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某進学校から露見した履修規定違反は、その後続々発覚。当然、調査書偽造にもつながっていくわけで、それは公文書偽造ということになるのだろうか。 元々、今回の指導要領に関しては問題が多かった。歴史を学ぶと言いながら、近現代が優先されたり。平成10年の学習指導要領改訂のひどさが新たな形で噴出しただけで、「まぁ、予想できたでしょ」という気もしないでもない。これを機に、おかしな部分がどんどんあぶり出されるといい。 ただ、日本として“こうしようよ”と提示したものに直接対決もせず、こっそりルール違反を犯した学校態勢は根本的に異常事態である。“実情(受験)に合わない”、“文部科学省(というか中教審か?)がずれている”というならば、それを全国規模で批判するのが先であろう。 ところで、受験受験って、なぜマスコミは受験関係でこんなに騒ぐのだろう?受験ってそんなに大変なものなのか?1教科くらい多くったって、頭の良いヤツは関係なく良いのだし、そんな1教科に振り回されるようなヤツならば先も見えてるだろうに。
2006.10.26
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淵野辺の授業ではしばらく実朝周辺で留まっていたので、今日は学生の(前期終了時の)希望も受け入れて、鎌倉ゆかりの「鐘の音」狂言鑑賞。シテは山本則孝さんで、その時が「鐘の音」シテは初めてという舞台を見せた。こうやって本当の舞台ではないものを観ると、自分は和泉流のほうが耳に心地良いなぁと感じる。特にこの山本家はアクセントや語尾が、好みと合わないなと感じる。もちろんそれは舞台の上手い下手とは無関係で、単に聴覚面での感性の問題である。 鑑賞の感想の中に、テキスト掲載の和泉流本文と比較しながら鑑賞したものがあり、短い時間の中でもなかなか興味深い感想を記している学生もちらほら居た。 前期はCDによる音の鑑賞しかできなかったが、後期はもう1回くらい映像ものを、それと声明か雅楽も聴かせたいと思っている。
2006.10.24
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稲城の大学で講義。講師控え室に学園70周年記念という写真があり、今回の依頼に関わった先生の10年前の姿を拝見する。少し後ろの列をふと見ると、小松の親分さん(失敬な!)がいらっしゃる!私が院生の時に退官し、こちらに移られた先生だ。私の最初のお師匠さんの葬儀委員長を勤められた中古の大先生も!あ~、その頃の話なんだねぇ、と1人感慨にふけった。 授業のほうは、皆さんまじめに取り組んでいて、こちらも楽しい。1限目は目下、音韻と表記の問題をイソポを使って始めているところ。2限目は文語体と口語体について話しているところ。授業の合間の雑談も、相模原の学生さん同様、食いつきが良くて、それは“日文”というカテゴリに入る人間同士ゆえの共感であろうか。かつて本務校に日文があった時を思い出す。 紀要の準備が本格化している。好きな作品を好きなように考えてまとめるのが論文だと思っていたが、“仕事”の論文もあるのだなぁと、このところ感じるようになった。もちろん、依頼があっていくばくかの原稿料を戴き執筆するのも“仕事”なのかもしれないが、それのほうがまだ自分の研究領域に近いだろう。そうでないものに取り組む時、「あぁ、“仕事”だなぁ……」と思うようになったのだ。さぁ、仕事しなきゃ。
2006.10.20
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シテ方宝生流の今井泰男さんが開く“縁の会”、第6回最終公演は「鉢木」。最後にヒタ面ものを持ってきた。 来年度の入学案内などがあって狂言などは観られず、途中の休憩時間に到着。とりあえず間に合ってほっとする。 さて、シテは勿論今井泰男さんで、ツレの常世の妻を水上輝和さん。宝生の女役らしい声で、しっとりした妻だ。今井さんの常世は老いさらばえてなお誇り高く、という気概が感じられる。同じ流儀の近藤さんの「鉢木」が2年くらい前にあって、こちらはもう少しきりっとした感じであったが、それとは少し違う無骨者常世が造形されていたのではなかろうか。 「あぁ、降ったる雪かな」から、雪深い佐野の景色が広がる。いいなぁ…… ラストの対面は、もう涙なしには観られない。おん年85の今井さんであるが、どっしりとして、確かな謡が素晴らしい。こういうのが国の宝だなぁと思う。“玉華会”“縁の会”と続いた公演もこれで終了かと思いきや、なんと“老女の会”全2回公演が来年からあるということだ。初回が来年9月2日なんと「関寺小町」である。先年、近藤乾之助さんが番囃子形式で行なったが、現役最長老が100年の空白を越えて、演じる。そして再来年4月には「姨捨」再演。うはぁ~! さて、明治・大正・昭和と高等小学校の読本教材になった「鉢木」はツレ妻の存在を消している。宿を貸すという状況設定も常世1人で行なう形になっていて、その辺りの筋の改変が興味深い。ラストの時頼の台詞も変わっている。ある意味、かなり大きな改変だと思う。明治期に見ることができたであろう各流儀の本文や活字本いずれにもない設定と改変だが、その分、2人の関係が明白になって、常世の人物造形がすっきりしている。思い起こせば、自分が小学校の時に習った常世の話も、妻の存在がなかったように思う。
2006.10.07
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国立劇場40周年記念ということで、「弁慶二態」という企画公演があった。能「安宅」の小書<延年之舞>の時に舞われる弁慶の延年ノ舞(宝生流のみに伝わる)を舞囃子の形式で近藤乾之助さん。もう1つは、吉右衛門さんの弁慶で歌舞伎「勧進帳」。せっかくあぜくら会に入っているというのに、電話予約がちょっと遅れたら瞬時に売り切れた。がっかりしていたら、さる筋から文化庁経由の招待券を回していただくことができた。 2階下手側で舞囃子はこちらに向かっているし、花道も見えるし、なかなか良い席。乾之助さんの弁慶は、削りに削った芸能である能らしく、背景のない(しかも舞囃子なので劇としての装束付がない)舞台で、極度の緊密した空間を描き出す。関を越えられたとわかってなお緊張感のある弁慶の舞が浮かび上がり、息詰まる25分間だった。能の囃子はこういう大きな劇場空間には似合わないけれども、それでも亀井忠雄さんの掛け声が凄まじく、これまた宝生の凛々しさと融合して素晴らしい。 義経・弁慶の文芸の広がりについては、相模原の非常勤先で前期の小課題の1つに出した。なかなかの力作もあって面白かった。近年でもコミックスやミステリで取り上げられる2人だが、教科書教材に少ないのは何故だろう?これだけ長く愛されている人物も少なかろうに。
2006.10.01
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