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ミュンヘン国際空港まで、このツアー最後の移動の為、バスに向かって徒歩にて引き返す。
旧市庁舎前の交差点の店の前にはミュンヘンとバイエルンのシンボル、二頭の獅子(ライオン)。
獅子はドイツのバイエルン地方を発祥とするヨーロッパの有力な君主・ヴィッテルスバッハ家
(Haus Wittelsbach)の家紋なのだ。
再びハイデルベルク聖霊教会 (
バスに乗車しミュンヘン国際空港を目指す。再びイザール川を渡る。
イザール川中州のドイツ博物館の前には巨大なスクリューが展示されていた。
ドイツ博物館は、農業、鉱業、航空工学から、鉄道、機械、宇宙に至るまで、
ドイツの科学技術を若い世代に引き継ぎ、学ばせるための 博物館とのこと。
直径6~7m近い大きな船のスクリュー。
正面のフロントガラスにアリアンツ・アレーナ(Allianz Arena)が姿を現す。
ミュンヘンにあるサッカー専用スタジアム。
2006 FIFAワールドカップドイツ大会の競技会場とのこと。
繭のような外観は半透明のプラスチック製特殊フィルムで覆われていた。
アリーナ前の道路の反対側には風力発電が。
9号線を進むとミュンヘン国際空港の表示が現れた。
ここにも菜の花畑が拡がる。
そして92号線に移り更に進むと車窓にミュンヘン空港管制塔が姿を現した。
空港に着くと、今回のツアー会社のミュンヘン駐在の女性が迎えてくれた。
今回のツアーで約3000km?走破してくれたバスのドライバーに感謝とお礼の言葉を
述べ、バスを降りトランクを受け取る。
ターミナルビルに入り、カウンターで搭乗手続きし荷物を預ける。
きちんと整列し整然と順番を待つ日本人そして我がツアー仲間なのであった。
ベルト、ジャケット等まで荷物籠に入れさせられたが、荷物検査も無事完了。
出国のパスポート検査も無事通過。
難民問題を抱えた中で、セキュリティーは厳しくなっていた。
ここミュンヘン国際空港では、4/26にターミナルビルを運営するミュンヘン空港会社と、
ルフトハンザ ドイツ航空とが共同出資で進めてきた新サテライトターミナル施設が開業した
ばかりと添乗員から。
我々が搭乗するゲートLは開業直後の新サテライトターミナル2施設内。
完全自動運転によるエネルギー節約型トレインで、乗車1分程で
新サテライトターミナル2へ。
搭乗ゲート・L09前での集合時間まで免税店を散策する。
巨大なビール樽が販売されていた。
5L?のビール樽。お土産に買って帰る人がいるのであろう。
『また来いよ』?と見送ってくれるオジサンの姿も。
30gで300~400ユーロ(35,000~50,000円)近くの世界三大珍味の1つ、
土産用キャビアを発見。
購入したかったが、もちろんパス。
『Just looking』、それにしても、何とも『興醒め』な話。
帰路もドイツ航空ルフトハンザ便。
16:00発のLH714便。
帰路もTOKYO(HND)到着便、このツアーを選んだ大きな理由の一つなのであった。
新サテライトターミナル2を離れて、スケジュール通りに飛行機は出発。
ミュンヘン空港からポーランド、リトアニア、ラトビアの上空を飛びバルト海へ。
最初の夕食。
『かつカレー』が食べたかったが、私の席(55A)に漸く来たときには品切れと。
やむなく鶏胸肉のグリルで我慢。茶蕎麦が付いていたが。
そして往路と同じ、ロシアの亜寒帯、永久凍土の大地の上をひたすら飛行。
時差ボケ防止用の、いつもの帰路の機内での睡眠改善薬も旅の疲れもあってか、
よく効きその後はひたすら爆睡。
目を覚ますと飛行機はロシア極東のハバロフスク地方をオホーツク海に向かっていた。
間宮海峡(まみやかいきょう)の西を日本海に向けて飛行している事を確認。
間宮海峡はユーラシア大陸(北満州・沿海地方、ハバロフスク地方)と
樺太(サハリン島) との間にある海峡。
そして軽朝食。
飛行機は日本海に入り新潟に向けて。
新潟から日本本土上空に入る。
雲のため、日本の大地の姿はほとんど見えなかった。
会津若松の南上空。
そして定刻(10:35)よりも早く羽田空港に到着。
やはり海外旅行は羽田出発、到着が便利で良いのであった。
我々のツアー客の中にも、更に国内線に乗り継ぎ自宅に戻る方々も数名。
入国手続きを完了しツアー仲間、添乗員への挨拶、税関検査、WIFIの返却を無事終え、
駐車場への送迎車に乗る。
旅友のSさんの愛車で湾岸道路を利用し帰宅の途へ。
鶴見つばさ橋が前方に。
写真の表示は4月28日であるが日本は既に4月29日。
横浜ベイブリッジを通過し、羽田空港から1時間で我が家の玄関先まで
旅友のSさんが送ってくれたのであった。
ドイツ、オーストリア、スロベニア、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、モンテネグロの
6ヶ国を訪れ、ほぼ同じ道を戻る10日間、移動距離約3000km?の弾丸ツアーであった。
しかしいずれも、古き街、新しき街あり、湖あり、川あり、山あり、海ありの、海そして空の青、
新緑の緑、山の石灰岩の白、雪の白、海岸の白、オレンジの屋根と色彩豊かな調和のとれた
感動の世界遺産ありとバリエーションに富んだ見どころ多い魅力的な国々なのであった。
総勢33名+添乗員、そして平均年齢、間違いなく60歳以上のアクティブ シニアの
(片眼をうっすら瞑れば?)和気藹々の旅であった。
初めて訪れた『く』の字形の国クロアチアは、中世の面影残る石畳の歴史ある街と
豊かな自然が調和した美しい国であった。
アドリア海岸沿いは複雑な海岸線と入り組んだ湾が続き、非常に美しい景観を生み出し
楽しませてくれたのであった。
自然とアドリア海の輝く海、ドブロブニクのレンガ色の屋根で統一された見事な街並みは
色彩豊かであり、想像以上のいつまでも思い出に残る絶景であった。
【旅行会社 HPより転載】
バスの車窓から、そんな景色と青い海を眺めながらバスの旅を楽しめるのも、
現在では治安のよいクロアチアならではの体験であった。
現在に至る歴史は、クロアチア軍が、ユーゴスラビア軍と全面衝突しクロアチア紛争が
発生し1995年まで続いたのだ。また1992年ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争にも介入し、
セルビア人居住地域からセルビア人を排除し、これらの地域を国土とした独立国として
現在に至っている事をあらためて知ったのであった。
そしてこれらの現実の出来事は僅か20数年前の事なのであった。
この地の人々は、今、民族の誇りの証として街や建造物の輝かしい姿を取り戻すべく
地道な努力を日々続けている事を実感できたのであった。
プリトヴィッツェ湖群そしてクルカ国立公園は泳いでいる魚や湖(川)底がはっきりと
確認できるほど水が澄み、また場所や時間によって、湖(川)面が緑色や青色に変化する
光景は幻想的かつ神秘的で、見ごたえ十分、慌ただしい中でも心洗われる時間であった。
そしてアドリア海に面した世界遺産スプリット、トロギール旧市街、そしてモンテネグロの
コトル旧市街は、過去と現在が交差する、そして歴史ロマン溢れる不思議な小さな街であった。
そしてそれぞれの街には活気溢れる露天の土産店、青空市場が広がっていた。
ここでは各種の花のハチミツや干しイチジクなど、土産にもなるアイテムが揃っていた。
時間がたっぷりあれば、青空市場だけでも半日は楽しむことが出来るほどであった。
旅友のSさんをはじめ単独参加のオジサンとも親しくなり、部屋での晩餐も我を忘れるほど??
楽しむことが出来たのであった。
そして次回は、
1)フィンランド+バルト3国
2)ギリシャ、ブルガリア、ルーマニア周遊
が旅友のSさんとの帰路の飛行機内での候補地に。
南アフリカも一度は、いや一度だけ行ってみたい場所ではあるが・・・・・・??。
4月29日に帰国し、丁度1ヶ月間の旅行記、いや旅の備忘録のブログアップになってしまった。
やや細かすぎる事は承知しているが、私の写真入りの個人的な備忘録としてご理解を。
【旅行会社 HPより転載】