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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
先に進むと右手の筋角に『新善光寺道道標』と明治24年(1891)の『常夜燈』が建っていた。
先にあった『新善光寺道道標』より大きく、道標には 「是より一町餘」 と刻まれ、傍らに
新善光寺300mの道路標識があった。
『新善光寺道』(左)、『是より一町餘』(右)、『為浄徳妙蓮菩提 施主今里村中』(裏)
と刻まれた道標。
明治24年(1891)の『常夜燈』。
『新善光寺』への道。
草津線を渡り進むと、この角から300m程で『新善光寺』へ。
旧東海道はこの先の突き当りを左折。
先に進んでY字路を右に進むと、左手に『法界寺 地蔵院』があった。
「重要文化財 木造地蔵菩薩立像 明治33年4月7日指定 福正寺(法界寺)
法界寺の本尊である当像は、僧形の丸い顔で、半眼・閉口し、衲衣の端を右肩に懸け、
偏衫と裳を着けて直立する。 現状では右手に錫杖、左手に宝珠を執る。像高96.5㎝ヒノキの
一木造。平安時代(10世紀)ころの作とみられる。
ここ六地蔵の地名となった六躯の地蔵像の一躯であると伝わる。」
『地蔵院 山門』。
大正15年(1926)の『国寶 地蔵尊』碑。
『地蔵院(旧法界寺』ごあんない』
「当院は奈良時代(聖武天皇)の天平6~7年(734~735年)頃「陀羅尼寺」として創立。
その後戦火等で焼失。寛永16~18年頃(1639~1641年)現在地に法界寺地蔵堂
として建立された。昭和初期まで尼寺でした。昭和53年8月地蔵院を新築し今日を迎える。
本尊の地蔵菩薩立像は平安時代に造られたもので、像高96.5cm、重要文化財に
指定されている。
『近江興地志略』には地蔵堂六地蔵村にあり。「相伝往古は六体ありと、今僅かに一体存す、
長尺三尺三寸、行基菩薩の作なり」とある。」
『地蔵堂』。
地蔵堂に掛かる『地蔵尊』の扁額。
『昭和御大典記念碑』。
昭和3年(1928)の昭和天皇即位を記念した御大典記念の碑。
『昭和御大典記念碑』のご案内。
昭和天皇が即位した御大典の記念事業として建設。
朱の鳥居の先には『白龍稲荷大神拝殿』そして内部には『本殿』が。
こちらは『愛宕神社』
『愛宕神社』の内陣。
愛宕さんと呼んで、観しまれている愛宕神社のこの建物は、それ迄のお社が雨漏り等
老朽化した為、平成8年8月に新築されました。(鳥居は朽ちて取り外し)。
愛宕さんとは、京都に有る山で、山頂(標高924m)に愛宕神社が祀られています。
旧称は、阿多古神社。
京都の愛宕神社は、全国に約900社を数える愛宕神社の総本宮として京都の愛宕山上に
鎮座され、古くより火伏・防火に霊験のある神社として知られています。
愛宕の神とされるイザナミは神仏習合時代には、勝軍地蔵を本地仏とし、火産霊命
(かぐつち・ほのむすぴ)が祭神とされていました。
これ等から、現在でも愛宕さんの縁日は、地蔵さんと同じ毎月24日です。
勝軍地蔵を本地仏としたことから、火伏せの神としてだけでなく、武神としての信仰も
されてきました。
愛宕神社の御祭神は、本社雅産日命(生産水の神)、埴山姫命(土の神)
天熊人命(稲司の神)、豊受姫命(五穀の神)、若宮社雷神・伽俱槌命(火の神)、
大國主命以下17柱の神々に防火、火伏、鎮火の神としてお護り頂いている愛宕神社の
ご神体をお祀りし「愛宕講」と呼ばれる講も組織されてきました。
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