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【四国八十八箇所霊場巡り ブログリスト】
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翌朝のT邸からの朝焼け。
ベランダから見る日の出。
朝食も豪華そのもの。
Tさんにお礼そして再開を約束してこの日の最初の散策地の高野山に向かう。
途中、24号線沿いにあるの道の駅 「紀の川万葉の里」に立ち寄る。
販売所にはこの地の特産の各種の柿が販売されていた。
土産に真っ黒な粉が吹いた柿を土産に購入。これぞ思い荷物にならない車で移動の特典。
県道480号線を世界遺産の高野山に向かって車を進める。
花坂不動尊。
参詣道の道中安全の守護を願い、表高野に位置する花坂の地が不動尊建立に最適な浄地である
との霊示を受け、花坂不動尊を建立開眼した。霊験あらたかな不動明王像を彫刻し、本堂に
本尊として安置。境内に日本有数の大きさの不動明王立像と、黄金の大日如来像が建立したと。
大門(だいもん)を車窓から。
高野山全体の総門。1705年再建。国の重要文化財・世界遺産。
中門前の駐車場に車を駐め、金剛峯寺の伽藍堂塔を訪ねる。
伽藍堂塔 境内配置図。
中門。
高野山の中門は、江戸時代の天保14年(1843年)の大火事で燃え尽きてしまい、
以降、平成の現在まで「中門跡地」として残っていた。
しかし、平成27年の高野山開創1200年の記念の際に、173年ぶりにこの「中門」を
再建しようという話が持ち上がった。
平成27年の高野山開創1200年記念の記念事業の一環で、中門再建計画が企画され工事実施。
ここで再建されたのは、中門だけではなく、かつて中門に安置されていたとされる、運派が彫った
とされる「仁王像」も同時に再建されたと。
中門正面手前の左側が「持国天」。
中門正面手前の右側が「多聞天」。
中門裏側の正面から見て左側が「増長天」。
中門裏側の正面から見て右側が「広目天」 。
境内の紅葉も始まっていた。ピークは後10日間か?
金堂。
高野山開創当時「講堂」と呼ばれていた「金堂」は、平安時代半ば頃より高野山の総本堂として
重要な役割を果たしてきた建物。
現存する金堂は、7度目に再建されたもので1932年(昭和7年)に完成したもの。
内部には仏師・高村光雲による本尊・薬師如来(秘仏)が祀られており、内壁には
木村武山による壁画が描かれている。
「金剛峯寺」の御朱印。
六角経蔵(ろっかくきょうぞう、壇場伽藍)。
六角経蔵は「鳥羽法皇」の菩提(ぼだい)を弔う為に、皇后の「美福門院(びふくもんいん)が、
1159年(平治元年)に建立した経蔵。
山王院。
弘法大師は高野山の開創に際して、日本古来の神々と仏教との融和のため、高野山の地主神と
して、丹生明神(にうみょうじん)と高野明神の分霊を高野山の守護神として
「御社(みやしろ)」に祀った。
この「御社」の拝殿として山王院は建立されたと。
山王院本殿(御社)。
そしてこの小さな山王院本殿には神仏習合の原点ともいうべき重要な意味のある社。
山王院本殿は、その重厚感のある造りからそれぞれが立派な堂のように見えるが、
御社の拝殿として建てられたものであり、現在の建物は1594年に再建された。
山王院本殿は、伽藍大塔の西に約100メートルも離れた少し高い場所に。
御影堂。
弘法大師の持仏堂として建立されたが、後になって真如親王直筆の「弘法大師御影像」を
奉安したことから御影堂と名づけられた。高野山内でも最重要な聖域とされ堂内には
限られた人しか入ることが出来なかったが、近年旧暦の3月21日に行われる「旧正御影供」の
前夜、御逮夜法会の後に外陣への一般参拝が許されるようになった。
外陣には弘法大師の十大弟子像が掲げられていると。
准胝堂(じゅんていどう)。
弘法大師が得度の儀式を行う際に自ら造立したという本尊、准胝観音を祀る堂。
伽藍が建立された当時は食堂に安置されていたと伝わっており、973年(天禄4年)頃に
この堂が建立されこちらに祀られるようになったと伝わっていると。
幾度も焼失し現在の堂は1883年(明治16年)に再建されたもの。
孔雀堂。
もともとは鎌倉時代初期の正治元年(1199年)、京都・東寺の延杲(えんごう)が雨乞いを
成就させたことがきっかけとなり、後鳥羽上皇の命により建立された。
この22年後に承久の乱を起こして鎌倉幕府に敗北、隠岐に配流された後鳥羽上皇であったが、
この頃は朝廷の権力を掌握しており、積極的な院政改革を行なっていた。
正治二年(1200年)に安置された本尊の孔雀明王像は快慶の作で、重要文化財に指定、
(霊宝館所蔵)。
孔雀堂の建物は昭和元年の大火で焼失、昭和58年(1983年)に再建されたもの。
孔雀堂 内部。
孔雀明王像 は、壇上伽藍孔雀堂の元本尊で、快慶作の端正で美しい仏像(重文・快慶作)。
写真に写っているのはレプリカか?
鐘楼。
剛峯寺の前身であります青巌寺の鐘楼とのこと。
西塔。
大日如来の密教世界を具現するため、空海が設計し、仁和2年(886年)に空海の弟子で甥でもある
真然が建立。
現在の建物は江戸時代末期の天保5年(1834年)の再建で、内部には金剛界の大日如来と胎蔵界の
四仏が安置されている。
御影堂周辺の紅葉。
紅葉のピークには別世界が拡がるのであろう。
高野山のシンボル、高さ48mの金剛峯寺根本大塔。
空海が816年(弘仁7)7月に高野山開創の勅許を得たのち建立に着手し、没後半世紀を経て
完成した。現在の建物は1932年(昭和7)に着工し、38年に完成したもので、16間四面、
高さ16丈の2層の多宝塔様式の塔。主尊は胎蔵界大日如来 (たいぞうかいだいにちにょらい) で、
これに金剛界の阿 (あしゅく) ・宝生 (ほうしょう) ・無量寿 (むりょうじゅ) ・
不空成就 (ふくうじょうじゅ) の四仏を配している。内陣の16本の柱には堂本印象
(どうもといんしょう) の描いた金剛界十六大菩薩 (ぼさつ) の仏画があると。
「大日如来」「根本大塔」の御朱印を頂きました。
大塔の鐘 高野四郎。
弘法大師が大鐘の鋳造を発願され、真然大徳の時代になってようやく完成したと伝わる
「大塔の鐘」。火災等により度々鐘楼が焼失し、改鋳が繰り返され現在の銅鐘は、
1547年(天文16年)に完成したもの。直径が約2mと非常に大きく、日本で4番目に大きな鐘で
あったことから「高野四郎」の愛称で呼ばれるようになったと。
現在でも使われており、午前4時、午後1時、午後6時、午後9時、午後11時と1日5回時刻を
知らせていると。
境内、中央に大会堂、その右に三昧堂、東塔。
愛染堂(あいぜんどう)。
四海静平、玉体安穏を願い後醍醐天皇の御願により1334年(建武元年)に建立された。
本尊として愛染明王を祀り、愛染明王護摩と長日護摩が行われる場所。
災害に何度か遭い再建されており、現在の堂は1816年(文化13年)に再建されたと。
大会堂(だいえどう)。
鳥羽法皇の皇女・御辻斎院内親王が父帝の追善のために建立された堂で、元々別の場所から
この場所へ移された。徳川時代から大法会がある時にまずこの堂に会して行列を整える事から
大会堂と呼ばれていると。
現在の堂は、1848年(嘉永元年)に再建されたもの。
本尊に阿弥陀如来を祀り、脇侍に観世音菩薩と勢至菩薩が祀られている。
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