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一人息子高校2年の秋、進路指導室に貴志は呼び出された。担任の土田は「成績は申し分ない。君は理系か文系かな。この成績なら、どっちでもいいぞ」「先生、僕は医者になりたいです」「うん、君なら合格は可能だが、医者になるには、お金がいるからな。それに食べられるまで、10年近くかかるぞ。ご両親は納得するか」「家が貧乏だからですか。たしかに、うちはお金ないですが」「いや、君の学力なら奨学金を出す大学がある。ただ、離島や僻地に10年ほど行かねばならんが。それか、防衛医大なら、少ないが給料も出るぞ。そのかわり自衛隊に勤務することになる」「医者になれるんなら、どこでもいいです。きっと、両親説得します」「…」土田はニッコリ頷いた。貴志の父は鳶をしている。最近は、年をとって仕事がなくなった。ただでさえ余裕のない家が、輪をかけて苦しくなっている。貴志が家に帰ると、今日も仕事がなかったと見えて、父は、まだ昼の3時と言うのに酒で酔っぱらっていた。「お父ちゃん、お母ちゃんは?」「パート」「お父ちゃん、ちょっと話しあるんや」「ううん、一人息子のお前の話や。聞こうやないか」「俺、医者になりたいんや」「金かかるやろ」「そう、でもな、離島や無医村に行く気なら、奨学金出るって、先生が教えてくれた」「そうか…離島や無医村か。もっと、近くでいい仕事あるやろ。おまえは頭がいいのやから、楽して稼げるはずや。下積みの苦労はワシだけでたくさんや。ワシは反対や」「お父ちゃん」「反対言うたら、反対じゃ」父は、聞く耳を持たなかった。そこへ、母が帰ってきた。貴志は、父が反対したので嫌気をさして飛び出して行った。貴志の出て行った後、母は父に言った「あんた、寂しいやろ。あの子がいんようになるのが。あの子がいなかったら、あんたは、ただの飲んだくれやもんね。でも、あんた、あの子、医者になるの分かるような気がするの。思い出してよ。あの子が4才やったかなあ」父と母は、貴志が4才の頃の出来事を思い出した。貴志は、何かにあたったようで、下痢と発熱で苦しみ始めた。夜中の2時だった。貴志の父と母は、貴志を近所の診療所に連れて行った。ドンドンとドアを叩き、医者を起こした。医者は「こりゃ大変や。赤痢になっとる。うちの設備じゃダメじゃ」と叫んだ。貴志は救急車で大学病院に運ばれ危うく命を取り留めたのだった…「あの子は、あの時、医者になると決めたんよ。分かったって、あんた」「分かった」「私かって寂しいんよ」「分かった」…そんな二人の会話を、貴志は玄関の所で涙をこらえながら聞いていた。
2005.10.31
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どっちもどっち秋風が吹く頃になると、なぜか圭子はもの悲しくなる。そのせいか、とにかく最近は忘れ物が多い。もともと、しっかりしている方ではないが、それにしても、こう毎日となると、困りものだ。ちなみに月曜日はハンカチ、火曜日は化粧道具一式、水曜日は財布、木曜日は携帯電話、金曜日は木曜日持ち帰った書類である。タウン誌の編集の仕事をやっている圭子は、この4月に入社して、そろそろ半年も過ぎ、職場にも慣れてきた。入社当時は緊張していたから忘れ物はなかった。やはり、仕事に慣れてきた秋口からがいけない。ハンカチや化粧道具くらいなら、どうってことなかったが、携帯電話は仕事の連絡用だっただから、取材関係の電話もかかってくる。木曜日は、運の悪いことに、編集長から一番に電話があって怒られた。書類を忘れたのは、致命傷で、これは家に取りに帰るようにキツク言われた。そして、今度やったら、クビになるかもしれないとも言われた。圭子の勤めるタウン誌は、最近発行部数が激減している。と言うのも、インターネットの普及で、今までどおりの内容では誰も見てくれないのだ。生半可な情報では、お金がもらえない時代に突入した。これは、圭子の勤める社だけではない。週刊誌は軒並み発行部数を減らし、廃刊に追い込まれ、大手の新聞社の中にも、夕刊を廃刊にしようとする動きがある。マスコミは、銀行や保険会社と同じように構造不況に突入したのだ。しっかりしてない癖に悲観主義の圭子は、夜も眠れなくなった。もう完全に鬱状態だ。圭子は、自分と正反対の性格の玉置にヘルプミーとメールを送った。玉置は、フリーのデザイナーやっている。仕事をするときは、2ヶ月3ヶ月休みなしで頑張ることもあるが、休むとなると、1ヶ月海外のリゾート地で遊びまくって来る。彼は自分で自分をコントロールできる天才なのだ。圭子は、悩むと、いつも玉置を呼びだし、パアッーと飲んで歌ってストレス発散することにしている。学生時代からだから、もう3年の付き合いになる。そんな二人だが、恋人同志ではない。その証拠に、一ヶ月前、今日のようにパアーッとやって終電に乗り遅れて、やむを得ず二人で安いラブホテルに一泊して、ダブルベッドに枕を並べて眠ったが何にもなかった。圭子に女としての魅力がないのか、玉置が男ではないのか、そのあたりについては、圭子には分からない。さて、圭子が待ち合わせの居酒屋に行くと、玉置は、先に座って待っていた。玉置は圭子が席に座るなり、真剣な眼差しで「で、返事を聞かせてほしい」と言った。「どうしたの、玉置君、真剣な顔して。返事って何?」「俺だって、男だし、こんな時は、真面目になるよ。で、返事」「何の返事?」「はあ?この前、手紙渡したろ。その返事だ」「この前って、一ヶ月前ね。ああ…ごめん、読んでない」「必ず読んでくれって、念を押したはずだぜ」「忘れたの。そんなん、口で言えばいいじゃないの。私とあなたは、何でも話してるでしょ」「何でも話してるから、話しにくいって事あるだろ」「まさか…あの手紙、ラブレター。プロポーズ。ダハッハハハハッハハハ」「そんなに笑うなよ」「ダハッハハハッハハハハ…だから、玉置君って楽しい。もう笑いが止まらない。ねえ、どうして、そんなに好きなら、この前、ホテルに二人で泊まった時、何にもしなかったのよ」「承諾もらわないと」「ハハハッハハ…よく我慢できるわね。結婚したいほど好きな女が裸同然で隣りに寝てるのよ。バカじゃない」「バカはないだろ」「バカよ。私、もうすぐ失業するの。忘れ物ばっかりするから。あなたの手紙だって忘れてた。そんな頼りない女よ。私」「でも、いい」「やっぱり、バカね」頼りない女とバカな男、どっちもどっち。
2005.10.30
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消えてしまいたい人から大切なものを預かったプレッシャーは、あんまり良いものではありません。また、その大切な預かりものを失ってしまったら、もう消えてしまいたいくらいツライものです。康一は、衣料品店の店長をやっている。高校を卒業してから3年間、真面目に働いた甲斐があって、社長の一番のお気に入りになった。ある日、康一は、出張した社長の代わりに、5つある店の売り上げ500万円と会社の印鑑と通帳の入ったバッグを持って、銀行の夜間金庫に行く途中だった。急ぎ足の康一の携帯電話が鳴った。…康一君、ちょっと助けてくれない…高校時代から付き合っている祐子からの電話だ。康一と祐子は結婚前提に付き合っている。両親も公認の仲だ。「どうした。俺も、ちょっと大事な用事で」…ちょっと、事故しちゃって。相手が悪くて…どうやら、たちの悪い連中の自動車と衝突したらしい。泣きそうな祐子の声と大切な売り上げを銀行の貸金庫に入れるのとの間で、康一は迷った。天秤にかけたのだ。幸い、祐子が事故した場所は、車でほんの数分の所だ。「夜間金庫は一晩中開いてるしな。とりあえず、祐子の所へ行くか」康一は、車に飛び乗って祐子がいる事故現場に急行した。だが、数分後、康一が現場に到着した時には、すでに現場には、警察も保険会社の事故担当も来ていて、康一と祐子は10分ほどで、とりあえず康一の車に戻ることができた。しかし、車を見て、康一は顔面蒼白になった。道路沿いに止めてあった車のウインドウが割られて、中に置いてあった現金500万円と会社の印鑑と通帳の入ったバックが盗まれていたのだ。「大変だ」康一は祐子の見ている前で、すぐに警察に連絡した。そして、社長にも電話した。「もうしわけないです。もう死にたいくらいです」…あほ、お前の命は500万ポッチか。明日の朝、帰るから…出張先のホテルから、社長はそう言った。「ごめんね。私が事故したばっかりに」祐子も、心配している。「社長には世話になったんや。商売のこと、何も知らなかった俺に、飯食わせながらイロハから教えてくれたんや。死んでも、500万円は取りもどしたい。印鑑も通帳も…そうだ、銀行にも電話しよう」銀行に電話した後、康一は、あてもなく街中を走りまわった。警察の人に、印鑑と通帳は足がつくから、ひょっとしたらゴミ箱に捨ててあるかもしれないと言われたのでゴミ箱も探した。それこそ、地下街や駅、そして公衆トイレのゴミ箱も探し回った…とうとう、夜が明けた。しかし、都合良くお金が見つかったなどと、電話などかかって来るはずもない。諦めるしかない。それでも康一は探したかった。そんな康一を、哀れみながら見つめているだけで何も手助けできない祐子だった。朝8時、「そろそろ、店に行かなければ…」そう自分に言い聞かせる康一だが、足は鉛のように重い。「じゃ、康ちゃん。私、会社に行くね。ごめんね」辛そうな祐子を降ろして、康一は車を走らせた。その車を駐車場に止めて、店に行く。ほんの百メートルほどの店までの距離が、何キロにも思えた。店のシャッターの前まで来た康一を呼ぶ声が聞こえた、「おい、10時開店の二時間前に来るのが店長や。10分遅刻やぞ」社長だった。社長は笑顔でシャッターの前に立っていた。「すんません。社長」康一は涙が止まらなかった。「あほ、早くシャッターを開けて開店準備して」「でも、社長。500万も取られて、私、死にたいです」「500万は、盗難保険で何とかなる」「でも、通帳と印鑑は?」「そっちの方が、問題やな。悪用でもされたら…」そんな話をしていると、店の電話が鳴った、…Jメンテナンスと言います。実は、うちの掃除のおばちゃんが、バックを拾いまして。印鑑と通帳が入ってます。通帳見て、電話させてもらってます。ええ、地下街の男子トイレで。ええ、ほんの今です…電話が切れると、社長はポンと康一の肩を叩いた。「早く、行ってこい」お金は、とうとう戻って来なかったが、印鑑と通帳はすべて戻り、何とか事なきを得た康一だった。
2005.10.29
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3時間冷たい留置場の中で、一人寂しく座っている久仁子は、今朝の事故を思い出していた。朝の渋滞で、イライラしていた。「今日は職員会議の日なんだから…」やっと、信号が青に変わり、アクセルを踏んだ時、アッと思った。横断中のお爺さんを轢いてしまった。「お爺ちゃん、大丈夫。誰か救急車呼んで下さい」久仁子は必死に叫んだ。お爺ちゃんは、頭から血を流していた。意識も朦朧としている。やっと救急車が来た時、久仁子も冷や汗を流して倒れてしまった。気がついたのは警察の医務室だった。婦人警官が、傍に立っていた。「気がつきましたか?」「はい…お爺ちゃんは?」「救命に行ってます。ICUよ」「そうですか…」小学校の教師生活30年、もうすぐ教頭にでもなろうかという久仁子、最大のピンチだった。そんな留置場で頭を抱えて途方に暮れている久仁子に面会者が現れた。弁護士だと言う。弁護士は同じ街の中学で校長をしている久仁子の夫と一緒にやってきた。「あなた」と涙声で久仁子が言うと夫は、一生懸命に平静を装うと笑顔で言った「済んだことは仕方がない。元気出すんだ。幸い、お爺ちゃんは、命を取り留めたらしい。で、何とか、穏便に済ますように保険会社から弁護士さんを紹介してもらったよ」若い女性弁護士だった。「先生、私です。慎子。立花慎子です。15年ほど前、先生にお世話になった」「ええ?」一瞬、考えた久仁子だった。なにしろ、教師生活30年である。担任をした生徒は1000人を超える。久仁子は、慎子の顔をジッと見た。眉の横の小さな傷跡を慎子は指さした…「ああ…あの慎子ちゃん」慎子は、いじめられっ子だった。母親は、継母で、ろくに面倒を見ない。すぐ1学年下の妹は腹違いだった。誰の目にも、きれいな服を着ている妹とみすぼらしい服を着ている慎子の違いは明らかだった。そんな弱点を、意地の悪い子たちは見逃さない。「お前は、いつも、赤いセーターやのお。いつも着てるから茶のセーターやのお」と罵り、慎子のカバンの中の教科書や筆箱は年中無くなった。そのたびに慎子は「お母はんが怒る」と言ってヒーヒー泣いていた。それがまた、面白いと見えて、クラスの子たちは、慎子をいじめた。だんだんイジメはエスカレートして、何かあるごとに殴られた慎子は生傷が耐えなくなっていた。それでも、ヒーヒー泣くだけ。とうとう、イスを頭に投げつけられて血塗れになって職員室に倒れ込んできて、大騒ぎになった。久仁子は、隣のクラスの担任だった。どちらかと言えば、慎子のクラス担任は気の利かない先生だったから、ここまでエスカレートしたのかもしれない。学年主任の久仁子は、救急車を呼んで、慎子の担任と一緒に病院に行った。こんな事態になっても病院には母親も妹も来ず、夕方6時すぎに、やっと来たのが見た目にも頼りない父親がだけだった。慎子の父親は、頭に包帯をグルグル巻いた慎子を抱きしめてオイオイ泣いていた。「とうちゃんが頼りないからやな。カンニンしてやカンニンや」哀れな父と娘だった。さすがに、学校内でも問題となり、校長や教頭までもが、慎子のことを守ろうとした為、その後は、平穏な学校生活を送っていたようだった…「あの時の…」「ええ、おかげさまで」ハキハキと話す慎子は、当時とは比べものにならないほど、明るく生き生きとした女性に成長していた。「先生は、私の目標でした。私がケガした時、病院でシクシク泣いてばかりの私をずっと励ましてくれました。私が守ったげる。私が守ったげる。父が来るまでの3時間、先生が傍にいてくれた。あの3時間が私を変えたんです。今度は私が先生を守ります」私を守ってくれる。あの3時間が、あの子を変えた。慎子の言葉は、久仁子にうれしいを通り越して、胸が痛くなるほどの感激を与えた。そして、絶望の淵にあった久仁子は、教師をやって来て本当に良かったと思った。
2005.10.28
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欲望の風船「英会話に興味ありませんか」駅前の大きなブックセンターで、ありきたりのセールスガールからの呼びかけを無視して通り過ぎようとした牧本英司だが、「もしかしたら、牧本さんじゃありませんか」の声に振り返った。「ああ、久しぶり」英司はビックリした。あの頃の純粋無垢さはなくなったが、そのセールスガールは間違いなく歩美だ。3年ほど前、英司と歩美は同じ会社に勤めていた。当時、妻と子供から離れて単身赴任生活が続いていた英司は、悶々とした毎日を送っていた。まだ30代の半ばだった。そんな時、英司が役員を勤めていた不動産会社に新入社員としてやってきたのが短大を卒業したばかりの歩美だった。英司は高校を卒業してすぐに、この会社の営業になった。休みもろくに取らず働き続け、誰よりも早く役員になった。誰もが遊びたい年代に、英司は遊ばなかった。本社勤務に決まり、やっと余裕ができたと思ったら、小学生の子供が転校はイヤだと言うから単身赴任になったわけだ。そんな英司の心に魔が差したのかもしれない。お茶くみをしたり、掃除をしたりして、時々身の回りに来る歩美が、好みのタイプだったのだろう、ちょっと気になった英司だった。歩美がやってきてから、1ヶ月くらい過ぎた頃だった。ベテランの女子社員が、「借金取りが来ているんですよ」と、言ってきた。かなり強気な連中たちらしく、若手の社員たちが困っていた。しかたなく、英司が行ってみると、どうやら連中は歩美を訪ねてきたらしい。とりあえず、その日は帰ってもらったが、また1週間後やってくると息巻いていた。英司は、歩美を呼んで話を聞いた。歩美は、最初は口ごもっていたが、覚悟を決めたらしく経緯を話した。「ローンで宝石を買ったのが始まりだったんです。月々の支払いが苦しくて、サラ金からお金を借りているうちに雪だるまになって…」歩美の借金は、300万円ほどだった。金額的には真面目に働けば何とか返せそうな金額だが、借りた会社がたちの悪い会社だった。当時の英司は金回りが良く、300万円くらいなら自由にできた。その夜、英司は定宿にしているビジネスホテルに、歩美を呼びだした。「さっきのお金は、私が何とかしよう」そう言った時、歩美は”意味”が分かったようだった。「ちょっと、考えさせてください」緊張した面持ちで、歩美はキッパリと言って帰った。そんな歩美の態度に、英司は「振られたな」と、束の間の欲望の風船がパンと大きな音をたてて割れるような気がした。ところが、翌朝、英司のデスクにお茶を持ってきた歩美は、「昨日の話、お願いします」と言った。英司は、天にも昇る気持ちだった。一度はダメだと思ったから、なおさら嬉しかった。すぐに銀行に行った英司は、歩美に300万円の入った袋を渡した。その日、歩美は早退をして、そのままサラ金に支払いに行った。ここまでは、英司の思うつぼだったが、歩美の早退した会社に、突如、警察が踏み込んできた。関連会社で経営しているゴルフ場の会員券の乱発が詐欺だと告発されたのだった。アッという間に、社長以下役員幹部が逮捕され、会社は差し押さえられた。英司もパトカーに乗せられ、警察に連行された。執行猶予はついたが、詐欺の共犯の罪を負った…あまりにも、目まぐるしい日々の中、英司は歩美の事を考えるどころではなく、歩美とは、それから一度も会っていない。あれから、3年。世間は不況のど真ん中。英司は、当時の仲間数人と小さな不動産会社をやっている。生活はギリギリの状態で、あの当時の羽振りの良さはない。落ち目の英司の前にいる歩美は、眩しすぎるほどグッとキレイになっていた。
2005.10.27
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名誉の負傷K電鉄一のチビだけれども、張り切り、生真面目な新米車掌の岡光君は、今日も今日とて「失礼します。キップを拝見します」と元気良く、急行電車の中を巡回しています。そんな岡光君がいる車両の前方車両から、キャー!!女性の悲鳴が聞こえるではありませんか。何事かと思った岡光君、小走りで前方車両に行くと、筋肉隆々のプロレスラー並の身体をした男の人が、か弱い女性に絡んでいます。「バカ野郎、なめやがって」男は彼女に叫ぶと、電車のドアや壁面を、壊れるのではないかと思うくらいドンドン…ボコボコ蹴っています。これでは、まるで盛りのついたゴリラです。「どうしたのですか。車内ではお静かに」と岡光君が男に近づくと「うるせい」と、男は岡光君を突き飛ばしました。かわいそうに、その男の半分くらいの体格の岡光君は、はね飛ばされ、頭を激しく打ってしまいました。痛そうにおでこを撫でながら、岡光君は「暴力はいけません」と必死に訴えます。すると、男は、チェエッと吐き捨てるように言うと、ふてくされた顔で腕組みして座席に座りました。何とか落ち着いたようなので事情を聞くと、か弱い女性が、携帯電話で楽しく彼と会話していたそうなのです。「ウッフウウッフフフフ・・・そうなの・・・でねえ・・うううん・・迎えに来てよ」てな感じです。一方の男の方は、どうやら、ついさっき好きな彼女に振られたらしく自棄酒を飲んでいました。もちろん、目の前のか弱い彼女は、ぜんぜん知らない人なのですが、その男にとっては、楽しそうなウフフフが堪らなく聞き辛く腹が立ったのでしょう。まっ、簡単に言えば、八つ当たりですね。 そんなわけで、名誉の負傷を負った岡光君が家に帰ると、奥さんがウロウロ家中を見回しています。何かを探している様子です。それを見た岡光君、「おまえ、またか」と呆れた顔です。でも、すぐに気を取り直した優しい岡光君は、「どれどれ」と、いっしょに探し始めました。岡光君の奥さんは、近眼でメガネをつけているのですが、頻繁にメガネを置き忘れる癖があります。そんなわけで、疲れて帰宅した岡光君と奥さんは、仲良くメガネを探しているわけです。「あった。あった」奥さんは歓声を上げました。奥さんの大切なメガネは洗濯機の横に置いてありました。「おまえ、また、着替えながら洗濯してただろ」「ハハ…それにしても、あなた、おでこが赤いよ。コブができてる。どうしたの?」かくかくしかじか、事の経緯を岡光君から聞いた奥さん、「そう言えば、この前も、ヨッパライのオジサンに殴られたって言ってたっわね。電車の車掌って、プロレスラーかボクサーみたいね。あなた、ジムにでも通って鍛えたら…」小柄な体格のせいでしょうか。岡光君は、時々、今日のような災難に遭うようです。 さて、奥さんのメガネも見つかったし、ホッとした岡光君、ドット疲れが出たようで、奥さんの膝枕で眠ってしまいました。
2005.10.26
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最高の自由「木曜日は暇なのよ。もう、看板にするわ…ああっと、健ちゃんは帰っちゃイヤよ」そう言って、ママはカウンター嬢たちを、さっさと帰してしまった。客は健司一人だった。「今日は、私のおごりよ」そう言ってママは、とっておきのバーボンを取り出した。その夜、行きつけのスナックで健司は、ママの昔話に付き合っていた。「そりゃもちろん、もう愛してないと思ったから別れたのよ」ママは、ニコニコしながら言った。でも、その頬は少し引きつっていた。ママは、この町では一番の建設会社の社長夫人だった。20年連れ添って、二人の男の子をもうけた。夫婦生活で楽しかったのは、最初の一年目だけで、子供が生まれてから夫はあっちこっちに女を作った。仕事のできる人だったから、贅沢はさせてくれたけれど、愛なんて、どこかに飛んでしまったとママは思っていた。慰謝料は十分もらえたし、商売をやりたいと言ったから、この店も買ってもらった。いわば、最高の自由をもらって、夫から解放されたはずだった。しかし、ママと別れてから一年後、「あの女だけはイヤ、絶対に許せないの」ママは、健司に切々と訴えた。元夫は、再婚したのだ。その相手の女とは…「あの女はね。田舎から出てきて右も左も分からない時に、私が行儀作法から、仕事のやり方まで一から十まで教えて、秘書にまでなったのよ。それなのに、あの子ったら、私を裏切って…」どうやら、元夫の再婚の相手とは、ママの知り合いらしいのだ。もう他人なんだから…と健司は諫めようとしたが、「あの人はね。昔からモテたのよね。今はお金があるけどね。お金のない時からモテたのよ。あれで、かわいい所あるのよ」いつのまにやら、元夫の良いところばかりを口にするママに、だったら別れなきゃ良かったのに…と健司は今にも飛び出しそうになる言葉を飲み込んだ。いつになく饒舌なママの語りを聞きながら、最高の自由とは、掛け替えのないものを失って得るものかもしれない、と健司は思った。
2005.10.25
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失恋記念日「ああ、寝坊しちゃった」真澄は、フルスピードで駅まで走った。ゼーゼー胸が痛くなるほど、力走したかいあって、いつもの電車に何とか間に合った。「ラッキー」と思ったのも、束の間、ギューギュー詰めの電車の中で、真澄のすぐ横のオッサンは、シェーバー(電気ひげそり機)をカバンの中から取り出すと、ビーンビーンジャリジャりとやりだしたのである。「家で剃ってこいよ、オッサン。今日はついてないな」と真澄は思った。やっとのことで、電車を降りると、真澄の肩を馴れ馴れしく叩く男アリ。「よお、おはよう」同じ会社のうだつの上がらないベテラン営業マンだ。真澄は、その手を払いのけ、「気軽に触らないで」「何、怒ってんの。でも、怒った顔も可愛いよ」「誉めてるんだか…」「誉めてるに決まってるじゃん」いつものように、冗談を言い合っていると、前を歩いている家族連れに真澄は目を止めた。大きなケースを押している様子を見ると海外にでも行くのだろうか。その家族連れの男性は、真澄が少しだけ付き合った人だった。とは言っても、女友達の紹介でつきあい始めたのだが、一度も手を握ることもなく、すぐに別れた。簡単に言えば、グッと来るものがなかったのだ。彼は乗り気だったようで、「11月11日のことは一生忘れないよ。今日は、俺の失恋記念日だな」と言ってガッカリしていた。彼と彼の妻らしき人の間には5才くらいの女の子が挟まれて歩いていた。幸せそうな家族。妙に気になる。もしかしたら、あの女の場所は自分の場所だったかもしれない。真澄は、彼を紹介してくれた女友達との会話を思い出した。あれは、彼に交際を断った日の電話だった。…真澄、彼と別れたんだって?…「合わないみたいだし」…そうね、彼もそう思ってたみたいよ…「ウソ、ガッカリしてたわよ」…彼、やさしいから。上手にふられたのよ。彼、来月、結婚するのよ…「ええ!」…彼の奥さんになる人も、私の友達なの。真澄ほど美人じゃないけど、家庭的な子…開いた口がふさがらない真澄だった。真澄は学生時代からマドンナ的存在だったから、男をふるのには慣れていた。プライドも持っているつもりだ。そんな自分と付き合っていながら、他の女とも付き合うだなんて、何が「俺の失恋記念日」だろうか。今、思い出しても腑が煮えくりかえる真澄だった。そんな因縁の家族を視界から見送った真澄の目に、駅の日付表示版が入った。11月11日。「結局、今日は私の失恋記念日なのね」そう漏らした真澄に、「おい、何の記念日だって?我が部のお局様よ」と、さっきの営業マンが言った。
2005.10.24
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ラーメンの鬼「ちょっと、携帯貸してくれないか」「ええ?持ってるじゃないの」「オレの携帯は今、止まってるんだ」「?」圭子は開いた口がふさがらなかった。そう純一の携帯電話は料金未払いで止まっているのだ。そればかりではない。アパートの家賃も遅れ気味だ。こんな調子では10年越しのつき合いの圭子との結婚もいつになることやら。性格も明るく、やさしい、それに仕事だって、市の水道局で真面目に働いている純一だが、ラーメンに目のないことが仇となっている。とにかく、雑誌やテレビでおいしいラーメンがあると聞くと日本中どこにでも飛んで行くのだ。週末になると、一杯のラーメンを食べるために、平気で飛行機に乗るのだから、一介の公務員の収入では余裕のないもの当然だ。「ねえ、いっそのことラーメンと結婚したら」圭子がそう突きぱなすと、純一は「そんなことしたら、他のラーメン食べられないよ」と平然とあしらうのだった。
2005.10.23
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オヤジの魅力マラソンでオリンピックを目指している太一は、父の隆司が危篤だという連絡を受けた。母の声だった。「明日、選考レースだから終わったらすぐに行くから」「待ってるよ」…母の消え入りそうな声が耳に残った。仕事以外に何の取り柄もない父だった。「大キライなオヤジだった」酒もタバコもやらない。家でも仕事ばかりしていた。勉強しろ…ちゃんと練習してるか…父は勉強にしても、スポーツにしても、ちょっとでも悪い結果が出ると鬼のような顔をして太一をののしった。太一には父の思い出と言ってもいつも怒られた思い出しかなかった。中学からは、そんなオヤジに反発してほとんど話もしていない。ただ、小学校4年から6年まで朝6時なると「おーい、6時だぞ」と父は太一を叩き起こして朝のランニングをした。雨の日は、ガレージの下で柔軟体操をした。最初の頃は起こされるのが眠くてイヤだった。それでも、不思議なモノでいつの間にか慣れた。小学5年の時、市民マラソン大会で最年少優勝してからは自分で起きるようになった。そうそう、あのマラソン大会のちょうど一ヶ月前だった。「あんなヤツ、どこがいいのさ」母に聞いたことがある。「さあね」と母はごまかした。「おれは、あんな頑固なオヤジはキライだな」と言って、近所の公園に遊びに行った。そこで、ふとしたことで足の指にケガをした。かなり血が出た。駆けつけた母の自転車の荷台に載せられて、すぐに病院に行った。完治するのに1週間から2週間はかかると医者に言われた。その話を聞いた母が急に烈火のごとく怒りだした。「おまえは親不幸ものだよ。毎晩夜中の一時過ぎまで仕事して六時に起きることが、どんなに大変か、わかるのか。おまえといっしょに走るのがどんなにつらいか分かるのか。おまえを一本筋の通った人間にしてやろうという父ちゃんの気持ちを無駄にして…マラソン大会に出られなかったらどんなに父ちゃんが悲しむか…」母は最後は泣いていた。そして、母が父を愛しているのか分かった瞬間だった…考えてみれば、今の太一は、あの延長線上にあるのだ…そう思った瞬間、太一の目から一筋の涙がこぼれおちた。
2005.10.23
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夢「お母さん、あの人ね、こんなん書いてるの」幸子は、来春短大を卒業する一人娘の遥香からズシリと重い原稿を受け取った。その原稿は、遥香が以前から付き合っているという植田とい作家志望の青年が書いたものらしい。滅多に小説などというものを読まない幸子だが、娘の夫になるかもしれない男を見定める為と思い、気を入れて読んでみた。「ちょっと頭がおかしい人やないやろね」幸子が読んでみた感想は、何を考えているか分からない男だった。しかし、娘が短大に入学してから卒業までずっと恋いこがれていた男である。簡単に別れろとも言えない。しかも、今度の休みには、挨拶に来るそうではないか。植田は、遥香より2才年上で、大学を来春卒業するらしい。遥香の口振りだと、来春以降の早い時期に、一緒に暮らしたいらしい。幸子は、自分の胸にしまっておくのも負担に感じたようで、夫の俊之にうち明けた。「なんか、遥香とひそひそやってるなと思ったら、そんなことやったんやな。小説家志望やて。昔から、物書きで飯を食うなんてできる話やないで。よほどの才能でもないと。遥香が苦労するだけやと思うがな」「でも、遥香は、相当・・・」「惚れてるんか」「はい、反対したら家を出るかも」「よし、作戦考えておくわ。今度の日曜やな」と腕組みしながら言う俊之には何か考えがあるようであった。俊之は、デパートなどでレストランを10数店経営している。ただのコックから、20年ほどでのし上がった男だけあって、なかなかの厳しい男だった。約束通り、植田はやってきた。応接間で、俊之と幸子は迎えた。俊之は、植田と遥香が並んで座るのを見ると、わざと咳払いをした。そして、少し怖い顔をして植田を睨むと「遥香を気に入ってくれたんか」と言った。植田は「はい、気にいりました」「小説家目指してるそうやな」「はい」「食べて行けるのか」「働きながら続けて行きます」「それで、就職は決まったんか」「いえ、まだ。なかなか厳しくて」「この不景気や。どこの会社も小説家目指すような柔な男採用する余裕はないわな。なんなら、うちの養子になるか」と俊之が言ったところで、遥香が止めに入った「お父さん、いきなり養子だなんて、彼に失礼よ」俊之は、鋭い目つきで、遥香を見ると「何が失礼や。就職も決まってないのに、人の娘もらいに来る方が失礼や」すると、植田は「養子にならないと、お許し願えないのでしょうか」と言った。すると、俊之は、ほれ見たことかとばかりに「そう言うことやな。遥香は、お嬢さん育ちや。貧乏生活は慣れてない。最初は、愛だ恋だのと言うて、何とかやるやろうけど。子供ができたりしたら大変や。みすみす娘を苦労させたくないのは親心や」とキッパリと言った。これに対して、植田は少し考えて座りなおすと「なら、養子になります」と言い返した。養子になれと言えば植田が悩むと思ったのだろう、意外な顔をした俊之は、「それは本気か。小説家になる夢捨てるつもりか」と、さっきまでとは違い優しく言った。「今一番の夢は、遥香さんと一緒になることです。他のことは、今の夢を叶えてからにします」と、笑顔で答えた。こうして、植田は戸籍上の養子にこそならなかったが、俊之の下で厳しい修行に耐えることになった。5年たち10年たち、植田と遥香に、二人の子供ができた。やっと植田も一つの店を任せてもらえるようになった。そんなある日、植田のところに、出版社から連絡があった。「我が社の主催している新人賞を受賞されました。おめでとうございます」それから、間もなく植田の新人賞受賞作が本屋さんに並んだ。その原稿こそが、10年前、遥香が母の幸子に見せた原稿だったのだ。それを聞いたのだろう。俊之は、植田を社長室に呼んだ。植田は、とても心配だった。物書きなんかで飯は食えないと、毎日のように皮肉混じりに言っていた俊之のことだ。いまだに植田が諦めてなかったことを知ると、何を言い出すか。出て行けと言われるかもしれない。植田は、内心ビクビクで、社長室に入った。ところが、社長室にいたのは、いつもとは全く違ったニコニコ顔の俊之だった。「おめでとう。てっきり諦めたのかと思ったよ」「ありがとうございます」「これは妻も遥香も知らないことだけどね。私も若い頃、小説家を目指したことがあったんだよ。私の場合は、ずっと昔に諦めたがね。だからと言ってはなんだが、やっと君が、私の息子になった気がするんだよ。代わりに夢を叶えてくれた。そんな気がするんだ。ありがとうと言いたいのは私の方だよ」俊之の目は涙に濡れて光っていた。
2005.10.23
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家族定年を過ぎた嘱託新聞記者である久島清造が、記者生活最後の仕事に選んだのは中国残留孤児に関する仕事だった・・・もう半世紀以上も前の話だ。中国の満州に住んでいた久島家の人々が、日本に帰らなければならなくなった。日本が降伏して、ソ連軍が直ぐ近くまで迫ってきたのだ。そんな頃、いつも清造や一つ年下のサキと遊んでいた康一が、両親に連れられてやってきた。「必ず迎えに来ますから、二三日、この子を預かってください」清造の両親は、同じ日本人ということもあって、「気をつけて行ってらっしゃい」と、気持ちよく康一の両親を送り出した。この時、康一は11、清造は9つ、サキは8つだった。「康一は、今日からしばらく、清造やサキの家族やからな」清造の父は、笑顔で言った。その頃の康一は、どちらかと言えば、早熟な方で、もう声変わりもしていて身体も大きかったが、夜になると、さすがに寂しいと見えて、布団の中で顔を隠してシクシク泣いていた。清造は、子供心に、早く康一の両親が帰ってきたらいいのにと願っていた。しかし、約束の三日が過ぎても、一週間が過ぎても、康一の両親は戻ってこなかった。そうこうするうちに、ソ連軍が、すぐ隣の街までやってきているとのラジオ放送が流れた。清造の父は、心を鬼にして康一に言った「わしらは、日本に帰る。おまえも一緒に来るか?」康一は、散々悩んで、「わし、父さんと母さんを待ちます」と答えた。清造とサキは、康一と別れるのが辛かった。ジープに乗せられた清造とサキは、「なあ、父さん、康一ちゃんは、わしらの家族やないのか。なあ、父さん」と、駄々をこねて困らせた。そんな子供らの声を振り切って、ジープは港に向かって走り出した。しばらく、呆然と見送っていた康一が走り出した。「おーい、おーい」と叫びながら追ってくる。どんどん、康一が小さくなる・・・その康一の後ろからソ連軍がやってきた。バン・・・バン・・・康一は、足を撃たれ、飛び上がって倒れた・・・清造もサキも、船に乗ってからも、康一を思って何度も何度も泣いた・・・中国のことが話題になるたびに、清造は、康一を思った。「死んじまったのかなあ・・・」そうサキに言うと、サキは「絶対に、康一ちゃんは生きてるよ。兄さん」と、いつも勝ち気に言う。そんなサキには、孫が3人もいる。清造にも、もうすぐ孫ができる。清造は、中国残留孤児が、日本にやってくるたびに、康一の面影を探す。しかし、いまだに康一とは、対面できていない。清造は、こんな夢を何度も見たことがある。いつものように、残留孤児の一人一人に面会して取材をしていると、少し足を引きずった老人が、ポツリと座っていた。その老人に、清造が近づくと「わしや・・・わしや・・・忘れたんか」と、あの康一が白髪まじりの頭で、清造に抱きついてくる。清造は「忘れるわけないやろ、康一ちゃん、わしら家族やろ」と康一の背中を叩くのだった・・・
2005.10.22
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速読その日は、早く仕事を終えて帰ってきた勝雄が、夕食前のほんのひととき居間で本を読んでいると、小学校3年生の翼がやってきた「パパ、本読むの遅いね」いきなり我が息子が、そんなこと言うものだから、勝雄は驚いて「パパは本を読むのは早いほうだよ」と言うと、翼は、「先生は、もっともっと早いよ」と言うのだった。翼の言う先生とは、たぶん、学校の担任の小山先生のことだろう。勝雄は、その時は軽く聞き流した。その翌朝、勝雄は、会社の近くにあるコーヒーショップで不思議な光景を目撃した。勝雄の斜め前に座っている30過ぎの眉毛の濃い男は、コーヒーとパンとともに5冊ほどの厚めのビジネス書を置き、背筋をピンと伸ばして、パラリパラリ、どんどんとページをめくっているではないか。彼の目は1ページ1ページシャッターを押す感じだ。彼は、勝雄がパンとコーヒーをゆっく飲む間に、5冊のビジネス書のページを全部めくり終えて、いかにも満足そうに立ち去って行った。「あれは、何だ?」会社のデスクにつくと勝雄は、となりに座っている同僚に聞いた。「ああ、それは、きっと速読だぞ」「速読?」「おまえ知らないのか?テレビで、文庫本を1分で読んでしまうとか、見たことないのか」「あるけど、あれは超能力みたいなもので、特別な人だけがやるものじゃないのか?」「いや、学校があるんだぞ。通信教育もある」「ええ、そんなに広まってるの」「やってる人間はやってる。ブームと言うほどではない」「はあ」こんなわけで、勝雄は、速読法なるものがあることを知った。どうしても、気になった勝雄は、会社帰りに本屋さんに寄った。「あるある」たしかに、速読法の本が何冊かあった。しかも、その本の末尾には、速読法の通信教育や学校の案内も載っていた。勝雄は、その中の数校に電話した。すると、無料体験コースもあると言うではないか。近くにある学校は、今すぐ来てもいいと言った。「無料ならいいか」勝雄は、その足で駅前にある古びたビルの一室を訪ねた。すでに5人ほどが座っていた。案内された勝雄も、いっしょに座らされた。先生らしき人が前に出た「さあ、準備運動。一・二・三・一・二・三」と、先生の号令と共に、みんながページをパラパラめくっている。その早いこと早いこと・・・続いて、一人一台ずつパソコンの前に座り、目まぐるしく変わる絵や記号を見ることで動体視力を養う訓練プログラムを受けた。そして、最後に、一冊ずつ本を渡され、パラパラめくるのである。勝雄は初心者なので、小学1年生が読むような童話を渡された。他の人は、自分が持ってきた本をパラパラしていた「読むのではなくて、見るんですよ」と、先生らしき人は、何度も何度も言っていた。これで、約1時間週2回で、3ヶ月後には、普通の本なら数分で読めるようになるそうだ。帰り際に、先生らしき人は「速読は、右脳を使うんですよ。慣れると、普通の本なら1分くらいで読めますよ。人間の右脳には、もともと、そんな能力があるんですよ」と言ったので、勝雄は「生徒には、どんな方がいますか?」と質問した。すると、「いろんな人がいますよ。資格試験の勉強をしている人が多いですね。最近来た人では、レンタルビデオ店の店長さんがいました。彼は、店内に並べてあるビデオやCDの中から、一瞬で1つの作品を見つけられるようになったそうですよ。あ、そうそう、視力が良くなったという人もいました。速読をすると、視野が広くなりますから、当然と言えば当然ですね。たしか、あのケネディ大統領は速読の名人だったとか。アメリカではエリートと呼ばれる人はみんな速読をマスターしてますね」などなど、速読の素晴らしさを次々にあげて事細かに説明してくれた。帰りの電車の中で、疲れ切った勝雄は、カバンの中から文庫本をゆっくり取り出した。そして、つい今し方、体験したようにパラパラめくると、ため息をついて「俺にもできるのかなあ」とポツリ呟いた。
2005.10.21
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ゴーヤの縁「これはキュウリかウリか・・・」靖代が、初めてゴーヤを見た時の印象だった。今年で35。生まれてから、一度も琵琶湖のほとりにある実家から出たことがない。出たと言えば、たまの旅行くらい。最近は、見合いの話も、とんと来なくなった。早く結婚して出て行った二つ年上の兄には、もう高校生の息子がいる。家業の民宿は、一時ほどではないが繁盛はしている。京都にある大学のボート部が、定宿で使ってくれるから、まずは食いっぱぐれはない。そんなわけで、もうすぐ揃って60になる両親も、「ずっと、おったらいいやんか」と、ノンビリの様子だ。そんな靖代が、2年ほど前から、2ヶ月に一度の割で出かけるようになったのが沖縄だった。女ひとり旅だった。いつも同じ旅行社の二泊三日のツアーに参加するので、空港から旅行社の人に着いて行けば良い。いまだに過保護の両親にも心配かけることない。元来、自分で宿の予約をしたり、交通機関を探したりできるタイプではない。靖代の目的は、ただ一つ。本場のゴーヤを食べることだった。ゴーヤとは別名「にがうり」と言うだけあって、苦い渋い味だ。2年前、親戚の叔母ちゃんが、「沖縄から持って帰って来たけど誰も食べへんので」と持って来たのが最初のゴーヤとの出会いだった。その時は、たしか、マヨネーズでサラダにした。父も母も「ウエー・・・こりゃ苦いわ」と言って、一口食べただけでギブアップした。でも、不思議なことに、そんな二人の子であるはずの靖代の口には、ゴーヤはピッタリフィットした。「ニガイけど、この刺激たまらない」そんなわけで、ゴーヤにはまってしまった靖代だが、このゴーヤ、なかなか手に入らない。時々、近所のスーパーや八百屋さんに置いてあるのだが、いつも置いてあるわけではない。そんなもの珍しさが、また靖代の気を惹いたと言うわけだ。さてさて、靖代の旅行の”食”スケジュールだが、まずは、到着した日のお昼はホテルのレストランで、ゴーヤーチャンプルーを食べた。お昼ごはんだ。おやつは、空港の売店で買ったゴーヤチップスとゴーヤジュース。夜はゴーヤキムチをおかずにご飯を二膳、デザートはゴーヤシャーベットだった。翌朝は、ゴーヤゼリーを食べた。お昼は、ゴーヤをみそで炒めたもの。さて、夜はゴーヤ酒を飲んだりもした。まさにゴーヤづくし。実は、靖代がこの5月に行った時のことだった。1年前ほど前から、このツアーのコンダクターになった普天間って男、年は30ちょっとで気の優しそうな小太りで、沖縄生まれ沖縄育ちの男が、声をかけてきた「いつも、ゴーヤ食べてますね」「はあ、好きなもんで」「じゃあ、いっそのこと育ててみたら」「ええ」「5月頃まけば、関西でも育ちます。沖縄のゴーヤより少し小さいかもしれません。でも、味は同じ」「へえー、詳しいんや」「実家で、育ててるんで」「良かったら、種もらって来ますよ」そんなわけで、靖代は普天間からゴーヤの種をもらった。さて、琵琶湖のほとりにある民宿の小さな畑に5月末頃蒔かれたゴーヤの種だが、8月のお盆には見事に実った。ついでに、もう一つ、遅ればせながら来春、靖代が嫁に行くことになった。嫁ぎ先は沖縄。相手は?ここまで読んで野暮なこと聞きないでください。ゴーヤが取り持った縁のお話でした。
2005.10.20
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娘の忘れ物「あなた、タバコ吸うなら外で吸ってね」生まれたばかりの子供に悪いからと言われて、ちょっとスネた気分で一朗は、庭に出ました。めっきり寒くなった寒空です。すると、柵ごしに見た隣の庭にも人影が見えました。隣の御主人です。一朗の父親よりも少し下の年齢の方です。つい先日、男で一つで育て上げた娘さんを嫁にやったところだと聞いています。「こんばんは」お互いに気恥ずかしそうに挨拶を交わしました。と、その時、隣の御主人は、足下の小さなキャンディーの缶に気づいたようでした。「うちの娘の忘れ物ですよ」缶を開けると、小さな写真がたくさん入っていました。おそらく、友達や恋人と写したものでしょう。でも、どうして、そんな缶が庭に…ほんの1週間ほど前の夜10時頃でした。「この親不孝者!」御主人の荒れ狂う声が、近所に響き渡りました。「できちゃったんだから、しかたないじゃないの」泣きながら一人娘の佐枝は叫びました。「そんなこと言ってるんじゃない。どうして、そんな人がいるなら、父さんに教えてくれなかったんだ」「だって、どう言ったらいいか」「父さんは、おまえが5つの時に、母さんが死んでからずっと、おまえの為だ けに生きてきた。そんな父さんの気持ちが分からないのか」「分かるから、言えなかったのよ」「いや、分かってない。さっさと出て行け」怒り治まらぬ御主人は、佐枝さんの荷物を全部、庭に運び出したのでした。何しろ、夜中にゴトンガタンと大きな音をたて、タンスや机やベッドを次々に運び出したのですから、近所の人がビックリして飛び出してきました。でも、会話も筒抜けでしたから、誰も口を出せません。御主人と同じくらいの年齢の方が「もういいじゃないか」と、たしなめても、御主人は「うるさい、放っておいてくれ」と一心に運び出すのでした。その後、一晩中、御主人は、自分が精魂込めて育て上げた娘の荷物を、ひとりぼっちで酒を飲みながら眺めていたのでした。翌朝、目を覚ました佐枝さんが、御主人を探しても、御主人はどこにもいません。心当たりを方々探した佐枝さんですが、お昼過ぎても、御主人を見つけることはできませんでした。そんな佐枝さんの前に、昨晩とは全く変わってニッコリ笑った上機嫌の御主人が現れました「おい、式場決めてきたぞ。駅前の…や。あそこやったら恥ずかしくないぞ。急やけど、無理言って親戚友達かき集めるんや」「お父さんたら…」こんなわけで、佐枝さんは立派に式をあげて彼の元に嫁いで行ったのです…缶の中の写真を、一枚二枚と月明かりにかざして見ていた御主人ですが、ふと手を止めました。一朗は、「あんまり娘さんの写真を見たら、怒られますよ」と言いながら、御主人のジーッと見ている写真を覗いてみると、5才くらいの佐枝さんとまだまだ若々しい御主人と奥様が映っている古い写真でした。
2005.10.19
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ゴーヤの縁「これはキュウリかウリか・・・」靖代が、初めてゴーヤを見た時の印象だった。今年で35。生まれてから、一度も琵琶湖のほとりにある実家から出たことがない。出たと言えば、たまの旅行くらい。最近は、見合いの話しも、とんと来なくなった。早く結婚して出て行った二つ年上の兄には、もう高校生の息子がいる。家業の民宿は、一時ほどではないが繁盛はしている。京都にある大学のボート部が、定宿で使ってくれるから、まずは食いっぱぐれはない。そんなわけで、もうすぐ揃って60になる両親も、「ずっと、おったらいいやんか」と、ノンビリの様子だ。そんな靖代が、2年ほど前から、2ヶ月に一度の割で出かけるようになったのが沖縄だった。女ひとり旅だった。いつも同じ旅行社の二泊三日のツアーに参加するので、空港から旅行社の人に着いて行けば良い。いまだに過保護の両親にも心配かけることない。元来、自分で宿の予約をしたり、交通機関を探したりできるタイプではない。靖代の目的は、ただ一つ。本場のゴーヤを食べることだった。ゴーヤとは別名「にがうり」と言うだけあって、苦い渋い味だ。2年前、親戚の叔母ちゃんが、「沖縄から持って帰って来たけど誰も食べへんので」と持って来たのが最初のゴーヤとの出会いだった。その時は、たしか、マヨネーズでサラダにした。父も母も「ウエー・・・こりゃ苦いわ」と言って、一口食べただけでギブアップした。でも、不思議なことに、そんな二人の子であるはずの靖代の口には、ゴーヤはピッタリフィットした。「ニガイけど、この刺激たまらない」そんなわけで、ゴーヤにはまってしまった靖代だが、このゴーヤ、なかなか手に入らない。時々、近所のスーパーや八百屋さんに置いてあるのだが、いつも置いてあるわけではない。そんな珍しさが、また靖代の気を惹いたと言うわけだ。さてさて、靖代の旅行の”食”スケジュールだが、まずは、到着した日のお昼は、ホテルのレストランで、ゴーヤーチャンプルーを食べた。お昼ごはんだ。おやつは、空港の売店で買ったゴーヤチップスとゴーヤジュース。夜はゴーヤキムチをおかずにご飯を二膳、デザートはゴーヤシャーベットだった。翌朝は、ゴーヤゼリーを食べた。お昼は、ゴーヤをみそで炒めたもの。さて、夜はゴーヤ酒を飲んだりもした。まさにゴーヤづくし。実は、靖代がこの5月に行った時のことだった。1年前ほど前から、このツアーのコンダクターになった普天間って男、年は30ちょっとで気の優しそうな小太りで、沖縄生まれ沖縄育ちの男が、声をかけてきた「いつも、ゴーヤ食べてますね」「はあ、好きなもんで」「じゃあ、いっそのこと育ててみたら」「ええ」「5月頃まけば、関西でも育ちます。沖縄のゴーヤより少し小さいかもしれません。でも、味は同じ」「へえー、詳しいんや」「実家で、育ててるんで」「良かったら、種もらって来ますよ」そんなわけで、靖代は普天間からゴーヤの種をもらった。さて、琵琶湖のほとりにある民宿の小さな畑に5月末頃蒔かれたゴーヤの種だが、8月のお盆には見事に実った。ついでに、もう一つ、遅ればせながら来春、靖代が嫁に行くことになった。嫁ぎ先は沖縄。相手は?ここまで読んで野暮なこと聞きないでください。ゴーヤが取り持った縁のお話でした。
2005.10.18
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告知大学時代の同期小暮が亡くなったとの知らせを聞いて、和宏は故郷に帰った。何しろ、ラクビーで全日本代表まで努めた小暮だから、参列する人の数も並はずれていた。いつ終わるとも分からない焼香の列が続く。受付を努めながら和宏は、昨晩の由希子との会話を思い出していた・・「彼は、最後まで、ガンだと知らずに死んで行ったわ」「あいつの気性なら、告知しても良かったんじゃ」「あなたたちの前では、気丈に見えたけど、あれで気の弱い人なのよ。ガンなんて知ったら、発狂したかもしれないわ」「そうだったのか・・・手術は?」「したわ・・・でも、30分もたたず終わったわ。手遅れだったの。彼には、胃潰瘍の手術は成功したと言ったわ。睡眠薬で眠ってたから本人は分からないけど・・」「大変だったんだ・・あいつは、俺と違って大学出てからも実業団で頑張って全日本代表までになった・・・大したヤツだ」「長生きのコツは執念を持つことだって、口癖のように言って、日本のラクビーが世界レベルになるまで、俺は100でも150でも生きるぞって言ってたくせに、30にもならないのに死んじゃった・・・」「君も、あいつのために告知せず頑張ったんだ。あいつは、幸せ者だ・・」「何度も何度も、言いそうになったわ・・・でも、言っちゃダメだって、義母さんや担当医に止められて・・・」そう言って涙が止まらなくなった由希子だった・・・小暮が亡くなる一ヶ月ほど前、和宏は一回だけ小暮を見舞ったことがあった。逞しかった小暮は、その時すでに、めっきり痩せ細っていた。ベッドに腰掛けた小暮は、いつものようにテレビで見たラクビーの試合の話を、情熱たっぷりに語った。そして、少し疲れたのか、ベッドに横になりながら「眠くなった。薬が効いてきたのかな・・」「よく寝るのが何よりの薬だ」「なあ・・・和宏・・・おまえ、俺の友達だよな」「もちろん」「おまえ、今でも、由希子のこと、好きだろ?」「何を言うんだ。彼女は、おまえの女房だろ」「いいから、正直に言えよ。おまえが、いつまでも結婚しないのは、そのせいじゃ」「・・・まいったなあ・・」「やっぱりな」「だとしても、由希子は、おまえの女房だしな」「いや、あの時、おまえが、腰の骨を折って半年入院しなければ、由希子は、お前の女房だった」「運命だよ・・練習中のことだし・・・俺は、相手がお前なら仕方ないと思ってる」「そう言ってくれると、うれしい・・でもな、もし、俺が死んだら、由希子は、お前に返すよ」「おいおい、由希子は、物じゃないぞ。それに、胃潰瘍で死ぬか?」「うん・・・たしかに」そう言って、薬が効いてきたのか、小暮は眠ってしまった。和宏も、その時は小暮の病気は胃潰瘍だと思っていた。しかし、今になって思えば、小暮は自分の病状を分かっていたのだ。妻や母に騙されたふりをしていたのだ。それが和宏には分かった。ようやく、焼香の列が終わりに近づいた。「あいつは、気が弱くなんてないぞ。最高に強いヤツだった」と和宏は気丈に参列者に一礼を繰り返す由希子に心で語りかけた。
2005.10.17
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超能力ヒーリング圭一は、少しばかりの退職金をもらって希望退職した元建設会社の部長代理。3ヶ月たったが、なかなか新しい仕事が見つからない。早く働かないと、まだまだお金のかかる高校生と中学生の娘がいる。職安に行っても、インターネットの求人に登録しても何の反応もない。40才と言う年齢もあるし、大企業の大型プロジェクトばかりをやっていた彼には、中小企業の手がける一般消費者相手の仕事は難しいのだ。かといって、今さら、新しいことを覚えるのは年齢的に難しい。どうしたものか・・・途方に暮れていた。そんな彼に一通の手紙が届いた。封筒の会社名を見て、「どっかで見覚えのある会社だな・・・」と圭一は思った。インターネットで登録した人材バンクだ。早速、封筒を開けてみると「何何・・・超能力ヒーリング・・・」高給優遇!!「おお、建設会社にいた頃以上の給料だ」怪しい仕事だが、二人の娘の為、犯罪にでもならないかぎり、やらねばなるまい。その会社があるというビルのオフィスに入ると、いきなり、チャイコフスキーの白鳥の湖が流れる部屋だった。♪♪・・・そして、ゆったりとしたソファーと壁一面に飾られた富士山。「なんか、大きくなった気分だなあ」と思った瞬間、年の頃なら、50くらいの女性が真っ赤な服を着て現れた。彼女が現れた途端、音楽がガラッと変わった。♪赤いべべ着たかわいい金魚♪。何だ・・・童謡じゃないか・・・「人には、それぞれの運を引き寄せるハッピー・サクセスミュージックは必ずあります。その人の脳の周波数に合ったリズムが運を引き寄せるのであります。私どものシステムの起源は、そもそも、この私自身が、交通事故にあって記憶喪失になったことに端を発しまする。途方に暮れていた私に、元気な頃、私が、いつも口づさんでいた金魚の唄を亡くなった夫に聴かせてもらったことで、見事、みー、見事に、記憶を回復した体験に基づいているのです」と彼女は独特の口調で自信たっぷりに語った。そして、「あなたくらいのキャリアがある方が、この会社には必要なのです。さあ・・・いらっしゃい」と悩ましく付け加えた。それにしても彼女の話し方は、妙に説得力があった。「なんか分からないけれど・・・」会員には、プロ野球選手や芸能人、政治家までがいるようで、たいそうの繁盛ぶりらしい。しかも、会員たちは確実に実力をアップしている。「脳の周波数にあったミュージックが本当にあるかどうは分からないが・・・」圭一は、高給に惹かれて、その会社のカウンセラーになることにした。さて、当のご本人の圭一のサクセス・ミュージックだが、なんと、モーニング娘「ラブマシーン」だそうだ。そんなわけで、急に若々しくなって、颯爽とタキシード姿で出勤する圭一に「お父さん、すごい!!カッコイイ」妻は開いた口がふさがらない様子で、二人の娘は感動したそうだ・・・
2005.10.16
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選択 「あんまり儲かってないようだな・・・」「そうですね・・」「良かったら、また俺といっしょにやらないか。おまえのやり方では、自分で事務所を持つのは難しいぞ。知ってるのか、今の裁判の数、バブル期の半分だぞ」「増えていると思ってました」「不況で、裁判を起こす数も減ってるんだ。同じ大学の先輩だから言ってるんだからな。よく考えておけ」「ありがとうございます」・・・重孝は弁護士になって5年、去年から先輩のK弁護士事務所から独立して自分の事務所を持ってやっているが、どうも上手く行かない。市民法律相談会や弁護士会の法律相談で、何とか食いつないではいるが、今月は事務所の家賃も払えない状態で、このままでは事務所を閉めるしかない。先輩のK弁護士は、気のよい先輩だが商売上手な点が気に入らない。大きな会社や政治家の顧問を引き受けている人だ。裁判は民事専門で、刑事には一切手を出さない。弁護人のなり手のないような貧乏な人の弁護ばかり引き受けている重孝とは大きな違いだ。そんな重孝の所に、最近大きく業績を伸ばしている会社の社長が、「顧問弁護士にになってもらえませんか?」と言ってきた。どうやら、先輩のK弁護士の紹介らしい。社長の提示する条件も非常に良くて、引き受ければ事務所の家賃の心配などいらなくなる。どういうわけか、ほとんど同時に、「悪徳商法に騙された」と言って、小さな子供を連れた主婦がやってきた。主婦は泣きながら、「騙された。騙された・・・」と訴えている。ところが、その主婦が「悪徳商法」と言っている会社は、さっきの社長の会社なのだ。何とか、弁護をしてやりたい重孝だが、いろいろとローンを抱えているらしく弁護料払えないそうだ。しかも、その主婦、かつての重孝の初恋の人にそっくりだ。相談を終えて帰って行く二人を見送ると、小さな子供が「バイバイ」と手を振った。かわいい・・・俺も、あの時、あの人と結婚していれば、あんな子が・・・独身の重孝は胸がジーンとした。どうしよう・・どうしよう・・・主婦の弁護を引き受ければ、あの社長の会社の顧問もパーで、事務所も閉めなくてはならない。顧問を引き受ければ、あの主婦とは、これっきりだ・・・これからの人生を左右する選択だ。散々悩んだ重孝は、大学3年生の時の事を思い出した・・・重孝は、初恋の人に告白して振られた。無念の涙をこらえながら重孝は言った「俺は弁護士になるから、困ったら、いつでも相談に来てくれよな・・」彼女は「うん、絶対に行くよ。ごめんね」と言って去って行った・・・重孝の腹は決まった。初恋の人が相談に来たと思えばいいんだ。バカなヤツって先輩に言われるかもしれないな・・・でも、こんなヤツもいないと世の中回っていかないしな・・重孝は、またK弁護士の世話になることにした。そして、あの主婦の弁護を引き受けることにした。
2005.10.15
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「味」のある人いろんな料理をごちそうになっていると、「これは」と感じる一品にあたることがある。特別変わった料理であったり、高級な料理ではなくとも、こんな「味」のある料理にすることはできる。それは、その料理を手がける人の、ちょっとしたアイデアであったり、ひらめきであったり、日々のたゆまぬ努力の結晶であったりする。それを人は隠し味という。本当の甘さを出すには、砂糖だけではダメであって、その逆の風味である「辛さ」を持つ塩や唐辛子や生姜をごく微量加えることで、料理としての甘さを引き立てることができる。これは、料理に限ったことではない。人の数だけ、隠し味の必要性は存在する。毎日の仕事にしても、ただ決まったことだけやっているようでは、いつの間にか下り坂になる。人は、必ず年をとり衰えるものであるし、いかなる組織にも永遠はないのである。どこかで、隠し味を工夫しなくてはならない。それは、ほんのわずかの時間や労力である。きっと、一日にすれば数分いや数秒かもしれない。でも、それがあるとないとでは、後々、大きな違いが出てくる。そんな風に考えてくると、一人の人間そのものの人生にも隠し味があるようにも思える。つまり、個性である。この個性は、あんまり前面に出過ぎてもむずかしい。多くの人間が生活している以上、バランス感覚も必要だからである。ただ、バランス感覚ばかりでは、単なる事なかれ主義で、何も新しい物も生まれないし、進歩もない。そこで、ここぞと言うときの隠し味のごとき個性が役に立つ。さて、この個性を発揮する方法だが、むずかしく考える必要はない。まずは、ほんのちょっとした事で十分なのである。みんなが眉間に皺を寄せて、悩んでばかりいて進まない時のユーモアや笑顔、一杯のコーヒーでもいい。ごく自然にできることで、悪い流れは変えられるものであるし、そんなことができる人が「味」のある人なのである。
2005.10.14
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潮時島村と由美子が再会したのは、金曜日の映画館だった。半年前、島村が部長を努める銀行を由美子は退社した。30過ぎると、責任ばかり重くなる社内規定に嫌気が差したのだ。やっと、新しい職場にも慣れた由美子は、気晴らしに一人その日最後の上映を楽しんだ。映画のラストシーンが終わって、場内が明るくなった時、何げなく横を見た由美子はハッとした。「元気・・」と、反射的に島村の方から微笑みかけてきた。島村も、ビックリした様子だった。前職の銀行には、あんまり楽しい想い出はなかったが、最後の上司になった島村だけは好感の持てるタイプだった。ネチネチしたタイプの男性が多いと感じていた銀行員と同じ職場の人間とは思えないほど、カラッとした性格の島村だった。二人が再会した時、二人の間には空席が二つあった。その空席が、二人の間になくなるのに時間はかからなかった。ズルズルと交際が続いて、別れを切り出すのは、いつも島村の方だった。「このまま続けても、君を幸せにはできない。世話になったし、できるだけのことはする・・・」どこまでも誠実な男だった。一度も結婚を口にしたこともないし、奥さんの事も言わない。精一杯、由美子の事を気遣ってくれた。この人以上の人が、自分の前に現れるわけない・・・由美子は、その恋を絶対に失いたくなかった。でも、彼には奥さんも子供もいる。そんな彼との恋を成就させる方法を思い詰めた末、由美子が行き着いた結論は、彼を殺して自分も死ぬことだった。そんな迷い道の最中、田舎の母から電話があった。「帰っておいでよ」「いまさら帰れない」「どうして、おまえの家だよ。父さんも寂しがっているから」「私は、こっちの人間になったのよ・・・」「由美子は、子供の頃から大人しいけれど、意地っ張りだからね。損ばかっり・・雄閣寺の息子さんが、由美子のこと、ずっと好いっとったの知ってるか?あれも、まだ一人もんや・・・母さん、仲とりもつから、少し考えて・・・」「うん」母が言ってたのは、幼なじみの大作のことだ。子供の頃から真面目な男だし、30過ぎた女が嫁に行く所としては寺も悪くはない。でも、18で、故郷から出てきた由美子は、ずっと一人ぼっちだった。憧れた人はいたけれど、一度も交際には至らなかった。どうしようもなく田舎者で、どうしようもなく不器用なせいだと、自分でも分かっていた。そんな由美子が、30過ぎて、やっと心の底から愛せる人に出会った。それが島村だった。今、この人と別れると、この12年は何だったのか分からなくなる・・・それから間もなく、島村の努める銀行が倒産した。その為に雑事に追われているのだろうか。島村とは1ヶ月も会えない由美子だった。そんな由美子を、故郷から訪ねてきたのが大作だった。「おれ、子供の頃から、おまえに憧れてたからな。こんなことしてたらダメだ。村へ帰って、俺といっしょになろ」「でも・・・」「分かってる。島村さんの事だろう?」「ええ!!」「知ってるよ・・・おまえの母さんに聞いて」「母さんから・・」「おまえの母さんに、おまえと島村さんの事、話したのは島村さんだぞ・・このままじゃ、由美子が不幸になるって、おまえの母さんに電話してきたそうだぞ、島村さん」「あの人、今、大変なの・・・」「もう、来ないつもりだよ。潮時だよ」必死に説得しようとする大作に言われるまでもなく、「潮時」はずっと由美子のどこかに住み着いていた言葉だった。
2005.10.13
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親分哲造は、またも捕まってしまった。下の子は幼稚園だし、上の子は小学校に上がったと言うのに、気の短さが災いして、また大喧嘩してしまった。殺すまでは行かなかったが、傷害罪は免れない。恋女房の圭子は、何も知らずにスヤスヤ眠る二人の子を見ながら泣いてるに違いない。「ああ・・・俺は、なんてバカなんだ」やっと軌道に乗りはじめた焼き鳥屋も、水の泡だ。前科で言えば、両手の指では足らない哲造だが、今度と言う今度は後悔してもしきれないと思った。いろんな商売をやって、どれもこれも実にならず、やっとのことで見つけた実になる商売が焼鳥屋だった。「よーし、これだ」圭子と抱き合って喜んだ。常連の客も増えたし、圭子の友達や親戚から借りた金も返す目途がついた。すべてが順調に動き始めていた時に、また短気の虫が暴れたのだった。自分が憎くて憎くて、哲造は、留置場の中で何度も自分も頭を叩いて泣きじゃくった。「もう、死にたい・・俺なんて死んじまえ・・・」本気で、哲造は死にたいと思った。もう、すべてが終わった・・かに見えた。そこへ、看守が鍵をジャラジャラさせながら現れた。そして、ガチャガチャッと、哲造の房の扉を開けた「おい、哲、おまえ、ついてるなあ・・釈放だ。待合いで弁護士さんが待ってるぞ」「ええ!?」とくに弁護士を雇った覚えなどなかった哲造だ。そんな知恵もない。今までの何回かは、国選の弁護士に弁護してもらった。看守に付き添われて、待合室に行くと、パリッとした視線の鋭い弁護士が待っていた。「保釈金の100万円は納めました。ケンカの相手にも、話をつけておきました。命に別状はありませんから、大丈夫でしょう」「ちょっと、待ってくれよ。弁護士さん、俺、100万なんて金ないよ。女房にだってないだろうし、それに、あんたみたいな、やり手の弁護士さん雇う金もないしよ」「心配いりません。弁護料も保釈金も、頂いてますから」「だ・・だれに?俺みたいなヤクザくずれに金出す人が・・・」「奥さんから聞いたらしいですよ。小松建設の社長です」「ええ、小松の親分・・・まさか!」・・・哲造と小松建設社長の松井とは、もう5年も前に縁が切れていたはずだった。ヤクザに憧れて家出してきた15の哲造を松井は、一の子分と言って育てあげてくれた。しかし、松井は、哲造が伸びた何倍も成長していた。かつての子分と呼ばれた連中は社員となり、好き勝手な服装だった連中は、背広にネクタイに変わっていた。小松組と呼んでいた組は、小松建設株式会社となり、市や県からの建設や工事を請け負うようになっていた。「なあ、哲よ・・・時代は変わったんや・・・」と言いながら、大学出のエリートたちと仕事をする松井に哲造は裏切られたと思った。そのうちに捨てられると思った。哲造は、どうしても、ビジネスなんて柄にはなれなかったからだ。そして、思い切って哲造は飛び出した。一人だけ、哲造に付いてくる若い男がいたが、そんなヤツも、金儲けが下手で、口より先に手の出る哲造とは付き合い切れないと吐き捨てるように言って半年もたたずに出て行った。その頃、たまたま上の子が産まれたこともあって、女房の圭子に泣かれて哲造もヤクザから足を洗ったのだった・・・弁護士と話し込んでいたところへ、圭子がやってきた。二人の子の手を引いてやってきた。もう涙でグチョグチョだ「あんた・・・バカバカバカ・・・」圭子は何度も哲造の胸を叩いた。二人の子供は、遊んでいると勘違いしてキャーキャー言っている。「すまねえ・・・圭子・・・親分、いや、社長は何か言ってたか?」圭子は首を振って「なんにも・・ただ、あのバカを助けるんやない。私と子供を助けるんやって、あんたに言っとけって」・・・哲造たちが警察署の外に出ると、駐車場の隅に黒塗りの高級車が停まっていた。おそらく、後ろの席に乗っているのは松井だろう。車は、哲造たちが出てくるのを、確かめると、ゆっくりと走り去って行った。去って行く車を見ながら、「ありがとうございます。親分」と哲造は、深々と頭を下げた。
2005.10.12
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視線いつも視線を感じるようになっていた。あの人と自分とは、必ず何かがつながっている。そう信じるようになっていた。たぶん、テレパシーのようなものだろう。そのような感覚器を持っていないものにとっては、信じがたいことだが・・・剛は、いつも朝の通勤の時にすれ違う波子と心が通じ合っていた。波子は、新垣という男の妻であり、剛にも妻がいる。もし、二人が、こっそりどこかで会っていたりすれば、不倫と呼ばれるかもしれないが、剛と波子は、挨拶を交わす程度であるから、誰からも咎められるようなことはない。通じ合うと言っても、言葉ではない。一種の信号のようなもので、時間の感覚はない。秒数にすれば、1秒にも満たない一瞬の交わりで、剛と波子は、十分に喜びを感じている。これは、互いに身体と身体を触れ合う以上の喜びである。剛や波子のような人間は、数千人か数万人に1人くらいだろう。彼らのような人間にとっては、毎日の一見単純と見える通勤の往復や、平凡な日常も衝撃の連続なのである。たとえば、普通の人間から見れば、同じ道を歩いているのに、彼らには、ぜんぜん違う景色に感じる。時には、彼らの前には、大きなコンクリートの洞窟のようなものが、行く手に立ちふさがることもある。その洞窟が、たんだんと細く低く四つん這いにでもならなければ通れないような道になっていることもある。もちろん、彼らがそのように感じていても、普通の人間は、ごく普通に歩いていると感じている。大きな天変地異などがある前兆現象が、彼らには、このような形に映るのである。また、その洞窟を懸命に前進して行くと、三つの洞窟に別れるところに行き着く。人生の選択である。下手な道を選べば、彼らのような能力を持っていても、命を失ったり、大きなケガや病気に遭うことになる。しかし、これほどの選択はないにしろ、常に人間は目に見えないところで、人生の選択を迫られている。ごく普通の人間たちはそれに気づかずに、生きているだけである。さて、ある日曜日、剛が妻と二人の子供をともなって、遊園地に出かけようとしたとき、前方から、波子が新垣といっしょに仲むつまじく歩いてきた。「あれ」と剛は思った。波子から発せられたテレパシーの中に、剛に対する愛がなくなっていたからである。この一瞬に喜びを感じていた剛にとって、大きなショックだ。「なぜだ、なぜだ・・」剛は、気も狂わんばかりに心を乱した。ふと、その時、小学校6年生の長男の視線と波子の視線が交わされるのを感じた。「まさか・・」剛は、自分の直感を疑ったが、すぐに思い直した。長男は、間違いなく剛と同じ能力を持ち始めている。しかも、剛よりも洗練された力を、その力に波子が憧れるのも無理はなかった。彼らのような能力者たちには、年齢も時間と同じように、愛の障害物ではないからだ。
2005.10.11
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神様銀行失恋を認めるにはすごい勇気がいります。この勇気に使うエネルギーが大きければ大きかっただけ神様銀行に大きな貯金をしたことになります。だから、失恋をした人はその後の人生を自信を持って生きればいいのです。多少のことがあっても大船に乗ったつもりで。
2005.10.10
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あるプロポーズ真面目な働き者、それだけが取り柄で小心者の幸太にも好きな女がいた。幼なじみの香奈子だ。何とか気持ちをうち明けたいが、香奈子の名前を聞いただけで全身が絶対0度になってしまう。「言わなかったら、誰かに取られてしまう」そう思っているだけで、自転車が空回りするように全然前に進まない。そんな幸太は町の祭りで御輿を担ぐことになった。町をあげて、盛り上がる祭りだ。ある通りに御輿が行くと、人の足がソーレーでそっちに流れて他の通りは人気がなくなるほどだ。幸太はワッショイ叫びながら群衆の中に香奈子を見つけた。声が出なくなった。これじゃダメだ。酒をあおった。あおってあおっておあおりまくった。どの御輿担ぎたちもそれぞれ夢中でワッショイワッショイ…それが川沿いを通る時にハプニングに巻き込まれた。車椅子の爺ちゃんが御輿の前に出てきて、危険を感じて急に向きを変えた瞬間、予期せぬ動きに反応できない御輿の担ぎたちが川に落ちてしまった。ドボーンドボーン…群衆も大騒ぎ。幸い、大きなケガもないよう…安堵の笑い声が広がった、幸太も全身、ズブズブ。何とか這い上がった川縁で、「幸太君、大丈夫?」誰か分からないけど、「大丈夫だーい」酔った勢い叫んで、その手をつかんだ。顔を見てビックリ。香奈子だった。勢いは止まらない。「オレの嫁さんになってくれ…オレの嫁さんに…嫁さんに…」幸太は夢中で叫んで、御輿の戻った。少し正気に戻って香奈子の方を見ると、香奈子がジッと幸太の方を見つめているのが分かった。
2005.10.10
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ピンクの風船駅前で、女性から声をかけられた「久しぶり・・・」と言われても、私は思い出せなかった。「忘れたんかなあ・・・」いろいろ話しているうちに、やっと思い出した。小学生の時、近所に住んでいた女の子だった。とってもキレイになっていたので、分からなかったのだろう。いつも思うのだが、女性は人生の間で何度か変身する。少女から女へ。女から母へ。ちょっと考えただけで、3回は変身する。それに引き替え、男は、ずっと少年の時のままのような気がする。ちょっと、時間があったので、レストランで、コーヒーを飲みながら話した。彼女は数年前まで、芸能界でタレントの仕事をしていたそうだ。「あんまり売れてなかったから、知らなかったでしょう?」「俺、あんまりテレビ見ないから・・・」私は、苦し紛れに、そう言った。彼女は、1年ほど前、仕事中に交通事故に遭って、顔に大きな傷ができて大手術の末、顔の形も少し変わったそうだ。そんなこともあって、今は芸能界を引退して、小さな会社の事務員をしているそうだ。懐かしい話が、ポンポン出てきて、アッと言う間に1時間が過ぎた。別れ際に、「初恋の人だったのよ」と、言われてギョッとした。自慢ではないが、私は、女性は苦手である。だから、こんなこと言われたのは、初めてである。「あのねえ、町内会の運動会にピエロのカッコをした大道芸人が来たの覚えてる?」「ああ」「そのピエロがね。長細い風船で細工をしてみせていたの。子犬を作ったり、鳥を作ったり、・・・」「ああ、覚えてる・・鉢巻きや帽子も作れるんだ。たくさんの子供が囲んでたよね」「でもね、あの頃の私は、あの輪に入って行けなかった。あの頃、お父さんとお母さんが、家のローンの事で、いつもケンカばっかりしてたもの。鬱になってのよね。何やるにしても、消極的で。あの風船だって欲しかったけど」「タダやったから、もらったらエエのに」「そう、そう言ったのよ、あの時も、あなた・・・それでも、私がモジモジしてるだけだから・・・あなたは、パアーッと走って、私にピンク色した子犬の風船もらってきてくれたの」・・・もうかれこれ30年も前の話で、私には、まったく覚えのない話だった。そのまま、彼女とは、サヨナラした。でも、ひょんなことで、女性は、惚れてくれるものだ。私は、中年になって、やっと女性心理が少し分かったような気がする。もっと、早く分かっていたら人生も変わったかもしれない。そんなことを思っていた私に可愛い女の子が「市民会館は、どっちの方でしょう?」と道を聞いてきた。いつもなら、「知らへんよ」と言ってしまうところだが、少し学習した今日の私は違った「そうやねえ、そこの交番に行けば、教えてくれますよ。あ、ちょっと待てよ。お巡りさんいるかなあ・・いっしょに行きましょう」やけに親切になってしまった。
2005.10.10
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ちんすこうショコラ空港は、昨今の同時多発テロ事件の影響だろうか。どこも警備が厳しくなっている。搭乗手続きでも、氏名の確認が必ずなされる。航空券を見せるだけではダメなのは、実質的には戦争状態を意味する。その証拠に空港周辺は自衛隊のヘリが飛び、濃い緑の自衛隊機もさかんに飛び立っていた。弘幸と尚美と再会したのは、沖縄空港登場出口だった。旅行社のプラカードを抱えた男女の中から尚美は現れた「いらっしゃい」「結構立派な空港やなあ・・・」すかさず弘幸も答えた。「はい、これ、お土産・・ちんすこうショコラ(沖縄名産の甘ーいお菓子「ちんすこう」をチョコレートで包んだ新製品)」「はあ?」「せっかく沖縄来たんだから、ちんすこうを食べたいあなたのために」とても、10年ぶりの再会とは思えない。尚美は、10年前、大阪の歯科衛生士の専門学校に通っていた。弘幸とは、カラオケスナックを貸しきりで合コンが開かれた時に知り合った。たまたま、その時、弘幸が失恋した直後だったことから酔った勢いでやけくそで口説きまくっていた矛先に、たまたま当たったのが尚美だった。そんな感じで知り合った二人だが、その後、数回デートをしただけで別れてしまった。弘幸に別の彼女ができたからだ。その彼女こそ弘幸の今の妻で、尚美のクラスメートの祐子だった。弘幸に未練のあった尚美にとってはショックなできごとだった。その後、専門学校を卒業して沖縄に帰った尚美と祐子とは、時々連絡を取り合ったいたようだった。今回の沖縄行きも、そんな二人の企画に弘幸が便乗した形だった・・・「たしか二人で神戸のポートピアに行くときだったなあ・・・私が目覚まし時計の故障して遅れた時、人間には、体内時計があるから、時計なんてなくても起きられるんだよって言ってたわね」「そんなこともあったかなあ・・・」「その時、あなたは、何て言ったって覚えてる?」「さあ」「時計はね、人間の想像の中でできて、形になったんだからね。その性能は、人間の中にもあるはずだよって」「へえ・・・面白いこと言ったんだなあ」「おかげさまで、時計なしでも、起きられるようになったわ。今だったら、弘幸にふられなかったかな・・」「そう言われると・・・困ったなあ・・・」「祐子に悪いわね。祐子も、相変わらずわがままね。最初二人で来るって言っておいて、弘幸だけで来させるんだから・・・」「急に仕事が入ったからって・・・今日は、こっちには来ないって」祐子は、大阪市内でインポートもの専門のブティックを経営している。「私なら、安心と思ったのよね」弘幸は、安心と言う言葉が妙に引っ掛かった。尚美は、幼さの残っていた10年前よりずっと魅力的になっていた。今なら、祐子より尚美を選ぶと弘幸は本気で思った。尚美は、国際通りの宿泊先のホテルまでいっしょに来てくれた。「ツインだから・・・泊まっていかないか」弘幸は、冗談めかして誘ってみた。尚美は、少し悩みながら、部屋の中まで入ってきた。外の景色を見ながら、30分ほど話したろうか。話のネタが切れたところで尚美は「やっぱり帰る・・・もし、困ったら、明日また電話して・・」と言って急ぎ足で部屋を出て行った。「送るよ・・・」と弘幸は、慌てて追いかけるように部屋を出たが、エレベータのまえで尚美は「ここで、サイナラね。また、私を泣かせるつもり・・・」と、かたくなに弘幸の方を見ないで、一人でエレベーターに乗った。弘幸が一人戻った部屋は、やたら寂しかった。たまらず、テレビのスイッチを入れると、プロ野球日本シリーズ中継をやっていた。久しぶりの野球のせいか、入れ込んで見ていると、時間を忘れてしまった「やっぱり、野球はホームランやな」と、呟くとカチャッとドアが開いた。弘幸はハッとした。「おげんきですか・・・」とぼけて入って来たのは妻の祐子だった。「おい、来るんなら、電話くらいくれよ」弘幸は、少し怒ったように言った。「急に仕事がキャンセルになって、飛行機に飛び乗ったのよ。電話する間なんてなかったわ・・電話しなけりゃマズかった?」一瞬の沈黙が二人の間に流れた。「いや、このとおりだから・・・」「もしかしたら、尚美といっしょかと・・」「試したな・・・」少し怒った弘幸に、「ああ・・負けたの・・残念」と、相変わらず小悪魔風の祐子は、話をそらし、さっさとシャワーを浴びに行った。うまく小休止を入れられた。何げなく置いてある尚美からもらった「ちんすこうショコラ」の包みを見ながら弘幸は、もし、尚美がいたら、どうなったんだろうなんて思った。
2005.10.09
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李香蘭駅前の24時間営業の牛丼屋の明かりが見えた。金曜日のせいか若いOL風の女の子も座っている。「女も自由になったものだ・・・」息子の家で孫の守を頼まれての帰り、喜代は思った。ここから地下鉄に乗って2駅のところの一軒家で、喜代は夫と二人暮らしている。地下鉄への下り階段を降りようと思った時、喜代は少しめまいがした。「年やね。子供の守をしたくらいで・・」と呟いた途端、足をすべらせた・・・・喜代が女学生の頃は、第二次大戦前で、映画を見ることさえも禁止されていた。でも、当時の娯楽と言えば、映画くらいしかない時代、好奇心旺盛な女学生だった喜代は、何とかして映画を見てみたいと思っていた。その時、通りかかった映画館の前にポスターが貼ってあった。当時ナンバーワンのスターだった李香蘭の主演映画のポスターだ。「きれいな人やなあ・・・」映画ポスターの題名「支那の夜」だけを見て、喜代は、いろいろストーリーを組み立てた。そんな空想を抱きながら帰った家で、ラジオから流れていたのは、あのポスターの李香蘭が歌う蘇州夜曲という唄だった。咄嗟にメモした喜代は、♪君がみ胸に 抱かれて聞くは 夢の舟歌 鳥の歌・・・♪までを書きとめるのが、やっとだった。映画が見れないなら、せめてレコードだけでもと、どうしてもレコードが欲しくなった喜代は、「お父様、お願いです」と、父にねだったものだ。可愛い一人娘にねだられて、喜代の父は、蘇州夜曲のレコードを探したそうだ。でも、とうとう見つからなかった。発売されていたレコードは、あの李香蘭のではなく、他の歌手のものだった。それから、月日は流れ流れて戦争が終わり、自由に映画を見ることもできる時代になった。喜代は、デパートで働いていた時に、同じ売場で知り合った男性にプロポーズされる。のちに喜代の夫となるの作治だ。その作治がプロポーズの時にプレゼントしてくれたのが、李香蘭「蘇州夜曲」だった・・・「大丈夫か」と、優しい作治の声で、喜代は気づいた。階段の下に倒れていた喜代は、通行人の通報で病院に運ばれていたのだ。「あなた・・・」「救急車で運ばれたと聞いて、飛んできたぞ・・」「へえ、それやったら、ここは、病院ですか?」「ああ・・・脳には異常はない。打撲だけや」「そうですか・・でも、良い夢を見たのよ。大昔のこと、忘れていたこと」「ええ?」「李香蘭・・・」「ああ、あれか・・」作治は、たった一言、李香蘭と喜代が言うだけで、あの頃を思い出したようだった。
2005.10.08
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キスの効能♪チャンチャカチャーンチャンチャカチャーン♪チャンチャカチャンチャカチャンチャカチャン♪ヘーイヒューヒューと黄色い祝福の歓声。パチパチパチと惜しみない拍手。純一と真紀は、盛大なる結婚式を挙げた。大恋愛の末、二人は結ばれたのだ。親族や友人たちに見送られ、二人は新婚旅行に出発だ。本当は、ラスベガスからロサンゼルスを股にかけ、ハリウッドで遊び、ディズニーランドで戯れる。贅沢三昧の旅の予定であったが、折しも、同時多発テロの勃発で、二人の甘い旅行は急遽、別府温泉と湯布院のユーユーパックに変更された。「残念だね マキマキ」「ほんと、でも、温泉もいいわ。あなたといっしょなら ジュンジュン」「僕もだよ マキマキ」なんて、新幹線の車内でも、ラブラブの二人であった。福岡で特急ゆふいんの森号に乗り換えた二人は、湯布院にて温泉旅館に入った。まさに、新婚さんいらっしゃいである。しかし、そんな二人に予期せぬ出来事が起こった。ジャン!なんと、日本中に得たいの知れぬ細菌がバラまかれたと言うのだ。なんと、犯人は、阿蘇山や桜島や霧島の火口に大量の細菌を撒いて、その噴煙に乗せて、あわよくば関西まで飛ばそうと考えたのだ。犯人の狂った科学者は逮捕されたが、時すでに遅し、細菌は、噴煙に乗って、しかも、台風にも乗せられて、日本全土に飛び散ってしまった。ジャンジャン!!甘い甘い新婚旅行のはずの純一と真紀も、防毒マスクに防毒スーツに身を固めざるを得なくなったのだ。もし、その菌に触れれば、1時間以内に死に至るという恐怖の細菌なのだ。「今、大切なのは必要以上に恐れないことだ。マキマキ」「きっと、頑張って良かったって日がくるのね。ジュンジュン」「そうとも、マキマキ」と純一と真紀は励ましあって1週間過ぎた。電車も飛行機も泊まってしまった。温泉も完全に汚染されてしまってお風呂に入れない。真紀は、一瞬たりとも防毒マスクを脱ぐことができないから、お化粧をすることもできない。1週間もぬいぐるみの中に入っているような状態なのだ。汗も涙も、みんな身体の中から出てしまい、代わりに身体中にカビかコケかキノコでも生えそうなジュクジュク感が全身を被ってしまった。そんなことも、いずれ開発される抗生物質やワクチンが配布される瞬間までと、純一も真紀も耐えに耐え抜いた。日本に住む1億2千万人も同じ思いで耐え抜いているのだろう。しかし、そんな生活が2週間も過ぎてくると、純一も真紀も、ある衝動が絶え間なく襲ってきた。もう、我慢も限界だった。「俺たち、新婚だよな。マキマキ」「愛し合ってるのよね。ジュンジュン」「俺、我慢できない。マキマキ」「私も。ジュンジュン」「でも、今、防毒マスクを脱ぐと、1時間の命だよ。マキマキ」「せめて、キスだけでも・・ジュン」「・・・・・・もう、俺、死んでもいい。マキ」「うん」「うーん」二人は、防毒マスクを脱いだ。そして、キスを交わした。キスは、二人の愛の導火線に火をつけた。猛烈に燃え上がった二人の情熱は、もはや留まるところを知らなかった・・・一時間後、純一と真紀は、ベッドの上で心地よい疲れに浸っていた。「俺たち、死ぬんだね。マキマキ」「でも、後悔しないわ。ジュンジュン」そんな二人に、臨時ニュースが飛び込んできた。若い男性アナウンサーは、防毒マスクをポーイと放りなげるようにして、「臨時ニュースを申し上げます」そう言うと、男性アナウンサーは隣の若い女性アナウンサーに抱きついた。「僕は、ずっと前から君を愛していたんだ」女性アナウンサーも、防毒マスクを脱ぎ捨てた「皆さん、たった今ありましたK大学医学部の発表によりますと、キスすることで、ごく微量に脳に発生するホルモンで、細菌に対する抗体ができることが発見されたのです。みなさん、キスしましょう。チューチュー」テレビでは、二人のアナウンサーがキスを交わしていた。その後、このキスの効能はアットいう間に日本中に伝染して、日本は細菌攻撃から救われたのだった。
2005.10.07
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職人気質「お父さん、無理だって」と、香奈が母と二人で止めても、父は言うことを聞かなかった。「一人で行くから、絶対に来るな」生まれつき頑固な職人堅気な性格である。60を前にして治せと言ったところで、無理な話だ。かと言って、ほんの半年前まで、普通に目が見えていた男が、ほとんど失明状態になったのだから、心配するのも当然のことである。香奈の父は、中学を出てから稼業の印刷屋を継いだ。それから40数年、印刷工場を切り盛りしてきた。最盛期には、30人ほどの社員を雇ったこともある。だが、20年ほど前、ワープロやパソコンが出回るようになると、印刷の仕事は激減した。衰退の一途の仕事を、何とか意地と執念で頑張ってきたが、時代の波には乗れなかった。今は、ほとんど一人で仕事をこなしている。器用な経営感覚のある人ならば、うまく方向転換を図って、今風の印刷屋に変わって行けただろうが、香奈の父にはできなかった。あげくのはて、無理を重ねて過労から来る白内障とかで、ほとんど失明状態になってしまった。手術をすれば治るかもしれないと医者は言うが、検査の為の病院通いも、なかなか大変だ。どうしても、一人で病院に行くと言って聞かない父を、香奈と母は父に気づかれないように数メートル後ろから心配げにつけた。父の右手には白い杖、そして、左手は盲導犬の太郎とつながっている。改札口を通って、階段を下り、地下道を歩き、今度は階段を上り、父はホームに立った。目の不自由な人用の黄色い点字マットの上を父は太郎に誘導されて歩いて行く。「お母さん、電車・・」香奈も母も、ホームに電車が入って来たときは、背筋に電気が走った。「お父さん、本当に、大丈夫・・うまく電車に乗れるかな・・・」ドアが開き、さきに太郎が乗り、父が電車に乗り込む。「お父さん、すごい、すごい」父は、ちゃんと乗り込んだ。香奈と母も隣のドアから乗り込んだ。しかし、ラッシュの時間は過ぎたとは言うものの、やはり混雑した車内。席はすべて埋まっている。「誰か、お父さんに席を譲ってあげて」香奈は心の中で叫んだが、目をそらす人、寝た振りをする人、目で譲り合ってるだけで立ち上がろうとしない人・・・おまけに、ドアの前には、高校生が3人でとぐろを巻いて座り込んでいる。香奈は、父がつまずいて倒れないか心配だ。盲導犬の太郎が社内の空席がないか目で探している。車内がグラッと揺れた。電車が動き出した。父も揺れた。吊り輪に捕まっているが辛そうだ。その時、「おまえ、寝てないで立てよ」さっきのドアの前で、座り込んでいた男子高校生が居眠りしている高校生を起こして席から引きずり降ろして「オジサン、座ってよ」ドアの前に座っていた二人も立ち上がって、「どうぞ、どうぞ」と、言って父を座らせた。「すまんなあ」と言う父に、高校生は顔を見合わせながら照れ笑いしていた。意外な連中が役に立つものだと、香奈と母は少し驚いた。そんな感じで、二駅乗って、駅前の病院に着いた。受付を済ませて待合のベンチに座った父は、「ありがとう、太郎」と、前に座った太郎の頭を撫でながら、さすがに疲れたようだ。しかし、さすがって所も見せた「おまえらも、座れや・・・来なくてもいいと言ったのに、着いてくるんやから」と、父は、こちらも疲れた様子の香奈と母の方を向くとニヤッと笑った。
2005.10.06
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キノコ うららかな秋の昼過ぎだった。晴美は、3才の勇気を連れて公園を散歩していた。勇気は、滑り台が大好きだ。登っては滑りを何度も繰り返す。ヘトヘトになって動けなくなると泣きそうな声で、「ママ」と呼んでくる。その泣き顔がたまらなく可愛い。人は、幼い子の笑顔が可愛いと言うが、母親は泣き顔も可愛いのだ。疲れ果てた勇気を連れて帰ると、お昼寝なのだ。そんな、いつものパターンが崩れた。勇気は、公園の隅にひっそり並んでいる木々の根元に、ニョキニョキ生えているキノコに興味を持ったようになった「ママ、これシイタケ?」「違うよ、ユウくん、これは食べられないの」勇気は悲しそうな顔をした・・・そんな勇気の顔を見ていると、晴美は亡くなったお爺ちゃんのことを思いだした。大学でキノコやコケの研究をしていたお爺ちゃんは、晴美が子供の頃、自動車で10分くらいの所にある山へ出かけた。晴美も、よく一緒に行ったものだ。晴美はきれいな色のキノコを見つけると、「ああ、お爺ちゃん、このキノコきれい・・・」と言うと、お爺ちゃんは、「きれいなキノコは食べられないな」「毒キノコって、お爺ちゃん分かる?」「ああ、分かるよ。キノコのことなら任せとけ。キノコにあたって苦しむのは、だいたい半分知っていて半分知らないようなヤツだ。ぜんぜん知らないヤツは、警戒心が強いから大丈夫。よーく、知ってるヤツは、もちろん大丈夫。困るのは、中途半端に知ってるから、試しに食べてみようと思うから危ないんじゃ」「私は、なーにも知らないから大丈夫ね」そう言いながらも、変わったキノコを見つけては、晴美はお爺ちゃんに尋ねた。今となっては、ほとんど忘れてしまったが、小学生5年か6年の頃は、学校の理科の先生が驚くほど、キノコの名前を知っていたものだ。そんな晴美の一人息子の勇気は、お爺ちゃんが亡くなった年に生まれたせいか、近所の人たちや親戚の中には、お爺ちゃんの生まれ変わりかもしれないと言う人もいる。そう思って見ると、勇気はお爺ちゃんに似ていると晴美は時々思う。ああやって、背中を丸くして、キノコを観察している姿は、お爺ちゃんのミニ版だ。「食べられない」と晴美に言われてもキノコのことが気になるらしく、勇気は、また別のキノコを見つけて「ママ、これ、マツタケ?」なんて聞いてくる。「違うの。これも食べられないの」そう晴美が言うと、勇気は、「ママ、あっちのキノコも、食べられないって言ったよ。こっちも食べられない。公園にあるキノコは、みんな食べられないって名前なの?おうちに、あるのは食べられるって名前なの?」「違う違う、食べられないって言うのは、お口に入れられないって意味で、そのキノコの名前は・・・ええっと」そう言えば、晴美は、勇気の質問に対して「食べられる」とか「食べられない」と言うだけで、名前を言ったことがなかった。と言われても、食卓に並ぶマツタケやシイタケなら分かるが、公園の木の根元にあるようなキノコの名前なんてとっくの昔に忘れてしまった。思い出そうとしても、どうしてもキノコの名前が思い出せない晴美は、困ってしまい思わず「ああ・・お爺ちゃん、助けて」と、言ってしまった。
2005.10.05
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二人三脚愛し合って親の反対を押し切って結婚したはずの圭子と祐作は、月日とともに心離れて離婚を考えるようになっていた。とくに理由はなかった。しいて言えば、価値観の違いだった。だが、二人には、小学生の子供が2人いた。この二人の子供が、かろうじて圭子と祐作をつなぎ止めていた。ある秋の日曜日、祐作と圭子は、小学校の秋の運動会に来ていた。同じように並んで歩いていても、ほんの数十センチしか離れていなくても、その距離が気になるのは、やはり二人の心が離れてしまったせいだろうか。圭子も祐作もほとんど交わす言葉もなく、子供たちの姿を追っていた。プログラムの中に、お父さんお母さんの二人三脚があった。不仲とは言え、二人の子供の親である圭子と祐作は二人三脚に参加することになった。「きつく結んだ方がいいの?」圭子が、鉢巻きで足を結ぼうとすると「そうだろうな・・」と祐作は空々しい。たくさんの夫婦がいた。みんな楽しそうだ。不思議なことに、男が右で、女が左の夫婦が多い。どうしてだろう、圭子は今までは気づかなかったことが妙に気になった。「ねえ、どうして男が右で女が左なの?」「何かの本に、その方が男女とも心理学的に落ち着くって書いてあったよ」「へえ、あなたが、そんな本読むなんて初めて知ったわ」「俺だって、それくらい・・・」と祐作が言った時、隣りから、「お久しぶり・・」と声が聞こえた。祐作と圭子が振り向くと・・・そこには、神岡夫妻がいた。この夫婦とは、1年ほど前、裁判になりそうになったことがあった。祐作と圭子の子供が、神岡夫妻の子供に階段から突き落とされて腕を骨折したのだ。それ以前から、何度も、神岡夫妻の子供に虐められていると、学校や神岡夫妻に連絡していた矢先だったから、祐作も圭子も迷わず警察に連絡した。散々もめたあげく、校長先生が中に入って、神岡夫妻がわびを入れて見舞金等を負担することで和解した。裁判にはならなかったが、何とも後味の悪い事件だった。その後は、虐めもなくなったようだが・・・「どうも・・・」祐作は険のある低い声で神岡夫妻に応えた。圭子は、目も合わそうともしなかった。神岡夫妻は、作り笑いを浮かべていた。この夫婦にだけは負けられない。祐作も圭子も、本気で思った。たかが二人三脚、されど二人三脚だ。よーい、パン。圭子と祐作は、互いが不仲なのを一切忘れて、必死に走った。イチ・ニ・イチ・ニ・・・結んだ足がイチで、もう一方の足は二だ。100メートルのコースの半分くらい来たところで、アクシデントが起きた。神岡夫妻が、バランスを崩して、祐作と圭子の方に倒れ込んできたのだ。普通の状態なら、大したことにはならなかったが、一本の足は結ばれている。祐作も圭子も、もんどり打って倒れた。その時、祐作は打ち所が悪かったらしく、気を失ってしまった。数分後の保健室で、祐作は気がついた。枕元には圭子がいた。その後ろには、神岡夫妻とのもめ事の時に世話になった校長先生もいた。「大丈夫、担架で運ばれたのよ」「うん・・」「一応、精密検査受けた方がいいんじゃないかって」「おまえは、大丈夫か」「うん、ぜんぜん、かすり傷一つなかったわ」二人が、そこまで話したところで、校長先生が「市立病院に送らせますから」と言って、急いで保健室を出て行った。幸い、祐作はすぐに歩けたし、精密検査の結果も異常なしだった。祐作と圭子の家庭に、いつもと変わらぬ日々が戻ってきた。そんな二人に、神岡夫妻の離婚の噂が飛びこんできた。何たる因果か、あの二人三脚の時、神岡夫妻も、圭子と祐作と同じ心境だったとは・・・
2005.10.04
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ミス車掌最近、電車に乗ると女性の車掌を見かける。こんなポスターがあった。コピーは「ミス車掌」、女性車掌を応援するポスターだ。友梨も、その一人だ。朝と夕方の通勤電車に乗務する。ちょうど満員電車の時間で、「キップを拝見」と言いながら、社内を回ることもない。駅に止まってドアの開け閉めをする単純な仕事だ。しかし、朝は、大急ぎで電車に飛び込む人も多くと、ヒヤッとすることもある。友梨は、子供の頃から電車が大好きだった。女の子はお人形やままごと遊びが好きな子がほとんどだが、友梨は電車の方が良かった。たぶん、お父さんの影響だろう。友梨のお父さんは、トラックの運転手をしていた。「ほんとうは、電車の運転手になりたかったんだ。俺」と、お父さんは、口癖のように言っていた。10人兄弟の長男だったお父さんは、中学を卒業してすぐに働かなければならなかった。電車の運転手になるには、上の学校に行かねばならなかったから、お父さんの夢は15才で途絶えたことになる。お父さんは、お母さんと一人娘の友梨を連れて電車で旅をした。温泉地に行ったり遊園地に行ったり、夜行電車に乗って遠くに行ったり、そうこうしているうちに、お母さんも友梨も電車が大好きになっていた。そんな友梨のお父さんは、友梨が小学校6年生の時に亡くなった。交通事故だった。突然、日曜日に仕事が入って、「行って来るぞ」と元気に飛び出して行ったのが最後だった。友梨とお母さんが、病院に駆けつけたとき、お父さんはかすかに微かに意識があった。「友梨・・・友梨・・・何があっても、ワシが守ってやるからな」が、お父さんの最後の言葉だった。15の年から下の兄弟の為に、そして、結婚してからは、お母さんと友梨の為に、働いて働いて、電車に乗って家族と小旅行するのだけが、ささやかな楽しみのお父さんの短い人生だった。たぶん、友梨が電鉄会社に勤めるようと思ったのは、その時だったかもしれない。「私、電車の運転手になりたいです」と、小学校の卒業式で宣言したら、クラスのみんなも先生も呆れていた。15年前は駅で働いている女の人と言えば、売店か掃除の人くらいだったからだ。月日は流れて、友梨が大学卒業するころには、少しだが、電鉄会社の先輩に女性がいた。夢は現実となった。運良く、狭き門を通り抜け、友梨は電鉄会社に入社した。改札係を3年、そして、去年から車掌になった。車掌の辞令をもらったとき、真っ先に、お父さんの写真の前に置いた。「ありがとう、お父さん、運転手は、むずかしそうだけど、おかげで、車掌になれました」メソメソしている友梨の横で、お母さんが「あとは、嫁に行くことだね」と、笑いながら泣いていた。
2005.10.03
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床屋一代記長い間、やっていた商売は 体の隅から隅まで 染みついているものです。15歳で、近所の床屋さん に見習いとしてつとめ始めた 常吉さんは30歳で、 自分の店を持ちました。 それから40年、 朝8時に店を開き、 夜の9時まで いろんな人の頭の髪の手入れを やってきました。 ヘヤースタイルは、 毎年変化します。 特に、若い人は流行に敏感です。 そんなリクエストにも 応えてきました。 髪の毛のくせや 薄毛で悩む人とは 一緒に、髪のパターンを考えます。 髪の毛は、一度切ってしまうと 何ヶ月も元に戻りませんので 短く刈るときは特に気を使うのです。 大きな鏡を手に持って 「これくらいで・・・」 なんて何度も確認しながら お好みのヘヤースタイルにします。 10年くらい前から 床屋さんの世界の定休日も 毎週月曜日だけから 各週で火曜日も休みになりました。 そのころから、常吉さんは 徐々に店に顔を見せなくなりました。 代わりに店には、 息子さん夫婦がいます。 今では、ほとんどの床屋さんが 月曜日と火曜日が休みになりました。 1年前から常吉さんは、 病院で寝たきりになりました。 末期のガンでした。 それでも、店のことが気になるらしく、 息子さんが見舞いに来ると 「今日は月曜日やな・・・・・」 と店のことを心配します。 その常吉さんが 70歳でこの世を去ったのは 日曜日の10時でちょうど閉店過ぎでした。 9時30分に店の掃除をしていた時、 病院から呼び出しを受けた息子さん夫婦が 駆けつけると 常吉さんの酸素マスクはすでに外され 虫の息になっていました。 スースー・・・・・・・ 息子さんに気づいたのでしょう。 常吉さんはおぼろげに目を開けると 安心したのでしょう。 苦しむのではなく 自分で息を止めるように 計ったように10時ちょうどに亡くなりました。 お通夜が月曜日 お葬式は火曜日でした。 常吉さんは、死ぬときも 立派な床屋さんでした。 翌日の水曜日からは 平常通り何事もなかったように 常吉さんの床屋は営業しています。
2005.10.03
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癒しの部屋もう7年か8年も前になる。私は、大阪市内に事務所を探していた。いくつかの不動産屋さんにお願いして、1日に3軒ほどのビルの事務所を見て回った。その中に不思議な空き部屋があった。ひきドアを開けると、そこはアラジンの魔法のランプに出てくるような世界だった。しかも、その場にいると、心地よくなり眠気が襲ってくるのだった。あまりにも変わった雰囲気だった。「ここは、誰の事務所だったのですか?」と、私が尋ねると、不動産屋の営業M氏は、苦笑いして「○×治療院と言いまして、アラビア系の音楽が流れて女の子たちが踊り、踊りを眺めていると、いつの間にか眠くなるそうです。そして、目覚めると元気になるそうですよ。とても繁盛していたそうですよ。なんでも、ルイ16世もこの方法でストレス解消したそうで」「へえ・・心霊療法ですね」「まあ、そんな所ですか」「それがどうして?」「それが、6ヶ月前に急に誰もいなくなったそうです」「どこかへ移動したのですか?」「それが分からないのです」・・・その部屋は半年間、誰も寄りつかないので、ビルの大家さんの判断で新しい住人を募ることになったそうだ。もともとアラビア系の人が借りていたそうだ。景気の良い時代なら、怪しい人には貸さないだろうが、バブル景気が弾けた直後だったから、半年分前金で払ってくれるならという条件で貸したそうだ。結局、私は、無難な所を見つけたので、いつの間にか、その部屋のことは忘れてしまった。それから、3年後、友達の社長が大阪市内に事務所を探していると言うので、いっしょに探したことがある。その時も、たまたま、例の事務所を案内された。内装は、ほとんど3年前と変わらないままだった。「ええ!まだ、ここは空き家なんですか?」不動産屋のM氏は、少し困った顔をして「覚えておられるんですね?実は、あれから3社ほどが入られたのですが、すぐに出られまして」「何かあったのですか?」「いいえ、何もありません。ただ、大家さんが言うには、どの会社も社員が居眠りして困るから・・・と」「居眠り?」・・・そして、今年の夏、私は偶然、そのビルの中の別の会社に所用があった。用件を済ませてから、気になった私は、様子を見ようと例の部屋の前を通りかかった。すると、部屋の前には「○×治療院」とあって、アラビア風のコスチュームを着た女の子が受付をしていた。「まさか」と思った私は、不動産屋に電話した。すると、不動産屋の営業のM氏は、「信じられないことですが、7年前に姿を消した連中が戻ってきたそうです」と言っていた。さらに、M氏が言うには、この3年間にも、数社がこの部屋に入ったそうだが、いずれも社員が眠くなって困るという理由で数ヶ月で出て行ったそうだ。
2005.10.02
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夜逃げあれは、たしか夜の8時頃だった。お風呂から上がってビールを飲んでいた義男を訪ねて来る人がいた。3軒隣で、不動産屋を営む三宅夫婦だ。義男と三宅とは同年代だが、サラリーマンの義男と小さいながらも自営業者で社長の三宅とは、あんまり接点はなかった。ただ、三宅は、町内会の会長をやっている義男の人望には、一目置いているようだった。三宅は、ラクビーボールのような身体だが、三宅の女房の綾子は、ミス何とかになったという超美人だった。義男は、女房の幸子には内緒だが、秘かに三宅の女房に憧れていた・・・「こんな夜分、失礼します」三宅は、緊張した面持ちで玄関に立った。そのすぐ後ろには、寄り添うようにエキゾチックな美人の綾子が寄り添っていた。三宅夫婦には、中学3年生の長男と小学校5年生の次男がいた。長男は、綾子似でなかなかのハンサムで、次男は、三宅似で、ひょうきんな顔をして対照的だった。綾子は、そんな二人の子を産み育てたとは、とても思えないほど輝いていた。「実は、急に引っ越すことになりまして・・・自治会長さんだけにはお伝えしようと思いまして・・・なに、1年も経てば、またご挨拶に来ます」と三宅は言い、女房と二人丁寧にお辞儀をして帰って行った。そんな二人の背中を見送った義男は、台所で義男の大好物の厚焼きタマゴを焼いている女房の幸子に「ありゃ、夜逃げやな」とポツリ言った。そう言いながら、義男は、あんなべっぴんの女房がいたら夜逃げも楽しいかもしれへんなあ・・・なんて思った。そんな義男の心の内を知ってか知らずか幸子は言った「三宅さんの御主人何億も借金あるらしいね。奥さんが食堂で働いたりしながら、支えてたけど・・・」「1年で戻って来れるかな・・・」義男の予想通り、三宅夫婦は、それっきり義男たちの住む町内には帰って来なかった。月日は流れ、義男は会社を定年退職していた。第二の仕事も見つからず、自治会長も辞め、もんもんとした日々を送っている義男の唯一の楽しみは、夕方フラッと出かけた駅前の立ち飲み屋での一杯だった。いつものように、フラフラ歩いていた義男は、知り合いの酒屋の横に、ウナギの寝床のような細長い「おふくろ」と言う一杯飲み屋が開店したのを見つけた。「これはひょっとすると、酒屋のオヤジの愛人がやるって噂の店かな・・・」とブツブツ言いながら、義男はのれんをくぐった。「いらっしゃい」開店早々で、まだ客の一人も居ない店の奥に、義男は懐かしい顔を見つけた。あの三宅の女房の綾子である。「あら、自治会長さん」「久しぶりでんなあ・・・もう、自治会長やめました。会社も定年になったし、ただの浪人です」「なつかしいわ・・・」そう言いながら、コップに酒を注いだ。30分くらいだろうか、綾子と昔話を楽しんだ義男は、店を出た。年を取ったとは言っても、綾子は、まだまだ美しい。どうやら、三宅とも、あれから別れたらしい。こりゃ、何かの縁?千載一遇のチャンス?義男は久しぶりに色気づいたのか気分ノリノリで、「おふくろ」を出た。淡い願望を抱きながら店を出たところで義男は、酒屋のオヤジとすれ違った。オヤジは、妙に艶っぽい顔をしていた。「まさか、あのオヤジと綾子さんが・・・噂は本当なのかなあ・・・」胸騒ぎがした義男は、今出たばかりの店が気になって、足が前に進まない。
2005.10.01
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