JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.07.14
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
『​ 鎌倉散策 目次 ​』 👈リンク

この日は6月24日(木)、「古都「鎌倉」を巡る」の7回目の日。
小田急線、東海道線、横須賀線を乗り継いで「鎌倉駅」に到着。
西口に出てこの日のスタート。右手に鎌倉駅旧駅舎時計台・「とんがり帽子の時計台」を
右手にに見る。時間は7:20。



西口ロータリーからJR鎌倉駅舎を見る。右手には江ノ電鎌倉駅の駅舎も見えた。
家族等の通勤の為に送って来た車で駅前は混んでいた。



この日の予定は、前回訪ねた「英勝寺」の前から化粧坂、源氏山を訪ねた後に、海藏寺に
向かい、その後は道を戻り、JR横須賀線を潜り「扇ヶ谷」、「雪ノ下」の神社仏閣を
訪ねるのであった。
JR鎌倉駅を背にして鎌倉市役所前交差点方面に向かう。
前回はこの交差点の左から来て、左折し鎌倉市役所方向に向かったのであった。



この日は、右折して「今小路通り」を利用して寿福寺方面に向かったが、久しぶりに
「寿福寺トンネル」を訪ね、裏から寿福寺の境内を通過して行くことにしたのであった。
「旅する帽子屋 pájaro パハロ」の先を左手に折れ進んで行った。



右手にあったのが「刃稲荷(やいばいなり)」。



「刃稲荷」は、鎌倉時代の刀匠正宗(五郎入道正宗)の屋敷に祀られていた稲荷社。
正宗は、五郎入道正宗、岡崎正宗、岡崎五郎入道ともいわれ、鎌倉時代末期から室町時代初期に
かけて鎌倉に住み、刀鍛冶として活躍した。 父は藤三郎行光。新藤五国光に師事し、
相州伝を完成し、名刀鍛冶と言われた。その正宗が屋敷内に勧進したと伝えられる。
江戸時代に松尾百遊らが再興したものといわれている(百遊は、前回訪ねた六地蔵の芭蕉の
句碑を建てた人物)。
祠には、正宗が鍛えた刀が納めてあったといわれているが、もちろん今はない。



石碑には「稲荷社 正宗屋敷 焼刃渡」とあった。



近くの民家のアジサイ。



路地の角にあった瀟洒な民家の入口。
鎌倉市扇ガ谷1丁目11。



この石碑には「〇〇丸」??と。「真玄堂」と関係がある石碑か?



「真玄堂」と書かれた表札も。
日本刀、刀剣、鐔などの刀装具、鎧兜、甲冑、火縄銃などを商う
「日本刀サムライギャラリー眞玄堂」の店主のご自宅であろうか。



北に進むと直ぐに「寿福寺トンネル」が姿を現した。



寿福寺に出る小道にある素掘りトンネル。



岩をくりぬいた「寿福寺トンネル」を潜る。



「寿福寺トンネル」を潜り左手に進む。



ここを真っ直ぐ進むと急峻の狭い石をくり抜いた切通しの如き道があり
「源氏山公園」に辿り着くのだ。



墓地の中を進む。この先には「​ 源実朝・北条政子墓 ​」👈リンク があるのだが
この日は訪ねなかった。



そして「寿福寺」の「中門」方面に向けて進む。



「寿福寺」の「惣門」から「中門」への参道に合流。



左手に「寿福寺」の「中門」。



こちらが非公開の「亀谷山 寿福寺」の「仏殿」。



「鐘楼」。



場所を変えて。



「梵鐘」。



「寺務所」。



コロナ禍で「御朱印休止中」と。



「中門」前から「惣門」への参道を独り占め。



「惣門」を境内側から見る。



「惣門」を正面から。



そして先日訪ねた「英勝寺」を見る。



「英勝寺」の先の左手にあった「和」と刻まれた丸い石碑。



愛玩動物の供養碑であるようだ。



小さな祠とその中にも丸い石碑が。
愛玩動物の墓石であろうか。



そして次に訪ねたのが手前の「伝・阿仏尼の墓」。
英勝寺墓地の崖下に「十六夜日記」の著者阿仏尼の墓と伝わる供養塔(層塔)。


台座には「阿佛」と刻まれているが、阿仏尼の墓として特定することは難しい。
ただ、浄光明寺の境内に阿仏尼の供養塔があったという伝承があり、『新編鎌倉志』にも
「阿仏ガ卵塔有シ」と記されていることから、昔から、扇ヶ谷に阿仏尼の墓と呼ばれるものが
あったものと考えられる と。



横須賀線の線路を挟んで向かい側(浄光明寺裏山)には、阿仏尼の息子冷泉為相のものと
伝わる宝篋印塔も存在していることから、向かい合わせに建てられたという推測もできる
のだ と。



そして隣りにあったのが「正一位 稲荷大明神」



「お稲荷様
世にお稲荷様と申し上げている稲荷神社は倉稲魂神(うがのみたまのかみ)をお祀りした
もので、今から約千三百年前の昔、和銅四年の二月の初午の日に京都の伏見に稲荷神社が鎮座
したのが始まりです。
この神は、稲がなるイナリの別名が示すように五穀の成育や全ての産業を育成する広大な
御神徳のある神ですから、あらゆる人々の信仰をうけ、全国各地の神社や邸内に
祭られています。
鎌倉で由緒ある稲荷は隠里稲荷で鎌倉風土記によると源頼朝が伊豆の蛭が小島にいたとき
病の床につき三晩続けて同じ白ひげの老人の夢を見ました。その老人の言うとおりに薬を
飲みますと病はなおりこれが縁で幕府を開くことが出来たということです。
この白ひげ老人が隠里稲荷の化身であったということです。
お稲荷様は大切にお祭りしましょう。   英勝寺」



源頼朝の枕元にたった神様は鎌倉に3柱あると。頼朝に挙兵・開府を促したお稲荷様は
「佐助稲荷神社」、頼朝に安心立命・国内平穏のために、この地の宇賀福神を崇拝するよう
促した「銭洗弁財天」、そして、配流の身であった頼朝を病から救ったこの「隠里稲荷」で
ある とのこと。



「智岸寺稲荷 」とも呼ばれていると。
市内で 例えば鎌倉市扇ガ谷でも地域を特定しやすい谷戸(やと)名で呼ぶと、
当地域は「智岸寺谷(ちがんじがやつ)」 として名残を留めていると。
「智岸寺」は廃寺であるが跡周辺には太田道灌が邸を構え、更に太田道灌邸の跡が現存する
唯一の尼寺 「英勝寺」 がある。



「社殿」



その先にも細長い「やぐら」の如きものがあったが中には???



その先の左にあったのが介護付有料老人ホーム・「鎌倉山荘」。



JR横須賀線を右に見ながら進む。



そして「扇ヶ谷架道橋」が右手に。




                              ・・・​ もどる ​・・・


                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.05.19 15:59:01
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