JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.06.21
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カテゴリ: 藤沢歴史散歩
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村岡消防出張所前交差点を進むと左手高台にあったのが「慈眼寺(じげんじ)」。



「慈眼寺」参道階段下。



「曹洞宗 慈眼寺」寺標。



入口の「不動明王像」。



参道の石段の上には「山門」が。



階段下の像。



小地蔵に迎えられて慈眼寺の参道脇の狭い石段を上る。



可愛らしいお地蔵様たちが次々と。



家に持ち帰りたいほどに可愛いのであった。



そして「山門」前に。



「山門」前の右手にあったのが「平 氏満の墓」。
武士の様な名前だが、藤沢の旅籠の隠居で、千種集という和歌集を編み遊行上人に献上した人物。
石塔には 「平氏満之墓」 とだけ刻まれていた。



「平 氏満の墓
坂戸町(現在の藤沢本町)の旅龍小松屋の隠居。歌名を旦上平氏満という。
詩歌を好み、『我棲里』の著者でもある小川泰堂とも親交があり、嘉永元年(一八四八)の
『藤沢山日鑑』(遊行寺の日記)には、『千種集』と題した千句の和歌を遊行上人に献上した
ことが記されている。『千種集』は天地二巻よりなり、遊行上人の返し歌も記されており
現在も遊行寺什宝として宝物館に所蔵されている。没後は、海の見える場所に埋葬してほしいとの
ことから慈眼寺の高台の一隅に墓を設けたものであったが、昭和六二年(一九八七)からの
区画整理により、この場所に移動したものである。」     



その横にあったのは歌碑であろうか?



慈眼寺「山門」。



扁額「無量山」。



山門柱左右に龍の彫り物。



ズームで。



混生樹(寄り木)。



場所を変えて。



藤沢市指定文化財(天然記念物)
混生樹(寄り木)
右が指定文化財で、モチノキ(モチノキ科)4株、タブノキ(クスノキ科)3株、
スダジイ(ブナ科、シイノキのうち樹皮が縦に割れるもの)1株の三種類8株が根元で
くっついて一部融合した寄り木です。樹齢は300年以上と推定され、高さは約10メートル、
全体の根回りは7・5メートルにもなっている大変珍しい樹木です。
左も同様にケヤキとサクラの混生樹で、輪状に植えられた苗木が成長していく過程でこのような
形になったものと思われます。共にもとは本堂裏手の丘の上にありました。」



根元にはこのような「願掛供養」碑が。



慈眼寺「本堂」。
向拝の彫刻も見事。



見事な向拝の彫刻。



本堂扁額「慈眼寺」。



「本堂」の右手に小さな(といっても高さ1m)の「梵鐘」(右)が吊るされていたが、
これは上州藤岡の住人が鋳造し江島寺(廃寺)に寄進したもの。
明和8年(1771)、藤沢宿の住人がこれを買い受け慈眼寺に寄進したのだそうだ。



「藤沢市指定重要文化財
  十一面観音立像 平成元年十ニ月十五日指定
  旧江島寺梵鐘  平成十年二月十二日指定
曹洞宗・無量山慈眼寺は、天文二年(一五三三)の頃、玉縄三代城主北条左衛門大夫綱成が
開創し、中興開山は韓嶺和尚と伝えらる。
本尊の十一面観音立像(一七八・五㎝)は、寄木造で玉眼(水晶)をはめ込み、
頭・体とも四材矧ぎ(板材を接ぎ合わす)を基本に造られている。太づくりな肉取りをみせる
量感のある体部や、よく引き締まった面相など鎌倉地方の中世像らしい作風から、十三世紀
後半の造立とされる。十二年に一度、申年に開帳される秘仏である。
平成三年(一九九一)に解体修復が行われた際に、像内より紙片が発見された。これにより、
天正十一年(一五八三)に玉縄六代城主北条氏勝の弟直重と母の七曲殿が鎌倉大仏所快円に
修復を依頼したこと、この寺院が慈眼山観福禅寺と号し鎌倉の円覚寺の塔頭天池庵に関係が
あったことなどが、新たに確認された。

上州藤岡(群馬県藤岡市)の住人が「現生安穏、後生善処」を祈願して鋳造し、当時江の島に
所在したもので、追記の銘文によれば、その後、明和八年(一七七一)に藤沢宿大鋸の住人が
江島寺より買い受けて、慈眼寺に寄進したものである。」



古い梵鐘が寂しそうに雨ざらしになっていた。
鐘楼が出来るのを待っているような何となく不思議な光景。



寛永 6 年( 1629 )金亀山江之島寺(江ノ島神社)の梵鐘として鋳物師の酒巻庄五郎定勝により
鋳造され、明和 8 年( 1771 )江之島寺の鐘が再鋳されたので江島寺より買い受けて、
慈眼寺に寄進したものであると。
総高 100.5 cm、口径 54 cm、身高 80.3 cm。



「お腰さま 貼り仏」。
病む所に貼って祈願すると治癒すると。



寺務所も豪華。



「ニ百観音霊場巡拝供養塔」。



「ニ百観音霊場巡拝供養塔
西国三十三所 坂東三十三所 秩父三十四所の百観音霊場を参拝し 加えて
三浦三十三所 鎌倉郡三十三所 武州金澤三十四所の百観音霊場を参拝し
無事に二百観音霊場の巡礼が成就し
その巡拝で得た功徳をすべての人々に施すという思いで安政四年(一八五七)に
建てられた「供養塔」です。
江戸時代 遠方まで行くことのできないお年寄りや女性達がこの供養塔で.二百所の
観音霊場を巡拝したと伝えられています。」



山門と本堂を見る。



そして「慈眼寺」を後にし、再び村岡消防出張所前交差点まで戻り、ここを左折。



左手にあった「オリンピック 藤沢店」は開店前。



そして反対側の高台には「藤が岡中学校」の姿が見えた。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.06.23 17:01:30
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