JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.09.22
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カテゴリ: 藤沢歴史散歩
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県外からも。
3番目:沼津 連窓寺万灯講。
寛文2年(1622)に、沼津市下河原の妙海寺20世、日根上人が当地に開創した。
開基檀越(寺を造る時、主になった寄進者・最初の檀家)は天照院殿三好松長将軍義観大居士。













4番目:大磯 延台寺壱楽睦講中。
中郡大磯町にある日蓮宗の寺院。山号は宮経山。
日本三大仇討ち物語の一つ『曽我物語』のヒーロー、曽我兄弟の兄・十郎祐成と結ばれた、
一代の舞の名手、虎女(虎御前)が開いた寺。
虎女供養塔、虎池弁財天の碑、虎御前祈願の龍神、子授け祈願の石仏、大磯宿遊女の墓等あり、
古い歴史を感じさせる寺。桜の大樹が花を競い、参詣客の目を楽しませてくれる寺と。







背中に赤子をおんぶして囃す女性(右)の姿も。



5番目:茅ヶ崎 信隆寺信和会。
信隆寺は、寛永元(1624)年に開創された茅ヶ崎市にある日蓮宗の寺院。
本堂は平成10年に新築され、境内には茅ヶ崎市指定文化財に指定されている
木造日蓮坐像が安置されていると。









池上 大坊本行寺本睦会の万灯が漸く退く。



6番目:三浦 三崎円徳寺矢作青年会。
日蓮宗の寺で、山号は近浦山。鎌倉・本覚寺の旧末寺となっている。
1294年、日蓮上人13回忌の折に創建され、日範上人の開基と伝わる。







若い女の子が横笛を懸命に。
矢作青年会だけあって、メンバーが若い!!。





7番目:品川 荏原摩耶寺一心講
寛文七年 (1667 ) の創建と伝えられている。延宝五年 (1677 ) に祖師像が、 延宝六年 (1678 )
安置されている摩耶夫人像が造られる。多くの像は日蓮宗不受不施派の弾圧の際、
法華寺 ( 現在の円融寺 ) から当寺院に移されたものである。
摩耶夫人が祀られている摩耶堂は天保年間 (1830 年~ 1843 ) に造られたものである。
その後関東大震災や第二次世界大戦などからの災害からは免れた。本堂は 1978 年に完成したもの。
また荏原七福神の一つとして寿老人を祀っている。











8番目:葉山町 本圓寺龍信会。
日蓮大聖人は、建長5年4月28日、千葉県清澄山に於いて朝日に向かい、お題目
「南無妙法蓮華経」と唱え、日蓮宗を開宗した。
当時の幕府の地「鎌倉」にて、お題目を人々に広めようと海を渡り、横須賀に着いた。
横須賀の人々に布教しながら鎌倉への途中、木古庭の里に御滞在され、伊豆より来られた
僧の庵(堂)で、お題目の縁を結び、法華経の基を定めた霊場がこの本圓寺。
延慶3年、日蓮大聖人の孫弟子・摩訶一阿闍梨日印聖人が、高祖坂題目堂本圓坊を
日蓮大聖人を開山とし、この地に法縁を結びし日蓮大聖人32歳の御尊影(仏像)を安置し、
山号を「大明山」、寺号を「本圓寺」と改めた。



『南無妙法蓮華経』と書かれた大きな赤い幟。













9番目:川崎 生田安立寺万燈講。
法言山と号す。安立寺は、代官職佐伯馬之介が佐伯隼人(浄天院法言日正、永禄 5 1562 年没)の
追福のために、日等(天正 11 1583 年寂)を開山として創建したと。
準西国稲毛三十三観世音霊場 9 番、武州稲毛七福神の毘沙門天。





纏回しの疲れか、必死に肩を回す少年。



10番目:三浦三崎 延寿寺万灯講。
日蓮宗の高僧日朗上人の弟子である日範上人を開山として、鎌倉時代の弘安7(1284)年に
建立された。この日範上人は100歳を越える長寿を全うしたということで、山号を「壽福山」、
寺号を「延壽寺」と名付けた。日範上人は当寺で入寂し、本堂前の松の根本に廟所がある。
本堂には本尊の「釈迦如来・多宝如来」が安置され、右手には木像の「壽福大黒天」が、
左手には「鬼子母神」が、それぞれ厨子の中に祀られているのだと。





ヒョットコの姿で必死に踊るオジサンの姿が。



満面の笑みで。



背中には大黒天の姿が。



11番目:座間 休息山圓教寺圓和会。
文永 8 年( 1271 年)、日蓮が龍ノ口刑場(藤沢市片瀬の龍口寺)で斬首の刀が折れ処刑を
免れたという龍ノ口法難後、依知(現在の厚木市)の本間重連の館に向かう日蓮を、
折れた刀の刀工鈴木弥太郎貞勝が自邸に招き日蓮に帰依して円教坊と名を改めたという。
建治元年( 1275 年)貞勝は自邸を寺に改め、日範を開山、自身を開基として円教寺を建立したと。







12番目:横須賀 本住寺纏講。
この寺は古くは真言宗の寺であったそうですが、この寺が改宗したいきさつについて
次のような話が伝えられています。真言宗の時代には印行坊という僧がこの寺にいたそうですが、
あるときそこへ日蓮宗の九老僧の一人であった日相上人が乗り込んできて、問答を申し込んで
きました。印行坊はこれをうけ論争をたたかわしましたが負け、そのため寺を
明け渡したということです。









13番目:七里ガ浜 霊光寺田辺睦会。
日蓮の雨乞い伝説が残されている「田辺ヶ池」の跡地に建つ。
明治時代末、「日蓮大菩薩祈雨之旧蹟地」の石塔 [2] が出土したため日蓮上人像と本堂が
建立されたのが始まりである。建立にあたっては大日本帝国海軍大将の上村彦之丞が尽力し、
本堂に掲げられている「祈雨霊蹟」の額も上村の筆によるものである。当初は霊光殿と称したが、
1957 年(昭和 32 年)に現在の寺号となった。









14番目:腰越 竜の口睦会







15番目:六浦 上行寺橘会。
六浦上行寺は、日祐開山、六浦妙法開基の日蓮宗寺院。改宗以前は弘法大師開創の真言宗金勝寺で
あったといわれる。日蓮が下総から六浦津を経て鎌倉入りする際の船中で、乗り合わせた
千葉氏の重臣・富木常忍を折伏して有力な信徒を獲得し、ここに着岸したことから
「船中問答の霊場」と呼ばれる。







                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・ つづく ​・・・





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Last updated  2020.06.15 20:09:18
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