JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.08.12
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
『​ 鎌倉散策 目次 ​』
【​ 鎌倉の寺社リスト ​】

更に「鎌倉湖」方面に進むと左手にあったのが「白山神社・今泉寺(こんせんじ)」。



入口の案内板。
ここが「白山神社」、この後に訪ねた称名寺(今泉不動)までは500mと。



「禅宗 今泉寺」。



「文学案内板
天廣丸狂歌碑
「くむ酒は 是風流の 眼なり 月を見るにも 花を見るにも  廣丸」
天廣丸(宝暦六年~文政十一・一七五六~一八ニ八)
本名は磯崎廣吉、別号を酔亀亭と号した人で、大船今泉に生まれました。若くして江戸に出て
易学を修め、また、狂歌の道に精進して、高名な狂歌師となりました。
廣丸の狂歌の師は唐衣橘洲(からころもきっしゅう)で、廣丸の歌集としては
「狂歌千歳の松の葉」・「狂歌都鳥集」・「狂歌玉笹集」・「狂歌三百集」などが知られて
います。中でも有名なのは「狂歌三百集」に収められている「狂歌酒百首」で、醉亀亭廣丸の
面目を表わす代表的なものとして、広く人々に読まれました。
廣丸は大変な酒好きで、その号も酒からとっていて、数々の逸話が残されています。
「狂歌人物誌」(文政十年刊)には、廣丸は外出する時にも徳利を離さす、衣服には徳利の紋を
つけ、著書にも徳利の図をつけていたと記されています。このような廣丸の奇人ぶりがまた、
当時の江戸の人々に愛されたと思われます。
この碑の狂歌は「狂歌酒百首」の最初に掲げられ、廣丸の名吟として知られたもので、東京墨田区
の白鬚神社にある廣丸の碑にも刻まれています。また、東京麻市の善学寺の廣丸の記念碑には
「心あらば手向けてくれよ酒と水銭のある人銭のない人」という、彼の時世の歌が刻まれて
います。
廣丸の墓は、今泉の磯崎家の墓域にあり、位牌形墓石に「文政十一子天 九月十五日智法浄慧
禅定門 俗名天廣丸」と刻まれ、側面には酒を表わす徳利の図が刻まれています。」



参道の「石灯籠」(左)。



参道を進む。
今泉の住宅地の中、山を背にして白山神社があった。



一の鳥居。



右手に石碑群。



手前から
舟型上辺に、3つの種子をつけます。
中心に、「キリーク」(阿弥陀を表す梵字)、向かって右が「サ」(観音菩薩)、向かって左は
「サク」(勢至菩薩)を表すと。
中心に「奉造立庚申像 為二世安楽」と刻む。 下辺に浮彫りの三猿を配す。
右に「寛文十二年」(1672)とあり大分古いもの。
安山岩、高さ108.5cmのこの庚申塔は鎌倉市の有形民俗資料に指定されていると。



隣の石碑。



尖塔角柱型
中心に「庚申供養塔」と刻み、下辺に三猿を配する。
左側面に「寛政四年」(1792)とあります。



「牽牛地神」碑。



この文字は?



「馬頭観音」碑。



「馬頭観音」碑。





振り返って。



庚中塔の反対側にも庚申塔が並んでいた。



正面から。



真ん中の背の低い石塔に「毘沙門堂」の文字が刻まれていた。



「飛沙毛ん天堂」。





石段の先に社殿が見えて来た。



今泉白山神社の境内にのぼる手前、参道の途中左手にあるこの寺が、「今泉寺」。
建物はあったが、人気(ひとけ)は無かったのであった。
白山神社下の今泉寺は、かつての毘沙門堂の別当寺だった。
昭和のはじめに明月院と合併した後、1983年(昭和58年)に本尊を如意輪観音とする
寿福山今泉寺として創建されている。



扁額「壽福山」は禅宗の寺。



石段を上がると「白山神社」が正面に。
建久元年(1190)上洛を果たした源頼朝は鞍馬寺を訪れた際に、行基作と伝わる毘沙門天像二体
のうちの一体を賜った。翌年、その毘沙門天像を安置するために建立された毘沙門堂が白山神社の
始まりだと伝えられている。鞍馬寺が平安京の北東の鎮護であることから、鎌倉の北東に当たる
今泉のこの地に安置されたのだと。



境内脇の「石祠」。



これも右手に「子守神社」。



「子守神社
祭神 天之水分神(あめのみくまりのかみ)・国之水分神(くにのみくまりのかみ)
   (子授・安産・子育ての神)
元は水の配分をつかさどる神であるが、このみくまりをみこもりと訛って早くから
子守神として信仰があった。
豊臣秀吉はその子、秀頼のために祈り、本居宣長はその父母の祈請により誕生したとして参詣を
重ねたことが和歌や、「菅笠日記」によって知られる。当地では、初宮詣・七五三詣に先立って
このお社にお参りするのが古くからの慣わしです。」



手水舎。



湧水であろうか。



神輿庫?



「古札納め処」。



「拝殿」。



見事な彫刻。



「白山神社」の石段から「今泉寺」を望む。



「亀亭天廣丸の歌碑」。
廣丸は今泉で生まれた江戸時代の狂歌師。江戸に出て狂歌の道に入る。
酔亀亭という号のとおり酒好きで、出した歌集の中でも『狂歌酒百首』は、世に知られている。
金は全て酒に使ってしまい、住んでいた屋敷は雨漏りだらけで、狂歌の会が行われたときには、
集まった者が傘をさしながら参加したという話も残されている。



「くむ酒は  風流の 眼(まなこ)なり 月を見るにも 花を見るにも 廣丸」。



そして「白山神社」入口の先には「鎌倉湖墓苑」の案内板が。
「鎌倉湖墓苑」は「円覚寺塔頭 龍隠庵」が管理しているようであった。



                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.05.19 16:10:38
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