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更に大興善寺の観光を進める。
観音殿の両脇にある
普賢殿。 象に乗った普賢菩薩が安置されている。
ベトナムの寺院にもあった長~~い 螺旋 線香。 1日用か? 武神・関羽の像であろうか?文殊殿。
獅子に乗る文殊菩薩が安置されている。
巨大なマニ車( 轉經輪・ 摩尼車)。
主にチベット仏教で用いられる仏具であり右回り(時計回り)に回転させると、
回転させた数だけ経を唱えるのと同じ功徳があるとされている。
中国の仏教はチベット仏教の影響をかなり受けているのであろう。
堂内にもマニ車の如き供養塔が。
大悲観世音菩薩像。
文殊菩薩絵。
文殊菩薩像。
大興善寺規劃圖碑(規画図碑)。
亀の上に大興善寺の境内配置図が。
高さのある舍利塔。
この門を潜り金剛堂へ向かう。
金剛堂。
石柱。
仏頂尊勝陀羅尼経塔。
金剛堂内部には大興善寺の開祖以来の僧の姿が。
開祖から4祖(上段)、5祖から8祖・空海(下段)。
下段の一番右が空海そしてその左隣が恵果で、日本から渡航してきた空海に密宗を伝授。
弘法大師・空海。
延暦23年( 804年 )、正規の 遣唐使 の留学僧(留学期間20年の予定)として 唐 に渡る。
大同 元年(806年)10月、空海は無事、 博多 津に帰着。
空海は、20年の留学期間を2年で切り上げ帰国したため、当時の規定ではそれは
闕期(けつご)の罪にあたるとされた。そのためかどうかは定かではないが、
大同元年(806年)10月の帰国後は、入京の許しを待って数年間大宰府に滞在する
ことを余儀なくされた。大同2年より2年ほどは大宰府・ 観世音寺 に止住していたのだと。
五鈷杵(ごこしょ)を右手に持つ空海。
日中佛教文化交流記念碑。
高向玄理(たかむこのくろまろ)の碑。
「推古16(608)年第2回の 遣隋使 の際, 小野妹子 に従って渡海し,留学生として 隋 , 唐 に学んだ。
留学すること 32年,舒明12(640)年に帰国。皇極4= 大化 1(645)年の 大化改新 では 国博士 に
任じられ最高顧問となり,翌大化2(646)年には 新羅 に派遣された。同 5年僧 旻 とともに
勅命によって 八省百官 の制を定めるなど, 国政 上に活躍。
白雉 5(654)年第3回の 遣唐使 に押使(おうし)として入唐。唐の朝廷に国威を示した。」と。
「妙門東星達摩盡碑」。
境内には黄金の像が2体。
空海大師像。
日本の有名な僧侶の空海、円仁や円珍の修行の寺であり歴史を感じたのであった。
何故か痩せている空海の像。
南無財運菩薩像。
記念品販売所。
自然石の如き石柱。
平安地蔵殿。
救苦地藏王殿と 一対で建立され、地獄の苦しみを 立体的に庶民に示している。
地蔵菩薩像。
寺務所。
そして山門に向かう。
山門の裏正面には「五岡唐鎮」と書かれた扁額が。
五岡唐鎮とは。終南山の一峰である南五台山から長安の街まで五つの岡があると言われており、
この寺の岡はその第五番目にあたると。鎮とは街の事で唐の時代の街を表すと。
そしてこの山門を再び潜りバスに戻ったのであった。
・・・ つづく ・・・