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【四国八十八箇所霊場巡り ブログリスト】
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28番札所:大日寺(だいにちじ)
大日寺に向かう道路脇の桜を楽しむ。
香南市役所近くの小高い丘の裾野にあった忠霊塔。
そして28番札所:大日寺三門に到着。
野良時計から大日寺までの走行ルート。
大日寺は四国八十八箇所霊場第4番、第13番、そしてここ28番の3ヶ所にあるのだ。
門前の(有)錦堂 大日寺本店に掲げられていた空海上人像。
三門の扁額には「法界山」と。
大日寺 境内配置図。
山門前に数台とその背後に大駐車場が。
石段の途中に立つ山門を入ってさらに上って行くと左に鐘楼が、右に手水場が。
奥に進むと右手に地蔵堂(六角堂)、左に大師堂があり、正面奥に本堂が建つ。
本堂の左に鎮守堂がある。手水場から左に折れ塀沿いに進むと庫裡の門があり、
その中の正面に納経所が。
山門を潜り更に階段を上がる。
階段横には本尊の大日如来の旗が両脇に。
左手に鐘楼が。
手水場。
「四国遍路」四国霊場八十八ヶ所巡り、いわゆる「おへんろさん」が文化庁が認定する「
日本遺産」に認定されたと。
地蔵堂(六角堂)。
本堂。
寺伝によれば天平年間( 729
年 - 749
年)に聖武天皇の勅願により、行基が大日如来像を
刻んで堂宇を建立して開創したと。弘仁 6
年( 815
年)に空海が楠の大木に爪で薬師如来像を
彫って荒廃していた本寺を復興した。慶長年間( 1592
年 - 1615
年)から土佐藩の
祈願所となり栄えたが、明治に入って神仏分離令によって廃寺となったが、大日堂と改称した
本堂に本尊を安置していたので助かった。その後、明治 17
年( 1884
年)再興された。
奥の院の爪彫薬師は首から上の病に霊験ありとされ、平癒を祈る参拝者が跡を絶たない。
願いが叶うと穴の開いた石に氏名、年齢、快癒した身体の部位を書き奉納する習わしと
なっていると。平成9年再建、釘を使わず木組みで造られていると。
土日のみ本堂の外陣に入って参拝ができ、前立本尊を拝顔できるとのこと。
法界山 高照院 大日寺(ほうかいざん こうしょういん だいにちじ)
宗派 真言宗智山派
本尊 大日如来
創建 (伝)天平年間( 729
年 - 749
年)
開祖 (伝)行基
所在 高知県香南市野市町母代寺476 -
1
本尊真言 ”おん ばざらだとばん”
本堂前から鐘楼(右)と地蔵堂(左)。
大師堂。
昭和59年改修。大師像は土佐2代藩主山内忠義が寄贈したといわれる。大師像を拝顔できる。
多くの石仏群。
境内から階段、山門を見下ろす。
再び鐘楼を見上げる。
境内には白い花が。
リキュウバイ(利休梅)であろうか?
大日如来像。
納経所への中門。
境内の庭は美しく手入れがされていた。
雨に苔も緑をまして。
境内のしだれ桜も満開。
しだれ桜には、もう少し青空が欲しかったが。
様々な表情の仏。
最近のものか?
歴代の住職の墓であろうか?
「奥の院 爪彫薬師」と刻まれた石碑。
「奥の院」にはお大師さまが爪で彫ったとされる「爪彫薬師」が。
弘法大師が楠の大樹に薬師如来を刻まれたと伝えられており、明治初年楠が台風で倒れたため、
その霊木を堂内に祀ってあると。昔より首から下の病に特に霊験があると言われており、
御利益を頂くと、穴のあいた石を奉納する習わしとなっているのだと。
穴の開いたおおくにの石が奉納されていた。
大師像と湧水(右)。
大師像。
納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。
そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました 。
29番札所:国分寺(こくぶんじ)
岡豊城址を後にし、田園の中を土佐国分寺に車を進める。
土佐国分寺に到着。
岡豊城跡から国分寺への走行ルート。
山門
「四国第二九番霊場国分寺」と彫られた石柱が左手に。
入母屋造楼門、金剛力士(仁王)像を安置。明暦元年( 1655
年)建立。
山門の扁額には摩尼山(まにざん)の文字が。
金剛力士(仁王)阿形像。
金網に入れられて、逞しさではなく、弱々しい顔をしているように感じたのだが。
金剛力士(仁王)吽形像。
国分寺 境内配置図。
山門をくぐって進んでいくと右側に手水場、鐘楼が、左手に開山堂がある。
正面奥に本堂(金堂)が建ち、その左に大師堂がある。
この前に酒断地蔵がある。
鐘楼の先を右に入ると中門があり、突き当りに光明殿、左に庫裏・納経所がある。
本堂(金堂)に向かって参道を進む。
手水舎。
寺伝によれば天平 13
年( 741
年)に行基が千手観世音菩薩を刻み本尊として安置し
開創したとされる。その後弘仁 6
年( 815
年)空海(弘法大師)が毘沙門天を刻んで
奥の院に安置、また、星供の秘法を修めたことから、当寺は星供の根本道場となり、
大師像は「星供大師」と呼ばれている。
そして、その頃真言宗の寺院となったという。史実としては、『続日本紀』に
天平勝宝 8
年( 756
年)、土佐を含む 26
か国の国分寺に仏具等を下賜したことがみえるため、
この年以前には創建されていたとみられると。
鐘楼。
建立年は不明。寛永 11
年( 1634
年)最初の改築を行ったと。
梵鐘(重要文化財)は平安時代前期の作、口径47cm、高さ63.8cm、重量225kg。
本堂へと境内を進む。
開山堂。
建立年不明、嘉永2年(1849年)改築。
境内のこの桜はソメイヨシン。
本堂(金堂)。
摩尼山 宝蔵院 国分寺(まにざん ほうぞういん こくぶんじ)
宗派 真言宗智山派
本尊 千手観音
創建 天平勝宝8年(756年)以前
開祖 行基
所在 高知県南国士国分546
本尊真言 ”おん ばさら たらま きりく”
大師堂。
寛永 11
年( 1634
年)建立。文化2年(1805年)再建。
堂内部。
酒断地蔵尊(ひとこと地蔵)。
その気はないがお参りだけは。
酒断地蔵尊 内部。
酒断地蔵尊横には多くの地蔵尊が。
酒断地蔵尊横の「観音像」。
その横には石仏も。
ここ土佐国分寺はしだれ桜が有名。
しばし枝垂れ桜を楽しむ。
お寺と枝垂れ桜は良く似合うのであった。
別の角度から。
こちらは鐘楼と山桜?
中門を潜り納経所へ。
庭園。
書院。
「国分寺の 薬師如来は千年の ゑまひゆたかに たたせたまへり」
光明殿。
平成 7
年( 1995
年) 11
月竣工。
扁額。
納経所。
納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。
そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました 。
光明殿から中門に続く左右の庭を再び楽しむ。
多くの団体巡礼客がお参りに。
大型バスで移動する巡礼ツアー客。
・・・ つづく
・・・
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