ダンナにするには若すぎるし、愛人にいいかも…なんてことは考えてません。タイゾー先生がんばってるけど、なんか成果を残さないと今期限りで終わっちゃうのかな。来期全国区で出たら私、投票したいです。年寄り先生たちとはぜんぜん違う視点で議員の世界を見てるでしょ。がんばって欲しいです。 ホリエモンも車まで売り始めちゃって自分でコマーシャルまでやってるし。こないだホリエモンがさすがに泣いてましたね。株主さんたちが、「配当少ないぞー」っ怒っててこんなんならやめろーって言ってて、私は「あんたたちばかじゃない。ホリエモンがやってるから利益でてるのであって、ホリエモン首にしたら、会社の利益なくなるどころか、株の価値も下落しちゃうんだぜ。わかってんのかね。」と思ったけど、確かにもっと配当欲しいかもね。 新城は私はあんまり好きじゃないんだけど、去年は随分いろいろテレビに出てきててまさにやんちゃぼうやの代表って感じにみえます。 中村獅童も映画とかスパイダーマンとか活躍してましたね。映画の中では私のイメージの獅童くんとはちょっと違ってやさしい人でした。 そしてイチローもがんばってますね。私は野球は見ないからよくわかんないけどイチローのお父さんやイチローの高校の監督さんが書いた本は私の子育ての上ですごく参考になりました。もっともっと子供にかかわってせいいっぱい愛していいんだなっと。そして、子供との距離のとり方も、子供の人生へのかかわり方も教えていただいた感じです。 純ちゃんも去年一年やんちゃ坊やの王道を行った感じです。 さあ今年はどんな年になるのかな。
2006年01月02日
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あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。あほなことばかり書いていますが、今年も読んでいただければ幸いです。 今日は元旦。よって、初詣に行ってきました。最近の初詣は増上寺です。増上寺は成田山ほど混んでないから楽ちんです。 おみくじをひいたら家族四人全員大吉だった。すごー。こんなこと初めて。ことしは良い年でありますように。 増上寺には毎年猿回しが来ます。今時珍しい。 年賀状届きましたか。郵政民営化のおかげで最近は年賀状がちゃんと届かない。まったくいい迷惑です。みなさん郵便局に苦情だそうね。 で、年賀状をチェックするといつも思うのがこっちから出した人からは来なくてぜんぜん予定外の相手から届いたりする。 もっと困るのは出したか、出さないかまるで記憶のない人から来ている場合。まさに微妙な人間関係。 とくに一番仲良しのはずの相手から来ないと悲しいよねー。で、うちの娘はショクうけてたけどさ。でも、仲良くても、まじめに年賀状書くような性格じゃないやつもいる。 一番困るのは毎年住所違ってるのを指摘してるのに訂正しないまま送ってくるやつ。だから「届かないよ」って言うと「へんだなー」と言いながらそのまんま。最後は新しく書き直して送ってくる。なんとかならないのかなあ。問題は、届いてないと言えちゃうところにある。そんなに仲良くなければ黙ってこないまま終わるのにー。 年賀状を通して知るわが身の人間関係。年初めからなにやら微妙に心をゆさぶる日本の慣習。すてきだ。 あ、増上寺でも、郵便局の人が年賀状売ってたわ。稼ぎ時だもんねー。元旦から大変そうだ。↑おうちがいちばん
2006年01月01日
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言葉は、生もの。そう生鮮品です。 使っているのは生きている人間だから、使っている人間の心の変化に合わせてどんどん変化していきます。英語のようなスピード感のある言葉がどんどん日常生活の中に入り込んでいる今日本語自体のスピードも速まっていこうとしているのかもしれません。 いつも思うのが「ありがとう」と「サンキュー」お礼を言いたい時「サンキュー」というのは使いやすい。音ののりがよくってスピードがあって、全部言い終わるのもあっというま。でも、「ありがとう。」は長くてのんびりしてて言いにくい。少しのどのところでひっかかっていいにくい。「サンキュー」だったら、いいやすいんだけどなっといつも思う。 とくに「ありがとうございます。」なんて日常生活には使いにくい。ただ本当に感謝の心いっぱいで、しっかりお礼を言いたい時には「サンキューベリィマッチ」なんて軽いのりより、ありがたい。 それにしても「サンキュー」のほうが楽だな。 それから今まさに批判のまとなのが「ら抜き言葉」でも、社会がどんどんスピードアップしている今、「ら」なんか入れてしゃべるのはめんどくさくてまどろっこしいとみんな無意識に考えているのかもしれない。実際しゃべっているとまどろっこしい。私たちの世代はまだ、文章的に文法的に違和感を感じるから見苦しいと思うけれどいづれなんの違和感もなく普通の言葉として市民権を得てしまうかもしれない。 そういえば「いっしょうけんめい」という言葉。正しくは「一所懸命」と書きます。でもみんなが「一生懸命」と書いていたので今では「一生懸命」でも正しいということになって辞書にもこれで載っています。昔は「生」の字を使ったらテストでは、バツ!だったんだけどね。「一所懸命」というのは鎌倉時代に武士が幕府から頂いた土地を命を駆けて守ったことから来ているのですが、今時そんなことありませんから。確かにイメージとして「生」の方がピンとくるというもの。「一生懸命」でもちゃんと○だと思います。ちなみにパソコンで入力して変換すると、「いっしょうけんめい」では、「一生懸命」となるし、「いっしょけんめい」では、「一所懸命」と出てきます。 平安時代はいまよりずっとゆっくりゆっくり話していたそうです。古文の文章なんか今時の人間にはチンプンカンプンです。でも、あれも日本語。時代を追って古文の文章を見ていく、とだんだん現代文に近づいてきます。 私の文章の中でもよく使う「チョー」なんて表現も感じにすれば「超」なんだけど、他の言葉に置き換えようとすれば「とても」とか「すごく」とかいろいろあるんだけれど、なんで「チョー」を使うかといえばやっぱり英語のスピード感に似たのりのよさがあるんだと思う。ブログだから軽いのりの文章を意識して書くわけなので、「チョー」もすっかり市民権を得て日本語の用法の中で微妙に変化して普通の言葉になり始めているかもしれない。 それで、オレンジレンジの歌なんか聴いていると、文章としての切れ目をミゴトに無視したまるで英語のような早いしゃべりの歌い方。聞いてて小気味いいしおもしろいし、まさに日本語の英語化って感じでしょうか。スピード感ばりばりです。 時代とともにあたらしい言葉が生まれてきてそれを生み出すのは若い心。若い感性。とても面白そうです。 ↑昔読んだ大野晋の本がどれだったのか忘れちゃった。ので適当に大野晋を選びました。本年は稚拙な私のブログを読んでいただきありがとうございました。それでは皆様、良いお年を。この記事を評価する ブログルポ投稿中の記事★ 『地球幼年期の終わり』★ 映画原作の小説『博士の愛した数式』★ 『博士の愛した数式』★ 美術は大事★ 言葉はナマモノ★ 『男たちの大和』その2★ 女の子の世界はむずかしい★ 『東大法学部』★ 教えられたようにヒトは行動する★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2005年12月31日
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冬休みに入って子供たちが毎日毎日毎日、家にいる。少しは遊びに行ってるけど、後は毎日家にいる。長男なんかずーっと一日、パソコンを使っている。おかげでなかなかブログが書けない。ブログが読めない。じゃあ長男がパソコンで何をやっているかっていうと、まず将棋の対戦、それから囲碁の対戦、囲碁のソフトをつかった詰め碁、それからー、ネット上の無料配信のゲームをダウンロードしたやつ。朝から晩までこれだ。コタツにもぐりこんで。いい年のワカモンが…。運動部に入れておけばよかったなんて今頃後悔してみても始まらない。文化部なんて休み中に部活なんてやらない。特にうちのクラブはね。何でゲームのダウンロードなんか覚えちゃったかって言うと、私がずーっとやってたからだ。子供っていうのはつくづく親のやってることをまねるもんだ。いいんだよー。こんなことまねしなくたってー。どうせまねるなら、ブログでも初めて文章力つけてよ。なにしろフリーゲームというやつは売れるかどうかなんて関係なく製作者の好みで作ってあるうえに、ダウンロードするほうだって、マニアックな趣味してるわけだから。で、なんのゲームやってるかっていうとこれが、戦争もの。『クラウゼヴィッツの戦争論』なんて本を、私がなんとなく本屋で買って、なんとなく家の中に読みもしないで積んどいたら、うっかり長男が読み始めて、すっかり戦争フリークになってしまったのだ。おかげで戦争の話を聞くとなんでも教えてくれる。それも、太平洋戦争は、特に。というわけで太平洋戦争のゲームばっかりやっている。なにしろプレステの『提督の決断』のシリーズの3がどっかいっちゃって家の中のどこを探してもみつからない。というわけでますますパソコンに嵌っていく。で、休日にパソコンで『カーグラフィック』なんかを見たいダンナは「パソコン貸して。」と気弱げに自分の息子に頼む。思春期の男の子なんて外では低姿勢のくせに家の中では威張っているから、父親といえども逆らうのはめんどくさい。そしてずーっとパソコンをやっている長男に見るに見かねて私が、「目が悪くなるし、ずーっとやってるし、いい加減あけなさい!」といってパソコンを奪還する。 かくしてやっと楽天にアクセス。自分のブログのアクセスなんかチェックして、次にアップするべきブログを入力する。それから他のブログを読んで、コメントを書いて、自分のブログのコメントのお返事も書いて、そんでもって、他のサイトを見に行って、年賀状をプリントアウトして、メールを書いて、というところで、娘が「進研ゼミ見るから、あたしにも使わせてー。」と言ってくる。しょうがないから少しパソコンを譲って、そのあとダンナがもう一回「貸してー。」と言ってくるのでダンナも使う。朝から晩までスイッチついてて、壊れちゃうよ。それでパソコン使えない間に長男は宿題やりだすんだけど、化学がわからんといって切れまくっている。新刊24巻も出たけど、楽天にはなかった。楽天のブックスたんとーは忙しいのかな。
2005年12月30日
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見てきました。『男たちの大和』 感想。ああー面白かった。 ていうのが感想。 いいのか。こんなんで。戦争映画なんだしさー。テーマは戦争は良くないとか、ラストかわいそうで見てられなかったとか、書くべきでしょう。 でもねー、見終わったら爽快なの。大和がラスト撃沈されるシーン。血の海です。バシバシうたれてバシバシ死にます。でも見てて私の場合あんまり悲壮感なくて。ていうか面白かった。これが同じシーンでも、本当に本物の実写だと、気持悪いんだけど、映画だとそれほど気持悪くない。どうせ生きてるし、血糊だろうしとか考えちゃうからなんだろうな。 そんでもって、人間て、その身のうちに残虐性を持っているんだなと再認識した次第。男の人って反戦とかいろいろ言うけどやっぱり「タタカイ」好きでしょう。男の子育ててるとわかるんだよね。男の子の遊びには必ず「タタカイ」ってのがある。女の子はやりません。こういう遊び。レンジャーものって男の子の必須科目だし。 で、人間てのは、原始においてはもともと狩猟によって食料を得てきたわけだし、血を滴らせてでも獲物をさばかなくちゃいけないし、隣村の部族と戦わなくちゃいけないしとなるとやはり戦闘は生きていくうえでの必須科目なので、そこで気持悪いとか残酷だとかたえられないとか言ってると生きていけないので、逆に必要だからこそ残虐性という要素も人間の中に内包されているのかもしれない。それは、食欲とか性欲とか物欲とかと同じように生命維持の上で必要なものだからこそヒトの中にプログラミングされているわけで。 ただ、問題なのは現代社会のような状況の中で残虐性が表に出てくると、周りの人間を殺したり、動物を殺したり、戦争を始めたり、生命の維持と種の保存に逆効果になってしまうという自己矛盾をもっている。 生きていくうえで必要なものは表面化され、不必要なものは隠されていく。 必要のないものをいかにうまくコントロールして、自分の中で制御していくか。現代社会の中でもまた、必要のないものイコール残虐性、戦闘心は制御されていくことを今まさに要求されている。 だから、戦争やめてね。 というわけで、映画から話がずれました。 反町隆史はご飯当番だったし、中村獅童は、対空砲の砲手だった。お偉いさんじゃなくて底辺の人物が主役。主人公の少年も対空砲当番。戦場のまさに最前線の現場の話。反町がご飯作ってるっていうのがなかなか。普通戦争映画で反町みたいなチョーイケメンのトップ俳優っていったらかなりかっこいい将校とかそういう役でしょう。中村獅童は片目撃たれてほとんど病院で寝てて活躍するシーンほとんどないし。なんていってるうちにラストの沖縄のシーンになっちゃう。 それでラスト三分の一くらいになってくると、絶対やられちゃうってわかってるのに出撃しろっていわれてみんなしぶしぶ戦場に向かう。みてる私は「バカみたい。やめりゃーいいのに。」とか何度も思った。だけど、私がそう思うのは戦後アメリカが日本の復興のためにそれなりにいろいろやってくれたのを知っているからであって(今はわかんないけどさ)、当時の人たちは負けたらどうなるか全然わかんないわけだから、しかも上層部にすればここでやめれば自分たちどうなるかわかんないし、大枚はたいて作った大和がまだ残ってる状態で戦争やめるのもったいないしとりあえず使ってからとか考えたかもしれないし。うーん。やっぱりやめづらかったのかな。当時の人たちの感覚はやっぱり今の私たちには想像しづらいのかな。 それで、だめもとで沖縄に向かうあたりで、そろそろ渡哲也なんかが出てきて、みんな悲壮な雰囲気でイクゾーって盛り上がってくると思わず「かっこいい。」とか思っちゃうわけだ。その後で「おおっとまずい。やめりゃーいいのにバカみたい。」とか思い直すんだけど、やっぱりなんかかっこよくって、敵機にガンガン撃たれてやられて悲壮感たっぷりで見てるとだんだんかっこよくなってきてやっぱりどう見てもこの映画は戦争賛歌の映画だなーと言うのが結論。です。 それにしても、「大和」ってかっこいいすごい戦艦だと思ってたんだけど、対空砲なんて一機にだいたい八人から十人くらい必要な作り。もろ人海戦術じゃん。しかもヘルメットもろくすっぽかぶってないし、鎧も何にもなし。空から撃ってこられると身を隠す場所も全然ない。海軍なのに陸軍の白兵戦と変わらない感じ。さらに方向調整は人の目でチェックした挙句、足こぎで合わせる機械。弾を入れるのも人間。この頃の技術ってこんなものだったのかと無知な私はひたすら驚きました。あんな対空砲で戦闘機打ち落とせるとは思えません。命中率限りなくゼロに近そう。これで対空やらせてるんだから、兵士が死んじゃうのはわかってたでしょ、作ったヒトたちは。こないだの姉歯事件と大して変わんないかな。あっといけないまたこっちの話になっちゃったよ。 鈴木京香さんきれいだった。それと最近気になるのが寺島しのぶさん。あんまり美人じゃないから主演にはならないんだけど、最近いろんな映画でチョイ役とか脇役ででてくる。『東京タワー』でも、面白い役やってたし。なかなかいい味だしてるよね。最近きになる女優さんですね。 最後見終わって思わずラストソング聞き入ってしまいました。今回すごいと思ったのは見てた人みんな最後まで席を立たなかったこと。音楽が短かったせいもあるかもしれないけど。普通映画が終わると、タイトルロールと歌の流れてる段階でバタバタ席立って帰り始めるでしょう。ところが今回はみんな最後に館内のライトがつくまでずーっと見てたんです。すごかったな。やっぱ感動したのかな。 私はひねてますから、みなさん素直に感動したかも。とにかく映画としてはいい出来でした。なかなか秀作です。 などと書いていたら後ろから長男に「最近戦争ネタ多いからやめとけー」と言われた。そんなこと言ったって書いちゃったし、このあと『亡国のイージス』も借りてくる予定だし、別に私は戦争オタクじゃないんだけどさ。なぜか面白そうなんだもん。 『男たちの大和』その2『男たちの大和』その3
2005年12月29日
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ぴすけっとさんのところでブログを読んでいたら、方言の話題が出てきた。 うーん。方言か。私は東京に住んでいるのでよくわからないのだけれど、地方から東京に引っ越してきた人はみんな、東京の標準語をクリアして、標準語をしゃべる。やっぱり東京に住みはじめたら方言を通すのは大変なのかなあ。 もし、私が地方に引っ越したら、やっぱりその土地で標準語を通すのは大変そうだ。「いつまでも東京の言葉をしゃべってんなよ。」と不評を買いそうだ。ちなみにもし、私が地方に住むことになったら、その土地の言葉を覚えたい。そしてしゃべりたい。なんか楽しそうだ。英語を覚えるよりは楽そうだし。なにしろ東京で方言はしゃべるわけにもいきませんしね。やっぱし? さて、標準語って奴はいかんせん評判が悪い。一番言われるのが冷たい感じがするってやつです。ここでうちのダンナに聞いて見た。「ねえ、標準語って冷たいと思う?」ダンナ「別にー。」なにしろずーっとこの言葉使ってるし、私もダンナも他のところに住んだ事も方言を使ったこともないからねえ。 その次に標準語が不評な理由が「お上から押し付けられた言葉」ってことらしい。確か明治の初期くらいに政府で国内共通の言葉があったほうがいいだろうってんで決めたものらしい。 巷では標準語イコール東京語ってことになってますけど、ちょっと違います。標準語って言うのは、明治の初期、政府が標準語を作るのに悩んだ挙句、武家の奥方が使っている言葉を選んだのだそうです。昔、NHKのドラマでこの標準語を決める顛末を描いたドラマをやってたのを私は見てたわけですが。でも、なにしろ昔のことなので、細かいことはうろ覚え。記憶にずれがあるかもしれません。間違っていても、ゆるしてね。訂正していただいてもかまいません。 と言うわけで、標準語と東京語はちょっとちがう。私は東京に住んでいるけれど、東京にいるから標準語なんじゃなくて義務教育の学校に通うことで覚えた。私の母もヂモッティなので、母の言葉は実は標準語じゃないのです。なまってるんです。もし、私が学校に通わなくて、母にだけ育てられていたら、標準語はしゃべれないかも。 標準語は義務教育を通して国民に習得されたものかもしれません。だってみんな標準語しってるじゃん。あら、もしかしてテレビのせいかな。 さて、最近は方言にも人気が出てきて、ギャルの間でも流行っている様子。私も方言の持つ面白い言い回しや抑揚やあったかさが好きです。標準語が冷たいかどうかはわからないけど、方言の表現はやはりどこか、とげのない暖かい伝え方ができると言うメリットを持っているなあと思う。でも、関西弁なんかけんかごしだけどさ。 東京に出てきたら、方言は恥ずかしいとか。標準語で話さなきゃとかそういうのはもう超越して、みんなで方言をしゃべりあったら、東京という場所で全国の言葉が混ざり合って新しい標準語が生まれるかも、なんて考えてみました。でもね、ある程度は通じるように少し修正入れながらしゃべってね。 と、ここまで考えてきたら、なにも東京に限らず、ネットの世界は全国の人が一同に会して集まってくっちゃべってる場所なんだからネット上でみんなが方言を適度に使ったら、結構面白い全国共通語が出来上がっちゃったりするかもなんて想像してみました。でもあくまで、適度にね。適度に。説明しなくても通じるくらいに解いてからにしてくださいね。なんてだめでしょうか。ああ!みんなが方言使い出したら、標準語しかできない私なんかむちゃくちゃさびしいじゃん。どうしようー。 ↑新刊がでたぞー。
2005年12月28日
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日曜日、娘は友達と『ハリーポッター』を見に行きました。映画を見て、お昼を食べて、サティを見てかえって来ました。 お昼はスパゲッティを食べたそうです。ええっ! 中一から子供だけで外食だって。確か私の頃は高校生で喫茶店に入ったと言ったら兄から不良といわれたのに。今時は中一でもう外食ですか。 お昼はマクドってことにしてたんだけど。中一から外食なんてとんでもないと言ったんだけど。でも、「お友達からスパゲティ食べようと言われた。」と言われて、母は戸惑いました。だめといってしまえば、それが一番楽で、安心なのですがあまり厳しくしすぎることが必ずしもいいことではないだろうと思うとオーケーを出さざるを得なかった。もっとも、小六ですでに子供だけでマクド行ってたっけ。どうしたものかなあ。これからどんどん行動範囲を広げていくんだろうな。でも、友達もいなくてどこも行かなかったらもっと心配。携帯だけは厳しくダメを通してますが。安くなったらオーケーだって話していたら本当に安くなっちゃった。とりあえず気づかれないようにしらんぷりです。時代もどんどん変わってるし価値観もどんどん変わってるし。昔は「とんでもない」で終わったことがどんどん許可せざるを得なくなっていく。どこで線引きするかということです。母の悩みはつづく。のでした。↑ずーっと使っている家計簿です。値段も安いし、シンプルでとても使いやすい。
2005年12月27日
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『西の魔女が死んだ』 読んだことがありますか。 小学校の五年生くらいになると子供たちは、精神的に一段大人になります。ためらい、恥じらいを覚え始めます。そしてそれと共に女の子は、男の子よりも精神的な部分の成長が早いので、まず母へのまなざしが厳しくなります。母親の欠点をズバズバと指摘するようになります。友達のお母さんが娘に「お母さんが幸せにみえない。」と言われたと言って、相当ショックな様子でした。うちの娘も普通の人間関係なら言わないことをそれこそバシバシと指摘してくれます。 そして、クラスの中の女の子たちの人間関係のとり方も、難しくなっていきます。『西の魔女が死んだ』はそういう思春期の女の子たちの学校生活の難しさをはっきりと文章にしてくれた作品でした。 クラスの中で女の子は必ずグループ化していきます。男の子は一匹オオカミを通していてもそれほど浮いては見えませんが、女の子がクラスの中で群れずに一人でいるといことはかなり厳しいことです。必ず浮いていることがわかりますし、目立ちます。その中で一人を通すということは、とても勇気と強さのいることです。そのために何とかうまくクラスの中でグループに入り込んで友達とうまく歩調をあわせ、行動をあわせ、話題や興味を合わせて暮らしていかなければなりません。でも、そうやって人とあわせていくということは、つまり、自分というものをかなり偽らなければならなくなるということでもあるのです。好きでもないのに好きと言ったり、行きたくもないのにつきあったり。 『西の魔女が死んだ』の中で主人公の少女はそういうことがいやになってしまった。そしてある年それをやらずにいたら、結局一人になってしまって、でも、やはり一人を通すほど強くはなかったので、学校に行けなくなってしまったのでした。魔女を自称する主人公のお祖母ちゃんは、必ずしも物事は理想どおりにはいかないものだし、状況によっては自分のために折れることがあってもいいのだと話してくれます。おばあちゃんとの暮らしの中で少女の心は少しづつ癒されていきます。 『蹴りたい背中』の中でも、主人公の少女はまわりにあわせることに嫌気がさして、クラスの中で一人でいようとする状況が描かれています。 また、絵本の『ストライプ』では周りにあわせようとしすぎて自分自身がわからなくなってしまう少女の姿が描かれています。私も女なので男の人の世界がどんななのかはわかりませんが、女の子というものは、まわりに微妙にあわせながら生きていかなければなりません。もちろん男の人だって協調性は必要ですが、女の子の場合はそれ以上に、他人に対して厳しい世界と思えますから。 周りに上手に合わせることも、自分というものをなくさないようにすることもどちらも上手にできなければならないということです。 どのくらい周りに合わせ、どのくらい自分をだすか。周りにあわせながらも、その中で自分自身のアイデンティティもなくさないようにうまくバランスをとっていくのはとても難しいことです。そうやって、女の人ならみんな、いろいろな過程をくぐり抜けながら成長してきたのではないかと思います。 そしてもちろん大人になっても、終わるわけではありませんが。この記事を評価するブログルポ投稿中の記事★ 『地球幼年期の終わり』★ 映画原作の小説『博士の愛した数式』★ 『博士の愛した数式』★ 美術は大事★ 言葉はナマモノ★ 『男たちの大和』その2★ 女の子の世界はむずかしい★ 『東大法学部』★ 教えられたようにヒトは行動する★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2005年12月26日
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耐震偽装事件まだまだ盛り上がってますね。総研もヒューザーも木村もみんなテレビで泣きそうな顔してて、泣き落とし作戦なのか。せっせとニュースを見てますが、とにかく木村建設は絶対悪者。だと思う。 木村建設のあの支店長、工業高校卒なのですね。そして姉歯さんも工業高校卒。構造計算はかなりむずかしそうですが、三回も建築士試験落ちてるということは、あんまり頭良くないのか、仕事が忙しくて勉強できなかったのか、建築士試験というのはかなりむずかしいものなのか、あるいは工業高校だけの勉強が基礎ではきびしいものなのかこのあたりもニュースで取上げてほしいものです。耐震基準に関しては先日のニュースだか、ワイドショーで、かなり詳しく説明してくれたのでよくわかりました。また、鉄筋を減らしても、別の新しい技術の導入によって偽装ではなく建設が可能なパターンがあるのもわかりました。 そこで今回ニュースを見ていて思ったのは、技術の進展が早すぎて、現場の人間が追いつけなくなってきているのじゃないかということでした。大手建設会社なら常に高学歴の人材を採用しているからまだいいのですが、木村建設くらいの規模だと、工業高校卒の人材が出世して部長クラスになっているような今の状況では、技術的に追いつけなくなってくるんだろうな。と。 技術はかなり進んでいて、いろいろな工法がありながら、工業高校卒では今の技術に追いつけない。となると今現在の自分の技術で何とかするとなると偽装しかなくなってきたのかなと。 部長クラスの人たちより、新卒の大卒、建築科卒の方が持っている技術的知識は絶対的に多い今のご時世。建設業界に限らず技術の最先端に追いついていくのは厳しい状況のようです。 藤原正彦さんの本を読んでいても、いまや数学はすごく進んでいて数学の世界の最先端に追いつく頃は30歳くらいになってしまうのだそうです。数学のような若い頭が命の分野で、30を超えてしまってから新しい数学を開拓していくのはきびしそうです。 今の理工学なんかでも、大学院まで出ないと使い物にならないのだそうです。あるいは大学院まで勉強しても今の技術の最先端まで行き着けないこともあるとか。 そんなことを聞いていると今の大学、悠長に二年間も教養課程に使っていていいのか。それじゃなくても学費を出す親は大変なのにさ。大学は時間を買うところなんて考えはもうそろそろ古いんじゃない。大学はガンガン勉強するところ。高校までかなりしっかり勉強してきたんだから、もう教養課程は無しにして、二年から、あるいは一年の半ばあたりからあるいは最初からどんどん専門の内容にふみこんでいくべきでは。企業の技術の最先端のその先まで勉強してから社会に出して欲しいところです。 それにしても姉歯さん、ベンツですか?話ちがうじゃん。 ついでに私見。みんな全容解明って言うけど、全容解明して偽装マンションがものすごい量でてきちゃったらどうするのでしょう。多すぎて政府が保証できませんとかってことになっちゃったら…。せいぜい100棟くらいでやめにしといた方がある意味身のためなのではー。 とにかくマンション買うなら建築士や設計者の学歴チェックしたほうがいいかなっと。つらつら考える今日この頃なのです。
2005年12月25日
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一昨日は終業式だったので、二人とも成績表もらってきました。 でも最近のシステムのせいで、成績表をみていても、簡単に喜べないと言うか安心できないというか。勉強が大変だからとやさしくしたのはいいけど、子供や学校の様子を見るとやっぱり受験が重くのしかかってる様子。難しいからつらかったんじゃなくて、競争社会だからつらかったんだよね。みんなでより上を目指すことに変わりはないんだから、どんなにシステムを変えても大変なことは同じ。 それでも都立高校、随分レベル落ちたナーと言うのがよくわかる。地域のトップ高は、昔は東大に何十人も入っていて、全国でもトップレベルの高校だった。それなのに、今では「えっこの子が入れるの?」って言うくらいレベルが落ちた。昔だったら絶対無理であったであろう子がトップ校をめざしている。 私が今一番疑問でわからないのは高校の授業内容だ。昔と同じだとしたら絶対彼らにはついていけない内容のはずだ。でも、今の現状に合わせてレベルダウンしているのだとしたらトップ校といえども、大学受験は期待できない。進学実績が落ちるはずだ。現状の子供たちがあのトップ校にはいって本当についていけるのか。授業についていけずに中退する生徒が増えているのだろうか。三番手か、四番手くらいの高校だと三割くらいが中退してしまうと聞いたことがある。 それでも大学全入が常識の今の時代、親はやはり大学入試を考えている。けれど果たして大学入試に都立高校がどれほど応えてくれるのか。うちの娘の場合は一番手の高校はまず無理なので考えていないけれど、じゃあ、その下の何校かを選ぶ上で、その学校が一番あうのか、判断しにくい。塾はなるべく上を目指させるけれど、全てのエネルギーを使い込んでやっと受かった学校では、実質入学後に授業内容を理解しきれない可能性がある。 がんばらせて高校に入っても内容的についていけないのでは意味がない。けれどレベルの低いところに入学させて周りの低俗ぶりにあわなければまたつらい。そして我が子の実力を見切るのもまたむずかしい。まだ中一なので判断できない。名をとるか、実を取るかということか。 まだまだ高校入試の実態は読みきれない。情報収集の真っ最中です。
2005年12月24日
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野球もサッカーも全然興味を示さなかった長男。体操教室も英会話もイヤダーと言ってやめてしまった。ゲームばっかりしていてしょうがないと思っていた。 ある日新聞を読んでいて、藤井猛が竜王になった記事を読んだ。将棋を始めるなら10歳まで。と書いてあった。そのとき長男は9歳だった。 さっそく安いゲームシリーズの将棋セットを買ってきて長男に教えてみた。私は女の子だったけど、昔子供の頃家にあった将棋盤を使って父が私と兄貴に教えてくれた。私はこの手のものはどうも苦手で、それきりになっていたのだけれど。おかげで指し方だけは知っていた。子供に教えてダメでも孫に伝わっていくのだから、ものを教えると言うのはどういう結果がでるかわからないものだ。 何回か親子で指すうちに長男が興味を示し始めた。いくら将棋が苦手でも、初心者の子供相手なら私でも勝てる。細かいルールがわからないので入門書も買ってあげて、長男は将棋を覚えはじめた。ついでに囲碁も教えてみたけど、将棋の方が魅力的だったらしい。もっともいまごろ囲碁に嵌りはじめてますが。 あっいうまに強くなってしまって、誰も相手ができない。今のようにネット対戦もできなかったので。本当に困りました。なにしろ将棋道場は、タバコの煙がすごくてとても入れませんでしたから。 おりしも受験をするハメになって、将棋部のある学校を選んだんだけど、いざ入学して将棋部に入った後で、パソコンを買ったのでネット将棋ができるようになって将棋部に無理して入ることもなかったような気がしないでもない。でも、今も将棋部です。 さて、順調に将棋が強くなっていく長男ですが、対して、私はこの手のものは苦手。先読みをしたり、計画的に駒をさしていったり、定跡を覚えるのも、私には無理なので。 それでも、我が子がやってることには興味がわいてくるものです。それで将棋指しが書いた本を読み始めた。将棋指しは理系頭なので、同じエッセイでも、小説家といった文系の人が書いた本とは一味も二味も違う。切込みがスパッとしていて読んでいてなかなか小気味いい。 おかげで将棋はさせないけれど、将棋のことには詳しくなりました。 たとえば将棋の対戦の後に行われる感想戦とか。たった今自分たちが指した将棋を盤上に再現しながらそのとき考えていたこと感じたことなど話し合っていく。つまり、対戦中の駒運びを全部覚えているらしい。すごい記憶力じゃありませんか。ちょっと私にはできそうにない。数学的思考力を持つ上にものすごい記憶力をもっている。東大の教授より頭いいんじゃないかと思ってみたりする。 将棋を指すうえで、ある程度うまくなってくると、今度は現在のプロ棋士の指した将棋の棋譜を読んでみて再現してみて覚えていく。さらには過去の対戦の棋譜を全部チェックして覚えていく。日本の将棋の歴史の棋譜を全部見ていかないとその先の将棋は指せないというか、勝てるようにならないんだそうです。思考力も記憶力も抜群でないとプロはやってけないらしい。 思考力も記憶力も必要なんて文武両道と同じですね。 棋譜っていうのは、将棋の対戦中の駒の動きを全部記録したものです。これを見ると過去の将棋の対戦を全て知ることができるようです。 それからいろいろなプロ棋士の書いたエッセイも読んでいます。 そうすると今の将棋界の様子もプロになる厳しさもとてもよくわかります。 私は将棋はさせないけれど、長男といろんな将棋の話をするのはとても楽しいです。
2005年12月23日
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私が娘を見るたびに「かわいいね。」というので、娘の中で「かわいい。」の言葉がいっぱいになってあふれてこぼれてきちゃいました。お兄ちゃんに「かわいいね。」と言い、わたしにも、「ママかわいいね。」といい、ぱぱにも「パパかわいいね。」と言って、家に中には「かわいいね。」がいっぱいなってしまいました。 私は猫が大好きで子供の頃はずっと猫と暮らしていたのですが、今は子供が喘息なので猫を飼うのはあきらめています。だからせめて娘を抱きしめて我慢。私の中では、子供をかわいいと思う気持と猫をかわいいと思う気持はおんなじみたいな感じです。猫と子供が一緒でいいのか。でも、猫のために命はる気にはなれませんが、こどものためなら命はれるから、それでいいのかな。猫フリークの人ごめんなさい。猫も子供もかわいいのですが、子猫はすぐ大きくなっちゃってつまんなかったけど、人間の子供はなかなか大きくならないのでたっぷり楽しむことができます。こないだ「渡鬼」を見ていたらさつきさんはカズちゃんの母代わり。教育費が要らなくて出産の痛いのがないのなら、なかなか役得。いいですよねえ。
2005年12月22日
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私は福田元官房長官のファンです。 福田さんが官房長官を辞めたときはすごーく悲しかった。しかも福田さんがあのバカたれの森元総理の傘下に入ったときは、もっと悲しかった。 福田さんが官房長官だった時はニュース見るのが楽しかった。どきどきうきうきしながら、見ていました。 今回福田さんが純ちゃんのスタッフに入らなかったのは次期首相としてとってあるんだと勝手に考えている。 純ちゃんと森のバカが乾いたチーズをつまみにビールを飲んだのは福田さん頂戴という話をしていたに違いないと勝手に考えている。 今回次期首相として阿倍さんの名前が出たのも、福田さんを隠しておくためだと勝手に考えている。 福田さんがんばってください。 などと書いていたら、うちの長男に、 「福田なんてたいしたことないやつじゃん。あんた見る目ないよ。」 と、ばっさり切られた。ううっ。 いいんじゃい。私の好みなんだから。
2005年12月21日
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ブログをはじめて二ヶ月がすぎました。あんまり深く考えないうちに時間が経ってしまいました。不思議ですね。現実世界では言えない事、本当は言いたいこと、ずーっと考えていたこと、ふっと考えたこと、よそ様のブログを読んで考えたこと、(それはちょっと違うんじゃないかいと思ったので自分のブログで自分なりの意見を書いても見ましたが、恐ろしいので記事の素になったブログにトラバを貼るなんてことはできないんで、そしらぬ振りをして、UPしてみたりして)など書いてきました。書きながらかなり奇麗事かいてるなーこんなにキレイゴト書いてて批判がこないんだろうか思いつつ、でもやっぱり現実では言えない事、自分の本音を書くというのが私のブログの趣旨なので、書きました。自慢話も書いてますね。こんなに自慢話書いてたら非難のコメントを書き込まれるんじゃないかとひやひやしながらですが、やっぱり書きました。自慢話は楽しいです。現実にはやっぱりまずいんで、ブログには書いちゃる!一日一ブログが基本ルールなのですが、一つUPしちゃったあとで、どうしてもタイムリーな話題が書きたくなって一日に二つUPしたことも。『終りに見た街』なんかそうですね。ずーっと書いてるとやはりブログですからアクセスが気になる。人気ブログとはほど遠いのでアクセスなんてたかがしれてますが、それでもついつい気になっちゃって。一日の初めはまず、前日のアクセスチェックから。もうこれじゃ完璧はまってますね。しばらく書いているうちに、楽天ブログ村にもなれたので、ちょっとよそのブログ村まで、お出かけ。よそのブログ村のテンプレートを除くとなんか楽天と全然ちがう。隣の芝生は青いものなのでこっちのブログ村もいいな、このテンプレートに変えたいなって思いました。さて、ブログものぞくのだ。見つけたー。かの有名な『ココだけの話』。そこそこの面白さです。もっと見つけたー。『実録鬼嫁日記』破格のおもしろさでした。ドラマになるのも無理ないですね。これ読んだ後で『溺れる冷蔵庫』を読んだら色あせてみえました。うわあ。こんなこと書いて田中さんにみつかったらどうしよう。ぞー。それからやっぱり一応ブロガーですからアクセスアップのノウハウを勉強するためにいろいろとアクセスアップのことを書いたブログを読みに行った。それで結果は?変わんないですね。悲しいですね。やっばり面白いこと書かなきゃだめですね。でも我がブログの趣旨を変えるつもりはありません。でもでも、勉強にはなりました。TBの基本も知りました。そういえば、よそ様のブログにコメントを書いた後、小心者の私はもしかして失礼なことかかなかったかしら、とそのあとしばらくはらはらはらはら。よそのブログは自分で削除できないものねー。でも、コメントを書いたらコメントのお返事を読むのがひそかな楽しみ。だからもう一度そのためだけに見に行って、ドキドキしながら読んでくる。どきどき。 よそのブログを読んでいたらやっばりブログは疲れるから、休肝日ならぬ、休ブログ日を週に一回くらい設けるんだって。確かに。気合でブログ書いてると疲れるもので。今日の見たいに何の趣旨もなく思ってたことをだらだらだらだら書いてる日は楽だけどさ。私もそうするべか。かと思うと一日に5回くらいアップしてる熱血ブロガーさんもいたりする。 携帯もデジカメもないので画像が貼れない。何が悲しいってブロガーやってて、こんな悲しいこと。というわけで悪運の強いうちのだんな様に「次はデジカメ当ててねっ」てお願いしました。この人こないだDVDプレーヤー当てたんですよ。だから次はデジカメね。 でもって、ブロガーって主婦が多いんだって。だんなのことほっぼりだして、夜はブログ書くのに忙しい。しょうがないからダンナはさっさと寝る。こういうのブログマダムというのですって。というわけでブログマダムの一日はアクセスチェックで始まり、ブログアップで終わるのでした。↑一昨日と同じ日渡早紀さんの作品。自分が発明した原爆が世界樹をダメにしてしまったことを嘆くアインシュタイン。彼のために二人の少年が…。
2005年12月20日
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私には今読みたい本があります。 エードリアン・ベリーの『一万年後』です。絶版です。売ってません。在庫もありません。読めません。国会図書館に通いつめるしかありません。 科学の本です。近い未来を予測するのは難しい。でも長いスタンで、たとえば一万年くらいとか。で、なら予測できるのではないか。というのが著者のいわんとするところです。しかし、一万年は長すぎないかいと思わないでもないですが。 今現在かかえる問題。社会の底辺の貧困とか。下に手をかけるのではなく、社会全体のレベルを上げることで底辺も上がるのではないかというのが、ベリーの書いていることです。 そのためには、もっと科学を進歩させよう。宇宙開発をもっと進めよう。 宇宙空間でなら、地上では出来ないような実験もできるし、いろいろなエネルギーや鉱物も採掘できるだろうということでした。 残念ながら、私はこのあたりまでしか読んでいません。 続きが読みたい。↑と言うわけで、清き一票お願いします。ホーキング、未来を語る普及版↑というわけで、今日の本はこれ。
2005年12月19日
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耐震基準は本当に正しいのですか。 昨日のNHKの九時からの番組見ましたか。さすがNHKですね。メインのメンバーがほとんど出てきました。姉歯氏のインタビューもヒューザーの社長も。少し痩せたかな。 今回の事件をテレビのニュース見ながらずっとなにか不思議でした。なんとなく見てただけなのでひっかかるものがなんなのか、よくわかっていませんでした。でも、昨日のテレビを見ていて、だんだんわかってきました。 偽装を始めてから七年も経つのに、話題のマンション75棟はみんな健在で、倒壊していない。ついこないだ確か、震度5近くの地震があったはず。倒壊しないにしろ、かなりゆがんでもよかったはず。告発されて事件になるまで住んでいる人たちが、まるできづかなかったということは、実は大丈夫なマンションだったりしないのでしようか。 鉄筋は法規定の三割まで減らしてあったそうです。三割も減らしていて七年も大丈夫なんてちょっと変だと思いませんか。もっとも最初の頃は三割までには減らしていないかもしれませんが。七割とか八割とかならいざ知らず、最初の基準の三割しかない状態まで減らしても建てる事ができるなんて、ちょっとありえない気がしました。 法で決めた耐震基準が厳しすぎるのではないだろうかと。 テレビを見ていても、シロウトながらこんなに鉄筋いれるものなのかなとちょっと不思議でした。あれだけ減らしても建てられるなんて本当ですか。 普通、ブロックや積み木でタワーを作ろうとすれば、ある程度以上に底辺部に積み木やブロックを使わなければ、絶対その上を組んでいくことはできません。そのある程度という量がタワー建設の最低基準としたら、その三倍 積み木を使うとしたらどう考えても無駄な部分があるというもの。 本当にあんなに鉄筋必要なんでしょうか。 最近、鉄鋼業界が景気がいいとついこないだ聞いたことがあります。「何で?」と聞いたら、「さあ、わからない。」ということでした。 鉄骨、鉄筋が沢山売れるように、耐震基準の規定を作る時に、鉄鋼業界と基準を作っていたお役人さんたちで裏金が動いていたりしなかったのかなあと、ちょっと想像してまいました。 構造計算のできる建築士というのはそれほどいないらしいです。しかも、計算するためには、高額の機械と膨大なソフトがいるらしいです。計算には相当の時間と手間もかかるそうです。 ソフトというのは、法基準の数値内で計算するようにプログラムされているのではないかと想像して、法基準を下回るように数字を設定しようとすれば、建築士にかなりの能力がなければできないのではないでしょうか。構造計算できる建築士が少ない上に、中には習ったとおりにしかできなくて、ソフトによる計算以外は自力では計算できないレベルの建築士もいるとしたら、構造計算のできる建築士と言うのはかなり少ないと思えます。その上で構造計算をして、法基準すれすれにあるいはかなり削減して、鉄筋を減らすような計算ができると言うことは、相当の能力だったのではないでしょうか。偽装しながら、実はここまで落としてもたぶん大丈夫だろうという読みがあったかもしれません。だからこそ、七年も続けられたのかもしれません。 あまりにも法基準が厳しすぎるので、建設業界でも不法とわかっていながら偽装を考えざるを得なかったとしたら。 建設業界にかかわらず、どの業界でも、ある程度の偽装というものはあるのかもしれません。 お医者さんが書いた本なんか読んでると、たとえば、患者さんがAの病気だとして、実はこの病気を治すにはBの病気のための薬が有効だとわかっている。でも、法規定では、Aの病気にBのための薬は処方できない。しかたがないから、患者さんがBの病気といことにして、Bの薬を処方する。ということもあるそうです。お医者さんは儲けるために処方するわけではありません。患者さんのために、良かれと処方するわけです。他にも、本当は初期の段階で薬を出しておけばひどくならずに治るのに、法規定があるから「薬が処方できなくて困る」と言うことを読んだ事もあります。外国で有効性が実証されている薬がありながら、国内でなかなか法的許可がおりないために使えないというのもよくニュースや新聞で見聞きすることです。もっと言えば、法規定のために、国内での手術ができなくて外国に行く話も多いですね。 法規定と言うのはなかなか改定されないし、必ず正しいとは限らない。 そして、法規定をはずすことがわかっていながら、法を守ろうとするとあまりにも苦しい状態になるために、業界全体で、密約の上で、偽装に近いことや不法なことが行われているというのはありえることです。そしてそれは、実はお役所の方でもわかっていることで、法を変えるのが難しいためにお互いに暗黙の了解である場合もありえましょう。 法の規定とはそういうものではないかと思います。 現在の耐震基準というのはもしかして厳しすぎるのかも。 じゃあどうして基準が高いかといえば、なにかトラブルが起きた時、基準が低いとクレームがつけられやすいからです。責任を回避するためには、なるべく高くしておいた方がいいわけです。でも、基準を高くすればそれだけ、建設する段階で材料費がかかり、経費が高くなります。偽装せざるを得なくなる。 では、耐震基準の法規定を低くしてはどうでしょう。たとえば、A B C の 3 パターンの基準を作るとか。構造上あぶなくないぎりぎりのパターンをCとして、現在の基準をAとして、その中間をBとする。そうすればCパターンはかなり建築費と販売額を安くすることができるはず。値段が高くても、高い安全を求めるなら、Aを選ぶ。命のためにCなんて選べないでしょうか。 ちなみに食品業界を考えてみると。食品には添加物入りのものと無添加のものがあり、どの食品も必ず、添加物を明記するように法で決められています。野菜や果物なども、有機栽培のもの、無農薬栽培のもの、農薬をつかったもの、など店頭ではっきり明記されて売られています。有機野菜はAパターンといえましょう。添加物入りはCパターンといえましょう。国民の安全を考えるなら、添加物や農薬を完全に法で禁止するのが一番です。でも、そんなことをしたら、絶対に食品は足りなくなるし、かなり高額になってしまって、高収入の人しか買えなくなってしまうかも知れません。添加物と言うのはかなり危険なものなのですが、危険が表に出てくるにはある程度の年月という猶予があります。みんなある程度の危険を覚悟の上で食品を買っているようです。危険がわかっていながら法的にはここまで。あとは消費者の事故責任に任されているということでしょうか。 マンションや家もこれからは安全を基準にして事故責任で買う時代になるかもしれません。 それにしても、今の耐震基準が本当に正しいのか、今一度優秀なメンバーをそろえて、考え直してもいいのではないかと私は思います。 ここまで考えてみて、なぜ七年も姉歯氏が偽装を続けられたのか、ヒューザーの社長が告発の手前で「ちょっと待って調べなおしてみよう」と言ったのも、「地震が来て見なければわからない」と言ったのも、事件発覚直後にみのもんたの番組に出演してたのも、納得がいくような気がしました。 イーホームズの社長の告発は本当に英断だったのか。ただのチクリだったのか。 今一度、耐震基準が洗いなおされて、規定されなおされてみて初めて、英断といえるかもしれません。 などといろいろ書いちゃいましたが、私は本当にどしろうとですから、めちゃくちゃなことを書いています。ファンタジーと思って読み流してください。 それにしても、姉歯事件のブログを三つも書いちゃったよ。こんなつもりなかったんだけどな。
2005年12月18日
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「お母さんなんて大嫌い!」と、娘が言う。「○○ちゃんなんて大好き!」と、私が言い返す。「……お母さんて、変!」 「どうして?○○ちゃんが捨てた『好き』っていう気持を私が拾ったの。だから、私の中の好きが増えて○○ちゃんのことがもっと好きになったの。」娘は憮然としてかえす言葉をなくしている。 ふふふふふ。 私に勝とうなんて三十年早いですぜ。 娘は今12歳。すごくかわいい。毎日見ていても飽きない。まだまだかわいい。 でも時々三歳の娘や一歳の娘や五歳の娘にもう一度会いたくなる。 娘はちゃんと生きていて毎日かわいい笑顔を見せてくれるのだけど。 小さかった頃の娘にはもう二度と会えない。その時その時せいいっぱい愛してきたのに、まだまだ足りなくて もう一度もう二度もう三度会いたい。 写真を見ながら思い出して、娘の昔の笑顔や、ぬくもりを思い出してみることしかできない。 あと何年、かわいい私の娘でいてくれるのかなぁ。ボクを包む月の光「ぼく地球」次世代編(2)新刊でましたね。読みましたか。
2005年12月17日
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チャン・ツィイー主演で日本の芸者の話を描いた『SAYURI』がロードショーされていますね。 私は日本人なので、外国で作った日本を舞台にした映画をみていると、どうしてもおかしいというところがあるものだから、そういうところが気になってしょうがないのです。細かいことにこだわるこの悪癖には困ったものです。 『ラスト・サムライ』を見た時も設定のめちゃくちゃさばかりが目に付いて、いい映画とは思えなかった。周りの人たちがみんないい映画だったというんだけど、(うちの長男も横で見ていてなかなか良かったといいました)私の頭の中はハテナの嵐。 そういえば昔、『SHOGUN』という映画もあったことを思い出しました。あの時はそれほど不快ではなかった。なぜだろう。私がまだ、若かったから。少なくともヒロインは日本人だった。たしか島田洋子さんだったかな。それから、撮影が日本。言葉も日本語だったような気がする。なにしろ昔なので細かいことはうろ覚えです、すいません。時代考証もあまり無理がなかった。ような気がする。 『ラストサムライ』は、時代考証むちゃくちゃに見えました。ファンタジーと言ってしまえばそれまでですが。 さらに思い出してみると、『ベルサイユのばら』も映画では、ヒロインは白人。このヒロインがフランス人だったか覚えてないよー。撮影場所もパリ、ベルサイユだった。本物の場所。で、英語だったんですよー。若かったから特に何も感じなかったけど。フランス語でも日本語でもなかった。インターナショナルな映画は英語で作るのが常識なのかな。うーん。 日本の漫画は結構外国が舞台の話多いですよね。でも、漫画くらいだと、それほど外国の目に触れないので、国内で「面白いね」と言って終わるんだけど、映画だと国際的に配信されちゃうからね。 じゃ 外国の人たちが読んだらどんな感じがするんだろう。読んでみて感想言って貰わないとわかんないですね。私の知り合いに外人いないしなー。『荒野の少年イサム』とかアメリカ人が見たらどうなのでしょう。日本でウェスタンの映画作ろうって話はさすがにまだないですねー。 外人の監督が日本語の映画作るのは大変と言われてみるとなるほど、確かにーとも思いました。日本の監督や通訳も雇って徹底的にこだわることもできないこともありませんが。 あくまで外国の人間の視点で見た日本であれば、やはりこういう出来になるのでしょう。 日本人が外国の話作ろうとしたら、ご当地の人が100パーセント納得できるものを作るのはやはり無理だろうし、だから作るなといわれるのは困るかもしれない。 日本で日本の芸者の裏側を描く映画はなかったことを思うと(もしかしてあったかも)、この視点で作った映画があってもいいのかもしれません。 外国の話を作ろうとすれば、どこかの国がどこかよそのの国の映画を作るうえで設定のズレはある程度容認するしかないし、そうしなければ作れないだろうし。 やっぱり細かいことをうるさく言ってもしょうがないのかーとつくづく考えちゃいました。 とにかく『SAYURI』を見てこないことにはこれ以上書くのは無理ですね。うほほ。
2005年12月16日
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昨日のテレビはすごかったですねー。おかげで「渡鬼」見られなかったけどさ。 姉歯氏を非難する声多いですね。私は同情側です。上からの圧力で殺人をするっていうのは、結局戦場の一兵卒と同じかなと思って。戦争なら勲章で、平時だと非難されちゃうんですね。もちろん殺人勲章の世の中なんてごめんですけどね。 でも、苦しい現実の生活の中でふらっと悪事に手を染める。これが人の命にかかわるとわかっていながら、目先のお金に手が動く。一番収入がいいからと芥子畑を作って生計をたてる貧しい農村。あるいはスナイパー。似てるね。 やはり法的な規制がこれからの課題なんでしょうね。 私も昔仕事でよくお役所にいろんな書類持ってったけど。お役所なんてものはどこに行っても書類は提出させるだけで中身をチェックしてるようにはみえなかったな。 姉歯氏も言ってたけど 法による管理は必要ですね。 もし、強制されなかったら勉強もしないし、学校も行かないでしょう。法で禁止されていなかったら、腹の立つやつをついその場の激情で殺してしまうかもしれないし。あるいはそこまでいかなくても、道徳観だけで、盗みを抑止することが果たして普通の我々にできるでしょうか。何しろ買い物ってのはほとんど毎日のことだし、世の中には素敵なものがいっぱい売ってますからね。ある日突然ストレスや疲れで、気持の制御がつかなくなって、ふらっとなんてありえるでしょ。もし、法的規制がなかったら、やっちゃう可能性はかなり増えます。普段はあまり認識していませんが、やはり心の奥で監獄を想像しているんでしょうね。無意識に。法で禁じられていて良かったと根性無しの私なんか、感謝してます。 中近東とか暑い国の法律なんかとくに厳しいですね。暑けりゃ暑いほどやはり人の心の制御力は落ちるんでしょうね。昔は手足切り取るとかだったらしいですね。そこまでしないとならなかったんでしょうね。 昨日の子供の学校の面談なんかで、先生と話していて「タバコはやはり注意してます。法で決められたことですから。」と、先生はおっしゃった。でも、私はそのとき言わなかったけど。かんがえました。ちょっとちがうでしょ。タバコは子供の体に(大人もだけど)良くないから禁止なの。だから法律で決めてるの。法のために国民がいるんじゃない。国民を守るために法律はあるんだよ。そこまで生徒に言わないとただルールだから守れでは生徒の心は動かないよ。 ルールは人間のためにある。ルールを守るために人間が生きてるわけじゃない。 姉歯氏は、告発されて、悪事がばれてほっとしているように私には見えました。ずうっと偽装を続けながら、もういい加減こんなことはやりたくないと、思っていたようにも見えました。自分の感情が表にでないように必死に無表情を装っているようにも見えました。 人の弱さがわかっているから、法で規制する仕組みがどこの国にもあるんでしょうね。 建設業というのは「まんねん不況」と呼ばれている業種でして、他の業種に比べて本当にお給料が安いんです。材料代と人件費にかなり経費がかかりますから、儲けは本当に少ないのです。ほとんど赤字寸前です。 建築士なんていうとかっこいいですが、本当に儲かる建築士はどのくらいいるのか。私は息子を建築士にはしたくありません。だって、安いんだもん。せこいかな。 まあ、この問題も複雑で、とてもブログの記事一回では語りきれませんよね。 それにしても総研の白髪頭の爺はゆるせん。↑ということで今回はこの本を選びました。ブログルポ投稿中の記事★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2005年12月15日
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『ノーブレス・オブリージュ』という言葉をご存知ですか。高貴なる者の義務 より地位の高いもの、より立場の高いものは下のもののために果たすべき義務を背負うもの これは本当にかなり地位の高い人、相当知性の高いものにとっての言葉ではありますが。 でもそれはそれとして、 たとえば、両親と小さい子供二人の家族四人で旅行をする。旅行のための荷物は四人分。ではそれを持つのは? 大体まず、お父さん。それからお母さんですよね。 四人平等に同じ量の荷物を持つなんてことはないですよね。 小さな子供たちにまで荷物を持たせることはまずないですよね。 それはやはり より力のあるものが力のないものの分の荷物を持つということ。 人の世界でもまた、より力のあるものが力のないものの分の荷物を持つ。 私は母と折り合いが悪い。何度言っても母は、私が母の言葉でどれほど不愉快な思いをしているか、わかってもらえないからです。あまりにも腹立たしいので、ほとんど喧嘩のように相手を非難することになってしまう。母はがっくりと元気をなくす。母の言葉に不愉快な思いをしているのは私。いくら言っても通じない思いにいらつくのは私。でも、それを解消しようとしていくら言っても通じず、悲しそうな顔をする母に罪悪感を持つのも私。割りにあわないジャン。おかしいじゃん。理不尽だなぁと思った。 でも私にとってできて当たり前のことが、やはり母にはどうしてもできないのだろう。 たとえば体力があるとか、知能がすごく高いとか はっきり眼に見えてわかりやすいものなら、いいのだけれど。目に見えないわかりにくいものは、やはりなかなか納得しずらい。普通の人間なら普通にできるはずのことを、一見普通にみえる人でも、できないということがあるんだなとちょっと最近考えた。いくらいっても通じないのだとしたら、あるいはその相手にとってはとても難しくてどうしてもできないことなのかもしれない。そのときはやはり、不愉快でも、理不尽でも、納得できなくても、できる側ががまんして、その荷物を肩代わりして持ってあげるしかないのかもしれない。 たとえば、健康な人と、病気の人。あるいは、健常者と、障害者。あるいは、すごく頭のいい人と、普通の人と、ちょっとおばかな人と、知能の低い人。(差別的表現がはいっているかもしれません。ごめんなさい。)高収入の人と、低収入のひと。(これはどちらもその人なりに精一杯働いているという前提の元にですけど) 普通な人と、普通じゃない人。(こういうのぱっとみわかんないよね。) なんでこの程度のことわかんないんだろう、できないんだろうと思うこと。 やっぱり能力の高い人、仕事のできる人にどうしても仕事や負担や荷物が集まってしまうもの。大変だなあと思いながら、がんばってひきうけるしかないんですね。 『ノーブレス・オブリージュ』という言葉。きれいだなあと思って、私は結構好きなんですけど。 『オブリージュ』という言葉には「義務」という意味とともに「喜ばせる」という意味があるのだそうです。 うーん。言葉って不思議。 ↑在庫ありません。天(そら)は赤い河のほとり(1)ばらならありますね。日本の女の子がタイムジャンプして、紀元前のヒッタイトに暮らすことになる。彼女はやがてヒッタイト国王の寵を得て、イシュタルと呼ばれ、タワナアンナとしてまさに『ノーブレス』の立場に立つことになります。人の上にたつもののあり方とはどういうことか、ストーリーテラーの篠原千絵さんの作品の最高峰と思えます。
2005年12月14日
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今回の京進事件はかなり教育界を震撼とさせたのでは。 世の中塾、塾、塾、と塾熱、加熱しまくりで、塾行ってない方が変という感じでしたが、この事件で塾熱が少し沈静化してくれたらとも考えています。 このニュースを見て、これからはアルバイトもうっかり雇えないなーという感じでしょうか。 そういえばコンビニの店員なんかアルバイトがあたりまえですが、こういうアルバイト店員に泣かされているコンビニ経営者って結構多いんですよね。お客さんの万引きより店員がお店の商品ちょろまかしたり、お店の売り上げちょろまかしたり、レジのお金もってっちゃったりするんだそうです。おかげで儲けがあぶないって泣いてるコンビニ経営者さんも結構いるらしいです。私の知り合いの知り合いのお宅はコンビニ経営してるのだそうですが、バイトの店員が店の商品やお金を盗まないように、小さな窓を作ってそこから一日中見張っているんだそうです。そこまでするなら自分が働いた方が早いんではとも思いますが、なんか情けないですね。 今時はアルバイトもうっかり雇えない。正社員の場合はきちんと面接して雇う時にも結構神経使ってますが、バイトってわりと簡単に雇っちゃってますよね。いちいち、素性のチェックや前科なんて調べてられないし。 でもこれからはそうもいかないかもしれない。逆に、バイトなんかより、きちんと正社員雇ってきちんと育ててっていう風潮になった方が今のニート、フリーターの世の中にはいいかもしれないですね。企業側は、パートやバイトの方がいつでも解雇できるし、時給も安くて人件費がかからないからという雇用システムから、正規社員をきちんと雇ってきちんと人材育成をするというかつてのシステムに戻っていってくれれば、ニートやフリーター中心の社会も変わっていくかもしれないのではないかと、ちょっと期待しています。多少使えなくても、手をかけ、お金をかけ、労力をかけて人材を育てるって言うのは大事なことだったんですね。最後に堀本沙也乃さんのご冥福をお祈りいたします。
2005年12月13日
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長男が幼稚園だった頃。 印旛沼に遊びに行ってカエルを4、5匹捕まえました。長男が幼稚園に持っていくというので、軽い気持でもっていったのですが。そのまま、幼稚園の長男のクラスの動物たちの一員になってしまいました。なにしろカエルですから。なんと幼稚園のクラスの男の子たちが毎日生きた虫、蝿とか を何匹も捕まえて餌にしてくれていたのです。いったい何匹捕まえつづけてくれたのでしょう。深く考えもせずカエルなんか持参しちゃってよかったのかな。 でも、先生はいやな顔をするでなく、ごく当たり前という態度でカエルをひきとってくれました。そして、カエルの世話や餌やりもクラスのみんなが当たり前のように世話をしていたようでした。そんに風にいろんな生き物との生活が、子供たちに大切なものを教えてくれていたようでした。 その後、その学期が終わった段階で、カエルはまた我が家に帰ってきましたが、私にはとてもそんなに毎日ムシをつかまえるなんてできませんから。しょうがないので近くの公園の池に放してあげました。 それにしても、そんなカエルを引き受けてクラスの中で預かってくださったなんて なんと懐の深い幼稚園だったのでしょう。もちろんその幼稚園のそんなところが良くて選んだ幼稚園ではあるのですが。 自由保育主体の幼稚園でしたから、あまり子供たちに強制を強いるようなこともなく、保育の時間ずっとすき放題遊んでこれる幼稚園ではありましたが。 鼓笛もなく、運動会も子供に負担のないよう平日の半日だけ。遠足も親の付き添いはなく、発表会も派手の衣装などなく、クラスごとの自然な形のものでした。 自由保育は 学校に行ってから子供がきちんとできないのではないか とよく言われますが、そんなことは全然なく、長男は小学校ではきちんと小学校のシステムにはいりこんでいました。 やっぱりいい幼稚園だったのかなーとついふっと思い出してしまいました。↑森本梢子さんのわたしがママよを貼ろうと思ったら画像がなくってー。
2005年12月12日
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なんか似てるなーと思ってしまって。 どちらも周りで気づいてる人間がいるんですね。でも、摘発できない。 やってる当事者も摘発されないだろうとタカをくくって悪事をつづける。 たとえば学校のトイレでいじめっ子がいじめる相手を個室にとじこめる。それを見かける子がかならずいるはずです。普通なら、道徳的に考えるなら、こんなことやってるの止めるはず。あるいは、先生に言いに行くはず。でも、今の子はどちらもやりません。自分がその現場を目撃したことをいじめっ子に見られていますから、もし、先生に言いに行けば告げ口したことは自明。そうなれば、今度は自分がいじめられるかもしれない。みんなそのことをわかっているのですね。 私も娘に聞いてみましてた。やっぱりしらんふりするだろうという答えでした。私が今中学生だったらやっぱりしらんふりしたかもしれません。 摘発できないんですよね。みんな知ってて、見てて、気がついてて、でも、そのままでいってしまう。 耐震偽装問題もニュースを見ていると、何人もおかしいことに気づいた人がいるそうです。でも、誰も摘発しなかった。声をあげなかった。 日本という国は「ナアナアイズム」がある。なにかあっても体外まあいいじゃんと言われてしまう場面がとても多い。そんな考え方をすることがすごく当たり前になっている。 『ドラゴン桜』を見ていた時もヒロインが言ったセリフ。「別にいいじゃん。そんなことどうだって。」このセリフ。普段の生活でもものすごくよく聞く事のあったセリフ。 そろそろこんな「ナアナアイズム」とはさよならしたい。 それにしても摘発できない日本の現状。 せめて子供たちの世界。摘発しても自分に危険の及ばないよう、学校のシステムを変えていけないものなのか。世論をあげていくしかないですね。 とりあえず今 娘の学校ではここまでひどいいじめだけはありません。 子供たちの心が擦り切れていかないよう 親は気をつけて見守っていくべきなのでしよう。↑シュタイナーの本です。今度は七歳以上のお話。この本を読んでいると子供は大好きといって抱きしめていれば自分の力で成長していくんだと思えて安心できるのです。 ブログルポ投稿中の記事★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2005年12月11日
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いつもブログを読ませていただいてるぴすけっとさんのところでバトンを見かけたので私もやってみることにしました。次にうけとってもらえる予定はぜんぜんありませんが、書いてみるだけ書いてみます。ブログの世界にはこんなものまであったのですね。なんか面白い。バトンにもいろんなものがあるらしい。チェーンメールとは違ってなかなか素敵な企画ですね。Q1.小さい頃、何になりたかった?漫画家 絵が好きだったので、せっせと漫画を描いては漫画雑誌に投稿していました。でも、へたくそだったから。やっぱり夢で終わりました。でも私がいた高校の漫画サークルでは三人 ホントにプロになりました。あの三人その後どうしているだろう。Q2.その夢は叶いましたか?当然かなってません。でもなりたいものがあってがんばってた思い出だけでもいいかもしれない。Q3.現在の夢は?世界中のいろんなところに旅してみたい。いろんなものを見たい。いろんなことをしりたい。Q4.宝くじ3億円当たったら?海外旅行Q5.あなたにとって夢の様な世界とは?頭痛と肩こりのない世界。どんなに食べても太らない世界。なんかなさけない。Q6.昨晩みた夢は?(゚▽^*)ぁは☆覚えてません。ぜんぜん。実は夢の世界の番人に内緒にしてね。と言われてまして、だから内緒。Q7.この人の夢の話をきいてみたいと思う人は?私が知ってる全ての人。でもね、夢の世界の番人さんに寂しいからみんなに遊びに来て欲しいのって言われてるんです。よろしくね。↑シュタイナーの本。やさしくてわかりやすい素敵な本です。
2005年12月10日
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50万人突破ですか。そんなにいたんですね。楽天ブログ村には。正月休みに入って暇な人が試しにブログを始める。ということで。でも、もっと本は充実して欲しいよ。知識層の開拓なくして、高額商品売り上げの増加はありえないと思いますが。どうでしょうね。ついでに送料ゼロになる対策お願いしますね。ついでにカテゴリがホビー系しかない。政治とか経済とか、社会問題とか哲学とか、コラムとかないのかな。知識層の開拓なくして高額商品の売り上げ増加はありえないよ。
2005年12月09日
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最近は小学校の卒業記念に「ディズニーランド」に友達同士数人で(子供だけで)遊びに行くといのが流行なんです。もちろん東京だけの話だと思う。というかどこの地域までこの常識が通用するのかわかりません。 実はうちは車で20分でディズニーランドに行けるところに住んでいるのです。いったいこんな習慣がいつ始まったのだかぜんぜんわかりません。 何年か前読んだ中学受験の本で、受験が終わった塾仲間同士でディズニーランドに行った、という記述があった。受験の終わった塾仲間で行っていたのが、いつのまにか受験をしない普通の六年生にまで広がったのかな。 それにしたって子供はいいよ。楽しいし。でもねー親同士はどうしましょうってんで電話したり、相談したり、いくら持たせるとかだれそれの家が送り迎えするとか、お礼にいくら出そうとか、裏の打ち合わせが大変なんですよ。しかも、お金かかるし。普段から付き合いがあって中のいい親同士ならまだ、いいわよ。でも、ここ ここに至って初めて電話したとか、口利いたとか 初対面で相手の価値観もわからない状態で打ち合わせして調整しなきゃなんなかったんですぜ。カンベンしてほしいですよ。 しかも、この冬休みに「また行きたい」とか言い出すし。あんたこないだの3月に行ったばかりなのでは。 そんでもって「何でいけないの。」とか平気で言い出すし。 先日つくづく話をしてみたら、なんと、「ディズニーランドって言うのは各都道府県に一個ずつあるもんだと思ってた。」ですってー。ほんと?ホントにそう思ってたの? 思わず脱力。 「世界に確かよっつか、いつつくらいしかないものなんだよ。」って言ったら、「そっそうだったの。うちんちってすごいんだねー。」ですと。母、脱力です。 ちなみにお友達に聞いてみたら「うちは年に二回くらい友達同士で行かせてるわよー。」と言われた。 で、別の友達は 「小学生だけでなんてとんでもないと言ってやめさせた。」だそうです。さらに別の友達。「うちは年パス持ってて、ディズニーフリークだから年がら年中勝手に行ってる。」だそうです。もっともここの子はもう中三だったから。それに自転車で勝手に行ってるみたいだし。 ことほど左様に家ごとに子育ての方針と価値観はちがう。 いったい私はどうすればいいんでしょう。 ついでにすごい話。娘の小学校のクラスメートのお家。お金持ち。土地持ち。なんと、ディズニーランドに土地を貸しているんだそうです。ここまでくると脱力なんてもんじゃないですね。 まあねーあのあたり。埋立地だし。私が子供の頃はただの荒野だった。こんなところ誰が住むのって言うくらいの、のっぱらだった。父から「あそこにいずれおっきな遊園地ができるらしいぞ。」と聞いても信用していませんでした。あのころ あのあたりの土地を買っておいたら、お金持ちだったかも。そんなお金あったかしら。でも、その当時なら二束三文で買えただろうなぁ。 今日も夜になるとディズニーランドの花火の音が聞こえることでしょう。↑おもしろいです。あの田淵由美子もいまや二児の母。ブログルポ投稿中の記事★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2005年12月09日
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長男の担任の先生はなかなか美人の女の先生です。男子校入れたのに女の先生が担任になるとは。しかも化学の先生。 しかし、担任が化学の先生にもかかわらず、長男は化学にげんなり。長男には美人の先生なんてものはどうでもいいらしい。暗記が多すぎる。とぼやいています。あんたこないだ古文にもうんざりしてたんじゃ。そんでもってせっかく覚えた歴史もどんどん忘れてく~~。とさらにぼやいている始末。 そろそろ期末も近づいてきました。日曜も一日化学をやってましたが。いやあ私なんか化学なんてすーっかり忘れてます。ぜんぜん覚えてない。化学?さて、授業で何やったんだろう。人間の記憶力ってすごい。全部忘れてる。いやあ、おみごと。おみごと。 しかし、Hはたしか水素、Oはたしか酸素、やった少しは覚えてた。 長男の勉強少し手伝ったんだけどさ。覚えたから質問してっていうあれですよ。濃硫酸、硫酸、硝酸、塩酸、フッ素にハロゲン そんでもって膨大な量の化学式。ほんとに覚えられるんですか。ほんとに覚えていられるんですか。 私にはムリだな。忘れる前にそもそも頭に入らない。 やっぱりね、勉強は若いうちじゃないとね。もう、私は歳ですからね。ムリですね。ま、私がやるわけじゃないですしね。 がんばってね。長男。 でもね、こんなに忘れちゃったってことは、過去にあったいやなことも、自覚ないけど忘れてるってことだよね。忘却もまた、神様からの贈り物。そうじゃないと頭パンクしちゃうでしょ。よかった。よかった。 でもう。がんばって勉強したことも忘れちゃうわけで、神様っていじわるでもあるよね。 覚えていたいことは覚えていられて忘れたいことはぱぱっと忘れられたらいいのに。などと書いているうちにとうとう明日から期末試験です。化学に三日 数学に三日かけてなんとか攻略した様子。健闘を祈るぜ 長男。ブログルポ投稿中の記事★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2005年12月08日
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娘の行った小学校と娘の行ってる中学校は、日本語学級があるので他の学校に比べて外国人の比率が高い。中国人とかフィリピン人とかあとー、なんだっけ。 それにしても最近増えたよね。東南アジア系の奥さんたち。でもね、なんか居心地悪そう。日本は確かに物が豊かで、暮らしやすい国だと思う。でも、日本人というのは結構閉鎖的な国民だから、外国人の奥さんたちはなかなか日本人の奥さんたちの和の中には入りにくい。こちら側にすれば、東南アジアの国となるとあまり豊かな国ではないし、よくわからない人と仲良くするのにはちょっと勇気がいる。うっかり家には呼びづらい。だから外国人の女性たちは物は豊かでもなかなか友達も作りにくいし、孤独でさびしい生活をすることになる可能性が高い。私は人種差別を言いたいわけではない。でも、自分の国を捨てて外国に来ても、物質的には豊かでも、本当に楽しい生活があるわけじゃない。自分自身の国を良くしようとしないで、他人が作った良い環境の世界に入り込んでもダメジャンと思う。自分たちの国を良くするほうが大切だろう。でも、そんなことを彼女たちに言ってみても始まらない。彼女たちだって好きで母国を出てきたわけじゃないだろう。 日本の税制はお金持ちにとって優しくないらしい。がんばって働いてもばんばん税金に持っていかれる。だから、お金持ちの人たちは外国に逃げ出そうと考えるらしい。外国に行けばせっかくがんばって稼いだお金を税務署に持っていかれることもない。 でも、そんな風にして自分の国をほっぽり出して外国に行って、本当にいいの? 今は確かに世界的に認められているから、日本人が外国に行ってもいい待遇を受けることができる。たとえば、南アフリカ共和国みたいな人種差別のチョー激しい国でも、日本人は白人と同じ待遇を受けることができるらしい。大企業の転勤で南ア共に行くと向こうの白人社会の仲間に入れてくれる。つまり黄色人種にもかかわらず白人扱いされるらしいのだ。それは、結局 日本が経済力があって、それが世界的にも認められているからだろう。肌の色よりお金。ってか。 香港からマカオに旅行した時も、日本人とわかった途端になんのチェックもなく税関を通してくれた。日本人は大事なお客様だからね。それはやっぱり日本の国の力なんだろう。日本の国の人たちが日本の国を良くするためにがんばってきてくれたおかげ。 日本の国をほっぽり出して自分のお金を守るために外国に行ったとしても、もし、日本という国ががたがたになってぼろぼろになって貧乏になって、世界的な偏差値が30くらいになっちゃったら、たとえお金をもって外国に住んでいても、そのお金を守るために外国に来たはずなのに、守るためのお金をいっぱい使わなくちゃ生きていけなくなっちゃうかも知れないよ。戦争になれば捕虜にされちゃうかもしれないよ。 そんにたくさんお金があるなら、お金持ち同士集まって日本を変える力が、普通の人よりあるはずでしょう。使ったお金はもっと大きくなって帰ってくるよ。自分の国をこそ良くするために。 私が目指したいのはノーボーダー。でも、自分の国を愛して大切にすることもやっぱり大事なんだ。世界中の人たちが自分の国を愛して大切にすれば、いつか国境が、知らないうちになくなる日が来るかもしれないよ。 でも、税務署はなくならないな。おおっとー。この記事を評価するブログルポ投稿中の記事★ 『地球幼年期の終わり』★ 映画原作の小説『博士の愛した数式』★ 『博士の愛した数式』★ 美術は大事★ 言葉はナマモノ★ 『男たちの大和』その2★ 女の子の世界はむずかしい★ 『東大法学部』★ 教えられたようにヒトは行動する★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2005年12月07日
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