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2023.09.07
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カテゴリ: 南風原町

(名護之殿)

沖縄本島の南部に「南風原町」があり、沖縄県内で唯一海に面していない町として知られています。「南風原町」の南東部に方言で「チャン」と呼ばれる「喜屋武/きゃん集落」があります。この集落は「ムラウチ/村内」と「ヤードゥイグヮー/屋取小」に区分され、その間にはかつて標高60メートル程の丘陵がありました。この丘陵の一部を人力で切り開き「ムラウチ」と「ヤードゥイグヮー」を結ぶ「ワイトゥイ」と呼ばれる道が1920年(大正9)に開通しました。「喜屋武集落」には「南風原町」のシンボルである「黄金森/クガニムイ」があり、この森の丘陵の西側にはウマチーの際に祭場となった「名護/ナグ」や集落の草分けの家筋である「親国/ウェーグン」をはじめとする旧家群が位置しています。この一帯が「喜屋武」のムラの始まりだとされていますが「黄金森」の頂上付近にある「喜屋武シジ」に集落の始祖の屋敷があったとも伝わっています。


(名護之殿)

(名護之殿のヒヌカン/ウコール)

(名護之殿のシーサー)

(勝連カー/勝連門中)

「喜屋武集落」の北部に「喜屋武農村公園」があり、この敷地に「名護/ナグ」と呼ばれる祠が建立されています。1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」には『名護之殿 喜屋武村 稲二祭之時、五水壱沸二合宛・神酒壱宛 地頭、穂•シロマシ壱器・神酒宛 百姓、供之。本部巫祭祀也。此時、巫壱人・居神三人、百姓中ヨリ盆拵馳走仕ル也。』と記されています。「名護之殿」は草分け旧家である「ニーチュ/根人」の「ナグヤシチ」と呼ばれる屋敷でした。沖縄戦で焼失する以前まで土間(台所)と床敷きの一間からなる瓦葺きの建物で、大正5年頃までは茅葺屋根であったと伝わります。さらに当時の建物には台所にあった「ミチムン/火の神」と「トゥハシル」という家屋の二番座出入り口付近にウコール(香炉)があったと言われています。「名護之殿」の敷地に「勝連カー 勝連門中」と刻まれた石碑、ウコール、井戸跡が祀られています。この井戸はかつて「黄金森」の頂上にある「喜屋武シジ」北側の森の中にありました。


(アナカー)

(ミジグラ)

(ウフカー)

(下ぬ嶽)

「喜屋武農村公園」には他にも「アナカー・ミジグラ・ウフカー・下ぬ嶽」の井戸跡が合祀されており、それぞれに石碑、ウコール、井戸跡が祀られた拝所となっています。これらの井戸はかつて「黄金森」の西側に点在しており「南風原町中央公民館」や「県道241号/宜野湾南風原線」の建設により「名護之殿」の敷地に移設されました。旧暦5月15日の「5月ウマチー」は稲の初穂祭で、集落の「ムンチュー/門中」単位での「カーウビー」と呼ばれる井泉拝みが行われます。また、集落の旧家である「親国」家で造られた「ウンサク/神酒」には「ウフカー」の水を混ぜて使う習わしがあったと言われています。「5月ウマチー」の際に「ジシチガミ/儀式係」の2人により「ウンサク」と握り飯を重ねた「ウブン」が準備され「名護之殿」の「トゥハシル」のウコールの前に供えられ「本部ノロ」や「喜屋武集落」の神人により祭祀が行われました。ちなみに「下ぬ嶽」は「黄金森」の「イシジャー」と呼ばれる「上の御嶽・中の御嶽・下の御嶽」の丘陵麓にあった井戸跡であると伝わっています。


(親国/ウェーグンの井戸)

(恩納ヌ前ヌクムイ)

(ナカミチ)

(内原のカー)

「喜屋武之殿」がある「喜屋武農村公園」の南側に集落の草分けの家筋である「親国/ウェーグン」の屋敷があり、敷地の脇に井戸が残されてウコールが設置されています。「ニーガン/根神」の神役は「親国」の系統から出ており「イシジャー」の御嶽の神を司っていたと伝わります。旧家の「前親国/メーウェーグン」から「門/ジョウ」に嫁いだ女性が「ニーガン」の「ウナイ/姉妹」神「親国/ウェーグン」から「小城/ググー」に嫁いだ女性が「ニーガン」の「ウィキー/兄弟」神を務めていました。「黄金森」の「イシジャー/上の御嶽」にある岩の上には厨子甕があり「親国」の現在の門中墓に祀られている「タカシップ」とう人物であるとも言われています。古老によると、毎年「親国」の関係者が「下の御嶽」の近くの溝で「イシジャー」にある人骨を洗う行事があったと伝わっています。また「名護之殿」の北側には旧家である「内原」の屋敷があり「内原のカー」と呼ばれる古い井戸が現在も残されています。


(仲里井/ナカザトゥガー)

(ハンタイチ)

(ボーントゥ用の土)

(第一織物工場跡)

「喜屋武之殿」の西側に「仲里井/ナカザトゥガー」と呼ばれる井戸跡があります。戦前までこの付近に集落の草分け旧家の1つである「仲里」の屋敷があったと言われています。「琉球国由来記」には『仲里之殿 喜屋武村 稲二祭之時、花米五合宛・五水壱沸宛 仲里大屋子、穂・シロマシ壱器・神酒壱宛 同村百姓、供之。本部巫祭祀也 此時、巫、百姓ヨリ盆 拵馳走仕ル也。 』と記されています。「イガン/居神」と呼ばれる神役は「親国」の二男腹とされる「仲里」の門中系統から出ました。また「喜屋武農村公園」の北側に「ボーントゥ」の土を摂る場所があります。「ボーントゥ」とは旧盆の「ウンケー」に仏壇の位牌の前に供える飾り物の事で、土を大きめの形に固めてサトウキビの先枝とクガニー(ミカン)を飾り付けます。サトウキビは「クァンマガ/子孫」てクガニーは「ウヤファーフジ/先祖」を意味しています。


(喜屋武公民館/ムラヤー)

(喜屋武公民館/ムラヤー)

(ムラヤー/ブルブルギー跡)

(ムラヤー/ブルブルギー跡)

「喜屋武集落」の中央に「喜屋武公民館」があり、かつては「ムラヤー」と呼ばれていました。戦前まで「ムラヤー」の敷地には泥棒や罪人を吊り下げる「ブルブルギー」または「ヌスドゥサギーギー」と言う木があったと伝わっています。かつて「喜屋武集落」のムラの掟と制裁は厳しく、部落で重罪を犯した者は「ムラヤー/公民館」に連行され村人全員の前でひざまづき(正座)をさせられ罰金も課されました。その罰金で豆腐と酒を購入し、15歳以上の男女が飲み食いをしたと伝わります。最低でも各人に豆腐一丁はあたり、普通は酒もたらふく飲めるほどあったそうです。「喜屋武」のムラを評して「チャンカニ」と表現されて「カニ」は「鉄」の意味で「喜屋武」のムラの掟が鉄のように固い事を表現しています。若い女性に対する規制が徹底して厳しかったと言われています。古老が若い頃には「モーアシビ/毛遊び」や「歌グヮーシーガ/歌うたい」なや参加しただけでムラに引っ張られた人達が沢山いたと言われています。






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最終更新日  2023.09.09 07:18:01
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