全7件 (7件中 1-7件目)
1
仕事帰りに千駄ヶ谷で「羽衣」を観て、その後渋谷で「奈須與市語」を鑑賞。「羽衣」は宝生流武田孝史シテで小書<盤渉バンシキ>が付く。今月の宝生会月並能も、2月の能楽協会公演式能(←今年は行かない)も同じ小書。何も同じ小書を繰り返さなくても、と思っていたら、後ろの席の人も同じようなことを言っていた。 「與市」は三宅藤九郎。海岸の風景が淡々とした語りの中に浮かび上がる。後半ちょっと身体の芯がぶれた感じで、「おや?」と思ったが、公演最後のトークですごい声を披露、なんと風邪を引いていたそうだ。最悪の状態から抜け出して回復期とのこと。声自体が、ひどいコンディションだとは思わなかったが、身体のぶれは苦しさゆえか。 「扇の的」の章段で知られる『平家物語』の挿話。戦乱下にあって、平家方が出した扇を、源氏方の代表として与一宗高(表記は伝本によって様々)が射抜く。『平家物語』ではここで章段が「弓流し」に移り、見事に射抜いた与一を讃えるのか、平家方からはジイサンが登場して舞を舞う。しかし与一はそのジイサンも射抜いてしまい、一気に興醒めする。能「八島(屋島)」の替えの間狂言である「奈須與市語(題名表記は流儀によって小異あり)」はそこまでは語らず、華やかな閉幕となる。 能「八島」の前場からの展開からすると、与一に関わる間狂言は唐突で、前場の再現とか語り直しという役割はない。強いて言うならば、後場の“弓流し”の話と弓繋がりにはなるが。 中学国語の教科書が光村だった自分は、今なお光村が2年で「扇の的」を採用しているのが嬉しい。文法とか単語に走らず、こういう古典作品をお話としてでも知っておくということは、長い目で見て大事なことだと思う。いくら英語が流暢に話せても、自分の国の文化が説明できなければ、相手も信用しないだろうに。
2006.01.28
コメント(0)
すごい格好をして有楽町から出光美術館に行く。「古今和歌集1100年記念祭」と銘打たれたなんとも雅な展覧会だ。人麿が君を待っている♪ 第1の目玉は三十六歌仙絵集成。今回は9点(前期は7点、でもそのうちの1つは既に公開終了<残念)が揃う!もうそれだけですごい。伝藤原信実の絵がなんとも温和端雅な雰囲気で迎えてくれる。 だが、それ以上にすごいのは人麿影。和歌の世界では聖人として神格化された柿本人麿は、「影供エイグ」という形で絵画化され神聖視されていった。この人麿の図像が鎌倉時代から近世岩佐又兵衛まで、ドンドンドーンと一堂に会する。そして、この構図を元に派生した作品も収めるのが今回の特色。テーマが鮮明で、和歌の人間にはもぅ、たまら~んな展示であった。 幾つか翻字エラーがあったりしたが、それはこの手の展観にはつきものなので、それもご愛敬ということで。 いやぁ、眼福眼福。会期は今月29日でいったん展示替えで、2月12日まで。必見。
2006.01.24
コメント(12)
京成佐倉から大門へ移動し、夜は劇団四季の「鹿鳴館」。劇団四季のストレイト・プレイは初めての鑑賞。 三島由紀夫31歳の時の戯曲で、馬込に移り住むちょっと前の作品。ちなみに南馬込の邸宅は“大森鹿鳴館”と呼ばれる毀誉褒貶なかばするもの。確かに印象としては同質かもしれない。 原作の豊穣なことばは役者を翻弄する。台詞のリズムに追いつけない方も少々。四季の俳優にしてそうなのだから、いかに三島の文体が独特かがわかる。舞台装置は下品にならず、予想以上にシンプル。どろどろの情念は、これくらい簡素なセットのほうが良いかもしれない。 「鹿鳴館」は洋の東西という2項対立も見えるけれども、やはり重要なのは父性・母性ではないかと思う。全力で庇護しようとする母朝子、政治という面しか見せないその夫影山伯爵。2人の思惑を裏切って、予想外の結末を迎える久雄。久雄は死を選ぶことで勝利するわけだが、そうした思想のある点が、やはり三島だからだろうか。 休憩の終わり頃、ぱっと人目を引くハンサムな人が自分の脇を通ったのだが、私の目に狂いがなければ石丸幹二さんだと思う。観に来ていたのだろうか。舞台で観る以上にくっきりとして甘い顔立ち、なるほど女性ファンが多いのもうなずける。って違ったりして。
2006.01.19
コメント(16)
学生の書いた教員免許申請書と同僚さんの作ってくれたデータを、千葉市まで持参。一括申請書類を教員が愛情とともに届ける昭和学院である(マジ?)。 帰りは遠回りをして、佐倉へ。歴史民俗博物館、通称歴博の新収蔵資料展を見学するためだ。楽しみにしていた狩野探玄描「桃太郎画伝絵巻」が横にあるのをじっと我慢して、まずは[描かれた怪異・妖怪]テーマの摺物から拝見。幕末・明治の妖怪版画はどれも状態が良く、なぜにこのようなものを大事にしていたのかと思う反面、そうした保存をしていた好事家さんに感謝。 化け物の後は、近世期の絵巻として残る「桃太郎画伝絵巻」。この桃太郎はいわゆる“回春型”ではなく“果生型”の桃から生まれた男の子の話。鬼退治出発前の、成長期の絵が、働く爺さん・婆さんの脇で煙管をふかしているところが、なんとも俗っぽい。甘やかしているのか?爺さん婆さん。 それ以外は我々が通常知る「桃太郎」の展開である。思文閣の検索によれば、幕末の幕府お抱えの絵師だったようだが、どうしてそんな人がこんな絵巻を描いたのだろう、と思うと面白い。 さて、高貴な方々の雅な文芸を研究しているはずの佐藤研が、なぜこんな話題を書くのか、という話もあるが、どうも根が俗っぽいせいか、こういう妖怪変化や昔話が実は好きだったりするのである。もちろん、興味だけではなく『保元物語』との関わりを通してまだ書きたいこともあるし、現実問題としても看過できない作品だからだ。 収蔵展なので点数は少ないけれども、上記の他、絵画では死絵(死亡告知と役者絵を合わせたようなもの)があり、さらに着物や年中行事ものなど近世末期から明治の世態風俗を知る貴重な資料が揃っている。 歴博といえば……(←ここの思考展開は余人の知るところではない→)今期のJR冬の京都キャンペーンのポスターに和服を着た渋そうなオヤジが登場する。斜め後ろからしか写っていないのだが、見た瞬間に某研究者を思い浮かべた。確認したら、やはり某氏だった。大学院で1年お世話になったのだけれどもあまり変わっておられないご様子何よりである。こちらのことは覚えちゃいないだろうが。
2006.01.19
コメント(0)
「邯鄲」でボロ泣きになり、涙の乾く暇もなく隼町へ。今日は「語りの世界」という公演で、声明ショウミョウ・平家琵琶・説教・絵解きの4分野を一度に鑑賞できる。 第1部が天台声明・平家琵琶「那須与一」・節付説教「弘法大師御入定の段」・「當麻曼荼羅絵解」、第2部は真言声明・平家琵琶「宇治川先陣争」・節付説教「寺岡平右衛門の段―忠臣蔵―」・「道成寺縁起絵解」。自分としては第1部を観たかったのだが、仕事帰りで1時スタートに間に合わないことと、千駄ヶ谷での「邯鄲」を捨てがたく、仕方なしに2部を鑑賞。 語り物は、書承に関わる問題を扱う自分には埒外のものであるので、純粋に楽しめる。何百年も全く同じ形であった、なんていう幻想は誰も持たないだろうが、そういう昔から変容しながらも受け継がれてきた、という点がすごいと思う。語りの口調・音階なんかも興味深い。 そういえば、何年か前に国立能楽堂で絵解きと能の企画公演があって、その時も<道成寺>が出ていた。たしか、その時も<道成寺>公演の他に<當麻寺>公演があったのではないかと思う(資料は既に廃棄<確認できず)。また今回も當麻曼荼羅絵解はお預けになった。 それにしても、連日公演の歌舞伎・文楽ならともかく、1回こっきりの公演を、能楽堂と国立小劇場でぶつけるというのはどうなんだろう。同じ法人なんだから調整してほしいところである。 小劇場のお隣大劇場はものものしい雰囲気。どうも宮家の警備ともチト違うと思っていたら、どうやら最近イバリンボさんの政治家が来ていたらしい。そちらの終演とこちらの開演がかさなったようで、SPゾロゾロ、入り口は混乱。
2006.01.14
コメント(0)
佐藤研の勤める短期大学は、学生休業中も日直という素敵な仕事が体験できる。夏季休業中などは結構学生の出入りもあるし、冬季休業でも年末は教員・学生いずれもバタバタとしている。だが、さすがに今日のような年始早々、ましてや極寒の日に大学に来る酔狂人は少なく、日直出勤をしていてもとても静か。もちろん“日直さん”なわけなので、研究室にこもっていられるわけでもなく、事務室にいなければならない。この時期は、理系などの先生が来ることは当然としても、業者関係の方の挨拶が意外と多いのである。「通常の先生方はまだ来てませんけど(あっ、自分も教員ですけどねっ)」ってアポなしの業者さんに詫びたりする。あとは事務方さんの仕事の教務的なことを手伝ったりして、案外と早く1日が経っていく。森博嗣さんの小説は某大学助教授の話を書いているが、こういう体験ってないんだろうなぁ、とちょっぴり自慢。 その合間には、事務室に持ち込んだアナログ作業を行う。我々の業界でアナログ作業といえば、もう翻字しかない。ひたすら某歌書(中身は秘密)の写本の本文ホンモンをチェックし続ける。これならば、「○○公民館ですが、公開講座の件で……」という問い合わせも、「佐藤さん、この先生は前期何コマだねぇ?」「一昨年のシラバスないかねぇ?」(←内輪ウケ)という質問にも対応しつつ、自分の作業を続けていられる。1日を終えると、200首近い本文がチェックできた。頑張ったなぁ、自分。今日も酒が美味いぞ。
2006.01.05
コメント(4)
国立劇場の歌舞伎1月公演は「曽我梅菊念力弦」。訓は“そがきょうだいおもいのはりゆみ”読めねーっ。新春は曾我物だった近世後期、鶴屋南北によって書かれた作品で、168年ぶりの復曲を通し狂言で上演する。膨大な分量の原作に手を加えてすっきりとまとめた、という感じだが、面白さは今ひとつ。台詞の入っていないように見受けられる方もいらした。 それにしても、本当に『曾我物語』の強さというか、底力というか、“曾我”と付けさえすればそれでOKという感じがなくもない。名刀<天国>をめぐる展開や意外な出会いとか見せ場はふんだんであるけれども、曾我兄弟はどこに!?である。もちろん、こういう作品はこればかりではなく、むしろこういう形のほうが多い気もする。 3幕目鴫立沢(相模国)の場面は工藤祐経と五郎時致の対面場面で、敵討ちを逸る時致に対して、時節を待てと祐経が諭す。そしてお約束の富士の狩場への通行手形を投げてよこす。待ってましたぁ!なところだが、そういう盛り上がりは少なく、あくまでも世話物に曾我をブレンドすることに終始する。なんたって兄十郎祐成が登場しないし。 新春恒例手拭い撒きが最後にあり、舞台からは盛大に手拭いが撒かれる。昨年の新春寄席についで、今年もなぜかゲット。そんなに前の席ではなかったので、来るわけないと思っていたら、花道方向からのブツが自分に向かって飛んできた。ちょっと嬉しい♪手拭いゲットに免じて今日の気分アイコンは“うれしい”を選択。
2006.01.04
コメント(0)
全7件 (7件中 1-7件目)
1