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遅れていた図書館の機能をあげるため、勤務先では蔵書の整理が始まっている。今年は図書館委員は外れたのだけれども、廃棄図書と登録優先図書の選定は各教員が専門分野を行なうため、私は教育学と日本語・日本文学をやっている。とりあえず、9月の空き時間に規定のミッションを終わらせると次の話が持ち上がった。理系と違い古い本が廃棄にならない文学系であるけれども、複本の整理をするべきかという話で、そこに上がったのが、古典の全集関係、端的に言うと岩波旧大系と小学館旧全集。 学年100人の定員(全学総定員360人)という小さな職場ではあるが、古典大系が3セット、全集が2セット、ものによっては4冊目・5冊目も見つかる。学科が廃止になり、本があちらやこちら、さして広いわけでもない大学に散在するため、それらを見つけ出し、登録カード(カードです<笑)と照合させ、もっとも状態の良い本で1セット揃えていく。そのままテニスコートに立ちそうな格好で、私は何をやっているのだろうか? それはさておき、今さらながら、古い基本図書は揃っているなぁ。学術雑誌も作文教育やら国語教育やらの戦後間もないものが揃いであったり、京大『国語国文』の前身『国語国文の研究』、『言語と文芸』も揃いであるし。 小学館『古語大』が4冊見つかったのは驚きを通り越して、呆れたけど。
2006.09.30
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火曜日の後期スタートは雨。あぁ、前期に続いてまたも雨かよ……先週まで火曜日の天気は良かったのに、なぜに授業が始まると雨になるかね。というわけで、可愛い後輩の待つ相模原は雨(と暴風)で荒れていた。 後期初回は『金槐和歌集』。二所詣の話などもしつつ、異本の話もして、学生に和歌を読ませて……怒濤の授業だったに違いない。申し訳ない。 実朝の和歌は学部と院と2回勉強させていただいた。ありがたいことである。もう1つの非常勤先でやり始めたイソポも学部から院の頃にリクエスト復刊(角川)があって、その後岩波文庫も復刊され、買い置いたものを今利用している。あの頃に吸収しているものは、教える側に立って役立つものが多いなぁ、と思う。 それにしても、不思議な縁からとはいえ、非常勤も増えて後期は忙しくなりそうだ。こういう授業を通して、考えていることをまとめなくてはと思う。
2006.09.26
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櫻間金記さんの会が第15回目ということで、宝生の別会を取らずにこちらを選択。修羅能の中でも老成感の強い作品「実盛」を謡う上に、15回記念の会らしく「石橋」に<群勢>の小書付を舞う。 「実盛」は老人であることを隠すために髪を染めて戦場に赴いた実盛の霊が合戦の様を語る。そういう老成された世界の能で、老人物としては動きが多いけれども、修羅能としては静かな曲ではなかろうか。この曲の面白いところは、既に言及されているように実盛没後およそ230年を経て、実盛と遊行上人とを繋ぐ風聞があって、そこから制作された作品であるということ。当時の風聞が作品化されていくのは、歌舞伎ではよく見られるけれども、能では珍しい。 「石橋」は小書が付くと動きの派手になる物が多い中で、この<群勢>は人数こそ4人(白獅子1シテ・赤獅子3ツレ)であるが、どっしりした白獅子を中心に、上下運動は少ない。赤の1人(おそらく山中一馬さん)が大きく動く以外は、4体の構成美を見せる印象が強い。櫻間金記さんらしい芯のしっかりした舞で、肩とか腰とかのブレがない。 来年は同じく9月24日、「通小町<イロエノハタラキ>」に、金春宗家・本田光洋さん出演の「土蜘」だそうだ。轍の会同様、お二人の活躍を楽しめそう。
2006.09.24
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秋分の日ゆえ、墓参り。寺から歩いて六本木まで出て、ちょっと時間をつぶしてから母校の大学へ。今日は大学全体のホームカミングディというのか、同窓会が行なわれている。転びそうなウェスレー様(<罰当たり)が見下ろす正門前では、アース・ウィンドアンドファイアの曲が流れていた。いかにもあそこの学校らしい。 日文は創立40周年記念の同窓会、1年の基礎演習担当だった先生が学長としてご挨拶に立つ。狂言の会で時折お目にかかるので、そんなに年とも思っていなかったのだが、なんと68歳になるそうで。いやぁいつまでもお若くていらっしゃる。『戦場の精神史』で賞をお取りになった先生の講演、続いて卒業生として“音”ファミリーの観世流シテ方さんを交えた能(仕舞)の実演。あの学年の辺りは坂井・武田・山脇君たちがかたまっていたはずだ。なんだか、中世特集になってしまったが、この2つの組み合わせは、結構贅沢だと思う。 懇親会は失礼させていただいたが、私の最初のお師匠の奥様とか、次のお師匠にもお目にかかれて良かった。あぁ、研究しなきゃ……
2006.09.23
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今日から稲城の大学で非常勤の授業が始まる。I市で梨の産地というのが本務校と共通していて面白い。前半は『伊曾保』を読んでいく予定で、『日葡辞書』なんかも大活躍する。ニッコク(日本国語大辞典:小学館)の時、邦訳『日葡』はもとより影印も舐めるように見ていた私としては、手持ちの『日葡』が活用できて嬉しい。1限は表記・音韻などを考えていく。2限は「Xemito aritono coto」が1つめの作品。プリントを配ると、指示を出してもいないのにみんな解読に入って軽く盛り上がる。こういう反応は嬉しい。「子どもの頃のではなく、もう1回ちゃんと読んでみたい」というコメントも何人かあって、こういう辺りも日文学生らしい。 残念なことに、岩波も角川も文庫では天草版がもう入手困難になっている。また復刊すれば、学生も入手しやすくなるのに、残念である。 なにはともあれ、半年間よろしく。
2006.09.22
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ごく一部の学生を除き、今週で幼稚園教育実習が終了。先生方と結構話が合ったりして、実習生をよそに(実習中)長時間話し込む園もあった。話している感じも、保育所よりは中学の教育実習挨拶に近い感じがする。 幾つか挨拶に伺った中で、2園で英語教育の話が上がった。園としては、子どもの大切な時期に英語よりも日本語を大切にしたいのに、ご父母からの要請が強いらしい。しかも、お母様がたの日本語自体を最優先で教育したい、という切実な話を伺えた。子どもにとって最も大切なのは家庭における言語環境なわけで、それがちょっと“???”な環境であるにも拘わらず、英語を学ばせて欲しいという要望が多いということだろう。 こういう話を聞いていつも思い出すのは清水義範の「永遠のジャック&ベティ」だ。ジャックとベティといえば自分の両親の世代の中学校教材(開隆堂)の王道だが、そこで学ばれたであろう会話のみで50年後に再会するジャックとベティという話。抱腹絶倒の短編小説で、いかに外国語教育が歪んでいるかを痛感する。 たとえば、中学校1年で学ぶorを使った例文。今でも覚えているが、「これはリンゴですか、それともオレンジですか?」なんて、こういう質問をする人自体がおかしい、と言って頭を叩かれたのは何を隠そう私である(こういう態度だと、中間・期末いつでも90点以上取ろうが、業者テストが1ケタだろうが成績は‘4’なのである<ムカツク)。 まぁ、そんな話で盛り上がって、そんなに英語が必要か?って現場の教員はみんなわかっているのに、わけのわからない方向に進んでいるなぁと。そもそも外国語教育じゃないし。 こういう話ができて、実り多い実習挨拶だった。
2006.09.15
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宝生会月並能の公演。入り口に向かおうとするところで、とても懐かしい方に出会う。私の(書類上の)4番目の師匠である。退官と同時に一切の公務を離れたのだが、それはご事情あってのこと。当時は私にまで世間様から色々と質問があった(サグリを入れるというか……)が、それももう昔の話である。奥様とお二人での能鑑賞で、とても久しぶりのことだと伺う。ホールと違ってたいした人数ではないが、入り口でばったりというのは本当に奇遇だ。お元気そうでなにより。 さて、最初の番組は「清経」。別段珍しくない作品だが、ここともう1つのブログにお立ち寄りの方はお気付きだろう。実は私には超稀曲である。先日の銕仙会も鑑賞しないで帰ったのだが(仕事さっ<涙)、とにかく縁がない。実はこのブログ(その前の日記時代も含め)で、初めてこの曲名を記すほどだ。 そもそも『平家物語』としては格別魅力的な人物ではなく、その他大勢の1人という感じが強い。一方能の世界では、近年数多く演じられた<恋之音取(ネトリ)>の小書まであり、比較的多く上演されている。修羅能らしい修羅道の苦しみは“付けたり”的だし、優美さが勝りがちな気もするのだが、わりと人気な曲だろうか。 シテは小林与志郎さん。簡素にして優美という風情で、すばらしい地謡に盛り上げられ、なかなか良かった。ツレがもうちょっとなんとかなったら、と思わないでもなかったが……。面に描かれた毛筋と鬢がはっきりずれているのは、この流儀としては珍しいのでは。着付けも…… 詞章に出てくる歌の本文は『平家』諸本で多少に違いがある。この辺りはちょっと興味深い。 能の次の狂言は大蔵流山本家の「素袍落」。東次郎さんがすごい!能の会でここまで見させていただいていいのですか?というくらいすごかった。酒の匂いが席まで漂いそうというか、一緒に酒が飲みたくて喉が鳴るというか。 「班女」のおシテさんや「紅葉狩」も楽しみだったのだが、校務のため狂言後の休憩で能楽堂を出る。返す返すも残念。自分のコンディションがどうでも、舞台が良いと眠くならないということを再確認したことを付記しておく。
2006.09.10
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