JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.08.26
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
『​ 鎌倉散策 目次 ​』 👈リンク
【​ 鎌倉の寺社リスト ​】

この日は8月4日(水)、「古都「鎌倉」を巡る」の12回目の散策に早朝出発して
鎌倉駅に向かいました。
「鎌倉駅」に7時過ぎに到着。



ロータリー脇にあった「自転車による鎌倉巡り」案内図。
名所間の自転車による所要分数が記載されていた。



「鎌倉駅舎」東口を見る。



「鎌倉駅入口」交差点を渡る。



この日の散策は主に鎌倉市大町にある寺社仏閣を計画。
横断歩道を渡ると正面に「大巧寺」山門。



「安産子育 産女霊神(うぶめれいじん、うぶすめれいじん) 長慶山 大巧寺」碑。
本尊は、産女霊神(うぶめれいじん、うぶすめれいじん)。
産女霊神を祀る安産祈願の寺として知られている。「おんめさま」とよばれている。



「日本の道100選 若宮大路」碑。



「大巧寺(だいぎょうじ)
初め「大行寺」という名でしたが、源頼朝がこの寺で行った軍評定(作戦会議)で大勝したので、大巧寺」に改めるようになったと伝えられています。
室町時代の終わり頃、この寺の住職の日棟上人が、難産で死んだ秋山勘解由の妻を供養して
成仏させました。その後、お産で苦しむ女性を守護するために、「産女霊神」を本尊として
お祀りしました。今も安産祈願の寺として、「おんめさま」の愛称で呼ばれ、多くの方が参詣
されています。
● 宗  派   日蓮宗系単立寺院
● 山号寺号   長慶山大巧寺
● 開  山   日澄上人」
単立(たんりつ)とは、包括宗教団体に属さない独立した宗教団体(寺院・神社など)のこと。
単立であるというのは、あくまで法制度上の問題であって、単立だからといって必ずしも
思想・信条的な面で独自性があるとは限らない。○○宗単立、○○派単立などというように、
教義・儀礼は伝統宗派や教派に則っていることも珍しくない。
人事・財務を巡る争いから包括宗教法人を離脱し単立となる例が多いとのこと。
鎌倉長谷寺も単立寺院であるとのこと。



境内に咲いていたシュウメイギク。
シュウメイギクは漢字で書くと「秋明菊」となり、菊に似た白やピンクの花を咲かせる宿根草。
キンポウゲ科の植物で、花の形はアネモネに似ている。
シュウメイギクは「貴船菊」、「秋牡丹」などの別名でも呼ばれ、欧米ではボーダーガーデンや
日本風のガーデンには欠かせない植物となっていると。



女郎花(おみなえし)
和名の由来は、同属で姿がよく似ている白花のオトコエシ(男郎花)に対する「女郎花」で、
全体にやさしい感じがするところから名付けられたとされる。
「オミナエシ」の読みの語源はよくわかっていないが、一説には「エシ」は「圧し(へし)」で
あり、花の姿の美しさは美女を圧倒するという意味だとする説がある。
漢字で「女郎花」と書くが、これは漢名ではなく、日本では「敗醤」を当てていた。
花を室内に挿しておくと、やがて醤油の腐敗したような匂いになっていくことに由来する と。



蓮の花も。



「大巧寺」の「本堂」。
安産祈祷は毎朝住職が本堂で産婦の安産を祈願する祈祷で、出産予定日まで続けられる。
産婦に授与される安産お守りはお札、腹帯守、麻紐、秘妙符から構成される。
このうち、腹帯守は腹帯に入れるお守りで帯祝いの時に使う。また麻紐は産後、産婦の髪を結ぶ
お守りになる。秘妙符の中には粒が3つと折り紙が入っている。粒のうち1つは出産予定月の朔日に
飲み、他の二つは陣痛が始まった際に飲む。
折り紙は色によって性別を占うものといわれており、赤だと女子、白だと男子が生まれるという
伝承があるのだと。
犬はお産が軽く安産であるという伝承から、犬を縁起物として扱っている。
このため戌の日は吉日として安産祈願者で混みあうことが多いと。
私も、近くでは5年前に長男のパートナーの出産前に、ここの「​ 安産お守り ​」👈リンクを
頂いたのであった。



そして「大巧寺」を後にして、裏門から出て「小町大路」を右手に進むと
カーブの右手にあったのが「​​ 本覚寺 ​」👈リンク。
佐渡流罪を解かれた日蓮聖人はここにあった夷堂(えびすどう)に滞在して布教を再開した。
永享8年(1436年)、このゆかりの地に足利持氏(もちうじ)が日出上人を開山として創建。
身延山久遠寺にあった日蓮聖人の遺骨を分骨したことから、「東身延」と呼ばれる。
境内には夷堂が建ち、鎌倉七福神の一つとして正月はたくさんの人出でにぎわう。



前方の橋の名は鎌倉十橋(かまくらじっきょう)の一つ「夷堂橋(えびすどうばし)」。
この橋が大町と小町の境になるのだ。橋の手前に本覚寺、橋を越えると妙本寺方面へと至る。
かつてこの橋のあたりに源頼朝が鬼門除けのために夷神を祀った御堂があったといわれている。
明治になって神仏分離により夷神社は現在の蛭子神社に合祀されたが、1981年(昭和56年)に
本覚寺境内に夷堂が再建されたのだと。



下を流れる川は「滑川(なめりかわ)」。
鎌倉市十二所の朝比奈峠付近を源流とし、鎌倉市街を流下して由比ヶ浜と材木座海岸の間で
相模湾に注ぐ全長5.6kmの川。かつては上流から下流にかけて胡桃川・滑川・座禅川・夷堂川・
炭売川などの別名で呼ばれ、河口付近では閻魔川と言われていたと。
かつては全域が神奈川県の管理下にあったが、2008年度(平成20年度)から鎌倉市小町3丁目の
東勝寺橋下流端より上流部分についての維持管理が鎌倉市に移管されているとのこと。



「夷堂橋」を渡ると正面に「妙本寺」の参道が。



題目碑「南無妙法蓮華経 妙本寺」。
台座には「唱題随喜衆」?であろうか。
唱題とは、文字通りに法華経の題目を一心に唱えること。随喜とは他人のなした善い行為に
随い順じて、これを心から喜ぶことを言い、特に随喜する僧侶を随喜衆というと。
左面には「高祖大士六百遠忌之塔」、右面には「閻浮提内本化最初霊窟」と刻まれていた。
日蓮聖人・高祖大士は1222年(承久4年)2月16日、安房国小湊(あわのくにこみなと=
現在の千葉県房総半島の南端)で誕生。 弘安5年(1282年)10月13日亡くなったので
よってこの題目碑は1882年(明治15年)の建立であろうか。
「閻浮提内本化最初霊窟」の意味は?
「閻浮提」とは仏教の世界観で、人間世界のこと。この世。現世。世界の中心である須弥山
 (しゅみせん) の四方にある大陸のうち、南方にあり、閻浮樹が生えているとされ、もとは
インドをさしたのだと。



正面に「総門」、右手に「比企谷幼稚園」。
鎌倉市大町1丁目15−1。
比企谷は地名、其の起りは頼朝公の乳母比企の尼は、頼朝公が伊豆へ流罪の身となってからも、
心を頼朝公に寄せ、尼の娘夫婦安達藤九郎夫妻は終始頼朝公に随身し、尼も亦常に頼朝公を
お見舞いしていた。鎌倉開府に及び、頼朝公は尼の老後を慰めるため家を造って呼び住まわせた
のが、現在の祖師堂の地点である。頼朝公の妻政子懐妊するや、尼の許に安産したのが、
後の頼家将軍である。のみならず、尼の比企家の跡取は夫婦養子で比企能員(よしかず)と云い、
頼朝公に重用され、現在の妙本寺庫裡の地点に住って居た。これ等のため此の谷を比企谷と云う。



「総門」の前には石碑と案内板が。



題目碑「南無妙法蓮華経」。
「南無妙法蓮華経」題目碑の裏万には「法界萬霊」と彫られていた。
鎌倉に覚園寺以外にも「法界萬霊」はあるのだった。



「妙本寺(みょうほんじ)
この寺一帯の谷を比企谷といい、源頼朝の重臣・比企能員らの屋敷がありました。比企一族は
二代将軍・頼家の後継者争いの際、北条氏を中心とした軍勢にこの地で滅ぼされました(比企の
乱)。その後、乱から逃れていた末子能本が、日蓮聖人に帰依し、一族の屋敷跡であるこの地に
法華堂を建てました。これが妙本寺の始まりといわれています。
四月から八月にかけて、桜・カイドウ・シャガ・ノウゼンカズラなどが鮮やかな花をつけ、
静かな境内を彩ります。
● 宗  派  日蓮宗
● 山号寺号  長興山妙本寺 (ちょうこうざんみょうほんじ)
● 建  立  文応1年 (1260)
● 開  山  日蓮聖人
● 開  基  比企大学三郎能本(ひきだいがくさぶろうよしもと)」



「比企能員邸址」碑。
「能員ハ頼朝ノ乳母比企禅尼ノ養子ナルガ 禅尼ト共ニ此ノ地ニ住セリ此ノ地比企ヶ谷ノ名
アルモ之ニ基ク能員ノ女頼家ノ寵ヲ受ケ若狭局ト称シ子一幡ヲ生ム建仁三年頼家疾ムヤ
母政子関西ノ地頭職ヲ分チテ頼家ノ弟千幡ニ授ケントス能員之ヲ憤リ蜜ニ北條氏ヲ除カント
謀ル謀泄レテ卻ツテ北條氏ノ為一族此ノ地ニ於テ滅サル
大正12年(1923年)3月 鎌倉町青年團建」

【比企能員(よしかず)は、源頼朝の乳母(うば)であった比企禅尼(ひきのぜんに)の養子であり、
禅尼と共にこの場所に住んでいました。この土地の名前が、比企ヶ谷(ひきがやつ)というのも
このためです。 能員の娘は頼家の妻になり、 若狭局(わかさのつぼね)とよばれて、
一幡(いちまん)という子供を生みました。1203年頼家が病で倒れると、母親でもあり、
頼朝の妻でもある政子が頼家の権力を2分して、頼家の弟千幡(せんまん)に渡そうとしました。
このことに能員が怒り、 ひそかに北条氏を滅ぼそうと計画しましたが、逆に北条方に覚られ、
比企一族はこの地で滅ぼされてしまいました。】



「文学案内板 妙本寺境内」であったが・・・写真からは解読不能。



ネットから以前の写真を。
「文学案内板 妙本寺境内
◯仙覚万葉集研究跡
 鎌倉時代前記の万葉学者僧仙覚が、万葉集の校訂や本文統一などの偉業をなしとげた跡で、
 祖師堂の左にある「万葉集研究跡」の碑文を参照。
◯国木田独歩の詩「鎌倉妙本寺懐古」
 夕日いざよふ妙本寺
 法威のあとを弔へば
 芙蓉の花の影さびて
 我世の末をなげくかな(以下略)
 独歩(一八七一~一九〇八、小説家・詩人)
◯田辺松坡漢詩碑
 「海棠花下吟」    海棠の花の下に吟ず
 嫩葉 葩緑擁紅    嫩葉 葩緑紅を擁す  
 祗園雨霽洽光風    祗園の雨霽れて光風洽し 
 山僧説法花陰午    山僧法を説く花陰の午
 髣現閻浮七寶宮    髣に現ず閻浮七寶の宮
 松坡居士
 松坡(一八六ニ~一九四四、教育者・漢詩人)
◯小林秀雄の「中原中也の思い出」
 鎌倉比企ヶ谷妙本寺境内に、海棠(かいどう)の名木があった。(中略)
 晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠の散るのを黙って見ていた。(後略)
 英雄(一九〇ニ~八三、文芸評論家)
 中也(一九〇七~三七、詩人)
◯林不忘(一九〇〇~三五)墓
 小説家。本名長谷川海太郎。筆名に林不忘、牧逸馬、谷譲次の三つを持つ。」


   【https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12483444279.html】より

「総門」。
ニ門(総門とニ天門)、ニ堂(本堂と祖師堂)の日蓮宗の典型的な伽藍を有する。



総門の扁額「妙本寺」。



掲示板には
「法華経は女人の成仏をさきとする」と。
「近年女性の地位向上が大いに叫ばれていますが、実はお釈迦さまはすでに3千年前に法華経を
通して男女平等を宣言されていました。
ひと昔前までは洋の東西を問わず男性優位の考え方が当たり前でした。しかしその男性も母親が
いなければ生まれません。
どちらが欠けても世の中は成り立たたないのは自明の理です。
再度根本に立ち返り考えて下さい。男(ひと)は女(ひと)があっての人なのです。」
とネットから。



ここは「妙本寺」。



総門の右奥にある「比企谷幼稚園」。
寺の建物かと見まがいますが、妙本寺の支院があった地に建てられた「比企谷幼稚園」の
夢殿を模した八角形の建物。
九老僧日伝上人庵室の旧蹟にして寺号を大円坊と呼ばれていたが、大正十ニ年閂頁大震災に
倒潰した。昭和十ニ年(日雅上人代)八角堂の園舎を建立して妙本寺経営による幼稚園を開設し
現に存続している と。



「比企谷幼稚園」。
笹竜胆の寺紋の中に「幼」と。



別の角度から。
「昭和10年の頃、大正12年の関東大震災によって倒壊し、その復興を待ち望まれた、当時
比企谷妙本寺の支院であった大円院境内に建築工事が始まり、昭和12年3月八角形の夢殿を
模した見事な建物が完成された。これは、当時の比企谷妙本寺貫首島田勝存上人の発願による、
宗教的情操を基盤とする幼児教育の殿堂、比企谷幼稚園で、昭和12年4月開園始業し明るく
楽しい歓声があふれ、その活動が開始された。
妙本寺の緑あふれる幽遂な境内は、園外保育、観察、運動等に随時活用され、春の花、
秋の紅葉を賞でつつ大自然の営みの中に壊かれて、幼な心にその感性を深め、御本尊に
合掌しては敬いの心を養い、友と交わりては信と和の必要性を自覚し、明るく楽しい活動が
展開され今日に至っております。
初代園長島田勝存先生から、昭和33年第二代金子弁浄先生が御辞任になり、更に昭和50年
第三代蒲田行静先生が御辞任なさいましたが、昭和56年1月にお亡くなりになられ、
初代島田園長先生と共に比企谷の霊域より御見護り下さって居ります。その間園舎の増築、
八角堂屋根の葺替等が完成し、現在に至って居ります。」とネットから。



「妙本寺周辺観光案内図」。



ズームして「現在位置」を。



「総門」を潜り参道を進む。



進むと左手に「方丈門」があった。



「日蓮宗 本山 比企谷 妙本寺」案内図。
ここにも笹竜胆の寺紋が。



冠木門に似た「方丈門」を正面から。
屋根付きの門であり高麗門(こうらいもん)と呼ばれるものであろうか。



その先に「本堂」への石段が。



この石段は上らずに、まずは「方丈門」前を左に進んで行った。




                              ・・・​ もどる ​・・・


                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.05.19 16:17:29
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