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【四国八十八箇所霊場巡り ブログリスト】
36番札所:青龍寺(しょうりゅうじ)
国道47号線を利用して、36番札所:青龍寺(しょうりゅうじ)を目指す。
前方に浦ノ内湾口に架かる宇佐大橋が見えて来た。
昭和48年(1973年)に架設。この宇佐大橋ができるまで、福島から井尻まで 湾口約400mを
渡し船が出ており、およそ1200年も続いたのだと。
青龍寺は、高知県土佐市にある真言宗豊山派の寺院。独鈷山 伊舎那院 青龍寺と号す。
35番札所:清瀧寺から36番札所:青龍寺への走行ルート。
本堂へと続く参道階段。
境内 配置図。
石段下の右に手水場、左に納経所、恵果堂がある。石段途中左奥に三重塔があり、仁王門の先にも
170段の石段が続く。石段を上りきったところに本堂が建ち、左に大師堂、右に薬師堂があるが、
この配置は唐の青龍寺と同様であるといわれている。
手水場。
修行大師像。
観音像。
仁王門。
金網の間からの阿形像。
吽形像。
仁王門近くにあった三重塔。
三界万霊地蔵尊。
本堂や大師堂への170段の階段を登る。
モンゴル出身の元横綱朝青龍は、ここ青龍寺の近くの明徳義塾高校に在学して技を磨いた。
四股名は師匠朝潮の「朝」と、青龍寺から「青龍」を取って決めたのだと。
また当時はこの170段の石段を昇り降りして鍛錬したのだと。
水子地蔵尊。
背中の炎が緑の中にひときわ目を惹く波切り不動明王。
手には波を切った神剣を持ち、 滝に打たれる修行僧を見つめる姿と。
行場のミニ滝。
西国三十三観音が続く。
どこまでも続く階段。
手水舎。
四国八十八ヶ所の寺にちなんだ石仏が参道脇に。
階段下の仁王門を見下ろす。
本堂。
「寺伝によれば弘仁年間( 810
年 - 824
年)に空海(弘法大師)によって開基されたとされる。
入唐求法の遣唐使として、恵果和尚より真言密教の奥義を伝授された空海が帰国の折、
有縁の地に至るように祈願して独鈷杵を東方に向かって投げた。
空海はその独鈷杵がこの山中の松の木にあると感得し、嵯峨天皇に奏上。弘仁 6
年( 815
年)に
恵果和尚を偲び、唐の青龍寺と同じ名の寺院を建立したという。
本尊の波切不動は、空海が乗った遣唐使船が入唐時に暴風雨に遭った際に、不動明王が現れて
剣で波を切って救ったといわれ、空海がその姿を刻んだものであると伝える。
江戸時代初期には荒廃していたが、土佐藩 2
代藩主山内忠義によって正保年間( 1644
年 - 48
年)に
再興された。しかし、宝永 4
年 (1707
年 )
には地震と津波で大きな被害を受け、江戸末期に再建された。」
独鈷山 伊舎那院 青龍寺(どっこざん いしゃないん しょうりゅうじ)
宗派 真言宗豊山派
本尊 波切不動明王
創建 (伝)弘仁 6
年( 815
年)
開祖 (伝)空海(弘法大師)
所在 高知県土佐市宇佐町竜 163
番地
本尊真言 ”のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん”
登って来た170段の階段。
空海作といわれる本尊の不動尊石像(レプリカ)。
大師堂・本堂と一列に並ぶ「薬師堂」。
朱が鮮やかで有り、最近建て直したのであろうか。
薬師如来と書かれた扁額。
白山大権現。
境内。
奥から本堂・大師堂、薬師堂。
三十三観音の石像。
こちらは青銅製の「波切り不動明王」。
大師堂。
ミニ不動尊。
本堂と大師堂(左)。
水子供養堂。
再び三重塔。
三重塔の下の歌碑。
「大海に あまねき護り 独鈷山 峰にそびゆる宝塔の尊し」
空海の唐での師、恵果阿闍梨の堂宇。
「青龍寺」は中国の長安にあり、空海はそこで恵果阿闍梨から
密教の奥義を伝授され、遍照金剛という名をもらったのです。
ここの寺はそういったことを模擬した寺なのだと。
納経所。
納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。
そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました 。
そしてこの御朱印は今年の3月7日に訪れた中国・西安にある青龍寺(せいりゅうじ)で
頂いた御朱印。
西安の青龍寺は空海が遣唐使に同行し、長安の都のこの青龍寺で恵果法師に就いて修行した事で
有名な寺なのであった。
御朱印には「第0番札所」の文字が。
そして再び土佐の青龍寺本坊への鐘楼門。
客殿・書院・方丈。
護摩堂。
鮮やかな朱塗りの二重塔。
青龍寺を後にし、この日の宿のある須崎市に向かう。
そして元横綱朝青龍の母校である明徳義塾高校の前を通過。
国道47号線(横浪黒潮ライン)からの太平洋の眺望を楽しみながら進む。
横浪県立自然公園帷子﨑(かたびらさき)の海岸線は美しかった。
途中道路の脇に箱がズラッと並んでいるのを発見。
日本ミツバチの待ち受け箱。
日本ミツバチの分蜂群を捕獲するための巣箱。
横浪スカイラインを中ほどまで走ると、道路脇の駐車場にあった
武市 瑞山(たけち ずいざん)銅像。
武市 瑞山(たけち ずいざん)は、日本の志士、武士(土佐藩郷士)。
土佐勤王党の盟主。通称は半平太で、武市 半平太(たけち はんぺいた)と呼称される人物。
高さは約3メートル。瑞山の銅像裏には、「土佐勤王党血盟者と同志人名」を刻んだ石版があった。
住友大阪セメント(株)高知工場が車窓から。
そして須崎市内のホテルに到着。
青龍寺からホテルまでの走行ルート。
そしてチェックイン後、夕食を兼ねてホテルの廻りを散策。
JR土岐線多ノ郷駅へ。
1時間に1~2本の電車。
そして夕食の店で、鰹のタタキを楽しむ。
その他いろいろとビール片手に楽しむ。
〆の鍋焼きラーメン。
そして部屋に戻り、この長い1日の疲れも有り、則爆睡したのであった。
・・・つづく・・
四国八十八箇所霊場巡り ブログリスト 2020.06.15
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