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昼食前に善徳女王(ぜんとくじょおう、ソンドンニョワン)稜に立ち寄る。
車窓から小さな善徳女王稜の石碑を発見し慌ててカメラを構えシャッターを押したが
ややピンぼけ。
ツアーガイドの説明によると『善徳女王』は、韓国にて2009年5月~12月2まで
韓国MBCでテレビドラマとして放送され大人気を得たとのこと。
日本でもBSフジで『善徳女王 -The Great Queen Seondeok-』(-ザ・グレート・クイーン・ソンドク-)
として、2009年10月から2011年1月で全62話で放送されオバチャンに大人気のドラマとなったと。
【 http://www.bsfuji.tv/seondeok/ 】より転載。
田園の中の駐車場に車を停め徒歩で陵に向かう。
途中小川で貝を洗うオジサンの姿が。
この小川で採れたタニシで食べるのだと。
タニシは日本ではほとんど食べないが、韓国では食用に栽培されるほど人気がある食材
であるとガイドから。
それにしても大漁。
そして案内板を見ながら松林の中に進む。
선덕여왕릉 ソンドッヨワンヌン(善徳女王陵)のハングル語が。
善徳女王は、日本の飛鳥時代に新羅の第27代の王(在位:632年 - 647年)。
韓国5千年歴史上初めての新羅の女王。
善徳女王は息子のいない真平王の長女として生まれ、新羅最初の女王となった。
在位16年の間に、瞻星台や芬皇寺を創建し、新羅最大の皇龍寺九層木塔を
建立するなど新羅建築の金字塔を打ち建てた人物。
【 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%84%E5%BE%B3%E5%A5%B3%E7%8E%8B 】
より転載。
目の前に比較的小さい陵が姿を現した。
全周74mの円墳で、高さ6.8m、直径24mになるこの陵の外形は土を丸く
積み上げた形態をなし、下部には陵を保護するために2~3段からなる
自然石の石築が。
説明板によると、太宗武烈王となった金春秋と、名将の金庾信といった人物を率いて
三国統一の基盤を築いた。
「三国遺事」には、‘私はこの日に死ぬので、その時は忉利天に葬るように命じたが、
群臣たちはそれがどこなのか分らず尋ねると、女王は狼山の南側だと言ったた。
その後に王が亡くなると、群臣たちは王を狼山南側の日当たりのいい場所に葬った。
その後33年過ぎた文武大王19年(679年)、王陵の麓に四天王寺を創建し始めた。
仏殿には四天王寺の上に忉利天があるといわれ、その当時に善徳女王の霊妙な
神聖さが分った。’と記録が伝わっていると。
特に装飾がなく、他の王陵に比べ規模が小さく質素そのもの。
王陵の下の方には護国寺として知られている四天王寺址や神文王陵などがあった。
そして10分ほど走って昼食のレストランへ。
この日の昼食は「石焼きビビンバ」。
そして昼食料金はツアー料金に含まれているのであった。
ビビンバは、朝鮮半島の混ぜご飯。
専用容器にご飯とナムルや肉、卵等の具が載せてありこれを良くかき混ぜて食べたのであった。
スープも美味。
そしてガイドの薦めもありチジミも追加オーダー。
イカ入りチヂミは薄く外側はパリっと、内側はもちっとした食感であり、
タレにつけて食べたがこちらも美味しかったのであった。
レストランには発見当時の石窟庵の写真が貼られていた。
仏国寺の古き写真も。
そして店先の布袋様?が笑顔で見送ってくれた。
我々のツアー車のナンバー。
韓国の車のナンバープレートを見てみると、いろいろなタイプのものが
あるこのでした。それは、最近10年もしない間に、3回も変わったと
ガイドから。昔は全て日本と同様に所属の地域名が記載されていた。
しかし地域感情を刺激するということで、地域名をなくしたとのこと。
それまでは緑地に白色文字であったがプレートの色が緑だと、番号が見にくい
ということで白に黒字へと変わったのだと。
そしてレンタカー車の文字は『 ㅎ 』がついていると同じくガイドから。
この車は호(ホ)であるが허(ホ)等『 ㅎ 』がついていることでレンタカーと解るとのこと。
日本では『わ』がほとんどであるが。
車は慶州の中心地に向かって進む。
車窓からも見ても、このような古墳や遺跡が日常の生活に普通に馴染んでいてちょっと
不思議な雰囲気な空間。
慶州の街は何となくホッとするものがあり、気持ちが落ち着けるのは、高層ビルや
新興アパート群が無く、町を取り巻く自然と遺跡群のせいなのであろう。
人の姿がない遺跡群の風景を楽しみながら車は進んだのであった。