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2023.08.04
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カテゴリ: 本部町

(神アサギ)

沖縄本島北部にある「本部町」の西側に「健堅/けんけん集落」があり、方言では「キンキン」と呼ばれています。「健堅集落」の北部には西側に流れる「大小堀川/ウフグムイガー」を境に「辺名地集落・大浜集落」に接しています。さらに南部には「先本部集落」西側は東シナ海に面し、東部には「健堅森/キンキンムイ」が広がっています。「健堅」の部落は4つの集落で構成されています。山手側に「健堅/キンキン(1班)」と「石川/イッチャファガー(2班)」海側に「浜崎/ハマサキ(3班)」と「駈ヶ原/カキバル(4班)」があり、最も古い集落は「本字/ホンアザ」と呼ばれる「健堅」で、ムラの主要な祭祀行事はこの集落で執り行われています。「健堅集落」は琉球王府時代から存在する古い村落で1666年(尚質王代/康熙5年)に今帰仁間切から伊野波間切を創設した時の11村の1つでした。


(神アサギの入り口)

(根所火神の祠)

(イッチャファヤー/石嘉波家)

1班の「健堅集落」は更に4つの地区に分かれており、1区は「ウィンバーリ/上バーリ」2と3区が「ナカンバーリ/中バーリ」そして4区が「シチャンバーリ/下バーリ」と呼ばれています。この「シチャンバーリ」は新しく出来た地区であるため「ミージマ」とも言われています。「ウィンバーリ」は集落の丘陵の高台に位置しており、東側の上方にある「神アサギ」では「健堅」の年中祭祀の最も主要な祭場となっています。この「神アサギ」は当初、集落の草分け「ニーヤ/根屋」である「イッチャファヤー/石嘉波家(現・仲宗根家)」の敷地内にありましたが、現在は南東側に約50メートルの場所に移設されています。「神アサギ」の東側後方には「根所火神」の祠が隣接しており、祠内部には「女神・男神・火神」が祀られています。


(ウイヌウタキ/上の御嶽)

(ウイヌウタキの入り口)

(ウイヌウタキの祠)

(ウイヌウタキの祠内部)

1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」には『根所火神 健堅村 麦・稲三祭之時、仙香 巫、花米五合宛・神酒壱宛 百姓。稲大祭之時、仙香 巫、花米五合 百姓、神酒弍 百姓。竈廻・ミヤ種子・アラザウリ・向ザウリ・畔払之時、仙香 巫、花米五合・五水三合 百姓。山留ニ竹木伐故、為作物祈願之時、仙香 巫、花米九合・神酒壱 百姓、供之。本部巫祭祀也。』と記されており、更に『神アシアゲ 健堅村 麦・稲四祭之時、 仙香 巫、花米五合宛・神酒壱宛 百姓。柴指之時、仙香 巫、花米九合・五水五合・神酒壱・肴壱器 百姓。芋祭之時、仙香 巫、蕃薯三器・神酒二・肴壱器 百姓、供之。本部巫祭祀也。 』との記述があります。「神アサギ」東側の森の中に「ウイヌウタキ/上の御嶽」があり、コンクリート製の祠が建立されており、霊石と二器の石造りウコール(香炉)が祀られています。


(タマウドゥン/玉御殿/健堅大親御願所)

(

「神アサギ」の北西側に「タマウドゥン/玉御殿」の神屋があり「キンキンヌヒャー/健堅大親」の『御先中世健堅比屋 父 松 幼名 次郎 次男 亀寿 子之神 夫 太郎 妻 オミチル』と記された「グヮンス/元祖(位牌)」が祀られています。更に「関帝王」の図像、観音像、8器のウコールが設置されています。この「タマウドゥン」は「健堅御願所」とも呼ばれており、最近では「お宮」の名称でも知られています。「健堅大親/健堅之比屋」は「察度王」の時代(1350-1395年)に「健堅大屋子」の役職を務めた人物です。「健堅大親」は誠実で人情深く、村人から大変尊敬されていました。1743-1745年に編纂された琉球王国の正史である「球陽」には、久米島で難破して漂着した中国船に乗っていた中国人を助け、船と名馬を与えて無事に中国に返し、後に中国の皇帝から琉球王国を通して絹と石碑が送られたとの記述が残されています。


(ウガンヤマ/キンキンウタキ)

(ウガンヤマ/キンキンウタキの入り口)

「タマウドゥン」の南東側約100メートルの場所にある森は「ウガンヤマ/御願山」や「ウガン」と呼ばれ、普段人々が立ち入ってはならない聖域とされています。「キンキンウタキ」とも称される集落の「クシャティ/腰当て(拠り所)」であるこの御嶽は旧5月9日の1日だけは草刈り、樹木の手入れ、周囲の清掃を「健堅集落」の住民により行われています。「琉球国由来記」の『イシヤラ嶽 神名 ワカマツノ御イベ 健堅村』に相当する御嶽であると考えられ『麦・稲穂祭、且、山留ニ竹木伐故、為作物祈願之時、仙香 巫、花米九合・神酒二肴一器 百姓、供之。同大祭之時、仙香 巫、花米五合、神酒二宛 百姓。ミヤ種子之時、仙香 根人、花米五合・五水三合 百姓、供之。瀬底巫祭祀也。』と記されています。


(マツガーヤー/松川家)

(マツガーヤーの位牌)

(マツガーヤーのウコール)

(マツガーヤーのヒヌカン)

(マツガーヤーの図像)

「健堅集落」の北側に「マツガーヤー/松川家」の旧家があり「ヒナジドゥンチ/辺名地殿内」とも呼ばれています。「健堅集落」は草分け旧家の「ナナチネー/7軒」から始まったと言われており「マツガーヤー」はその内の1軒であると伝わっています。更に土地の言葉で「健堅」の「タチハジマイ/立始め」の家として知られています。祀られている「グヮンス/位牌」には『渡久地 栄 長男 三良渡久地 次男 仙太郎渡久地 三男 太良渡久地 栄 妻 マツ 三良 長女 マツ』と記されています。「マチガーヤー」と共に「ナナチネー」として挙げられる旧家は「キンキンヌヒャー・キンキンウギドー・マンナヤー・イッチャファヤー・ヤマタイヤー・メーナケーマ」で、この7軒は「ムカシグヮンス/昔元祖」と呼ばれ、集落の祭祀が執り行われる旧家として大切にされています。






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最終更新日  2023.08.04 16:23:30
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