2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全6件 (6件中 1-6件目)
1
うっしゃ~!おっしゃ~~~!いやもぉ最高だ!何が最高だって、そりゃあなた、なんたって巨人にホームラン攻勢で勝っちゃって、どうよ。新しい病院と自宅が車で30分かからないため、私は今、火・木・土曜日に姑の昼食時と夕食時、それ以外の日は夕食時だけの付き添いをしている。家政婦さんが来てくれる日曜日と月水金は本来は夕食を済ませるまでお願いをしていたのだけど、今の病院は交通の便が悪く、夕食を済ませてからの時間帯になるとタクシーもなかなか来てくれないということで、夕食時に私が病院に出向き、家政婦さんを最寄りの駅まで送ってから病院に戻り、姑の夕食の介助をすることにしている。今の病院に移ってからのお食事が姑の口には合うらしく、かなり一人で食べるようになってきており、スピードもやや速くなってきて、それでも一時間はかかるけれど、特養にいた時並みに食べられるようになっているので家政婦さんを駅まで送り届ける30分ほどの間に、半分以上一人で食べる日もある。また、今の病院には入院患者と同じメニューで付き添いさん用のお食事を頼むことができるため、昨晩試しに舅用に一食頼み、姑の昼食を終えた後でいったん帰宅して自宅の夕食の用意をしたあと、夕方舅を連れて病院へ出向いたのでありました。例によって耳の遠い舅が用意よく補聴器を装着するでもないため、蚊の鳴くような声の姑の囁きは聞こえず、一緒に食事をするといっても、立位で姑の食事介助をする力は舅にはなく、ただただ同じ部屋にいて共に同じものを食べているということのみの幸せをご用意申し上げた。舅がいても姑はテレビに夢中で食べており、舅はわざわざ出向いたかいもないけれど、それでも「ほらお隣りでお父さんもお食事なさってますでしょ」と注意を向けると「パパおかわりは?」などと声をかける。姑にはここが病院であることも、自分が入院していることも希薄、自宅にいるとでも思っているかのような言動は、舅の喜ぶところでもある。ま、そんなわけで舅の食事の用意もせずに済むし、送り迎えは面倒だけど、時々はこの手もあるかと思ったりです。とはいえ、今の入院スタイルはもうしばらくのはずで長くはなく、この先老健に移ると、一緒に食事をとるという場面もなくなることを思えば、付き添いもそれまでなら舅を連れて出向くのも今後は頻度が少なくなる予定。でもって昨夜も8時過ぎに自宅に戻れたため、夕食を取りながらわが愛する阪神タイガースの試合をテレビ観戦するという至福のひと時が持てたのである。しかも、逆転勝利と言っていい、しかも相手はニックキ巨人なわけだから、これで舞い上がらないとしたら、あたしは病気だってことになる。もとより不死身の私としてはそりゃ盛り上がるってもんで、このところ遊んで帰らないために8時には自宅に戻ってきていたトドの追加注文で焼いていたタラコを焦がしたくらい、どうってことないってもんだ。トドもとりあえずわが愛する阪神タイガースが勝利していると私の機嫌がよいことは経験から熟知しており、最近では調理中に実況してくれることもある。そんな学習はできるんや・・・(笑)さ~て、今日も行ってや~!東京ドームでサンタテ行ってみよ~~~!ちなみに姑は野球が嫌いで、テレビ中継も好まない舅は阪神タイガースファンなのだが、私は共には喜ばないことにしている。
2010年04月14日
コメント(2)
一つ目の転は、姑転院しました、の転今まで入院していたのは、私の実父が長くお世話になっていた病院で、私の自宅からは小一時間かかる距離確かに遠く、付き添っている途中で自宅に戻ることは不可能と思える位置関係だった。その病院でなければならない理由は義理家族にはないので、落ち着いたら自宅に近い病院なり施設なりに移りたく、ソーシャルワーカーさんを通じてあたってもらっていた。姑の転出先の候補としては、療養病院、もしくは療養病床を持っている病院、ということだったけれど、療養専門の病院では姑の特定疾患に対する投薬や、この先起きる可能性のある不測の事態に対応できないと断られ、急性期病院で療養病床を持っているところからは認知症ありきが問題視されて断られ、かといって介護施設は気管切開をしているための医療面でのサポートができないと断られ、行き場がない?という状況で、いよいよ在宅か?!と覚悟を決めつつあったところ、老健を併設している病院から受け入れていただけるというお返事をいただいて、このたびめでたく転院いたしました。今度の病院は、我が家から車で20分、相変わらず家政婦さんに週4日お願いして、残り3日は私が担当だけど、昼食を済ませた後いったん帰宅して、夕食に間に合うようにまた病院へ行く、ということも可能な距離なのでありがたい。最終目標は老健での生活なのだけど、まずは病院に入院して状態を把握したのち、お薬などもいただいたうえで、老健に入所という運びになる予定で受け入れていただいている。数日で移れるのか、数か月に及ぶのかは、新しい主治医のご判断を待たねばならないけれど、ともかくこの病院での入院中に、元気であることをアピールして老健に移してほしく、(老健に移ればお食事の介助などの必要がないので)もうしばらく頑張って通うつもりの今です。んなわけで、これで落ち着く保証はないまでも、今回の病院も併設老健も、いい意味で境界線がルーズ老健に入所していても、医療措置が必要になればすぐに病院に移してもらえるという利点もある。また、老健では毎日午後にリハビリの時間があり、運動以外に手先の作業などの療法もあり、姑にはちょうど良いかとも思える。ひとつ問題なのは、入院患者の大半が重病の方で、その意味では姑もその部類に入るところがあるとはいえ、おそらく舅は、この病院に入った姑を不憫に思うだろう、病院としては悪くないと私は思っているけれど、下見に行ったトドもお願いすることに決めて帰ってきてから「いきなりあそこかなぁ」としばし逡巡していたことを思うと、舅はもっと、ある意味のショックを受けそうな気がして、めんどくさい。でもってもう一つの転は、舅の転倒。舅は現在、三か所の出稽古を月に三回つづ行っており、お稽古場へは朝は私が送っていき、帰りはお弟子さんに送っていただく、ということになっている。頻繁に転倒したため、歩行器を使っての外出に切り替えるまでは、帰りも私が迎えに行っていたけれど、お稽古の終わる時間が一定しないことと、午後は実母のところへも顔を出したく、トドに相談をしてお弟子さんのお手を煩わせることになったものだ。ところが、季節は桜の美しい時期、帰りは一人で気ままに散歩をして帰ると言い募り、先週の月曜日、舅は一人で歩いて帰り(私の足なら10分ほどの距離)案の定きっちりやっぱり転倒をして、(でも骨折はしない)顔と手に擦り傷ができた。我が家は今、姑が入院をしているといういわば非常態勢、この時期に舅に怪我をされると本当に回らなくなる。ということは何度も進言し、舅自身にもよくおわかりのはずなのだけど月曜日の朝、送り届けるときに、周囲の桜を眺めながら「来年も桜が見れるかな」とノタマッタ舅。足が弱ったとはいえ、いまだにフライもの大好きな頑健な食欲をお持ちの舅をみていると、来年どうこうという状況ではとてもなさそうでどちらかといえば私たちのほうがお先に失礼しそうなくらい、お元気だと思える。ま、そんな舅なので、桜は今年限りではないと私たちは思うけれど、ご本人はそうやって末期の桜と思い、感慨にふけるのでありましょう。そしてその感慨深い桜を愛でて、お散歩をしつつお帰りになったところでの転倒。これについてはトドが「何遍言うたらわかるんや!」罵詈雑言、罵るところを押しとどめたのも私なのです。「言うたって聞くようなオヤジ殿やない、って何遍言うたらわかるんや」ってトドに言ったり…(笑)そして、やっぱりね、舅は言いますよ「お母さんが入院してた病院は、ポポ子さんのお父さんが死んだ病院やな」って連呼。(笑)そうです、それがなにか?もう、わかってるつもりだけど、アホらしくって父が最期を過ごした病院は、ただ亡くなっただけの病院ではなく、発病以来共に通い、父との最後の数年を過ごした思い出深い場所でもある。姑の入院中に、これまでお世話になった各課(産婦人科と神経科以外、全てに診察を受けていた)のお医者様や看護師さん、リハビリや理学療法士の先生方、売店や食堂の方たち、通院歴の長いなじみの患者さんたち三年ぶりに通った病院には、まだ私を覚えてくださっている方が多くいて、顔を合わすと「あれ~お父さんまた入院?」とか「最近会わへんかったね~元気?」って病院で元気?(笑)それは懐かしく、実父がお世話になった方々に改めてお礼が言えたり、ということもありながら今はいない父を感じる場所ばかりなので、そこはやはり辛くもあった。姑が入院して気管切開を受けることになったとき、トドは実父の気管切開のことを比較に挙げて話をすることが多く、「あれはいたずらに命を延ばすだけで、苦しみを与えるようなもんやったな」と言いそれが数度に及んだときに、さすがに「パパのことを比較に出されるのも仕方ないかもしれないけど、病歴が違う、私は延命治療を施したとは思っていない、私も主治医も、復活にかけた処置として執り行ったんだ」ということを改めて伝えトドの表現は無神経であること、おそらくそのような反応に鳴ることは予期していたので、本来はこの病院を紹介したくはなかったことを申し出た。トドは自分の不明をわび、以後、言動には気をつけてくれているのだけど今回は舅だ。で、転倒のときは、罵倒しそうになるのを阻止したのだけど、今度はトドに思うさま罵倒してもらいました。(笑)舅には悪気はなく、ただただ無神経なだけ、語彙が少ないだけ、いままでにもよくあったことなのでだから・・・嫌いだ。今、生活全般を私に依存し、愛する妻の生死も私の手の中といっていい状態の中で、言葉には気をつけなっ!と悪態をついて(心の中で)とりあえず、絶交状態三日目です。(笑)明日も送っていくねんけど、一切話はしてやらへんねん、(*^^)vさ~てと、ママさんの所へ行って精神浄化してきます。今日はどこの桜を見に行くかな~・・・
2010年04月11日
コメント(2)
2010年04月04日
コメント(4)
ママさんとご近所のあひる公園(勝手に命名)でプチ花見。 下ばかり見て歩くので、ベンチに腰をかけてはじめて「桜が咲いてるの?」と気付いてくれました。 おしゃべりは相変わらずですが、動きはかなり劣ろえてしまったママさんです。 そろそろお出かけには車椅子も必要かなと思いながら、出来るだけ綺麗な景色を見てもらいたく思います。
2010年04月04日
コメント(0)
脊髄小脳変性症を患っていることが分かってから5年ほどになる姑は、同時に脳血管型認知症も確認されて今に至る。一昨年夏、すでに家の中でも伝い歩きになっている姑のため、義理家の自宅改修をしたところ、工事期間中にショートステイ先の特養で転倒し骨折。手術はうまくいったものの結局歩けるようにはならず、というか認知症があるためリハビリが進まず、一か月余りの入院生活の後、車いすでの生活になってしまった姑は、自宅での生活は不可能になり、姑のために改装した家に帰ってくることはなく、特養の人になった。今回は呼吸困難による救急搬送の上の入院で、前回を超える入院生活になろうとしている。姑は周囲の人だれもが認めるやさしい人、ということになっており、実際確かにやさしい、のだろうと思う。私に対してもやさしい人であったことは認めるけれど、そのやさしさは無意味なものでしかなかった。和服を着用する必要がある夫に嫁いだ私には、嫁いだ当初は和服の知識がなく、教えを請うのは姑以外にないはずだったけれど姑は私にやさしいため?か、はっきりと指示を出してくれることはなく、困惑した私が分からないなりに整えたものを提示するとそのままスルーで認めてくださった。でもそれは、その場にそぐわない取り合わせであることがままあり、それを指摘し恥をかかなくて済むように教えてくださったのは古くからおられるお弟子さんたちであった。お弟子さんたちにも姑の無意味なやさしさは、「ともかくもお優しい」という形で認識されていたのである。やさしい姑はまた、実父の入院のためアルツハイマーの実母の介添えが必要になり、実家に泊まりこむと報告した時には、何より息子の洗濯物の心配をし、食事の心配をしてくださったのである。本当にやさしい人なら、実家の両親のことを一番に、口にして下さったのではないかと、今も私は思っている。そしてやさしい姑は、「私たちは貴女のお世話にならないようにするのに」と決定事項のように将来を語り、その後ほどなく、生活全般を私に頼るようになったのである。また、やさしい姑は「ポポ子さんは嫁いできたんだから御実家のことには口を出さないほうがいい」とお父さんが言っている。「ポポ子さんが子供がほしいというのは、老後の面倒を見てくれる人が必要だからか」とお父さんが言っている。「ポポ子さんが仕事を持つのは夫婦のすれ違いの原因になるからやめたほうがいい」とお父さんが言っている。などなど、様々なことを舅の言葉として私に伝えた。御自分の言葉としてではなく舅の発言、本当にそうおっしゃったかもしれず、違っていたかもしれず、極めつけとして印象深いのは、夫の浮気をも「男の人にはよくあること」とやさしく認め不妊治療で苦慮していた私に「結婚前から占いでポポ子さんには子供が授からないとわかっていたの」とやさしく諭してくださった。さすがにこのとき私は絶句、言葉もなく電話を切ったことを昨日のことのように覚えている。誰もが認めるやさしい人、だけど私にはそのやさしさは無意味。二度目になる今回の入院生活でも、自分から食事を積極的にとらない姑に、一口づつ食べ物をすすめてとらせている私は、事情を知らない周囲の人から「娘さん」として認識されることもある、つまり、大変親身になってやさしく看護をしている。と自分で言うのもなんだけど、実際確かに丁寧に、親身に、やさしくしているわけです。姑は私に対して数々の言動があったことなど、少し前から忘れているようで、自宅で生活していたころから、「どこで誰と暮らしたい?」とケアマネさんに聞かれると「ポポ子さんのところ」であった。今入院している病院は実父がお世話になっていた病院なので、その時からの顔見知りの人たちの中には実母を覚えていてくださる方もあり(院内徘徊の探索などがあったため)間違われることはないのだけど病室に顔を出すと安堵の表情を浮かべる姑を見て「娘さんが来ると表情が違いますね」などと言われ、訂正するのもめんどくさい時はスルーしていたりする。家政婦さんに週に4日、残りの3日を昼食時から夕食を終えて就寝準備をするまで私が担当しているのだけどお世話をしているとふつふつと憎しみが増す。実母は混迷期を経て今は素直な人になり、食事も自分できちんと最後まで食べられ、明るく陽気でありがたいけれど姑は言語も不明瞭で食事も進まず、自分から意思を伝える事をせず、喉のチューブを抜いたり、点滴を抜いたりと、そういうことはできたりする。私はこの場と、ごく親しいリアル友達以外には、姑の愚痴をこぼさないことにしており、それはトド(夫)にも同じ。確かに仕事も忙しく、二月に倒れたこともあるトドに姑の付き添いはきついのだけど、私を信頼して任せているトドに、いつ首を絞めるかわからないような憎しみを抱いている私に看護させている危機感はない。とりとめなくつらつら書いているけれど、要するに、私は姑が嫌いなんである。自分で何も決めず、何の意思もなく舅に従ってきたかのような人生を、私は嫌悪する。若いころは美しい人であったと聞くけれど、私が出会ったときは60に手が届くころだった姑は、絶世とは言い難い美女だった。息子が嫁に見習わせたいと思うような手料理の一つもなく、家事全般見習うことが本当にない人。偉そうなことを書いてるなと、思っている人もおられると思うけど、お姫様然として暮らしてきた人に、呆れることばかり多い年月だったのだ。いずれにしても、そんな大嫌いな姑を看護している自分に、嫌悪しつつ日を送っていると、自分がばらばらになりそうで・・。で、ガス抜きに書いているわけです。姑は、もう今までいた特養に帰れなくなり、療養病床を持っている病院のいくつかから断られ、かといって医療病床に入院しなければならないような状態ではなく、行き場が無くなっている。私の行動範囲内に、実母は絶対預けたくない病院、があるのだけど、最後はそこに決まるかもしれない。もちろん決定するのは息子。選択肢の中には在宅看護もあるのだけど、自分が手を出すつもりはなく、私の手を姑に取られることで仕事に弊害があると考えるトドは、最終病院でも良いとの結論を出そうとしている。この病院では、自分で頻繁に喉のチューブを抜いてしまう姑は、二十四時間抑制されるだろう。危険だからね、いまのように付き添わなくてもよい、と言われているので、私はせいぜい週に一二度、洗濯物を取り替えに行く程度になるだろうしそういう生活だと姑も落ち着かず荒れるだろうから、「そういうお母さんに会っても仕方ない」とおっしゃる舅の訪れも間隔が開くだろう。姑は坂道を転がるように、認知症状が進むに違いなく、おそらく食事も細やかに食べさせてもらえなければ体力も落ち、衰えていくことと思われる。私は姑にやさしく「私はお家にお連れしようと思ったんですけど、トドさんが自宅で引き取れないとおっしゃっているの、御免なさいね」とそろそろ言うつもりだ。(笑)看護も介護も、なんだかんだで十年近くかかわってきた私には、作業には慣れた感覚があり、在宅は大変ではあるけれど、どうせ舅もこれから手がかかることを考えると、二人並べてのやり方もまた可能と思えるもちろん全部私一人でかぶるつもりはなく、介護保険をフルに使い、難病対策として受けられる地域のサービスも駆使し、家政婦さんも動員しての体制での在宅を考えているのだけどそしてこの機会に姑を在宅することによってトドに恩を売り、実母の在宅をも模索したくもある。ま、そんな感じで・・・ちょいと毒吐きでした。今日は家政婦さんに病院をお願いしているので、そろそろ実母のところへ行きます。桜、やっと咲きそろってきたので、お花見ドライブ桜とママさんに癒してもらいに・・・行ってきます
2010年04月04日
コメント(2)
長らくご無沙汰しております。年末に新居に転居するはずが、転居完了いまだせず・・・何かとことの多い毎日に取り紛れ、ブログの更新も失礼しております。え~・・・・どこから話せばよいのやら・・・とりあえず時系列にご報告させていただきますと一月某日、転居(といってもまだ全部引っ越しは済んでいない)先のマンションで親子心中事件がありましてある日出先から帰宅するとマンション内外にお巡りさんがいっぱい(@_@)で、何事!?と驚いておりましたところこの段階では心中というより殺人事件っぽい態勢での警戒で、思わずご遺体の搬送場面を上からのぞいてしまったりで、びっくりでありました。その驚きも冷めない一月の終わり、河童からの知らせで、イングリ(河童の嫁さん)が勤め先でにわかに激しい腹痛に見舞われ、救急車で病院に運ばれ緊急手術になったとか卵巣が破裂したのだそうでございまして、破裂と聞くと「ボンッ」と破裂したのかと思いきや、卵巣の一つに亀裂が入ったとのことでございまして、だからといって簡単かというとけしてそんなことはなく、河童夫婦も別居スタイルであれば、この腹痛が夜間自宅で発症していたら、とても自力で救急車を呼ぶこともかなわず、大変な事態になっていたものと思われ・・・ともかく卵巣を一つ摘出するという手術を受けたのでございました。イングリの勤め先近くには身内もなく、河童が仕事を休んで付き添ってもおりましたが、私も付き添いに通ってみたりしたのでありました。術後の痛みの中でイングリが「何かの天罰かと思う」などというもので、思わず「ほんまやね~」同調しそうになってあわわ・・・「そんなことないよ~」と言いながら、なにかザマミロな感覚がぬぐえないのも日頃の付き合い加減がなせる技(笑)いや、病人相手に笑っちゃいけないんですけどね・・・・昨年親友が似たような手術を受けた時には、心底心配が先に立ち、患者本人よりあわてた自分を思い起こすと、いやはや、義理関係はやはり冷たきものと、我が身を省みる事態でありました。んで、イングリが退院し実家に落ち着いてほっと一息ついたところで、年末から半同居の生活をスタートさせていPさん(舅)の転倒が重なり足などが内出血だらけになってしまったため、お薬をやめたり、杖での歩行にこだわっておられたPさんに介護レンタルで歩行器などを手配したり、しばし歩行器になじむまでついて歩き、安定した歩行を確保して・・・イングリも体調万全とはいえないまでも三月から職場復帰を果たしたのでありました。いよいよ引っ越し完了しないと~と思った三月三日に日付が変わったとたん、姑の施設から電話があって「呼吸困難で救急搬送します」ってことで姑の入院歴のある病院と施設の提携病院には断られてしまったため、救急車を呼んでという騒ぎになりましたんです。ところが、この救急車の行き先が定まらないこと二時間余り、時間はすでに深夜の三時を過ぎようというころになって思い余って実父がお世話になった病院に個人的に頼むことを救急隊と相談し、結局、私たちが第一報を受けた一時過ぎから三時間余りを過ぎた午前四時過ぎに、やっと病院に入った姑でありました。姑の呼吸困難は、舌根沈下という状況と、声帯がふさがった状態で痙攣をおこし固まってしまう、という状態からくるもので、喘鳴を発しておりました。たまたまその日の当直が、ユニットの責任者の方だったことや、同じく当直が看護師長さんだったことが幸いし、事態の緩和を図ってもらえたことが、姑にとってはラッキーだったと言えるでしょう。診察を受けた結果、気管切開をし気管チューブを入れて自発呼吸をする、ということになり、機械にはつながれないまでも、実家の父と同じように気管切開施術を受けたのでありました。姑の場合は切開部分より上の口に近いところに異変があることから、チューブを入れれば呼吸は確保でき呼吸困難には至らない、との御判断で、それは確かにそうなのだけど・・・術後熱などが落ち着き、体力が回復してくると、自分でチューブを抜いてしまうという問題が出てきて今に至ります。また、気管切開をすると痰の吸引などが必要なのですが、之は医療行為ということでヘルパーさんのお仕事の領域外、つまり介護施設では感染症予防の措置がとれないということと、夜間の管理ができないということで、今まで暮らしていた特養に帰れないことになりました。今現在は気管チューブを入れている以外は、入院前の状態に戻りつつあり、ただ入院生活で足が曲がった状態で委縮しつつあり、そのためのリハビリを受ける以外に、入院の必要もない体になっています。今後は療養病床での生活を望んでいますが、難病を持っていることと、認知症があり自己管理できないことがネックになっているのか、すでにあちこち断られています。行く先が決まるまでは今の病院に入院していることができますが、一般の病棟なので家族の付き添いは欠かせず、と言って付き添えるのは私一人なので、今回も入院当初から家政婦さんを頼み、交替で見ております。この間、ママさんのお世話になっている施設もオーナーが代わり、説明会やら契約の取り交わしやら、介護のサービス内容も変わったりであたふたまた、二月から花水木ちゃんが新しい職場に通いだし、今度はお仲間もできて順調、かとおもいきや、三月に入ってから遠慮がちに知らせがあって、パワハラだとか・・・今回は職場の方たちも花水木ちゃんの理解者で仕事自体は面白い、ということもあって、本人と相談したうえで、今回は自分で上司の方に相談の上、今も仕事を続けていますので、とりあえずほっと・・・お沢庵(花水木ちゃんの弟)も舞台のお仕事が決まり主役をいただいたとかで、月末は見に行ってやりたく・・・父の法事もせにゃならんし、甲子園にも行かなあかんし(同列?)んな毎日であります。さすがに自分の両親のことで私に手間をかけている、そのことはトドにも判るらしく偉そうな態度は変わらないまでも実父の看護に通っていた時のような冷たい空気ではない我が家ではあります。そうそう・・・二月に四国のお稽古先で催しを企画し、前日の結婚記念日には旅行気分で観光も予定して出かけたのですが出先でトドが珍しく具合悪くなって、お休みの日に救急病院のお世話なり、結局催しは欠席でホテルで寝てまして、私がお手伝いにお願いしていた先生と一緒に一日切り盛りをした、などということもあったためか私の三月の誕生日は豪華だったことを、申し添えます。でもね、その日はママさんとゆっくり過ごしたい日でもあり、そのあたりの空気、相変わらず読めない奴ではあります。また、姑も受け入れ先が決まらなければ、在宅の可能性も考えなくてはいけないんですけど、トドには全くその意思はなくそれはありがたいながらも、なんというか・・・彼が病人に冷たいのは、私の親だけに限らないのだと思い知ったりしております。さすがに一カ月になると姑の付添にも限界を感じてもおり、合間にママさんを訪ねてはいるものの、そろそろもとのパターンに戻したくもあります。そんなわけで姑は今、実父がお世話になった病院にいるため、顔見知りのお医者様や看護師さん、売店の方、リハビリや理学療法士の先生などに次々お目にかかり、懐かしいやらさみしいやら、そのあたりの複雑な心境とともに、実父入院中に感じた焦燥感などは姑には感じず、淡々と看護しております。ってなわけで、更新、次がいつになることやらですが、とりあえず今年はそんな感じで・・・・いつも覗いてくださって、ありがとうございます。
2010年04月02日
コメント(2)
全6件 (6件中 1-6件目)
1