2013年02月11日
XML
カテゴリ: シリーズ京歩き

京都の東山七条付近というのは、
秀吉や豊臣家にゆかりのある寺社や史跡が多く残されているところです。

今回は、そうした寺社や史跡を訪ねながら、
秀吉晩年のことについて振り返ってみたいと思います。


***


天下統一を成し遂げ、関白太政大臣という極官にまで登りつめた豊臣秀吉。

しかし、その晩年、大きな悩みのたねとなっていたのが、
自身の後継者問題でありました。

そうした中、側室の淀殿に男子が生まれた時の秀吉の喜びようというのは尋常でないほどで、
その子を鶴松と名付けて、大坂城を与え、後継者に指名します。

しかし、その鶴松が、わずか3才にして夭折してしまいました。

これを大いに嘆き悲しんだ秀吉が、その菩提を弔うため建立したのが、
祥雲寺というお寺でありました。


この祥雲寺というお寺自体、現存はしていないのですが、
「智積院」が、その跡を継いだ寺として残されています。



智積院.jpg




東山七条の交差点のところに、大きな寺域を構える智積院。

かつての祥雲寺も、かなり大きな寺院であったということですが、
特に、その客殿は、当時、日本でも最大規模のものであったのだといいます。


しかし、後に家康が、祥雲寺を紀州根来寺の僧に与えたことにより、
祥雲寺の建物は再編され、智積院として生まれ変わって今に至っています。




智積院2.jpg



それでも、この智積院には、かつて祥雲寺だった頃の痕跡が、いくつか残されています。

その一つが、大書院から眺める池泉式の庭園。
この庭は、祥雲寺、往時の面影を留めているものであるのだといいます。



智積院庭園.jpg



それと、もうひとつ、この智積院に残されているのが、
長谷川等伯・久蔵父子により描かれた有名な障壁画。

「桜楓図」は、桃山時代を代表する絵画であるとされていて、国宝にも指定されています。

これらの絵画は、かつて祥雲寺の客殿を飾っていたものだったといい、
幼くして亡くなった愛児を弔う、秀吉の思いが伝わってくるようでもあります。



楓図.jpg



ところで、秀吉といえば、華麗な建物や大規模な建造物の数々を作らせたということでも知られていますが、
その晩年の代表作ともいうべきものが、方広寺の大仏でしょう。

奈良の大仏にならい、自らも京都に大仏を造りたいと思い立った秀吉は、
方広寺というお寺を建立し、その地に大仏殿と盧舎那大仏の造営を始めました。


これが完成したのが、文禄4年(1895年)。

高さが19メートルあったというこの大仏は、東大寺の大仏よりも大きいもので、
当時、日本一の大仏であったとされています。

さらに、また、この時に行われた開眼供養というのも壮大なものだったようで、
各宗派から、合計1000人の僧が出仕し、盛大な供養が営まれたといいます。


智積院の隣にある妙法院というお寺には、
桃山時代の国宝建築物として、庫裏(台所)が残されていますが、
この建物は、この時、1000人の僧の食事を用意するための施設として、
秀吉により建てられたものなのでありました。



妙法院庫裏.jpg



日本一の大きさを誇ったという、壮大な方広寺大仏。
しかし、それも、結局、一年だけのこととなりました。


この開眼供養の翌年、突然、大地震が京都を襲い、
何と、この大仏は、あえなく倒壊してしまいます。

その後も、引き続き、秀吉の子秀頼により、大仏が再建されるのですが、
でも、どうやら、この大仏は、良くない巡りあわせにあったようです。

江戸初期に、またもや地震がこの地を襲い、この秀頼の大仏も倒壊。

その後、木製の大仏が作られますが、これまた、今度は落雷により焼失します。

江戸時代の末になって、有志が集まって資金を出しあい、再び、大仏が作られますが。
しかし、これも昭和になってから、火事により焼失してしまいました。


この地は、現在「大仏殿緑地公園」として整備されています。



大仏殿跡緑地.jpg



秀吉という人は、下賤の身から登りつめていったというだけあって、
その間には、えもいわれぬほどの苦労を重ねてきたでしょうし、
また、その分、人情の機微が良くわかっていた人だったのだと思います。

そうであるからこそ、人は秀吉についてきたのだと思います。

それでも、秀吉の晩年は、人格のたがが狂ってしまっていたとしか思えません。

秀吉は、私の好きな武将の一人ではあるのですが、
それでも、その晩年の愚かな所業には、目を覆いたくなるほどです。


中でも、その最大のものが、朝鮮出兵でしょう。

方広寺のほど近くに「耳塚」という史跡がありますが、
これは、朝鮮で武功を挙げた証として、将兵が持ち帰った
敵将の鼻や耳を埋葬した跡です。

秀吉は、それらをここに集めて、供養を行ったのだとも云われています。



耳塚.jpg



東山七条に、ゆかりの地を訪ねて・・・。

次回もこの続きです。
秀吉没後の豊臣家にゆかりの史跡をめぐります。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2013年02月11日 23時01分09秒
コメント(10) | コメントを書く
[シリーズ京歩き] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


Re:晩年の秀吉 ゆかりの地を訪ねて(02/11)  
こうのいけ さん
へえ!
大仏が京都にもあったとは! (2013年02月12日 01時21分57秒)

Re:晩年の秀吉 ゆかりの地を訪ねて(02/11)  
picchuko  さん
gundayuuさん、おはようございます!
私も京都の大仏は知りませんでした。
それにしても、つくづく残念な大仏ですけど、奈良の大仏より立派とは見て見たかった気がするな~。
よく鎌倉の大仏が奈良の大仏より男前っていいますけど(私はそうは思わないですが)、京都の大仏さんはイケメンだったのかしら?(爆)
でも、京都ですもの! 大仏があっても不思議ではありません。

秀吉は私も嫌いではありません。
逆に読めない性格の家康よりはずっと好きかも。
だから、豊臣家ゆかりの地をこうやって紹介してくれるのは嬉しいです。

耳塚、私はそれを知ったのは歴史の授業ではなく、NZででした。
それを教えてくれたのは日本人ですけど。
私はそれまで韓国人が日本嫌いなのは特にあの戦争や戦後の歴史教育からだと思っていたのですが、そうじゃないよ、秀吉の朝鮮出兵のことも根に持ってるんだよって教えてくれました。
実際、ソウルには朝鮮出兵での日本人が犯したことについて今も記された板が立ってますよね。
もちろん、それも歪められた歴史教育のひとつでもあるのですが、なんか胸が痛みました。
韓国人の反日感情、これは根が深いわ~と思ったものです。
ここに鼻や耳を埋葬して供養してくれたってね~。
なんか微妙~~~~~~~~~~(~.~) (2013年02月12日 05時49分21秒)

Re:晩年の秀吉 ゆかりの地を訪ねて(02/11)  
KAZNY  さん
智積院、方広寺。どちらも好きな場所です。
方広寺大仏、見てみたかったですね。
晩年の所業はありますが、秀吉の人間味ある性格、好かれる面を持っていますね。 (2013年02月12日 07時39分19秒)

Re:晩年の秀吉 ゆかりの地を訪ねて(02/11)  
ほほえみ塾  さん
へええ~~~~~

京都に大仏と言うのは初耳です!!
知らないことは多いと言うことに改めて、
考えさせられました。

それにしても、、
大仏を建てても建てても、、不運に見舞われるというのには
何か因縁めいたモノを感じます。
滅びるには滅びるだけの因果の報が働いているようにも感じます。

権力を手にした人は、
今度はその権力を残そうとするために目先が見えなくなって
愚かな行為に走るのでしょうね。
又、
それを諌める人のいないことも更に愚かさな行為に拍車を掛けることになります。

下賤の身から成りあがったために人の心が分かった人でも
老いていくことで悲しいほどに権力に固執しすぎた結果、
朝鮮出兵という愚かな戦をしてしまいました。
人の一生を考えた時に、
晩年の愚かな行為がその人の全人生の評価を左右すると考えると彼の晩年の行為は残念ですね。

韓国の人々の反日感情の根深さも一人の愚かな人の行為から始まったと言うことですから、
彼の罪は深いと言わざるを得ませんね。
今の世も成功したひとや政治家の愚かな行為で
世界からはじき出されないように私たち国民の一人一人が正しい考えを持ち、
愚かな行為を阻止するための行動ができるようにしなければいけませんね。 (2013年02月12日 17時52分19秒)

Re:晩年の秀吉 ゆかりの地を訪ねて(02/11)  
智積院、なかなか行かれないお寺です。なぜかというと、だいたい夕方おそくまで拝観できる清水に行っているので、その後時間切れで門限に間に合わないのです。そこでいつも京都駅に行くバスの中で指をくわえて曲がるのです。
(2013年02月13日 09時40分34秒)

Re[1]:晩年の秀吉 ゆかりの地を訪ねて(02/11)  
こうのいけさん
コメントを有難うございます。

>へえ!
>大仏が京都にもあったとは!
-----

かつて京都にもあったんですよ。
残っていないのが残念ですけどね。
(2013年02月16日 07時17分46秒)

Re[1]:晩年の秀吉 ゆかりの地を訪ねて(02/11)  
picchukoさん
おはようございます。

>私も京都の大仏は知りませんでした。
>それにしても、つくづく残念な大仏ですけど、奈良の大仏より立派とは見て見たかった気がするな~。

作っても作っても、何度も壊れてしまった大仏。
何か祟られていたとしか思えないですね。


>よく鎌倉の大仏が奈良の大仏より男前っていいますけど(私はそうは思わないですが)、
京都の大仏さんはイケメンだったのかしら?(爆)
>でも、京都ですもの! 大仏があっても不思議ではありません。

ははは、そうなんですか。
大仏がイケメンかどうか、考えたこともありませんでした。

>秀吉は私も嫌いではありません。
>逆に読めない性格の家康よりはずっと好きかも。
>だから、豊臣家ゆかりの地をこうやって紹介してくれるのは嬉しいです。

家康も立派な人だったろうとは思いますが、あまり好きにはなれません。
秀吉の方が、華やかで活気があって良いですね。

>耳塚、私はそれを知ったのは歴史の授業ではなく、NZででした。
>それを教えてくれたのは日本人ですけど。
>私はそれまで韓国人が日本嫌いなのは特にあの戦争や戦後の歴史教育からだと思っていたのですが、
そうじゃないよ、秀吉の朝鮮出兵のことも根に持ってるんだよって教えてくれました。
>実際、ソウルには朝鮮出兵での日本人が犯したことについて今も記された板が立ってますよね。
>もちろん、それも歪められた歴史教育のひとつでもあるのですが、なんか胸が痛みました。
>韓国人の反日感情、これは根が深いわ~と思ったものです。

確かに、韓国の反日感情の根はどこからというと、秀吉の朝鮮出兵にあるのでしょうね。
逆に日本は、朝鮮からとか中国からとか攻められたことがないですから、
そうした感情に対して、割と無頓着で、そうした痛みが実感できていないように思います。
でも、今では、この耳塚に韓国の観光客もよく来ているそうです。
観光ツアーの中に組み込まれてたりするようで、日本の太平洋戦跡をめぐる旅みたいなものなのでしょうか。


>ここに鼻や耳を埋葬して供養してくれたってね~。
>なんか微妙~~~~~~~~~~(~.~)

冥福を祈るというよりは、その人たちの怨霊や災厄を恐れてという意味合いが強かったのだと思いますね、
丁重に供養することが儀式のようになっていたのだと思います。
(2013年02月16日 07時27分02秒)

Re[1]:晩年の秀吉 ゆかりの地を訪ねて(02/11)  
KAZNYさん
おはようございます。

>智積院、方広寺。どちらも好きな場所です。
>方広寺大仏、見てみたかったですね。

このあたりは、よく行かれてたんですね。
方広寺大仏、もう、再建されることはないのでしょうね。

>晩年の所業はありますが、秀吉の人間味ある性格、好かれる面を持っていますね。

秀吉は愛される性格だったんでしょうね。
それだけに、晩年の有様は残念に思います。
(2013年02月16日 07時30分12秒)

Re[1]:晩年の秀吉 ゆかりの地を訪ねて(02/11)  
ほほえみ塾さん
おはようございます。

>へええ~~~~~
>京都に大仏と言うのは初耳です!!
>知らないことは多いと言うことに改めて、考えさせられました。

秀吉の大仏は、すごかったんだと思いますね。
せめて、江戸期の大仏でも残っていれば良かったんですけどね。

>それにしても、、大仏を建てても建てても、、不運に見舞われるというのには、何か因縁めいたモノを感じます。
>滅びるには滅びるだけの因果の報が働いているようにも感じます。

本当に因果や因縁のようなものを感じますね。
残念な大仏です。

>権力を手にした人は、今度はその権力を残そうとするために目先が見えなくなって愚かな行為に走るのでしょうね。
>又、
>それを諌める人のいないことも更に愚かさな行為に拍車を掛けることになります。

権力を持ってしまうと、自己コントロールできなくなってしまうものなのでしょうか。
そういう経験のないものには、わからないですけどね。

>下賤の身から成りあがったために人の心が分かった人でも
>老いていくことで悲しいほどに権力に固執しすぎた結果、朝鮮出兵という愚かな戦をしてしまいました。
>人の一生を考えた時に、
>晩年の愚かな行為がその人の全人生の評価を左右すると考えると彼の晩年の行為は残念ですね。

晩年の愚かな行いがなければ、秀吉の評価も全く違っていただろうと思うと残念ですね。
権力を持ったことからか、老いからくるものなのか、晩年の秀吉は人が変わったようになってしまいました。

>韓国の人々の反日感情の根深さも一人の愚かな人の行為から始まったと言うことですから、
彼の罪は深いと言わざるを得ませんね。
>今の世も成功したひとや政治家の愚かな行為で
>世界からはじき出されないように私たち国民の一人一人が正しい考えを持ち、
>愚かな行為を阻止するための行動ができるようにしなければいけませんね。

為政者の行いを絶えず注視することは大切だと思いますね。そういうことに無関心というのは一番良くないと思います。
何かの時には行動できるよう、そういう気構えを持っておきたいものですね。
(2013年02月16日 07時37分06秒)

Re[1]:晩年の秀吉 ゆかりの地を訪ねて(02/11)  
灰色ウサギ0646さん
おはようございます。

>智積院、なかなか行かれないお寺です。なぜかというと、だいたい夕方おそくまで拝観できる清水に行っているので、その後時間切れで門限に間に合わないのです。
そこでいつも京都駅に行くバスの中で指をくわえて曲がるのです。

智積院の門前は、清水の帰り道になっているんですね。
長谷川等伯の襖絵で有名なお寺ですが、所蔵庫の中に納められいて、常時公開されています。
迫力があって、なかなか良いですよ。
(2013年02月16日 07時38分36秒)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

お気に入りブログ

ちるらん 新撰組鎮魂… 楊ぱちさん

武州の小城 久坂 遼さん
風雲 いざなみ日記 わだつみ判官さん
書之時  華文字   華文字さん
緑と清流 神秘家の庵さん
一 夢 庵 風 流… 慶次2000さん
turbo717's Activity… turbo717さん
文春新書『英語学習… Izumi Yukioさん
ゆうあい工房 ゆうあいママtosaさん
読書記 FC司馬さん

コメント新着

特殊鋼SLD-MAGICファン@ Re:玉松操と錦の御旗(07/25) 最近はChatGPT(LLM)や生成AI等で人工知能…
前田さより@ Re:小室信夫のこと(03/15) 歴史の研究で、歴史人物の寿命と死亡状況…
邇波 某@ Re:小野小町伝説(04/21) 多系、小野(オオノ)氏系譜。 邇波 明国彦(難…
もののはじめのiina@ 原田甲斐のふるさと 山形県東置賜郡川西町に、原田甲斐のふる…
shimanuki@ Re:ヘボンの生涯(08/12) 初めてご連絡させて頂きました。 私、株…
http://buycialisky.com/@ Re:長宗我部初陣祭ツアー(05/30) cialis gelulecialis original bestellend…
http://buycialisonli.com/@ Re:長宗我部初陣祭ツアー(05/30) cialis superior in diabetesgeneric viag…
隠れキリシタン@ Re[8]:高山右近の生涯(05/11) ゆうあいママtosaさんへ 高山右近は明石に…
gundayuu @ Re[1]:観音様と舎利子くん(04/13) yomogiさん コメントを有難うございます。…
yomogi@ Re:観音様と舎利子くん(04/13) こんばんは。gundayuuさん お久しぶりです…

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: