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桜が美しい今日、“定年を祝う”を名目に<東京教育大学中世文学談話会>の面々が揃う。“祝われる”メインの先生が私の恩師でもあり、教育大でもない私も末席に連ねさせていただく栄誉に浴した。 2月に行われたご講演は、その研究内容の面白さと同窓の懐かしさがあったが、今日はその時とは趣の違う会食となった。それにしても<談話>などと和やかな名称の雰囲気で済んだのか、と思うくらいの錚々たる大先生(ゆえに今日のタイトル)が並んでいて、実に壮観であった。 お目にかかれることを楽しみにしていた、敬愛する先生から、少し前に書いた日記の論文についてコメントを戴く。“最近読み返す機会があって、そこで感じたこと”のお話であった。励ましというか発破をかけられたというか、あぁ頑張らなきゃ……と思う佐藤であった。正広に日記については書いているものの、雅有日記はさぼっているので、反省しきりである。学部時代に愛読していた美意識に関する御論考をまとめた先生にお目にかかれたのも嬉しかった。 私の世代で教育大というのは、高校受験の問題集などでかろうじて「東京教育大学附属」と挙がるくらいが実体験で、あとは伝聞でしか存在しない大学であった。その系譜が今なお確実に流れている、そしてその飛沫をちょっぴり浴びている、そんなことを思う会食だった。
2006.03.27
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トップでもお知らせした間宮社中による第7回江戸里神楽を観る会が行われた。会場は臨時席も出る満員御礼。こちらの会では、神楽の間もナレーションの形で筋を追っていく、という試みが一時期なされていたが、今回は本来の形に戻し、最初に大まかな粗筋を話して、ナレーションはナシ。登場人物も少ないし、筋も複雑ではないので、こういう形で良いのではないかと思う。 今回の演目は「高天原神集タカマガハラカミツドイ」「神剣幽助シンケンユウジョ」「兄弟探湯ケイテイタントウ」の3つ。それに品川太々神楽として残るお神楽から「天扇の舞」。 事情があって最後の「兄弟探湯」は観ずに退席させていただいたが、今回も興味深いお神楽であった。「高天原神集」は天照大神が豊葦原中津国の荒神を治めるために、使者を使わす場面。国譲り神話の端緒となるべき部分。 「神剣幽助」は三条小鍛治宗近が勅命によって剣を打つ際に、稲荷の神が現れてそれを助ける話。能の「小鍛治」に近いが、勅使は登場せず、宗近の祈りの場面があって、次に天狐2人の相舞、そして稲荷大神が登場して相鎚を打つ場面へと展開する。“狐戴”を載せ[飛出]のような面をかけるなど、稲荷大神の扮装は能にかなり近い(髪は[黒頭])。天狐の相舞は能にはないもので、狐の面(狂言「釣狐」で使われるような面)をかけた2人が軽やかにそして清浄に舞う。なかなか見応えのある舞であった。
2006.03.26
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今日は職場で肉体労働←いつものことか? 聞いていた予定とずれているので、こちらのペースも崩れてしまう。頼むよ、ホント。学生便覧の校正も無事終了。シラバスと並んで予定通り発行できそう。 午後2時くらいに出られたので、その足で両国へ。江戸東京博物館で行われている「江戸の学び―教育爆発の時代―展」へ。常設の企画展示「昌平校」と記憶が混乱していて見そびれるところだったが、リンク登録しているデラシネさん情報で確認でき、ぎりぎりで間にあった。 近世の識字率が高いという話は、随分と昔、日本史の先生から伺ったこと(その話を一緒に聞いていたのがいしざーさんだ)。そうした教育レヴェルは寺子屋の数からも確認できるのだけれども、今回の企画展示でも追認できる。エドハクだけあって、特に江戸周辺のいわゆる都市部での教育の充実ぶりが理解できる展示だった。 和算のコーナーが小さかったのが残念。日本の珠算は、基本的な計算能力においては非常に効率のよいものだ。商人の息子として“読み書き算盤”を両親から叩き込まれた佐藤研であるが、今なお3桁くらいなら暗算できるのも、すべて算盤のおかげである。数字への興味が平面図形へと移り、世界に誇る和算が発展していることを思うと、従来の教育(勿論、ゆとり教育ではない)もまんざらではないな、と思う。 一番嬉しかったのは、「江戸の水」の看板を実見したこと。戯作者としても知られる式亭三馬が作り出した化粧水として有名であり、『浮世風呂』で自分自身が広告をしたという“あれ”である(そんな話もいしざーさんと机を並べて聞いていた)。元々、江戸期の看板というのは興味があって、ここのブログも本来は八百屋の看板を使っていたほどだ(現在は路線変更で筆屋)。近世のセンスは学ぶところが大である。 企画展と並んで常設企画展の「紅葉山文庫と昌平坂学問所」も見学。我々写本を扱う人間としては、国立公文書館内閣文庫として誰もが通る道の元の2ルートである。今回は内閣文庫ではなく、徳川記念財団を中心に色々なところに所蔵されている徳川の学問体系を立体的に描き出している。 ちなみに、都営地下鉄1日乗車券を使うと、エドハクは2割引になる。チカテツアーとしては非常にありがたい。しかもこの時期、都営地下鉄1日500円!職場も行けて、エドハクにも寄れる、ありがたや~の都営地下鉄であった。
2006.03.25
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あぁ、ピンク色の和菓子だね……そうではなく。 十三世仁左衛門十三回忌追善としてかかった今月の歌舞伎座の演し物。菅丞相こと菅原道真を演じるのは当代仁左衛門。この他は「吉例寿曽我」「吉野山<義経千本桜>」と中世専攻の人間にはまことに興味深い構成であった。仁左衛門さんなのでもちろん行きたいとは思っていたのだが、縁あって1階席!それもかなり前の方!!自分からは買えない一等席が入手でき、喜び勇んで東銀座へ。 富十郎の顔のでかさも、間近で観るとその大きさが実感できる(そういうことを確認するための席ではない<イエローカード)。時平の讒言で太宰府に下ることになった道真の旅立ちを描く。仁左衛門はラストで本当に涙を流していた。観ているこちらも別れの切なさに思わず涙してしまう。 それにしても、一等席というのもどうなのだろう。うるさいおじいさん・おばあさん(のサエズリ)に囲まれて、環境的にはすこぶる悪かった。1人が話し出すと、伝染でもするのだろうか。 ちなみに同じく菅原道真ゆかりの能「道明寺」とは同名異曲。今年は宝生会にて4年ぶりくらいの宝生流専有曲「来殿」も上演される。 1つめの「吉例寿曽我」も面白かった。千鳥(兄さん)蝶(弟)、さらには梅枝を手にした景季とか、様式美でまさに顔見世の世界。前半鎌倉鶴岡八幡宮の場面のラストは度肝を抜かれた。一見の価値有り。
2006.03.20
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今日は旧暦の2月16日、西行の命日である(日蓮上人生誕日でもある)。 願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎのもちづきのころと詠んで、実際にその頃に亡くなったというすごい人だ。そんな出来事をふまえて能「西行桜」(前回の記事参照)を鑑賞すると、さらに趣深い。先日の宝生会での配布紙解説に、旧暦2月15日死去、というように書いてあり、これは西行忌(円位忌)とごっちゃになったのかもしれない。引用本文第3句が「我死なん」となっているのは、典拠不明。 犬井善壽先生のすごい業績の1つ『西行和歌歌番号対照表』で確認すると、家集『山家集』『別本山家集』『西行上人集』『山家心中集』、自歌合『御裳濯河歌合』に収載、勅撰集では『新古今』切出(削除)、『続古今集』に収載であることがわかる。こういう中のどこかに「我死なん」の本文があったのかも知れないが、我が家では確認しきれない。 かつては第2句を「花のモトニテ」と訓むのか「シタニテ」と訓むのか、といった問題があったが、現在は「シタニテ」と訓むのが定説。たしか古写本表記によるのではなかったろうか。犬井先生の他、糸賀きみ江先生、桑原博史先生の下でも西行の和歌を学ばせていただいたのに、不肖の弟子は西行で考えをまとめたことがない。というか、これだけの先生に学んでしまったが故に、何もできなくなってしまったというべきか(恥)。
2006.03.15
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鎌倉時代後期を明示する能があまり多くない中で、後宇多院の治世を寿ぐのが「弓八幡」。それにしても、なぜ後宇多院なのだろう??? この曲も楽しみではあったのだが、今日は2つめの「西行桜」がすごかった。都で1人庵室の桜を愛でる西行。花見に訪れる客も現れるが、後半は西行と老桜の精とのやりとりとなっていく。シテは宝生流の人間国宝三川泉さん。最初ちょっと絶句があったりして、オヤオヤと思ったりもしたが、序ノ舞からは筆舌に尽くしがたいというか、もはや奇跡の舞台だった。閑寂な草庵で静かに桜が散る中、老いた桜の精が春を、花を、そして若さを惜しんでいく。わけもわからず涙が溢れてくる、そんな舞台だった。馴れ合い拍手の多い宝生流にあって、シテ・ワキが去り、作リ物がなくなり、地謡が立つまで拍手がない、というのは極めて稀であろう。 もしかしたら評価が分かれるかもしれないし、三川さん自身の美意識からするともう少し軽いほうがいいのかもしれないが、おシテの本心はさておき、私自身は非常に美しく哀しみのある良い舞台だと思った。最後に出てくる有名な詩の一節「花を踏んでは同じく惜しむ少年の春」がこんなに胸を打つ「西行桜」は初めてだった。地謡・囃子方いずれも素晴らしかった(今日はお笛の当たり日で、3番いずれも笛が心地よかった)。 サクラといえば、国文の学生によく言っていた(←過去形だよ、サメザメ)のは「古典ではソメイヨシノを想像しちゃいけないよ」というものだった。数あるサクラの種類の中でも開花期間が最も短い―一斉に咲いて一斉に散る―というイメージだけではサクラを誤解してしまうからである。墨汁をほんの少し垂らしたような色も、透明感の強い種類のサクラとは一線を画すものだ。寿命も短く、老木のイメージはソメイヨシノからは窺えない。 自力で繁殖できないソメイヨシノではなく、違った種類のサクラがもう少し増えればいいのに、と毎年思う春先であった。
2006.03.12
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昨日に続く第2日目。日曜日とあって昨日以上の人出となった。昨日焦ったので、2時間近くも前に到着したにも拘わらず、会場前は既に長蛇の列!こんなに並ぶのは初めてだ。予定よりも早く1時間半前には開場となり、たいして待つこともなく席を無事確保できた。気の毒なのはそういう事情を知らないでお見えになった方々で、かなりの人が入れなかったらしい。もちろん入場券の葉書には“入場できないかも”という但し書きがあるのだが、こんなに人が来ていると思うと正直驚く。 第2日目も「よみがえる江戸の四季」というテーマで以下の構成。春―江戸里神楽間宮社中「笠沙之桜狩」夏―浜町音頭秋―櫻川ぴん助社中「江戸芸かっぽれ」冬―丸一仙翁社中の茶番「鹿島の舞」 春の里神楽はニニギノミコトの桜狩が出会いのきっかけとなる木花佐久夜姫・石長姫の話、記紀神話に基づくあの話である。トップにもお知らせで書いた品川を中心として活躍する間宮社中による。美人のコノハナサクヤビメは白い女面、一方醜女のイワナガビメは黄色がかった女面で、造作はそれほど違わないように見えたが、イワナガビメは色黒を表しているのだろうか。やはり女性は色白が……? 櫻川を名乗る江戸芸といえばお座敷芸の幇間・かっぽれなどかと思っていたが、2代目櫻川ぴん助(ちなみに女性)は大道芸としてのかっぽれを中心にしているらしい。「奴さん」なども、座敷芸として見る舞踊よりもダイナミックだった。江戸博では毎月定期公演をしているとのこと。知らなかった!いつぞや観た櫻川七好の会は、旦那衆相手に喜ばせる座敷芸の香りが濃厚だが、こういう勢いのあるかっぽれも面白いかもしれない。 昨日は春の部で獅子舞などで出演した丸一仙翁社中が、今日は冬の部「茶番」で出演。 「そんなのチャバンだよっ」の“茶番”と同義のお笑い小劇である。チャバンという言葉自体が消えているように、この出し物を伝える家も減ってきている。こういうのは必ず下ネタが入るのだが、政治の話とか、誰かを傷つけて笑うのではない……という話に「なるほど」とうなずかされる。 2日間の締めということで、最後に昨日出さなかった傘回し(傘の上で升などを回す)と輪投げ(ジャグリングのようなもの)も披露。 昨年は仕事で来られなかったが、これまでも里神楽・びんざさら・獅子舞・木遣りや八王子車人形まで登場している会で、こういうのを観ると、東京も面白い民俗芸能が残っているのだな、と感じる。そのためには伝承者が必要なわけで、演じる方々の苦労も多いだろう。せめてこういう会で、粋でかっこいい東京の芸能を知らしめてほしいものだ。こういう芸能は自分の研究領域と何ら関わらないけれども、東京都民としては少しでも応援したいと思う。
2006.03.05
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今回で37回を数える東京都民俗芸能大会第1日目。開演よりも早く着いたのだが、なんと今回は満員御礼で、ぎりぎりセーフ。もう少し遅かったら入れないところだった。ロハだしいつも当選するので、あたりまえに思っていたが、この会も段々と認知されているのだろうか。 今年は「よみがえる江戸の四季」というテーマ設定で、春―丸一の江戸太神楽(獅子舞・曲撥その他)夏―佃島盆踊り秋―相模流萩原正義社中の里神楽(紅葉狩)冬―北区稲付の餅搗唄という構成。楽しみにしていたのは相模流の里神楽で、これは江戸里神楽と違って、相模国から流れてきた系統で、若干異なると仄聞しているもの。能や歌舞伎でもおなじみの「紅葉狩」であるが、翌日の記事に登場する江戸里神楽の「紅葉狩」とも印象が随分違った。全体に芝居がかり、型の見せ方がきちっとしている江戸里神楽よりも幾分流れるような展開になっていた。大道具も、これは今回の演出なのかもしれないが、随分と舞台がかっている。 オオカワというと能の人たちは“大鼓”のことだそうだが、我々江戸庶民はオオカワといえば“隅田川”のこと。ここを流れていくドザエモンさんたちの無縁仏を供養するのが佃島盆踊だそうだ。場所柄、イナセな盆踊りと思いきや、唄も踊りも変だったのは、そうした鎮魂の意味合いが強いためだという。文句も暗いのだが、無縁仏が皆無であろう今日も、きちんと守り伝えていくところがすごいと思う。
2006.03.04
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ちょっと用事があって池上の方に行くことになったので、自転車にまたがりいざ池上へ。佐藤の家からだと、日蓮宗大本山本門寺の裏側から池上に入ることになる。そしてそのルートだと、小さいながらも斜面を利用して梅が多数植えられた“池上梅園”を通り抜けることになる。 ちょうど梅の盛り、天気もかろうじて保っているせいか、かなりの人出であった。梅の香りが辺りに漂っていて、ふと足を止める。結局、梅園に入ってしばしの時間を過ごす。平地の梅園ではないので、ちょっと変化があって面白い所である。 梅園までは自転車で15分ほどなので結構来ているのだが、小学校の連合運動会や高校時代の演劇祭(文化祭の一環)その他諸々で来ていた、池上は久しぶり。駅前とかちょっと垢抜けたりして、あれあれ……という感じで変貌ぶりを驚きつつ楽しんだ。 池上が日蓮上人御入滅の地ということを考えると、私の研究課題である飛鳥井雅有や宗尊親王ともなんとなく縁があるようなないような……かの上人の鎌倉での辻説法を雅有や親王も見かけていたのかもしれない。
2006.03.03
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