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2023.06.16
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カテゴリ: 本部町

(ウチグスク/東の御嶽)

沖縄本島の北部の「本部町/もとぶちょう」に西洋梨の形をした「瀬底島/せそこじま」があります。この大地状の島の面積は2.99平方キロメートル、周囲は7.3平方キロメートル、標高は76.0メートルとなっています。「瀬底島」の中央にある「瀬底集落」の南東側に位置する「ウチグスクヤマ/内城山」と呼ばれる場所に「ウチグスク/内城」があり「アガリヌウタキ/東の御嶽」または「ムーチースネードゥクル」と呼ばれています。また「ウチグスク山」の東側一帯は崖の丘陵となっています。この「ウチグスク」は「瀬底村」の発祥の土地でグスク時代の「瀬底貝塚」があり、村はその貝塚を「クサティ/腰当」にして北西側に広がって行ったと言われています。「瀬底島」の主要な祭祀が「ウチグスク」で行われている事から「瀬底村」の祖霊神を祀る御嶽であると考えられています。


(ウチグスクの祠)

(ウチグスクの祠内部)

(ウチグスクの岩石)

「ウチグスク」は1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」に記されている『カネオツ森 神名 ワカマツノ御イベ 瀬底村』に相当する説があります。「ウチグスク」での祭祀が執り行われる「ハギヤー」と呼ばれる広場にコンクリート製の祠があり、この祠内部には数体の霊石が祀られウコール(香炉)が3基設置されています。「ウチグスク」一帯の森や岩石が聖域を意味する「イビ/威部」となっており「瀬底村」の草分け旧家である「ウフシヌヘー/大城家」が「ウチグスク」の鳥居と祠を建立しました。「瀬底村」の「ニードゥクル/根所」として代々村の祭祀を執り行ってきた男神役である「ウフシヌヘー」の屋敷は「ウチグスク」北側の「瀬底貝塚」にありましたが、3回目に現在の場所に移転したと伝わっています。現在でも旧暦7月22日の「ハンブトウキ」や「ハンジャレートウ」と呼ばれる悪風祓いと豊作祈願の行事で「瀬底貝塚」が拝されています。


(ヌルヒヌカン/祝女火神の鳥居と祠)

(ヌルヒヌカン/祝女火神の祠)

(ヌルヒヌカン/祝女火神の祠内部)

(ヌルヒヌカン/祝女火神の石碑)

「瀬底グスク」とも称される「ウチグスク」の西側入り口に「ヌルヒヌカン/祝女火神」があり鳥居と祠が建立されています。この「ヌルヒヌカン」は「ヌルルンチ/ノロ殿内」とも呼ばれ「祝女火神」の祭神が祀られています。かつての祠は破風型のコンクリート造りで昭和4〜5年頃に「瀬底島」でトラバーチンを発掘した道下氏が寄付した二百円のうち百拾五円で建立されました。トラバーチンとは貝を含む珊瑚石灰岩で、日本の国会議事堂の内装に使用されています。現在の赤瓦屋根の祠は1988年(昭和63)に建て替えられたもので祠内部には古い数体の霊石が祀られており、石造りのウコールが一基設置されています。この祠に向かって左側には「のろ火の神 ヌルヒヌカン」と記された自然岩の石碑と「奉納 道下扉志 昭和六年七月建立」と考えられる文字が刻まれた石碑が設けられています。


(ヌルヒヌカンの敷地にある記念樹碑)

(ウチグスク入り口の仲田門中章氏拝所)

(ウチグスク入り口のウコール)

(ウチグスク入り口のカミヤー/神屋)

(カミヤー/神屋の敷地にある井泉跡)

「ノロヒヌカン」は1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」に次のように記されています。『瀬底巫火神 瀬底村 毎年三・八月、四度御物参有祈願也。且、麦・稲穂祭之時、仙香 巫、花米五合宛・神酒壱宛 百姓。麦大祭之時、仙香 巫、花米五合宛・神酒二 百姓。竈廻之時、仙香 巫、花米五合・神酒壱 百姓。ミヤ種子・畔払之時、仙香 巫、花米五合宛・五水三合宛 百姓。アラザウリ・向ザウリノ時、仙香 巫、花米五合宛・神酒壱宛 百姓。稲大祭之時、仙香 巫、花米九合 百姓、神酒弐 壱地頭 壱百姓。山留ニ竹木伐故、為作物祈願之時、仙香 巫、花米九合・神酒弐 百姓。毎年十一月、海神折目之時、仙香 巫、花米五合・神酒三・五水三合・魚三絡 百姓、供之。同巫、根人祭祀也。』また「ウチグスク」の入り口には「仲田門中章氏拝所」が設けられており、隣接した場所には石造りのウコール(香炉)が祀られています。さらに「ウチグスク」の入り口には他にも「カミヤー/神屋」の祠が建立されており、敷地には井戸跡が残されウコールが設置されています。


(カミヤー/神屋のヒヌカン/火の神)

(カミヤー/神屋の仏壇)

(カミヤー/神屋のトゥクシン/床の神)

(カミヤー/神屋の仏壇)

(カミヤー/神屋の位牌)

「カミヤー」の内部にはヒヌカン(火の神)、仏壇、トゥクシン(床の神)、位牌が祀られています。旧暦7月18日から24日まで執り行われる「ウフユミシヌグイ」では悪風払いと農作物の豊穣、さらに村の繁栄と村人の健康祈願が行われ「ヌルヒヌカン」や「ヌルルンチ」の入り口広場でも祈願が行われます。3日目(旧暦7月20日)に行われる「ウフユミ」は主な儀礼の一つで、この日から3日間は死者を村の中に入れてはいけない風習となっています。「ウフユミ」は「タチガミ/立神」と呼ばれる神女が中心に行われ「瀬底ヌル・ウフニシヘー」や他の神女達が参加して「カーサームーチー」と呼ばれる月桃(げっとう)の葉で包んだ餅が供えられます。この日の祭祀で「タチガミ」は竹製の6本の弓矢を持ち頭に草を巻いて武装します。「瀬底島」西側の海岸にある「アタフジ浜」へ向かう途中と浜では「タチガミ」が「水納島」と「伊平屋島」方面に向いて、敵を想定して弓矢を投げる儀式が行われます。


(内城按司/ノロ之墓)

(内城按司/ノロ之墓の改築記念碑)

(内城按司/ノロ之墓の石碑)

(内城按司/ノロ之墓からの景色)

「ウチグスク」がある「ウチグスクヤマ」西側の森の中に「内城按司」と「瀬底ノロ」の墓があります。この墓の「マユ/眉」と呼ばれる位置に「第一尚氏」の家紋が刻まれており、墓に向かって左側には「内城按司 ノロ 之墓 改築記念碑 昭和六二年六月廿日竣工」と記された石碑が建立されています。また、その左側には「女神様 一九七七年三月五日」と刻まれた石碑と、更にもう一体の石碑が設置されています。「瀬底島」の祭祀は旧暦1月1日の正月の祈願から旧暦12月の「ワタクシウグヮン」まで「瀬底ノロ」により執り行われます。「瀬底島」の年中行事を締めくくる「ワタクシウグヮン」は「ヌルルンチ」に豆、酒、線香を供えて1年間の感謝祈願として拝されます。この祭祀は昔からノロの「ウグヮン/御願」で、ノロの1年間の勤めに感謝して集落の各戸から徴収した穀物を報酬としてノロに与えたと言われています。






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最終更新日  2023.06.17 15:38:40
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