教師こそ、ストーリーテラーでなければならない、と思います。
子どもの「現実」を分析するのではなく、
子どもの未来の物語を、いくつも語ってあげるのです。
物語を創ってあげるのです。
実は、科学者もストーリーテラーです。
現実から、物語をつむいでいるのです。
しかし、物理理論と教室での物語が違うのは、
素粒子は科学者の物語りに影響されて、行動を変えたりしませんが、
教室では、生徒は物語に影響を受けて、
その行動を変えるところです。
教師の物語は、天気予報では良くないと思います。
子どもたちの統計上の予測、確率的な予測をしても
その子たちにとっては、実存的に意味が無いどころか、
害になるだけだと思います。
天気予報によって、雲はその動きを変えたりしませんが、
子どもは、どんどん変えていくのです。
ですから、予報自体が成り立ちません。
もともと可能性の無い子はいませんが、
たとえ、そう見える子でも、
ほんのちょっとの可能性でもあるなら、
十分に語る意義はあるのです。
「素晴らしい物語」は、目の前のテストの100点より、
何倍も意義があります。
その子の人生の素晴らしさは、テストの評価とは比較にならないのです。
常に教師は、テストを突きぬけたところに
焦点を合わせておかなければなりません。
大丈夫です。
素晴らしい物語に焦点を向けることができたなら、
テストの結果もみるみる良くなります。
子どもが元気になるので、教師の評価も高まります。
しかし、テストに焦点を合わせても、
素晴らしい物語は生まれてきません。
テストに焦点を合わせると、どうしても点数を気にします。
点数が良くても、悪くても、です。
本当は、テストから、知恵を得ること、が重要なのに、
せっかくの知恵のきっかけを、
点数稼ぎのテクニックにしてしまうのです。
子どもの想像力の翼を折ってしまうのです。
指導者は、少なくとも、点数にとらわれないように気をつけるべきです。
そうじゃなく、子どもの思考の流れを褒め称えることに
精力を集中しましょう。
たとえ、正解でも不正解でもです。
たとえ、なげやりな解答でもです。
100のうち、1の思考が入っていたら、
それを顕微鏡で拡大して、ほめたたえましょう。
私は、悪いところを批判して、良くなった子どもを見たことがありません。
悪いところは、無視するのです。
そして、良いところだけを注目するのです。
さらには、可能性が見えない場合でも、
つまり、現実から切り離されているような物語でも、
無駄だと思わずに、素敵な話をしてあげましょう。
もし、子どもに、隠れた素敵な素質があるのなら、
その現実離れした話にも、きっと反応するはずです。
反応するかどうかは、教師の責任ではなく、すべて子どものタレントです。
ただ、教師の側からできることは、お話をすることだけです。
素敵なお話をしてもらった子どもの心には、
教師はずっと生き続けます。
しかし、点数の取り方を教えてもらっても、それっきりです。
これが、私が生徒と接して、つくづく感じてきたことです。
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