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友人にあてたメールより
Aおばあちゃんのことを経験して思うことは、やっぱりその時その時にできること(やれること)を見出して、実際にやっていく、ということが大事なんだなぁということです。
できないことを目標にしても、その目標が基準になるから、そこに到達することができなかった今日というものが、自分にとって悪いもの、という位置づけになってしまいます。
悪い、という評価を自分で繰り返しても良いものには向かえません。
今日は良かった、という受け止めが明日という一日も良き日になるだろう、という予測を作り出し、明日を迎え入れることが喜びとなり、それこそがすなわち希望と呼ばれるものになるのだと思います。
Toさんに訊きました。
一日中ぼ~~としてやる気のない日々がやってきたら、どうしてもらいたいですか?
「ほっといてもらいたい。もはや積極的に活動すること自体が自分にとってはしんどいこと、となっているから「何もしない」を自ら選んでいるんだと思う。(無意識に)
だから積極的になるように仕向けてもらっても、それはただただ自分にとっては負担になるだけで、余計壊れてしまうと思う。」
じゃぁ、食べれなくなったら?
「それも放っておいて。
食べる気がないから食べられない、だけではなくて、すでに食べることによって生じる消化や吸収という機能そのものが低下してきていることを表しているのが、食べれない、という現象なんやから・・・。
無理に食べささんでもいい。栄養を入れる必要もない。
人はそうやって、ちゃんと自分の最後の幕引きの準備を進めている。
何かそこに手を入れることは、有難迷惑というもんや。」
分かった。私もそう思う。私についてもなんもしんでいいから・・・。
おばあちゃんはこの半年間、入院生活をなさっていたけれども、毎日誰かが顔を出してくれる、というような環境にもなかったけれども、たまたま得ることができた病院の中で今日を生きる、ということをさらりと受け取って過ごしてくださった。
その姿は、私にはされるがままの消極的な姿ではなく、むしろ積極的にそうありたいと無意識の彼女が作り出した素直で謙遜な毎日だったように思えちゃうんです。
それがとても輝かしくうつり、ぜひ彼女のように生きたい(逝きたい)、と思わせてくれるんです。
おばあちゃんが亡くなってからの方が、おばあちゃんにいろいろ教わっているような気がします。
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