JINさんの陽蜂農遠日記

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2018.05.11
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​​ 【四国八十八箇所霊場巡り ブログリスト】

36番札所:青龍寺(しょうりゅうじ)​​
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​​国道47号線を利用して、36番札所:青龍寺(しょうりゅうじ)を目指す。
前方に浦ノ内湾口に架かる宇佐大橋が見えて来た。
昭和48年(1973年)に架設。この宇佐大橋ができるまで、福島から井尻まで 湾口約400mを
渡し船が出ており、およそ1200年も続いたのだと。 
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青龍寺は、高知県土佐市にある真言宗豊山派の寺院。独鈷山 伊舎那院 青龍寺と号す。




35番札所:清瀧寺から36番札所:青龍寺への走行ルート。
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本堂へと続く参道階段。
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境内 配置図。
石段下の右に手水場、左に納経所、恵果堂がある。石段途中左奥に三重塔があり、仁王門の先にも
170段の石段が続く。石段を上りきったところに本堂が建ち、左に大師堂、右に薬師堂があるが、
この配置は唐の青龍寺と同様であるといわれている。
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手水場。
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修行大師像。


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観音像。
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仁王門。
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金網の間からの阿形像。
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吽形像。
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仁王門近くにあった三重塔。


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三界万霊地蔵尊。
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本堂や大師堂への170段の階段を登る。
モンゴル出身の元横綱朝青龍は、ここ青龍寺の近くの明徳義塾高校に在学して技を磨いた。
四股名は師匠朝潮の「朝」と、青龍寺から「青龍」を取って決めたのだと。
また当時はこの170段の石段を昇り降りして鍛錬したのだと。
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水子地蔵尊。
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背中の炎が緑の中にひときわ目を惹く波切り不動明王。
手には波を切った神剣を持ち、 滝に打たれる修行僧を見つめる姿と。
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行場のミニ滝。


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西国三十三観音が続く。
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どこまでも続く階段。
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手水舎。


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四国八十八ヶ所の寺にちなんだ石仏が参道脇に。
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階段下の仁王門を見下ろす。
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本堂。
「寺伝によれば弘仁年間( 810  - 824 年)に空海(弘法大師)によって開基されたとされる。
入唐求法の遣唐使として、恵果和尚より真言密教の奥義を伝授された空海が帰国の折、
有縁の地に至るように祈願して独鈷杵を東方に向かって投げた。
空海はその独鈷杵がこの山中の松の木にあると感得し、嵯峨天皇に奏上。弘仁 6 年( 815 年)に
恵果和尚を偲び、唐の青龍寺と同じ名の寺院を建立したという。
本尊の波切不動は、空海が乗った遣唐使船が入唐時に暴風雨に遭った際に、不動明王が現れて
剣で波を切って救ったといわれ、空海がその姿を刻んだものであると伝える。 
江戸時代初期には荒廃していたが、土佐藩 2 代藩主山内忠義によって正保年間( 1644  - 48 年)に
再興された。しかし、宝永 4 (1707 ) には地震と津波で大きな被害を受け、江戸末期に再建された。」
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独鈷山 伊舎那院 青龍寺(どっこざん いしゃないん しょうりゅうじ)
宗派  真言宗豊山派
本尊  波切不動明王
創建  (伝)弘仁 6 年( 815 年)
開祖  (伝)空海(弘法大師)
所在  高知県土佐市宇佐町竜 163 番地
本尊真言 ”のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん” 
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登って来た170段の階段。
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空海作といわれる本尊の不動尊石像(レプリカ)。
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大師堂・本堂と一列に並ぶ「薬師堂」。
朱が鮮やかで有り、最近建て直したのであろうか。
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薬師如来と書かれた扁額。
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白山大権現。
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境内。
奥から本堂・大師堂、薬師堂。
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三十三観音の石像。
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こちらは青銅製の「波切り不動明王」。
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大師堂。
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ミニ不動尊。
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本堂と大師堂(左)。
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水子供養堂。
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再び三重塔。
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三重塔の下の歌碑。
「大海に あまねき護り 独鈷山 峰にそびゆる宝塔の尊し」
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空海の唐での師、恵果阿闍梨の堂宇。
​​「青龍寺」は中国の長安にあり、空海はそこで恵果阿闍梨から
密教の奥義を伝授され、遍照金剛という名をもらったのです。
ここの寺はそういったことを模擬した寺なのだと。
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納経所。
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納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。
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そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました 。
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そしてこの御朱印は今年の3月7日に訪れた中国・西安にある青龍寺(せいりゅうじ)で
頂いた御朱印。
西安の青龍寺は空海が遣唐使に同行し、長安の都のこの青龍寺で恵果法師に就いて修行した事で
有名な寺なのであった。
御朱印には「第0番札所」の文字が。
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そして再び土佐の青龍寺本坊への鐘楼門。
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客殿・書院・方丈。
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護摩堂。
鮮やかな朱塗りの二重塔。
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青龍寺を後にし、この日の宿のある須崎市に向かう。
そして元横綱朝青龍の母校である明徳義塾高校の前を通過。
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国道47号線(横浪黒潮ライン)からの太平洋の眺望を楽しみながら進む。
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横浪県立自然公園帷子﨑(かたびらさき)の海岸線は美しかった。
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途中道路の脇に箱がズラッと並んでいるのを発見。
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日本ミツバチの待ち受け箱。
日本ミツバチの分蜂群を捕獲するための巣箱。
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横浪スカイラインを中ほどまで走ると、道路脇の駐車場にあった
武市 瑞山(たけち ずいざん)銅像。
武市 瑞山(たけち ずいざん)は、日本の志士、武士(土佐藩郷士)。
土佐勤王党の盟主。通称は半平太で、武市 半平太(たけち はんぺいた)と呼称される人物。
​​高さは約3メートル。瑞山の銅像裏には、「土佐勤王党血盟者と同志人名」を刻んだ石版があった。
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住友大阪セメント(株)高知工場が車窓から。
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そして須崎市内のホテルに到着。
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青龍寺からホテルまでの走行ルート。
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そしてチェックイン後、夕食を兼ねてホテルの廻りを散策。
JR土岐線多ノ郷駅へ。
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1時間に1~2本の電車。
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そして夕食の店で、鰹のタタキを楽しむ。
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その他いろいろとビール片手に楽しむ。
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〆の鍋焼きラーメン。
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そして部屋に戻り、この長い1日の疲れも有り、則爆睡したのであった。

                  ・・・つづく・・






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Last updated  2020.06.15 15:36:23
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